暮れていく季節にも、
太陽が果てることはない。
眩し過ぎるその光は、
沈めたものまで透かし出す。
階段を駆け上がり、
金網越しの茫洋とした青。
入道雲と蝉時雨に、
柔らかな声がそっと舞う。
あの日、あなたと見上げた空は、
今も変わらず、青のまま。
離れてしまった背中のように、
届かないほど、ひどく遠い。
薄れてくれない想いのように、
疎ましいほど、ひどく深い。
ここにあなたはいないのに、
今も変わらず、青のまま。
暮れていく季節にも、
蕾が落ちることはない。
入道雲と蝉時雨に、
憂いの色が滲み出す。
あの日、あなたが聴かせた歌を、
ここで独り、口ずさんでも、
そこに描かれた音色のように、
あなたのことを想えない。
そこに紡がれた言葉のように、
あなたの幸せを願えない。
ここにあなたがいないから、
歌声は濁り、雨音へ。
長くは続かないことも、
いつか、また巡ってくることも、
そうやって流れていくことも、
わかっている。
わかっているけれど、
大きな傘を開いたところで、
私の頬は濡れてしまう。
敷き詰められていく水溜まり。
鮮やかな虹など架からない。
その匂いを嫌ったはずの
あなたが降らせた天気雨。
2004年の8月24日、僕が住んでいる所では、天気雨が降りました。
その時、夏休みが終わることも相まって、『ものすごく風情があるなぁ』と申しますか、『どうしようもなく切ないなぁ』なんて思ったことを覚えております。
夏休みが終わるってだけでも切ないのに、天気雨で追い討ちをかけるなんて、胸キュンにもほどがありますよ。ったくもう。
話は変わって、何を隠そう、わたくし、高い所フェチでしてね。
高い所から、ぼけーっと空や景色を眺めることが大好きだったりします。
今まで通っていた、どの学校にも、屋上がなかった(安全面の都合上、出られなかった?)ことが悔しいくらいですよ。
でも、高校時代の終わりの頃には、放課後の校内散歩がてらにベランダや非常階段に出て、鼻歌なんて歌いながら、暮れる空を楽しんでいました。
よく、変人扱いされました。
あんまり、否定できませんでした(えー)。
えっと、そんなことをきっかけにしてできたのが、この『夏の終わりの天気雨』だったような気がしなくもない雰囲気を醸し出しています(ひどく曖昧)。
いや、何せ、1年も前に書いたものなので、下書きを見ても、あまり思い出せないというのが本音でして……。
ほんと、『出し惜しみしてないで、さっさと更新しろ』って話なんですけれど、まだ、同じ境遇の完成品がいくつもあるので、なるべく早いうちに更新したいと思ったり、思わなかったり(またも、曖昧)(ごめんなさい)。