江戸の湯屋・ページ13

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遊女・勝山

「吉原大全」によれば勝山は身分の賤しいからぬ人の娘であったが、父の勘当を受けて吉原の遊女になった。初めての道中に屋敷風の髪の結い方で臨んだので、珍らしがられて勝山風と呼ばれるようになったという。

勝山

■勝山について

勝山は武州八王子の生まれ、正保三年(1646)に丹前の紀伊国屋風呂の湯女となり、その才能と美貌でたちまち江戸中の評判となりました。のちに紀伊国屋風呂が閉鎖の憂目にあったこともあり、承応二年(1653)八月、吉原の楼主山本芳順に招かれ太夫となります。『異本洞房語園』には、 「髪は白き元結にて、片曲のだて結び勝山風として今にすたらず、揚屋は大門口多右衛門にて、始て勤に出る日、吉原五町中の太夫格子の名とり共、勝山を見んとて、町の中の両側に群り居たりける。始めての道中なれ共、遊女の揚屋通ひの、八文字をふみて、通りし粧い、器量、おし立、又双びなく見えしと。全盛は其頃廓第一と、きこえたり。手跡も女筆には珍しき能書也。勝山がよみし歌に
いもせ山流るる川のうす氷
とけてぞいとど袖はぬれける
」 とあります。

左図、『歴世女装考』にある「巡礼姿の勝山」とされる図

★歴世女装考について
『歴世女装考』(弘化四年 1847)著者は山東京伝、現在入手可能なのは、吉川弘文館『日本随筆大成』第一期第六巻。

勝山

■勝山髷

西鶴の『好色一代男』にも勝山に関する記述がありますが、髷の形については書かれていません。 左図は『歴世女装考』にある勝山髷の図ですが、勝山自身が結った髪もこの図と大差はなかったと思われます。

左図、『歴世女装考』より

★井原西鶴 『好色一代男』より
そもそも丹前風と申すは、江戸にて丹後殿前に風呂ありし時、勝山といへるおんなすぐれて情けもふかく、髪かたちとなり袖口廣くつま高く、万に付て世の人に替りて、一流是よりはじめて後はもてはやして吉原にしゅっせして、不思議の御かたにまでそひぶし、ためしなき女の侍り。

★勝山については
中公文庫(中央公論社刊)の三田村鳶魚文庫13「江戸の花街」の中に丹前風呂、勝山についての詳しい記述があります。興味のある方はご参考に。

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