本文へスキップ

18年余の探求の区切りである二つの作品から気づいた三つの代表的心を発信します。

希(のぞみ):地に足をつけた顧みずの心が日本の標準たれ
標準たれ

1、発想から、当コーナー新設に到った経緯

 ホームページ開設を偕行編集委員に連絡したところ、投稿を勧められ、「ホームページ開設に寄せて」を投稿した。作稿の間に、三つの心を発信し、その理解を深めることは、それ自体大変意味があるが、記念館全体としては理解を深めた先に何を目指す(のぞむ)か、という疑問が湧いてきて、大まかな方向性を該記事結びに書き、事後「ホームページ探求記念館が理解を深めた先に目指すところ」(以下目指す)稿で全体像を明らかにして、記念館設置の考え方コーナー・心得第3項に記した(R2.6.1)。その後国史的背景(後述)について、「家持の国意識の形成」稿により補完し、前記コーナー・心得第3稿では窮屈になったので、希(のぞみ):地に足をつけた顧みずの心が日本の標準たれ、コーナーを新設し、是に伴う所要の修正をした(R2,8,1)。

 リンク稿

 1-1、 ホームページ開設に寄せて(偕行8月号下書き原稿、R2.8.1HP掲載)

 1-2、 ホームページ探求記念館が理解を深めた先に目指すところ(R2.6.1HP掲載、以下目指す稿)

 1-3、 大伴家持の国意識の形成(R2.8.1HP掲載

2、理解を深めた先に記念館が目指すところ(のぞみ)の全体像

 三つの心コーナーで理解を深めた先に記念館が目指すところ(のぞみ)の全体像は今の地に足をつけた(註1)武人の心(ここでは自衛官の服務の宣誓の顧みずを使命感とする心)と日本人の武の心(危難に立ち向かう心)が日本の標準(2)として定着し、あってはならないことある場合に自衛隊と(武の)心ある日本人(註3)が共に立ち向かい、国民の儀表(註4)として、責務を果たすことである。このため①両者が感作し合って高めあい、②顧みずの心についてその国史的背景の自覚を共有することが不可欠である。
 以上を希み、この認識の共有と具体化に寄与したい、と思う。
 以上は自衛隊と共に、のあり様の私見である。これは今時代の潮流は自衛隊を理解から、自衛隊と共に、へと加速されている、という認識で書いてきた、との私の気付きを元にしている。ブログ希コーナー新設参照。

(目指す稿より抜粋・整理)


1:地に足をつけたとは以下の2点から与えられた使命・任務を他人事ではなく自分のことと受け止めあるいは他の痛みが分かる感覚があるという意味である。福島中尉は日清戦役の大平山の戦闘で多くの負傷者が発生、収容が追い付かず、雪上に放置されて、凍傷に罹った。この悲惨な状況のただなかで兵を護る冬季研究を行わねばならない、それは上長の義務である、という地に足をつけた使命感を持つ。私の認識はそこがスタートである。ブログ私の出発点参照⓵自衛官は入隊時にことに臨んでは危険を顧みず責務を果たすことを誓い、生涯かけて実践陶冶で使命感にまで高め、陸上自衛隊はそれを醸成する組織風土を持つ。使命感を自己練磨する個人・集団であること及びその到った境地の崇高さに自衛官は揺るぎない誇りと自信を持っている。②部隊団結の核心である幹部は責務を「顧みず」果たすことに専心するがその際、部下を死地に投じる重責を自覚し、重責を果たすことと隊員の命を護ることの両立に最善を尽くす。私は前記⓵②に関し後述の雲仙普賢岳災害派遣、PKOカンボジアの初派遣時は現役で携わり、東日本大震災時の原子力発電所水素爆発関連災害派遣時はOBとして、この目で見て聞いて、任務を前向きに、誠心誠意果たす隊員を誇りに思い、陸自の教育・訓練は間違ってない、と思っている。ブログ私の雲仙普賢岳派遣・私のPKO派遣・原子力災害派遣参照
註2:標準とは考えや行動の基準・尺度・目安である。福島大尉が弘前歩兵第31連隊中隊長として一連の冬季の演習・実験行軍開始に際し、零下何度で隊員は行動出来れば良いのか、の標準が陸軍にないことを問題としその解明に着手したこと。最悪の田代での露営に際し、2年前の零下12度での雪中露営演習を堪える標準としていたこと。以上2点を念頭において、顧みずの心が自衛官の使命遂行や日本人の危難に立ち向かう心の標準になれば、と私は考える。
註3:(武の)心ある日本人とは以下の⓵②③を深く理解し或いは危難に立ち向う気概を持って自衛隊の応援、支援或いは予備自衛官・即応自衛官に加わり若しくは側面支援等の役割を自ら担い行動する人である。
⓵自衛官はわが国の独立と平和を守るという崇高な使命のために身を挺する覚悟の持ち主である。②自衛官の使命感は日本人の心を源泉とし、日本人の心の安心・安寧の最後の砦である。③前述のように自衛官の使命感は地に足がついている。
註4:儀表とは模範・手本である。これについて念頭にあるのは硫黄島を戦った栗林中将である。補充兵主体の軍の心を一つにして戦抜くため米軍の侵攻必至の局面で日本精神錬誓五誓(註)を兵と共に誓い合っている。最後・五番目は我等は国民の儀表なり 此の矜持と責務を自覚し身を持すること厳に人を俟つこと寛かに日本精神を宣化せんことを誓う、である。

3、両者の感作

3-1、本気・本心の感作を深める
 自衛官の使命感と心ある日本人の(武の)心は危難に立ち向かうという顧みずの心で繋がり、両者は感作を及ぼし合う関係にある。例えば雲仙普賢岳災害派遣において服務の宣誓の顧みずを使命感とする隊員の命がけが(心ある日本人である)長崎県知事の心からの感謝と日本人としての使命意識再発見の言葉(註)となって返ってきた。この言葉は実に発信力のある言葉で、自衛官は己の使命の誇りを再認識し、新たな困難な任務に立ち向かう力となった。これに限らず多くの人が各種災害派遣等の活動における自衛隊の献身・勇気・本気に接して感動・感謝し、心ある日本人が本心からの発信をして広く自衛官の士気を高め、国民の理解を深めるという感作を産んできた。 ますます本気・本心の感作が各位・各層に意識されなければならない、と思う。(目指す稿より抜粋・整理)

註:湯浅陸幕長が2019.3月に就任して、「修親」(2019.5)紙上での第一声で、平成3年雲仙普賢岳の噴火災害に、大村の16普通科連隊基幹の部隊が災害派遣活動を行い、終了した際の感謝の夕べにおいて高田長崎県知事のご挨拶の一部「生命は地球よりも重いと言われるこの時代の風潮の中で、その地球よりも重い命よりももっと重い『使命感』というものがあった、・・以下略」を紹介され、自衛官の使命感について語られているここをクリック

4、顧みずの心の国史的背景

4-1、全般認識
 服務の宣誓中のことに臨んでは危険を顧みず責務を果たし以て国民の負託に応える、の顧みずは(宣誓冒頭にある)我が国の独立と平和を守る崇高な使命を有する自衛隊の一員になるに際しての誓いの中で、実行して責務を果たす自衛官にとって、最も肝心かなめの言葉である。それはまた日本人が大切に使ってきた言葉である。そのことを深く自覚して貰いたい。そのために律令制の新しい国が出来て(8世紀初頭、註)、陸奥の国の征夷が一応の平定を見る(9世紀初頭)までの百年間における武人の心のあり様、特に⓵国家が直接武を握り、国家に武で直接仕える武人が出現して武が相応の地位を得るまでの武人の成長の流れと②大伴家持と坂上田村麻呂の顧みずの心の繋がり様を国史を踏まえて明らかにして行きたい。そして自衛官と心ある日本人の国史的背景の自覚の共有は先人が遺した国を守るDNAの共有であり、国難に共に立ち向かう強い絆となるであろう。
 この考察で図らずも武人の心と日本人の武の心の両コーナーの今後考えてみたい事項を満たす内容となった。
(目指す稿より抜粋・整理)
註:ここをスタ-トにしたのは、海行かばが詠まれた時代であることと福島大尉が軍旗や武の起源をこの時代に置いているからである

4-2、国史背景認識(項目・番号は目指す稿による)要約

3-1、神代における大伴の祖の尽くす心は武の心の源流/3-2、「海行かば」が歌われた時代における「海行かば」の顧みずの心は今の自衛官の使命感(顧みずの心)の祖()型/3-3、坂上氏の血統としての顧みずの心はいざに備え続ける心/3-4、坂上田村麻呂の「顧みずの心」は80年前の新しい国に尽くす初心への原点回帰 /3-5、田村麻呂の顧みずの心は戦う前に大勢を決めて良く勝ち、良く国を拡げた/3-5-1、田村麻呂が受け継いだ顧みずの心は国家100年の計「国を拡げる」の一応の区切り/3-5-2、田村麻呂の顧みずの心は前人未踏の役割をも良く果たした(目指す稿より抜粋・整理)

国史背景認識要約

4-3、当時の我が「国」認識

大君の統治する国という概念は古代に律令制の新しい「国」が成って、明確になった。私は我が国の「国」認識の一例を大伴家持(の和歌)に求め、わが「国」意識が家持の中で、どのように形成されたか、を明らかにした。大まかに言うと、家持の大君尊崇の思いは陸奥の国に出金を賀す詔とその応詔歌で高まり、東大寺大仏開眼法要によって、神歌にまで到った。これと共に、神統治によって成し遂げられた律令制の新しい「国」を実感して(家持の)「国」意識は大君から分離して明確になり、貴ぶ心もまた極点に到った。

 萬葉集は上からの指導ではない草莽の精神を歌い、大伴家持は国史精神を歌う。ならばここ(大伴家持の国意識形成を考えること)が万葉集・大伴家持並びに歌われることによって育まれた我が国民の心情としての国史精神を理解する最緊要ポイントではないか、即ち我が国意識を考えることが顧みずの心の連綿性の屋台骨を理解すること、と思うので。
(以上 家持の国意識の形成稿から抜粋・整理)


5 希(のぞみ)実現の王道は陸上自衛隊が国民の負託に応え続けること
 オーラル・ヒストリー「中尾時久」回読」は私に「国民の負託に応えた自衛隊」執筆を思い立たせた。仙普賢岳災害派遣・カンボジアPKO派遣・阪神淡路大震災災害派遣・イラク人道復興支援派遣という5つの事例を通じて、負託に応える歩みを理解した。その要点は未知(制約も含む)克服のスパイラルであった。またそれらの抱える未知に真摯に向き合いその克服・乗り越えに全力を尽くしたことが陸上自衛隊が国民の負託に応え続けられた最大の要因であった。さらにことあるときに自衛隊と共に立つ人は明確には組織されていないということにも気が付いた。そして、さらなる負託に応えるためには残る最大の制約である憲法改正や圧倒的に足りない陸自・予備自等の増員及び大災害と防衛の両立に国民挙げて取り組まなければならない。故に残る最大の制約を国民挙げて解消し、真に国民の負託に応え続けることが、自衛官と武の心ある国民の感作が高まり、ことあるときに自衛隊と共に立つ国民(予備自補で代表される)も組織化され、私ののぞみである「自衛官の顧みずの心が日本人の武の心の標準たれ」実現に向かうであろう。

5+1 そして「共に立つ」域へ向かっての旅立ち
 「国民の負託に応えた自衛隊」稿で二つのものを得た。1つ目は5つの未知のスパイラルを乗り越えさせたものを明らかにしたが、その中に、隊員及び指揮官の「顧みずの心」があり、これは連綿と続く武人の心を受け継ぐものであり、後世に伝えるべき心である。この重さを再確信した。このことで私の”探求”感にけりがついた。2つ目は自衛官の強い使命感、これは「顧みずの心」を指す、の発揮に心ある国民が感動し、相互の感応があった。この感応に私はきらりと光るものを感じた。このキラリをこれからの日本防衛における「自衛官と心ある日本人が共にたつ」光明にすべき、と気づき、探求主体の武人旅から新しい旅「自衛官と心ある日本人が共に立つ」に軸足を移そうと思い立ち、「自衛官と心ある日本人が「共に立つ」」稿を纏めた。
 本稿でも新しい発見・気づきがあった。①福島大尉の「顧みずの心」にその根底にある精神を加えたこと、鍵視点として武人像を考える基準を明確にしたこと。②大伴家持の海行かばの「海行かば水漬く屍山行かば草生す屍」は武人としての二つの役割を果たす一族の誓いを込めた言葉という解釈を加えたこと、③「国民の負託に応えた自衛隊」稿で災害派遣中の自衛官の顧みずの心と心ある国民の感応があった。これにきらりと光るものを感じ、これを光明として「共に立つ」思考を深めた。それによる気づきがあったことなどである。①②は従来からよりフィットするものを手探りし、③は福島旅・武人旅の次を手探りした結果である。これらは従来の解釈を広げ、或いは従来の旅から軸足を移すエポックとなるものである。
 これを受け、この旅では自衛官の「顧みずの心」の「共に立つ」核・標準としての在り様や「予備自衛官補」の心ある日本人の要としての期待度、これらの前提としてこれからの防衛戦様相とその未知について、現状把握を含めた思い巡らしをブログにより、続けたい。

 福島大尉旅から武人旅に入り、武人の「顧みずの心」を発見した。これを自衛官が継承しているとの認識で、災害派遣やPKO派遣行動間に心ある国民との感応を産んだ、と受け止めた。これをこれからの日本防衛の光明となるよう、そして「顧みずの心」がより広まり定着するよう、見守りたいと思う。

6、著作
 
6-1、 オーラル・ヒストリー
「中尾時久」回読の感想
 
6-2、 国民の負託に応えた自衛隊
 6-3、 国民の負託に応えた自衛隊(修正版)(未掲載)
   国民の負託に応えた自衛隊の読後感に一大発起して修正(2021.11.15)したが、当面掲載はせず。

 6-4、 「自衛官と心ある日本人が共に立つ」

店舗写真
information

福島大尉から武人の心探求記念館

18年余の探求の区切りである二つの作品から気づいた三つの代表的心を発信します。

展示内容:福島大尉の心・武人の心・日本人の武の心/区切りの二つの作品
収蔵作品(上記二つの作品を除く、非公開):18年余の歩み
資料‣施設紹介:福島泰蔵碑(挿画)他

尚武は菖蒲
来館者数:

newpage18.htmlへのリンク

newpage19.htmlへのリンク

newpage21.htmlへのリンク

newpage28.htmlへのリンク

newpage27.htmlへのリンク

newpage29.htmlへのリンク