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告白(2)

高校1年生の千鶴・優治・康介の3人は恋をしています。その相手は幼なじみだったり、同性の友達だったり。また、長年に渡って気持ちを温めてきた子もいれば、唐突に芽生えたそれに戸惑ってしまう子も――。
同じものは2つとない、少しずつ違う恋の色。それでも、なかなか想いを告げられずにいるのは、3人とも変わりありません。
しかし、そんなある日、夕暮れ時の帰り道。1つの告白をきっかけに、彼らは『人を好きになること』や『相手に想いを伝えること』について、改めて考えを巡らせ、それぞれの答えを探し始めます。不器用な少年少女の恋路は、果たして、どこへ向かうのでしょうか?

誰かが笑えば、誰かが涙する。甘酸っぱい恋のお話です。

2006年05月31日投稿

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 2

 康介は戸惑っていた。
「えっ? じゃあ、こーちゃん、振られちゃったの?」
 その原因は全て、彼へ心配そうな視線を向けている少年にあった。予想以上の反応に、康介は少し怯んでしまう。
「あっ、いや、そんなに深刻な話じゃないから――」
「本当? 大丈夫?」
「う、うん。だから、優治がそこまで心配する必要は――」
「友達だもん、心配くらいするよ」
 依然として、優治の表情は曇っている。それはどこか、怒っているようにも見えた。
 夕日が射し込む放課後の教室。すっかり短くなってしまった昼間の長さに、秋の訪れを意識させられる。騒がしく、生き生きとしている生徒達は、下校途中や帰宅後の予定に向けて、次々と教室から出て行く。
 その中で、椅子に座ったまま話をする少年が二人。そのどちらもが、肉付きのよい体をしていた。
「まぁ、たいして気にしてるわけでもないし」
 言いながら、康介は頬杖をつく。彼の手から、挟まれた頬がはみ出した。
 その顔を覗き込むようにして、優治は頭を傾ける。
「もしかして、無理してる?」
「いや、そうじゃなくて、告白してきたのも向こうだし、振ったのも向こうだし――」
「……じゃあ、その子のこと、好きじゃなかったの?」
 先ほどとは違い、康介に向けられたのは、非難の目。彼にはそれが、悲しんでいるようにも見えて、心なしか、落ち着かない。
 頬杖をやめて、答える。
「そうでもなくて、好きなのは好きだったんだけど、何て言うか――、ほら、『もうそろそろ振られるかな?』っていうのも、何となくだけど、わかってたから」
「そう……。それなら、別にいいけど」
「『別にいい』って、何が?」
「ん? こーちゃんが、好きでもない子と付き合うような人じゃなくて、よかったなって、思ってさ」
 よくわからないことを言う。にっこりと笑う優治を見て、康介はそう思った。褒められているのだろうか? どうにも、判断をし兼ねる。
「優治」
 突然、後ろから聞こえた声に、康介は振り返る。見ると、下校していく生徒に紛れて、ドアの隣に一人の女子生徒が立っていた。低めの身長には不釣り合いな、大きい鞄をぶら下げている。
「あっ、それじゃあ、もう帰るね」
 彼が向き直ると、優治がちょうど、机の横にかけてあったトートバッグを持ち上げるところだった。
「優治はいいよなぁ、彼女がいてさ」
「だから、彼女じゃないって」
 優治は困ったように笑う。
「どうだかねぇ」
「もう……。じゃあ、また明日」
「うん、それじゃあ」
 軽く手を振りながら立ち上がる優治に、康介もまた、小さく右手を振った。
 優治はドアの所まで行き、少女と何やら言葉を交わす。康介の位置からでは、その会話の内容は聞き取れない。
 微笑む二人。
 そして、すぐに彼らは後ろ姿を見せ、康介の視界から外れていく。大きな背中と小さな背中。優治も男子の中では小柄な方だが、さすがに女の子と比べると、ひどく対照的だった。
「ねぇねぇ、やっぱり、あの二人って付き合ってんのかしらね?」
 急に声をかけられた。康介は思わず、その大きな体を震わせる。慌てて、視線を廊下から戻した。
「な、何だよ? 驚いたなぁ」
「だって、気になるじゃない。どこのクラスの子だか知らないけど、あの女の子と優治君、いつも一緒に帰ってるでしょ?」
 康介の斜め前に座る女子生徒は、彼の方へ身を乗り出し、その目を輝かせながら尋ねた。
「ほぼ毎日よね? 朝だって、よく一緒に登校してくるし」
「まぁ、うん、そうみたいだけど――」
 連れ立って登下校する彼らを、康介は嫌と言うほど見ていた。確かに、それは事実である。事実ではあるのだが、しかし、認めたくはない。
「とすると、確実に恋人同士だね、うん。疑う余地もない」
「いや、でも、ほら、俺も気になったから、優治に訊いたことがあるんだけどさ、違うって言って――」
「あぁ、優治君、恥ずかしがってるんだぁ。確かに、彼、そんな感じよね。誰かと付き合ってても、隠したりしそう」
「えっと、チヅルだったかチヒロだったか忘れたけど、あの子とは家が近くで、幼なじみなんだって――」
「へぇ、幼なじみと来たか……。どこぞのラブコメみたいじゃない。こういうことって、本当にあるんだねぇ」
「…………」
 曇り顔で反論していた康介も、それを全く意に介さない彼女の態度に、口をつぐむ。
 普通に話す分には、いい子なのだが、他人の噂話となると止まらない。彼女がOLになれば、きっと、その会社の給湯室は大盛り上がりだろう。ふと、そんな想像が康介の頭を過ぎった。
「ところで、慌て具合から察するに、あの二人が付き合ってると、康介君は困るのかしら?」
 彼女の横目に見つめられる。
「え?」
「いやね、二人の恋仲説を熱心に否定するもんだから、あの女の子が好きなのかなぁ? ってね。」
「なっ、そっ、そんなこと――」
「あら! もう、こんな時間!」
 大袈裟にそう言うと、意地の悪い笑みを顔一面に広げ、彼女は立ち上がった。
「あたし、帰らなくっちゃ。これについては、また今度、お話しましょうね。それじゃ、さよーなら」
「違っ、違うって、こら、おい、そこっ!」
 康介の声も虚しく、実に軽やかな足取りで、彼女はさっさと教室から出て行ってしまった。
「……、ったく」
 呟き、康介は鼻から息を抜く。
 気がつけば、教室内に残っているのは康介だけになっていた。廊下を歩く生徒がいないところを見ると、他のクラスも似たような状態なのだろう。
 目に射さる夕日の眩しさ。ふと、今まで気にもならなかった野球部のかけ声が、校庭から耳に飛び込んでくる。
 康介もまた、席を立ち、リュックを背負う。
「少し違うけど、まぁ、図星には変わりないか……」
 机が整然と並べられた静かな教室で、ぽつりと漏らす独り言。
「でも、言えないよなぁ」
 まさか、気になっているのは、男の方だなんて。
 その言葉だけを呑み込み、康介は教室を後にした。

 翌朝。次第に増える生徒で活気づく校内。
 ドアの方向を眺めていると、優治が一人で登校してくるのが見える。その姿を確認すると、康介はドアから目を離した。何食わぬ顔をしながら、優治が教室へ入ってくるのを待つ。
「おはよう」
「ん、おはよ」
 挨拶を交わし、横目でちらりと、隣に座る優治を盗み見る。康介の癖だ。友人同士なのだから、普通に接すればいいのだが、一日の始めは何となく、相手の様子を窺ってしまう。
 視界の端に映る優治は、焦点のはっきりとしない、ぼんやりした表情。
「どうした? 何か、元気ないな」
「あぁ、いや、そうかなぁ?」
 返事も上の空だ。
「そう言えば、今朝は彼女と一緒じゃなかったけど……。ケンカでもしたのか? それで、落ち込んでるとか?」
「ケンカ……。うん、似たようなものかもね」
 予想もしていなかった言葉に、虚を突かれた。てっきり、『彼女じゃない』と否定するとばかり思っていた。
 これはどういうことなのだろう?
 康介が考える間もなく、優治は取り繕うように笑う。
「あっ、気にしないで。ほら、昨日、遅くまで起きてたから、ちょっと眠くて――。別に、落ち込んでるわけじゃないよ?」
 その笑みには力がない。きっと、嘘なのだろう。しかし、あまり詮索しても仕方がないと、康介は察しを付ける。
「そっか。無理すんなよ?」
「うん、ありがとう」
 そして、今度は正真正銘の穏やかな笑顔。
 この表情を見せられると、康介は何も言えなくなる。素直に、可愛らしいと思ってしまう。以前、女の子と付き合っていた時もそうだった。
 しかし、今回は違う。
 相手は男なのだ。こんな風に感じてしまうのはおかしいと、自分でもわかっていた。
「どうしてだろう……」
 誰にも、隣にいる優治にさえも聞こえないほどの小さな声で、康介は呟く。
 そもそも、康介は男に興味などない。そのはずが、高校に入学し、優治と会って以来、必要以上に彼への好意を持っていることに気付いた。自分と同じような体型の彼に、親近感を覚えているだけ。初めは、そうだと思っていた。しかし、優治と親しくなり、半年ほどの期間を共に過ごすうち、その感情が異性に対するそれと似た類のものであると、意識せざるを得なくなっていった。
 自分でも、自分が理解できない感覚。
 内容が内容だけに、誰かに相談することもできない。まさか、優治に直接、話すわけにも行かず、ここ最近の康介は一人で考えることが多くなっていた。
「どうしたの?」
 康介が急に黙り込んだためか、優治が訝しげな顔で尋ねる。
「いや、ごめん。何でもないよ」
「……。こーちゃんも充分、変だと思うけど」
「えっ、いや、ほら、俺も昨日、遅くまで起きてたから」
 我ながら、下手な言い訳だ。
「あんまり無理しないでよ?」
「う、うん、ありがとう」
 一瞬の間を置き、二人はくすくすと笑い合った。
 優治といると、楽しいと思える。
 それだけが、今の康介が感じられる、何よりも確かな事実だった。

 その日は一日中、康介も優治も、どこかぼんやりとした様子で過ごした。
「じゃあね」
「うん。また明日」
 優治に至っては、珍しく、放課後までも一人で帰るのだと言う。優治の後ろ姿に、今朝の言葉が重なった。
『ケンカ……。うん、似たようなものかもね』
 やはり、優治と彼女は――。
 そんなことは、あまり考えたくなかった。

 さらに、翌日。
「おはよう」
「あぁ、おはよう」
 答える康介の目に、教室のドアの隙間から、例の少女が歩いていくのが見えた。
「……。今日は彼女と一緒だったみたいだな。仲直りしたのか?」
「仲直りって言うか、何て言うか、まぁ、うん、女の子は強いんだね」
「は?」
「ううん。こっちの話」
 会話の内容とそれを発した優治の小さな笑みに、少し釈然としない気持ちがした。思考を巡らすも、話が見えない。
 しかし、康介はすぐに思い直す。昨日の優治からは、こんな笑顔を見られなかった。それならば、これは康介にとって喜ぶべきことなのだろう。そう言い聞かせる。
 ただ、ここ最近の優治の発言は、どこか不可解だ。その意味をうまく理解できない。むしろ、理解させないことを意図して、言葉を選んでいるようにすら思える。
 それが、彼の心に強く引っかかっていた。

 その日の夕方。
 帰宅後、康介は自室の天井を見上げていた。着替えようともせず、詰め襟のままでベッドに背中を預ける。木材が軽くきしむ音。比較的、片付いてはいるが、よく読む雑誌類は積み重ねたままの床に、彼のリュックと両足も無造作な形で投げ出されていた。
 予想通り、放課後、優治はいつもの少女と帰っていった。
 小さく溜め息をつき、カーペットを指でなぞる。ざらざらとした感触。
 それがどうしたと言うのだろう? これまでも、ずっとそうだった。そもそも、こんなことで思い悩んでいる自分がおかしいのだ。一日中、優治のことばかり考えている自分がどうかしているのだ。彼はただの友達で、その友達が元気になったのだから、素直に喜べばいい。それだけのことだ。
 そう、彼は思いたかった。
「どうしようもないな……」
 独り言に、答えは返ってこない。時計の針の音だけが静かに響く。
 どれくらい、そうしていただろうか? 不意に、携帯電話が鳴った。康介は反射的に、制服のポケットへ手を伸ばし、着信しているそれを取り出す。小さな液晶画面を確認すると同時に、息を呑んだ。
 優治だ。
 自分の心拍数が、瞬く間に上がっていくのを感じる。しかし、優治からの電話は頻度こそ少ないにせよ、特に珍しいことではない。メールもよく交わしている。康介が驚く必要など何もないはずだった。しかし、彼は動揺せずにいられない。
 その間にも、携帯電話は、少し前の流行歌を鳴らし続けている。
 出ようか、出るまいか――。とは言え、出ない理由が見つからない。
 数秒の逡巡の後、康介はやがて、通話ボタンを押した。電話を耳にゆっくり当てると、そこから機械の冷たさが広がる。
「もしもし、こーちゃん?」
 聞き慣れた声。
「うん、優治か?」
 予期せず、裏返ってしまった自分の声に、気が抜けた。何とも情けない。電話の向こう側もそれは同じらしく、くすくすと忍び笑いが漏れる。お陰で、わずかではあるが、落ち着いた。
「もしかして、忙しい? 後にしようか?」
「いや、大丈夫、うん」
 慌てて答えながら、部屋がだいぶ暗くなっていることに気付いた。どうやら、思った以上の長い間、ぼんやりとしていたらしい。おもむろに立ち上がる。
「それで、どうした?」
「うん。あの、こーちゃん、次の土曜日は空いてる?」
 散らかったリュックや本を踏まないように歩き、明かりのスイッチを入れる。そのまま、スイッチの横のカレンダーに目を向けた。
「土曜日――。あぁ、暇だけど」
 再び、胸が高鳴る。話の流れから察するに――。
「それじゃあ、さ……、買い物、付き合ってくれないかな?」
 見事なまでに、期待していた言葉。メールも電話も慣れていたが、このような誘いを優治から受けるのは初めてだった。
 うん、いいよ。どこに行く?
 そんな快諾の文句も、康介は既に用意している。
 返事をしようと口を開きかけた時、しかし、康介に引っかかり続けていたことが首を持ち上げた。そして、それは用意されていた言葉に代わって、康介の口から出てしまう。
「買い物ならさぁ、彼女と行けばいいじゃん?」
 軽い口調で、できるだけ冗談めかす。冷やかしたいがためではないのに、こんなことを言うのは、自分でも馬鹿げていると思った。それでも、康介は確かめずにいられない。
「優治には彼女がいるんだし」
「もう。こーちゃんは最近、そればっかりだね。千鶴は彼女じゃないんだって。そんなに、僕に付き合っててほしいの?」
「いや、そういうわけじゃないけど――」
 ほんの少しの安堵感。
「ただの幼なじみで、仲のいい友達」
「……。だったら、その仲のいい友達と行けばいいだろ?」
 残ったままの猜疑心。
「こーちゃんだって、仲のいい友達でしょ? それとさ、服を買いたいんだ。ほら、この体型だと、服の相談ができる人なんて、なかなかいなくて――」
 確かに、衣服について話の合う人がいなかったのは、康介も同じだ。
「……、それにさ、こーちゃんと学校以外で、ゆっくり話してみたいし」
「…………」
 思わず、口ごもってしまう。指で頬を掻いた。
「あっ、もしかして、都合が悪い? だったら、無理しなくて――」
「いや、うん、大丈夫。一緒に行くよ」
 今度は、自然と言葉が出てきてくれた。
「本当に? ありがとう」
 電話越しの嬉しそうな声に、康介の表情も自然と緩む。ふと、優治の笑顔が頭に浮かんだ。自分の想像と同じように、今、優治が笑っていてくれたらいいと思う。
「それじゃあ、待ち合わせ場所とか時間とか、どうする?」
「あー、その辺は優治に任せるよ。土曜なら、一日空いてるし」
「わかった。じゃあ、細かいことは、また学校で話すね。……、あと、さ――」
「ん?」
「……、ちょっと訊いてもいい?」
「いいけど、何を?」
 ほんの少し、迷うような気配の後、優治が言った。
「振られるのって、やっぱり、つらい?」
 唐突な質問にも思えたが、別段、答えを渋る必要はない。素直に答えればいいだろう。
「そりゃあ、一応、好きだったから――」
 裏腹に、返事は曖昧なものとなった。
 ふと、数日前を思い出す。
『康介は優しいから、私には似合わないよ』
 そう言った少女の不器用な笑顔。彼女に恋をしていたのも確かで、その言葉を聞かされた時に悲しかったこともまた、事実だった。
「つらかったけど――」
「けど?」
 しかし、康介が見ていたのは、彼女だけだっただろうか? それよりも随分と前から、康介は優治のことを目で追っていた。自分の中で、何かが少しずつ変化していく戸惑い。そして、それに伴う、彼女への罪悪感。
「ほら、優治に話、聞いてもらっただろ?」
「うん、おとといだっけ?」
「あれで、だいぶ楽になったよ」
「えっ、いや、僕、何もしてあげられなかったし――」
 自信のなさそうな声を出す優治に、康介は小さく笑う。
「聞いてくれただけで、充分だよ。ありがとう」
「……、うん」
「でも、やっぱり、振られるのは嫌だよ。まぁ、振られるのが好きな人もいないだろうし」
「そう、だよね――」
 短い間の後、電話越しに優治が呟いた。
「……やっぱり、強いな」
 聞き逃しそうなほど、小さな声。
 その言葉の意図がわからずに、康介は一瞬、眉を寄せた。返事をするべきなのか、迷う。
「うん、ありがとう。変なこと訊いちゃって、ごめんね」
 優治の声はいつものトーンに戻っていた。そのまま、何事もなかったように、彼は続ける。
「それじゃあ、また明日、学校でね」
「あっ、あぁ、うん、また」
 多少、腑に落ちないながらも、別れの言葉を交わす。通話の切れる音。携帯電話を離すと、耳がほんのり熱くなっていることに気付く。
 やはり、電話中の優治はどこか様子がおかしいように思えた。ここ数日を思い出しても、それは変わらない。いつも上の空で、何かを考え込んでいるような――。
「『何かあった』って考えるのが、普通か……」
 康介はあぐらをかきつつ、後ろ髪を右手で撫でつける。しかし、その口元は我慢ならないと言わんばかりに笑みを作っていた。
「こういうの、不謹慎って言うんだろうな」
 彼の口元に、わずかな苦笑が混ざる。ただ、優治と電話で話す前の鬱屈さなど、そこには欠片もなかった。

 人込みと改札を擦り抜ける。駅を出ると、多少の雲はあるもののよく晴れた空が眩しい。思わず、目を細めた。
 駅の外も、人の波は絶えない。『どうせ、買い物をするなら』と、少し遠くの市街地を選んだからだ。待ち合わせ場所は駅前。康介は視線を左右に巡らせる。人ばかりで遠くまでは見えないが、やはり、優治はまだ来ていないようだ。
「まぁ、まだ早いしな――」
 ぽつりと漏らし、開けたロータリーの手近なベンチに腰かける。他のベンチや、座るのにちょうどいい高さの花壇の縁は、その多くが人で埋まっていた。
 妙にめかし込んだ女の子が、少し離れた所に座っている。やはり、待ち合わせなのだろうか? 駅ビルの壁面の時計をしきりに気にしていた。
 康介もまた、振り返り、時計を確認する。青空の下、時計が指し示すのは十時三十七分。約束の時間よりも、二十分ほど早い。
 康介は時間にルーズというわけではないが、だからと言って、せっかちなわけでもない。我ながら、わかりやすくてうんざりしてしまう。思わず、バツの悪い笑みが浮かんだ。
 時計から目を離し、顔を通りに向ける。と、人の波を縫い、小走りでこちらへやって来る優治の姿が見えた。どうやら、彼は通りの反対側にいたらしい。体の大きさのせいか、時折、通りを行く人にぶつかる。その都度、優治の謝る声がかすかに聞こえて、何だか微笑ましい。
「そんなに急がなくてもいいのに……」
 いくぶん、くたびれた顔の優治を、康介は立ち上がりながら迎える。
「お疲れ様」
「はぁ、人が多くて参っちゃうよね」
 はにかみながらも、笑顔はいつもと変わらない。
「早いんだね。まだ、二十分も前だよ?」
「……。向こうにいたってことは、優治はもっと早く来てたんだろ?」
「あっ、うん、そうだけど――。ほら、誘ったのは僕からだし、遅れちゃいけないなぁ、なんて」
 優治らしい答えだと思う。
「それじゃあ、ちょっと早いけど、行こうか」
「うん」
 言いながら、二人は人込みの中へ紛れていく。否応なしに近付く体。軽く、互いの肘がぶつかった。
 普通のカップルなら、こういう時に手を繋ぐのだろう。そう言えば、そんなことをした記憶もある。
 ふと、思い出し、優治の顔を見た。
「何?」
「いや、何でもない」
 康介は慌てて、足元に目を移した。

 服屋、ウィンドウショッピング、喫茶店、ゲームセンター、映画館――。思い返せば、ありがちなデートのようで、気恥ずかしい。
 一通り、用事をすませた二人は、公園のベンチの上で缶コーヒーを飲んでいた。日が暮れかけた公園に子供の姿はなく、時折、犬の散歩をしている人が通りかかる程度だ。彼らの背後に面している道路にも、滅多に車は通らない。
「じゃあ、あの二人、中学の時から付き合ってるの?」
「うん、そうらしい」
「へぇ、何かいいよね、そういうのって」
 微笑む優治。康介は何となく、目をそらしてしまう。
「そう言えば、こーちゃんにはいないの?」
「何が?」
「好きな子。今はいないの?」
 思いがけない質問に、缶を持つ康介の手がぴたりと止まる。
 ――好きな子。
 康介は止まっていた手を動かして、無理矢理、コーヒーを口へと流し込む。甘さを抑えた苦味。息を小さく吐くとともに、優治を横目で捉えた。彼はこちらへ向き、答えを待っている。缶コーヒーを挟むように持つ優治の両手。
「……。いないことは、ないんだけどね」
 平静を装って答えたつもりだが、実際にうまくできたかは、わからない。
「前と同じ子?」
 一瞬、優治が目をそらした。
「いや、それとは別。何て言うか、自分でもよくわかんないんだけどさ、いまだに。たぶん、好きなんだと、うん、思う」
 言葉の途中から、ひどく恥ずかしさが込み上げてきて、康介は自分の発言に後悔した。頬が熱い。
 彼は慌ててうつむき、飲み終えたコーヒーの缶を握る。スチール缶は潰れない。
「へぇ、そうなんだ……」
 優治もまた、空になった缶の側面を、親指でへこませている。
 二人の背後を車が走り去った。
「それ、捨てるよ」
「あっ、うん」
 康介は空き缶を優治から受け取り、ベンチの隣にあるゴミ箱へ捨てた。からからと頼りない音が響く。
「何か、雲が出てきたな」
「うん…………」
 不意に訪れた静けさ。冷たい秋風が頬を撫でた。遠くのビルの上端が、濃い紫色に同化している。雲のせいもあるのだろうが、星はまだ、見えない。
 沈黙に耐え切れなくなったのは、康介が先だった。
「優治は?」
「えっ?」
「好きな人。あの女の子じゃないって言ってただろ?」
 またしても、自分の発言を悔やんだ。なぜ、こんなことを訊いてしまうのだろう?
「うん、あの子は違う。そうだったら、よかったのかも知れないけど」
 まただ。
「それって、どういう――?」
 最近の優治の言葉には、その意味を汲み取れないものが増えた。今の一言にしても、どこか含みを持っている。
 優治はその足元をぼんやりと見つめたままだ。
「ちょっと、いろいろあって……」
 また、ぽつりと言っただけで、優治はそれ以上、口を開かない。
「うん……。そっか」
 素っ気がなさ過ぎる返事だと、自分でも思う。しかし、気の利いた台詞も浮かんできそうになかった。
「大変、なんだな」
 優治はかすかに頷くのみ。
 何が大変なのかもわからないくせに、こんなことを言うのは、ひどく無責任なのだろう。何か付け加えようと、康介は言葉を探したが、やはり、見つからなかった。
 日はすっかり沈み、歩道沿いに据え付けられた街灯だけが二人を照らす。薄暗い公園。置き去りにされているように見える遊具は、どことなく寂しい。
「悪いこと訊いちゃったみたいで、何か、ごめん」
「あっ、そんな――」
 優治の声を遮るように、康介はベンチから立ち上がる。
「そろそろ帰ろうか? もう暗いし」
 しかし、優治は座ったまま、動かない。その顔も伏せてしまう。
「優治?」
「あの……、あのさ」
 絞り出すような声。
「こーちゃんに、あの、話したいことが、ある、ん、だけど――」
「う、うん」
 途切れ途切れだが、強い優治の口調に、康介は気圧される。明らかに、いつもとは様子が違った。
 ゆっくりと立ち上がり、顔を上げた優治に、康介の目は真っ直ぐ見つめられる。いつになく、力のこもった視線。射抜かれるよな感覚。
「僕……、僕、こーちゃんのことが好きなんだ」
 一瞬、何を言われたのか、理解できなかった。
 かすかに潤んだ瞳を、優治はそらす。
「こんなこと、おかしいってわかってるし、迷惑だと思うけど――」
 再び、康介に向けられたのは、懇願するような瞳。
「でも、僕、こーちゃんのことが、好きなんだ……」
 次第に、小さくなってしまう声。
 今度こそ、康介は優治の言葉の意味がわかった。しかし、思うように口が動かない。何も答えられない。渇いていくばかりののどが、もどかしい。
「変なこと言っちゃって、ごめんね。……、だけど、これだけは、あの、知ってて、ほしくって――」
 言い終わると、優治はまた、うつむいてしまった。
「お、俺――」
「ごめん。気にしないで。僕、先に帰るよ。本当にごめん」
 やっと開きかけた康介の口は、しかし、優治によって、閉じられた。
 いつもと違い、無理矢理に作られたとわかる優治の笑顔は、ひどく痛々しい。眉は垂れ下がり、目は涙を溜め、頬は紅潮し、口元は引きつっている。今にも、泣き出しそうだ。
「それじゃあ、さよなら」
 短く言い残し、優治は踵を返す。公園の隅の出口へ、小走りで離れていく背中。その背中が、今日はひどく小さく見える。
 やがて、優治の姿がビルの隙間に消えても、康介はまだ、突っ立ったままで動けずにいた。心音がひどくうるさい。体も、口すらも動かなかった自分が、たまらなく情けなかった。
 暗い空には、雨雲が漂い始めている。

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