ホームぺージ「福島大尉から武人の心探求記念館」開設に寄せて
「福島大尉から武人の心探求記念館のアドレス:
http://www002.upp.so-net.ne.jp/bujinn-kokoro/
始めに
偕行誌に初めて、飛び入り、で投稿した拙原稿「福島泰蔵大尉に学ぶ武人の心―連綿と続く顧みずの心」(令和1年11月号~令和2年1月号)について、編集会議でOKが出れば、載せる方向です、と編集担当の佐藤委員から連絡を頂いた令和1年10月、私の中で何かが動き出した。直ぐ反射的に武人の心深堀併せて連載後の続稿、にとりかかったが、その頭の片隅で、この連載は自分の18年余の探求活動の中で、「拓く福島泰蔵大尉正伝」と並ぶ区切りの作品だ。区切り、という意識が次第に大きくなった。思いを巡らし書く喜びを、マイファームと共に老境の満足の大きな柱としてきたが、折角の機会だ、もっと大きな喜びに向かって何かことを起こさねば、と思い始めた。
区切りの意義を突き詰めて、探求を記念して、タイトルを表題の通り、キャッチフレーズを18年余の探求の区切りである二つの作品(拓く福島泰蔵大尉正伝・福島泰蔵大尉に学ぶ武人の心―連綿と続く顧みずの心(偕行記事))から気づいた三つの心(後世に伝えるべき福島大尉の心・連綿と伝えるべき武人の心・決して忘れてはならない日本人の武の心
)の発信、とした。
ホームページ(以下HP)作成
以前からHPに関心はあったが、全くと言って良い程無知であった。ブログ・雑誌投稿・出版を経験して、未知のHPへの好奇心、未知の発信力への期待感(総合性・定置性・持続性・発展性)に押されて今踏み切り時、と考えた。
HPつくりはソフトを購入し、用例が自分のイメージに近いテンプレートを選び、マニュアルを読みながら、進めた、と言いたいが何度も失敗、機能しなくなる、を繰り返した。サイトやページ作りの失敗は20 回に近い。ソフトが壊れるのではないか、という心配にもとらわれた。しかし常にこんなものを作りたい、どうすればできるか、という前向きの疑問とチャレンジにより、その度に失敗はしても少しづつ、理解が進み、出来ることが多くなった。次第にマニュアルや,HPの仕組みが分かり始めた。何度もHP講座に通おうと思ったが、必ずできる、この痛みが自分の肥やし、暇がわが身の最大の利点と我慢した。一番の収穫はこのHPで何のために、何を、どのように発信するかが、進行につれ、深まった、深めざるを得なかったことである。それは私にとって棚卸しと同じ意味であった。
棚卸しとその効用
棚卸しとは期末決算整理のため、現在ある商品或いは製品現在料などについて調査し、期末一定時の手持ち高を調べること(広辞林第五版)、とある。私の棚卸しは直接的には HPつくり作業の必然として、私の過去の作品等及び頭の中のアイデアの中で必要なものを必要なところで取り出す作業をせざるを得なかった。そのための整理整頓を指している。広義として、18年余という探求の区切りという性格や年齢などを加味して思い巡らし旅をどう遺しこれからに向かってどう方向付けるかという総括や私の終活のための整理整頓も含ませている。
HPを見て頂くと私のブログや作品へのリンクが多いことに気づかれると思う。それは大部分私(川道)の脳から出た言葉、不十分かもしれないが、であり、思い巡らし旅の足跡である。その分、新しい展開に応じる際の引き出しの多さであり、未知のこれからを探す場合の足掛かり、であった。今何かを起こしたい、と思った時に目の前に無い物はすぐには出せない。ゼロでは駄目だが何か手掛かりがあればとりあえずの手は打てる。例えば日本人の武の心についてどうしても発信したい、と思ったが作品は皆無であった。しかし、ブログ(思い巡らし)旅ではその下地を作っていた。それを基に今現在の思いとこれからの方向性を組み立てることが出来た。記念館開設の考え方も同様であった。またこの直ぐに取り出すタイミングも棚卸しの要件である。18年余の旅で忘却の彼方に去ってはいるが光の当て方で輝きを放つものもあったからである。それをどういう棚に収め記録しておくか。例えば現下、新型コロナウイルス感染対策が国家の危機管理の緊急課題である。八甲田山雪中行軍を現場指揮官の危機管理を学ぶ視点で修親に投稿し、第4師団で講話した。その際に福島大尉を離れ回り道をして、第5連隊遭難も対象に加え、上級司令部・国家統帥中枢(陸軍)の危機管理も研究した。この部分はこの時も以降も公表に到らなかったが、今に通じる教訓があると強く感じた。その原稿を探し出すのに大苦労して、18年余の歩みの中に収め、記念館に、呈示と区別して、収蔵した。いずれ機会を見て、と考えている。以上が今回の棚卸しの結果再認識した棚卸しの効用である。そしてそれは私の思い巡らしの楽しみ方の産物である。
HP公開後に、偕行編集担当佐藤正委員にお礼かたがたメール報告をしたところ投稿を勧められた。これはお受けして感謝の心を伝えると共に当HP(探求記念館)に興味を持って頂かねばならない。先ずはHPの背景事項特に思い巡らし旅の楽しさ、を分かって頂きたい。そうすればその先には三つの心への興味が繋がるはず、と思った。
思い巡らしの楽しみ
私の楽しみは以下の4つがそれぞれにリンクし合って響き合う。
一つ、福島大尉を究める楽しみ
当初は八甲田山雪中行軍に注目し、危機管理やリーダーシップを、との思いであったが親族と出会い、生資料に巡り合って、その奥深さに惹かれ、生き様そのものに関心が移り、いつの間にか、これが福島大尉だ、を究めたい、これが成る迄やめられない、と夢中になった。最初は新田小説等の影響で高圧・根暗が引っ掛かったが学ぼう、好きになろうと努めているうちに色んな事が見えてきた。無関心や拒否からは何も生まれない。見えてきたものは必ずしもその時のテーマの解ではないケースも多かったが、福島大尉に近づくという点では何物にも代えがたかった。そういうことの積み重ねで今のこのような境地に到れた。この事実は全く想像すらできなかったことで、福島大尉の導きのお陰と思っている。
二つ、心や情を思う楽しみ
私は戦史研究で指揮官の心に思いを寄せる傾向が強かった。それが本格的になったのは退官後の福島大尉旅で、である。現役時代に人を指揮するよう与えられた境遇を当たり前として、真剣に部下や周りの人の心に向き合ってきたのか、という反省の気づきがあった。この旅では限られた事実と事実を想像で繋がなければならない。想像の確度を上げるのは新事実発見か既知の資料を読み込んで、想像そのものの確からしさを高めるしかないが、私は新事実発見競争に違和感を感じ、後者により面白さを感じた。想像の代表選手は心を思うことであった。書簡・作文・課題・計画・実施報告などに現わされた思いや行間に滲む思いなどを汲み取り渦中の行動やそれ以前・以後にどう現れているか、などを思うことは至福の楽しみである。また息遣い溢れる資料は多方面に亘っており、心思いの確からしさを高めるヒントが随所に潜んでいる。但し軍事に加え旧用語という難しさとの格闘が待っていたがそれを乗り越えた先の喜びは格別であった。
三つ、回り道の楽しみ
二点間を結ぶ近道は必ずしも直線ではない。遠回りした分、近道した人より発見している。漠然とした目的で自由に歩くくらい贅沢はない。そのうちに、ふと見た野の花に歩いている目的を発見する、そういうこともある。(第90回第四木曜日の読書会(主宰者:浅井輝久氏)の要約書付設の『木曜人の百字箴言』より)
以上は私がブログを冊子に纏め寄贈した同タイトルの「福島泰蔵大尉の実行力を訪ねて」を題材に私は要約して発表し、会員は事前に読んできて意見を述べ合った読書会での模様を主宰者がまとめて参加者に配った要約書付設の一節である。この当否は別にして、言い得て妙のところもある。私は福島大尉ゆかりの地を巡りその場に立って思いを巡らしたり、遺された資料に息遣いを感じて、福島大尉の人間像が私の中で出来上がって行く感じがたまらなく好きであった。その際に、現地現物だからこそ伝わる思いや発見に神経を研ぎ澄まし、最大漏らさず心に刻み付けた。今書くことに不要なものを捨てるという発想は無かった。これらが直接間接、直ぐに或いは時間を置いて、先ほどの福島大尉像を作り上げる際に細かいひだを作るのに役立った。回り道を楽しんだ結果である。
四つ、書く楽しみ
思いを巡らすことは私の場合書くと表裏であった。思い巡らしをすると記録や表現のため書きたくなるし、書くことで思いを深めことが出来る。しかし、私は書くことが不得手であった。それでも退官後始めた思い巡らしは私に書くことを要求した。旅の初めの頃は「修親」に投稿し、それが掲載され、多くの人に読まれ、反響を受け、確りした形で残ることに喜びを感じた。その後、私が仲立ちをした福島大尉の遺族の陸上自衛隊幹部候補生学校への遺品寄贈に刺激を受け、二つのブログを始めた。公開の緊張感やアクセス数を励みとした外向け・不特定多数相手に真剣に近い練習という認識で臨んだ。稿を重ねるにつれ、直感的に書きたい、と思ったことを書ける確率が上がってきた。閃いたことを諦めずに追い続ければなんとか書ける、裏を返せば閃きに書けそうだという裏付けが伴ってきた。また、なかなかしっくりこない表現や言葉を考え続けたり一旦書いたものを暫く寝かせたり、その間潜在意識はフル稼働、して遂に探し出した喜びは悪戦苦闘のご褒美と思っている。思い巡らしの楽しさを表現できることはそれ自体が書く喜びであり、思い巡らしの楽しさを倍増させた。がそれだけではない。冊子にして寄贈したり出版に踏み切る等自己の成長(自己実現)の実感という大きな喜びを齎してくれた。ブログを書くことで、東日本大震災を契機として日本人の意識ががらりと変わったのを肌で感じた。その実感を基に福島大尉を掘り下げる際、嫌軍反戦等の気風も意識して、旧軍・天皇・国史精神などに正面から向き合った。これもその場を持っているからこそ得られたもので、実際の実感という深い喜びである。
HPを公開して
4月1日に公開したが、物凄く心が安らかである。それには三つの理由が思い当たる。
一つ、三つの心の発信の場
今までは心が常に波立って居た、それが常態であったが嘘みたいに消えた。思い巡らしの楽しさをどう続け伝えるか、だけではなく福島大尉旅をこれからどうするか、自分の人生の終活をどうするか等常に心中に渦巻いていた。
福島大尉旅は探求記念館の中で三つの心へと発展して、その時点に応じて、遺す、思い巡らす、発信、待つ(来館者の会話)と如何様にも選べる。発信は投稿、ブログ、HPのどれにするか、どういう組み合わせにするか等自由に決められる。
二つ、HP自力作成
77歳にして難関のHPに挑み自力で作り上げた。その満足感の余韻に深く浸っている。
三つ、心のけり
18年余ここまで来るのに多くの方に出会いお世話になった。出版に際しご購入頂いたり、背中を押して下さった人にも恵まれた。そういう皆様にその後行き着いた境地の報告とお礼がしたい、と強く思っていた。また防大同期の木村清順(HPではKS氏)君には福島泰蔵碑の訓読文をご送付頂いたが読者にこのことと正確な情報を伝える機会を持てず、心残りであった。そういう諸々にHP(掲載)でけりをつけることが出来た。
結び
今回投稿のお薦めを頂いて、書き進めながら、書く喜びに自分を見つめ直す喜びがある、を再確認した。特に区切り、記念という言葉には省みる響きがあるのも一理ではあるが・・。改めてこのような貴重な機会を与えて頂いたこと併せて連載頂いて私の探求活動の大きな区切りが出来たことに心からのお礼を申し上げたい。拙稿でHPの背景から三つの心の発信内容へと読者の興味が拡がり、そこで(武人や日本人の武の心としての)顧みずの心や(統べるものとしての)専心と最善の両立などについて考えて頂ければ、と思う。そして投じた一石の波紋が広がって、それらが(武人あるいは日本人の武の)心の標準(の一角)として定着し、後世に受け継がれて欲しい、と願う。そこへ向かっての途中の景色で、なにがしでも参考にして頂ければ幸甚である。終り