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前川輝光さん 『血液型人間学--運命との対話--』 松籟社 H10.7 3,400円+税

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 画像だけではわかりませんが、A5判、614ページに小さな活字でびっしりと書かれています。原稿の量は、400字詰めの原稿用紙で1,734枚(ちなみに普通の本はせいぜい数百枚)。これだけで著者の熱意と情熱がヒシヒシと伝わってきます。全体の解説を書くのは大変なので、前書きからの引用を中心に、私の興味があるところだけ、つまみ食い的に紹介だけしておきます。(^^;; とにかく、能見さん以外の血液型人間学の本では、ダントツでオススメなのがこの本です!
 では、まず帯からです。

アカデミックな血液型人間学の集大成!!
血液型と人間の気質の関係は事実である。

「血液型人間学の三巻本計画」を温めてきた。そのうちのふたつを、本書に収めた。血液型人間学の歴史、私なりの血液型人間学体系。今回の仕事で、アカデミズムの世界での血液型人間学の確立に向けてたしかな手応えを感じている。

巷(ちまた)にあふれる「血液型占い」…
必死に否定しようとする心理学者たち…
いったい、血液型は、
人間の気質と関係があるのかないのか?
ここに、ついに答えがでた。

 これでだいたいの雰囲気はわかってもらえると思います。なお、筆者は亜細亜大学国際関係学部助教授で、インド宗教・文化論、比較文化論、宗教学が専門です。ただ、経歴を見ると河合隼雄さんのユング心理学と心理療法にも造詣が深いようです。そういう意味では、心理学的な反論でもあるということができるでしょう(ここの心理療法のところが副題の「運命との対話」ということになります)。つまり、帯にもありますが「アカデミックな血液型人間学の集大成」ということですね。次に、内容の紹介に移りましょう。都合のいいことに、著者による前書きで全体の内容が紹介されていますので、ちょっと長いのですが引用させてもらいます(「…」は省略を示します)。

 「血液型人間学」というと読者の皆さんはどのようなイメージを持たれるであろうか。現在それは一方で、ほとんど占いまがいのものとしてではあるが熱心に受け入れられているかと思うと、学問的にはまったく何の根拠もないとする強硬な反対派にもこと欠かない。…血液型人間学への態度は、これまで、この占い的肯定派とでも呼ぶべきものと、学的反対派とでも呼ぶべきものに二分されていた。本書は、そのどちらとも異なる第三の道「学的肯定派」の立湯に立って、血液型人間学の歴史と展望を語ることを目標としている。
 本書の主人公は、1971年の「血液型でわかる相性」以来1981年10月30日の心臓破裂による突然の死まで、血液型人間学にかかわる発言を続けた能見正比古という人物である。…
 血液型人聞学をめぐる近年の多少とも意味ある議論−残念ながら、それはほとんど学的反対派によるものであるが−は、その大半が、昭和初年度の「第一次血液型ブーム」の中心人物古川竹二(1891−1940年)に主力を注いでいる。本来古川よりずっと重要であるはずの本書の主人公能見正比古についての議論は、古川に比し手薄であるばかりでなく、さまざまな点で問題をはらんでいる。
 もっとはっきり言ってしまえば、ずさんかつ偏見に満ちたものであった。…
 というわけで、「学的肯定派の立嚇で血液型人間学の歴史と展望ととりくむ」本書は、より具体的には、能見正比古を正確に評価しなおし、彼の仕事を真に継承し、血液型人間学の発展に資することを目標としている。
 ここで簡単に本書の構成を紹介しておこう。「第1章 古川竹二と目黒夫妻」では、第1節で古川竹二の主著「血液型と気質」を検討する。…続く第二節では、古川の研究をひきつぎ血液型人間学の独自の展開を示した目黒宏次・澄子の「気質と血液型」を検討する。この著作は、従来、言及されること自体珍しかったし、たまに言及されても、つきつめたものではなかった。…本書では、能見正比古に焦点を合わせているため、能見およびそれ以後を論じるのに必要な限りで、能見の先行研究を整理したのである。
 第2章では本書の主人公能見正比古の生涯を論じる。反対派からの能見への人権を無視した人格攻撃、誹誇中傷に対抗するためにも必要な作業である。第3章では、能見の血液型人間学分野以外の多様な作品群を概観する。…
 かくして、続く第4章で、我々は能見血液型人間学の作品史を概観する。…こうした作業は、従来の反対派の議論に決定的に欠けていたものでもある。
 続く第5章、第6章は、第4章とともに本書の中核をなしている。第4章で能見血液型人間学を歴史的に考察したのに対して、この2つの章では、より体系的に考察している。第5章では、血液型人間学以外の性格研究の検討によって血液型人間学の位置を確定すること、第6章では血液型人間学の活用をめぐる問題が眼目となる。筆者が能見の再評価・真の継承を主張するとき、それは、能見のそのままの肯定を意味しない。本書は反対派への反批判の書であるとともに 能見に対しても批判的まなざしを保っている。このこともことわっておきたい。
 第7章では、[能見]俊賢とABOの会について見ていく。第1、3節でABOの会を論じているが、能見生前の時期の同会については第2章で論じたので、ここでは能見の死から同会の死滅までを見ていく。第2節では、能見死後の俊賢による血液型人間学の経過−単純化・通俗化・マニュアル化・科学性の喪失について見ていく。第4節では、ABOの会の主要会員について概観する。
 第8章「血液型人間学への批判と反批判、新たな胎動」では、第7章までの検討を踏まえ、近年の主として反対派の立場からの血液型人間学をめぐる主要な議論を概観する。代表的論客として、ここでは、大村政男、白佐俊憲・井口拓二、松田薫、竹内久美子等をとりあげる。筆者は第4−6章におとらず本章にも力をいれた。それは、もちろん、ここでとりあげた議論から我々が血液型人間学の発展へ向けて、いくつかのヒントをひろい上げることができると考えるからでもある。しかしそれだけではない。 反対派による能見への執拗な人格攻撃を含む決して上品とは言えない議論に、いささか義憤を感じたからでもある。本章は、こうした議論が大手を振ってまかり通っている日本の知的状況への怒りの産物としても書かれた。

 また、能見さんが「在野」の「ポピュラー・サイコロジスト」であるという点については、

 能見をめぐる議論には彼の肩書をめぐる発言があいつぎ、そうした非本質的問題が、あたかも主要な問題の1つであるかのごとく、喧伝されてきている。筆者は本書でそのことの不当さをも論じているが…

 ということです。全くそのとおりで、「差別」はケシカランという人がそういう肩書きによる「差別」をするのは自己矛盾だと思うのですが…。

 この本で非常に印象的だったのは、第2章の能見さんの生涯のところと、第5章の血液型人間学の体系的考察です。意外なことに、能見さんの生涯は一般にはあまり知られていません。この本を読んで、能見さんの思いがけない一面をいろいろと知ることができました。第5章は、血液型人間学の体系的考察についてです。これまた意外なことに、いまだに一般には正確には知られていないのです。血液型人間学が世の中に知られるようになってから、既に四半世紀以上はたっていますが、いまだに多くの誤解があるのは非常に残念です。一番大きな誤解は、血液型人間学は血液型による性格の類型を作るというものであるというものです。これこそ全くの誤解なのですが…。
 面白かったのは、能見さんが自分の血液型人間学を「血液型生態学」とも呼んでいたという記述です(なるほど確かにそのとおりですね)。私は反射的に南方熊楠を思い出しました。熊楠については、最近はブームになってきていますし、再評価も盛んなので知っている人も多いと思いますが、念のためマイクロソフトの『エンカルタ98』から引用しておきます。

南方熊楠 みなかたくまぐす 1867〜1941
生物学者だが、人類学・民俗学者としても名高い。和歌山県生まれ。おさないころから、あらゆる書物をよみあさった。大学予備門(現在の東京大学の前身)にはいり、正岡子規、秋山真之、本多光太郎らと同窓だったが中退。中南米をまわったのち、1892年にイギリスにわたって、ロンドンの天文学会の懸賞論文に1位で入選。大英博物館東洋調査部員になり、人類学・考古学・宗教学などを独学するとともに、世界各地で発見、採集した地衣・菌類に関する記事を、科学雑誌「Nature」などに次々と寄稿した。
帰国後、和歌山県田辺にすみ、柳田国男らと交流しながら、卓抜な知識力と独創的な思考法で、日本の民俗、伝説、宗教を、広範な世界の事例と比較し論じた。「十二支考」などの研究がある。また、自然保護の観点から、明治政府のすすめた神社合祀(ごうし)によって神社の森がうしなわれることを批判、反対運動に精力をかたむけた。

 ここには書いてありませんが、熊楠には奇行が多く、当時は学問的にも毀誉褒貶が非常に激しかったのです。大学は中退し(能見さんも東大工学部卒業後東大法学部に入学するが中退)、独学で多くを学び、権威には追従しないという能見さんとの多くの共通点が見られます。つまり、自他ともに認める「権威」ではなかったのです。しかし、現在では田辺市が熊楠を顕彰するホームページまで作っています。
 郷土の偉人になった現在でも、学問的な評価はいまだに定まっていないところもあるようです。既存の学問の枠には入りきらなかった人ということなのでしょう。死後50年以上もたつ現在でも評価が定まっていないということですから、なんと能見さんと似ていることか!
 となると、能見さんも死後数十年経てば出身地の金沢市が顕彰碑や顕彰ホームページを作る時代が来るのでしょうか…。そんなことも考えながら読んでいました。

 第8章では、否定論者への反論が中心となっています。否定論者が能見さんを古川竹二のコピイストとせざるをえない理由や、FBI効果への疑問などの統計的な点の記述もあります。もっとも、この章を読むのには専門的な統計学や心理学の知識は必要ありません。普通の人が読んでも、十分に理解できる記述です。

#著者は能見さんのことを全て肯定している訳ではありません…

 おっと、肝心のことを書かなければいけません。現在、能見正古比さんの『血液型三部作』が入手しにくくなった今では、能見血液型人間学を知るには一番適した1冊だということです。こういうすごい本が出版されてしまった以上、肯定論者も否定論者も、この本を無視して議論を行うことはもはやナンセンスになってしまいました。断然オススメの1冊です!   -- H10.8.21

【お知らせ】 平成10年9月27日付『毎日新聞』の11面に、前川輝光さんのインタビューが載っています! おめでとうございます!

 以下は抜粋です。

 『血液型人間学』
 著者 前川輝光さん
 論証を重ねて「運命」に迫る

 「血液型人間学は現在、占い的肯定派と、心理学者を中心にした学的反対派に2分されている。ここでは、そのどちらとも異なる第3の道『学的肯定派』の立場にたって、その歴史と展望を語っています」
 アカデミックな血液型人間学の集大成、と本の帯にあるが、これにかけた熱意は半端じゃない。…大学院進学直前にたまたま血液型人間学に触れてから18年余、温め続けてきた構想をまとめあげた。…
 「私の場合、ウェーバーとユングと血液型人間学の研究は分かち難く結びついていた。伝染病一般にO型は相対的に強く、A型は弱いというように血液型と病気との相関は知られており、気質とも関連はある。動物行動学における行動観察と同じで、血液型人間学も学問的に成り立ちます」…
 副題では「運命との対話」と掲げ、「これまで不幸にも血液型で性格が決まるように語られすぎ、それが誤解のもとになった。血液型は人間のある一面を理解する強力な装置で、それを通して人間に生態学的なアプローチができる。…反論は、大歓迎です」と語る。
 本人はB型。…「プロ野球記録を調べたとき、250以上の奪三振記録を達成した延べ56人のうちの血液型判明者延べ46人中、野茂と同じB型がB型が22人(47.8%)と圧倒的。数々の大投手を華出したO型がわずか延べ4人と振るわないのは意外でしたよ」…
 この本は血液型3部作の一つで、次はプロ野球・勝負師編に取り組む予定というが、「いまは、さすがに疲れました。しばらく血液型人間学から離れ、インド研究に打ち込みます」。 -- H10.10.1

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前川輝光さん『血液型人間学--運命との対話--』から

Red_Ball12.gif (916 バイト)著者の前川輝光さん、そして出版社である松籟社の特別のご好意で、第8章「血液型人間学への批判と反批判、新たな胎動」の第1節から第4節まで(531〜578ページ)を転載します。許可をいただき、本当にありがとうございます。m(._.)m

 かなり学術的な内容で読みごたえがあります。(^^)

 なお、転載に当たって、読みやすくなるように次の変更をしました。

 都合により、必ずしもページの順にアップロードするとは限りませんので、どうかご了承ください>ALL

 では、スタート! -- H11.8.2

第8章 血液型人間学への批判と反批判、新たな胎動

 第1節 概 観

 本書の最後に、我々は、能見死後の血液型人間学をめぐる主要な議論を整理しておきたい。それは、主として、(能見)血液型人間学に対する批判論であったが、部分的に血液型人間学を肯定したものや、竹内久美子の著書のように、明確にそれを肯定したものも含まれていた。前章で検討した能見俊賢とABOの会からは、能見の死後、血液型人間学の学説上の新たな展開はほぼ皆無という状況であったが、むしろ、能見と距離をおいた人々の間から、まだしも読むに価する発言が登場したのであった。
 読むに価するとは言っても、そのことは、それらの発言と筆者の考えが一致するということを意味しているのでは ない。むしろ、筆者は、それらの発言には多くの批判を持っているし、本章で、以下、それについて詳しく語っていくつもりでもある。それでも、誤解と悪意に満ちたこれらの発言には、まだしも学問的色彩が――もちろん程度の差は多々あるが――認められる。[能見]俊賢の無内容で有害な作品群を読まされた目には、よほど新鮮に映る。それらへの反論をとおして、我々は、血液型人間学を再検討し、より強固に基礎づけることができるであろう。その意味で、筆者は、もちろん竹内という肯定派のものも含めて、能見死後の、本章でとりあげる論客たちの発言は、血液型人間学の新たな展開をもたらすものとさえ考えている。
 まず、能見死後の主要な議論を年表にまとめておこう。ここには血液型人間学批判のための若干のテレビ番組も含まれている。雑誌記事については、血液型人間学批判を主題とした最初の単行本、森本毅郎の“TBS日曜ゴールデン特番”編『血液型人間学のウソ』以前の主要なもののみを掲げておく。

1981年
1982年
1984年
    
1985年


1986年

1990年
1991年
1992年
1993年
1994年


1995年
10月30日
5月17日
7月15日
8月17日
1月
3月8日
3月15日
3月30日
4月10日
10月1日
5月24日
7月20日
5月10日
4月25日
7月1日
7月25日
3月25日
能見正比古死去
 NHK「ウルトラアイ・診断あなたの血は・血液型」
 TBS「森本毅郎の諸君スペシャルだ・ブームに異譲あり!血液型信仰を斬る」
『週刊朝日』「血液型性格分析症の困った病巣」
『文芸春秋』「血液型人間学の嘘」
『朝日ジャーナル』「シリーズ・こんなものいらない!?血液型性格判断」
『血液型人間学のウソ』
『「血液型」の迷路』
『性格とは何か・血液型性格論を信じるのは……だ!?』(矢田部順吉、太陽出版)
『血液型と性格』
『「血液型と性格」の社会史』
『血液の不思議Part2』
『血液型性格研究入門』
『小さな悪魔の背中の窪み』
『現代のエスプリ・血液型と性格』
『「血液型と性格」の社会史 』改訂第二版
『「血液型性格判断」の虚実』(草野直樹、かもがわ出版)

 能見の生前も、血液型人間学に対する批判が公けにされなかったわけではない。第4章でふれたように、『科学朝日』73年12月号に掲載された佐々木敏裕「血液型で人間が判別できるか」は、能見との論争を生んだ。未見ではあるが、75年には、萩田徹も『宝石』2月号に批判文を発表している。
 しかし、社会的影響力から言えば、それらは、それほど目につく発言ではなかった。社会的影響力の大きい血液型人間学への反論は、能見の死後になって、続々と登場してきたのである。
 最初のそれは、NHKの科学番組「ウルトラアイ」の「診断あなたの血は・血液型」であった。この放送は、以下に詳しく論じる大村政男の所属する日大の心理学スタッフの協力の下に制作されたものである。後続の血液型人間学批判の主な論点・手法は、そのかなりの部分が、ここですでに姿を現していたと言ってよい。また、能見の死後、半年ほどでのこの番組の放送は、血液型人間学批判の効果的なタイミングを計算してのものだったように思える。能見の死の直後というのでは、個人を鞭打つものとして、視聴者の反感を買いかねなかったし、強力な論客がいなくなったすきを狙っての攻撃という批判(実際、能見がいなくなったからこそ、こういうずさんな反論番組が放送されたという側面は、否定し得ないように思われる)も避けたかったことであろう。かといって、そういつまでも反論を遅らせる気持ちも毛頭ない。半年もたてば、能見の死の記憶も何とか薄らいでいることだろう。こうして、82年5月17日が選ばれたのだと思われる。
 次の目立った反論もやはりテレビ番組だった。TBSの「諸君スペシャルだ。ブームに異議あり!血液型信仰を斬 る」である。NHKの反論番組から2年2ヵ月ほどが過ぎていた。ここでも、大村政男や詫摩武俊が番組の制作に協 力している。この番組をもとに、8ヵ月後、血液型人間学批判の最初の単行本『血液型人間学のウソ』が発表される。この番組について、松田薫は以下のような証言をしている。

 TBSの番組(=「諸君スペシャルだ」…筆者)はどんなことがあっても(血液型人間学を…筆者)否定するという筋書きが先にあり、学者があわせたとは友人から聞いていた。マスコミの力の強さはしっていたけれど、筋書きどおり合わせる学者がいるとはおどろいた。1985年9月25日、友人の上司であるTBSのディレクター岡庭昇に他(文芸)のことで会うと、彼がいうのに森本の血液型の番組は、能見正比古の息子(俊賢)を批判するために僕がつくった。能見正比古は初代だから許せても、息子は許せないのだ。と、私などには理解しがたい論理をくりひろげた。(『「血液型と性格」の社会史』改訂第二版342頁)

 このとおりに番組が作られたのかどうかはわからないが、番組に初歩的な知識の欠如、誤解、曲解その他、そうとう乱暴な議論が見られたことは確かである。血液型人間学反対派は、一般に、反対派どうしでは批判したり、否定的なコメントをしたりはし合わないものだが、この番組をもとにした「ウソ」については、さすがに主要な反対派の一人溝口元も、こうコメントせざるを得なかった。

 本書は初めて血液型人間学の否定を正面から試みようとした意欲的なものであり、その点は高く評価したいのであるが、いささか慎重さを欠いた箇所が多々目につく。(溝ロ『軍隊と血液型気質相関説』、『生物学史研究』No.49、1987年、28頁)

 「能見は許せても息子は許せないという岡庭昇の発言は、能見と俊賢の決定的な相違を確認している我々には、理解できなくもないであろう。
 このように多くの問題をかかえた番組ではあったが、それに刺激を受けてか、これ以後、「ウソ」の出版までに、3つの血液型人間学批判の雑誌記事が発表される。『週刊朝日』に発表された森田秀男の「なぜか若い女性にまんえん 血液型性格分析症の困った病巣」、『文芸春秋』に発表された2人の医師中原英臣・富家孝による「血液型人間学の嘘」、『朝日ジャーナル』の特集記事「シリーズ・こんなものいらない!?・血液型性格判断」である。
 「ウソ」の出版後、1年ほどして、血液型人間学批判の第二の単行本、大西赤人による 『「血液型」の迷路』が出版された。本書でも、これについては、すでにくりかえし言及しているし、資料として重用している。 『「血液型」の迷路』は、血液型人間学反対派(大村政男、山岡淳など)との討論(計63頁)、能見俊賢との討論(77頁)、かつて血液型人間学に関心をもったことのある人々(井上〈現西館〉好子、永島慎二)との討論(計56頁)を含み、とくに俊賢との討論部分は資料的価値が高い。しかし、第5章でも詳しく見たとおり、大西の血液型人間学批判には、難点が多い。それでも、大西は本書以後も、時々、血液型人間学への批判を続けている(たとえば、『AERA』94年9月5日号「血液型考現学」などで)。
 血液型人間学批判の書としてより本格的な作品が登場するのは、『「血液型」の迷路』から4年半後の大村政男『血液型と性格』以後のこととなる。同書以後、松田薫『「血液型と性格」の社会史』 、同改訂第二版、白佐俊憲・井口拓自『血液型性格研究入門』、『現代のエスプリ・血液型と性格』と、続々と重要な文献が発表されている。肯定派の側からも、竹内久美子『小さな悪魔の背中の窪み』が1994年に出た。
 本章では『血液型と性格』以後のこれら6冊の本を中心に、能見死後の血液型人間学の展開を見ていくこととした い。『血液型人間学のウソ』、『「血液型」の迷路』、『「血液型性格判断」の虚実』およびいくつかの雑誌記事については、これら6冊の文献を論じるさいに、多少の言及を行うこととなるであろう。なお、血液型人間学批判の雑誌記事は、84−85年の3本以後も次々に発表され、血液型人間学叩きのテレビ番組も、日本テレビ『巨泉のこんなモノいらない!?』(87年12月6日放送。番組の大要を伝えた記事が大橋巨泉『巨泉のこんなモノいらない!?決定版』第3巻、日本テレビ放送網、1990年、に収録されている)、TV東京の「不思議な世界」(92年12月2日放送)などくりかえし制作された。
 また、大学紀要、学会報告などでも、血液型人間学批判が数多く行われるようになってきている。『血液型性格研究入門』の文献目録などによれば、それらの学会報告の最初のものは、大村政男『「血液型性格学」は信頼できるか』であったようだ。(『日本応用心理学会第51回大会発表論文集』1984年、所収)。『血液型人間学のウソ』によると、「ともかくも正式な学会で取り上げられたのは戦後…初めてのことで、大村教授の大英断といっていい」(101頁)そうだ。我々はまず、この大村政男の血液型人間学批判を検討しなければならない。 -- H11.8.2

  第2節 大村政男

 大村政男は、能見と同年の1925年に東京で生まれている。『血液型性格研究入門』中の大村を紹介した一節を引用すると――

 1948年、日本大学法文学部文学科(心理学専攻)卒業。法務府技官、二松学舎大学講師等を経て、現在、日本大学文理学部教授。文学博士。専攻は性格心理理学。日本心理学会常任理事。
 血液型に関する最初の研究発表「『血液型性格学』は信頼できるか」…以来、多数の研究発表・研究論文・解説等を公表している。今日まで、最も精力的に血液型性格関連説を批判し続けている心理学者である。320頁)

 この大村の血液型人間学批判の代表作が、1990年10月1日に発表された『血液型と性格』である。本節では、この本を中心資料とし、他の資料も適宜用いながら、大村の発言について見ていくこととしたい。
 本書について、大村は次のように語っている。

 1916年の原来復・小林栄の論説、1925年の 平野林・矢島登美太の研究、1927年の中島慶蔵の報告などを参照しながら、日本にユニークな思想体系を植えつけた古川の学説を歴史的に展望していくアプローチ…そういう歴史的な流れを明らかにしていく研究は…心理学史の観点からも展望していく必要がある。本書のかなりの部分はそれに費やされている。…
 古川学説は偽科学者の手にかかってピエロの扮装をさせられ、舞台に引っ張り出された。能見正比古の『血液型でわかる相性』1971年)に始まり、能見俊賢の『“血液型”おしゃぺり倶楽部』(1990年)に続く一連の偽科学シリーズの分析である。…この本のある部分はこの偽科学のデータ分析に向けられ、その非科学性を明らかにしている。(235−6頁)

 本書『血液型人間学――運命との対話』にとって、古川竹二とその時代は直接のテーマではない。というより血液型人間学について語ろうとするなら、何よりもまず能見正比古の著作ととりくむべきだというのが我々の判断である。そこで、「血液型と性格」の検討も、能見正比古と関わる問題を中心に行うこととしたい。
 あらかじめ主な論点をあげておけば次のようになる。
 1 能見正比古は古川竹二の学説をコピイしただけであるとする「コピイスト・テーゼ」とでも呼ぶべき主張。
 2 大村が「偽科学のデータ分析」と呼ぶ問題。すなわち、能見の提示したアンケート結果、分野別データの信憑性、有効性をめぐる議論。
 3 大村が「FBI効果」と名づけた血液型人間学の「トリック性や虚偽性」(233頁)をめぐる諸問題。
 4 大村自らもそれに属する既存の心理学の絶対視・相対化の欠如。これと関連して、大村の権威主義的性格も論じることとなろう。
 5 さらに、『血液型と性格』その他には、捏造その他の下品で不誠実な発言が多々見られる。これらについても検討しておかなくてはなるまい。-- H11.8.2

 これらは必ずしも、大村ではじめて現れた問題ばかりではないが、これらをすべて備えた大村の議論は、血液型人間学への他の反対論者にも多大の影響を与えている。我々は後に、それについても若干の整理を行うであろう。
 では、以上の5点について、一つ一つ詳しく見ていくこととしよう。

 1 コピイスト・テーゼ。大村は、おそらく意図的、戦略的に、能見を古川、俊賢、鈴木芳正と同列に置いている。前章までに見てきたようにこうした扱いはまったく不当なのだが、大村に限らず、よくやられている。こうした扱いの最大の拠り所となっているのが、「能見正比古の血液型人間学は、本質的には、古川竹二の学説をコピイあるいは剽窃しただけのものである」とするコピイスト・テーゼである。

 現代の血液型人間学は、古川学説のコピーとして存在している。…能見が築き上げたといわれる「血液型人間学」のようなものは学問とか科学とか呼べるような代物ではない。古川学説を面白おかしく拡大コピーしたものである。古川学説が下敷であることをはっきり表明するはずはないが、その所説の類似性はおどろくばかりである。(205頁)

 こう断言する根拠としては、次のような点があげられている。

 能見の血液型人間学が古川の血液型気質相関説をルーツに持つという決定的な証拠は、16万人にも及ぶとかいうデータが公表されていなど」とと、古川が指摘した事実とそっくりなことを記述していることである。(210頁)

 能見の提示したデータについては、第4章で詳しく紹介している。また、古川の提示した各血液型の気質特性と能見の提示したそれの内容の違い、両者の気質特性の提示スタイルの違い、さらには、古川と能見の性格の探求の仕方、両者の性格学説の類型論としての性格の違いについても、すでに詳しく論じている。大村は、およそきちんと古川と能見の読み比べをやっているとは思えない。しかし、こうした非常に不正確で偏見に満ちた理解にもとづいて、大村は能見を批判していくのである。
 もっと細かく見ていこう。大村は『血液型と性格』211頁以下で、古川、能見、鈴木芳正の提示する各血液型の気質特性の比較を行っている。ここではO型について見てみよう。
 大村は、この表から、能見が古川説をもとに、O型の性格像をでっち上げたと主張する。

 表56を見ると国語辞典的解説が数多く見られる。古川が「自信力が強い」というと能見が「根性・指導性・自主性」とスマートにエンラージする。自信が強ければ根性があるし、指導性もあるし、自主的である。(212頁)

 ここで、大村の表とともに掲げた 『〔文庫〕新・血液型人間学』「長所短所と、その血液型別リスト」のO型部分を見ていただきたい。大村が古川の「自信力が強い」から能見が 「エンラージ」したとする「根性・指導性・自主性」という言葉を捜してみると、「根性」は二段目の四行目、「指導性」は2段目の13行目、「自主性」は、2段目の5行目におかれていることがわかる(表中、ゴシック体で表示)。この表では、各行は、能見の抽出したO型の気質特性を表している。1段目は、各気質特性の一般的表現であり、2段目、3段目は、その気質特性が長所に見られる(作用する)時、短所に見られる(作用する)時の他者から見た印象である。

 O型者の特徴における三者の類似(『血液型と性格』211頁)

古川竹二

能見正比古

鈴木芳正

○自信力が強い。
○意志強固。
○精神力旺盛。
○決心したら迷わない。
○物に動じない。
○理知的で感情にかられない
○強情、頑固になりやすい。
○融通性に欠ける。
○謙虚でない。
○冷静・冷淡。
○個人主義に傾く。
根性。指導性。自主性。
○意志が強い。
○積極的。向上心。
○周囲に流されない。独断。
○率直。信念的。慎重。
○実際的。他人の気持ちに無神経。
○論理的。理屈っぽい。強引。強情。
○好き嫌いが激しい。権力志向。
○干渉。非協調性。出しゃばり。
○派閥性。淡泊。計算高い。
○自己防衛的。利己的。
○夢や理想がある。詩的。
○自信が強い。
○意志が強い。押しが強い。
○精力旺盛でばりばり仕事をする
○決心のあと迷うことがない。
○物に動じない。
○理知的で感情を抑える。
○自分の判断をまげようとしない
○強情。頑固。
○融和性がない。謙譲心に乏しい。
○冷静。冷淡。
○個人主義に傾きやすい。

 長所短所と、その血液型別リスト(『〔文庫〕新・血液型人間学』318頁)

O型の気質特性

それが長所と見られるときは

それが短所と見られるときは

目的志向性の強さ
欲望がストレート
カ関係を敏感に意識
勝負師性の烈しさ
頭押えられるの嫌う
ロマンチックな性情
判断行動が現実的
直線的な考え方
仲間作りと仲間意識
スキンシップな愛
仲間外には警戒心大
個性的な物事を好む
自己主張と自己表現
言葉の使い方が巧み
行動に原則を持つ
感情が後に残らない
社会を強く意識する
○実行力あり。有能やり手。意志が強い。
○情熱的。愛情が強い。直情。積極性。
○向上心。いい意味の野心的。忠実。
根性。負け嫌い。度胸あり。決断力。
○独立心。自主性。不屈。自尊心強い。
○夢や理想がある。詩的。感動性に富む。
○実際的でしっかり者。生活力。大局観。
○率直。人がいい。直観力にすぐれる。
○温かい。面倒見いい。友情。家族思い。
○人間味。人なつっこい。開放性。
○慎重。人に乗ぜられぬ。口が固い。
○個性尊重。独創性。周囲に流されぬ。
○表現力。明朗率直。意見持つ。指導性。
○論理的。説得力がある。話が判り易い。
○信念的。行動が明快。コソコソしない。
○淡白。おおらか。寛容。ハラがある。
○高い政治意識。人間関係大事にする。
●強引。仕事にムラ。手段を選ばない。
●がめつい。所有欲・独占的。利己性。
●権力志向。出世主義。(逆に)卑屈。
●すぐ張り合う、協調乱す。素直でなく強情。
●権力志向。出世主義。(逆に)卑屈。
●子供っぽい。口先だけ。安っぽい。
●計算高い・ぬけめがない。金銭ずく。
●単純。大ざっぱで繊密さ乏し。独断。
●派閥性。身内ばかり大事。えこひいき
●ベタベタする。しつこい。人に干渉。
●分けへだて・自己防衛過剰。神経質。
●変り者。いかれてる。好き嫌い烈しい。
●出しゃばり。自己宣伝。一言多い。
●口だけ達者。理屈っぽい。言動不一致。
●独断的。押しつけがましい。馬車馬。
●いい加減。人の気持ちに無神経。
●人の好悪に神経質。政治的にすぎる。

 A型者の特徴における三者の類似(『血液型と性格』212頁)

古川竹二

能見正比古

鈴木芳正

○温厚従順。
○慎重。細心。
○謙虚。
○反省的。
○感動的。
○同情心。
○犠牲心。
○自分をまげやすい。
○融和的。
○心配性。
○感情に動かされる。
○意志強固ではない。
○決断力に乏しい。
○恥ずかしがりや。
○孤独で非社交的。
○内気で悲観的。
○穏やか。八方美人。まじめ。
○慎重。責任感。人をよく見る。
○礼儀正しい。自分に厳しい。
○節度。常に自己改造。筋を通す。
○繊細。
○思いやり。
○骨惜しみしない。犠牲的精神。
○思い切りがよい。
○常識的。中庸。
○細部にこだわる。焦り易い。
○疑い深い。
○受動的。飽きっぽい。
○〕自信がない。
○小心。
○秘密主義。心が狭い。
○不平や愚痴が多い。頑固。
○倣慢。執念深い。独善。
○環境に順応し、従順でおとなしい。
○慎重o細心の注意をはらう。
○謙譲。
○反省的。責任感が強い。
○A型を動かすのは感情。
○同情心。
○犠牲的な行動。
○自分をまげやすい。
○全体のなかに融和する。
○くよくよ気にする。
○嫉妬深い。
○意志の強さがない。
○決断力に乏しい。
○恥ずかしがりや。
○孤独で非社交的。
○神経質。内気で悲観的。

 B型者の特徴における三者の類似(『血液型と性格』213頁)

古川竹二

能見正比古

鈴木芳正

○淡泊。快活。
○活動的。刺(戟)激に速やかに応じる。
○社交的。
○楽天的。物事を長く気にしない。
○お−年くり。出−単ばり。
○派手。誇張。
○移り気。執着心少なし。
○放胆。
○果断。
○慎重さなし。
○動揺。意志弱し。



○気さく。気軽。淡泊。
○興味本位。仕事や機会に生きろ。
 感受性。計画が実際的。
○客観性。
○人がいい。だまされやすい。開放性。
○無用心。考えが甘い。細部を気にしない。
○いい意味での野心が少ない。
○非常識。
○散漫。信念に乏しい。柔軟思考。
○創造的。
○不作法。無愛想。大胆。
○決断と実行。厚かましい。独立心。
○わがまま。慎重さ不足。
○家庭・家族への責任感が乏しい。
○煮え切らない。お天気屋。
○自信が強い。
○意志が強い。押しが強い。
○精力旺盛でばりばり仕事をする
○決心のあと迷うことがない。
○物に動じない。
○理知的で感情を抑える。
○自分の判断をまげようとしない
○強情。頑固。
○融和性がない。謙譲心に乏しい。
○冷静。冷淡。
○個人主義に傾きやすい。



 つまり大村が古川の「自信力が強い」に対応するとしたこれら3つは、実は、能見の表の中では、気質の異なる3 つの特性についての限定を付された表現なのである。能見のこうした表においては、気質の各部分を表すそうした言葉が、O型についてのこの表全体の、さらには4つの血液型についてのこうした表全体の文脈の中においてこそ意味をもち、その内容が明確に規定されるのであり、単独にとりだして用い得る気質のアトムではないということもすでに述べたとおりである。
 言葉が気質のアトムを表現し得るとするのは、古川の立場である。大村は、苦労して、また学説の発展の当然の結果としても、「古川の絶対」を脱した能見を、「古川の絶対」に無理やり押し込めてとらえようとしている。あるいは、大村の性格理解そのものが、古川段階程度なのであろう。ともかく、「エンラージ」などとはとうてい言えない。
 大村は、表56について(さらには、A型、B型についてO型同様の三者比較を行った、表57、58についても)、その出典を示していない。古川については「血液型と気質」中の第96表「各血液型者本来ノ気質ノ長所短所」(231−2頁)であると言ってよかろう。能見については、さしあたり、『〔文庫〕新・血液型人間学』と考えておいてよい。古川から能見への「エンラージ」を語るためにはつごうの悪い事実を隠すためにこそ、とくに能見について出典が伏せられたのかもしれない。
 この表には、これ以外にも問題がある。古川と鈴木については、それぞれ11項目で、それぞれの特性の内容もよく一致しているが、能見については、12項目あげられているのである。古川、能見、鈴木の対応、あるいは、能見、鈴木が古川の コピイストであることを論証しようとするのなら、能見の部分も11項目でよかったはずである。能見の12項目目は「夢や理想がある。詩的」。ちなみに、A型の場合にも、古川の16六項目に対し、能見は17項目(鈴木16項目)、B型では古川11項目、能見は13項目(鈴木は12項目)である。どうしてわざわざこういうことをしたのか理解できない。
 ただ、次のことには気づく。能見の項目として掲げられているものが、古川の項目が尽きるところまでは、古川のそれと対応しているかというと、文脈を無視して、能見の表中から言葉を抜き出して各項目をこさえ上げるようなことまでしているにもかかわらず、あまり対応していないのである。「自信力が強い→根性。指導性。自主性」は、問題はあるが、対応していると言えば言えなくもない。しかし、たとえば、A型についての「(古川)内気で悲観的→(能見)不平や愚痴が多い。頑固」(122頁)、B型についての「動揺。意志弱し→わがまま。慎重さ不足」、「慎重さなし→決断と実行。厚かましい。独立心」(123頁)というのは、どう見ても対応しているとは言えない。
 しかし、よく見ると、B型についての古川第10項目「慎重さなし」に対応するものは、能見の第2項目に「わがまま。慎重さ不足」として、古川第11項目「動揺。意志弱し」に対応するものは、能見第13項目「煮え切らない。お天気屋」として登場しているようにも見える。どうやら、大村は、古川、能見については、どれとどれが対応する項目であるのかがはっきりしない形で表を作っているようである。それが単に大村の論述のずさんさを現すものなのか、意図的にあいまいな形にしたのかは不明だが、いずれにしても、きわめて問題の多い表作りであると言わなければならない。ちなみに、大村は、文中、どの血液型についても、古川→能見の「エンラージ」の例を1つずつあげているが、それは、各表の1行目にあたり、読者は当然、古川の項目と能見の項目は、対応しながら左に進んでいくものと考えるはずである。大村は、この表の見方について、きちんとした説明を与えてはいない。
 古川、能見の項目の対応がわかりにくいだけではない。対応させられているらしく見える項目間を比べても、内容は一致しているとは思えない。先に「問題はあるが、対応していると言えば言えなくもなどとした「自信力が強い」と「根性。指導性。自主性」にしても、やはり問題はあるのである。自信はあっても根性、あるいは完遂能力、意志の弱い人間や、自信はあっても集団を動かすことに全く気乗りのしない人間もいるものだ。O型の表で対応していることになっているらしい「強情、頑固になりやすい」と「論理的。理屈っぽい。強引。強情」も、内容がほとんど一致しないし、能見の項目とされているもの(例によって、大村がもともとの文脈を無視してこさえ上げたもの)自体に統一性がない。まったく、わざわざこうした架空の能見の項目をでっち上げることまでしながら。筆者には、大村が何を考えているのかわからない。
 「コピイスト・テーゼ」をめぐる大村の発言には、他にも大きな問題が残っている。AB型である。古川は、AB型については、「血液型と気質」で他の3型ほど詳しい特徴をあげていない。ほとんど、内面はA型的、外面はB型的であるとしたのみである。それに対し、能見は、他の型とまったく同等にAB型の特徴を詳しくあげて説明を加えている。大村のコピイスト・テーゼは、ここでも破綻しているのだが、大村は、何の根拠も示さずに、能見は「古川のラインにそってAB型者の人間像を勝手に模写しているのである」(134−5頁)と強弁している。苦しまぎれの「古川のラインにそって」の内容は、もちろん不明である。
 能見の独創を古川に帰するために、大村は次のようなでっち上げさえ行っている。日本大学通信教育部の教科書として大村が著した『心理学1・2・3・4』(1991年)第7章は、「血液型心理学」であり、『血液型と性格』同様、古川、能見の学説が、非常な悪意を込めて論じられているのであるが、その途中、「古川があげた各血液型者 の特徴とその長所・短所」(128頁)という表があげられている。御覧のとおり、能見の著作、たとえば、『〔文庫〕新・血液型人間学』中の「長所短所と、その血液型別リスト」(318−21頁)と非常によく似た表である。
 大村はこの表について次のように語っている。

 古川は、O・B型者は積極的で、A・AB型者は消極的だが、それぞれの気質には長所と短所があることを指摘しています。O型者は「落着いている」という一般的特徴を持っているので、長所としては「自信が強いのですが、短所としては「強情、頑固になりやすいのです。古川のこの考え方は非常に面白いアイディアだと思います。表7−2には、古川があげた各血液型者の特徴とその長所・短所が載せられています。(『心理学1・2・3・4』127頁)

 古川があげた各血液型者の特徴とその長所・短所(『心理学 1・2・3・4』 128頁)

一般的特徴 長所 短所
O型者 落着いている。
被暗示性が少ない。
感情にかられない。
ものに動じない。
きかん気。
他人にあまり左右されない。
精神力が強い。
事を決したら迷わない。
意志が強い。
根気がよい。
おとなしそうでも自信が強い。
自信が強い。
意志が強固である。
物に動じない。
理知的で感情にかられない。
精神力が旺盛である。
決心したら迷わない。




強情、頑固になりやすい。
融通性に乏しい。
謙譲心に乏しい。
理知的で感情に動かされる
ことが少ないので、物事に
対し冷静になり、冷淡にな
りやすい。
個人主義に傾きやすい。


A型者 遠慮深い。
内気。
温厚。
物事が気にかかる。
事を決するときに迷う。
用心深い。
深く感動する。
人とあまり争わない。
自分を犠牲にする。
温厚従順である。
事をするとき慎重で細心。
謙譲である。
反省的である。
感動的である。
同情心に富んでいる。
犠牲心に富んでいて、融和
的である。
心配性である。
感情に動かされやすい。
意志が強固ではない。
決断力に乏しい。
自分をまげやすい。
孤独で非社交的である。
内気で悲観的である。
恥かしがりやである。
B型者 気軽であっさり。
物事を長く気にしない。
物事に執着することが少ない。
快活で、よくしゃべる。
刺激がくると、すぐ反応す
る(敏感)。
気軽に人と交わる。
人の世話などをよくする。
物事によく気がつく。
物事をするのに派手。
淡泊である。
快活である。
活動的である。
刺激にすみやかに応じる
(敏感)。
果断である。
社交的である。
楽天的である。
物事を長く気にしない。

移り気である。
執着心が少ない。
放胆で、慎重さがない。
事をするのに派手なので、
事実を誇張しやすい。
事に当たっては動揺しやす
く意志強固ではない。
多弁になりやすい。
出過ぎたことをする。

AB型者 内面 A型者の一般的特徴を
持っている。
A型者の長所を持っている。 A型者の短所を持っている。
外面 B型者の一般的特徴を
持っている。
B型者の長所を持っている。 B型者の短所を持っている。

 しかし、ここでも表7−2の出典は示されていない。
 実はこの表は、先にも紹介した、古川「血液型と気質」中の第96表「各血液型者本来ノ気質ノ長所短所」(231−2頁)をもとに大村が作成したものである。御覧のとおり、大村の表の「長所」「短所」の内容は、古川96表とまったく同じもので、表記と表現が現代風に改められているだけである。しかし問題は、大村の表の「一般的特徴」の欄の存在である。

 各血液型者本来ノ気質ノ長所短所(短所ハ修養ナキ人ニ見ル所ナリ)『血液型と気質』231−232頁)

血液型 長所 短所
一、自信力強キコト
ニ、意志強固ナルコト
三、物ニ動ゼザルコト
四、理智的ニシテ感情二駆ラレザルコト
五、精神力旺盛ナルコト
六、決心ノ後迷ワザルコト
一、強情、頑固トナリ易キコト
ニ、融和性ニ乏シキコト
三、謙譲心二乏シキコト
四、理智的ニシテ感情ニ動カサルヽコト少キ結果物事ニ対シ冷静トナリ、冷淡トナリ易キコト
五、個人主義二傾キ易キコト
一、温厚従順ナルコト
ニ、事ヲナスニ慎重、細心ナルコト
三、謙譲ナルコト
四、反省的ナルコト
五、感動的ナルコト
六、同情心二富メルコト
七、犠牲心二富ミ融和的ナルコト
一、心配性ナルコト
ニ、感情ニ動カサレ易キコト
三、意志強固ナラザルコト
四、決断カニ乏シキコト
五、己レヲ枉ゲ易キコト
六、孤独ニシテ非社交的ナルコト
七、内気ニシテ悲観的ナルコト
八、恥シガリナルコト
一、淡泊ナルコト
ニ、快活ナルコト
三、活動的ナルコト
四、刺激ニ応ズルコト速カナルコト(敏感)
五、果断ナルコト
六、社交的ナルコト
七、楽天的ナルコト
八、物事ヲ長ク気ニセザルコト
一、移リ気ナルコト
ニ、執着心少ナキコト
三、放膽ニシ慎重ナラザルコト
四、事ヲナスニ派手ナル結果、事実ヲ誇張シ易キコト
五、事ニ当リ動揺シ易ク、意志強固ナラザルコト
六、多弁トナリ易キコト
七、出スギルコト
AB  此ノ型ノ人ハA型トB型トノ両気質ヲ併有シ、外面ヨリノ判断困難ナレドモ、一般ニ外観上ハB型的ニシテ、内省ニハA型的気質ヲ答ウル者多シ。
 故二外面的ニハB型ノ長所短所ヲ有シ、内面的ニハA型ノ長所短所ヲ有スル者多シ。
 例エバ、
    快活磊落ナレドモ、一面用心深キコト、
    果断ナレドモ、一面動揺シ易キコト、等ノ如シ。
 稀内外共ニA型的ニ見ユル者アレドモ、幾分B型的ノ長所短所ヲ有スル点ニ於テA型者トハ異レリ。例エバ、
    用心深ケレドモ、一面思イキリヨキコト、
    温厚ナレドモ、一面誇張的ナルコト、等ノ如シ。

 古川の表は、能見の「長所短所と、その血液型別リスト」と同じ精神・構造のものではない。古川は各型の気質の長所・短所を、ある一般的気質特性の裏表として提示しているのではない。そもそもO型の長所は、古川によって6項目、短所は5項目あげられている。A型では7項目対8項目、B型では8項目対8項目である。古川は、各型ごとに、長所、短所と価値評価した気質特性の「アトム」を並べているだけなのである。古川の表を上下で読み比べれば、そのことは明らかであろうO型の長所4と短所4は裏表の関係として書かれていると言ってよいが、番号を同じくする長所短所がすべて裏表の関係にあるのではないし、すでにのべたように、どの型でも、長所短所の数は一致していない。当然、大村が自らの表で「一般的特徴」としてあげているような、各長所短所の源になるような特性に古川が言及したこともなかった。
 大村の頭には、能見の「長所短所と、その血液型別リスト」があったのであろう。そして内心「この考え方は非常に面白いアイディアだ」と思ったのだが、能見を高く評価するようなことは避けたかった。能見は「古川のコピイスト」以外のものであってはならなかった。そこで、『血液型と気質』第48表「血液型ト気質トノ関係」と第96表「各血液型者本来ノ気質ノ長所短所」を総合して、能見の構想に似せた表をでっち上げたのである。その表の「一般的特徴」は古川の第48表からとったものである。ただし、古川がO型の1つの項目とした「落付イテル人(被暗示性ノ少イ人)」や「意志ノ強イ人(根気ノヨイ人)」を、それぞれ2項目に分割するなどの改竄を施している。
 こうした出典や能見の表を念頭において、あらためて大村の表を見ると、まず、「一般的特徴」「長所」「短所」の各血液型ごとの項目数が全くまちまちであることに気づかされる。当然、一般的特徴の表裏として長所、短所が提示されるという構成にもなり得ていない。古川と能見の所説を比較して能見を古川のコピイストと断罪したはずの大村だが、能見の学説について正しく理解し得なかっただけではなく、古川の学説についても、勝手な解釈をほしいままにしている。いや、解釈以前の問題だ。『血液型と性格』の表56−58といい、この表といい、よくこんなでたらめな表がまかり通っているものだ。大村の古川、能見批判、とくに能見批判のでたらめさは、大村自身が、古川と古川説信奉者に投げつけた次の言葉そのものである。

 まったく苦しい合理化である。…さまざまな合理化をして繕っていく。まさに満身創痩である。『血液型と性格』163頁)

 我々は本節において、大村の能見批判の「苦しい合理化、満身創痩」ぶりを、さらに何度も目撃することになるであろう。
 大村のコピイスト・テーゼの無効性、でたらめさは、もう言うまでもないだろう。ごく普通の理解力さえあれば、そして、権威主義に屈することさえなければ、「能見(は)、古川が指摘した事実とそっくりなことを記述している」との大村の発言をうのみにしてしまうことはないだろう。
 大村が「まったく苦しい合理化」をし「満身創痩」になりながらも、能見を古川のコピイストと決めつけ、また鈴木芳正や俊賢とさえ同列におこうとしたのには、次のような理由があったと思われる。
 大村とて、血液型人間学を否定しようとするさい、能見が最大の障碍、強敵であることぐらいはわかっているであろう。であるから、できれば、正面から能見ととりくむことは避けたい。能見を古川のコピイストと読者に考えさせることができれば、能見批判はぐっとやりやすくなる。データ的にも方法的にも、古川なら比較的簡単に叩ける。古川を叩いてしまえば、そのコピイストも、当然、「本家」とともに叩いてしまった、学問的有効性を否定してしまったということになる。それだけではない。「古川からの影響、 あるいは古川からの盗作をひた隠しにしているコピイスト=能見」という像を提示することができるなら、人格面からも、能見の信用を失わせることができる。ここは何としても、「能見=古川のコピイスト」というテーゼを成立させなければならない。そこから、大村のでたらめな能見論、能見批判がスタートするのである。
 さらに、念には念を入れて、能見を俊賢、鈴木芳正と同列においてみせることも忘れなかった。鈴木芳正も古川のコピイストとされ[1]、古川のコピイストどうしということで、能見は鈴木と同列におかれる。能見と俊賢の違いも無視され、俊賢は能見の「とんでもない偽科学の遺産を受け継いでしまった」306頁)と語られる。古川と内容こそ違え、俊賢も鈴木芳正もアラだらけであることは同じだった。読者に、未熟な古川に加え、インチキな俊賢、鈴木とも能見を同一視させるように持っていければ、間接的に能見の信用を落とす材料に事欠かなくなる。古川竹二と違って、俊賢、鈴木の場合には、本、雑誌、テレビなどをとおして、その発言が多くの人々に知られている。大村自ら彼ら2人のアラを指摘せずとも、勝手に自分のアラ、無内容さを暴露し続けている。自分は「能見=俊賢、鈴木」との詫宣を下しさえすればいい。そうすれば濡れ手で粟の効果を期待できる―そんな計算があったのではないか。
 2 次に、「偽科学のデータ分析」の問題をとりあげよう。実は、大村の能見批判のこの部分も、「コピイスト・ テーゼ」と密接な関係にある。
  『血液型と性格』中の能見批判の章「7 現代血液型性格学の迷路」の構成は以下のようになっている。@能見が古川のコピイストであることの「論証」→A能見(と俊賢)のアンケート結果についてのサンプリングの歪みその他の批判。これに、B「付録 推計学の論理」での『血液型政治学』中の分野別データ批判が続いている。この順序は、おそらく、明確な計算の上に設定されたものである。すなわち、@で、能見を古川に還元する。第6章までに古川「批判」はすんでいるので、こうした還元により、能見の学説の無効性を宣言する形となる。そして能見の人格にもケチをつけておく。それを受けて、能見の提示するデータ群の中でも、とくにアンケートを選んで、「批判」する。
 実は、本書第4章で詳しく見たとおり、能見はアンケートよりも分野別データの方を重視していた。

 この方法こそ、だれが、いつ調べても、同じ結果が出るという自然科学の条件にかなうものであり、今後とも続けなければなりません。…この分析から、血液型ごとの気質的特徴の観察を裏づけ、あるいは、それを具体的に拾い出すことができる点でも、アンケート調査以上に、確実なことが少くありません。(『血液型と性格ハンドプック』69頁)

 しかし、大村は、能見批判の本論では、アンケートを攻撃の対象に選んだ。「サンプリングの歪み」論で攻めようとの着想を得たのと、そもそも、大村がそれまでに学んできた心理学には、分野別データの駆使といった方法がなかったために勝手が違ったのと、その分野別データ中に、第4章で見たとおり、有意差をともなうものが数多く含まれていたために、正面からとりくみたくなかったのと、それやこれやからの選択であったろう。そして、「サンプリングの歪み」を声高に叫び、能見のアンケートを葬り去ったことにして、大村は、「付録」という目立たない場所で、能見の著作の中でも、分野別データの豊かさの点で最高傑作と言い得る『血液型政治学』中の諸データを、アンケー卜批判の余勢を買って、どさくさまぎれに否定しようとしたのである。
 巧妙に、能見血液型人間学の最難関の砦を避けたのである。最も攻めやすい古川を最初に攻め、それを手がかりに、最難関へと、順次難敵に当たっていったのである。ちなみに、アンケート論も、まず俊賢のそれを批判し、次に能見を叩くという順序になっている。実に秩序立ったやり方である。[2] 最初に古川を攻めるという戦略は大村に限らない。従来、反対派の血液型人間学批判は、あきれるほど古川とその時代に集中していた。
 それはともかく、大村の能見批判の三段論法のうち、コピイスト・テーゼのでたらめさについてはすでに詳論した。次にアンケート分析であるが、これについても、「サンプリングの歪み」論に、それほど有効性のないことと、大村自身が、『朝日ジャーナル』85年3月8日号で、「歪んだ」480人の日大学生のアンケート結果を平気で提示していたこと(91頁)、さらには、大村のいう能見の「歪んだ」サンプルそのものが、ある種のきわめて有意性の大きい分野別データでもあることをすでに確認している(第4章第3節)。
 ここでは、大村の分野別データ「批判」のようすを詳しく見てみよう。まず、『血液型政治学』への大村のみごとな「批判」を見てみよう。  -- H11.8.8

表E 衆議院議員の血液型分布(能見正比古) (『血液型と性格』246頁)

O型者 A型者 B型者 AB型者 人数

観察値

163
(36.0)
140
(30.9)
83
(18.3)
67
(14.8)
453
(100.0)

能見の用いた
血液型出現率

30.7 38.1 21.8 9.4 100.0

期待値

139.0 172.6 98.8 42.6 453.0

(注)観察値は能見の原表から推定している。

実際の計算

χ02

(163-139.0)2
139.0

(140-172.6)2
172.6
(83-98.8)2
98.8
(67-42.6)2
42.6
=26.81

  表Eは能見正比古によってまとめられた衆議院議員(1978年4月現在)452人の血液型分布である。…表Eに載せられている実際の計算を見ると、χ02の数値は26.81になり、衆議院議員の血液型にはこれといった特徴がないとする帰無仮説は棄却されてしまう。衆議院議員にはある特定の血液型的特徴があったのである。本当だろうか。…
 計算されたχ02の値は26.81にな(る)。…これで帰無仮説は棄却されるのであるが、こういう解釈でよいのだろうか。表Eを見ると、O型者が24人、AB型者が24.4人も多い。…能見は、「政治家の血液型分布の特徴は、O型が最大多数、A型が日本人平均より大きく後退し、AB型がまた伸長し、日本人平均に対する倍率は、AB型が最大となる」とか、「いわゆる狭い意味での政治性、政治家タイプの主役はO型なのだ」…とまとめている。乗りに乗った結論であるが、そう簡単にはいえないのである。「なんの関連もない(これといった特徴がない)ということに対して否定的な結果が得られたというだけのことなのである。「実験仮説が承認された」のではなく、「帰無仮説が否定された」にすぎないのである。しかも、O型者やAB型者が多いといってもせいぜい24、5人、これでは社会を動かす法則にはなり得ない。さらに、自民党議員239人にはO型者とAB型者、社会党議員108人にはAB型者がそれぞれ多く、同じころの参議院議員223人にはこれといって多い型がないという状態である。さらに、知事経験者1978年4月)67人にはA型者が多いが、人ロ20万以上の市の市長77人にはこれといった多いものがなく、人ロ5万以下の市の市長200人になると岨型の多さが浮上してくる。要するに、そのとき、その血液型を持ったものが多かったというお話にすぎないのである。ある型が社会のあるポジションに向くということではないのである。帰無仮説はそう簡単に棄却できない。(246−7頁)

 χ02=26.81(f=3)が出れば、危険率は0.1%よりはるかに低く、これはもう偶然である可能性はまずない。これが、能見の提示した衆議院議員453人のデータについての統計学的に唯一正当な結論である。しかし、大村は、χ02=26.81を算出して見せながら、実に奇怪な論法で、それを無効に見せかけようと努めている。「実験仮説」を持ち出して、「帰無仮説が否定された」事実にケチをつけようとし、はては、引用の最後で、棄却されたはずの帰無仮説が未だ棄却されていないかのような発言をしている。『血液型と性格』古川批判部分で、古川の時代のデータ処理が、「目分量的」(111頁等)であると、くりかえし批判している当の大村が、「O型者やAB型者が多いといってもせいぜい24、5人、これでは社会を動かす法則にはなり得ない」などと目分量そのものの発言を平気でする。衆議院議員全体で有意差が出れば、その事実はくつがえしようがないのに、自民党と社会党では血液型構成が違うから、衆議院議員全体のデータも当てにはならないと理解に苦しむナンクセもつける。ちなみに、『血液型政治学』に提示された自民党衆議院議員329人は、O型95人(39.7%)、A型64人(26.8%)、B型46人(19.2%)、AB型34人(14.2%)で、χ02=21.25(『血液型政治学』71頁)、社会党のそれ108人は、O型38人(35.2%)、A型34人(31.2%)、B型15人(13.9%)、AB型21人(19.4%)で、χ02=16.65(『血液型政治学』77頁)である。社会党もO型は日本人平均よりはっきり増えている。そして、自民党議員も社会党議員も、血液型構成を異にしつつ、それそれ大きな有意差を示していることを見落としてはならない。
 大村は、『血液型政治学』をまともに読んでいないらしい。あるいは読んでも理解できなかったらしい。さもなければ、『血液型政治学』の論旨を、しかもまともには否定できない論旨を、意図的に無視、あるいは曲解しているのであろう。
 能見は、「政治家」の中でも、衆議院議員、参議院議員、知事、それぞれの規模の市の市長の血液型構成が違うことを明らかにし、そこからきわめて刺激的な分析を行った。このことは本書第4章『血液型政治学』部分で詳しく見たとおりである。ところが大村は、わざわざここで、衆参両院議員、知事、すべての市長をいっしょくたにしている。そして、衆議院議員と参議院議員、知事、市長の血液型分布率の違いを、やはり、能見の提示するデータの無効性を示すものと断定している。つまり、いつの間にか、能見の衆議院議員のデータは、「政治家一般」についてのデータということにされ、そこに示された危険率0.1%以下の有意差も、他の「政治家一般」についての諸々のデータとの不一致から無効と宣告されているのである。「さらに…さらに…」 と能見のデータを「無効」にする努力を重ね、そこから導き出された結論はすでに見たとおり、「要するに、そのとき、その血液型を持ったものが多かったというお話にすぎないのである」。有意差のことには頬かむりである。まったく児戯にも等しいめちゃくちゃな論理だ。
 大きな有意差をともなうデータをいくつも目撃していながら、「そのとき、…多かった…にすぎなどですまして いたら、科学の営みは停止してしまう。[3]そもそも、能見が『血液型政治学』で示したほどにきちんと考え抜いてはいなくとも、衆議院議員、参議院議員、知事、市長の職能の違いくらいは、少し思考力があれば誰にでも思い至る。大村は能見の誇る『血液型政治学』の分野別データを葬り去るために、その程度の思考力をさえ捨て去らねばならなかったようだ。あるいは、「まったく苦しい合理化である。……さまざまな合理化をして繕っていく。まさに満身創痍である」
 能見の提示する分野別データは、くりかえしになるが、大村等反対派にとって最大の難関である。それを読者に無効と思わせるためには、大村は手段を選ばない。こんな珍妙な発言もある。

 能見は推計学的方法を用いてものをいっている。彼は「“カイ自乗検定”という計算が、よく使われる。ややこしいことを覚えていただく必要はないが、この計算では“危険率”というパーセンテージをハジき出す」と書いている。統計学、特に推計学のコモンセンスを知らない人がそれをベースにして所説を展開するぐらい危険なものはない。(206−7頁)

 そして、欄外注に、「カイ自乗検定というのは、危険率というパーセンテージをはじき出すものではなどと付け加えている。
 もちろん、カイ自乗検定の計算は、直接にはカイ自乗値を「ハジき出す」ものである。そしてそのカイ自乗値をもとに、我々は、危険率のパーセンテージを得るのである。能見の言い方はやや未整理である。しかし、彼の一連の著作を見れば、彼が「統計学、とくに推計学のコモンセンス」をじゅうぶん知る人であることは明らかである。カイ自乗検定の手続きにきちんと従っているからである。まったく下品なあげ足とりと言わざるを得ない。それだけではない。むしろ大村こそ、「統計学、とくに推計学のコモンセンスを知らない」、あるいは、知っていても平気でそれを踏みにじる人間ではないか。
 大村は、『血液型と性格』古川批判部分でも、統計学を実に好き勝手に用いている。こんなふうだ。推計学的に有意な古川等のデータに対しては、「推計学的には一応その優位を認めることができるということだけなのである」(122頁)と軽くかわし、深入りせず、古川等の、推計学的検定に耐えられないデータに対しては、「そらみたことか」という調子で攻撃する。

  古川がいっていることも、秋吉のまとめていることも、現代の推計学の検定には耐えられない。すなわち、目分量統計法時代の遺物にすぎないのである。(123−5頁)

 推計学の意義をこのように自由にのびちぢみさせること、自分につごうのいい場合とつごうの悪い場合とでダブル・スタンダードを用いることが許されるのなら、やはり科学は崩壊してしまう。
 ある軍医の提示したχ02が200を超える圧倒的に有意な分野別データに対した時には、大村は、最初に何の説得力もない押しつけがましいコメントを付し、ケチをつけてからデータの紹介に入るというやり方をとった。

 軍医塚本宗たちは軍艦「八雲」の乗員の血液型について報告している。この研究は、…練習艦隊(1930〜31年)に乗艦した若い軍医の作業課題の報告書で、マイナーな宿題報告といえよう。このような研究をいくら積み重ねても血液型気質相関説のバックアップにはならない。しかし、いちおう、彼らの研究を紹介しておこう。…「八雲」乗員680人の血液型は、O型者25.9%(176人)、A型者19.3%(131人)、B型者35.3%(240人)、AB型者19.6%(133人)である。(166−7頁)

 すでに述べたように、この680人についてカイ自乗検定を施すと、χ02は200.1となる。
  『血液型と性格』全体をとおして、分野別データの扱いはこの調子である。いちいちあげていくときりがないほどでたらめな「批判」が続いている。大村は血液型人間学肯定派と一般読者をなめ切っている。俊賢の統計学オンチは見越されていよう。統計学風のものをちらつかせれば、俊賢は対抗できまいとふんで、血液型人間学肯定派には、他にも人材はなしと見て、こうしたことを敢てしたのだろう。血液型人間学の陣営をチンピラの集まりと見て、自分自身がチンピラまがいのことをしてしまったのだ。一般読者については、血液型人間学批判の書『血液型と性格』を読むくらいの読者なら、最初から血液型人間学に批判的であろうし、そうでなくとも、能見の著書をきちんと読んでいる読者はほとんどいまいし、統計学を理解する読者もほとんどいまいと計算していたのではなかろうか。
 しかし、能見の著書をきちんと読み、統計学を身につけた人間が現れた時、大村は能見に投げつけたセリフを自らが受け止めるしかなくなってしまう。

 能見は心理学がなにも批判しない時代に「鳥無き里の蝙蝠」のように飛びまわったが、現在はそのような跳梁跋扈は許されない。(236頁)

 ちなみに、『現代のエスプリ・血液型と性格』で、統計学的手法を用いて能見血液型人間学を否定したことになっている長谷川芳典は、大村の仕事を、何一つ批判せずに受け入れている。

 血液型人間「学」における統計的検定にも、じつはさまざまな誤用(悪用?)が認められるのである。誤用の実例についてはすでに大村が詳しく検討している。(124頁)

  そして、この『現代のエスプリ・血液型と性格』の特集号その他を見れば、大村の「データ分析」を受け入れている研究者は長谷川ばかりではないらしい。それどころか、正面切って大村のデータ分析を批判している研究者は、今のところ、白佐・井口くらいのものである。まことに不思議な、あるいは、まことに情ない状況であると言わざるを得ない。
 3 次に「FBI効果」について見ていきたい。大村は能見血液型人間学は二セ科学であり、自らの所説を真実らしく見せるために3つのトリックを用いていると言う。すなわち「フリーサイズ効果(Free size effect)」「ラベリング効果(Labelling effect)」「インプリンティング効果(Imprinting effect)」の3つである。「FBI効果」の「FBI」というのは、各効果の英語表現のうちの傍点を付けた[太字に変更]文字をつないだものである。
 各効果の内容は以下のようなものである。

 フリーサイズ効果というのは、(能見がある型の特性として提示した気質特性が…筆者)何にでも合ってしまうことをいう。B型の特徴は看板さえ換えれば、ただちにAB型になってしまうのである。(大村 「『血の商人』の餌食になるな」、『朝日ジャーナル』1985年3月8日号、91頁)
 ラベリング効果というのは、ラベル(レッテル)によって内容が規定されてしまうことである。これがO型の特徴だと書いてあれば、内容が何であってもO型だと思い込んでしまう。
 インプリンティング効果というのは、最初の接触で強い印象が人の心のなかに刷り込まれることをいう。…このインプリンティング効果が利用されているのである。これがA型の特徴だと書いてあれば、A型の人の心にそれが刷り込まれ、ずっと消去しないで存続する。(同誌90−1頁。以上、『血液型と性格』中の「FBI効果」についての説明はわかりにくいので、『朝日ジャーナル』中の発言を引用した)

 これら3つのいずれも、能見血液型人間学への批判として有効打となり得ていないし、それ自体、疑義をはらんでもいる。
 フリーサイズ効果。能見が各型の気質特性として提示している個々のものが、性格構成要素のアトムなのだとされているとすれば、こうした批判には妥当性がある。つまり古川竹二に対しては、この批判は意味をもつ。しかし、「コピイスト・テーゼ」のところで見たように、能見が各型の気質について言語を用いて表現するさいには、たとえば、「神経質」にしても、一つの、あるいは一群の表の全体の中に位置づけて、はじめてその内容・意味が了解できるようなスタイルで行っている。大村の物差で能見の表現はとらえられない。また、能見の性格表現の場合、全体の中に位置づけられることにより、その内容は、一義性を獲得している。時として能見自身が、古典的なアトムとして、自らが言語表現した各型の特性をあつかってしまっているという点は、おのずと別問題である。
 ラベリング効果。能見が精力的に紹介した大きな有意差をともなう分野別データの問題をクリアできない。個々人が自分をどう思っていようが、事実、分野ごとに、血液型構成は大きく異なるのである。
 インプリンティング効果。これもラベリング効果の場合と同様である。「これがA型の特徴だ」と書いてあることが、「A型の人の心に刷り込まれ」る以前から、血液型人間学が社会に定着する以前から、各分野の血液型構成は、多様な片寄りを示していた。また、能見のとらえた各血液型の性格像は、多くの場合、きちんと読者に伝わっていない。大村は、「FBI効果」を実証するために、84年10月、日大の学生を対象にある実験を行っている。大村は、「OとAB、AとBの(『血液型エッセンス』から抜き出した気質特性の…筆者)内容をそっくり入れ換えた「変換版」をつくり、被験者に示して自分に合っているかどうか尋ね」た。また、「看板はそのままにして、内容をランダムに変えた。つまり、看板はO型なのに生き方の基本はA型、行動性はB型を入れるなどバラバラにした「ランダム版」を示して、答えてもら」った。(『朝日ジャーナル』85年3月8日号、91頁)。その結果、いずれも、「これは…型についての特徴である」というラベルに、被験者が簡単にだまされてしまい、たしかに自分に合っていると答えた者が文句なしに多かったというのだ。「ラベリング効果」の実証というわけだ。大村はさらに、日大の学生を対象に別の実験を行って、フリーサイズ効果、インプリンティング効果も実証されたとしている(同誌91頁)。
 しかし、こうした実験によって血液型人間学の無効性が証明されたとすることはできない。「ラベリング効果」についての説明に、大村は以下の一節を加えている。

 このラベリング効果はなにも血液型性格学に限ったことではない。A大学出身とか、B会社の社員などというラベルによって重要な判断が軽率に行なわれてしまうのである。(『血液型と性格』234頁)

 しかし、この問題は実は、大村の依拠する既存の心理学において、すでに議論されていたことであった。引用した大村の発言ではこのことがばかされているが、白佐俊憲・井口拓自のこの点についての発言を読むと、事態がより明瞭になるであろう。

 こうした効果(=FBI効果…筆者)は特に血液型性格判断だけにあてはまるものではないようである。
 アイゼンクとナイアス…は著書『占星術−科学か迷信か−』の中で、「人びとが一般的で漠然とした性格記述と自分とを同一視するこの傾向は、バーナム効果と言われ、多くの研究で示された」と述べている。…つまり、血液型性格判断に限らず、ラベルを貼られると、たとえそれがデタラメな記述であったとしても、そこに示された性格が当たっていると思ってしまう傾向が一般にあるということである。(『血液型性格研究入門』46頁)

 大村自身、こうした説の存在は知っていたのである。『血液型と性格』の4年半前に出版された『「血液型」の迷路』では、大村は、大西赤人との対談中、目立たない形でではあるが、こうした説にふれている(これと同じような事が一般の性格テストでも起こります。そういう報告もありますよ」『「血液型」の迷路』86頁)。ただし、それが気になったらしい大西から質問が出ると、さっさとこの話題を切り上げている(87頁)。
 大村は、バーナム効果を知っていて、何食わぬ顔をして、その効果が現れる実験をしたのだ。つまり、はじめから、血液型人間学につごうが悪い(かに見える)結果が出ることを見越してこの実験をやり、その結果をこれ見よがしに示しているのだ。「トリック性や虚偽性」は、能見血液型人間学についてではなく、大村のこうした態度についてこそ問題とされるべきであろう。
 ついでに言っておけば、大村自身、「ラベリング効果」にすっかりやられてしまっているのではないか。「A大学出身とか、B会社の社員などというラベルによって重要な判断が軽率に行なわれてしまうのである」と大村は言うが、自分に「専門の心理学者」というラベルを貼り、能見に「心理学の素人」、あるいは「学問の素人」というラベルを貼ることによって、「自分の考えはすべて正しく、能見の発言はすべて誤り、あるいは虚偽である」と軽率に判断してしまっているのではないか。
 また、「ラベリング効果」は、大村の怪しげな論証、発言をうのみにする読者についても言われなければならない。こうした読者は、大村は「大学教授だから」信用できると思い、能見は、「大学教授でも医者でもないから」信用できないとしているわけである。大西赤人もまったくこのとおりである。『「血液型」の迷路』における大西の多くの発言は、能見の見解に対するに大村等反対派の見解を持ってきて、ほとんど無批判に後者を受け入れることで成り立っていた。
 たいした根拠もなく、ひとたび血液型人間学を「間違いだ」と思った後は、血液型と人間の性格・行動性の対応を示すどれほど多くの有力なデータが出てきても、それをまともに取り扱わない(取り扱えない)ところを見ると、大村は、「インプリンティング効果」にもやられてしまっているらしい。大村によると、「批判力がなく、被暗示性が強く、権威に弱い人ほど急速にインプリンティングされてしまうことが知られている」(『血液型と性格』234−5頁)そうだ。さらに、「フリーサイズ効果」そのものではないが、すでに見たように、大村は、統計学の意義を自由に(フリーに)のび縮みさせて怪しまない。こう見てくると、「FBI」("Labelling"から無理やりBの文字をとってくるのはいかにも見苦しく、筆者の趣味ではないが、ここでは一応こうしておく)にやられている、あるいはそれを駆使しているのは、当の大村自身だということになる。
 「FBI効果」論も、大村の他の発言と同様、大方の血液型人間学反対派に、何の疑問も感じずに受け入れられているが(たとえば『現代のエスプリ・血液型と性格』137、189頁、『血液型性格判断の虚実』50頁)、最近、ぽつぽつとそれについての批判も出てきている。坂元章のそれを見てみよう。

 FBl効果…これは実質的に、認知の歪みによる説明と言ってよいものである。
 この(大村の37名の中学生を対象とした1984年の…筆者)研究は、認知の歪みの問題を最も早期に指摘した、非常に意義深い研究であるが、黙従的な反応の構え…の問題を克服していないところに弱みがある。黙従的な反応の構えとは、質問の内容に関(ママ)わらずに「はい」と答えてしまう傾向を意味し、これまでの諸研究は、この傾向が一般的に見られ、とくに、年少者でそれが著しいことを明らかにしてきた。

 したがって、大村の実験の結果、中学生の89%が、誤った「血液型別の性格特徴」を自分にあてはまっていると答えたのは、認知の歪みという情報処理過程の性質を反映したものではなく、単に、黙従的な反応の構えを反映しているに過ぎないかもしれないのである。『現代のエスプリ・血液型と性格』179頁)[4]

 先に見た、日大の学生を対象とした大村の研究の場合にも、当然、「黙従的な反応の構え」は問題となる。大村は、血液型人間学つぶしの実験のパフォーマンスをするさいに、この問題についてもちゃんと知っていたのではないか。[5]
 さらに、「コピイスト・テーゼ」の検討のさいに見たような、能見の発言の歪曲や、能見、古川に関するさまざまな提造を見せられると、大村が、一連の実験で用いた各血液型の気質特性の「変換版」や「ランダム版」の内容も、詳しく吟味してみる必要がある。筆者が目にした限りの資料には、「変換版」「ランダム版」の具体的内容は示されていない。
 4 次に、大村による既存の心理学あるいはアカデミズムの心理学の絶対視、大村の権威主義的性格について見ておかねばならない。
 第5章で詳しく見たとおり、血液型人間学は既存の心理学が経験したことのない生得的分類箱的性格類型論として登場した。血液型人間学は、類型論としてのこうした特殊性から、分野別データの分析というきわめて厳密な統計学的数量的研究方法を可能とした。これまた、既存の性格心理学が経験したことのないものだった。こうした新たなタイプの類型論、研究方法は、心理学者たちが「FBI効果」などにやられず、虚心坦懐に血液型人間学と接しさえすれば、心理学全体を、どれほど豊かにし、活気付けてきたか知れない。また、心理学のこれまでのあり方に、どれほどの反省を迫っていたか知れない。しかし、心理学者たちは、自分たちの新たな成長の機会に対して目を閉ざした。大村は心理学者たちのそうした態度を代表している。
 彼は、能見血液型人間学登場以前に作られた、それゆえ、血液型人間学によって新たにとらえられた人間に関するさまざまな知見をまったく考慮していない性格検査によって、血液型人間学を葬り去ろうとする。  -- H11.8.15

 筆者には、こうしたやり方は、あたかも、中学生向きの英語の辞書だけしか使ったことがなく、英語にはこれだけの単語、イディオムだけしかないのだと思い込んでいる中学生が、より高度の、語彙の多い辞書に出ている単語、イディオムを口にする大学生に、「英語にはそんな単語、イディオムはない!」と食ってかかっている姿のように見える。
 まずは、大村のこの点に関する発言を具体的に見ておこう。

(a) 血液型と人間性との関連を追究する心理学的な方法は、質問紙法に基づくものが中心である。(『血液型と 性格』48頁)
(b) 心理学で使われている性格検査のなかにはとても検査といえないようなものや、筮竹占いに類するようなものもあるが、大部分は有効な科学的道具なのである。(28頁)
(c) 心理学は幸いにも絶対的といえるような性格検査を持っていない。そのために能見が犯したような誤謬を犯さなくてすんでいる。(48頁)
(d) へルパルト…は、黒胆汁質と多血質は感受性に関係し、粘液質と胆汁質は興奮性に関連しているといっている。さらに、彼は、ある個人が黒胆汁質と多血質の間を動くこともあるし、粘液質と胆汁質の間を揺れることもあるといっている。型や枠にはめないで移行的に考えていくところが興味深い。すなわち、感受性の軸と興奮性の軸を直交させて考えるのである。この考え方に基づいて作成されたのが野島忠太郎の気質検査である。このような検査はもちろん完壁なものではないが、血液型のような固定したもので人間を決めつける天降り的なものよりずっと人間理解に役立つことと思う。(68−9頁)
(e) 血液型と人間の行動のパターンを結びつけるとき、決定的な障害になるのは、性格検査の持つ無力さである。血液型も変化することはあるが、まずは無視してもいいような確率である。しかし、人間の気質や性格についてのスケールは不完全である。…
 血液型と人間行動のパターンを結びつけようとする試みで、その当初から問題にされることは、気質・性格の測定、しかも血液型に対応する確固たる測定である。…血液型…のような確固としたスケールに対応するものがい心理学にはない。おそらく将来においてもできそうもない。そこで、問題はゴージアン・ノット(「解決不可能の問題」と大村は注記…筆者)になってしまう(44−5頁)

 (a)で、血液型と人間性の関連を追及する中心的方法として、大村は質問紙法をあげている。能見がアンケート以上に重要な方法としてあげた観察と分野別データは無視されている。なぜなら、分野別データは、既存の心理学の知らない方法であったし、実験、心理検査に比べれば、観察の積み重ねという方法も、大村はそれほど重視していなかったからである。大村の場合、「若いころ臨床に従事したこともあったが、とても性に合わないので一般的な法則を追求する側に回ってしまった」(7頁)という経緯をたどっていた。
 ちなみに、古川竹二は、質問紙法を研究方法の中心に据えていた。大村が能見を古川のコピイストと言い、能見よ り古川を高く評価したのは、コピイスト・テーゼのところで述べた能見つぶしの戦略ということもあるが、自らになじみの方法を中心においた人物への共感ということもあったのかもしれない。大村が質問紙法が、『血液型と性格』 の研究の中心的方法だという時、それは、血液型人間学肯定派・推進派についての誤った、あるいは歪曲された発言 であるだけではない。これによって、同時に、血液型人間学つぶしの反対派による「研究」の正当性も主張されていると考えてよい。[6]すでに見たように、大村による「偽科学のデータ分析」は、能見の提示したアンケート結果の分析を中心としたものであった。
 そして、大村は、質問紙法を中心とする性格検査を、(d)の事例のようなものまで含めて、ア・プリオリに有効と断定((b)、(d))した後は、それに照らして、血液型人間学の有効性を否定しようとする。
 心理学では多くの標準化された性格検査を用意している。そういう性格検査によって、4種類の血液型者の性格を 探ろうとする研究(が)ある。…もちろん、これといった意味のある差異は現われてこない。(237頁)
 これと関連して、「FBI効果」のところで見たように、能見の本から抜いてきた各型の特性を、O型とAB型、A型とB型を入れかえたり、「ランダム版」を示したりして 被験者に自分の性格と合っているか答えさせるというようなこともやっている。実は、このスタイルは、古川竹二の質問紙法の裏返しのようなものである。古川の場合、彼が抽出した(と信じた)各型の特性を並べたものを見せて、被験者の自己診断との一致を調べるものであったが、大村の実験では、「まやかしの一致」を調べるために、そこでは各型の特性ということになっているものを被験者に示すのである。能見には、古川のスタイルの質問紙法、アンケートの使用はなかった。
 さらに、全体の連関から引きちぎられた各型の性格特性についての能見の表現をそれぞれ独立の項目として並べ、 それぞれが自分に当てはまっているかどうかを被験者に答えさせるテストも、大村は行っている 『朝日ジャーナル』85年3月8日号、91頁)。いずれの場合にも、大村が そこから導き出した、あるいは、それらを用いて大村が主張しようとした結論は、いうまでもなく、血液型人間学の破算であった。
 大村も、既存の心理学のすべての性格検査を肯定しているわけではないし((b))、有効性を認めた性格検査にしても、その有効性を絶対的なものだとは主張していない((c)、(e))。しかし、(c)に見るように、性格検査が絶対的でないことを、むしろ心理学の強みと強弁するような注目すべき態度も示している。
 血液型人間学の方法は、分野別データの分析を含め、別に人間性を探求するための絶対的検査法であるわけではない。それは個人についての探求法ではないし、人間の性格決定因の一つについてだけ、探求し得るにすぎない。それにしても、血液型の別は、(e)大村自身語っているように、確固としている。絶対的であると言ってもいい。これに対し、既存の心理学の性格検査には、これに相当する絶対的なものは何もない。このことは、既存の心理学の血液型人間学への優位として語られるべきことではなく、当然、血液型人間学の既存の心理学への優位として語られるべきことである。
 既存の心理学の性格検査の中には個人のアセスメントを、もちろん完全にではないが、そうとう突っ込んで行い得るものもある。投影法の一つであるロールシャッハ・テストの評価は高い(宮城音弥『性格』173−97頁、相場均『性格』177頁)。しかし、大村がもっぱら用いる質問紙法による個人のアセスメントは、それほど精度の高いものでも説得的なものでもない。大村自身、『「血液型と性格」の迷路』で大西との対談中、「性格をテストするという作業自体が非常に難しい」(88頁)ことを認め、「個人についてのアセスメントは実に難しい」(96頁)とも発言していた。
 血液型人間学が直接には個人の性格を把握しないことはこうした質問紙法による性格検査に対して、別にひけ目に感じるべきことではない。それは、人間の性格の一側面についての有効な理念型を提示するからである。既存の心理学の性格検査と血液型人間学とでは、目的も対象も違う。そのことをわきまえずに、個人の性格の直接的把握という目標の有無によって、血液型人間学と既存の心理学の優劣を論じることはできない。
 なお、大村は、「フリーサイズ効果」との関連で、血液型人間学は「心理学では絶対使わないアイマイな性格用語をたくさん使ってる」『週刊朝日』84年8月17日号、163頁)というが、当の大村の性格用語のセンスは、「ネアカ」「ネクラ」(『「血液型と性格」の迷路』98頁)程度のものであった。もちろん、血液型人間学の性格用語は、すでに述べたように、その性格を誤たず、きちんと全体の中に位置づけてとらえれば、それほどあいまいなものではない。
 能見血液型人間学では、分野別データ、アンケート結果の形で、明確な有意差をもったデータが数多く集まっているのだから、血液型と性格には、明確に関係があるのである。だから、大村、詫摩等が、血液型ごとの特異性を性格検査で見いださないとすると、それはむしろ、彼らの性格検査そのものにかなり問題がある、あるいは、彼らの性格検査の実施方法、解釈方法にかなり問題があるということになる。本来、ぶつかる必要のない血液型人間学とぶつかり(もっとも、能見も必要以上に、既存の心理学を悪く言ったのだが)、自分たちの側に、どさくさまぎれに裁判官の地位を引っぱり込むというのは、支持されるやり方ではない。
 既存の心理学が、一方的に自分たちに裁判官の地位を要求するやり方は、次のような形でも現れている。大村は、『血液型と性格』「終論…6つのアプローチ」で、血液型人間学が「再び科学のヴェールをかぶって現われて、人心を惑わさないように」するための「包囲網の監視所」(235頁)として6つのアプローチをあげているが、そのうちの4番目が、「血液型性格学を信じている人の性格研究」である。これは、詫摩武俊・松井豊が行った研究であるが、それについて、大村は次のように整理している。

 詫摩と松井は、ABO式の血液型によって性格が異なるという信念を「血液型ステレオタイプ」と名づけ、そのような信念を持っている人の性格にアプローチしている。その結果、回帰性傾向、社会的外向性、親和欲求、追従欲求などが強い人たちであることが見出されている。すなわち、気分にムラがあるが入づきあいが好きで、複雑な思考判断をするよりは権威に頼って生きていこうとするのんきな人たち、ということができるのである。(237頁)

 こうしたことを宣伝してまわれば、血液型人間学の普及に水をかけることができるとの期待もあるように見える。血液型人間学を信じている者たちは権威に弱いと言うが「権威」ということを言うのなら、能見は、それを理由にアカデミズムから白眼視されているように、アカデミズムに属する人間ではなかった。読者に「権威」としてふるまっ た結果、血液型人間学が普及したわけではない。血液型人間学の普及の進展とともに、能見の知名度が上がり、そのことが一種の社会的「権威」を能見に与えていったことは否定しないが、能見血液型人間学の発展期にそれを支えたのは、別に、社会的肩書というような意味での「権威」ではなかった。そうした意味での「権威」が能見になかったにもかかわらず、読者は能見を支持したのである。詫摩等の研究は85年に発表されたものだが(「血液型ステレオタイプについて」、『東京都立大学人文学部人文学報』172号)、この点についての考察を全く欠いていた。そして、彼らには、すでに能見が死去し、俊賢の時代になっていたということ、能見と俊賢の読者層を分けて考えるべきだという認識も欠けていた。
 詫摩・松井にしろ、大村にしろ、自分たちこそ大学教授としての「権威」で人々をねじ伏せながら、自分たちの発言を受け入れさせようとしていることも見落としてはならない。
 彼らの発言をうのみにする人々について、彼らはどういう評価を下すのだろう? 「権威に弱いのではなく、正しい権威を正当に受け入れる能力がある」とでも言うのだろうか? 筆者は、アカデミズムの世界に属しながら、筆者の周辺で、血液型人間学の妥当性をことあるごとに主張してきた。筆者が、ヴェーバーやユングの話をしている間は、熱心に話を聞いていた人物が、「血液型」という言葉を耳にした途端、ありありと当惑、場合によっては軽蔑の表情を浮かべるのを目撃するといった経験も何度も重ねてきた筆者の場合も、「権威」に弱いということになるのだろうか?
 もっとも確かに、筆者は「権威」に弱い。ただし、社会的肩書に弱いということではない。みごとな人物や仕事に備わった内的価値としての「権威」には、筆者は頭を垂れないではいられない。
 血液型人間学を信じる者の特性、あるいは人間類型を研究するのなら、血液型人間学反対派の人間類型をも研究してもらいたいものだ。
 しかし、大村を含め、心理学者たちに、性格検査で「権威主義的」その他、社会的に評判の悪い評価が与えられることはあまりありそうにない。なぜなら、彼らは、そうした性格検査の内容、仕組みについてよく知っているからである。ひとにその検査の結果を公表することになっている時には、意識的無意識的に、芳しくない結果を与える回答を避けるであろう。多少誇張して言えば、心理学者たちは、少なくともそのうちの反省心に乏しい者たちは、ひとを裁き支配する道具としてのみ性格検査、あるいは自らの奉じる心理学体系を用いていると言える。彼らはそれらによって裁かれることはない。
 もし自分や心理学者仲間について、さまざまな工夫の結果、きちんとした性格検査が行われ、その結果が公表されたとしても、彼らはあわてる必要はない。彼らは「専門家」なのだし、その解釈は、彼らが独占しているということになっている。もし他の心理学者から、自分にとって不都合な解釈が出されたとしても、「向こうの解釈が間違っている」と言えば、世間的には何とかかっこうがつく。
 こうして我が世の春だった心理学者たちは、自分たちの統制に服さない新たな性格類型論=血液型人間学が登場したことに脅えているのではなかろうか? 自分たちのハラの中をのぞかれることを恐れているのではなかろうか? 人間の心理や性格を判定・研究する人々にとって、このことは大きな制約となる。血液型人間学においては、その知識をもち、自らの血液型データを公表している人間は、すべて、いわば裁判官であると同時に被告でもある。こうしたあり方を受け入れない限りは、血液型人間学の発展には参画できない。常に自分も含めた人の心の裁判官でのみあり続けることになれ切っていた心理学者たちが、同時に被告になることをも要求される血液型人間学に反発するのも当然かもしれない。
 心理学者たちの利害関係と言えばこういうこともあろう。能見の出現以来、既存の性格心理学関係の本はずいぶん売れなくなったのではなかろうか。講演や雑文のチャンスも減ったろう。そう考えてみると、詫摩や大村等の発言が、心理学のための企業PRのようなものに見えてくる。ちょうど、あるコーラ会社がCF中で、ぬけぬけと他のコーラ会社のコーラを悪く言うようなものだ。PRもCFも自由だが、我々は、それらをそういうものと見抜かなければならない。血液型人間学が誇る分野別データについての大村の次の発言の滑稽さも、見抜かなければならない。

 (能見血液型人間学の…筆者)4つ目のトリックが、この推計学、つまり推測統計学による証明なんです。推計学という学問は、心理学でもなければ医学でもないんです.推計学で有意な差がある―といっても、結論はあくまでも心理学や医学が与えるべきものなんです。推計学だけに拠って積極的な結論を出して行くのは非常に危険な事です。(『「血液型と性格」の迷路』91−2頁)

 つけ加えておくと、医者は、個々には、性格についての傑出したディレッタントたり得るが、総体的には、もちろん、性格の「専門家」などではない。大村は血液型人間学を攻撃するさい、こうした医者たちをも味方に引き込もうとしている。
 心理学者たちは、近年、血液型人間学を攻撃することで注目を浴びるという新たな商売に気づいたようである?大村政男はその代表格である。大村は、能見等血液型人間学の中心人物たちを「血の商人」と皮肉ったが『朝日ジャーナル』85年3月8日号、89−92頁)、大村が、テレビに雑誌に、「大活躍」しているようすを見ると、「血の商人」とはいったい誰のことなのだろうと考えてしまう。もちろん、俊賢や鈴木芳正等もそれではあるのだが。
 大村はまた、能見が既存の心理学用語を正しく使っていないとかみついている。能見が性格の二重性と二重人格を混同してしまっていると言うのである『血液型と性格』29頁)。そして、わざわざ注で「このような混同は素人がよくおかす誤謬である」とだめを押すのを忘れていない。
 たしかに、既存の心理学の用語に照らせば、大村が引用している文中の能見の発言は表現が不正確である。しかしこのことも一言っておかなければならない。そうした表現が用いられてはいるものの、能見の意図はよく伝わってくるし、そうした表現を用いている内容そのものは傾聴に価するものなのである。
 大村は、既存の心理学の概念の操作を「きっちりと」やることができるのかもしれない(もっとも、『血液型と性格』の論理のずさんさを見ていると、この点もそうとう怪しい。しかし、一応こういうことにしておく)。能見はそうではないかもしれない。それは能見が、もともとアカデミズムの心理学を自らの職業としてはいなかったからだし、アカデミズムの心理学を、なめるようにして反芻すべき輝かしい存在だとは評価していなかったからである。しかし、学問的研究・著作の価値は、既存の研究の概念を「きっちり操作する」という点だけから判断されるべきものではない。そんなことは言うまでもないことだ。
 能見が既存の心理学の用語をきちんと用いていないからと言って、そこから、「だから、能見の言うことはすべていいかげん」などという結論は引き出せない。能見は、既存の心理学にほとんど頼ることなく、古川竹ニの研究をさらに発展させて、独自の人間学を構築したのである。既存の心理学とは別に、能見血液型人間学という独自の知の体系、言語体系が成立したのだ。大村のような批判が許されるのなら、当然、逆方向の批判も成り立つのだ。つまり、血液型人間学で使われている意味で、「神経質」その他の用語を、心理学者たちが用いていない等々である。
 しかし、そうやって互いに相手を排除し合っていても、およそ生産的とは言えない。能見の独善性についても、筆者はすでに批判してきているが、大村にも心理学、あるいは、自分の属する心理学の派閥の利害という狭い枠にとじこもるのではなく、真理の探求という研究者の本分に立ち帰って、生産的で責任ある発言をやってもらいたいものである。
 5 最後に、大村の議論の下品さ、不誠実さについて見ておこう。これらの点については、上記1〜4においても、すでにかなり示してきたが、言い残していることもある。まず、「血液型と性格」についての松田薫の怒りのコメントを見てみよう。

 大村の本の中身は、デタラメどころではない。絶句する。原因は溝口どうよう、大村も資料をさがさず、原典は誤読し、故人への誹誇中傷どころか資料や年代までも捏造してしまっている。…大村は…古川が1926年につくった気質検査表…という、存在しなかったものを捏造してしまっている。無いものをつくりあげる、大村の妄想グセは、…読者を混乱させる。さらに、…古川が先行論文無視で失脚したのに、なにもしらべず、「不思議」とか「謎」にしてしまう。全頁、こんな調子だ。
 大村は軍医のかいた論文を、歪曲してよむ。「軍隊=悪」のイメージの強い日本では、軍隊に関しては、どんな捏造も許されるとおもっているのだろう。…「図45井上日英の血液型による戦闘チームの構成」…まで創作する。…とにかく、大村の著作はひどい。…戦争反対といえば、平和論者になれる世の中の風潮を大村や溝口はよく知っているのだろう。…1980年代からは社会派ぶった心理学者(大村等のことであろう…筆者)を先頭にデタラメな学者たちがマスコミにあらわれた。(『「血液型と性格」の社会史』改訂第二版、350−5頁、367−8頁)

 松田は、古川竹二とその時代、あるいは古川前後の時代を主たる研究対象としている。それゆえ、ここで大村について言われていることは、主として、その時代の血液型人間学についての大村の誤読、捏造などについてのものである。しかし、我々は、本節での検討をとおして、松田が大村に投げつけた批判は、大村の能見批判に関してもそのまま当てはまるということを確認している。能見の研究を意識して、古川が考えたこともない内容の表を古川のものであるかのように提示する大村の妄想グセについてもすでにふれた。「軍隊・平和論者・社会派」をめぐる松田の批判も、まさにそのとおりである。
  松田自身、そうとう、能見という故人への誹諦中傷を行っているのであるが、それは後で論じるとして、大村が故人への誹諦中傷を行ったということは、能見についても当てはまる。それどころか、能見についての誹諦中傷は、古川へのそれを数段上回る悪質なものである。事実の提造と組み合わされて、そうした誹誘中傷は行われている。たとえばこんな具合である。

(a) 能見さんは大宅壮一の弟子ですね。大宅さんが血液型をやると儲かるぞと言われたので始めたというのですが、そのほうが真実だと思いますね。…
 大宅壮一という作家は弟子にしてくれというとだれでも弟子にしてしまうから、大宅壮一の弟子はワンサといるそうですね。能見さんもその一人です。『現代のエスプリ・血液型と性格』13−4頁)
(b) 能見さんは「血液型で人間の業績を云々してはいけいなどとも言っています。そのくせ、「西郷さんがあれだけのことをやったのはA型だからである」などと、維新の英傑を全部血液型で評価しています。呆れ返った話ですね。(同誌17−8頁)

 (a)について。大宅壮一が能見に血液型人間学をやるようにすすめたという事実、しかもその理由が「金もうけ」であったなどという事実は存在しない。また、大村は、後段で、能見が大宅壮一の弟子であったことは、たいしたことではなかったと読者に印象づけようとしているが、能見は大宅が始めた東京マスコミ塾に、数多い志願者の中から選ばれて参加したのである。[7]この発言は、能見に対してだけではなく、大宅壮一に対しても悪質な誹誇中傷である。[8](b)について。「西郷さんがあれだけのことをやったのはA型だからである」という能見の発言、もしあるというのなら出典を示して欲しいものだ。西郷については能見は、「ハンドブック」で「先年、遺髪を検査し、……西郷隆盛がB型と報告されました」(85頁)と記している。これに先立ち、『別冊ホリデー』76年5月号では、「A型かO型か」と迷っている。この時はまだ遺髪の検査は能見には知られていなかったのだろう(83−4−7)。「全部血液型で評価」ということも、すでに何度も述べてきたとおりナンセンス。まったく呆れかえった話である。[9]
 学問のルールを無視し、権力、肩書をカサに着た大村の破廉知な言動、権威主義を見ていると、松田ではないが、大村の社会派ぶった、我こそは日本の良心を代表する人物だと言わないばかりの、大げさな態度には心底腹が立ってくる。
 大村の軍隊がらみの発言を紹介しよう。

 この間、通信教育のスクーリングで反血液型性格学を講義したら、自衛隊員が反論してきた。自分の隊ては血液型によって隊員を処遇して好評だというのである。昔は「軍人勅諭」や「戦陣訓」、今は「血液型性学」である。暗澹たる気持ちで、浮かばれない。(『朝日ジャーナル』85年3月8日号、92頁)
 旧軍部における血液型と性格の研究は、1934年ごろから消え入るように無くなってしまう。…血液型が無効なために消えたのか、日本の大陸侵出のために研究の余裕が失われて消えたのかわからない。どちらにせよ、巨大な吸血爬虫類が一時的にも冬眠に入ったことは幸いだったようである。ただ、自衛隊でも血液型による指導で兵員を操作しているところがあるそうである。冬眠は終わったのかもしれない。(『現代のエスプリ・血液型と性格』85頁)
 すでに北京や台北でも日本の(血液型人間学の…筆者)翻訳書が出版されている。もしかすると、かっての“大東亜共栄圏”を再び血で撹乱するかもしれない。(同誌94頁)

 古川の時代の前後に、軍隊が血液型人間学に関心を示したことや、自衛隊の一部に血液型人間学に関心を示す者がいることは、大村のような人間には、そのまま血液型人間学のいいかげんさ、反道徳性を無条件に証明することのようである。科学の問題をどさくさまぎれに「道徳」の領域に引きずり込んで、「大衆」を扇動するのが、日本の知的良心を代表する大村政男先生のやり方のようである。
 道徳と科学を安易に混同する扇動的言辞に慣れ切った大村は、次のような珍論まで吐いている。

 ところで能見さんの集めたデータを検討してみると、 ある場合には推計学的に有意な差が出てくるんです。例えば、ある時期の衆議院議員にO型とAB型の人が多いということが明らかにされています。しかし、無知的暴力犯罪者にO型が多いということも明らかにされています。それでは2つのグループは共通性を持っているか―ということになりますね(笑)。能見正比古さんは「悪にも強く、善にも強いのがO型だ」と言って逃げちゃうんですね。(『「血液型と性格」の迷路』91頁)

 能見が、「長所短所と、その血液型別リスト」で示したとおり、各血液型の個々の性格特性は、状況により、長所ともなれば短所ともなる。また長所と見なされることもあれば短所と見なされることもある。一つの血液型でも、その中で無限の成長と堕落の可能性、無限の多様性をもつ。そして、日本では最少数派のABでも、日本には1000万人以上いる。一つの中規模国家の人口に匹敵する。大村の発言は、1つの国家の中に衆議院議員と無知的暴力犯が共存するのはおかしい」と言っているに等しい。大村は、News Week 85年4月1日号の「血液による“配役”」でも、インタビューにこたえ、「多くの国会議員はO型だが、犯罪者もそうだ。全くナンセンス」と発言している〈P.50)。
 大村のこうした発言は、学問的にナンセンスであるだけではなく、権力者へのへつらいという悪臭もたたえている。国会議員=善、無知的犯罪者=悪。国会議員であれば誰でも善の固まりであるなどと、いったい誰が考えるだろう?
 大村はこんなことも言っている。

 新垣は、当時の首相の近衛文麿もO型であると(外交官にはO型が適する、ひいては政治家にはO型が適するという…筆者)「O型神話」を強調したが、この近衛という人物は軍部、特に横暴な陸軍の圧力に屈して、日本を破滅に陥れる歴史の開幕者なのである。歴代の首相にはO型者が多いといわれているが、それが首相の特性でもなければ、適性でもない。なんでもないのである。ただたんにO型者が多かったにすぎない。『血液型と性格』190頁)

 大村は、能見が芸能界やスポーツ界などの事例を多く用いたことをさして、「能見の書いているものはコマーシャリズムに棹さした大衆的読物で、どうしてこのような非科学的読物が書けるのか、不思議である」(205頁)と批判しているが、能見の場合には、対象は柔らかくとも、それを切り取る方法は非常に科学的だった。これに対し、大村は、社会派ぶり、アカデミズムの権威をカサに着てはいるが、捏造、扇動、ダブルスタンダード、不当な人格攻撃、あげ足とり[10]と、そのやり方は、およそ「科学」「学問」などと呼べるようなものではなかった。
 大村は、マスコミを利用することのうまみにも気づいているようである。『血液型と性格』で「学術活動よりはマスコミの力である」(117頁)、「マスコミ関係者の力は偉大である」(252頁)とくりかえし語り、事実、テレビに出まくっている。ちなみに大村は、同じ本の中で、「人気があることと科学性があることとは別なことである。しかし、世間はそれらを混同してしまうことが多い」(54頁)と語っている。

 第3節 大村ユーゲント

 以上、大村の発言をたどってきた我々は、こう結論せざるを得ない。「大村の血液型人間学に関する発言はきわめて説得力に欠け、信用するに足りない。大村の発言をうのみにする者たち、大村に当然与えるべき批判を与えない者たちの思考は停止している」
 ところが、この思考の停止している者たちが、血液型人間学についての世論の形成に大きな影響力をふるっているのである。大村政男とならび、血液型人間学反対派を代表する人物として『血液型性格研究入門』でも紹介された発生生物学・現代生物学史・科学史専攻の溝口元、および、血液型生理学専攻の高田明和は、大村の盟友とも言うべき人物である。それぞれの立場から大村の発言を補完しつつ、血液型人間学攻撃の共同戦線を組んでいる。『「血液型と性格」の迷路』第4章の大西赤人との対談で、血液型人間学つぶしのために、実に珍妙な統計学論を展開した大村の日大での同僚山岡淳も、大村グループに属すると考えてよかろう。最近は、草野直樹という大村の弟子筋の人物も登場し、『「血液型性格判断」の虚実』で、大村の援護射撃をつとめている。日本の性格心理学研究の長老格詫摩武俊は、大村等とは独立に、一門の研究者たちと反血液型人間学の研究・発言を続けてきたが、最近、弟子の松井豊、佐藤達哉と組んで、『現代のエスプリ・血液型と性格』を編集した。ここには、大村一派が大挙参加し、詫摩グループに次いで多くの頁をしめている。詫摩等も、大村政男の言動を少しも批判しないまま、大村と共同戦線を組んだのである。
 「思考停止した人々」は以上にとどまらない。すでに紹介したように、大西赤人も、大村の発言をただうのみにするばかりであったし、森本毅郎『血液型人間学のウソ』も、大村の活動を好意的に紹介している(101頁)。大村をくりかえし出演させている各テレビ局も、「思考停止」をとがめられねばなるまい。松田薫は、『科学朝日』の編集者が、「大村政男の『血液型と性格』を紹介して、『ぜひ一読をおすすめしたい』とかいている」(『「血液型と性格」の社会史』改訂第二版、357−8頁)ことを報告している。
 もちろん、血液型人間学反対派の全論点が大村政男の発言に集約されているわけではない。それぞれの論者が、独自の観点から、独自の材料を用いて、大村には見られない内容の(能見)血液型人間学批判をも展開している。しかし、ここでは、もう、それら一つ一つについて反批判することはしない。そうしたものの一部は、大村批判の中で紹介し批判したし、紹介していないものについても、大村批判の5つの項目に準じて考えいただければ、大方のところ間違いない。
 大村の『血液型と性格』は、大村その他のそれまでの血液型人間学批判を一種集大成したものであり、その後の血液型人間学批判の展開をも大きく規定した。これほど不誠実で粗雑な著作が、血液型人間学の妥当性(の欠如)を語るさいの最高の文献として祭り上げられている日本の知的状況に、筆者はうすら寒い思いをしないではいられない。松田薫『「血液型と性格」の社会史』改訂第ニ版補章「止むことのない社会病理」は、こうした知的状況への傾聴に価する、部分的にはまったく的確な批判を含んでいる。松田の「人格権」(344頁)が、「補章」全体の大きなテーマの1つとなり、無理やり松田の個人的感情におつき合いさせられる点が閉口でもあるし、残念でもあるが。残念と言ったのは、松田の語り口のそうしたまずさから、松田の大村、高田等への批判の妥当性をも読者が疑いかねないことを危倶してのことである。  -- H11.8.22

 第4節 大村批判と血液型人間学半肯定派

 しかし、アカデミズムの心理学も、「思考停止」している者ばかりではなかった。白佐俊憲・井口拓自の『血液型性格研究入門』その他の発言、『現代のエスプリ・血液型と性格』の2、3の寄稿は、一方で大村を批判しつつ、より科学的態度で血液型人間学と向き合おうとしている。同時に、血液型人間学との格闘をとおして、自分たちの心理学についても、より厳しい目で反省を行おうとしている。本節ではこうした動きについて見ていこう。
 まず、白佐俊憲と井口拓自の研究について見ていこう。2人の代表的作品『血液型性格研究入門』の「まえがき」 で、2人の研究の経緯が次のように紹介されている。

 著者の1人・白佐は、「血液型性格判断の概観」という小論を1991年末に研究紀要に発表したのであるが、印刷されたものを読み返してみて反省として、論を進めるにあたり、批判的・否定的立場に偏り、断定的な表現を多く用いてしまったという感を深めていた。
 著者のもう1人・井ロは、血液型と性格の関係に関心をもち、これを卒論のテーマに取り上げたのであるが、研究を進めるにつれて、この問題に関しては、肯定するにも否定するにも、いささか偏見が入り込んだ議論が行われやすいと感じていた。そこで、「科学的精神」を最大限に尊重したいという理想の下に取り組み、1991年3月、卒論「血液型と性格は関係あるのか?」をまとめ上げた。
 1992年5月、北海道と東京に暮らすこの2人が縁あって出会い、「血液型と性格の関係」を語り合うことになったが、話し合いの過程で意気投合し、「血液型と性格は関係がないと本当に言い切れるのか」という視点から、今一度、一方に偏らない立場から「血液型と性格の関係」を見直してみようということになったのである。そして、これまでの研究成果や論述を丹念に整理して、その成果をまとめたのが本書である。(1頁)

 大村とその周辺の、いわば「極右反動」とでも言うべき頑なな血液型人間学攻撃にへきえきした目には、本書冒頭のこの発言は、非常に新鮮な印象を与える。「まえがき」だけではない。この発言を裏切らず、本書は少なくとも大村等と比べればかなりバランスのいい議論を展開している。大村等のように血液型人間学を頭ごなしに否定するのではなく、根拠をより説得的に示して公平に吟味することを目標、方針としている。その結果、全体的には血液型人間学に疑問を投げかけてはいるものの、部分的には血液型人間学を肯定し、また、能見正比古の発言を超えたところで、なお血液型と性格の対応の可能性を探ろうともしている。また、すでにその一部は紹介しているが、大村政男等、血液型人間学反対派への的確な批判も忘れていない。血液型人間学の性格類型論としての特殊性・特権性を正しく把握していない、能見の著作と、血液型人間学の発展史についての知識が不充分であるなどの難点も目につくのだが、血液型人間学とアカデミズムの心理学が手を結ぶための第一歩が、本書によって、確実に歩み出されたことを高く評価したい。
 本書の大きな貢献の1つに、外国における血液型と性格の関係に関する諸研究の紹介がある。そうした諸研究について、筆者はその後、自ら調べてみたわけではないが、白佐・井口のそれらへの評価には若干疑問を感じる節がないでもない。しかし、それについては後でふれるとして、まず、彼らの整理を紹介しよう。この点についての彼らの発言は、大村一派等反対派の奇妙な思い込み、あるいは事実の歪曲を正面から批判する意義をも持っていた。

 “血液型と性格が関係あるとするのは日本だけにみられる独特な発想である”“血液型性格判断を信じるのは日本に特有な現象である”という記述は、いくつもの雑誌記事などに出てくる(もちろん、「だから血液型人間学など当てにならない」 という主張が、これらの発言には込められている…筆者)。…われわれの調べたところでは、血液型の本や雑誌には確かにそのような(=血液型と性格の関係についての…筆者)報告はないようであるが、心理理学・遺伝学・人類学・精神医学などの学術雑誌には、実は血液型と性格の関係について報告されたものが結構あるのである。したがって、欧米で行われた血液型と性格に関する研究は、日本ではほとんど知られていない、あるいは、ほとんど紹介されていない、と修正しておかなければならない。(126−9頁)[11]

 興味深いことに、外国の研究では、ABO式以外の血液型についても、性格との関係を調べたものがあると言う。

 ABO式以外の血液型では、キャッテルら…が「不安」に関してP式血液型でかなり一貫した差を見いだしており、今後の研究が期待されるところである。(133頁)

 『血液型性格研究入門』では、ABO式以外の血液型についての紹介はこれだけであるが、『現代のエスプリ・血液型と性格』への寄稿、井口・白佐「海外における『血液型と性格』の研究」では、Rh式、MN式、酸性ホスファターゼ(ACP)型と性格との関係の研究も紹介されている。
 では、外国におけるこうした研究の水準はどの程度のものであろうか。まず、方法的には、「既成の質問紙法の性格検査を用いたものが多い(『血液型性格研究入門』130頁)とのことである。分野別データの分析という画期的な方法、観察の積み重ねという地道な方法(実はそれは、動物行動学のローレンツの方法でもあるのだが)は、中心的方法とはなっていないようである。
 外国におけるABO式血液型と性格の関係についての研究に、白佐・井口は次のような評価を与えている。

 ここまでいくつか質問紙法性格検査を用いた研究について紹介してきたが、ここで紹介できなかったものも含め結果を概観してみると、様々な研究の間で一貫した明確な結果が出ているとは言い難い。また、多くの研究はあくまで探索的な試みとして行われていて、サンプル数が少なかったり、統計的手法が不適切など問題点も少なくない。
 ABO血液型と性格の間に大きな関係があるとすれば、多少ラフな研究であろうとも、明確な結果が出そうなものである。しかし、そうなっていないということは、ABO血液型と性格の関係はたとえあったとしてもそれほど大きなものではない ということは言えそうである。逆に、全面的に否定するのも現段階では時期尚早だと思われる。『現代のエスプリ・血液型と性格』170頁)

 諸外国でも、分野別データ、観察の方法の導入が待ち望まれるところである。
 能見のようにさまざまな分野別データを積み重ね、相互に照らし合せながら、血液型と性格の対応を探っていくとという研究は、白佐・井口の紹介を読む限り、海外では未だ現れていないようであるが、それぞれ単発的に、血液型とある社会集団の関係を調べた研究はいくつかあるようである。『血液型性格研究入門』では、そのうち、イギリスの科学雑誌Natureに1983年に発表された論文が紹介されている。それは、「イギリスの二つの地方の約14000人あまりの献血者をサンプルとして、ABO式、Rh式血液型と社会経済的階層の関係を調べた」(135頁)ものであった。その結果は、「ABO式ではA型が有意に上流階級に多く、O型は少ないというものであったが、後に、この論文の妥当性をめぐって論争が起きた。Nature誌上に反論、再反論が掲載されたのである。そして、「結局のところ、この論争は決着をみなかったようである」。白佐・井口は、この論争についての、高田明和の事実を歪曲した紹介(「反論派の勝利」)についてふれ、たしなめてもいる。筆者は、この論争についても、詳しいことがわかれば、日本の血液型人間学は、それに参加して大きな貢献を果たし得ると考えている。
 本書に展開されている大村等血液型人間学反対派への批判についても見ておこう。こうした批判は、日本の心理学界にも残されていた自浄作用ともいうべきものである。
 大村批判としては、能見のアンケートのサンプリングへの大村の批判の妥当性への疑義(205−6頁)、バーナ ム効果をめぐる「FBI効果」を用いての能見批判へのコメント(46頁)などがあり、どちらも重要な指摘であるが、これらについては、すでに紹介した。この他にも細々といくつかあるが、ここでは、次の一節だけを紹介しておこう。こうした発言に対して、後に、大村の弟子草野が猛然とかみつくことになる(『「血液型性格判断」の虚実』119−23頁)。

 大村政男は、著書…で、「わたくしは、現在、血液型と性格との間にはなんの関連もないという立場をとっている」と述べている。…確かに、…これまでの研究結果からみた限り、血液型性格関連説が全体として妥当なものである可能性はあまりない。少なくとも実用に役立つほどの大きな関係はありそうにない。しかし、血液型性格関連説の否定によって、ただちに「血液型と性格とはまったく関係がない」などとは言えないのではないだろうか。なぜなら、血液型性格関連説では指摘されていないような、真の血液型と性格との関係が存在するかもしれないからである。そして、現に欧米では、日本の血液型性格関連説とは無関係に、血液型と性格の関係が研究されているのである。…時点で、「血液型と性格は大いに関係がある」と主張することと、「血液型と性格はまったく関係がいい」と主張することは、同じ程度に危険なことであるように思われるのである。(87−8頁)

 分野別データの評価を白佐・井口と異にする筆者(両者の分野別データについての発言は、146−7頁に見出せる。彼らの理解はまったく不充分なものである)は、もちろん、「血液型と性格は大いに関係がある」と考えているが、大村一派が力をふるう現状では、これだけの発言でも意義は小さくない。であればこそ、大村→草野は、白佐・井口が許せなかったのだろう。「血液型性格関連説では指摘されていないような、…血液型と性格との関係」の存在の可能性の指摘は、もちろん、重要なポイントとなる。能見自身、そのことは、くりかえし語っていた。何しろ、血液型人間学は体系的に開放された類型論である。
 次に、大村以外の、あるいは、大村を含めた反対派全体についての批判を見ておこう。白佐・井口は、ABO式だけをとりあげて研究することは、ごく普通の正当な研究方法であることを指摘し(70頁)、能見たちが「血液型だけで性格のすべてが決まる」などと主張していないことを確認する(79頁)など、反対派がよくやる誤解・曲解をきちんとたしなめている。他にも数々の妥当な批判を行っているが、以下の発言にも注目しよう。

 そもそも「血液型と性格は関係がある」という主張は、暗黙のうちに「遺伝的に決定される性格の一部分と、血液型との間に関係がある」という意味で言われている。仮に血液型と性格とが関係ありそうだとしても、関係があるのは性格のすべてではなく、一部なのである。したがって、血液型が変わらないにもかかわらず、性格が他の要因によって変わったという例があったとしても、ただちに「血液型と性格は関係がある」という主張を否定する論拠とはなりえない。(79−80頁)

 性格決定要因はきわめて多元的であるのだから当然のことである。しかし、こうした当然のことも、反血液型人間学十字軍には、ほとんど考慮されなかった。

 日本の心理学者が血液型性格関連説に対して持っているイメージは、「言うまでもなく、否定されるべき非科学的俗信であるが、それが流行すること自体は興味深い研究対象である。しかし、そういうものを信じることは理性的ではなく、国辱的でさえある」といったようなものらしい。…
 われわれが指摘したいのは、実際に調べたのかどうかにかかわらず、最初から「血液型と性格は関係がない」などと決めているかのような態度が見え隠れしていることである。これはあるいはわれわれの邪推かもしれない。
 しかし、先に発言を引用した柏木(恵子…筆者)は、その発言の後の部分で「血液型で言われている性格の特徴は非常に少ないのではありませんか」と質問しており、おそらく血液型性格関連説について調べたことがないのであろう。にもかかわらず、彼女は、血液型で性格を判断できると信じる人の理性を疑っているのである。(89−90頁)

 これもまさにそのとおり。筆者もこうした人々に何度も理性を疑われてきた。
 白佐・井口は、血液型と性格の研究は、「方法としては、今後とも、多くの研究は、アンケートなど質問紙法を利用して行うことになると思われる」(189頁)とし、それを当然と見なしてもいるようだ。この点は、再三言うとおり、筆者とは意見を異にするのだが、彼らの、質問紙法の用い方についての反対派批判は、重要な論点を含み、傾聴に価する。

 解釈や結論は慎重に行う必要がある…。ともすると、「肯定されなかったので、否定された」としがちであるが、単純に「肯定でなければ、否定であろう」とするのは、論理の飛躍である場合がある。「部分的に肯定であり、部分的に否定であるもの」、「肯定か否定かがわからないもの」を見落とす可能性があるからである。特に、対象の代表性が十分に確認されていない研究や、標本数を十分に確保しないで行なった研究では、「肯定でないので、否定である」とすることによって、飛躍した解釈や結論を導き出してしまう危険性がある。最初から否定的・批判的な視点に立って、血液型性格関連説を検討したと思われる過去の研究の中には、この論理の飛躍に陥ってしまっているものがあるように思われる。(190−1頁)

 最後に、『血液型性格研究入門』全般の問題点について、一つふれておきたい。本書の出版が93年5月10日。これに対し、松田薫の『「血液型と性格」の社会史』は、それより約2年前、91年5月24日に出版されている。白佐・井口は、当然、松田の著書を目にし得ていたはずなのだが、なぜか、『血液型性格研究入門』には、松田の名は、巻末の文献目録の中にしか出てこない。「Q31、「血液型と気質◇性格」にどのような人がかかわってきたか」でも、反対派の代表としてあげられているのは大村政男、溝口元、高田明和だけである(120−1頁)。問題をはらみつつも、松田『「血液型と性格」の社会史』の水準は高く、2年前に出版されていたのであれば、当然、もっと厚く言及してしかるべきであったろう。少なくとも溝口元をあげるのであれば、研究分野が競合し、しかもより本格的な松田があげられてしかるべきであった。こうしたことが生じた背景は、筆者には今のところわからない。しかし、『血液型性格研究入門』において、大村一派が批判は加えられつつも、ある種優遇され、これに対し、松田が冷偶されているという印象は否めない。そういえば、詫摩一派も、大村一派に比べ、本書ではめだたない。
 次に『現代のエスプリ・血液型と性格』の若干の寄稿に移りたい。すでに述べたように、この特集号は、基本的に詫摩一派と大村一派の反血液型人間学共同戦線の産物として成立した。血液型人間学肯定派は参加せず、すでに『「血液型と性格」の社会史』を出していた松田薫も参加していない。あるいは外されている。この特集号の実質的編集責任者であると思われる佐藤達哉は、本書について次のように語っている。

 1980年以降の血液型性格判断ブームの基礎を作ったのは能見正比古である。その論理や展開そして影響については複雑なので、いくつかの論文で考察を行った。ただし、能見のものを含めて「血液型と性格」に関係を認める側の文献は収録しなかった。それは現代の提唱者や賛成者が古川の時と異なり学術論文の形で研究発表をしていないのと、賛成論は用意に入手できること、「関係あり」とした場合の応用についても同様であること、といった理由からである。
 賛成論を掲載しないのは不公平だという批判は甘んじて受けたい。だが、血液型による性格把握こそ常識的な知識なのであって、反対論などは見たことも聞いたこともないという人が少なくないのが現在の実状だということを忘れてはいけない。
 心理学者は血液型性格関連説に中立もしくは反対の立場をとるので、“実際にはない(だろう)血液型と性格の関係があるように見えるのは何故か?”という研究を発展させることになった。簡単に言うと、血液型性格関連説は認知の歪みが作り出した錯覚にすぎず、しかもその弊害が小さくないというのが社会心理学者の主張である。第4の章にはこれら社会心理学的な論考が収められている。
 最後の章(=「血液型性格『研究』への提言」…筆者)は4つの論文から成っている。これらは血液型性格関連説について研究する専門家(特に心理学者)に対して向けられている。…井口は海外で行われた「血液型と性格」の研究を紹介し、性格心理学の立場からより公平な再検討が必要だとした。坂元は、社会心理学的研究を批判的に吟味し、血液型性格関連説に関する心理学的研究は方法や結果の検討に不十分な点があると指摘した。渡邊はこの種の問題を扱うことに対する心理学界の反応にも触れ、心理学における性格研究の論理自体への反省を促した。
 このような内容は、あるいは読者の混乱を引き起こすかもしれないが、心理学の側では血液型性格関連説に反対するだけではなく、常に相互批判的な検討が行われていることを知ってほしい。本号に賛成論が掲載されないことで不公平感を感じている人があるとすれば、反対論への内部からの批判をも掲載したということでその不公平感が減じられることを望んでいる。(195−6頁)

 この特集号には、他に、古川の時代に書かれた血液型人間学についての肯定論、否定論のアンソロジー、古川の時代の血液型人間学についての研究が収められている。そして、巻頭には、詫摩一派(詫摩、松井、佐藤)と大村一派(大村、溝口)による座談会が置かれている。
 古川の時代のもの以外、血液型人間学肯定派のものが掲載されていない点について。能見の著作は、「学術論文の形で」発表されてはいないが、方法的にもすぐれたものであり、豊かな科学性をたたえていた。掲載する上での難点は、むしろ、適当な長さのものが見つかりにくいという点であろう。しかし、これも、本気で捜せば、『血液型と性格ミニガイド』などの、能見自身が簡略にまとめた入門テキストが見つかったはずである。これだけでも、能見の方法や血液型人間学の大雑把な内容は理解し得る。『現代のエスプリ・血液型と性格』での能見批判の底の浅さを感得させるほどにはである。
 「賛成論は容易に入手できる」というのも、理由としてはいかにも弱い。「賛成論」の中にも、能見のものもあれば、俊賢や鈴木芳正その他のものもある。賛成論をきちんとふるいにかけ、当然残ってくる能見の、最も要領よくまとめた論稿を捜してくるのが、編集者のあるべき態度だったのではなかろうか。能見のものを掲載しなかったことは、佐藤が読者に思い込ませようとしているより、よほど問題の多い態度であったと言わざるを得ない(もっとも、能見のものを掲載させてくれと頼んでも、俊賢が承諾したかどうかという問題はある)。
 『現代のエスプリ・血液型と性格』第4章の諸論稿は、主として、大村でいえば「FBI効果」をめぐる議論を主題としている。大村批判が目立たず、むしろ、積極的に評価しているかに見える点(長谷川芳典124頁、川野健治137頁)は、何とも情ない。佐藤は「心理学の側では血液型性格関連説に反対するだけではなく、常に相互批判的な検討が行われていることを知ってほしいというが、そうした相互批判は、血液型人間学について発言する全心理学者が行っているわけではないようだし、ごく表面的な批判に終わってしまうことも少なくないようである。そもそも、心理学にとっての特権的性格類型論血液型人間学の衝撃を正面から受け止め、きちんと理解することのできない者たちの「相互批判的な検討」では、自ずから成果は知れていた。
 それでも、『現代のエスプリ・血液型と性格』第5章の3つの論稿(4つのうち、高田明和のものを除いたもの)は、この特集号の収穫と言い得るであろう。井口・白佐の「海外における『血液型と性格』の研究」(すでに見たように、佐藤はこの論文について紹介するさい、井口の名だけをあげている。佐藤の書き落としなのか、実際にここでは井口だけが執筆しているのかはわからない)、坂元章の「血液型ステレオタイプと認知の歪み−これまでの社会心理学的研究の概観」、渡邊芳之の「性格心理学は血液型性格関連説を否定できるか−性格心理学から見た血液型と性格の関係への疑義」である。
 井口・白佐のものについては、すでに『血液型性格研究入門』と合わせて紹介した。ただ、一言つけ加えておきたい。『血液型性格研究入門』という地味だが、かなり水準の高い著書を発表している者への割り当てとしては、9ページはいかにも少なくはないか。『現代のエスプリ・血液型と性格』寄稿者を見ると、血液型人間学に関して、過去にこれだけの業績を持つ者はそんなにいない。編集者の態度が、こういう所にも透けて見えてはいないか。もっとも、井口・白佐の方でこれだけしか書けないと言ってきたのなら話は別だが。
 坂元の発言から見ていこう。坂元が大村の「FBI効果」論をも批判していることはすでに述べた。血液型人間学を部分的に肯定しているというわけではないが、以下の発言も、大村に代表される既存の血液型人間学批判の不備をついたものとして、意義深いものである。佐藤達哉の「相互批判」論への反対も見える。

 これまでに、多くの研究が、血液型ステレオタイプによる認知の歪みを検討し、それを支持する証拠を得たとくり返し主張してきたが、そのすべてが方法あるいは結果に問題を抱えており、いまだに認知の歪みに閲する明確な証拠は提出されていないと言ええよう。…
 本稿は、議論の対象を血液型ステレオタイプによる認知の歪みの問題に絞っているために、他の分野の問題に触れることができなかっただ 筆者は、「血液型性格学」に関するアカデミックな研究は、認知の歪みの分野だけでなく、全体として、いまだに未成熟な部分があるとしばしば感じている。これには、2つの理由があるのではないか。
 第1に、「血液型性格学」の研究者はこれまで、審査の厳しい学会誌に論文をあまり投稿してこなかった。それにはさまざまな理由があったかもしれない。だがいずれにしても、厳しい審査を経ていないために、多くの論文がやや問題を残したままになっている。
 第2に、「血液型性格学」のアカデミックな研究者は、それぞれの研究を十分に吟味し、批判し合う姿勢をあまり持ってこなかった。例えば、本稿では、認知の歪みの研究の問題を指摘してきたが、これまでに、これらの研究の展望を含む論文はしばしばあったにもかかわらず、これらの研究を列挙するにとどまり、本稿のように、その問題を指摘したものはなかったであろう。
 互いの研究をよく吟味し、その不備を探し、それを踏まえたうえで慎宣な議論を重ねていく姿勢は重要である。「アカデミック」とは、そういうことではないかと筆者は考えている。現在の「血液型性格学」研究は、「アカデミック」な立湯から、「ポップ」な立場を批判するものとなっているが、筆者は、その「アカデミック」の足場をまず固める必要性を感じているのである。
 これは最近、自分自身が自戒していることでもある(筆者自身も、かっては、本稿で取り上げた筆者の研究の結果によって、認知の歪みの証拠が得られたと言ってよいと思っていたのである)。(284−5頁)

 既存の心理学の枠内では、坂元はかなり良心的に発言していると思う。あとは、彼が、既存の心理学の枠を超えて、血液型人間学の受容へと跳躍することを期待する。本書がの跳躍の足がかりになれば、とも思う。坂元を含め、現代のエスプリ・血液型と性格』への寄稿者に共通する弱点は、能見について不勉強であるということである。
 もう1つ、渡邊芳之の発言を見ておこう。血液型人間学と既存の性格、心理学の同型性という、これまで多くの心理学者たちがひた隠しにしてきた問題を明らさまにした点は、とくに興味深い。渡遺は、大村の「FBI効果」を紹介した後、こう続ける。

 …大村の論理は説得力があるが、ある面で両刃の剣でもある・自分たち心理学者が製作し、正当であるとしている「性格検査」による性格判断も、血液型性格関連説と同じ土俵で批判されてしまうのである。たとえば、作られてからかなりの年月が経つが現在もよく使われている性格検査の中には、現在の統計的基準から見るとその妥当性の根拠となるデータやその解釈がかなり怪しいものはいくつもある。古川竹二のデータ解釈が誤っているのはあくまでも現在の目から見てであり、同程度に誤ったデータ解釈は過去の「科学的」心理学にもよく見られる。また、「心理学的性格検査による性格判断が当る」という経験的事実が「FBI効果」 による錯覚でないと言い切ることもできないだろう。
 たとえばYG性格検査の類型ごとに性格特徴を記述している文章などはかなり「フリーサイズ」なもので あり、大村と同じ手続きで類型とその説明文をデタラメに入れ替えて被験者に示しても、多くの場合自分に当てはまっていると思うのではないか。
 また、検査結果が他者の性格についての判断をバイアスしたり、自分自身の行動を検査に合わせて変容したりすることも十分に考えられる。これでは「心理学も血液型もうさんくさい」ということになるだけで、心理学者からの批判が大衆にあまり強い印象を与えないのは当然である。…
 血液型性格関連説に反論する心理学的研究のもうひとつの問題点は、それらが批判しているのはあくまでも血液型性格関連説の「データ」であって、理論そのものではないことである。心理学者がもし血液型性格関連説を否定するのならば、そのデータを批判するだけでなく、より根本的に「性格に関する心理学的理論によれば、これこれの理由で血液型と性格には関係がないと考えられる」と主張すべきであるのに、それがほとんどみられない。そのため、どうしても心理学者の血液型批判は表面的なものに見えがちである。
 これには、データ一辺倒で理論的考察を軽視する戦後の心理学の風潮が大きく影響していることも確かだが、より根本的な部分で、従来の性格心理学と血液型性格関連説が基本的に似た論理構造を持っていることも関係しているように思える。
 性格心理学における伝統的定義では、性格(パーソナリティ)は人の内部にあって、外部の環境や状況とは独立に行動に影響を及ぼし、その人独特の行動パターンを生み出しているとされる。そのため、性格の 規定因として環境要因よりも個人の内的要因を重視することが多かった。クレッチマーの類型論に見られるように、古くは体質などの遺伝的要因が非常に重視されたし、最近では「認知システムの個人差」といったことがよく話題になる。いずれにせよ、性格心理学者が性格の規定因を考える時に、環境の影響を受けにくい生理的要因などの「ハード」な要因に依存しやすいことは今も昔も変わらない。…
 つまり、生理的要因と性格とに関係があるというアイデア自体は心理学も共有しているものであって、その点で血液型性格関連説の論理自体を批判することは従来の性格心理学にとっては難しかったのである。
 したがって、戦後になって、心理学者たちが血液型性格関連説を「非科学的」とか「迷信」と批判してきた理由はその理論的立場よりも、むしろそれが「ジャーナリスティック」な話題であり、大学のアカデミズムから遠い「通俗心理学」であるという点であったと考えたほうがよいだろう。
 実際には、従来の性格心理学と血液型性格関連説は基本的に同じ基盤に立つ仮説同士という関係にあり、そのため心理学はその基盤自体を明確に攻撃せずに、データによって相手の仮説を反証する以上のことはできなかったのである。「迷信」と否定しながら実際には科学的仮説と認めざるを得なかったわけで、皮肉なことである。(189−91頁)

 性格検査についてのこうした徹底した発言は、他ではあまり見られない。血液型人間学への既存の反論の多くが、渡邊の発言をかみしめなければなるまい。「従来の性格心理学と血液型性格関連説は基本的に同じ基盤に立つ仮説同士」という命題も、反対派が血液型人間学に投げつける批判の多くが、むしろ既存の性格心理学の一種の聖域とも見えるクレッチマーにこそ当てはまっているという点一つをとっても、きちんと確認されてしかるべきである。しかし同時に、渡邊が見落としている生得的分類箱的類型論、開放された類型論という血液型人間学の特権性も、ふたたび確認しておかなければならない。また、渡邊が、大村等による血液型人間学のデータ分析の不備を見落としていることも言い添えておかなければならない。[12]
 渡邊がこの論文で高く評価している「相互作用論」については、筆者はそれほど魅力を感じない。かと言って、それを否定する気もない。その道を行く者は行けばよいのだし、筆者は筆者の道を行くだけである。そもそも「物理的・人的環境や状況が性格を作り出し、変化させていく力」(191頁)という問題は、能見の構想から外れたものではない。「対人関係や相性、適性といった複雑な問題が血液型だけから判断できると考えることは、環境や状況を不当に軽視しているといわなければならなど(192頁)というのはまったくの誤解であり、「人の性格が…相互作用によって決定されるということは、相互作用の各要素、とくに環境的・状況的要因が変化すれば、性格も変化しうるということであり、その点から見ても遺伝的で一生変わらない血液型が性格を決定すると考えることはできないのである」(192頁)という発言も、「血液型が性格を全面的に決定すると考えることはできない」などと適当な修正を施せば、能見の考えとまったく同じになる。
 白佐・井口、坂元、渡邊の登場は、かっての大村、詫摩等だけの時代から、心理学における血液型人間学(批判)論は、確実に変化しつつあること、心理学界においても時代は変わりつつあることをうかがわせる。もちろん、彼らにも、まだまだ超えてもらいたいものは少なくないのだが。  -- H11.8.29

 第8章 注

[1]これには当たっている部分がある。鈴木芳正は、目黒夫妻の学説とならんで、古川竹二の学説、というより、各型の特徴についての古川の表現をほぼそのままいただいている。古川への依拠について認めてもいる。『血液型性格入門』100頁に引用されている鈴木の古川説、目黒説についての発言を参照。

[2] 第6章『血液型とヒューマン・ライフ』でも、能見の分野別データにふれてはいるが(179、200頁等)、正式な能見批判が七章以後であることを、大村は明言している。

 能見正比古も、どうにもならないようなデータで『血液型人間学』を建設している。7章ではこのどうにもならないデータを批判することになろう。(180頁)

[3]『血液型と性格』から約4年後、『現代のエスプリ・血液型と性格』でも、大村は統計学をまったく無視した次のような発言を行っている。

 能見が……広い分野にわたる多数の有名人の血液型を調査した功労は認めるが、それだけではなんの役にもたたないのである。能見は、古川と同様、ある社会集団にある血液型の人が多いということをいおうとしているのであるが、たとえある型が統計的に有意に多かったにせよ、そういう偏向があったというだけにすぎない。(89頁)

[4]「血液型ステレオタイプと認知の歪みに関する一群の社会心理学的研究」について、坂元は、

 これは、多くの人々が、なぜ、「血液型性格学」を信じてしまうのか−−という問題に着目し、その原因を、人々が持っている「歪んだ認知をする傾向」に求めようとする研究である。(『『現代のエスプリ・血液型と性格』177頁)

とまとめている。

[5]『現代のエスプリ・血液型と性格』巻頭の座談会では、大村は、興味深いことに、この「黙従傾向」を用いて、古川竹二を攻撃している。

  私はある年の日大文理学部の公開講座の時に、「血液型性格学」のことを話したら、相当なお歳の女性が出席していて、古川さんが研究していたころのことをよく知っていると言われました。当時古川さんがそういうことをやっていたので、皆が古川さんがそういうならば、そういう結果を出さなければ悪いのではないか、ということになったのだそうです。例えば、ある教授がこう考えているなどというと、学生はみんなそれに同調してしまう、それと同じではないかと思うんです。黙従傾向といえますね。(14頁)

 いつものことながら、大村は、あたかも自分とその研究は、そうしたこととは無縁であるといったそぶりである。ここの「相当なお歳の女性」が、「ある教授」(=大村)に黙従傾向を示すということは、あり得ないことだったのだろうか?

[6] 肯定派、反対派を問わず、質問紙法が中心的方法となるとの主張は、大村だけのものではない。大村よりもよほど良心的に血液型人間学に対している白佐・井口『血液型性格研究入門』においても、次の一節が見られる。「方法としては、今後とも、 多くの研究は、アンケートなど質問紙法を利用して行うことになると思われる」(189頁)。分野別データ、観察の重要性は、白佐・井口によっても正当に受けとめられていない。

[7]受講者を五十名に限定したのだが、申し込み者がたちまち千名を越えた。締め切りまでには千五百名となり、 競争率は三十人に一人ということになりそうだというので関係者一同悲鳴をあげているしだいてある。『大宅壮一全集』第8巻、蒼洋社、1980年、198頁)

[8] なお、大村のこの発言に対し、盟友の溝口元も、さすがにまずいとは思ったようである。しかし、正面切って反論はせず、むしろ、大村の妄想に譲歩する形になってしまっている。

 能見の本から行くと、姉さんから聞いたということになっているんです。姉さんは女高師の出身。恐らくは大宅壮一の線と姉の線の両方なんでしようけれども、文献的に見て行った場合には、大宅壮一から聞いたというのは能見の本には出て来ない。(『現代のエスプリ・血液型と性格』14頁)

[9] 確かめようがないことではあるが、大村の言動をいろいろ見てくると、次の発言もとてもうのみにはできない。

 私は、学問的な好奇心からきちんと検証をしながらこうした批判を続けています。ところが、そうした批判に対して今度は『血液型人間学』の熱心な支持者から脅迫状が届いたり、研究室のある大学におしかけてきて威嚇するんです。私を『プラッド教』に無理矢理洗脳しようとしているんでしょうかね。(『「血液型性格判断」の虚実』115頁)

 草野はうのみにしているようであるが。

[10]「性格の二重性」と「二重人格」の一件についてはすでに紹介したが、大村は、こうしたあげ足とりを多用している。いちいち紹介しない。大人気なくも腹立たしいものばかりである。

[11]『現代のエスプリ・血液型と性格』への井口・白佐の寄稿によると、彼らは、

  主にSCI(Science Citation Index)、SSCI(Social Science Citation Index)といった検索ツールを使って文献調査を行い、海外にも「血液型と性格」に関する学術的な論文が1960年代以降、少なくとも20編あまりあることを見出した。(168頁)

[12]『現代のエスプリ・血液型と性格』巻頭の座談会で松井豊も、心理学と血液型人間学の同型性にわずかにふれている。しかし、渡邊とはトーンが違う (15頁)。また、松井は寄稿「分析手法からみた『血液型性格学』」において、心理学者による従来の血液型人間学批判に、若干の反省を行っている。

-- H11.9.24

 『血液型人間学――運命との対話」正誤表(1998.8.31)

1)5頁上11行(以下、「5上11」のように表記)。統計学手法→統計学的手法。
2)53上4。鶏朗→鶏郎。
3)55頁上左から7行(以下、「55上左から7」のように表記)。「そのままに生きる」。「ママ」が「に」の所にあるが、「に」と「生」の間にあるべき。
4)64上左から2。 「占い」の上下の“ ”の付けかたがおかしい。
5)82下14。通惜→痛惜。
6)111頁から112頁にかけて。いくつかのの→いくつかの。
7)112上1と2の間に420字ほど脱落。以下のものが入る。1行目の「…」はとる。

 第一段階は、それを考えつつも迷い疑いつづけていた頃である。血液型と性格の関係を初めて耳にしたのが中学生の時分。その事実を目前に見て、秘かに衝撃を受けたのが、東大の工学部寮で寮委員長をしていた時だ。B型はシツこいほうで、以後、血液型は頭の中でトグロを巻きつづけた。だが、私は作家という職業を選びながら、イヤなことに自然科学のしつけを受けた。科学の眼で納得がいかないうちは、まとめたり発表したりする気は、容易に起らなかったのである。
 納得がいってからが、第二段階と言える。社会に出てから20年が過ぎていた。まず私は具体的にデータを集め、裏づけをとらねばならなかった。客観性と実証性を持たせなければ、万人を納得させることはできず、個人の主観として片づけられても仕方がない。
 この期間、私はしばしば眼を疑った。数字は、それまでの観察結果と、ほとんど符合し、それを裏切ることがなかったからである。たとえば…マラソンと跳躍の例もそれだ。

8)114下左から5。というのでないが→というのではないが。
9)143下3−4。「洗脳」されている。 →「洗脳」されている、
10)151上左から1。可能性→可変性。
11)185上左から10。せひ→ぜひ。
12)196下1。タイトルに→タイトルの。
13)209下左から8の「…」を、次の段落の最初に移動させる。段落の最初の1文字あけはそのまま。「…精神障害と」となる。
14)243上3、9、13、19、 ごるふぁ→ごるふあ(「あ」を大きく)。
15)244下8。政界選手権→世界選手権。
16)257上5。コーナ→コーナー。
17)265下左から7。気質表現→気質表現」
18)314下3。作られてきた。→作られてきた、
19)316上8−13。たしかに…しなければならない。→「たしかに…しなければならない」。(つまり「 」を付ける。)
20)319下左から5。性格研究とも→性格研究も。
21)320下左から9。思い及ば→思い至ら。
22)340上2。13冊→14冊。
23)348上5。「姉」「妹」「兄」「弟」→「姉・妹」「兄・弟」。
24)348表A「姉」の8行目。「温和、」の「、」に「ママ」を付す。
25)358下1。観察→考察。
26)367上6。アカデミズ→アカデミズム。
27)400下9。A型人生のアドバイス→A型人生へのアドバイス。
28)402上11。世間→世界。
29)415上図。出典不明記。河合『ユング心理学入門』221頁。
30)441下左から6。玉乃海→玉ノ海。
31)452下12。生き得る→行き得る。
32)463上左から6。「あゆみAB。」から「。」をとる。
33)476上13。ヒマは→ヒマなど。
34)492上9。『血液型…倶楽部』の「血液型」に “ ” を付ける。 「“血液型”」。
35)495下左から10。ヨゴレ。[注:ヨゴレがないものもあるようです]
36)517上2。「通りですよろしく」。「す」に「ママ」を付けているが、「ママ」は「す」と「よ」にまたがる。そこに「。」も「、」もないことを問題にしている。
37)531下最終行。異譲→異議。
38)532下左から9。個人を→故人を。
39)533上左から5。「第二版」の「版」にヨゴレあり。[注:ヨゴレがないものもあるようです]
40)543頁O型の長所6。迷ワザル→迷ハザル。
41)543左から3、6(2箇所)。例エバ→例へバ。
42)559下2。いう認識→いうことの認識。
43)561下3。そうした表現を用いている内容→そうした表現を用いている文章の内容。
44)562上11。「については」。「は」にヨゴレあり。[注:ヨゴレがないものもあるようです]
45)563下左から11。かえった→返った。
46)566下7。考えいただければ→考えていただければ。
47)570上左から5。時点で→現時点で。
48)572上11。Q31,→Q31.(ピリオドに)
49)579上10−11。本分→本文。
50)595上11。巻間→巷間。
51)598下左から5。伝令系→伝令係。
52)601上8。わけだなのだ→わけなのだ。
53)607上1−5。ここは引用なのだがその様に組まれていない。
54)612下4。「まだまだ」。後の方の「だ」が「。」で汚れている。[注:ヨゴレがないものもあるようです]
55)612下11。孤立無縁→孤立無援。
56)奥付。「亜細亜印刷」の「印」と「刷」がだぶっている。  -- H11.9.14

Red_Ball12.gif (916 バイト)大村政男さんからの感想(?)

 著者の前川さんには、否定側からの感想は全く来ていないそうです。しかし、最新の大村さんの論文(「血液型と性格」 シリーズ・人間と性格第5巻 詫摩他編 『性格研究の拡がり』 ブレーン出版 H12.11 271〜286ページ)に、文献として掲げられています。その中の感想(らしき?)文章を引用しておきます(285ページ)。  -- H13.1.5

 血液型と性格に関する論争は、邪馬台国論争に類似している。だれでも容喙できるからである。論争は平行線をたどっている[注:これは前川さんのこととしか考えられません]。この問題についての“関ヶ原”はない。昭和の初期における古川竹二のミステークが能見正比古や鈴木芳正という街の研究者によって異常に拡大され、とうとう日本の大衆文化のなかに染み込んでしまった。そして、現在は北京や台湾でも血液型と性格についての印刷物が刊行されているのである。

Red_Ball12.gif (916 バイト)to be continued...

 どうですか? 楽しんでもらえましたか?
 とりあえず、本文の転載はこれでおしまいです。面白かった人は、ぜひ入手して全部読んでみましょう!
 もっとも、現在となっては、入手はかなり難しいようですね。大学図書館や大きな公立図書館にはおいてあるようです。


前川輝光さん 血液型とプロ野球

 前川さんが現在構想中の次著、『(仮称)血液型とプロ野球』について、彼自身が語っている言葉です(出版ニュース H11.4/上)。 -- H11.6.6

 昨年7月末、『血液型人間学−−運命との対話』(松籟社)という本を出した。血液型人間学を開発し、その普及に生涯を捧げた能見正比古の人と作品をたどり、きょうだい型人間学、ユング派心理療法とも絡ませながら、血液型人間学を体系的にとらえ直そうとした大部の作品である。血液型にとどまらず、性格研究全体への反省・提言をも行 い、また、私のある友人の表現を借りれば、血液型人間学をめぐる現在までの議論の「大掃除」も済ませた。つまり、能見の「後継者」を名乗る人物の無内容さを明らかにし、血液型人間学の「学問的破産」を真言したということになっている心理学者を中心とする反対派たちの議論の杜撰さ、不誠実さをも検証した。こうして血液型人間学の現時点での総括をし、その学問的妥当性と可能性を明らかにした。
 次は、自由な個別研究が私の課題となる。まずは、プロ野球を血液型で見てみたい。長年プロ野球を見てくると、血液型によって、ポジション、打撃成績、投手成績、監督の個性・成績などに顕著な差がうかがわれ、興味深い。ただ、単なる印象論で終わってしまっては、「そんなものには何の意味もない」と言われるのがオチだ。私は、長年、プロ野球の記録を発掘・分析・紹介して来られた宇佐美徹也氏の著書その他を頼りにプロ野球をめぐる膨大な記録の山と取り組もうと思う。それらに血液型のフィルターをかけて統計学的に有意なデータから浮かび上がってくる様々な人間模様を物語ることにしよう。監督・選手たちの手記その他の発言も大事な資料だ。それと、今のところ具体的なあてがあるわけではないのだが、プロ野球関係者諸氏にも是非インタビューさせて頂きたいと思っている。
 前作は、アカデミックな議論の厳密さに主眼をおいた。今度の本は一般読者にも喜んでもらえる作品にしようと思う。血液型とプロ野球を通して、人間の探求を今一歩進めたい。私のもう一つの専門分野インド宗教・文化論との時間配分が大変だ。こちらは『マハーバーラタの人間類型とでも言うべき著書の計画を練っている。

前川輝光さん 小津安二郎と黒澤明 兵庫教育 平成10年12月号 48〜50ページ

 本人の許可を得て転載します。 なお、6月27日には名古屋で講演があります。-- H11.6.6

名称 第8回NAGOYAアジア文化交流祭
「インド映画特集」知られざる映画大国を訪ねて
日時 1999年6月26日(土)・27日(日)
場所 愛知芸術文化センター 12階アートスペースA
 (地下鉄栄駅近く)
プログラム 26日
13:30 「ラーマーヤナ」(アニメ)
      ゲスト 酒向雄豪氏
17:00 「カランとアルジュン」
      ゲスト 次良丸章氏

27日
10:30 「神の名のもとに」
      ゲスト 前川輝光氏
14:00 「ボンベイ」
      ゲスト 松岡環氏・前川輝光氏

料金 当日1回券 1600円、2回券 3000円

 1998年9月は,日本映画ファンにとって忘れられない月となった。6日に巨匠黒澤明が死去し,その黒澤はじめとする「日本映画4大監督」(小津安二郎,黒澤明,溝口健二,成瀬巳喜男)の作品を中心に名画を上映し続けた銀座並木座が,22日幕を閉じた。昨年3月6日の池袋文芸座に続いて名画座文化,日本の映画ファンは回復し得ないほどの痛手をこうむった。
 映画,特に名画座をめぐっては厳しい状況が続いている。文芸座,並木座の終焉(しゅうえん)にあたっては,新聞でも多くの文化人たちがそれを惜しみ,名画座(あるいはそれにあたるもの)の復活を希求した。私もそんな名画座ファンの一人である。ここでは,名画座でのあるいはもう再び経験することはないかもしれない至福の一時を思い出しながら,タイトルの二人の巨匠のことを書いてみたい。
 私が割とこまめに映画館通い,特に名画座通いを始めたのは,1本の映画との出会いがきっかけだった。それは小津安二郎1949年の作品「晩春」だった。小津というと,何と言っても「東京物語」が有名で,私も「晩春」「東京物語」の2本立てを文芸座に見に行った時には,どちらかというと「東京物の語」に期待していた。「東京物語」は確かに素晴らしかった。しかし,「晩春」には全く参ってしまった。
 「秘するは花」の美学に貫かれた見事な演出,端正できりつとした映像,父と娘の間の時にあやうい心のたゆたい。映像の表と奥とは緊張をはらみ,その静かなハーモニーあるいは不協和音が何とも美しい。私は映画にこれほどのことができることを初めて知った。1983年3月19日のことだ。
 私はこの小津という監督にすっかり魅せられ,その作品が名画座(特に文芸座)にかかるのをじっと待っては,1本また1本と小津作品を見て行った(ヴィデオではとうてい満足できなかったのだ)。「宗方姉妹」を除いてすべての小津作品を見終わったのが,1994年9月22日(文芸座倒れ,並木座も終幕を迎えた今,私にはもう映画館でこの作品を見る機会は与えられないのだろうか)。結局は最初に見た「晩春」が私にとって最高の小津作品だったが,サイレント時代の数本を含め,私は小津によって生涯忘れられない素晴らしい時を何度も味わった。
 しかし,私には,せんじ詰めれば「晩春」という作品について,また,この作品にこんなにも引かれる自分についてもっと知りたいばかりに小津を,また映画を見続けたのだと言えるようなところがある。「晩春」についてもっと知るためには,まず,小津の他の作品を見なければならない。次には,「晩春」主演の原節子,笠置衆の他監督作品についても知っておきたい。1949年前後の(日本)映画の流れも調べなきゃ。対照的な巨匠と対比してみることも是非やっておこう。日本映画の枠だけで考えていたのでは駄目だ。ヴィスコンティ,フェリーニ,アジア映画…。さらに映画は「巨匠」の手になるものだけではない。いろんなタイプの映画を見ておこう。「ゴジラ」や「インディー・ジョーンズ」,アニメの類いにも進出した。
 しかし,中でも力が入ったのは,黒澤明との対比だった。もちろん黒澤が,小津と並ぶ日本映画の二大巨匠だということもある。しかし,それだけではなかった。ここからは私の専門領域(の一つ)の話になる。血液型である。

 私は大学ではインド宗教・文化論,ヒンディー語(インドで話者人口最大の言語。ざっと4億人が母語とする),比較宗教論といった科目を担当しているが,血液型人間学,つまり,血液型を一つの通路としての人間・性格研究とも長い付き合いをしている。今年7月末『血液型人間学−−運命との対話』(松籟社)という本を出版したところ、巷(ちまた)には血液型と性格をめぐる随分ひどい議論も行われているが,私は,科学としてのこの分野の確立を目指している。関心のある方はご一読を。かなり厚い本だが。
 黒澤に戻ろう。小津はA型,黒澤はB型である。小津はO型では?と言われたことがあるらしく,「おれがそんな粗雑な人間に見えるか,てんで調べてみたら,やっぱり自分が考えている通りA型だったよ。こう見えても神経は弱いんだ。」と興味深い発言をしている(『小津安二郎戦後語録集成」)。「O型粗雑云々(うんぬん)」は気にする必要はない。小津は確かにいかにもA型だ。A型にも表現過多なくらいの映画監督も多いが,またA型以外の監督にも「秘する映像の静謐(せいひつ)・端正さとの親和性では,何と言ってもA型に指を屈するだろう。中でも小津はその最高峰に位置している。A型には他にも大監督は数多い(市川尾,今村昌平,篠田正浩,山田洋次など)が,私も小津には格別のものを感じる。
 B型はこれと対照的だ。奔放さ,流動感,感情の横溢(おういつ),作品の多様性,多少のやぼったさ。そのB型の巨匠黒澤は私にとって小津との恰好(かっこう)の比較の相手だった。黒澤は,自伝の中で「どうも私の血統には,感情過多で理性不足やす感じ易くてお人好しという,センチメンタルで馬鹿馬鹿しい血が流れているらしい。」と自己分析している(『蝦墓の油』。ちなみに私も実はB型)。
 私は,小津と黒澤について「一粒で2度」,つまり,映画そのものとA型・B型巨匠の比較を楽しんだ。気がつけば,私は黒澤の全作品も見ていた。小津は「晩春」にとどめを打ったが,黒澤については「これ1本」とは言いにくい。平均点で黒澤,ベストテン上位に小津。両者全体での(実はつい最近まで私が映画館で見た500〜600本の映画全体の中でも)ベストワンは「晩春」という結果となった。もちろんこれは私の勝手な好みだ。
 小津も黒澤も大半は文芸座で,また並木座で見た。文芸座地下(文芸座2)の中央座席前から3列目右端の「指定席」が懐かしい。

 私はいつか血液型と映画(監督)についてまとまったものを書きたいと考えている。小津,黒澤の他にAB型で鈴木清順,O型で大島渚あるいは北野武あるいは宮崎駿……(O型は誰か一人に決められない)あたりで(溝口,成瀬については血液型未確認)。そんな私にとり,代表的名画座の相次いでの撤退は本当に痛い。最近はアメリカ映画を見る機会が多くなり,パターンが決まっているので少しうんざりしていた。「もう映画との付き合いも終わるのかな」とさえ考え始めていた。
 そんな今年9月4日,私は1983年3月19日以来の映画体験をした。南インドタミルナードゥ(州都チェンナイ=旧マドラス)出身のマニラトナム監督作品「ボンベイ」である。ストーリー,映像,音楽,どれをとっても第一級の作品だ。「晩春」は373本ぶりに真の対抗馬を見出した(これももちろん私にとっての話だ)。1998年9月4日は私にとってわすれられない第2の映画記念日となった。「血液型と映画(監督)」の計画をインドにも拡大したくなった。インド人の血液型データは現在全く手薄だが。
 ちなみにマニラトナムは黒澤のファンである。


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最終更新日:平成13年1月5日