江戸の湯屋・ページ16

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入浴と伝説



■光明皇后の施浴

古くから入浴と仏教には密接な関係がありました。 中野栄三著『入浴・銭湯の歴史』には「入浴の起源は、仏像を湯で洗い浄めたことに始まる。」とあります。またお寺では寺僧の入浴後、近隣の人々に寺の風呂を無料で開放しました。 これは「施浴」と呼ばれるもので、布教の目的もありました。施浴については八世紀後半からの記録があるそうです。
この施浴にまつわる伝説として有名なものに「光明皇后の施浴」があります。
皇后はある悲願のために、奈良法華寺の施浴において千人の俗人の垢を洗い流すことを決めました。 ところが、最後の千人目にあらわれたのは、全身に血膿をもつ悪疾の患者でした。 しかし、皇后は厭うことなく、背中を流し、さらに患者に乞われるまま膿まで吸い出してやりました。 その瞬間、浴室に紫雲がたなびき、患者は立ち上がって黄金の光をはなち、「我は阿しゅく仏なり」と言葉を残し消え去りました。
ちなみに湯屋の石榴口が寺の屋根の形をしているのはこの施浴のなごりだそうです。

光明皇后の施浴

★光明皇后について
聖武天皇の皇后。藤原安宿媛(あすかべひめ)。光明子とも。不比等(ふひと)の女(むすめ)。孝謙天皇の母。(701〜760)

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