江戸の湯屋・ページ3 |
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■石榴口 |
下の図は『泉湯新話』の上巻第二図を元に描きました。
図の奥に見える赤ん坊を抱いた女性がかがんで出ようとしているところが石榴口です。
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★泉湯新話について
『泉湯新話』は色刷絵入り半紙本三冊、発刊は文政十年(1827)頃。何寄實好成(なによりさねがすきなり)の作。
絵は歌川国貞。
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浴槽は石榴口をくぐった奥にありました。こうすることによって湯がさめるのを防いだのです。
左図のように江戸は鳥居形がほとんどで、一方大阪は破風形が多かったそうです。
左図『守貞謾稿』より
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■なぜ、「石榴口」と呼ぶのか? |
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「屈み入る」と「鏡鋳る」をかけた洒落なのだそうです。
「鏡鋳る」というのは鏡を磨くことで、その際に用いるのがザクロの実でした。
それで屈んで入る所を石榴口と呼びはじめたそうです。『嬉遊笑覧』にも
「常にたくを風呂といいて、あけの戸なきを石榴風呂とは、かがみいるとの心なり。鏡を磨くに石榴の酢を用ゆ」
とあります。他にも湯屋へ入る姿が蛇に呑み込まれるようなので「蛇喰口(じゃくろうぐち)」といったのがなまったという説もあります。
左図、下図『賢愚湊銭湯新話』より |
(川柳)抱いた児をふたにして出る柘榴口
柘榴口を出る際、子供を抱いていると前を隠すことが出来ない。そこで子供を前にぶら下げて隠すという意味。
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■湯舟 |
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右の図にも小窓(一尺四方)が見えますが、湯煙のために昼間でも石榴口内部は薄暗く人の顔さえよく見えなかったそうです。
浴槽内で人が殺されているのに気づかず、石榴口からでてきて、自分の手拭いに血がにじんでいるのを見て、はじめて大騒ぎに
なった、なんてこともあったそうです。
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★湯につかるときは...。
「田舎者でござい、冷者(ひえもの)でござい、御免なさいといい、あるいはお早い、お先へとのべ、あるいはお静かに、おゆるりなどという類、すなわち礼なり」『浮世風呂』より
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(川柳)風呂の屁は背ぼねかぞへてのぼるなり
説明は不用でしょう........。
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