"Live Right for Your Type"。ダダモさんが書いたこの本は、実に画期的です!
日本にも多くの専門家がいるはずなのに、なぜただ一人も気が付かなかったのか…。この点は大きな謎として残りました。本当に不思議なことがあるものです。やはり、血液型と性格は日本の心理学ではタブーなんでしょうか?
#そうは思いたくはないのですが…。
まあ、そんな個人的な感傷はさておき、いままでの「常識」が非常識に、非常識が常識になってしまったことは確かです。
だから、本来はABOFANも大幅に内容を改訂しないといけません。とはいっても、時間的になかなかむずかしいので、とりあえずは構成を少し変更して対応しようと思います。みなさん、どうかよろしくお願いします。m(._.)m
実は、血液型と性格は関係がある、というきちんとした医学的な根拠があるのです!
え〜、ウッソー!と驚いたあなたは正常な感覚の持ち主です(笑)。私もそうでした(大笑)。もっと早くわかってれば苦労しなかったのにぃ。
まず最初にお断りしておきますが、私は心理学も統計学も医学も専門外です。だから、なるべく多くのデータを集めようします。その中で、複数のデータが一致すれば正しい(のだろう)と判断することにしています。そのため、少々論証がくどいと感じる人もいるかもしれませんが、悪しからずご了承ください。
では始めましょう。
医学的な根拠といってもいろいろとあるのですが、ここでは一番手持ちのデータが多いO型を取り上げます。
ズバリ言いましょう。O型男性は、スリルと冒険を求める傾向が強く、外向性で、攻撃行動・喫煙傾向が高いのです!
#ちなみに、O型女性にはそんな傾向は認められていないようです…。
医学的にはこのO型男性に多い傾向を「タイプA行動」と言っています。「タイプA行動」は、直訳すると「A型行動」となるのですが、日本では血液型の方がポピュラーということで、血液型との混同を避けるためにざわざ「タイプA行動」と言って区別しているようです(笑)。 |
最初のデータは能見正比古さんが死去した直後の昭和58年(1983年)に発表されています。元の論文を紹介してもいいのですが、ダダモさんの本の解説がわかりやすいので、そちらを紹介することにしましょう。
Blood Type O and MAO
MAO levels show some variability according to blood type, and again the consequences seem much more significant for Type Os. A 1983 study of seventy healthy young males showed that the platelet MAO activity of Type O subjects was substantially lower than that of other blood types-having the effect of making the control of catecholamines more difficult for Type Os.
MAO(モノアミン酸化酵素)のレベルは血液型によりいくらかの変動を示し、O型により顕著に影響が現れる。1983年に行われた、70人の健康な若い男性に対する研究により、O型は他の血液型よりも血小板MAOの活動が大幅に低いことが示された。O型は、カテコールアミンのコントロールが他の血液型よりも困難なのである。
元の論文はこちらです。
Arato, M., G. Bagdy, Z. Rihmer, Z. Kulcsar. "Reduced platelet MAO activity in healthy male students with blood group O." Acta Psychiatr Scand, February 1983; 67(2): pp. 130-34.
この論文によると、血小板MAOの測定値は、O型9.1に対して他の血液型(A+AB+B)は11.6です。t-検定の結果では、O型はA型に対して危険率5%で低く、他の血液型(A+AB+B)に対しては危険率2%で低いと
されています。 血小板MAOについては、別の論文で追試もされているので、O型男性は他の血液型より少ないことは、医学界ではどうやら定説になっているようです。 |
では、血小板MAOが少ないとどんな性格になるのか? 心理学でも認知されているという証拠に、一般向けの心理学事典の1つから引用しておきます(南博編著『読みこなし 使いこなし 自由自在 心理学がわかる事典』 日本実業出版社 H6.2 126ページ)。
■血液型で何がわかるか
最近、血液中にある血小板MAO(モノアミン酸化酵素)の活性が、脳の神経伝達物質の活動に影響を与え、それによって行動や性格に影響してくることが知られるようになってきました。MAOが低値の人は、アルコール依存性にかかりやすく、スリルと冒険を求める傾向が強く、外向性で、攻撃行動・喫煙傾向が高いそうです。
念のために書いておくと、「MAOが低値の人は、アルコール依存性にかかりやすく、スリルと冒険を求める傾向が強く、外向性で、攻撃行動・喫煙傾向が高い」というようなことは、ダダモさんの本にも紹介されています。元々の文献については、"Live Right for Your Type"にリストアップされているので、興味がある人はぜひ読んでみてくださいね。(^^)
ただし、この事典には「しかし脳MAOと血小板MAOの間には複雑な関係が存在し、同一に論じられるものではありません」とも書いてあります。しかし、原典に当たってみると、O型男性は血小板MAOが少ないことは明らかですし、血小板MAOが少ない人は「スリルと冒険を求める傾向が強く、外向性で、攻撃行動・喫煙傾向が高い」のですから、脳MAOがどうだろうが医学的に血液型(O型)と性格には明らかに関係があることになります。
#詳細な論証はこちらをご覧ください。
こんなことが20年も前に専門誌に掲載されていたとはビックリです。なぜ誰も気が付かなかったのでしょうか?
私は素人(くどい!)ですから、なるべくお互いに関係ない複数のデータでもウラを取ろうとします。しかし、血液型とタイプA行動のデータなんかあるはすがない…と思っていたら実はあったのです! いやぁ、ツイてますね。その論文は、
大村政男 1993 「血液型気質相関説」と「血液型人間学」の心理学的研究II 研究紀要,46,115-155.
まあ、当然というか、医学編のデータと一致する傾向が出ています。v(^^)
以下はこの論文からの抜粋です。タイプA行動を取る人は、このような傾向があるそうです。
Table IV-1 Type A行動に関する14個のアイテム
1. 約束した時刻に決して遅れない。
2. 競争意識が非常に旺盛である。
3. 人が話をしているところに口を出して話を取ってしまう。
4. いつも急いでいる(性急である)。
5. 待つべきときに待てない。
6. 目標達成のためには、あらゆる手段を使う。
7. ―度にいくつもの仕事をし、やっているうちに次の仕事を考える。
8. 行動がいつも敏速である。
9. 厳しいダイナミックな生き方をする。
10. 感情を顔や動作に出しがちである。
11. いろいろなことに興味を持つ。
12. 社会的にもつともつと伸びたいと思う。
13. 話し方がエネルギッシュである。
14. 「仕事のやり手」だということを他人に認めてもらいたいと思う。
被験者は、日本大学文理学部の学生と通信教育部の学生で、血液型別の人数は以下のとおりです。
Table IV-2 この研究の被験者 単位:人
性別
O型者 A型者 B型者 AB型者 全体 男子 183 227 153 65 628 女子 52 73 44 20 189
しかし、この論文では血液型とは関係ないというスタンスなので、肯定率の平均は計算されていません。そこで、自分で計算してみたところ、次の値が得られました。
Type A行動と血液型との関連(肯定率の平均%・男性) →太字は最高
O型
183人A型
227人B型
153人AB型
65人46.6
43.3
43.0
41.6
見事というか、当然というか、O型が他の血液型よりもタイプA行動の平均肯定率が高くなっています。
これで、医学と心理学の相互に無関係なデータから一致した結果が得られました。もう言うことはありません。メデタシメデタシ。v(^^)
#詳細はこちらをご覧ください。
でも、大村さんは、なぜこの結果に気付かなかったのでしょう? はて? 謎が1つ増えてしまいました…。 -- H14.1.13
その後、顆粒球とリンパ球の比率による仮説をGETしました!
安保徹さん 医療が病をつくる〜免疫からの警鐘〜 岩波書店 H13.11 1,800円+税
安保(あぼ)さんは、世界的に活躍する免疫学者です。
最近の著書である、この『医療が病をつくる』では、血液型と性格について正面から取り上げています(17〜19ページ)。
交感神経優位のタイプでは活動的で「顆粒球人間」となり、副交感神経優位のタイプではゆったりした「リンパ球人間」となることを述べた。しかし、この法則と関連して、血液型と人の性格の間にも関係があることが分かってきたのである。
長い間、血液型と性格のつながりが指摘されてきたが、その謎を科学的に明らかにした研究はこれまでなかったように思う。
ではその根拠は何かというと、
人間ドックで測定した成人の末梢血のリンパ球のレベルを血液型ごとにまとめると次のようになる。O型39%、B型37%、A型36%、AB型34%である(対象者5000人)。この鋭い観察は畏友の福田稔医師が明らかにしたものである…
これはかなり衝撃的な文章ですね。(@_@)
そこで、O型>B型>A型>AB型となるデータをチェックしてみました。松井さんの論文1からよさそうなものを選んだのがこれです。なお、データの出典と詳細については松井豊さんの論文のページを見てください。
血液型別肯定率(%) →最高値が赤 →最低値が青
項目の内容
O(182) A(225) B(138) AB(68) 9. 人には心を開く方である
54.4 49.3 52.9 47.1
でも、顆粒球が多く活動的な方が「人には心を開く」ような気もしますが、本当はどうなのでしょうか? ちょっと気になります。ただ、O型が情緒安定型とするなら、普通の状態ではそうですから確かにあてはまります。たぶん、もう少し詳細に分析する必要があるのでしょう。
ここで注意すべき点は、必ずしもすべてのデータでO型>B型>A型>AB型(あるいはO型<B型<A型<AB型)となるのではないことです。従って、顆粒球とリンパ球の割合だけで血液型と性格についてのすべてが説明できる訳ではありません(残念!)。
しかし、血液型と性格について、説得力がある医学的な仮説がまた一つ増えたことになります。やった〜、パチパチ。(^^)
ちなみに、安保さんの名前はローマ字で書くと「ABO」さんです(笑)。お後がよろしいようで…。
西原克成さん 内蔵が生みだす心 NHKブックス H14.8 920円+税
カバーの解説からです。
[脳中心の人間観を見直す]
心肺同時移植を受けた患者は、
すっかりドナーの性格に入れ替わってしまうという。
これは、心が内臓に宿ることを示唆している。
「腹が立つ」「心臓が縮む」等の感情表現も同様である。
高等生命体は腸にはじまり、腸管がエサや生殖の場を求めて
体を動かすところに心の源がある。その腸と腸から分化した
心臓や生殖器官、顔に心が宿り表れる、と著者は考える。
著者の西原さんは、人工臓器の開発で世界的に有名な人です。彼は、脊椎動物の進化についても独自に解明しています。
ここで重要なのは、心肺同時移植を行うと性格が変わる場合があるということです。どうやら、性格を決めるのは脳だけではないようなのです。
別な例も報告されています。肝臓移植でも性格が変わる場合があるようです。高田和明さんの『脳からストレスが消える』(光文社 H8.11)では(20ページ)、
肝臓の移植を受けた人は、たとえば、鏡に映る自分が自分でないような気がするとか、一緒にいる仲間に「お前は誰だ」といったりするというのです。これは米国で肝臓移植の研究者たちによって報告されています。
また、23ページでは、
脳は機械のようなもので、脳が働くことで、考え、感情、記憶などの働きが生ずるのですが、その動かし方は脳以外の体液が決めているのです。
では、体液を成分を作っている場所とはどこでしょう。
それは、肝臓なのです。血液や粘液の成分は大部分肝臓が作っています。
高田さんによると、最近はギリシャ時代の体液説が見直されているそうです。体液説というのは、ヒポクラテスの考えで、体液のバランスで性格、精神、健康が決まるというものです。これらの体液とは、血液、粘液、黄色胆汁、黒色胆汁の4つです(肝臓は胆汁を作っています)。
体液説が根拠を失ったのは、脳内物質によって性格が決まるという理論が支配的になったからだそうです。しかし、脳内物質の基となる物質は、肝臓が作っています。なにしろ、肝臓は物質代謝の中心なのですから…。肝臓で作られた物質が脳に運ばれ、酵素によって脳内物質に変わるのです。移植された肝臓が作る脳内物質は、以前の肝臓とはバランスが違ってきます。結果として、脳が新しい肝臓の影響を受けて感じ方が変化し、自分でない自分がいたり、性格が変わってくるということになるようです。
心肺同時移植についても、同じようなメカニズムで性格が変わるのかもしれません…。
いずれにせよ、臓器移植により(脳内物質に何らかの影響があり?)性格が変わるということは事実のようですから、脳細胞に血液型物質があろうがなかろうが、血液型(物質)がシナプス(≒性格)になんらかの影響を与える可能性は否定できないことになるようです…。
本当はどうなのか、興味津々ですね。(^^) -- H14.9.4
その後、糖鎖によりネズミの性格が変わるという説をGETしました!
ゲノム情報を超えた生命のふしぎ 糖鎖 第16回「大学と科学」公開シンポジウム講演収録集 H15.1 3,000円+税 クバプロ
この本は画期的です。ABO式血液型と同じく糖鎖で決まるルイス式血液型で性格が変わることが実証されたようからです。やった〜!
貴重な実験をしたのは成松久教授(産業技術総合研究所糖鎖工学研究センター)です。この本の55〜56ページから引用します。
私は、血液型と性格は関係あるという説の肯定論者です。ただし、ABO式だけが性格をきめているのではなく、ありとあらゆる神経で発現している糖鎖のポリモルフィズム(変異多型)が性格と関係あるに違いないと思っています。一例を示すと、ルイスXとは、先ほどのルイスA、ルイスBとよく似た糖鎖構造を神経で発現しているものです。これを合成するフコース転移酵素をクローニングしてノックアウトマウスを作出すると、抗原構造が消失します。そのマウスは非常におじけついていて、おっちょこちょいで、情緒が不安定です。ルイスXという糖鎖がネズミの性格を決めていたことを証明することができました。
残念ながら、この本には糖鎖によりなぜ性格が変わるのかは書いてありません。今後の研究に期待したいところです。 -- H15.8.11
その後、免疫系への影響による仮説ををGETしました!
どちらもO型の澤口俊之さんと阿川佐和子さんの対談です。澤口さんは、「探検!ホムンクルス」で、血液型と性格は関係あると説明していました。番組中では、あまり詳しい話はなかったのですが、この本ではもう少し詳しい説明があります。(91〜95ページ)
血液型は、もともといい加減なデータだと、みんな思っていたんです。…あれは統計的な話だったんです。ししかし、最近、血液型というのは人の性格に非常に関係するということが統計的な話では立証されてきているんです。
そして、茨城県警のデータをあげて、血液型別の交通事故の特徴を説明しています。例えば、一番事故が多いのはA型でスピード違反が多いとのことです。A型の人には申し訳ありませんが、これには納得できるものがありますね(失礼!)。そして、最近はその理由も解明されつつあるとして、
その理由がわかってきたんです。これは免疫力に関わることなんですが、O型の人というのは免疫力が強いことがわかってきました。詳しい理由は不明ですが、どうやらO型の赤血球だと免疫系がうまく働くみたいです。
免疫系が強いと、あまり警戒しなくともいいので大雑把な性格になるそうです。逆に、A型は免疫が弱いので心配性だそうですが、B型とAB型はわかっていないそうです。竹内久美子さんの説明に似ているような気もしますね(笑)。残念ながら論文の紹介はありませんでした。わかれば、ぜひ紹介したいですね。
平成16年10月7日に放映された『超スパスパ人間学!』では、血液型別に運動が続かない理由を解明するという目的で、瞬発力運動(ダンベル運動)、持久力運動(自転車マシン)によるストレスの調査を行いました。運動中の脳波を血液型別に測定したところ、次の結果が得られたそうです。
瞬発力運動 持久力運動 A型 ストレス大 ストレス小 B型 ストレス小 ストレス大 AB型 人により違う 人により違う O型 ストレス小 ストレス小
随分違うものですね。
平成16年10月3日に放映された『発掘!あるある大事典II』でも、2つほど研究成果が公開されています。
『発掘!あるある大事典II』は、捏造が発覚して打ちきりになってしまった番組ですが、血液型の部分に捏造があったという話は聞きませんので、そのまま経緯しておきます。東海大の実験は、別の人から内容を聞く機会があったのですが、至ってまじめな研究だそうで(少なくとも東海大では)再現性が確認されているそうです。 |
私がビックリしたのは、今回もやはり脳波の実験です(東海大学医学部基礎医学系医学教育・情報学 灰田宗孝さん)。相性を脳波で測定できるというのは面白いですね。番組では、日立メディコ製の機器を使って、脳から出る光子を測定していました。これで脳のどの部分が活性化しているかわかるので、相性の善し悪しが判断できるんでしょうかね。ウソ発見器を高級にしたようなものでしょうか? そうえいえば、日立製作所がそんな発表をどっかでしていたような気がします。やはりテレビ局だとやることが違うなぁ、と感心してしまいました。
また、時間は短かったのですが、番組の最後に広島国際大学人間環境学部の吉田倫幸教授の実験が紹介されていました。こちらも非常に興味深い内容で、血液型別に男女5人ずつ計40人の被験者の脳波の違いを測定するというものです。
具体的には、目を閉じた状態で、ランプがついたらボタンを押し、消えたらボタンを放す。この間の脳波の変化を調べます。
ポイント1 光刺激に脳波がの程度反応するのか
ポイント2 光刺激後、脳波がどのぐらいで元の状態に戻るのか
結果は見事でした!
脳波興奮度を【β帯域量/(α帯域量+β帯域量)】とすると、大きい順にA型>O型>AB型>B型でした。つまり、この順に外界の刺激に敏感に反応する、ということになります。脳波の興奮度に違いがあるということは、視神経and/or脳の働きに違いがあるということですから、血液型により神経and/or脳の反応が違ってくることになります。大脳生理学レベルで(メカニズムはともかくとして)血液型により反応に差があることが初めて実証されたことになります!やったぁ!!
吉田さんは、A型とO型は、光に強く反応し、消えた後も更に強く脳波に反応が残ることから、「何か事が起きると影響されやすい」「そしてそれが気になってしまう」と解説していました。直後に「常に状況を把握しようとアンテナをはりめぐらせている」「細かいことを気にする」「人に気配りができる」とナレーションが入りました。
B型は、反応が小さくすぐに元に戻ることから、吉田さんは「気持ちをすぐに切り替えられる」「ケンカしていてもすぐに食事に行こうと言える」とのこと。ナレーターは「周囲の状況に左右されず自分のペースを貫く」「自己中心的と思われる」「物事に動じない」と言っていました。
AB型は、B型よりは反応が大きく(とは言ってもA型やO型よりはずっと小さいのですが…)、すぐに元に戻ることから「気を使って刺激を受けたり後処理をすることができる」と吉田さんの弁。「周囲の状況に反応は示すがすぐに自分のペースに戻る」「二面性があると言われる」「物事に冷静に対処する」とナレーター。
これだけきちんと結果が出れば、真面目な研究としてきちんと評価されるかもしれませんね。そうなれば、研究者や大学もほってはおきませんから、ポジティブフィードバック(良循環)が起きて、今後は血液型の研究がどんどん進むかもしれません。 -- H19.2.12
否定論者の[従来の]代表的な主張は、血液型と性格に関係があるという統計的なデータはないというものです。この主張はあまりにもポピュラーだったので、[従来の]多くの否定論者は異存がなかったはずです。
では、正確を期すため学術的な文献から引用しておきます。『現代のエスプリ〜血液型と性格』の中で、否定論者(正確には懐疑論者)の長谷川さんはこういう意見を述べています(128ページ 『目分量統計の心理と血液型人間「学」』 H6 長谷川芳典)。
「血液型と性格は関係がない」という作業仮説のもとに地道にデータを集め、ある性格的特徴について明らかに血液型との関係を示すようなデータが安定的に得られた時に初めてこの仮説を棄却するのである。これこそが、雑多な変動現象の中から帰納的に規則性を見い出そうとするときにとるべき科学的態度である。
しかし、実際にはある性格的特徴について明らかに血液型との関係を示すようなデータはない、という結論が必ず得られているはず…です。もしも差があれば、それは血液型と性格に関係があるということになる、そういう論理構成になっています。
それにも関わらず、「血液型と性格」に関係があると思う人(=肯定論者)は存在するのです。例えば私です(笑)。そういう人は、「×型は○○な性格」であるという「信念」(私は「信念」ではなく「事実」だと思っていますが…)や「ステレオタイプ」を持っているはずです。
思い込みというのは本当に恐ろしいもので、今までほとんどの否定論者がそう書いていたので、私は血液型と性格に関係があるという 統計的なデータを探すのに必死になっていました。が、実はそんな必要は全くなかったのです!
#う〜ん、いままでの苦労はいったいなんだったんだろぅ。(*_*)
前置きが長くなってしまったので、本題に入りましょう。
ほとんどのデータ(一部のバイアスがかかったものを除く)を見ても、日本人の70%程度は血液型と性格に関係があると思っています。そう思っている人の多くは、「×型は○○な性格」と感じているはずです。もちろん、「×型は○○な性格」はかなりの部分一致しています。そうじゃないと、血液型の話が盛り上がりませんから当然ですよね(笑)。
【参考】血液型と性格に関係があると思っている日本人の割合
なお、1.2のデータは、草野直樹さんの『「血液型性格判断」の虚実』から引用させていただきました。どうもありがとうございます。それから、3.については、NTVの『特命リサーチ200X』(H9.11放送)やTBSの『回復!スパスパ人間学』(H13.4放送)でも、関係があると思う人の回答率がそれぞれ75%、85%と、ほぼ同じ傾向を示していました。 |
例えば、「A型は神経質」というような有名(?)な特性(いわゆる「信念」や「ステレオタイプ」)を質問すれば、必ずA型は神経質が多いという結果が出ます。なぜなら、本当にA型は神経質かどうかは別として、そう信じている人が大多数なのですから…。
具体例を書いておきます。
下の表は、佐藤達哉さんの論文、「プラットタイプ・ハラスメント」からの抜粋です(『現代のエスプリ〜血液型と性格』 No.324 至文堂 H6 なお、元のデータは上瀬由美子さんのもの)。他人から見たA型のイメージとしては、「几帳面」「神経質」「真面目」が多いことがわかります。
表1 各血液型のイメージ(N=197) →A型の回答が多いものだけを抜粋
回答\血液型
A O B AB 合計 几帳面
111 0 0 0 111 神経質 77 1 1 3 80 真面目 54 0 0 3 57
実際に性格検査のデータに当たってみると、ほとんどはA型が神経質のスコアが高いという結果が出ています。まぁ、当然と言えば当然ですが…。
#もちろん、サンプル数などの関係で全部がそうではありません、念のため。
代表例をいくつかピックアップしておきましょう。
大村政男さんの論文の『VII 血液型と矢田部ギルフォード性格検査(YG検査)』からの抜粋です。YG検査では、ズバリ神経質という特性があるので楽ですね。
なお、被験者は、日本大学文理学部の学生です。
この研究の被験者 単位:人
性別
O型者 A型者 B型者 AB型者 全体 男子 35 53 23 11 122 女子 32 41 28 8 109
YG検査の12尺度のkey answerに対する血液型者別肯定回答数(%) →最高値が赤 →最低値が青
N(神経質) O
A
B
AB
男子
45.7
53.6
39.1
50.9
女子 43.1
50.2
35.0
45.0
合計 44.1
52.0
37.2
48.1
では、松井豊さんの論文(論文1)ではどうでしょうか。神経質のデータだけ抜き出しておきます。
表4 血液型別の性格尺度得点の平均 注1) →最高値が赤 →最低値が青
尺度名
O(182) A(225) B(138) AB(68) 平均値の差
の検定 注2)神経質
5.47 5.69 5.65 5.66 F=<1
注1)各尺度得点は1点から11点まで分布し、得点が大きいほどその性質が強いことを表している。
他の血液型も含めてまだまだあるのですが、きりがないのでここらへんで。
ちょっと説明がくどかったかもしれませんね。ポリポリ。f(^^;;
結局、日本人は血液型を信じている人が多いのだから、(本当に関係のあるなしにかかわらず)こういうデータを取ると必ず差が出るのです!
つまり、冒頭に引用した長谷川さんに限らず、「血液型と性格に関係があるという 統計的なデータはない」という主張は、初めから間違っていることになります。しかし、多くの否定論者もよくもまあこんなおかしな主張をしていたものです。かれこれ15年ぐらいになりますが、本当に誰も気が付かなかったのかなぁ。実に不思議というしかありません。(@_@)
誤解のないように書いておくと、外国人でも日本人とほぼ同じ結果が出ていますから、「×型は○○な性格」は必ずしも「信念」や「ステレオタイプ」ではありません 。どちらかというと、事実に近いと考えていいでしょう。
#じゃあ、A型は本当に神経質なのか、というとちょっと違うのですが…。
#詳細はこちら(またはこちら)をご覧ください。
-- H14.1.3
【参考】 割と最近出版された『心理学論の誕生』(佐藤達哉他著 北大路書房 H12.6)から引用しておきます。
この『心理学論の誕生』はなかなか良い本ですから、皆さんもなるべく買ってあげましょう!(^^) |
どうやら、もともとポピュラーな心理学の性格テストでは差が出にくいようです。つまり、性格テストの質問項目自体が血液型による差を測定するようにできていな いと考えるしかありません。これは、性格テストでは1つの性格とされる複数の質問に、血液型によっては違う傾向の回答が出る可能性があるからだと思います。もっとも、性格テストの質問は公開されていないので断定はできませんが、いくつかのデータを見ている限り確実にそう 言えます。
例えば、その1で紹介した松井豊さんの論文(論文1)ではどうでしょうか。神経質のデータだけ抜き出しておきます。
表4 血液型別の性格尺度得点の平均 注1) →最高値が赤 →最低値が青
尺度名
O(182) A(225) B(138) AB(68) 平均値の差
の検定 注2)神経質
5.47 5.69 5.65 5.66 F=<1
注1)各尺度得点は1点から11点まで分布し、得点が大きいほどその性質が強いことを表している。
確かに、A型の性格尺度得点は、他の血液型と比べて少しは高いものの、サンプル数が613人と多いにもかかわらず、統計的に有意な差は出ていません。ちなみに、その1で紹介したように、他人から見たA型のイメージとしては、「几帳面」「神経質」「真面目」が多いことがわかります。
表1 各血液型のイメージ(N=197) →A型の回答が多いものだけを抜粋
回答\血液型
A O B AB 合計 几帳面
111 0 0 0 111 神経質 77 1 1 3 80 真面目 54 0 0 3 57 佐藤達哉さんの論文、「プラットタイプ・ハラスメント」からです(『現代のエスプリ〜血液型と性格』 No.324 至文堂 H6 なお、元のデータは上瀬由美子さんのもの)。
その1で紹介したように、70%程度の人が血液型と性格は関係あると思っていのですから、本当に血液型と性格に関係があるかどうかには関係なく、必ずデータに差が出ることになります。しかし、現実には、心理学の性格テストでは、傾向としては現れているものの、統計的に有意な差は出ていないのです。
やはり、ポピュラーな心理学の性格テストでは差が出にくいと考えるしかありません。
ただ、今まで調べたのは日本国内の事例だけです。多くの性格テストで何か国も調べないと、確定的なことは言えないのではないか、と反論されるとグッと詰まってしまいます。(*_*) 困ったなぁ〜、と思っていたところ、最近になって台湾のデータを ゲットすることができました。v(^^)
結論から言うと、日本と全く同じ傾向になりました。やっぱり、ポピュラーな心理学の性格テストでは差が出にくいようなのです。
さて、台湾では、日本と同じく血液型がポピュラーなので、高校生の約2/3が血液型と性格に関係があると思っています。
そこで、英語圏ではもっとも有名で、国際的にも標準化されているNEO−PI−Rという性格テストの中国語版(もちろん日本語版もあります)を使って、呉坤和さんが3000人以上(!)の高校生のデータを集めたところ、AB型女子を除いてほとんど有意な差は出ませんでした。
しかし、この性格テストでは、虚構性尺度(つまり本人がウソをついているかどうか)はありませんから、本人の自覚している性格(つまり本人の血液型の性格)と、性格テストの結果が一致しなければおかしいのです。
NEO−PI−Rという性格検査は、言語を超えた普遍性があるとされているので、これで従来の結果(あまり有意差が出ない)を英語版を含めて矛盾なく説明できることになります。
【参考】 この性格テストでも、個別の質問(あるいは30あるファセット)ではかなり有意差が出ているものと予想されます。それを、5つの性格特性にまとめたとたんに有意差が出なくなるのだから 、従来のデータを矛盾なく説明するためには、NEO−PI−R自体が血液型による差をうまく検出できないと考えるしかありません。まさに、能見正比古さんが言っていたとおり 、性格テストでは血液型による差を正しく測定できないのです! また、もともとNEO−PI−Rで定義する性格特性は、一般の人が使うものとは違う(因子分析で直交変換や斜交変換をしたものなので当然!)のだから、これまた従来のデータとは矛盾しません。 たぶん、まともな心理学者が主張すれば、血液型関係者では大騒ぎになることは違いないでしょう(少々大げさですが・笑)。 残念ながら、私ではまだまだ力不足です。(^^;; |
→詳しくは台湾での血液型研究へどうぞ!
以上のことを整理すると、性格テストで血液型による差を正しく測定できない理由は、大きく次の3つによるものだと思われます。
1.血液型による差が大きく出る質問項目がカットされてしまっている。
2.性格テストで定義する性格特性は、一般の人が使うものとは違っている。
3.現在の性格心理学は線型のモデルしか扱えないため、血液型による非線形の影響がうまく検出できない。
ところが、ところが…です。実は、心理学者のデータで、バッチリ差が出ているものがあったのです。今度はそれを紹介しておきましょう。
1つは、渡邊席子(わたなべよりこ)さんの論文です。随分差が出ているデータだと思っていたのですが、ふと気がついてχ2検定をしてみることにしました。結果は…
再計算による検定結果(Table 1 個々の知識問題正答率と調査対象者の血液型との関連)から抜粋
性格特性
本人の血液型
以外での正答率本人の血液型
での正答率χ2 検定結果 A型特性 内向的で、問題を自分の中だけで解決する
.250 .658 16.50 p<0.001 思慮深く、物事に対して慎重な態度をとる
.563 .842 8.39 p<0.005 責任感がある
.344 .605 6.61 p<0.05 本音よりも建前を重視する方である
.422
.658 5.31 p<0.05 B型特性 すぐに動揺してしまうことがある
.130 .440 11.10 p<0.001 人情もろい
.182 .360 3.43 p<0.10 マイペース型で、周囲の影響は受けにくい
.325 .640 7.81 p<0.01 楽観的である .312 .520 3.54 p<0.10 慎重さに欠けている
.390
.720 8.27 p<0.005 AB型特性 妙にメルヘンチックな面がある .133 .333 3.20 p<0.10 合理的にものを考える傾向がある .200 .583 8.41 p<0.005 クールでドライな印象が強い .478 .750 3.14 p<0.10 飽きっぽい .089 .250 2.85 p<0.10 O型特性 (有意差なし)
赤太字は危険率5%以下
当然のことですが、これらの性格特性は、性格テストから抜き出したものではなく、能見さんの本などを参考にして作ったものです! 性格テストを使わないと、こんなに見事に差が出るものなのですね。(笑)
もう一つは、大村さんのデータで、(あまりポピュラーではない?)クロニンジャーのパーソナリティ理論(TPQの3因子モデル)を使ったものです。これらの内容は、平成16年10月7日の『スパスパ人間学!』と、平成16年12月28日 の『ABOAB血液型性格診断のウソ・ホント!本当の自分&相性探し来年こそは開運SP! 』で放映されました。ここでは、わかりやすい後者のデータを引用しておきます。
各血液型の血液型傾向の平均値
回答\血液型
A O B AB 損害回避傾向(慎重さ) 48.7 27.7 30.7 54.0 新規性追求傾向(好奇心) 32.4 41.8 31.7 59.0 報酬依存傾向(人付き合い) 37.2 34.1 54 67.5 《番組ホームページのデータ》
慎重なA型、好奇心旺盛なB型、人間関係に気を遣うO型と、それぞれ血液型別の傾向がよく現れているといっていいでしょう。
こうなると、やっぱり、ポピュラーな心理学の性格テストでは差が出にくいと考えるしかありません。
これで、血液型と性格の謎がまた一つ解けたことになる…はずです。
インターネットをやっている人なら、一度ぐらい名前を聞いたことがある巨大匿名掲示板って、何だかわかりますよね(笑)。
この掲示板は、読んでいるだけならなかなか面白いです。
#野次馬なら面白いのですが、議論に参加するのならそれなりの覚悟が必要ですので念のため。(^^;;
#私はこの掲示板の議論に参加するつもりはありません。:-p
心理学や生物学の掲示板には、血液型のスレッドもあったりして、情報収集に役立っています。
生物学の掲示板は、「関係があっても不思議じゃないんじゃない」といったような割と肯定論者に寛大な人が多かったのに対して、心理学の掲示板では「絶対あるはずがない」「まとも な心理学の研究をしてないなら発言するな」といった趣旨の発言が多く、否定論者のホームグラウンドのような雰囲気でした。
本職の心理学者もずいぶん参加しているという噂ですが、匿名なので本当はどうなのかわかりません。
でも、自称ABOFANが複数いるらしいので爆笑してしまいました。確かに匿名だから誰が誰だかわかりません(笑)。
#個人的には、掲示板に情報を流すだけではなくて、ホームページも開設してくれるとありがたいんですが。
この掲示板に限らず、(私が確認した限り)他の掲示板でもほぼ同じ傾向のようです。
おっと、ついつい話が脱線してしまいました。本題に戻りましょう。f(^^;;
ここ何年か、この巨大匿名掲示板を代表例として、日本のインターネット上で血液型の肯定論者と否定論者[主に心理学者]の活発な論戦(?)が行われました。経緯はあえて省略しますが、結果として多くの否定論者のホームページが縮小・閉鎖されてしまいました。残 っているホームページも更新は遅れ気味のようです。逆に、肯定論者のホームページは続々オープンして内容が充実しつつあります。皆さん自身で検索して確認してみてください !
また、多くの心理学者は血液型のことを取り上げなくなりつつあります(なぜ?)。実例は…いや、個人攻撃をするつもりはありませんので、ここでは差し控えることにします。(^^;; 皆さん自身で確認してみてくださいね。
しかし、これはとても奇妙なことです。私が直接確認した心理学者(複数)のほとんどは、血液型と性格に関係がある可能性があるなら、心理学者が研究しないなんてことはありえない、と言っていたからです。例証として、菊池聡さん(信州大学)の文章から引用しておきます(不可思議現象心理学8 血液型信仰のナゾ−前編 月刊『百科』 平凡社 平成10年2月号 30〜31ページ)。
大学の先生というのはアタマが固いから、流行りの血液型なんてバカらしくてよく調べもせずに否定しているんじゃないの?と思ったら大きな間違いである…血液型と性格の関連を本格的に研究した第一人者として知られる日大の大村政男教授[注:当時]も、最初は「血液型によって人間の気質が把握できれば、心理学にとってこんな素晴らしいことはない」と考えていたそうである。…だいたい心理学者なんてのは好奇心のおもむくままに生きている人種だから、こんな面白そうな題材を座視するはずもない。
私も、全くそのとおりだと信じていました。
実は、ごく少数ですが、菊池さんとは正反対の意見も存在します。
否定論者の心理学者である渡辺芳之さんは、『現代のエスプリ〜血液型と性格』(H6)で次のように書いています(188ページ 『性格心理学は血液型性格関連説を否定できるか〜性格心理学から見た血液型と性格の関係への疑義』)。
論文を一読すればわかるように、彼ら[注:心理学者]の多くは「血液型性格関連説は間違っている」というアプリオリな立場を持っており、それを実証するために研究を行なっていることもまた確かである。
いろいろな情報から推測すると、「ABOFAN」は肯定論者だけではなく、否定論者(心理学者?)もかなり見にきているようです(どの程度読んでいるかは知りませんが…)。私が確認した限り、 常識のウソその1とその2の内容はきちんとした根拠によって反対する人はいない(頭ごなしに否定する人はいますけどね…苦笑)ので、現時点では正しいと判断していいでしょう。つまり、血液型と性格に関係がある可能性(というよりは事実でしょう)は大いにあることになります。
しかし、寡聞にして心理学者が血液型と性格の研究を始めたという話は聞きません。[H22.2.13追記 研究を始めた心理学者もいるようです]
なぜ? 単に知られていないだけ?
そうではないとすると、[少なくとも現時点では]菊池さんよりは渡辺さんの意見の方が正しいと言わざるを得ません。仮に事実なら、非常に残念です。(*_*)
#心理学の健全な発展にとってもマイナスではないのでしょうか? -- H14.1.3
常識のウソその3に書いたように、どうも日本の心理学会では血液型と性格を肯定的に研究することはタブー(?)である可能性が大きいようです。:-p
本当は、ここまで強い調子で書きたくはないのですが、こんな感じでしつこいと思われるぐらいに書かないと、いつまでたっても事実が確認できませんので悪しからずご了承ください。>ALL
では、タブー(?)である理由は何なのでしょうか? あまり、気が進まないのですが、あえてこの点もきちんと書いておくことにします。
誰かがきちんと書かないと、本当に事実関係の確認さえもできませんから…。
#一部は私の推測であることを予めお断りしておきます。
では、スタート!
それは、今から70年前の昭和初期に遡ります。
血液型と性格に関係があるという説は、昭和初期の教育学者であり心理学者である古川竹二さんによって提唱された説です。一時は軍部にまで研究される有力な説だったのですが、結局学会で の支持を得られず消え去っていきます。この経過については、松田薫さんの『改訂第二版「血液型と性格」の社会史』 や「佐藤達哉・溝口元さん(編)の『通史 日本の心理学』に非常に詳しく書いてありますので、興味がある方は読んでみるといいでしょう。
それでは、なぜ古川説は敗北したのでしょうか? 竹内久美子(A型)さんは、その著書の『小さな悪魔の背中の窪み』の中で、学会での派閥争いが原因ではないか?と書いています。詳しい経緯はこれらの本を読んでもらうことにして、とにかく当時の血液型の権威であった東大医学部教授 (法医学)の故・古畑種基さんが反対したことが一番大きな原因であることは確かなようです。この古畑さんは、AB型の遺伝で世界的にも画期的な研究成果を上げています。
しかし、亡くなった方を批判するのは大変心苦しいのですが、この人は毀誉褒貶の激しい人のようです。井沢元彦さん(B型)の『逆説の日本史1』の43ページにはこんな記述もあります。
一つは、法医学の権威で、東大名誉教授をはじめとする数々の肩書きを持つ古畑種基博士(故人)のことである。
私もこの人の本で法医学を勉強したのだが、最近になって、この古畑博士がかつて行った、弘前事件、松山事件、財田川事件などについて、この血痕鑑定が、すべて間違っていた、ということが明らかになったのである。
これは事実だ。いずれも公式に再審鑑定が行われ、古畑鑑定はすべてをくつがえされている。ところが、これらのケースは素人の私が見ても、「どうしてこんな明白なミスが今までわからなかったのだろう」という気がするのである。
この件についても、事情通は言う。
「これも博士が生きているうちは言いにくかったのでしょう。医学界では先輩や恩師の説を批判することはできませんからね」
#血痕鑑定が間違った話は、松田薫さんの『改訂第二版「血液型と性格」の社会史』にも書かれています。
#ウラを取ってないので本当かどうか私には判断できませんが…。
ここで重要なことは、血液型と性格に関係があるという説は、元来は心理学者から提唱されたものであるという点です。「先輩や恩師の説を批判することはできません」というのは、戦前の心理学会でも同じ (?)だったのか、身内である心理学会の批判も少しはあったらしいのですが、決定的な影響を与えたのは当時東京帝国大医学部教授だった故・古畑種基さんのようですね。強調しておきますが 、古川説に決定的な影響を与えたのは心理学ではなく法医学からの批判だったようなのです!
似たような話は、渡辺芳之さんからのメールにも書かれています。
血液型についても心理学業界では一応「昭和15年頃に決着済み」というのが公式見解なのですが,その時はきちんと心理学的な議論で決着を付けずに,血液学者や生理学者の応援や,東京帝国大学の権威などを利用してうやむやにしてしまった経緯があります.
どうも、別世界の話のようで信じたくはないのですが、これを裏付ける別の証拠(?)もあります。それは、大村政男さんの 「血液型気質相関説の批判的研究」という題名の論文です。この論文が発表されたのは平成元年(1989年)ですから、大村さんの初期のものではありません。すでに、批判的研究を発表し続けていたころの題名ですから、最初はとても不思議でした。既に血液型をどんどん批判しているのだから、わざわざ「批判」と断ることはないのにヘンだなぁと感じたことを鮮明に覚えています。
しかし、以上のことが正しいと仮定すると簡単に説明できます。
代表的な肯定論者である能見正比古・俊賢さんは、大村さんの「先輩や恩師」ではありませんから批判するのに遠慮は不要なはずです。しかし、古川竹二さんは「恩師」ではないにしても「先輩」ですから、故人でも批判するのには心理的な抵抗があるいうことなのでしょう、たぶん。それなら、論文中に能見正比古・俊賢さんの説は「科学のペルソナをかぶった占い擬(もど)き」でも、古川竹二さんの説は「偉大な錯覚」と書いてあるのも納得です。
興味深いことに、最近の法医学関係の文献では、血液型と性格の論文はほとんど発見できません(少なくとも私には発見できませんでした)。心理学であれほど批判されていた時期にもかかわらず、です。
#故・古畑種基さんのことも関係しているのかもしれませんが、確認できないのでなんとも言えません。
この論理が正しいとすると、逆に次のようなことも言えるはずです。
大村さんは日本性格心理学会の前会長だったので、性格心理学の大御所です。今でも「先輩や恩師の説を批判することはできません」ということなら、日本の心理学者が彼を批判できるはずがありません。なにしろ、故人を批判するのにも遠慮しないといけないぐらいなのですから…。従って、血液型と性格に関係があるという研究は、理由が何であれできない(?)ということになります。
ということなら、常識のウソその3は簡単に説明できることになります。
いや、そうは思いたくはありません! う〜む、本当はどうなのでしょうか? 気になるところです…。 -- H14.1.13
【参考】■統計学と認知的不協和ところで、統計的に血液型と性格は関係ある、と感じた場合は一部の心理学者はどういう行動を取るでしょうか? そりゃぁ、心理学者だったら統計的に正しい結論は認めるはず、と思う人も多いはず。もちろん、 その心理学者が統計を絶対的だと認めるならそうでしょう。しかし、残念ながらそれはかならずしも正しくないようです…。 山内光哉さんの『心理・教育のための統計法<第2版>』(サイエンス社 H10.11)の1ページには、
従って、心理学の「常識」と統計が一致しないときには、当然のことながら前者を優先することになります。いや、こういう人なら統計学は「邪道」なのですから、頭から無視
(?)することになります。
そして、2&3はストレスがたまるので、1&4(&5?)が認知的不協和から脱出するのに一番よい方法になるのだそうです。なるほど…。私も、もう少し心理学を勉強する必要があったようです。う〜む。 #もちろん、このような例は一部の心理学者であって全員に当てはまるわけではありません、念のため(笑)。 ■認知的不協和と論語妙なタイトルに笑い出す人もいるかもしれませんね。まあ、そう言わずに読んでみてください。(^^;; 上の認知的不協和で反射的に思い出したのは論語の一説です。いや、正しくは山本七平さんの本ですが…(山本七平ライブラリー1 『空気の研究』 空気の思想史――自著を語る 文芸春秋 H9.4 350ページ)。
日本の伝統的規範では、この孔子の正直どおりに行動することが期待されています。つまり、某学会の長老は父であり、会員は子であるわけですから、血液型と性格が統計的に関係あるとしても、「長老は会員の為に隠し、会員は長老の為に隠す」のは当然で、誰も不思議には思いません。統計データが正しいと決して言っていけないのは当然(?)のことです! 正直でいい人ほどそうであることに注意してくださいね。 念のため、誤解のないように補足しておきます。私は上のような態度を非難しているつもりは全くありません! 私自身も、私が属する組織に対しては全く同じ行動をしているわけですから…。(^^;; ただ、部外者が事実を事実として指摘することは許されるでしょう、たぶん。 結局、「会員の直き者は能見正比古と異なり、血液型により性格に差があるとしても、会員は長老の為に隠し、長老は会員の為に隠す、直きことその中にあり」であって、これが正しいことになります。従って、私のような肯定論者が統計データを示しても「関係があるはずがありません」「記憶にございません」という答えが返ってくるのは当然 (?)で、別に驚くべきことではないのです。もし、これに反する行動を取れば、不正直者ということなりますから、某学会内では好ましくないことになります。最悪の場合、学会から追放されるかもしれません(というのは考えすぎでしょうが…)。しかし、これだけわかるのに2年以上もかかるとは、山本七平さんの読者としては迂闊というべきですね…。f(^^;; 実は、某学会の会員がこう思っている証拠(?)もあります。それは、simaさんからのメール(その17)で「能見説は最強ですね。ほとんど神のお言葉ですね。」という発言です。どうにも理解できなかったのですが、これで理由がはっきりしました。「血液型により性格に差があるとしても、simaさんは 長老の為に隠し、長老はsimaさんの為に隠す、直きことその中にあり」であることが前提ですから、それを能見正比古さんと私の関係の関係に当てはめればこういう発言になることは当然です。能見正比古さんに間違いがあっても、「私は能見正比古さんの為に隠す、直きことその中にあり」という前提でなければ、こういう発言が出てくるはずがありません。 #しかし、私はデータが絶対ですから、そういうことはないのです。(^^;; なお、ある人から、某学会はボス支配で、若手の会員は就職の時や論文審査のときにボスの言うことを聞いておかないと出世できないから、血液型と性格の関係を否定しないといけないのだという説を聞いたことがあります。しかし、この説では専攻の学生の反応が説明できません。というのは、学生は必ずしも 某学会に関係 する就職先に行くわけではありませんから、この手は使えないからです。となると、やはり父と子の関係で、「長老は会員の為に隠し、会員は長老の為に隠す、直きことその中にあり」という私の説の方が正しいような気がするのですが…。はて? |
能見さんのデータは「サンプリングがなっていない」というのがほとんどの否定論者のコメントです。しかし本当にそうなのでしょうか?
肯定・否定のデータをいろいろと分析しているうちに、だんだん事実が分かってきました。では、行ってみましょう!
まず、否定論者(正確には懐疑論者)の長谷川さんからです。『現代のエスプリ〜血液型と性格』の中で、長谷川さんはこういう主張をしています。(125ページ 『目分量統計の心理と血液型人間「学」』 長谷川芳典)。
標本の無作為抽出
統計的検定の基本は、研究の対象となる集団(母集団)全体から何の作為もなく標本を抜き出し、その標本からもどの集団の特徴を推測することにある。標本の選び方に何らかの偏りがある場合は、いくらたくさんのデータを集めても公正な推測をすることはできない。血液型人間「学」の愛読者アンケートのような形で何万人ものデータを集めていかなる「偏り」を発見したとしても、そこから日本人あるいは人間一般の「血液型と性格」を云々できないことは明白である。
これは、統計学的には「常識的」な主張といってもいいでしょう。確かに、能見さんのサンプリングにはそう言われてもしょうがない部分があります。完全なランダムサンプリングじゃなくて、読者アンケートが主ですからね。(^^;;
次は、否定論者の代表として大村さんに登場していただきます。(『血液型と性格』 222〜223ページ)
このようなアンケートをする場合は、 サンプルの中の血液型の分布が日本人における血液型分布と適合していなければならない。(中略)
サンプルの中の血液型分布が問題なのである。ある型が極端に多く、ある型が極度に少なかったらどうだろう。「科学」を標傍(ひょうぼう)しながらそのような基本的なレベルが守られていなければなんにもならない。
このような誤謬は能見正比古も犯している。彼は次のような科学的事実といわれるものを明らかにしているが本当にそうだろうか。食事の仕方 能見は「人と一緒にする食事について、おいしく感じる最高は」という質問に対して、(イ)多数の仲間とにぎやかに、(ロ)親しい友人2、3人と、(ハ)家族そろってが最高、(ニ)1人よりはましという程度、(ホ)1人で食べてもうまいものはうまい、という5個の選択アイテムを置いて調査している。 これらのアイテムもよくないが、どうにもらならないのはサンプリングである。彼は、O型者1,414人、A型者1,642人、B型者1,283人、AB型者947人、合計5,286人というサンプルをとっているが、血液型者のサンプリングがどうしようもない歪みを持っているのである。データは多量でもこのようなものはなんの役にも立たない代物といえる。
表60 「食事の仕方と血液型」研究に用いられたサンプル(男女)の歪み
性別 血液型 能見のサンプリング 期待値
(サンプルとして採るべき人数)χ20 男性 2,403人
O型者 636人(26.4)% 737.7人(30.7)% 239.9 A型者 739人(30.8)% 915.5人(38.1)% B型者 600人(25.0)% 523.9人(21.8)% AB型者 428人(17.8)% 225.9人( 9.4)% 女性 2,883人
O型者 778人(27.0)% 885.1人(30.7)% 279.4 A型者 903人(31.3)% 1098.4人(38.1)% B型者 683人(23.7)% 628.5人(21.8)% AB型者 519人(18.0)% 271.0人( 9.4)%
χ20の値を見ると分かりますが、非常に高い値を示しています。どう考えても、これは偶然ではありませんね、これは困った…。とにかく、サンプルが「歪んでいる」ことは確かですね。長谷川さんともほぼ同じ主張であることも分かります。
ところで、心理学者にデータは本当にランダムサンプリングしてあるのでしょうか?
下のリストは、私のチェックしたもの一部です。学部の記載がないものも多いので確定的なことは言えませんが、人数や性別、論文の記述から受ける印象では、ほとんどが心理学専攻、あるいは文系の学生だと思われます。この中で、完全なランダムサンプリングは、松井さんの論文と坂元さんの論文ぐらいです。
私の印象を裏付けるように、松井豊さんの発言を『血液型と性格』(現代のエスプリ No.324 分析手法から見た「血液型性格学」 119〜120ページ)から引用しておきます。
心理学者の反省
しかし、方法論上の問題を抱えているのは、「血液型性格学」支持者だけではない。「血液型性格学」を否定する立場の多くの心理学者にも、先の批判を甘受しなければならないものが多い。詫摩・松井だけでなく、多くの研究は、学生を対象にしたアンケート調査に基づいて、「血液型性格学」を支持しないデータを提出している。それらの多くは、厳密な心理検査を利用しており、先の批判の第1(項目の不備)を改善している。しかし、これらの研究においても、回答者は講義や授業を受けている1つか2つの学校の生徒や学生に偏っており、ランダムサンプリングによるものはみられない。血液型は自己報告によっており、第二の批判(血液型の測定)にも対処されていない。
残念ながら、血液型ステレオタイプに戦いを挑んでいる良心的な研究者たちも、方法論という面からみると、「血液型性格学」支持者と同様に批判を受けざるを得ないのである。
次は、血液型に興味がある人の割合のデータです。下の表の赤枠の中が心理学専攻の学生です。平均を計算すると「興味ある」が53%になるので、@の中学生グループを除けば、他のいずれの被験者グループよりも低いことがわかります(佐藤達哉 1995 血液型性格判断、星占いを信じやすい性格があるか 児童心理, 649, 112-121.)。
調査費用の関係でしょうが、心理学者のデータは自分の講義に出席した学生というケースが多いようです。しかし、それなら能見さんの愛読者のデータはダメ(?)というのには少々驚かされます。なぜなら、心理学者のデータをチェックしてみると、血液型と性格の関係を肯定する率がかなり低く(10パーセント程度以上)、明らかにバイアスがかかっていると推測できるからです。
本気でそう主張するなら、明らかにダブルスタンダードということになりますが…。はて?
実は、これだけのサンプルの偏りがあっても、アンケート結果にはあまり影響しません。なぜなら、アンケートの回答は、本人が血液型別の特徴を知っていようがいまいがあまり変わらないからです。 -- H14.1.13
→詳しくはこちら
その2にも書きましたが、否定論者の[従来の]代表的な主張は、血液型と性格に関係があるという統計的なデータはない!というものです。しかし、この主張は(なぜか?)最近は変わってきているようです。
例えば、アエラムック「心理学がわかる。」シリーズの主張は、どんどん変わってきています。
アエラムック「心理学がわかる」シリーズは、1994(平成6)年版、2000(平成12)年版、2003年版の3種類が現在入手可能です。
血液型に否定的な記述は、1994年版では3ページもあったのですが、2000年版ではたったの300字に縮小され、そして今回の2003年版では血液型の記述が全く消滅してしまいました! おかしい、と思って何回も読み直したのですが、やはり全く見つけることができませんでした。
→ → 1994年版
血液型の記述は3ページ
(67〜69ページ)2000年版
血液型の記述は300字
(139ページ)2003年版
血液型の記述はなし
1994年版は3ページ分の記述があり、その67ページには、
現在のところ、心理学者のほとんどは血液型と性格の関係を否定的にみています。これは、心理学的にみて血液型と性格との関係を証明するような[性格検査などの統計的な]データが全くといっていいほど得られていないからです。
2000年版では、1994年版で3ページもあった血液型の記述が300字と激減してしまいました。しかし、基本的な主張は同じです。
しかし、これらの性格特徴と血液型には今のところ、生理学的にも心理学的にも[性格検査などの統計的な]関連が見いだされていない。
ところが、2003年版には血液型の記述が消滅してしまいました! なぜでしょうか?
そこで、1994年版と2000年版の執筆者の主張はどう変わったか、別の本で調べてみることにしましょう。
この本は、アエラムックの「心理学がわかる」シリーズの1994&2000年版と同じ心理学者が執筆しています。
211ページにはこんな記述があります。
そんなことだから、血液型性格判断のデータが統計的に有意★50だったりするとアタフタするんだよ。
★50 一部の心理学者が統計的手法で血液型性格判断を否定しようとしたため、血液型性格判断賛成陣営も統計を勉強し始め、最近では実際に有意差の出る(つまり血液型と性格に関連があるという)データを提出しはじめている。また、彼らは心理学の統計の用法の問題点(サンプリングの問題点等)も理解するようになり、(血液型性格判断を批判している)心理学という学問のあり方に対してかなりまっとうな批判も出るようになってきた。これらのことに対し、最初のうちは積極的に批判の論陣を張っていた心理学者たちの多くは沈黙している。
つまり、(少なくとも一部のデータでは)心理学的にみて血液型と性格との関係を証明するようなデータが得られている!ということになります。ということは、従来の心理学者の主張は覆された(?)ことになるはずです。
それを裏付けるように、アエラムックと同じ執筆者は、『最新・心理学序説』(H14.4 金子書房)のトピック19「血液型と性格」(126ページ)では、次のように書いています。
ABO式の血液型と性格に関連があるという説は、日本社会で広く知られているが、心理学や隣接諸科学では全般的に否定されている[注:心理学はともかく、隣接諸科学では全般的に否定されているとは思えませんが…]。
では、否定の主な理由は何でしょうか?
1つは「血液型は基本的に生涯不変のものであるから、もしも関連があるならば、性格も不変のものでなければならない」が、性格は必ずしも不変ではないからということです。しかし、血液型と性格の関係はダイナミックなものであり、この記述は否定の理由としては不適当です。
もう1つは、血液型が当たったという経験的事実の蓄積があったとしても、「はずれてしまったときというのは忘れやすい」から、必ずしも当たっているとはいえない、というものです。この記述が妥当なものかどうかは、具体的なデータが示されていないのでなんともいえません。
ここで注目すべきなのは、「これらの性格特徴と血液型には今のところ、生理学的にも心理学的にも[性格検査などの統計的な]関連が見いだされていない。」とは一言も書いていないことです! つまり、こういうことです。
血液型と性格に関係があるという統計的なデータがある!
ちなみに、心理学の入門書「心理学が見る見るわかる」(H15.1 サンマーク出版)では、「はずれてしまったときというのは忘れやすい」のではなく、自分はA型だから几帳面と思いこみ、自分のあらゆる行動から几帳面な側面ばかりに注目するという「自己成就現象」が生ずると書いてあります。つまり、大部分の人(=肯定論者)には自己成就現象が起こっているはず(本当に自己成就現象なのかは疑問ですが…)のだから、血液型は本当に当たる!ということになります。
結局、心理学の主張は「血液型と性格には関係がない」という点では一貫しているものの、統計的なデータの見方については、昔とは正反対になってしまったようです。実に不思議ですね。(?_?) -- H15.8.27
血液型と性格が関係あるという古川学説は、昭和8年(1933年)3月の岡山で開催された法医学会の大会で明確に否定された、というのが定説です。しかし、心理学では(驚くべきことに!)1960年代までは必ずしも全面的には否定はされていなかったようです。つまり、能見さんの「血液型人間学」ブームは、元々そういう下地があったためと考えた方がよいということになります。
松田薫さんの「改訂第二版『血液型と性格』の社会史」(河出書房新社 H6.7)によると、YG性格検査で有名な矢田部達郎さんは、血液型と性格の関係に必ずしも否定的ではなかったようです(304ページ)。また、同じく松田さんによると「1950〜60年代の学生に読まれた心理学や精神医学のテキストに古川学説が紹介されている」(同書305ページ)とのことです。賛成派の千葉胤成(たねなり)さん、田中秀雄さん、浅田一さんも最後まで自説は曲げなかったようです。
最近はやや変わってきたとはいえ、心理学者は血液型と性格の関係には否定的なもの思い込んでいたのですが、必ずしもそうではなかったようですね。
そこで、有名なYG性格検査を考案した矢田部達郎さんの著書「心理学序説」(創元社 S25)を読んでみることにしました。
古川氏の如きは血液型と気質型との間に高度の対応があると主張したが、今日ではこの考えに賛成する人は少ない。但し、気質は経験によって変形されることが多く、かかる変形を度外視することができれば、或はそれらと気質の間に極めて大雑把な対応を認めることができるかも知れない。(30ページ 文章は現代文に変更)
血液型と気質の関係については古川竹二氏の研究以来多くの研究が発表されたが、大体の印象は無関係というところに落ち着いたように見える。但し近頃著者の娘等が京都鴨き(「シ」+「斤」)高校女生徒千名について検査したところ、自己判断も他人判断もともに無相関であることを示したが、自己判断に於て就学前、小学校前期、小学校後期、女学校前期、女学校後期と異なる生活時期につき5判断をなさしめ、5期を通じて最も多く判定した気質を有意気質と名づけて整理したところ、僅かではあるが正の相関(φ=0.178)が認められた。人員が千人に上るのでこの相関は全く無相関ではないと思われる。気質評価などの改良によって未来に於ては或はもっとはっきりした資料が得られないとは限らない。(268〜269ページ 下線は私 文章は現代文に変更)
私はこれを読んで大笑いしてしまいました(失礼!)。心理学者以外の人が言うのならともかく、心理学者自身がこう言っているのです!
同様に、賛成派の心理学者の意見としては、観察者や被験者にはそれなりの能力が必要だから、未経験の人がやって当たらなくとも不思議ではないというものがあります。血液型は客観的に結果が出るが、性格や気質を測定する方法は、まだまだ未熟なので、きちんとした結果が出ないのではないかというものです。要するに、心理学の方法論が悪いのが問題だということです。(^^;;
これで議論はゼロに戻ったことになります。なにしろ、日本で一番ポピュラーな性格テストを考案した心理学者自身が言っていることなのですから…。血液型と性格(気質)の関係は、心理学の方法論に問題があるので、あるともないとも断定できません。明確な関係はまだ発見されていませんが、将来に関係が見つかる可能性もあるので全く否定するのは早いですよ、ということです。
つまり、心理学者自身の見解では、血液型は肯定されていると言えなくとも、明確に否定されたとは言えないことになります! -- H16.3.14
【H16.3.16追記】
その後、昭和43年に発行された佐藤幸治さんの『人格心理学』(東京創元新社)でも、血液型と性格についての記述があることを発見しました。この本は、初版が昭和26年に出版され、第6版が昭和43年に発行されています。 関係部分を引用しておきます(281〜282ページ 文章は現代文に変更)。
もっとも、能見さんの『血液型でわかる相性』が発表された昭和46年以後に、多くの心理学者が血液型の研究を始めたという事実はないようです。ちょっと不思議な感じがしますね。 |
最近の否定論者の代表例として、平成17年7月29日付けの岡山大学の長谷川さんのサイトにある血液型性格判断資料集では、岡山大学文学部紀要 として、批判的思考のための「血液型性格判断」がPDF形式で掲載されています。
ここで興味深いのは、血液型と性格を否定する根拠が事実上消滅してしまったことです(例えば、3ページ2行目の、「相関が無い」ということの積極的な証明にはならない)。ウソのような本当の話です。
また、大村さんのFBI効果の説明自体は残っているものの、ラベリング効果(ラベルのスリ替えの話)はなぜかふれられていません。以前の心理学の「常識」では、大村さんと言えば必ずラベリング効果、と相場が決まっていましたから、全く不思議と言うしかありません。
実は、これらについては、以前から肯定論者からたびたび反論が提出されていたのです。一昔前の否定論者は、ほとんどと言っていいほど大村さんのラベリング効果を否定論の有力な根拠としていました。それほど有名だったのです。しかし、肯定論者がFBI効果の反論を公開してからは、とんとラベリング効果の話を聞かなくなってしまいました。
日本の心理学者は、論争を好まない平和的な人が多いのでしょう…たぶん。
あるいは、少々うがった見方をするならば、否定論者は反論できないから黙ってしまったのかもしれません(本当かな?)。
更に不思議なことに、長谷川さんの論文には、例のTBSの番組についての解説があります。
平成16年12月28日 TBS 19:00〜20:54 ABOAB血液型性格診断のウソ・ホント!本当の自分&相性探し来年こそは開運SP!
この番組は、大村さんが「転向」した象徴的なケースで、血液型による差が心理テストで見事に現れていました。
しかも、長谷川さんの論文中の番組解説にも、
ホントに血液型と性格に関係はないの!?
という疑問に答えて、番組ではある心理テストを実施。ゲスト出演者を含め746人が参加したこのテスト。集計の結果、血液型別に傾向が出たんです。
と大村さんの実験について説明があるのです。
しかし、長谷川さんはこの番組を批判していながら、大村さんの転向には全く触れていないのです。やはり身内だからなのでしょうか?
長谷川さんに限らず、以前からこういうパターンは変わらないようで、戦前の古川竹二氏や、最近の前川輝光さんのケースでも、心理学からの批判はほとんどありませんでした。
#厳密には、古川竹二氏は死後何十年かして批判されましたが、存命中にはほとんど批判はありませんでした。
前川さんのケースで言うと、参考文献としてリストにあるにもかかわらず、本文中に全く記述がないという不思議な研究論文(これは大村さんのケース)もありました。
以上のことから確実に言えるのは、心理学 者は肯定論者の主張を知らない(初めから読む気がない)から批判していない、ということはあり得ないということです。少なくとも、肯定論者の主張はそれなりにチェックしていることは間違いありません。
しかし、不思議なことに、ほとんどの場合、直接的な批判や反論はせずに無視しているようです。
#例外的に、批判がある場合もありますが、それでも肯定論者が示す根拠に対する直接的な批判はほとんどありません。
日本の心理学者は、「和」を尊んで論争を好まない平和的な人が多いのでしょう…たぶん。
#あるいは、否定論者に反論できないから黙っているのかもしれません。
「和」を尊ぶのは日本人としては大事なことです。が、学問的に好ましい状態と言えるのでしょうか? -- H17.8.9
その8で取り上げた、批判的思考のための「血液型性格判断」で、もう一つ気になったのが、マスメディア(特にテレビ番組)に関する記述がかなり多いことです。研究者なら、マスメディアに取り上げられるかどうかより、否定する根拠をきちんと明確にする、あるいは専門分野で業績を上げるのが 本来の姿だと思います。もっとも、独立行政法人になって、広報や社会的貢献の重要性が上がったのが理由かもしれませんが、それにしても少々行き過ぎ(?)だと思います。
大学の研究紀要は公式文書であるはずですが、学術論文より第三者のチェックが入りにくい(失礼!)ので、こんな形になってしまったのでしょうか?
もっとも、それが悪いと言うことではありません。これは(血液型と性格に関する限り?)、研究論文とマスメディアの価値はあまり変わらないということなのでしょう、たぶん。
実は前例があるのです。能見正比古さんの死後に、心理学会から多くの批判が発表されましたが、そのトップを切ったのは私の記憶にある限りNHKです。不思議なことに学会誌の論文ではありませんでした。
simaさんからのメールで、私はこう書いています。
NHKの番組(昭和57年)は山岡さんの心理学研究室(大村さんも同じ研究室だったと記憶しています)によるものですが、simaさんの言うとおり「学会発表で半年から1・2年、論文だと審査が入るので80年代だと1年から3年ぐらいかかっていました」ということで、論文は1984年頃から続々と発表されています(学会発表も論文とほぼ同時期)。つまり、論文審査も学会発表もしていないものをNHKという公共放送で放映しているのですから、心理学会には論文審査も学会発表もしていないものをマスコミ等で先行して発表するというルール(?)があるのでしょうか…。はて?
こう考えると、心理学会は意外とオープンなのかもしれませんね。(^^) -- H17.8.9
仮に血液型と性格に関係があるとすれば、血液型による「差別」は正当化されるのでしょうか?
いや、絶対にそんなことはないはずです!
もし、関係がないのに「差別」されるのが問題ということなら、関係があるなら「差別」は正当化される(!)ということになります。しかし、いくらなんでもそう思っている人はいないでしょう。
ということは、「関係の有無」に関わらず「差別」は問題であるということです。つまり、「関係の有無」と「差別」は全く別物ということになる…はずです。
なぜ一緒に論じる必要があるのでしょうか??
「差別」ばかり強調する人には、何か別の意図(否定の根拠が示せないとか)を疑う必要があるのかもしれません。
詳しくはこちらへ。 -- H17.8.9
「血液型と性格」のデータには、必ずランダムサンプリングが必要なのでしょうか?
そういえば、「血液型と性格」のデータの母集団ってなんでしょう?
現在生存している全人類のことでしょうか? それなら、世界の全ての国の人々にでランダムサンプリングをすればいいことになります。まぁ、現実的にできるかどうかは別ですが、これなら原理的には可能です。
ところで、もう死んでしまった人や、これから生まれてくる人はどうなるのでしょうか?
「血液型と性格」は、現在生きている人だけではなく、もう死んでしまった人や、これから生まれてくる人にも成り立たないとおかしいですよね?
仮に、現在生きている人だけに成り立てば、過去から未来の全ての人類に成り立つと言えるとすると、過去と未来は現在と同じ状態であることになります。しかし、社会経済の環境や、年齢構成、地域による人口分布は、過去でも未来でも現在と同じはずがありません(当然!)。従って、現在のランダムサンプリングによって得られた結果が、過去も未来も成り立つとは必ずしも言えないでしょう。
では、「血液型と性格」のデータの母集団ってどう考えればいいのでしょうか?
過去のことを考えてみましょう。現在までに存在したホモ・サピエンスの数は、現在生存している1人当たり約30人と言われています。これは有限ですから、現実的にできるかどうかは別として、タイムマシンでも使えば一応はランダムサンプリングは可能です(笑)。
しかし、未来はどうでしょうか?
ホモ・サピエンスの種としての寿命は有限でしょうが、○○万年と決めることは(少なくとも現在は)できません。ですから、サンプル数は自然数的な無限大と仮定するしかありません。
あれ?
考えるまでもなく、母集団が無限である場合はランダムサンプリングは原理的に不可能です。無限のデータを有限のサンプルで代表させることはできませんからね。
あれれ??
結局、「血液型と性格」のデータのランダムサンプリングは、原理的にも現実的にも不可能ということになります。
あまりに簡単すぎる結論で、「な〜んだ」とがっかりされても困るのですが(笑)。
となると、なぜランダムサンプリングにこだわる人がこれだけ多かったのか、とっても不思議に思えてきませんか?
だって、元々ランダムサンプリングなんて不可能だったのですから…。
詳しくはこちらへ。 -- H17.8.9
ウソの5と11で取り上げたランダムサンプリングについて、もう少し詳しく調べてみましょう。例えば長谷川さんです。
まず、否定論者(正確には懐疑論者)の長谷川さんからです。『現代のエスプリ〜血液型と性格』の中で、長谷川さんはこういう主張をしています。(125ページ 『目分量統計の心理と血液型人間「学」』 長谷川芳典 H6)。
標本の無作為抽出
統計的検定の基本は、研究の対象となる集団(母集団)全体から何の作為もなく標本を抜き出し、その標本からもどの集団の特徴を推測することにある。標本の選び方に何らかの偏りがある場合は、いくらたくさんのデータを集めても公正な推測をすることはできない。血液型人間「学」の愛読者アンケートのような形で何万人ものデータを集めていかなる「偏り」を発見したとしても、そこから日本人あるいは人間一般の「血液型と性格」を云々できないことは明白である。
これは、統計学的には「常識的」な主張といってもいいでしょう。
念のために、長谷川さんの最新の文献を読んでみることにします。ここでは、平成17年7月に公開された、『岡山大学文学部紀要』No.43から引用です。なお、原文はこちらです。
◆批判的思考のための「血液型性格判断」(PDF形式)
2ページにはこうあります(太字は私)。
長谷川は、(1985、1988)は、「心理学」の受講生や公開講座の受講生を対象にいくつかの性格テストを行い、「血液型」が異なっても性格類型や行動傾向に顕著な差が見られないことを報告した。
いくらなんでも、「心理学」の受講生や公開講座の受講生がランダムサンプリングの条件を満たしていると思う人はいないでしょう(笑)。
不思議なことに、長谷川さんは否定する根拠にはランダムサンプリングは必ずしも必要でないと考えているようです。
仮に、ランダムサンプリングでないデータで、血液型と性格に(能見説と一致する)なんらかの関連性が見出されたとしましょう。この場合は、ランダムサンプリングでないので、「血液型と性格は関係ある」とは言えません。もちろん、関連性が見出されないなら、「血液型と性格は関係ある」とは言えません。結局、どっちに転んでも「血液型と性格は関係ある」とは言えないのですから、この紀要に紹介されている長谷川さんの実験は意味があるはずがないのです(笑)。
ということで、実に奇妙な結果になってしまいました。長谷川さん一流の冗談なのでしょうか?
結局、「血液型と性格」のデータには、必ずランダムサンプリングが必要なのでしょうか? はて? -- H17.8.22