Prof. Furukawa


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古川説の再検討

 世界で初めて、血液型と性格の関係を示唆した論文は、大正5年(1916年)に日赤長野支部の医師である原来復さん(A型)と小林栄さんが発表した「血液ノ類属的構造ニ就イテ」(『医事新報』954号)とされています。

 しかし、血液型と性格の関係があるという説は、昭和初期の教育学者・心理学者である古川竹二さん(A型)によって有名になったため、彼が実質的な提唱者であるといっても過言ではありません。従って、このページでは、この血液型と性格の関係があるという説を古川説ということにします。

なぜ古川説は消えたのか?(1)

 古川説は、一時は軍部にまで研究される有力な説だったのですが、結局学会で支持を得られず消え去っていきます。この経過については、松田薫さん(AB型)の『改訂第二版「血液型と性格」の社会史』に詳しく書かれています。非常に詳しく書いてありますので、興味がある方は読んでみるといいでしょう。

 では、なぜ古川説は敗北したのでしょうか? 竹内久美子さん(A型)は、その著書の『小さな悪魔の背中の窪み』の中で、心理学者の戦前の派閥争いが原因ではないか?と書いています。詳しい経緯はこれらの本を読んでもらうことにして、とにかく当時の血液型の権威であった東大医学部教授の故・古畑種基さん(AB型)が反対したことが一番大きな原因であることは確かなようです。この古畑さんは、AB型の遺伝で世界的にも画期的な研究成果を上げています。

 しかし、亡くなった方を批判するのは大変心苦しいのですが、この人は毀誉褒貶の激しい人のようです。井沢元彦さん(B型)の『逆説の日本史1』の43ページにはこんな記述もあります。

 一つは、法医学の権威で、東大名誉教授をはじめとする数々の肩書きを持つ古畑種基博士(故人)のことである。
 私もこの人の本で法医学を勉強したのだが、最近になって、この古畑博士がかつて行った、弘前事件、松山事件、財田川事件などについて、この血痕鑑定が、すべて間違っていた、ということが明らかになったのである。
 これは事実だ。いずれも公式に再審鑑定が行われ、古畑鑑定はすべてをくつがえされている。ところが、これらのケースは素人の私が見ても、「どうしてこんな明白なミスが今までわからなかったのだろう」という気がするのである。
 この件についても、事情通は言う。
 「これも博士が生きているうちは言いにくかったのでしょう。医学界では先輩や恩師の説を批判することはできませんからね」

 血痕鑑定が間違った話は、松田薫さんの『改訂第二版「血液型と性格」の社会史』にも書かれています。ウラを取ってないので判断はできませんが、もし上の記述が正しいとすると、能見さんの最初の著書である『血液型と相性』が昭和46年に出版されたのは偶然ではありません。この時期は、古畑さんの影響はほとんどなくなった時期に一致するからです。

 能見さんの著書が発表されてから後の展開は皆さんご存じのとおりですね!

なぜ古川説は消えたのか?(2)

 では、心理学者の意見はどうでしょうか?

 いろいろな文献を読んでみましたが、昭和7年(長崎)と昭和8年(岡山)での日本法医学会での議論で決着が着いた、というのが一般的な意見のようです。代表的な文献は次のようなものです。

流れを読む心理学史

通史日本の心理学

 また、これらの中の引用文献として、松田薫さんの「『血液型と性格』の社会史」があげられています。この本は改訂版も出版されています。

 昭和8年に開催された岡山での大会の内容は以下のようなものだったようです。

 反対派は、吉田寛一さん(医師)、守安直孝さん(小学校訓導)、正木信夫さん(医師)の3人です。対する賛成派は、田中秀雄さん(心理学者)、浅田一さん(医師)の2人のはずでしたが、浅田さんが病気で欠席したため田中さん1人になってしまいます。

 では、賛成派の反論はというと、

 つまり、あまり訓練もされていない人が古川説の追試をやっても正しい結果が得られず意味がないということです。

 論争自体は結論が出なかったようですが、多くの人は反対派が勝利したと判断し、この後は反対派の意見が主流になっていきました。

 血液型と性格について詳しい佐藤達哉さんは、最新の著書で(佐藤達哉さんほか 流れを読む心理学史 151ページ)、

 ABO式血液型の違いが気質の違いを作り出すとするこの[古川]学説には、医学・教育・産業・軍事などさまざまな領域から関心が寄せられ、少なく見積もっても300以上の論文が彼の学説を追試しました。ただし、結果は古川の主張に一致しませんでした。(松田,1991;大村 1990)。学説としての血液型気質相関説はわずか数年でその学術的価値を失いました。しかし、この学説こそが、日本の心理学説で最も関心を持たれたのだという事実はけっして消えることのない事実ですし、提唱された仮説が多くの追試によって確かめられる(=否定される)というプロセスは、まさに科学のそれであるといえるでしょう。

 と書いています。

  また、「この[古川]学説の盛衰は極めてオーソドックスな学問的論争の形態をとっており、とかく論争が乏しいとされるわが国の心理学会にとってはきわめてまれな事例であった」(通史日本の心理学 274ページ)ともあります。

 結局、古川説は大きな反響を呼び、活発や学問的論争が引き起こされ、300以上の論文で追試されたが、最終的には結果が一致しないために否定された、ということになります。

 興味深いことに、古川竹二さんが心理学者だったせいか、心理学者が心理学誌以外に発表している論文では、田中さん以外の賛成派や、血液型と性格が関係あるという結果を得られているケースもあるようです(もっとも、多くの心理学者は反対だったという説もあるようですが、その中で否定的な論文を発表しているケースは少ないようなので、本当はどうなのかわかりません)。

なぜ古川説は消えたのか?(3)

 能見正比古さん(B型)も、古川説は気になっていたらしく、「主として医学界に生じた反対派の、大げさにいえば迫害に苦しめられた。」と書いています(『新・血液型人間学』角川文庫版109ページ)。

 能見さんは、古川説の方法論の問題点として、性格を固定的に捉えている点と自己判断の主観性をあげています(同書109〜111ページ)。

 果たして、古川氏の分析に対し、例外が多すぎると、反対論が続発した。…[反対派は]ほとんど資料ゼロの状態で、数人の例外らしきものをあげ、やみくもに騒ぐ。古川氏の資料の検討さえせず、全くの感情論なのだ。…
 現在もたまに「血液型と気質の関係は、かつて学界で否定された」という人がある。50年近く前の学界を持ち出すのも、おかしな話だが、いくら調べても否定の事実はない。わアわア騒いで古川氏を沈黙させただけなのである。第一、医学者が反対したのも、おかしい。人間の行動や表現、文化や社会現象については、医者は全く専門外、素人である。また、人間科学についての学会もまだ世界に存在したことがない。こうして戦前の研究は、うやむやにされたが、古川の研究の記憶は、社会の各層に、底流として残されたのである。

 しかし、非常に残念なことですが、この記述には誤りが多くあります。反対派も追試を数多くしていますから「資料ゼロ」とか「古川氏の資料の検討さえせず」とは言えません。データも何百人というケースもありますから、「数人の例外」でもありません。

#とは言っても、やはりこの記述は正しいのかもしれません…。
#興味のある人は、ぜひ最後まで読んでみてくださいね。(^^)

 かなり初歩的な間違いなのですが、田中秀雄さんのように「観察者や被験者にはそれなりの能力が必要」で、そういう意味では「資料ゼロ」ということなのでしょうか??

本当に古川説は消えたのか?

 実は、心理学では古川説はしぶとく生き残っていました。ちょっと信じられないのですが、これは事実です!

 では、順を追って調べていきましょう。

 確かに、昭和7年(長崎)と昭和8年(岡山)での日本法医学会で古川説は実質的に否定された、と考えていいと思います。ただし、これはあくまでも「法医学」の見解です。心理学ではどうなのでしょうか?

 賛成派の千葉胤成(たねなり)さん、田中秀雄さん、浅田一さんは『改訂第二版「血液型と性格」の社会史』によると、最後まで自説は曲げなかったようです。極めつけは、有名なYG性格検査を考案した矢田部達郎さんです。彼の著書『心理学序説』(創元社 S25)では、

古川氏の如きは血液型と気質型との間に高度の対応があると主張したが、今日ではこの考えに賛成する人は少ない。但し、気質は経験によって変形されることが多く、かかる変形を度外視することができれば、或はそれらと気質の間に極めて大雑把な対応を認めることができるかも知れない。(30ページ 文章は現代文に変更)

血液型と気質の関係については古川竹二氏の研究以来多くの研究が発表されたが、大体の印象は無関係というところに落ち着いたように見える。但し近頃著者の娘等が京都鴨き(「シ」+「斤」)高校女生徒千名について検査したところ、自己判断も他人判断もともに無相関であることを示したが、自己判断に於て就学前、小学校前期、小学校後期、女学校前期、女学校後期と異なる生活時期につき5判断をなさしめ、5期を通じて最も多く判定した気質を有意気質と名づけて整理したところ、僅かではあるが正の相関(φ=0.178)が認められた。人員が千人に上るのでこの相関は全く無相関ではないと思われる。気質評価などの改良によって未来に於ては或はもっとはっきりした資料が得られないとは限らない。(268〜269ページ 下線は私 文章は現代文に変更)

 私はこれを読んで大笑いしてしまいました(失礼!)。心理学者以外の人が言うのならともかく、心理学者自身がこう言っているのです!

 同様に、賛成派の心理学者の意見としては、観察者や被験者にはそれなりの能力が必要だから、未経験の人がやって当たらなくとも不思議ではないというものがあります。血液型は客観的に結果が出るが、性格や気質を測定する方法は、まだまだ未熟なので、きちんとした結果が出ないのではないかというものです。要するに、心理学の方法論が悪いのが問題だということです。(^^;;

 これで議論はゼロに戻ったことになります。なにしろ、日本で一番ポピュラーな性格テストを考案した心理学者自身が言っていることなのですから…。血液型と性格(気質)の関係は、心理学の方法論に問題があるので、あるともないとも断定できません。明確な関係はまだ発見されていませんが、将来に関係が見つかる可能性もあるので全く否定するのは早いですよ、ということです。

 つまり、心理学者自身の見解では、血液型は肯定されていると言えなくとも、明確に否定されたとは言えないことになります!

【H16.3.16追記】

 その後、昭和43年に発行された佐藤幸治さんの『人格心理学』(東京創元新社)でも、血液型と性格についての記述があることを発見しました。この本は、初版が昭和26年に出版され、第6版が昭和43年に発行されています。
 能見さんの『血液型でわかる相性』が出版されて日本中に大ブームを巻き起こしたのは昭和46年ですから、その直前まで心理学でも血液型と性格の相関の可能性を示している本があったとは驚きです。(@_@)

 関係部分を引用しておきます(281〜282ページ 文章は現代文に変更)。

 血液型と気質については我国の古川竹二氏(1932)がA、B、Oの3つの血液型に対し、第32表[省略]の如き気質特性を配当したのであったが、他の多くの心理学者の追試はその否定に傾いている。たゞ最近、矢田部達郎氏(1950)が注意しているのは、高校生女生徒千名についての検査で、自己判断も他人判断も共に無相関であるのに対し、自己判断においては就学前、小学校前期、後期、女学校前期、後期の5期について別々に判断させ、5期を通じて最も多く判定した気質を優位気質として整理したところ、僅かではあるが、正の相関(φ=0.187)[0.178の間違いか?]が認められたという結果である。

 もっとも、能見さんの『血液型でわかる相性』が発表された昭和46年以後に、多くの心理学者が血液型の研究を始めたという事実はないようです。ちょっと不思議な感じがしますね。

心理学での論争はどうだったのか

 そこで、改めて心理学者の意見を検討してみることにします。

 『流れを読む心理学史』から再度引用すると、

 ABO式血液型の違いが気質の違いを作り出すとするこの[古川]学説には、医学・教育・産業・軍事などさまざまな領域から関心が寄せられ、少なく見積もっても300以上の論文が彼の学説を追試しました。ただし、結果は古川の主張に一致しませんでした。(松田,1991;大村 1990)。学説としての血液型気質相関説はわずか数年でその学術的価値を失いました。しかし、この学説こそが、日本の心理学説で最も関心を持たれたのだという事実はけっして消えることのない事実ですし、提唱された仮説が多くの追試によって確かめられる(=否定される)というプロセスは、まさに科学のそれであるといえるでしょう。

 この意見は、日本の心理学者の一般的な意見であるといっていいと思います。しかし、この文章はウソではありませんが、厳密に言うと正しくはありません。(*_*) この文章に書かれていない事実こそが重要だ!と私は考えます。

 まず、「少なく見積もっても300以上の論文が彼の学説を追試しました」とのことですが、普通の読者なら、この300以上の論文の多くは心理学の論文だと思うでしょう。なにしろ、この本は心理学史の本ですし、「日本の心理学説で最も関心を持たれた」学説を巡る論争を取り上げているのですから…。しかし、事実はそうではありません!

 実際に調べてみて意外だったのは、心理学の論文がほとんどないことです。私が調べた限り、(独自の研究でかつある程度の分量があるもののうち、1ページ以下とか、レビューのみのものは除くと)学術誌に掲載されたのは、以下の6件だけです(古川さん自身のものを除くと4件ですから、正味は4件ということになります)。日本では心理学の勃興期だったとはいえ、いくらなんでも少なすぎると思うのは私だけでしょうか?

 賛成派

 反対派

 その理由と思われるものが、大村さんの『血液型と性格』(81ページ)に書かれています(傍点は下線に変更しました)。

昭和の初期には血液型という概念は珍しいものであった。現在、自分の血液型を知らない人は非常に少ないが、当時は知っている人のほうが非常に少なかったのである。このような時代に、希少価値を持っていた血液型について触れたので、その反響もまた大きかったと思うが、どうもそれほどではなかったようである。

 たぶんそうなのでしょう。
 「心理学研究」での最初の論文が掲載されたのが昭和2年、次の論文は昭和6年ですから、4年間のブランクがあります。たった4年間と思う人もいるかもしれませんが、主に法医学会を中心に活発な論争が繰り広げられていた時期ですから、心理学誌に何の論文も掲載されないのは非常に奇妙に感じられます。

 このエピソードは、現在の「遺伝子と性格」論争と共通するものがあります。現在でも、遺伝と性格(性格は遺伝か環境かなど)は心理学のメインテーマですが、遺伝子と性格は、ほとんど論争らしいものが見あたりません(単に私の探し方が悪いだけ?)。遺伝は(文系の学問である?)心理学の範疇であるが、遺伝子は(理系の学問である?)分子生物学や遺伝学の問題であって、心理学の問題ではないというような雰囲気があるのではないかと想像しますが、本当はどうなのでしょうか?

 更に問題なのは、『心理学研究』では賛成派のみ、『応用心理研究』では反対派のみの論文しか掲載されていないことです。他の学会誌や学術誌では、賛否両論の論文が掲載されていることもあります(例えば、『血液型研究』などが典型例です)。学会誌としてあまり好ましいこととは思えません。

 もう一つ問題があって、昭和8年以後はほとんど論文が掲載されていないことです(全部調べたわけではないので、皆無かどうかは知りませんが…)。昭和8年(岡山)には、日本法医学会で古川説は実質的に否定されたので、その後は掲載されていないということなのでしょうか?

 もしそうだとすると、古川説は心理学会以外で決着が着いたことになります。もっと詳しく調べないと確定的なことは言えないのですが、少なくとも「この[古川]学説の盛衰は極めてオーソドックスな学問的論争の形態をとっており、とかく論争が乏しいとされるわが国の心理学会にとってはきわめてまれな事例であった」(通史日本の心理学 274ページ)という記述は、少しでも実情を調べてみると妥当なものとは(全く)思えません…。

 結局、『流れを読む心理学史』の血液型の部分を修正してみると次のようになります。(赤字が私の追加部分)、

 ABO式血液型の違いが気質の違いを作り出すとするこの[古川]学説には、医学・教育・産業・軍事などさまざまな領域から関心が寄せられ、少なく見積もっても300以上の論文が彼の学説を追試しました(心理学誌に掲載された論文が4件だったことに示されるように、心理学会では活発な論争はありませんでした)。ただし、結果は古川の主張に一致しませんでした。(松田,1991;大村 1990)。学説としての血液型気質相関説はわずか数年でその学術的価値を失いましたが、これは主に法医学界からの反論によるものです。しかし、この学説こそが、日本の心理学説で最も関心を持たれたのだという事実はけっして消えることのない事実ですし、提唱された仮説が多くの追試によって確かめられる(=否定される)というプロセスは、まさに科学のそれであるといえるでしょう。もっとも、一部の心理学者は、論争終了後も古川説を自分の著書などで紹介していたため、古川説の影響はその後も長く残りました。

 実は、上の記述の直前の文章である血液型気質相関説の説明にも問題があります(同書 150〜151ページ)。

古川竹二と血液型気質相関説
 昭和初期には、古川竹二による血液型気質相関説が発表されました。彼はそもそも入試場面における気質の客観的把握を志していました。そして、当時最新の知識だった血液型のABO式分類が性格の分類に使えるのではないかと考えて、自らの仮説を提唱したのです。

 このページの最初にも書いたとおり、世界で最初に血液型と気質の関係を示唆したのは原来復さん(A型)と小林栄さんです。事実、佐藤さんの『通史日本の心理学』と『日本における心理学の受容と展開』にはそういう説明があります。以下は、『通史日本の心理学』(274ページ 下線は私)からの引用です。

 さて、血液型と人の性質に関係があるのではないかと考えたのは必ずしも古川が最初ではなく、医師原来復(1882−1944)などがその先駆である。しかし、原のアイディアはわずかな医学者の関心をひいただけに終わった。古川はおそらくこれらの人々とは無関係に自説を暖め、研究を行い、成果を発表し、そして賛否両論を受けたうえで、最終的にその説を否定されたのである。その意味で血液型気質相関説は古川の学説であったといってよい。

 古川さんが原来復・小林栄さんと「無関係に自説を暖め」たかどうかは今となってはわかりません。事実として言えるのは、古川さんの当初の研究や成果発表は、血液型の権威である法医学者の古畑種基さんの強いバックアップを受けたことだけです。ところが、歴史の皮肉というべきか、古川説は古畑さんにより実質的に否定されることになります。同じく『通史日本の心理学』の290ページには、「古畑の配慮から学会に登場した血液型気質関連説は、同じ古畑により実質的に葬られたととらえられるのである」とあります。

 『流れを読む心理学史』での血液型気質相関説の説明を素直に読むと、古川竹二さんが最初の提唱者と思う人が多いだろうと思います。確かに、「昭和初期には、古川竹二による血液型気質相関説が発表され」たことは事実ですが、注釈でもなんでいいから最初の提唱者ではなかったと書いておくべきだと思うのは私だけでしょうか?

 まさか、「日本の心理学説で最も関心を持たれた」学説は、最初は心理学者から提唱されたものではないから(心理学の不名誉になるため?)あえて書かなかった、というのは悪い冗談でしょう。私は、単に注釈を書くスペースがなかったからと解釈します。
 しかし、血液型気質相関説の論争の場所は心理学ではなく、主に法医学関係で行われたという事実はきちんと書くべきだと思います。そういう意味では、『流れを読む心理学史』の記述は、『通史日本の心理学』などとは違って、読者に非常に誤解を与えやすい記述なので、あまり好ましくないと思うのですが…。
 皆さんはどう思いますか?

 戦前の血液型気質相関説に関する論争を自分で調べたい人は、古畑種基さんの『血液型の文献集』(昭和10年 金原商店)が詳しいようです。残念ながらこの本は入手できなかったのですが、目黒宏次・澄子夫妻による『気質と血液型』(現代心理研究会 昭和45年)の資料には、この本の紹介があり「日本語文献1719編(なぜか『日本における心理学の受容と展開』では1824件となっています…588ページ)、欧文4158編のうち、気質と血液型に関係あるもの文献約400編(なぜか『日本における心理学の受容と展開』では約500件となっています…588ページ)を紹介しましょう」とあるので、私はこちらでリストアップしました。あるいは、白佐俊憲・井口拓自さんの『血液型性格研究入門』(平成5年 川島書店)で調べるという方法もあります(この本は、Q&Aと資料が豊富なので、資料集として使うのには便利ですが、残念ながら現在では入手できないようです…)。

 ← 目黒宏次・澄子夫妻による『気質と血液型』

【参考】

    『気質と血液型』の箱の表には次のように書いてあります。

 東京女子高等師範学校教援古川竹二氏は昭和2年8月の「心理学研究」(岩波書店)に「血液型による気質の研究」を発表した。古川竹二氏の血液型による気質説は時代の好尚に投じたちまち一世を風靡した。昭和7年同氏の「血液型と気質」三省堂発行はその頂点に立つものであった。しかし学会の保守性と次第に深まりゆく、研究の自由に対する弾圧によって、古川竹二氏の気質説は昭和10年を境として学会より抹殺され姿を消すのである。
 筆者らは20余年心血を注ぎ、古川学説の絶対を克服し関係的にとらえることによって新しく理論構成すると共に、古川学説を再び、世に問うことを企図した。

古川説の紹介(1)

 ではここで、改めて古川説の紹介をしましょう。能見正比古さんの解説が一番わかりやすいので引用させていただきす(『新・血液型人間学』角川文庫版110ページ)。

 古川氏の中心的調査方法は、まず質問項目を能動的(アクティブ)と受動的(パッシブ)の2組にわけ、それぞれの組に、たとえば「陽性のほう」とか「おとなしいほう」など10項目ずつ列記する。回答者に、自分の該当すると思われる項目にマルをつけてもらい、さらに全体として、自分が、どっちの組に属するか、決めるのである。

 このようなアクティブ(O型とB型)とパッシブ(A型とAB型)との2つにわける方法もありますが、血液型別の質問項目も存在します。また、職業別の血液型分布を調べて、性格との関連を考えることも行われました。

 「血液型と性格」の原点は、当然のことながら血液型別の性格があるということなので、ここでは血液型別の質問項目を調べてみることにしましょう。

 実は、困ったことに、古川竹二さんの血液型別の質問項目は年代ごとに何パターンも存在するのです。どれを選ぶか困ってしますのですが、ここでは彼の代表作である『血液型と気質』のものを取り上げることにします。

『血液型と気質』での血液型別の気質(構成とかな遣いを一部改変)

O型

A型

B型

AB型
落付いている人
(非暗示性の少ない人)
感情に駆られない人
物に動じない人
きかぬ気の人
人に余り左右されない人
精神力の強い人
事を決したら迷わない人
意志の強い人(根気のよい人)
おとなし相でも自信の強い人
遠慮深い人
内気な人
温厚な人
物事が気にかかる人
事を決する時迷う人
用心深い人
深く感動する人
人と余り争わない人
自分を犠牲にする人
気軽で、あっさりした人
物事を長くは気にしない人
基ごとに執着する事が少ない人
快活にしてよく談ずる人
刺激が来ると直ぐに之に応ずる人
直ぐに感ずる人(敏感)
気軽に人と交る人
人の世話などを心好くする人
物事によく気のつく人
事をなすに派手な人
内省はA型
外面はB型

内と外とが異なって居って、
判断しにくい人

 この質問項目(自省表)を被験者に見せて、自分にあてはまるかどうか内省して決めてもらいます。まあ、ここまではいいのですが、古川竹二さんは、この表の項目は80%程度以上、本来は90%以上は当てはまると思っていたようなのです。

 彼は、100%当たらない理由として、雑型(ヘテロの遺伝子型であるAO型とBO型)のあるせいだと思っていたようです。しかし、ホモの遺伝子型であるAA型は約7.8%、BB型は約2.9%しかいません。実際にはヘテロの方が多いのです。

 しかし、どう考えても10項目程度の質問項目で80%も当たるはずがありません! 能見正比古さんも「果たして、古川氏の分析に対し、例外が多すぎると、反対論が続発した。」(『新・血液型人間学』角川文庫版109ページ)と書いていますが、あまりにも当然というべきでしょう。念のため、『流れを読む心理学史』から引用しておきます。

 ABO式血液型の違いが気質の違いを作り出すとするこの[古川]学説には、医学・教育・産業・軍事などさまざまな領域から関心が寄せられ、少なく見積もっても300以上の論文が彼の学説を追試しました。ただし、結果は古川の主張に一致しませんでした。(松田,1991;大村 1990)。

 「結果は古川の主張に一致しませんでした。」という点では、私が調べた限りで、どの資料を見ても一致しています。偶然と同じ程度の一致率しかない、というのが学会での最終的な結論でした。この時点で、古川説はアカデミックの立場からは否定されてしまったことになります…。

 やはり、古川説は完全に否定されてしまったのでしょうか?

古川説の紹介(2)

 いや、そうではありません!

 確かに、科学的仮説としての古川説は否定されてしまったのは歴史的事実です。なんだかんだいっても、追試の結果が一致しないのですからしょうがありません。「気質評価などの改良によって未来に於ては或はもっとはっきりした資料が得られないとは限らない。」(矢田部達郎さん『心理学序説』269ページ)という将来の可能性が残るとしても、です。

 では、再検討した結果はどうでしょうか?

 古川説が発表された当時は、χ2検定なんていう便利な統計手法はありませんでした。

 当時のデータをもう一度χ2自乗検定で分析してみると、ちゃんと差があることが実証できます(前川輝光さん『血液型人間学』や大村政男さん『血液型と性格』など)。つまり、古川説は必ずしも間違っていたわけではなかったのです。
 不思議なのは、否定論者が「古川説は戦前に否定されたから間違いだ」とよくいうことです。戦前は学問の水準が低かったのですから、そのときに検出されなかった性格の差が再分析の結果検出されても全然不思議ではありません。戦前の定説がひっくり帰るなんてことは、私が指摘するまでもなくどの学界にもゴロゴロしているでしょう。だから、古川説を否定するのだったら「現在の手法で分析しても否定されている」というべきでしょう。しかし、否定論者でこういっている人はほとんどいません。不思議なことに…。

 そして、心理学の性格テストも、当時は現在使われているようなポピュラーなものではなかったようです。

 私が調べた限り、当時の否定論者で、きちんとした性格テストを使って反論しているのはこの論文だけです。

 そこで、この論文を調べてみることにしました。

 否定論者の代表である大村政男さん自身も、守安さん論文のデータはサンプルが歪んでいないと認めています(『血液型と性格』190ページ脚注)から、特に問題ないでしょう。

 もう一つの心理学誌に掲載された否定的な論文は、

  • 岩井勝二郎(京都帝国大学心理学教室) 血液型と気質−京都に於ける心理学関係者に於て試みられたる一調査の報告−応用心理研究 第1巻第2号 16〜21ページ S7

ですが、サンプルが心理学の関係者であるためか(?)どうかわかりませんが、サンプル数が56人と少ないことと、血液型構成がかなり歪んでいる(O型14人、A型20人、B型20人、B型2人…ただし有意差はありません)ので、否定論者に認められない可能性が高いため、ここではあえて取り上げないことにします。

守安直孝さんの論文

 同じ内容が、『教育診断』(昭和8年1月〜3月号)や『血液型研究』(昭和8年4月号)にも掲載されているようなのですが(未確認)、掲載時期が一番最初のものであるという点、また、学術誌という性質上、必ず心理学者の査読が入るので、他の論文よりは正確と思われるため、ここでは『応用心理研究』から引用します。

#守安さんは、当時の東京帝国大学で心理学の手法を学んでいます。

 『血液型と個性標徴との関係』では、次の4つについて分析されています。

 A.古川説に関して
 B.血液型と知能との関係
 C.血液型と気質
 D.血液型とと決断の速さ

 まず、この論文のサンプルですが、

 1.小学校児童 736人
 2.感化員児童  36人
 3.青 壮 年   65人

の計838人です。

 Aの古川説に関しては、追試が次のように行われました(文章は現代文に変更 太字は私)。

 私は先(ま)づ古川氏の発表せられた各血液型の気質特徴を教育的に使用する立場より考えて別紙[省略]のごとく印刷し某小学校15人の教師に依頼して観察してもらった。受持教師は少なく共(とも)1年以上児童を見つめてその個性の凡(すべ)てに亙(わた)り観察している人ばかりであって、只(ただ)単に一目見たとか或(ある)いは一枚の質問用紙に答えさせたと云う類(たぐい)ではない。各教師は永続した比較的長期に亙って観察を得てその個性の理解を或程度持っている。その受持教師に対し第一表[省略]に示すが如く各児童の長所短所から第二表[省略]に示す標準に依って各血液型を予想せしめた。実験人員は804人である。これに付て先ず予想型と記入して貰(もら)い次に私が調査票を受取り各生徒につき1人々々血液型の検査を行った。斯(か)くて予想型と実地検査の結果とがいかなる割合に一致するかを見ると、古川氏の所謂(いわゆる)各特質より予想した結果、840人中400人即ち50%は血液検査と一致しているのである。(67ページ)

 この結果には誰も驚くでしょう! なんと的中率は47.6%もあるのです。私なんか足下にも及びません(笑)。計算してみると、こんなに偶然で当たる確率は1億分の1以下なのです。

 偶然で当たる確率を計算してみましょう。興味がない人は読み飛ばしてくださいね。

 偶然で一番正解率を高くする方法としては、すべてA型と答える方法があります。この場合、正解率はA型の割合である38.1%になります。840人では、標準偏差はSQRT((0.381)×(1−0.381)÷840)≒0.0168になります。偶然で47.6%以上当たる確率は、標準偏差を基準にしてどの程度の差があるかで決まります。この差を計算してみると、(0.476−0.381)÷0.0168=5.65になります。
 標準偏差で5.65離れている場合の累積分布は、0.0000000804ですから、偶然で当たる確率は1億分の以下ということになります。

次に私が医学的に血液型と検査した結果とこの古川氏の各血液型の特質を印刷した予想型決定の標準に依って各教師の評定した所とを対照すると「血液型はBであるが気質は古川説のBでない」といわれるものが総計各血液型を通じて207人あり約25%であった。(67〜68ページ)

 これまたびっくりです! 75%も当たれば十分すぎるほどでしょう。

血液型を調査する事に依り古川氏の主張を考察すると25%の不一致率を示すとすれば仮定として血液型と気質と関係ありとするもそれは75%於て当るということである。此の両者の差の25%は如何なるものであるか。(68〜69ページ)

 しかし、守安さんはこれでもまだ不十分と主張しているのです。学術誌にも掲載されているのですから、これらのの2つの結果が古川説を否定する有力な根拠とされていることになります。

 確かに、古川説では血液型はほぼ100%当たらないとおかしいし、「血液型はBであるが気質は古川説のBでない」ケースが25%では多い(古川さん自身によると80〜90%程度以上は当たらないとおかしい)ことになりますから、そういう意味では主張と一致しないことになります。

 驚くべきことに、これが戦前の「学問的論争」の実情なのです! 比較的厳密な検証が行われたと思われる心理学誌でさえこうなのです。他のケースは推して知るべきでしょう。非常に残念なことですが…。

 では、次に行きましょう。

 血液型と知能との関係(B)と血液型と決断の速さ(D)は性格と直接の関係はないので省略し、当時では珍しい性格検査の結果を読んでみることにします。

 此の研究には大阪教育研究所発行の大伴気質テストを使用した。此のテストは質問法によるものであって気質の内向性、外向性を見るものである。
 今、その気質テストの問題の一部を掲げるならば次の通りである[省略]。問題数は85で時間を制限せずハイ、イヽエの回答の結果を採点表より外働[向]性得点を採点して内働[向]性得点を除し此を100倍する。斯して得た気質指数を標準評点により評価し様とするものである。
 私はこの気質テストを小学校児童801人に適用して結果を整理した。主として岡山県某小学校生徒であるが、中に少数大阪神戸の児童も入っている。故に郷土意味を減殺されている。今その整理原表を示すと次の通りである(第9表)。これを図示すると第2図[省略]となる。縦軸は人員を%を以て示し横軸は気質のスケールを表す。
 今第2図よりして血液型と性格の関係を説明すると次の通りである。
 1.分配の様子をみるのに何れも気質スケール上に外働[向]性の者多く表れ内働[向]性の者は何れも120以上はない。而し何れも中間が最大頻度を得ている。故に私の調査した団体は第2図に表示された如き特質を有する事が明瞭である。即ちその大部分は備中某地現在の児童であるから一面地方気質を覗い得ると思う。
 2.A型、B型、AB型、O型を比較した場合何れもその分配の状況が余り異ならない、これはポリゴンで表しても同じである、此の表によってみると、A型必ずしも内向性ならずB型必ずしも外向性ならず何れに於ても略ゝ同一の傾向を見出し得る。そして特に各血液型に依る気質類型という様なことは此の研究に結果よりすれば発見し得ない。
 以上からみると、もしA型がスケール上内働[向]方面に偏した山を作りB型が外働[向]方面に偏した山を表すならば古川説に賛成するのであるが、私は此の事実によって現在の立場としては「関係なし」との結論を余儀なくされるのである、勿論「絶対に関係なし」と云うのではなく、此の研究の範囲に於てである。(72〜74ページ)

第9表 気質テスト頻数分布表(実数のみで%は省略)

血型\スケール A B O AB 合計
150 2 1 6 3 12
140 7 7
外働 130 5 2 6 13
120 15 6 8 3 32
110 31 18 23 4 76
100 55 29 61 8 153
中性 91 40 81 22 234
110 75 28 63 16 182
120 30 20 20 6 76
内働 130 4 1 8 3 16
140 0
150 0

315 145 276 65 801

 結論を引用しておきます。守安さんのあくまで学問的に忠実であろうという姿勢が見えて感動しました。否定論者でもこういう人がいるんですね。ホッとします。(77〜78ページ 太字は私)

 4 血液型に依る気質類型とその適用

 私は此の「血液型と気質類型」の問題に関して2つの立場より研究したのである。即ちその1は観察に依るものであり、他は実験測定に依るものである。前の報告に於いて記した通り、古川氏説を以て予想型を決定し、然る後に血液型の検定をすれば50%の一致率を得る。此の際女教師は女児をよく一致せしめ、男教師は男児をよく一致せしめている。更に血液型の検定後古川説に合わざるものが25%ある故に100−25=75(%)を古川説の信頼度とすべきであるが、更に前の予想型決定の場合の一致率を考えてみると75−50=25(%)はどっちらなっても好いと云うことになる。即ち26%[25%の間違いか?]は全然合わぬ、25%はどちらになっても好い50%は一致すると云うことになる。
 この3つの事を総合して考えると、古川説は信頼度の少ないものであることは事実であり、此の種の追試は金沢医大その他に於て相当の人員に亙り試みられているが、何れも50%以下の一致率しかない。古川氏は簡単なる質問に依り資料を集め統計的に整理されたのである。私は根拠を有する客観的方法により2、3の研究をしたのであるが結果に於ては相反している。何故に相反したか?その原因を探求して見ると、私に云わしむれば古川氏の研究に於ては次の如き方法上の欠陥を指摘し得るのである。
 1.個性標徴の種別的限定及び等質的な特定が不十分でありその測定検出の方法に於て妥当性なき事。
 2.検出した結果を処理する客観的標準なく量的存在の分布が慨然曲線を画くことを無視されたこと。
 観察並びに自己評価が平凡なるものを非凡化し不当の評価をなすことは心理学者の斉しく認める所である。此の不完全なる評価方法を以て現象の法則を無視して行われた場合その研究結果の妥当性を欠くことは云うまでもない事であると思う。故に古川説の実際的適用は非常に危険である事を申し添え又その他の研究に於ても或は人員の過少、或は条件の分析の不足等から必ずしも俄に信用できないものゝ多いことは遺憾である。

 5 結 語

 私は以上に於て客観的検討を試みた結果、血液型と気質との間には一定の関係を見出し得なかった。此の問題は畢竟心身の関係であって物心の関係は現代哲学に於ても解決されていない。永遠の問題として絶えざる実験観察とに依り何時かは解明される事を予期してはいるが、何分にも一方は直ちに判定し得る血液型であり一方は永遠に神秘である生命の問題である。一先づ私の研究に於ては関係なしと結び本稿を以て第二次の弁証的開展への階梯としようと思う。

 どの論文とは言いませんが、「その他の研究に於ても或は人員の過少、或は条件の分析の不足等から必ずしも俄に信用できないものゝ多い」のは残念ながら事実です。従って、『流れを読む心理学史』の血液型の部分は再修正が必要になるはずです。(赤太字が今回の追加部分)

 ABO式血液型の違いが気質の違いを作り出すとするこの[古川]学説には、医学・教育・産業・軍事などさまざまな領域から関心が寄せられ、少なく見積もっても300以上の論文が彼の学説を追試しました残念ながら、これらの論文にはサンプル数が少なかったり分析方法の不備により信用できないものも多いようです。また、心理学誌に掲載された論文が4件だったことに示されるように、心理学会では活発な論争はありませんでした。)。ただし、結果は古川の主張に一致しませんでした。(松田,1991;大村 1990)。学説としての血液型気質相関説はわずか数年でその学術的価値を失いましたが、これは主に法医学界からの反論によるものです。しかし、この学説こそが、日本の心理学説で最も関心を持たれたのだという事実はけっして消えることのない事実ですし、提唱された仮説が多くの追試によって確かめられる(=否定される)というプロセスは、まさに科学のそれであるといえるでしょう。もっとも、一部の心理学者は、論争終了後も古川説を自分の著書などで紹介していたため、古川説の影響はその後も長く残りました。

 さて、分析に戻りましょう。

 実は、表9にはスケールの平均が計算されていません。また、外働、内働の人数の合計もありません。これでは不便なので、計算し直してみたのが次の表です。

表A 外働・内働スコアの合計

血液型\スケール

A B O AB
外働スコアの合計 12640 6010 11270 2050
内働スコアの合計 12370 5610 10370 2870
外働÷内働 1.02 1.07 1.09

0.71

 古川説では、B型とO型が外向的、A型とAB型が内向的としていますから、ぴったり合うことになります(ただし、χ2検定では有意差はありません)。念のために、人数でも比較しておきましょう。

表B 外働・内働の人数(実数)

血液型\スケール

A B O AB
外働性の人数 115 56 104 18
中性の人数 91 40 81 22
内働性の人数 109 49 91

25

外働÷内働 1.06 1.14 1.14 0.72

 パーセント表示では、

表C 外働・内働の人数(%)

血液型\スケール

A B O AB
外働性の人数 36.5 38.6 37.7 27.7
中性の人数 28.9 27.6 29.3 33.8
内働性の人数 34.6 33.8 33.0

38.5

外働÷内働 1.06 1.14 1.14 0.72

 と同じ傾向を示しています。

 有意差が出ていませんが、最初に書いた古川説の追試で、一致率が75%と高かったことを考えると、これはタイプ2エラーと考えた方がよさそうです。つまり、801人ではサンプル数が少ない(のだろう)と推測できます。性格テストで有意差を出すには、数千人以上のサンプルが必要な場合もあるので、別に不思議ではありません。

 守安さんの分析は、当時の水準では極めて妥当なものです。また、「その他の研究に於ても或は人員の過少、或は条件の分析の不足等から必ずしも俄に信用できないものゝ多い」「此の事実によって現在の立場としては『関係なし』との結論を余儀なくされるのである、勿論『絶対に関係なし』と云うのではなく、此の研究の範囲に於てである。」などの公平な態度は大いに讃えられるべきでしょう。

 しかし、当時の学問の水準を考えると、否定的な結果が出ても全く不思議ではないのです。

 年齢的に考えて、守安さんが生きているとは思えませんが、もし生きていたとしたらまず間違いなく血液型と性格に肯定的な結論が出たものと思います。非常に残念というしかありません。(*_*)

 ここで、もう一度能見正比古さんの言葉を拝借します(『新・血液型人間学』角川文庫版109〜111ページ)。

 [反対派は]ほとんど資料ゼロの状態で、数人の例外らしきものをあげ、やみくもに騒ぐ。古川氏の資料の検討さえせず、全くの感情論なのだ。…
 現在もたまに「血液型と気質の関係は、かつて学界で否定された」という人がある。50年近く前の学界を持ち出すのも、おかしな話だが、いくら調べても否定の事実はない。わアわア騒いで古川氏を沈黙させただけなのである。第一、医学者が反対したのも、おかしい。人間の行動や表現、文化や社会現象については、医者は全く専門外、素人である。また、人間科学についての学会もまだ世界に存在したことがない。こうして戦前の研究は、うやむやにされた…

 能見さんは、私なんかよりずっと戦前の論文は読んでいたはずですから、こうなるとこの記述は正しいのかもしれません。さすがに能見さんですね。(^^)

 しつこいようですが、『流れを読む心理学史』の記述を繰り返します。

 ABO式血液型の違いが気質の違いを作り出すとするこの[古川]学説には、医学・教育・産業・軍事などさまざまな領域から関心が寄せられ、少なく見積もっても300以上の論文が彼の学説を追試しました。ただし、結果は古川の主張に一致しませんでした。(松田,1991;大村 1990)。学説としての血液型気質相関説はわずか数年でその学術的価値を失いました。しかし、この学説こそが、日本の心理学説で最も関心を持たれたのだという事実はけっして消えることのない事実ですし、提唱された仮説が多くの追試によって確かめられる(=否定される)というプロセスは、まさに科学のそれであるといえるでしょう。

 皆さんは、この記述は正しいと思いますか?


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最終更新日:平成16年3月16日