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告白(3)

高校1年生の千鶴・優治・康介の3人は恋をしています。その相手は幼なじみだったり、同性の友達だったり。また、長年に渡って気持ちを温めてきた子もいれば、唐突に芽生えたそれに戸惑ってしまう子も――。
同じものは2つとない、少しずつ違う恋の色。それでも、なかなか想いを告げられずにいるのは、3人とも変わりありません。
しかし、そんなある日、夕暮れ時の帰り道。1つの告白をきっかけに、彼らは『人を好きになること』や『相手に想いを伝えること』について、改めて考えを巡らせ、それぞれの答えを探し始めます。不器用な少年少女の恋路は、果たして、どこへ向かうのでしょうか?

誰かが笑えば、誰かが涙する。甘酸っぱい恋のお話です。

2014年03月09日投稿

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 3

 クッキーを口へと運ぶ千鶴の手が、不意に止まる。
「告白したって、そんな、本当に?」
 ベッドに腰掛けた彼女から、優治は責めるような視線を投げかけられた。それを受け、優治は小さくかぶりを振る。
「ついさっき、言ってきた」
「だって、相手は、ほら……、男の子なんでしょ?」
「……うん。同じクラスの友達」
「……そう」
 千鶴の部屋で、優治は背中を丸めて座っていた。手には千鶴から借りたタオルを握っている。湿った髪の毛と両肩。うつむいてはいるものの、テーブルに置かれたクッキーも紅茶も、彼の瞳には映っていない。
 カーテンの隙間から夜が覗いている。聞こえるのは雨の音。わずかに見える窓を、水滴が忙しなく流れ落ちていく。
「その様子だと、あんまりいい結果じゃあ――」
「それが、あの、返事は聞いてないんだ。僕が一方的に言っただけ。それで、そのまま、ここに。返事なんて聞かなくてもわかるから」
「…………」
 千鶴は眉を寄せると、静かに目を伏せた。
 ほんの少しだけ、彼女が自分の言葉を否定してくれることを期待する。けれど、それが起こり得ないのは優治が一番よくわかっていた。
 沈黙が訪れる。耳にまとわりつく雨音。
 何も考えたくないのに、考えてしまう。公園で康介に想いを伝えた瞬間が、優治の脳裏に浮かんでは消え、消えては浮かんだ。鮮明に、または歪み、あるいは大袈裟に、それは蘇る。
 あの時、康介は何か言おうとしていた。千鶴の時のように、冗談だと思っただろうか? しかし、それならば、あんな表情はしないはずだ。
 今思えば、最後まで聞くべきだっただろう。けれど、優治にはそれができなかった。康介の言葉を受け止める勇気がなかった。
 その後のことはあまり覚えていない。なるべく顔を上げずに歩いた。ひたすら涙をこらえていた。雨が降り始めたのは、いつだったか。確か、自宅付近まで来た頃だったように思う。しかし、そのまま帰る気にもなれず、千鶴を訪ねてしまった。今だけは、独りになりたくなかった。
 康介にも千鶴にも、ひどく勝手なことをしている。優治は奥歯を強く噛み締めると、タオルで乱暴に頭を拭いた。
 小さな溜め息の気配。千鶴の声が届く。
「どうして?」
「え?」
 優治は声の方へ視線を戻す。彼女はテーブルの上の紅茶を見つめたままで続けた。
「どうして、告白したの?」
「どうしてって……、もちろん、好きだから――」
「そういう意味じゃないよ」
 千鶴は優治に向き直る。目が合った。彼女にまっすぐ見据えられ、思わず、視線を逸らしてしまう。
「優治の場合は、好きだから告白すればいいってなるような、単純な話じゃないでしょう?」
 いたずらをした子供を、親が咎めるような口調。
「聞かなくても返事がわかってるなら、それならどうして?」
「………………」
 雨音だけが響く。まるで、この部屋の中が、世界の全てのようだった。
 優治は小さく息を吸い込む。
「すごいなって、思って――」
「すごい?」
「千鶴みたいに、自分の気持ちをちゃんと相手に伝えられるのはすごいなと思って」
「…………」
「僕、好きな人ができても、嫌われるのが怖くて、今までの関係が崩れちゃうのが嫌で、告白なんてできなかったんだ。どうせ、うまくいきっこないし、相手にも嫌な思いをさせちゃうし――。そうなるくらいなら、今のままで構わないって。きっと、僕が女の子を好きだったとしても、それは変わらなかったと思う」
 黙って聞いている千鶴に、優治はぽつりぽつりと語り続ける。
「でも、ずっと黙ってるのも、すごくつらかった。本当は、僕の気持ちを知ってほしかったから。どうにかできたらって、ずっと考えてた。もしかしたら、『付き合いたい』っていうのより、『理解してほしい』って思ってたのかも知れない」
 優治は視線を戻し、千鶴と目を合わせる。弱々しく微笑んだ。
「そんな時に、千鶴が僕のことを好きって言ってくれたんだよ。何て言うか、うん、嬉しかった。だから、あの、うまく説明できないけど、僕も好きな人には好きだって、ちゃんと伝えたくなったんだ」
「……そんなの理由にならないよ」
 今度は彼女が視線を逸らした。
「だって、あたしはこうやって、まだ優治と一緒にいられるけど、優治はどうなるか――」
 そこまで言うと、彼女は押し黙ってしまった。眉を寄せ、唇を噛み締める。
「それでも、もう黙ったままでいるのは嫌だったから」
 きっと、自分も千鶴と同じ表情をしているだろう。
「うん、嫌だったんだよ」
 波一つない紅茶を見つめ、言い聞かせるように、優治は繰り返した。
 高校に入学して、康介と近くの席になった。大きな体には一目で憧れたし、彼と話すにつれて、どんどん惹かれていったことを覚えている。その気持ちが恋だと自覚するまでに、さほど時間はかからなかった。
 男性に想いを寄せること自体は初めてではない。これまでにも何度かあった。今さら、戸惑うこともない。しかし、その相手とここまで親しくなることはなかった。嬉しい反面、複雑な気持ちも大きい。
 会えば会うほど、話せば話すほど、自分が康介のことをどう考えているのか伝えたくなった。ただ、伝えたが最後、彼からどう思われるかはわからない。
 都合のいい想像をしてみた。最悪の場合も想像してみた。黙ってさえいれば、気の合う友達として、傍にいられるかも知れない。それも、決して悪い話ではない。むしろ、幸せなことだろう。しかし、康介がこの気持ちを知ることは絶対にない。この先、ずっと。
 そんな堂々巡りを半年も続けた頃、優治は千鶴から告白されたのだった。
「あたしもね――」
 そこで、ほんの一瞬だけ間を置いて、千鶴は続ける。
「本当は、優治に振られるんじゃないかって、何となくだけど、わかってたの」
 優治が顔を上げると、千鶴はカップに口を付けるところだった。
「幼稚園とか小学校の頃はともかく、中学生くらいからかな? それ以降、優治にそんな素振りは全然なかったもの。そうじゃなくても、幼なじみ同士でうまくいくなんて、漫画やドラマだけの話だろうし。……まぁ、あんな振られ方をするとは思わなかったけどね」
「あ、あの、ごめん」
「謝らないでよ」
「……うん」
 優治も一口、紅茶を飲む。香ばしさと甘さが舌に広がる。おいしい。
 ふと、さっきの千鶴と同じ疑問が浮かんだ。
「じゃあ、千鶴はどうして告白したの?」
 一瞬、千鶴の顔から力が抜けた。しかし、すぐに眉が寄る。しばらく何も言わずにいたが、やがて、言葉を選ぶように、彼女はゆっくりと答え始めた。
「あたしは……、あたしも、黙ってるのは嫌だったから。ただの幼なじみじゃなくて、優治はもっと大事な人だったから。それに、いまいち優治は気付いてなさそうだったし、この辺りではっきりさせておきたいな、と。駄目だったとしても、優治にあたしの気持ちを知らせることは確実にできるわけだし」
 千鶴は穏やかな笑顔を見せる。少し、胸が痛んだ。
「とにかく、優治に伝えたかったんだよ。好きだって」
「やっぱり、敵わないな……」
 言うが早いか、優治はうつむく。
 自分の気持ちに対して、堂々としていられる千鶴が羨ましかった。優治はここまで自信を持つことができない。康介に告白してよかったのか、この瞬間にも彼がどう思っているのか、これからの自分達の関係がどうなるのか、不安で不安で仕方がない。
 胸の奥が熱く、痛く、どろどろとしたものが込み上げてくる。。目頭が熱い。視界が滲む。
 と、その時、軽い何かが頭に載る感覚。
 驚いて視線を戻すと、千鶴がテーブルの向こうから身を乗り出し、こちらに腕を伸ばしていた。どうやら、優治の頭の上にあるのは彼女の手らしい。その手は小さく前後に動く。優治の頭を撫でている。
「あっ、…………えっ?」
 何を言えばいいのかわからない。思わず、うろたえてしまう。
 すると、千鶴は優治の目を覗き込んできた。
「そんな顔しないでよ」
 まっすぐな髪の上を細い指先が流れ落ち、流れ落ちてはまた、元の場所に戻る。
「あたしだって、優治が思ってるほど強くない。言わなきゃよかったって思ったり、悲しくなったりすることだってあるもの。優治と一緒だよ」
「…………」
 優治の頬を包むようにして、千鶴の手が止まる。その指先が、ふくよかな頬に沈んだ。
「優治がそんな気持ちになるのもわかるし、『きっと、うまくいくよ』とか『元気出して』なんて言っても、意味がないと思うけど、話くらいだったら、あたしがいくらでも聞いてあげられるから。だから、あたしにまで引け目を感じたりしないでよ」
 迷子の子犬を見るように、彼女は目を細めた。
 ふと、自分は幸せ者なのだと、優治はそう感じた。嬉しかった。と同時に、体が勝手に涙を流そうとする。呼吸が苦しい。既に見づらくなっていた視界が、さらに歪む。
 いけない。今、ここで泣いてしまってはいけない。
 慌ててうつむく。ぐっと歯を食い縛った。
 そんな優治の様子に気付いたのか、千鶴は彼の頬から手を離す。リモコンでテレビの電源を入れ、次々とチャンネルを替えていった。
「ニュースばっかりだね」
 いくつかのチャンネルを巡っていたテレビも、しばらくすると一つのニュース番組に留まる。どこで紅葉が始まっただとか、秋雨前線が南下してきているだとか。事務的とは言え、喋り続ける人の声を聞いていると、どこか安心できる気がした。
 優治は潤んだ目元をタオルで拭い、紅茶を喉へ流し込んだ。まだ、ほんのりと温かい。深い息を吐く。
「でもさ、ちゃんと返事を聞いたわけじゃないんだし、何がどうなるか、まだわかんないよ。全部予想通りかも知れないけど、思いも寄らなかったことが起こるかも知れないし。あたし達だって、そうだったでしょ?」
 千鶴も紅茶を一口飲み、こちらに向き直る。
「……うん。ありがとう」
 やっとのことで、優治はそれだけ言う。
 見慣れていたつもりの千鶴の笑顔がとても綺麗なことに、優治は今さら気が付いたのだった。

 鞄から教科書を取り出し、机の中へ入れていく。まだ生徒の少ない、始業前の教室。気の抜けた朝の挨拶が、そこかしこから聞こえてくる。
 日曜日をぼんやりと寝て過ごした後の、憂鬱な月曜日。康介に会ったら、どんな顔をすればいいだろうか? 何と言えばいいだろうか? 康介はどんな顔をするだろうか? 何と言うだろうか? そもそも、顔を合わせてくれるだろうか? 喋ってくれるだろうか? それを考えるだけで、優治の胃は締めつけられるように痛んだ。
「優治」
 声に顔を上げると、教科書を取り出そうとしていた姿勢のまま、優治は固まってしまう。
 康介だ。
 途端に全身から汗が滲み、息が詰まり、心臓の鼓動が大きく響き始める。
 まさか、昨日の今日で話しかけてくるとは思わなかった。どんな顔をすればいいだろう。自分は今、どんな顔をしているだろう。何か言わなくては。何でもいい。何か。
「あ、あの……、おは、よう」
 自分で自分を見捨てたくなった。しかし、それ以上の何かを言うことも、目を合わせることも、うつむくこともできない。ただ、康介の唇をじっと見つめる。彼の次の言葉を待つ。真一文字に引き結ばれていたそれが、ゆっくりと動いた。
「もう少しだけ待ってほしいんだ」
 落ち着いた静かな声。しかし、優治はその言葉の意味がわからなかった。きっと、何を言われたとしても、今の優治にはうまく理解できない。言葉は優治の頭上から降り、木の葉のように落ちていってしまう。
「必ず返事はする。だけど、もう少し時間が欲しいんだ」
「……うん」
 かろうじて、それだけ答える。
「なるべく早くするから、それまで待ってて」
 優治がぎこちなく頷くと、康介も深く頷き返した。すると、康介は自分の席へ戻り、それきり、こちらを向くことはなかった。
 深く息を吸い、それをすべて吐く。目を閉じ、心臓の音が落ち着くのを待ってから、ゆっくりと目を開けた。次第に教室のざわめきが戻ってくる。
 返事はする。待ってて。
 康介の言葉を、心の中で繰り返す。何度も繰り返すうちに、ようやく、それらが意味するところに思い至る。始業のチャイムが響く頃、優治は再び胸を高鳴らせていた。

「ど、どう、思う?」
 今朝のことを説明すると、千鶴は顎に手を当て、小さな声で唸った。眉間に皺が寄っている。
 薄暗い帰り道。日は傾き、雲が多い。道の両脇に立ち並ぶ民家の窓から、ぽつりぽつりと灯りが漏れている。首輪を付けた白猫が、鈴を鳴らしながら横切っていった。
「……悪いことでは、ないような、気がする」
「ね! そうだよね! そんな気がするよね!」
 勢いよく優治が言うと、千鶴は眉をひそめ、顎を引いた。
「あ、ごめん……」
「ううん、大丈夫。でも、脅かすわけじゃないけどさ、喜ぶにはまだ早いよ」
「いや、うん、わかってはいるつもりなんだけど、何か、嬉しくなっちゃって――」
 何しろ、康介がもう二度と口を利いてくれないことまで想像していたのだ。しかし、実際はどうだろう。これほど早い段階で話しかけてくれた。さらに、『返事をする』とまで言った。それだけで優治の胸はいっぱいになってしまう。
「そうでしょうけど、大事なのはこれからでしょ? 『聞かなかった振りはしない』ってだけ。ということは、イエスもあれば、もちろんノーもあり得る。その上で、相手がどんな言葉を使うか――」
 右手を自分の頭に置きながら、千鶴は視線を宙にさまよわせる。数秒後、彼女は目だけを優治に向けた。
「例えば、その子は散々もったいぶってまで、暴言をぶつけてくるような子?」
「そんなことする人じゃないよ」
 自信を持って答えた。こーちゃんはそんな人じゃない。
「まぁ、優治が好きになるような子だもんね。じゃあ、悪くても正式に断られるくらいじゃない?」
「そっか……、やっぱり、その辺りが一番現実的だよね……」
 苦笑いしながら、優治は心の中で自分に言い聞かせる。それが普通。当たり前。むしろ、随分といい方だ。欲張っちゃいけない。
「そんな顔しないでよ。この前も言ったけど、ひょっとしたら、いい返事がもらえるかも知れないんだし」
 気付けば、優治は千鶴に覗き込まれていた。具合の悪い子供を世話するような眼差し。最近、こんな表情ばかりを千鶴にさせてしまっているように思う。
「あ、あれ? 僕、変な顔してた?」
 両手で肉厚の頬を挟み、ぐるぐると円を描くように動かした。
「ごめんね。そんなつもりじゃないんだけど――」
「それでさ、もしも、うまくいったらさ、その子と会わせてよ」
「えっ、千鶴と? こーちゃんを?」
 両手を頬に当てたまま、千鶴を見る。彼女は目を細めて、口の端を吊り上げていた。
「幼なじみの恋人になるわけだから、挨拶くらいはしたいじゃない。あと、いろいろ言ってやりたいこともあるし」
 言いながら、曲げ伸ばしをしてみせるのは、硬く拳を握った右腕。
「それ、『言ってやる』って動きじゃないけど――」
「冗談冗談。ほんの冗談」
 千鶴はいたずらっぽく笑みを浮かべる。しかし、すぐに視線を逸らすと、顔を伏せた。
 数秒の沈黙。
「あのさ……、うまくいくと、いいね」
「あっ、うん。えっと……、ありがとう」
 横目で千鶴を窺うが、その表情は髪に隠れて見えない。うつむいたまま、黙り込んでいる。優治もそれ以上、何を言えばいいのかわからない。
 黒い制服も髪の毛も、夕闇に融けるように揺れる。二人はただ、静かに歩き続ける。
 それから家に着き、別れの挨拶を言うまで、優治も千鶴も口を開くことはなかった。

 美術室へ続く渡り廊下を歩きながら、優治の頭は康介のことでいっぱいになっていた。
 十日ほど前のように、その日の朝一番で康介から告げられたのは、『放課後、話があるから残っていてほしい』という言葉だった。
 ここしばらく、優治と康介はお互いに接することなく過ごしていた。避けると言うほどではない。しかし、言葉を交わすこともなかった。このまま、うやむやになってしまったら――。ずっと康介と話せないままだったら――。千鶴へ報告した時の高揚は次第に薄れ、日に日に不安が募っていった。
 だから、久しぶりに声をかけられたこと自体は嬉しい。しかし、放課後のことを考えると、胃の奥から恐ろしさが込み上げてくる。落ち着かない。放課後、自分はどんな顔をしているのだろう。
 休み時間の廊下は生徒達の声で満ちている。選択授業のため、そこに康介の姿はない。康介に告白するまでは、それが寂しいと思っていたのに、今は少し安心してしまう。
「なぁ、優治」
 隣を歩く男子生徒に声をかけられ、そちらに視線を移す。
「最近、お前ら、話してなくね?」
「えっ、お前らって?」
 訊くまでもない。しかし、あえて尋ねた。男子生徒は後ろ頭を掻きながら答える。
「優治と康介だよ。ここ一週間……、くらいかな? 何かあったのか?」
「そうかな? いつもと変わらないと思うけど……」
 目が泳いでしまう。小脇に抱えた教科書を、その必要もないのに持ち直した。
「二人とも、喧嘩するタイプじゃないだろうけど、何かあるなら言えよ?」
「いや、ほんと、何もないよ。大丈夫。心配しないで。……そもそも、僕とこーちゃん、そんなに話してたっけ?」
「話してただろ。少なくとも、俺が見た時はだいたい話してたよ」
 体の内側がくすぐったい。それと同時に、小さな痛みも感じる。
「ま、何もないなら、別にいいんだけどさ」
 男子生徒は訝しげな目のまま、しかし、それ以上の追求はしなかった。
「あと、アレ見せてよ。宿題。古典のやつ」
「現代語訳? じゃあ、また、お昼休みにでも声かけて」
 答えながら、美術室に入る。
 自分は康介とどんな会話をしていただろうか? 今の優治にはうまく思い出せない。康介とのやり取りが全て、何年も前のことのように感じられた。
 こんな状態で、授業に身が入るはずもない。不安になったり、期待したり、ぼんやりしているうちに時間は過ぎていく。放課後を迎える頃には、すっかり、判決を待つ被告人のような気分になっていた。鉛を載せられているように肩が重い。
 ホームルームが終わると、いよいよ、康介の背中を見ていられなくなった。自分の席に座ったまま、下校していく生徒達へ視線を向ける。
「おーい、康介。帰ろうぜー」
 表情が変わらないように気を付けながら、すぐ傍の会話に耳を澄ませる。
「ごめん、今日は用事があるんだよ」
「何だよー。最近、付き合い悪くね?」
「大切な用事でさ。でも、今日で終わるから」
 終わる。
 その言葉に、優治の全身から冷や汗が滲んだ。
「ふーん。じゃあ、また明日なー」
「おう、また明日」
 教室は蛍光灯の光に包まれている。白く照らし出される椅子や机。それらの脚を鳴らしながら、次々と生徒の数が減っていく。
 不意に康介が振り向いた。思わず、優治は体を震わせる。
「ごめんな。もう少し待ってて」
 それだけ告げると、彼はまた前を向く。
 答える暇もなく、とっさに声も出ず、優治は肩から力を抜いた。静かに息を吸い、細く、長く、吐き出す。
 千鶴には先に帰るよう連絡をしておいたが、できることなら、自分もこの場から逃げ出してしまいたかった。これから、康介に何を言われるのだろう? 明日、いや、数十分後、自分はどんな気持ちだろう? ついつい悪い方に考えてしまう。いけない。よく考えた末の告白だったはず。後悔なんてしたくない。ただ、どうか、今までのような友人関係に戻れますように。
 他の生徒がいなくなるのを待つ間、手持ち無沙汰になり、落ち着かない。机の上に置いた鞄へ手を入れ、中身を探る。ノートや教科書を取り出しては、しまい直す。たまに、それらを開いて、ぼんやりと眺める。意味のない行動をひたすら繰り返す。
 そのうちに、康介がゆっくりと立ち上がった。優治は顔を上げ、辺りを見回す。教室には二人しか残っていない。優治と康介の二人きり。
 黒板の上に設置された時計を確認した。優治には何時間にも感じられたが、ホームルームが終わってから十分も経ってはいない。
 鞄から手を出し、深呼吸をする。肝心なのはこれからだ。
 康介は教室後方の開け放したドアに歩み寄る。そこから首を出す。左。右。視線を巡らせてから、彼はドアを閉めた。前方のドアも同じようにして閉める。蛍光灯を消すと、影が長く伸びた。赤い西日が眩しい。
 振り向く康介。目が会うと、彼は苦笑してみせる。顔が赤く見えるのは、夕日のせいだろうか。
「いや、あんまり人に聞かれてもさ、困るだろ?」
 机と机の間を縫い、康介は優治の目の前にやって来た。優治も椅子ごと彼の方に向く。姿勢を正す。震える手を、膝の上でぎゅっと握り締めた。
「それじゃあ、俺の話を聞いてほしい」
「はい」
 知らず知らずのうちに、眉に力がはいってしまう。
 それは康介も同じらしい。目を閉じ、小さく息を吐く。
「ごめん、ちょっと緊張してる」
 今度は大きく息を吸い込んだ。咳払いを一つ。
「まず、確認させて。この前、一緒に出かけた時の帰り際、優治が言った『好き』は、何て言うか、その、恋愛感情の『好き』でいいんだよな?」
「そ、そうだよ。うん」
 きちんと伝えたつもりだったのに、言葉が足りなかったらしい。あんなに思いきったのに。こんなに好きなのに。熱いものが喉の辺りで転げ回る。優治は目を伏せた。
「だよな。えっと、気を悪くしないでほしいんだけど、冗談とか何かの罰ゲームってわけでもないよな?」
 康介は言葉を選ぶように、ゆっくりと質問を続ける。
 優治が視線を戻すと、彼のまっすぐな目に捕らえられた。今度こそ――。
「もちろん。僕はこーちゃんのことが好き。本当にこーちゃんのことが好きなんだ」
 途端に頬が熱くなっていく。けれど、それでいい。
「そっか、ありがとう」
 康介は神妙な面持ちのまま、小さく頷いた。
「俺、あれからずっと考えてたんだ、優治のこと」
「ず、すっと?」
「うん、ずっと。真剣に告白されたんだから、真剣に返事をしたい。でも、返事をするのが怖かったんだ」
 康介はそこで一度、言葉を切る。夕日に照らされていた彼の顔が、さらに赤みを増したように見えた。
「俺も……、俺も優治のことが好きだったから」
 息ができなくなった。自分の耳を疑った。夢かも知れないと思った。
 しかし、そんな優治をよそに、康介は早口で続ける。
「でも、俺、今まで女が好きだったはずなのに、こんな、急に、男を好きになるなんて初めてで、どうしていいかわかんなくて――」
 康介の眉が寄り、視線は横へと逃げていく。
「このくらいの歳の頃にはこういうこともあるらしいけど、でも、まさか、自分の身に起きるなんて思ってもみなかったんだよ。そんなの認めたくないし、自分が自分じゃなくなるみたいで、それに、この先のことを考えたら不安でたまらなくて、とにかく怖いし、何て言うか、その――」
 口ごもる康介に、優治は深く頷いた。
「苦しかったんだね」
 途端に康介は唇を噛み、瞳を潤ませた。鼻から大きく息を吸い、ゆっくりと目を閉じ、口から吐き出す。深い呼吸を繰り返す。やがて、彼は目を開くと、弱々しく呟いた。
「そう。そうなんだ。苦しかった」
 康介は乱暴に目元をこする。少し咳き込む。
「俺が一方的に優治を好いてるだけなら、全部気のせいだって、何かの間違いだって、それでやり過ごせたのかも知れない。そうやって見ない振りを続けたら、来週とか来月とか来年には消えてる感情かも知れない。だけど……、優治が俺のことを好きって言ってくれた」
 その声は穏やかさを徐々に取り戻しつつある。康介の一言一言が、優治の耳に寄り添う。
「そうだったらいいのにって思ってたことが、本当になったんだよ。すごく驚いたけど、すごく嬉しくて、嬉しいはずなのに、俺、何も言えなかった……」
 康介に告白した時のことを思い出す。確かに、彼の唇は今にも言葉を発しそうだった。優治がもう少しあの場に留まっていたなら、あるいはそうなったかも知れない。けれど、実際には、康介は何も喋ることはなかったし、優治はそれを待つことができなかった。
「優治だって、たくさん悩んで、たくさん苦しんで、そうやって告白してくれただろうに、俺は逃げることばっかり考えてたんだ。すげぇ情けねぇよ。だから、あれ以来、ずっと優治のことを考えてた。もう、俺だけの問題じゃないから」
 康介は背筋を伸ばす。その瞳には優治だけが映っている。
「こんなに遅くなっちゃって、本当にごめん。でも、時間をかけて、じっくり考えたよ。この気持ちに向き合った。どっちにしろ、後出しで格好悪いし、さっき半分くらい言っちゃったけどさ、改めて、優治の告白に返事をしたい」
「うん、聞かせて」
 これ以上ないほど、胸が高鳴っている。自分でも気付かないうちに、優治の瞳は潤んでいた。康介の顔が滲む。二人の陰は長く、教室の壁に焼きついていた。
「悩み出したら不安できりがないけど、でも、優治に対する気持ちは確かなんだ。これを見ない振りして、この先ずっと過ごす方が怖い。意地を張って、優治を悲しませることの方が怖い。俺は――」
 あの日、聞けなかった言葉。ずっと聞きたかった言葉。
「俺も優治のことが好きだ。俺と付き合ってほしい」
 こわばっていた優治の全身から、ふっと力が抜ける。肩が軽くなる。体の奥から熱が込み上げて、それはいつの間にか、彼の頬を濡らしていた。
「あっ、ごめん! ごめんな、優治!」
 何も言えない。うろたえる康介を安心させたいのに、声がうまく出てこない。涙ばかりがぽろぽろと零れ落ちてしまう。
「大丈夫か?」
 涙を拭う指の隙間から、片膝をつく康介が見える。心配そうに、優治の顔を覗き込んでいる。
 優治は上下に首を振る。何度も何度も頷く。やがて、泣きながら微笑んだ。
「あ、ありが、とう。嬉しい。……すごく嬉しいよ」
 しかし、一向に涙は止まらない。次から次へと溢れ出す。
 不意に、優治の頭を何かが包み込んだ。すぐに、康介に抱き締められているのだと気付く。制服越しでもわかる柔らかさ。大きくて、温かい。夢にまで見た瞬間。
 そっと、康介の背中へ両手を伸ばす。二人の距離がさらに縮まり、やがて、服と服がこすれ合う。お互いの境界がわからなくなるような、今にもとろけてしまいそうな感覚。心地いい。
 気付けば、優治の目からは涙が引いていた。それでも、彼らは何も喋らず、身動きもしないまま、ただ抱き締め合う。暮れていく教室の中、彼らはまるで彫刻のように、赤い夕日を浴びていた。

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