歩兵第卅二聯隊第一中隊長 福島泰蔵君碑
軍事参議官陸軍大將正三位勲一等功三級鈴木孝雄閣下題額
新田之郷 古出忠臣 流風尚在 又見斯人 韜略驚鬼
叱咤捲雲 義比山岳 命付風塵 遺芳千歳 名勒貞泯〔*おそらく珉〕
男爵 立見尚文閣下 撰文
從六位勲五等 渡邉克太郎 書
軍事参議官・陸軍大将・正三位・勲一等・功三級 鈴木孝雄閣下題額
新田の郷は 古く忠臣を出す
流風、尚在り 又この人を見る(*)
韜略は鬼を驚ろかし 叱咤は雲を捲く
義を山岳にくらべ 命を風塵に付す
遺芳は千歳 名を貞珉に
昭和七年四月
故(もと)の第八師団長・陸軍大将・正三位・勲一等・功二級
男爵立見尚文閣下撰文
従六位・勲五等 渡邉克太郎書
註: *はKS氏の修正意見箇所、《‥》は筆者書き込み、KS氏の訓読文には読み仮名が振ってあったがデータ変換の際、消滅したので(・・)内に読み仮名を筆者が振った。
2 陸上自衛隊幹部候補生学校資料館福島大尉コーナー
福島大尉の遺族が寄贈した同大尉の遺品が展示されています。候補生・職員用ですが、一般の方も申し込めば閲覧可能だそうです(広報班長窓口)。その生資料は鍵がかかった展示棚中に保管され、手を触れることは、文化財保護の観点から、出来ません。また同校は【福島大尉遺品寄贈品便覧①‣②】を作成し、関係機関・部隊等に配布しています。また同校は生資料一枚一枚を丁寧にスキャナーした全4000ページにも上る膨大なものです。私の18年余の歩みの熱源はこの福島大尉資料に出会ったことにあります。一度訪ねられて、息遣い溢れる資料を目の当りにされては如何でしょうか。同資料館には福島大尉の外にも尚武の地、軍都久留米ならではの先人にまつわる生資料が沢山展示してあります。写真掲示予定
3『陸奥の国に出金を賀す詔』と『左記詔に応えるための歌』(応詔歌)
福島大尉の心を起点とする旅が更なる高見に到ったのは、大伴家持に武の心を感じた、特に『海行かば』を何十回と読むうちに、統べる者としての(大伴の祖の)志や深い心、を感じたからです。その背景を含め、味わって頂きたいと思います。
3-1 『陸奥の国に出金を賀す詔』
天平21年(749年)4月1日聖武天皇は群臣を従え、皇后・皇太后はこれに侍し、造営中の東大寺盧舎那仏に北面し2つの詔を賜った。始めに橘諸兄をして仏に対し、次に石上乙麻呂をして諸王・諸臣に対し賜った。(大伴氏関係分のみ)
「大伴佐伯の宿祢は 常も云ふ如く 天皇朝守仕奉事(天皇が治める世を守るつかさを奉ること) 顧なき人等にあれば 汝たちの祖どもの云ふ来らく 海行かば水漬く屍 山行かば草生す屍 王(おおきみ)の邊にこそ 死なめ 和(のど)には死なじと云ひくる人どもとなも聞し召す 是を以て 遠天皇(とおすめろぎ)の御世を始めて今朕(いまわが)御代に當りても 内兵(うちのいくさ)とおもほしめしてことはなも遣(つかは)す かれこヽを以て 子は祖の心なすいし子にはあるべし 此の心失はずして 明き浄き心を持ちて仕え奉れとしてなも 男女合わせて一二治賜(ひとりふたりおさめたま)ふ」
註:21年(749年)2月 陸奥の国から黄金を献上
2-2『左記詔に応えるための歌』(応詔歌)
「陸奥の国に金(くがね)を出す詔書を賀(ほ)く 歌一首幷びに短歌」(5月12日)
巻18-4094「葦原の 瑞穂の国を 天下り 知らしめしける 天皇(すめらぎ)の 神の命の 御代重ね 天の日嗣(ひつぎ)と 知らし来る 君の御代御代 敷きませる 四方の国には 山川を 広み厚みと 奉る 御調(みつぎ)宝は 数へ得ず 尽くしもかねつ 然れども わご大君の 諸人を 誘ひたまひ 良き事を 始めたまひて 金(くがね)かも たしけくあらむと 思ほして 下悩ますに とりがなく 東の国の 陸奥の 小田なる山に 金ありと 申したまへれ み心を 明らめたまひ 天地の 神相珍(あいうづな)ひ 皇祖(すめらぎ)の 御霊助けて 遠き世に かかりしことを 朕(わ)が御代に 顕はしてあれば 食(は)す国は栄えむものと 神ながら 思ほしめして もののふの 八十伴の緒を まつろへの 向けのまにまに 老人も 女童(おみなわらは)も 其(し)が願ふ 心足らひに 撫でたまひ 治めたまへば ここをしも あやに貴(たふと)み 嬉しけく いよよ思ひて 大伴の 遠つ神祖(かむおや)の その名をば 大来目主と負ひ持ちて 仕へし官(つかさ) 海行かば 水漬(みず)く屍 山行かば 草生(む)す屍 大君の 辺にこそ死なめ かヘリ見は せじと言立て ますらおの 清きその名を 古よ 今の現(をつつ)に 流さへる 親の子どもをそ 大伴と佐伯の氏は 人の祖の 立つる言立て 人の子は 親の名絶たず 大君に まつろうふものと 言ひ継げる 言の官(つかさ)そ 梓弓 手に取り持ちて 剣太刀 腰に取り佩(は)き 朝守り 夕の守りに 大君の 御門の守り 我をおきて 人はあらじと いや立て 思ひし増さる 大君の 命(みこと)の幸(さち)の聞けば貴み 」 反歌三首4095~4097「略」 天平感宝元年(749年)五月一二日に越中国守の館にして 大伴宿祢家持作る
4 参考歌集(万葉集)
大伴家持の国意識形成稿考察に使用した万葉歌集を読者の参考に資するため集録した。ここをクリック