血液型と差別(?)の関係について考えてみました。さてさて…
血液型を聞かれることが嫌な人は15.7% 圧っっ倒的に目立つB型の人たちの声! 血液型を聞かれることが不快と答えたのは男性18.4%、女性13.1% しらべぇ編集部による調査によると、「血液型を尋ねられることが不快ですか?」という質問に対し、男性の18.4%、女性の13.1%が「不快である」と答えています(全体では15.7%)。 [http://sirabee.com/...] |
この割合は、血液型だけではなく、県民性でもほぼ同じようです。
「高知県民は情にアツい」「は?」TVの県民性番組に15.0%が「暴論や!」
2015.11.26 18:00 ◆15.0%が県民性コンテンツにNO! しかしながら、こうした県民性をテーマにした番組に対して違和感を持つ人も存在します。本サイトが男女1656名を対象に実施したアンケート調査によると、15.0%の人が「◯◯県民はこんな人!」といった出身都道府県で性格や嗜好を説明するテレビ番組やコラムは暴論を吐いていると思うと回答しています。 [http://www.news-postseven.com/...] |
“血液型差別”とよく言われていますが、若い女性は血液型が好きですし、話題に乗らないと白い目で見られる…とまではなりませんが、好意的に思われない確率が大なので気をつけましょう(笑)。以下はデータです。 -- H27.10.18
R25よりのアンケート結果より(独身男女各200人)
[http://r25.yahoo.co.jp/...]
○「血液型と性格の関係」に関する話題が「好きなほう」
→ 男性48%/女性75%
○「“血液型と性格の関係”について話題になった際、“科学的根拠がない”などと否定する男性をどう思うか?」と女性に聞いてみた結果
→ 「つまらない」(40%)/「冷静」(29%)/「頭が堅い」(27%)
女性心理学者の論文のデータは次のとおりです。
○瀬由美子ほか (1996), 血液型ステレオタイプ変容の形―ステレオタイプ変容モデルの検証―, 社会心理学研究, 11(3), 170-179.
→ 首都圏の女子大学生318人 「血液型性格判断は楽しい」(83.6%)/「血液型性格判断が好き」(61.5%)
○山下玲子 (2008), 血液型性格判断はなぜすたれないのか, 日本社会心理学会第48回大会発表論文集.
→ 大学生(女子が全体の約2/3)で自身が参加した血液型性格分類の話題を「面白い、続けたい」と思ったことがある人は51.3%(全体の261人中134人)
→ また「相応の知識を持ってよく話題にし」「血液型と性格の間には多少の関係があり」「自身の血液型についてもある程度当てはまる」という結果
最近、カクガリ君!というテレビ番組が深夜に放送されてました。
内容については、ブログに書いたとおり、割と否定的な内容でしたが…。
カクガリ君!〜確率をガリガリ勉強して幸せになろう〜[終] 9/29 (火) 0:41 〜 1:11 (30分) ■番組概要 秋こそ!ダイエットに恋愛を成功させる季節!91%成功のダイエット法!そして27倍幸せになれる告白の方法! ■番組詳細 秋こそ勝負の季節! 秋こそダイエットの季節!91%成功するダイエット法を伝授! 秋は最も恋愛が適した季節!27倍幸せになれる告白法! さらに!誰もが経験ある血液型の話には衝撃の確率が隠れていた! 秋本番!台風、嵐を吹き飛ばす毎週月曜深夜番組! 月曜から夜ふかしして見てもらいたい人生応援バラエティ まれに見るムロツヨシ、小籔千豊のコンビ ムロツヨシ 小籔千豊 宇垣美里(TBSアナウンサー) ◇番組HP http://www.tbs.co.jp/kakugarikun/ |
ところで、この番組には「ブラハラ」(ブラッドタイプ・ハラスメント=血液型による差別)の話題が出てきますが、素直に見ると全く逆の結論になってしまいます。
そもそも、この番組自体が「逆ブラハラ」なのではないかという…(笑)。
まず、この番組によると「ブラハラ」を受けたことがある人は40%とのことですが、
奇妙なことに「血液型の話をするだけで不快感を覚える人の確率は18%」と、この40%に比べると少なめです。
ということは、どちらの数字も正しいと考えるなら、結論は一つしかありません。
要するに「ブラハラ」にも様々な“程度”があり、深刻なものは割と少数だということです。
仮に「ブラハラ」がとても深刻な問題なら、受けた人の割合40%は「血液型の話をするだけで不快感を覚える人」の割合18%と同数じゃないとヘンですからね。
前者が40%なのに、後者が18%と半減するというのは、ブラハラはそれほど深刻ではないということでしょう…。
#現に、血液型が大好きな私でも、もし“ブラハラ”を受けましたかと質問されれば、「はい」と回答するかもしれませんから…(笑)。
これを裏付けるように、「血液型トークが好きな女性の確率は75%」「血液型トークを否定している男性が嫌われる確率は50%」ということだそうです(笑)。
こうなると、大げさに言えば、「血液型トーク」を否定するのは女性の思想・信条の侵害にもなりかねません。←もちろん、ほとんど冗談ですが。
なお、「血液型トークが好きな女性」の割合は、他の調査でもほぼ同じです。
皆さんも、女性に対する「逆ブラハラ」にはよ〜く気をつけましょう(笑)。
そもそも、全体の18%である「血液型の話をするだけで不快感を覚える人」だけの意見で、75%の女性が好きな「血液型トーク」を“制限”するような(少なくともそう思われかねない)主張自体が、一種の“人権侵害的”な発想であるとも言えます。 いくら「血液型と性格」を否定したいからといって、普通はこういうことが許されるとは思わないでしょう。18%や75%という数の大小に関係ないことはもちろんです。 私が言うのもなんですが、自分の主義主張を尊重するのと同じように、相手の主義主張を尊重しましょう。 |
ところで、女性が「血液型トーク」が好きな理由は、かなりはっきりしています。
女性は男性に比べて人間関係に敏感で気を遣っているからです。
だから、男性より血液型による性格の差を感じているので、結果的に「血液型トーク」が好きだということになります。
血液型の差を感じている人は、人間関係に気を使っている、つまり相手の性格に敏感ということで、興味がある人は次は論文を見てくださいね。 -- H27.10.4
○血液型と性格の関連についての調査的研究(吉備国際大学研究紀要)
[http://abofan.blog.so-net.ne.jp/2014-07-16
山本弘氏との論戦で、はてブを見ていたら、こんな面白い記事を発見しました。
「血液型性格分類」と「郷土性」 [http://deztec.jp/design/10/08/14_society.html] なぜ「郷土性」はよくて、「血液型」はダメなのか。どちらも子どもが自分で選ぶことのできないものではないか。 |
確かに、“ブラッドタイプ・ハラスメント”がダメなら、県民性もダメなはずですよね。それなら「ダ○いたま」なんて一番ダメじゃないですか。(笑)
ちょっと新鮮な視点でした。
これで思い出したのが、一昔前の「都道府県ランキング」です。
確か、国のどっかの省がこの手のランキングを発表したところ、順位が下位だった県から猛烈にクレームが付いて、その後は発表されなくなったと記憶しています。
そういえば、テレビから「血液型占い」コーナーがなくなった理由は、視聴者からのクレームのせいだそうです。
TVからひっそりと封印されつつある“誰もが知っている”あのコーナーとは? [http://tocana.jp/2014/11/...] 今は血液型の性格分析などの企画もできません。…以前、『B型 自分の説明書』(文芸社)という本がベストセラーになり、テレビでも血液型にまつわる特番がいくつか放送されました。しかし、血液型と性格の関係は科学的な根拠はなく[注:この点にはクレームを付けたいです・笑]、たくさんのクレームが来てしまったのです。それ以降はこうした特番はもちろん、すでに存在していた血液型コーナーも終了させる運びになりました。 |
そして、悪い冗談としか思えないのですが、なんと「星座」の話題も紹介されています。
血液型占いはNGとされる今も、星座による運勢を放送する番組は存在する。こちらは良いのだろうか。 「今のところは、まだ問題ないとされています。ただ、今はミニコーナーとしての扱いなので視聴者も大目に見てくれているだけで、星座占いをメイン企画にした特番を作ってしまうと血液型の時と同様にクレームが舞い込み、放送できなくなる可能性もあります。そのため、今後どうなるかは分かりません」 |
確かにテレビは電波法の関係もあり、クレームには弱い傾向があります。
しかし、ここまできてしまうと、まるっきり杞憂とも思えないのが、ちょっと怖いところですね。(^^;; -- H27.6.20
【H21.11.8追記】 とても面白い論文があるので、皆さんにご紹介しておきます。
です。 ここには、心理学者がこんな内容の論文を公開しちゃっていいのかなぁ、というほど面白いことが書いてあります。
だいたい、心理学のどの調査でもこんな感じなんですよね。 さらに面白いことに、この論文では、血液型でイヤな思いをしたり、B型とAB型は少しはネガティブなイメージがあると書いてあるにもかかわらず、
ということなんだそうです。 思わずホンネが出ちゃったんでしょうかね? 【H27.6.20追記】 B型に言わせると、B型には「悪いイメージ」が付いて回るから怪しからん、というのはよく聞く話です。しかし、だからといってB型が血液型の話題が嫌いかというと、全然そんなことはありませんよね! 山下玲子氏の論文では、このことがデータで裏付けられています。 彼女は、血液型による不愉快体験を1(最も不愉快)〜5(最も愉快)で評価してもらいました。B型以外の回答は平均は3点ぐらいだったのですが、B型だけがほぼ2点とダントツに不愉快体験が多かったのです。しかし、それにもかかわらず「血液型性格判断に対する知識の程度」「血液型性格判断との関係性の有無」「血液型性格判断の自分への当てはまりの程度」「血液型性格判断の話題を行う頻度」「血液型性格判断の話題への好みについて」は、他の血液型と変わりはありませんでした。
つまり、B型は自分の血液型イメージとは関係なく血液型の話題が好きなのです。 #B型の人にはすみません…。 −◇−−◇−−◇−−◇− ついでに、この論文の考察の矛盾点を指摘しておきます。
まあ、これはいいでしょうね。どの血液型でも血液型の話題は好きなのです。(^^)
この記述は、B型以外の人はあまり賛成しないのではないでしょうか…。ひょっとして、山下玲子さんはB型なんですかね。(笑) こちらから尋ねていないのに、自分から血液型の話題を振るB型が多いと感じませんか? そういうときには、B型はこんなに悪く見られている…というような意見を話し出すことも多いようです。他の血液型なら、自ら「こんなに悪く見られている…」という話題を提供するといったことは少ないでしょう。少なくともAB型の私はそうですから、「多くの[B型の]人が積極的に反対意見を出してはいなかった」とは思えないのです。おそらく、B型以外の人なら、そういう経験を持つ人は少なくないでしょう…。 さて、B型の特徴の1つは、自己のイメージと他人から見たイメージのギャップ。言い換えれば、KY[空気を読まない]ということになります。 《注》これを裏付けるデータもあります。2004年に行われたDIMS DRIVEの調査には、「夫が家事に協力的」と回答した妻の割合と、夫自身の回答を比較した結果があります。B型以外の夫では、自己評価と妻の評価はほぼ一致しましたが、B型だけは結構な差が生じました。つまり、B型夫は自分が思っているほど家事に協力的ではないようなのです。事実関係は別として、少なくとも「妻はそう評価している」のは事実というしかありません。
この記述は理解不能です。まず、
は、B型自身の“自己認識”に関する限り正しいでしょう。しかし前述のとおり、他の血液型の人は、たぶんそう思っていないというのも、これまた正しい…はずです。
この記述は、どう見ても明らかにおかしいです! なぜなら、メカニズムはともかく、「血液型性格判断は多くの人に支持され、肯定的に評価されているものであると多くの人が信じる」ことは「事実」だからです。 もっと具体的な話に落としてみると、この考察のおかしさがわかります。例えば、
こうなると、まるで「妖怪ウォッチ」の世界です。(笑) まさか、この論文の執筆者が本心からそう信じているということはないでしょう! それなら、B型の自己認識自体がB型の特徴をよく表している、と考えた方がよほどすっきりします。(笑) 《おまけ》 それでも、私のこの見解に納得できない人がいるかもしれません。 |
まず、私が入手した代表的なものから引用しておきます。なお、「差別」という用語は、私が知る限り『朝日ジャーナル』昭和60年3月8日号が最初に使っているようです。
■科学のニオイをふりまく人間分類ゲームの正体−『朝日ジャーナル』昭和60年3月8日号(遠藤健記者)
「血液型別飲酒実態調査」というのがある。アサヒビールが昨年2月、全国の男女1464人に個別面接して、データを分析したのだ。その結果、血液型による酒の飲み方の違いが浮き彫りにされ、飲み友だちとの相性も血液型で違うことがわかったのだという。酒席でホンネが出るサラリーマンとしてはんぜひ知りたいところではないか。
〈血液型別の特徴〉A型=自分の雰囲気を大切に、気配りもそつなく B型=ざっくばらんにマイペース O型=オープンな付き合いで、和気あいあい AB型=人あたりのよさとクールな面を併せ持つ
〈血液型と相性〉@どの血液型も、同じ血液型の人を飲み友だちとして選ぶ傾向が強い、AA型とB型の相性は良くない、BB型とAB型の相性は良くない……。
では、酒乱気味の人は何型なのか?わかったようなわからないような調査結果だが、最近の血液型性格判断ブームに便乗した企業PRの、ほんの一例だ。
日本中が「血液型」でわきかえっている。書店に行けば、『血液型相性学』『血液型夫婦関係術』『血液型しつけ学』『血液型マネジメント』『血液型英会話修得法』『血液型受験突破術』といった本がズラリと並び、150万部突破だどか、250万部目前だとか書いてある。カクテルみたいに、血液型と星占いを組み合わせたり、干支と組み合わせたのもある。雑誌、テレビ番組はいわずもがな、血液型別にプロポーズの仕方をドラマ仕立てにしたカセットテープまで売り出されている。
まあ、しかし、このあたりまではご愛嬌、お遊びとして目クジラを立てることあるまい。
だが、それを大まじめに信じて、例えば企業が人員配置、人事管理とかに応用するようになると、話はいささか違ってくる。
その1つが、ミサワホームの子会社、ミサワホームエンジニアリングだ。ミサワホームの監査役で、
1979年にここの社長になった山崎利秋氏は、従来の販売部門に加え、直工事部門を新設した際、「7人を配置しましたが、うち6人はAB型にしました。AB型はクールで調整能力があるので工務店の職人を動かすのがうまいのです。基礎が固まってからは、A型、B型も入れてバランスをとりました」
と得意げだ。また、セールスマンの胸に、出身地、趣味に加えて血液型も書いた大きな名札をつけさせた。
「私は人間尊重の思想で部下に接してきた。適正配置と励ましの手段として血液型は大いに役立っています」
川崎氏のもとに先日、大阪のある会社の技術者から電話がかかってきた。新しいプロジェクトチームをどういう血液型の人間で構成したらいいか研究せよ、との命令が上司から下ったので、教えてほしいという。川崎氏は「リーダーは、AB型、企画マンはB型、実行段階に入ったらA型」などと基本を教えたのだそうだ。
『朝日新聞』の名古屋本社版に「ビジネス東海」というサラリーマン向けのページがある。そこに1月下旬、愛知県岡崎市に住む42歳の女性から、匿名希望の投書があった。従業員35人ほどの会社のパート事務員のこの人は、「社長夫妻が血液型に凝っていて、社員の仕事ぶりを血液型で評価する。いつもそんな目で見られていると思うと緊張する。人間すべてが4種類の性格で分類されるなんておかしい」
と書いていた。血液型人事管理はかなり広がりを見せているようで、従業員の募集広告に「A型とO型優先」とか「B型を特に歓迎」とかうたう会社も出てきている。
■「血の商人」の餌食になるな デタラメぶりは立証された−『朝日ジャーナル』昭和60年3月8日号(大村政男さん)
古川学説は正当な反証によって太平洋戦争以前に崩壊したのであるが、戦後、能見正比古氏(故人)という作家によって復活させられた。彼は「血液型十戒」という教訓を掲げている。しかし、能見氏自身この十戒を破って危険区域に進出しているのである。
つまり能見氏は、その十戒のなかで、血液型で人の性格を決めつけてはいけない、血液型が性格のすべてであると思ってはいけない、血液型で善悪を分けたり、人を非難してはいけない、血液型は適性適職に重要であるが、それですべてを決めてはいけない……などと有用な教訓を残している。しかし、彼はその半面、事故頻発者の血液型、犯罪者の血液型、血液型と相性……などというエスカレートをし、現在もそれが続いている。
現代の血液型性格学は、ちょうど昔の日本軍のように、危険区域に進撃を続けているのだ。
私は、昨年2月に東京理科大学で「血液型性格判断の社会的病巣について」という講演をしたが、そのあと、ある血液型の人々から、差別を受けた経験、疑惑視された体験、相思相愛の仲にクサピを打ち込まれた苦悩などを聞いてびっくりした。血液型性格学はまさに社会的病巣になっているのである。(中略)
血液型性格学を信じている人の多くは女性で、しかもギャルクラスの人たちである。彼女達が血液型教ともいうべき信仰の担い手であり、血の承認の餌食なのである。日本における血液型教徒の数は膨大な数にのぼると思う。それに、血液型性格学に疑問を持ちつつもOL操縦や社員研修に利用している人々も多いだろう。年齢(とし)を取れば熱から覚めると思うが、かわいそうな人たちである。
この間、通信教育のスクーリングで反血液型性格学を講義したら、自衛隊員が反論してきた。自分の隊では血液型によって隊員を処遇して好評だというのである。昔は「軍人勅諭」や「戦陣訓」、今は「血液型性格学」である。暗澹たる気持ちで、浮かばれない。
■ブラッドタイプ・ハラスメント−あるいはAB型の悲劇−『現題のエスプリ〜血液型と性格』(佐藤達哉さん)
イメージが悪い血液型は存在するか?
他人に言いにくい血液型などというものがあるのだろうか? まず、「各血液型(の人)ごとのイメージ」を大学生197名に書いてもらった結果(表1)を見てほしい。
ものの見事に血液型ごとに固定されたイメージが付与されていることがわかる。表1は大学生を対象にした結果であるが、これは被験者層を変えてもかなり再現されることが分かっている。
表1に示された語の多くは、対人表現語あるいは性格特性語と呼ぶことができる。さて、私たちは自分や他人について語るときに、単にその行動や性格の特徴だけでなく、評価的な意味合いを絡ませて語ることが多い。
たとえば、「Aさんはきちんと筋を通さないと気がすまない」「Aさんは頑固で融通がきかない」という2つの表現を聞けば、後の方がよりAさんのことを悪く評価していることが何となく分かるものである。つまり、私たちは、人について語るときに、その語りの中に暗黙の評価を含ませていることが多いのである。
このことは、血液型のイメージにもあてはまるだろうか?
表1の1つ1つの語について、先の大学生とは異なる大学生たちに、語が持っている望ましさの程度について5段階評価をしてもらい、それを血液型別ごとに集計して平均値を比べたものが表2である。評定する語がもともと血液型イメージとして収集されたことは知らせていない。
O、A、B、ABの順に望ましい評価になっている。つまり、日常で何気なくなされる血液型に関する会話は、単に性格を公平に分類しているのではなく、評価的な側面で各々の血液型の序列化を行っているのである。この順番、読者はお気付きになっただろうか? OとAが逆になっているとはいえ、ほぼ日本における血液型の人口比と同じなのである。日本におけるABO式血液型の人口比は、A対B対O対AB=4対3対2対1である。最大多数である血液型のA型が一番よく評価されているわけではない理由は明確ではないが、上位2位を占めるO型とA型を足すと日本人の7割に及ぶということは注目に値する。
つまり、血液型別のイメージは、小集団(人口の少ない血液型)に対して否定的なイメージを作り出している。より強い言葉で言うと、少数者差別の構造と似ているのではないかということになる。
表1 各血液型のイメージ(N=197)
回答\血液型
A O B AB 合計 几帳面
111 0 0 0 111 神経質 77 1 1 3 80 真面目 54 0 0 3 57 おおらか 0 90 1 0 91 大ざっぱ 0 25 4 0 29 おっとり 0 16 1 0 17 明るい 4 16 38 1 59 マイペース 0 8 33 1 42 個性的 0 2 23 6 31 いい加減 0 0 17 0 17 わがまま 0 2 12 1 15 自己中心的 1 3 11 0 15 楽天的 0 8 10 0 18 面白い 0 2 10 1 13 二重人格 0 1 0 77 78 二面性がある 0 2 18 64 84 変わり者 0 0 1 13 14 よく分からない
0 0 0 12 12
表2 各血液型のイメージの社会的望ましさ(数値が大きいほど肯定的)
血液型
回答数 平均 標準偏差 O型
220 3.92 0.81 A型 226 3.41 0.80 B型 215 3.19 1.13 AB型 216 2.55 0.85
血液型によって対人関係から排除されてしまうことがある?
もっと直接的な研究もある。上瀬・松井は独自の社会的距離尺度を作成し、それぞれの文について各血液型の人間があてはまるかどうかを大学生に尋ねた。
表3を一見しただけで、AB型にあてはまるものが多く、O型はそうでないということが分かる。しかも、その内容は非常に生々しい。なにせ、AB型の人は、20%もの人から「隣に住みたくない」とか「結婚したくない」と思われているというのだ。
1990年代においても日本の女の子の夢の1つとされる結婚が、自分の血液型によって危うくなってしまうかもしれないのである。ボーイフレンドに嘘をついてしまう乙女心を笑うことはできない。
表3 各血液型のイメージ(%) N=318
A B O AB なし 隣には住みたくないタイプ
6 18 2 20 51 仲間として一緒のクラブに入りたくないタイプ 6 9 2 13 64 結婚したくないタイプ 10 12 3 22 50 自分には好きになれないタイプ 5 12 2 14 60
■血液型ステレオタイプ変容の形−『社会心理学研究』(上瀬由美子・松井豊さん)
講義の内容は以下のものとなっている。 この講義では、Weber&Crocker(1983)のように、ステレオタイプ化された集団に所属する個々の成員の情報を与えるのではなく、当該ステレオタイプ全般の歴史的な経緯や、非科学性、ステレオタイプの社会的意義などについて、概括的な説明を行っている。
1.血液型研究の歴史:古川学説(古川,1927)/能見正比古・鈴木芳正らによる古川学説の復活と問題点
2.詫摩・松井(1985)の研究紹介:研究結果の紹介/ステレオタイプの中身の暖昧性/血液型ステレオタイプを持つ人の性格特徴
3.サンプリング調査によるステレオタイプの否定(松井,1991)
4.大村(1984)の研究紹介:フリーサイズ効果/ラベリング効果
5.血液型ステレオタイプの問題:差別的な現状/ナチスドイツにおけるユダヤ人迫害との類似点
■『朝日新聞』平成2年11月21日号
まず、オリジナルの『朝日新聞』平成2年11月21日号の記事からです。
見出し:AB型社員でチーム 三菱電機 ヒット商品開発目指す
中見出し:特質よく現れた5人で/有望アイデア続々とか
三菱電機は、血液型がAB型の社員だけを集め、ファクシミリの商品開発を練るプロジェクトチームを作った。「アイデア、企画力に優れたAB型の特質」(発案者の伊藤円冗・通信機器事業部長)を利用して、ヒット商品に結びつけようという狙い。成果が上がれば、社外モニターの中からAB型の人だけを選んで拡大プロジェクトチームを組むことも考えている。社員管理の一環として血液型の性格分析を参考にしている企業もあるものの、ここまで徹底した例は珍しい。
チームは、部長級から係長級まで「AB型の中でもその特性を如実に体現している」5人で構成。チームは斬新(ざんしん)なアイデアが出てくるようにという期待を込め、「奇想天外プロジェクト」の頭文字を取ってKTPと名付けた。
チームの活動は10月中旬の北海道帯広市で開いた合宿で始まった。AB型だけを集めるということは事前に知らされず、全員集合して苦笑い。合宿前に1人最低10提案というノルマが課せられた、期待にこたえ5人で180余りを持ち寄った。この中には引き出しの中に入るタイプ、受信専用の額縁型、携帯電話と合わせた複合機、など奇抜だが有望なアイデアがあったという。
「実行力のO型」を自任し、旗振り役を務めている伊藤事業部長は、課長に昇格した20年ほど前から血液型に注目、「芸術家肌のB型には常に重過ぎるほどの仕事を与える」など、独自の人事管理術を考え、部下を操縦している。「当社は昭和50年代には2色ファックスなど業界をリードする商品を出し続けてきたが、最近はインパクトのある製品が少ない。血液型の特性を生かせば、必ず目を見張るような新商品が出てくる」と自身たっぷりだ。
× × ×
能見俊賢・血液型人間学研究所長の話 レベルの差はあるものの、実際にはいろいろな企業で、血液型の性格分析を参考にしているはずだ。しかし血液型だけで人事を決めるといった誤解を恐れて、なかなか表には出さない。その点、今回のケースは貴重なデータだ。ただ、私のこれまでの研究では単一の血液型を集めると、あまり良い結果は出ていないようだ。
次に、この記事に批判的な、『オール・ザット・血液型』(佐藤達哉さん)からです(134〜136ページ、なお135ページにはこの記事が掲載されています)。
血液型マネージメント
採用だけじゃなくて、就職してからの人事管理にも、血液型の影響が出ている。「適材適所」の参考に血液型を使おうというわけだ。
さる大企業が「独創性があるのはAB型」ということで、AB型だけの企画チームを作った、という話は新聞(左頁)にも取り上げられた。
この企画グループが本当に独創的なアイデアを連発した、というのなら話はおもしろいんだけど、その後の話は伝わってないし、むしろ新聞にとりあげられて話題になりすぎたせいか、しばらくあとには解散になっちゃったらしい。
おなじような考え方から、「営業に向くのはO型」とか「A型は細かいから経理に向く」とか考えて、実際に配属や人事異動の参考にしている会社がけっこあるようだ。
ましてや経営者の個人的好みの影響力が大きい中小企業や個人商店などで、社長が血液型マニアだったらかなり激しいことになってるだろう。バイトの面接で血液型を聞いて、「ほほう、じゃあ性格は明るくておおらかなほうだね」なんてやってるのはそういう人。
しかし、これもよく考えるとまずいよね、O型で営業に向いてない人やA型で経理に向いてない人だって必ずいるだろうし、逆にA型で営業のセンスを持った人だっているはずだ。
自分に向いた仕事は働いてみなければわからないし、 適材適所だっていちおう一通りやらせてみて初めてわかること。 血液型で職種を決めてしまおうなんて、手抜き以外のなにものでもない。
これが手相や星占いだったら相当な非難を浴びそうなものだけど、なぜか血液型だとそうでもない。 さっきの新聞記事だって、それほど否定的なとりあげかたでもなかったでしよ。でも、あとの章でもくわしく説明してるけど、血液型性格診断は占い以上でも、占い以下でもないものなんだ。
血液型のせいで、たとえばO型以外の7割もの人が自分の営業への適性を示すチャンスを失ってしまうなんて、どう考えてもおかしいよ。いますぐやめてー。
上の文献は、私が入手した代表的なものですが、ちょっと読むと不思議なことに気が付きます。というのは、否定論者は「差別」という人が多いのだから、当然「血液型ステレオタイプによる差別に関する一考察」(ちょっと題名が古い感じなのはご容赦を…)といった内容の論文がザクザク出てくる(?)と期待していたのです。しかし、残念ながら?(不思議なことに?)、そういう論文は私の知る限り1つもありません。せいぜい「ハラスメント」といったところです。ということは、血液型による「ハラスメント」(嫌がらせ)あっても「差別」はほとんどないと考えていいのでしょうか? もちろん、「嫌がらせ」と「差別」はでは全く違います。私の判断だと、「嫌がらせ」は主に個人的なものですが、「差別」は社会的なものも含むはずですから。
「嫌がらせ」なんて、血液型以外にもたくさんあります。ですから、「血液型はひどい」という比較データがないとなんともいえないと思うのですが…。はて? 私は、一般にあまりイメージがよくないと思われている某県の出身ですが、そのせいかどうか(いや、個人の問題か?)確かに他県の人にはモテませんでした。(^^;; ですから、某県の人とは「隣には住みたくない」「結婚したくない」「好きになれない」という人がいても不思議ではありません(?)。たぶんAB型以上にイメージが悪いと思うのですが…。でも、残念ながら比較するデータがないのでなんともいえません。 |
また、「嫌がらせ」の内容はと興味津々で読んでいくと、心理学者が血液型と性格が「関係ある」というのに絶対に必要だと主張する「完全なランダムサンプリング」「複数回安定したデータ」「多くのサンプル」の3つの条件はいずれも満たしていません。これは、ちょっとズルですよねぇ。少なくとも私は、「血液型と差別」あるいは「血液型と嫌がらせ」が「関係ある」という条件と、血液型と性格は「関係ある」という条件は全く同じにしてもらわないと納得できません。:-<
そして、いろいろな例があげられていますが、ほとんどの人は「差別」や「嫌がらせ」とは思っていないようですね。というのは、もし、そういうマイナスのイメージが強いのなら、普通の会社がプレス発表したり、多くの本が出版されたり、人が簡単にインタビューに答えたりするわけがありませんから…。細かい説明はともかく、マクロ的に考えるとどっかヘンと思いませんか? 実は、これを裏付けるデータがあります! 詳しくはここをクリック!
原題: 上瀬由美子・松井豊 1996 血液型ステレオタイプ変容の形 ――ステレオタイプ変容モデルの検証―― 社会心理学研究,11,3,170-179.
Table 1 血液型ステレオタイプに対する態度の因子分析(Varimax回転後) →因子分析のデータは省略 →太字は50%以上
変数名
肯定率(%) 血液型によって性格は異なる
* 血液型性格判断は信用できる
37.5 血液型性格判断は当たっている
53.8 血液型性格判断は楽しい
83.6 血液型性格判断が好き
61.5 コミュニケーションに役立つ
40.4 初対面時に役立つ
26.0 血液型を考えてから対人行動 5.8 血液型によって行動を変える
4.9 他者行動の理解に役立つ
14.4 血液型でまず相性を考える
26.7 血液型に関する記事をよく読む
57.7 自分を知るのに役立つ 26.0 知らない自分がわかる
12.5 自己について新しい発見をする
16.4 自分を客観的に見られる
26.0 A型の人はきらい 5.8 B型の人はきらい 10.6 O型の人はきらい 1.0 AB型の人はきらい 10.6
* 本回答のみ、回答は以下の5件法で求めている。
「血液型によって性格は非常に異なる」(0%)、「かなり異なる」(10.5%)、「やや異なる」(61.1%)、「あまり異ならない」(16.8%)、「全く関係ない」(11.6%)Table 3 血液型ステレオタイプに対する、講義後態度構造(Varimax回転後) →因子分析のデータは省略 →太字は50%以上
変数名
肯定率(%) 血液型性格判断は非科学的なものと分かった
85.4 血液型性格判断は無意味なものとわかった
75.0 血液型性格判断は面白ければそれでよい
63.5 血液型と性格が関連ないと頭では分かっていても、なんとなく関連ありそうな気がする
55.8 今後は血液型性格判断を占いとして考える
56.7 血液型性格判断は役立つ面もある
53.4 血液型性格判断は遊びなのだから、心理学者がとやかく言うことではない
43.7 血液型性格判断は有害なものとわかった 41.3 血液型性格判断は科学では割り切れないものだ 34.6 血液型性格判断を信じていたことがばからしく感じた
29.4 一般の人には血液型性格判断はあてはまらないかもしれないが自分の周りではあてはまる
25.9 血液型と性格の関連については、もう少し自分で考えてから納得したい
21.1 講義で否定されていたのは、血液型性格判断の一部である
17.3 自分が血液型性格判断について信じていたのは、講義で否定された部分とは違う 16.3 これだけ血液型性格判断が普及しているのだからどこかに真実がある
16.3 一般の人には血液型性格判断はあてはまらないかもしれないが、 自分にはあてはまる
14.4 血液型性格判断は科学で証明できない部分に真実がある
12.5 血液型性格判断は心理学の測定と違いもっと複雑だ 11.6 血液型性格判断は今のところは否定されているが、いずれは科学的に証明される 2.9 血液型性格判断と性格の関連がみられないのは心理学による性格の測定が間違っているからだ 0.0
(肯定層は、「そう思う」「ややそう思う」と回答したものの割合)
この2つの表は、Table 1は「血液型は差別である」という講義前、Table 3はその講義後の女子大生へのアンケートです。講義前は80%以上が楽しいと答えていますが、講義後も60%以上が面白いと回答しています。もっとも、講義後のデータは、単位を取れるかどうかということもあるので若干割り引いて考える必要がある(?)でしょうから、まあ70〜80%の人が「楽しい」と考えていると思ってもいいでしょう。また、上瀬さんの別な論文では、やはり70%以上の回答者が「楽しい」と答えています。これは、別の多くのデータとも一致します。つまり、「差別」なんていう人よりも「楽しい」という人が圧倒的に多いのです。また、Table 1にもTable 3にも「差別」という選択肢がどういうわけか(?)ありません。ワザと入れなかったのか、それともあまりにも数が少ないと思ってデータが書いていないのか…。いずれにせよ、「差別」は示唆的なものであっても、直接的に証明されているとはまだまだいえないと思うのですが。:-p
1人のデータだと信用しない人もいるかもしれませんので、全く別のデータも書いておきます。次のものは、草野直樹さんの『「血液型性格判断」の虚実』からの引用です。やはり、70〜80%が面白いと回答しています。ここにも、(どういうわけか?)「差別」という選択肢はありません。ということは、このデータでも「差別」とはいえないと思うのですが…。はて?
あなたは血液型による性格判断についてどんな感想をお持ちですか →太字は最も多いもの
高校・大学生 吹田市民 男子 女子 男性 女性 よく当たる、信じている
3.7 8.9 1.6 2.2 当たる面が、気にはなる
42.6 62.3 29.2 43.3 信じないが、おもしろい
24.7 20.8 39.6 37.6 根拠が曖昧、くだらない
12.3 2.3 9.1 4.8 別になんとも思わない
16.7 5.4 20.1 11.8 無回答
0.0 0.2 0.3 0.3
高校・大学生の男子162名、女子427名、吹田市民の男性318名、女性372名
有意抽出による関西の高校・大学生と無細工抽出による20〜60歳の吹田市民を対象に実施した『<血液型ブーム>研究−人間関係ゲームの流行を探る』(1986)の調査結果
また、ここ10年来、70%以上の人々が「血液型と性格の関係はありそうだ」と考えていて、その比率は変わっていません。しかし、強い関係があると思っている人は20%弱で、多少関係があるという人が50%弱と大部分を占めています。
1.血液型と人の性格は関係ありそうだ(無作為抽出の首都圏15〜69歳の住民1,102名)
回 答
回答率
そう思う 75.0% そう思わない 18.4% どちらともいえない 5.9% わからない・無回答 0.6% 出典:昭和61年NHK世論調査資料
2.あなたは、血液型と人の性格や相性と関係あると思いますか?(無作為抽出の全国20歳以上の男女2,320名)
回 答
回答率
関係あると思う 18% 多少関係あると思う 46% 関係ないと思う 21% わからない 14% 無回答 1% 出典:昭和62年毎日新聞「こころの時代」全国世論調査
3.血液型と性格・相性の関係は?(500名)
回 答
回答率 ある 72% ない 18% わからない 10% 出典:関西テレビ『発掘!あるある大事典』(平成9年6月15日放送)
なお、1.2のデータは、草野直樹さんの『「血液型性格判断」の虚実』から引用させていただきました。どうもありがとうございます。それから、3.については、NTVの『特命リサーチ200X』でも、関係があると思う人の回答率が75%とほぼ同じ傾向を示していました。
今までは遠慮して(?)書かなかったのですが、複数のホームページに書いてあったことなので(ニュースソースは書きませんが…)、公開していい情報だと判断してここに書いておきます。 それは、(社会)心理学専攻の学生の間でも、いわゆる「血液型性格判断」はポピュラーな話題だということです。それが、ケシカランという内容ならわかりますが、逆に「○型は××な性格だ」という話題で結構盛り上っているようです。最初に聞いたときは半信半疑だったのですが、複数のホームページに書いてあるので、どうもこれは事実と考えていいようです。「差別」だと考えている人がこんなことをするわけがありません! これが、「差別」ではないという直接的な証拠です。実は、傍証もありますが、これでは個人攻撃になりかねないので、あえて公開はしないでおきます。(^^;; |
いずれにせよ、血液型は「差別」であるという直接の証明はまだないことがわかります。でも、否定論者で「差別」といっている人は実に多いのです。やっぱり私には理解不可能なのですが…。誰か親切な人がいて教えてくれないでしょうか? 皆さんはどう思いますか?
その後に読んでみた文献について書いておきます。
■南博編著『読みこなし 使いこなし 自由自在 心理学がわかる事典』 日本実業出版社 H6.2
まずはね血液型と性格についてです(126ページ、下線は私が追加)。
■血液型で何がわかるか
血液型相性診断や血液型性格分類などの知識が一般的に広まっているのは周知の事実です。NHKの世論調査によると、首都圏の調査対象者のうち75%が「血液型と性格には関係がありそう」と回答しました。昔、陸軍医による将校兵754人を対象とした血液型と階級・身体・懲罰経験などにつての調査では、「B型には優秀な兵士が多く44%が上等兵になっている」と報告しています。また数年前B型人間[注:A型かAB型ならまだわかるのですが…]はチームワークがよいとの理由で、B型のみ集めて会社を経営している社長の話題がありました。いずれも血液型による差別問題にまで発展しかねない報告です。
血液型と性格との関係については、予想以上に巷で信じられているようです。しかし現段階での脳の研究からは、 血液型が脳の活動様式に影響を及ぼしているとはとても思えません。にもかかわらず1911年[注:正しくは1900年ですが、単なる誤植かもしれません]に血液型が発見されて以来、実に多くの研究者たちがABO式の四つの血液型と人間の性格・気質・行動との関連を求めて研究を行なってきました。大村政男著『血液型と性格』(1990)は、そうした研究の歴史を“偉大なる錯覚の歴史であった”と論じています。
最近、血液中にある血小板MAO(モノアミン酸化酵素)の活性が、脳の神経伝達物質の活動に影響を与え、それによって行動や性格に影響してくることが知られるようになってきました。MAOが低値の人は、アルコール依存性にかかりやすく、スリルと冒険を求める傾向が強く、外向性で、攻撃行動・喫煙傾向が高いそうです。しかし脳MAOと血小板MAOの間には複雑な関係が存在し、同一に論じられるものではありません。
現在のところ、科学的には脳の機能に血液型が関係しているという確たる証拠はないのです。
これを読んで少々びっくりしました。なぜこんなことが断定できるのでしょう?
「血液型による差別問題にまで発展しかねない報告です」とのことですが、私は寡聞にして裁判になったという話は聞きません。つまり、「差別」ではないわけです。数年前だったら、誰かが既に「差別」として裁判に訴えていても別に不思議ではありませんから。
もっとも、アメリカでは裁判になるかもしれません…。例えば、日本で通常行われている就職時の学歴・年齢による「差別」は違法です。常識的に考えて、血液型よりこっちの方がもっとひどい「差別」です。しかし、私は寡聞にして日本で年齢・学歴による「差別」が問題になったという話は聞きません。ですから、(日本では)血液型が「差別」になる可能性はかなり低いことになると思うのですが…。
余計なことですが、この執筆者は血液型にはあまり詳しくないようです。なぜなら、いくつかの初歩的な誤解があるからです。ランドシュタイナーによる血液型の発見は1900年ですし、普通に考えてB型が一番チームワークがよいはずもありません(B型の人、ゴメンナサイ)。また、大村さんの『血液型と性格』については、前川輝光さんだけではなく、否定論者の心理学者からもいくつもの疑問点が提示されています。そして、「脳MAOと血小板MAOの間には複雑な関係が存在し、同一に論じられるものではありません」という表現には大きな疑問符が付きます。なぜ、ここまでして(専門外の?)血液型と性格の関係を否定しなければならないのでしょうか?
次に、200ページからです(下線と赤枠は私が追加)。
■好きになるワケ−その1
人は、異性のどこを好きになるのでしょう−−これまでの研究で美人・ハンサムであることは、恋愛の初期では好きになるための非常に重要なポイントであることがわかっています。しかし、そのことは両刃の剣ともいえます。男性が、美人に冷たくされたと思うと、途端に必要以上に反発してしまうのが好例です[注:私はそうは思いませんが]。心理学の中では、このように人を好きになる要因を探る研究は、対人魅力の研究として位置づけられています。
松井豊は、マーンスタインにしたがって恋愛の進行の段階において重要となってくる要因を、出会いの段階における刺激要因、進展の段階における価値観要因、深化の段階における役割の相補要因の三つに分け、重要となってくる対人魅力の要因を整理して紹介しています。各恋愛段階でポイントとなる要因は違ってきます。
さて、恋愛中のあなた。2人の恋愛のポイントはどれ?
下線で「非常に重要なポイント」ということですから、血液型などの比ではないことは確かでしょう。特定の血液型が「結婚したくないタイプ」「自分には好きになれないタイプ」というのは、せいぜい20%ですから…。松井豊さんの原典に当たっていないのでなんともいえませんが、常識的には数十パーセント以上であることは間違いないものと思われます。いずれにせよ、「美貌・ハンサム」は血液型なんかよりはるかに(?)差別的であることがはっきりしました。なぜ、否定論者は反「血液型」キャンペーンと同時に反「美貌・ハンサム」キャンペーンを展開しないのでしょうか? -- H10.10.11
渡邊席子さんの論文から、今までに書いたような「差別」や「偏見」をなくす方法がある程度分かりました。この論文のデータを私なりに分析した結果、次のようなことが言えるようです。
血液型と性格に関する知識と性格の決めつけ方との関係(表Cより)
区 分
知識問題の正解率
→大きいほど知識がある自分の血液型のものと
判断した性格特性の確信度
→大きいほど自分にあてはまる
→血液型で性格を決めつける正確な知識がある人 ≧.75 (n=38)
.90 (SD=.96) ≧.72 (n=46)
1.05 (SD=.93) 正確な知識がない人 <.75 (n=56)
1.32 (SD=.91) <.72 (n=48)
1.34 (SD=.94) <.65 (n=35)
1.48 (SD=.84)
以上の分析結果は、否定論者だけではなく、肯定論者も含めての「常識」をひっくり返すものです。これらのことから、血液型と性格についての知識を普及すればするほど「偏見」や「差別」が減るはずだという結論が得られます。つまり、否定論者の「血液型と性格は関係あるはずがない」といった主張は、本来の意図に反して「差別」や「偏見」を増やすことになり、全く逆効果であることになるのです。う〜ん、なんと言っていいのかわかりませんが、否定論者には皮肉な結論というしかありません。
実は、「血液型と性格の正確な知識がある人ほど、血液型だけでは性格が決まらないと思っている」というのは、私の実感とぴったり一致します。また、「血液型と性格の正確な知識がない人ほど、血液型だけで性格が決まると思っている」というのは、否定論者がよくいう「血液型で性格を決めつける」からよくないという主張ともぴったり一致します。そういう否定論者には、ぜひ正確な知識を持っていただきたいと思います。これで、「差別」や「偏見」が少しは減るはずですから…。 -- H10.11.11
最近、非常に興味深い事実が判りました。それは…
原題: 伊藤哲司 俗信はどう捉えられているか−「俗信を信じる」ことのモデル構成に向けて 茨城大学文学部紀要(人文学科論集)第30号 1〜31ページ H9.3
ここでは、平成9年6月にフジTV系列で放送された、「発掘あるある大事典」の血液型保育についての部分をビデオで提示して、被験者である学生に感想を求めています。サンプルは、茨城大学理学部・農学部・工学部(合計166名 男性144名・女性22名 理系学生)、茨城大学人文学部の学生及び茨城歯科専門学校の学生(合計131名 男性17名・女性114名)となっています。
<事象C 血液型別保育>
血液型別保育については,理系と文系とでは大カテゴリーの在り方が大きく異なった結果となった。それは,文系学生には血液型別保育の是非という観点かかなり強く入ってきているのに対して,理系学生にはそのような観点がほとんど認められなかったためである。そのために,理系では「血液型と性格には関連かある」「判断しがたい」「血液型と性格の関連はない」という比較的単純な構造を示したのに対して,文系では「血液型と性格は関連がある」「血液型も関係するか,それだけで性格は決まらない」「血液型と性格の関連はない」「血液型と性格は関連があり,血液型別保育もよい」「血液型と性格は関連あるが,血液型別保育は問題」「血液型と性格の関連はなく,血液型別保育は問題」という分かれ方になった。後半の3つか血液型別保育に言及したもので,血液型と性格の関連の有無と血液型別保育の是非の2つの次元があるが,「血液型と性格の関連はないが,血液型別保育はよい」という意見は見られなかった。
興味深いのは、文系では血液型別保育の是非という視点が重要であるのに関して、理系ではそうではないことです。「差別」に関する議論で感じたのですが、文系の方が多いという感じを受けました。確かに実感にピッタリです。
#なお、私はいずれかの立場が正しいと主張するつもりはありません、念のため。 -- H11.6.10
放送大学「人格心理学」の内容からです。
ある日、東京の大型書店で立ち読みをしていたところ、新しいテキストが発売されていたので(やった!)、早速入手してみました。
血液型はどうしたかなぁ、と思って探してみたところ、第14回「心理アセスメントI」(平成16年7月8日放映予定)[予定どおり平成16年7月8日に放映されました。蛇足ですが、テキストではローマ数字のIですが、本当はアラビア数字の1が正しいようです。つまり、テキストは誤植です。
-- H16.7.17]に以前より内容が大幅に縮小されて掲載されていました(京都大学大学院教育学研究科の女性助教授が執筆担当)。
この回では、心理テストの妥当性を検証し、その一つとして血液型が批判的に取り上げられています(202ページ 太字は私)。
では,先ほどの“いわゆる”心理テストや雑誌に載っているテストをした時に「あたっている」と感じるのはなぜか。
大村(1985)の報告によると,血液型と性格の関係を示した表について,性格の記述を「自分にあたっている」として選んだ。つまり,実は「AB型の性格傾向」として書かれているものでも「O型の性格傾向」として被験者に示すと,O型の人が「これはあたっている!」と反応するのである。
血液型性格判断の場合,人は特に自らの血液型のところしか見ない。そこに「やさしい」と書かれていれば,「まあそうかもしれない。」と納得するのである。
「妥当性」を得るためには,この「やさしい」という特性が,A型ではあてはまってもB型,O型,AB型では否定されねばならない。
筆者とて,血液型性格判断の「おもしろさ」を否定するものではない。しかし,これが採用試験といった重大な場面で使われるとすれぱどうだろう。心理テストの「限界」についてはよくおさえたうえで,盲信することのないようにしたい。
●引用文献[注:血液型と性格に関係するものだけ抜粋]
大村政男(1985) 「血液型性格判断:血の商人の餌食になるな」 『朝日ジャーナル』 27-9,89-91 朝日新聞社
また、今回のテキストで明らかになったのは、血液型と性格のタブーの次の記述が正しいことが裏付けられたことです。つまり、心理学者でも、いわゆる「血液型性格判断」はポピュラーな話題で楽しいことと感じている、という事実です(笑)。
今までは遠慮して(?)書かなかったのですが、複数のホームページに書いてあったことなので(ニュースソースは書きませんが…)、公開していい情報だと判断してここに書いておきます。
それは、(社会)心理学専攻の学生の間でも、いわゆる「血液型性格判断」はポピュラーな話題だということです。それが、ケシカランという内容ならわかりますが、逆に「○型は××な性格だ」という話題で結構盛り上っているようです。最初に聞いたときは半信半疑だったのですが、複数のホームページに書いてあるので、どうもこれは事実と考えていいようです。「差別」だと考えている人がこんなことをするわけがありません! これが、「差別」ではないという直接的な証拠です。実は、傍証もありますが、これでは個人攻撃になりかねないので、あえて公開はしないでおきます。(^^;;
なにしろ、「筆者とて,血液型性格判断の『おもしろさ』を否定するものではない」ということなのですから…。放送大学の教授が、いわゆる「血液型性格判断」の話題で盛り上がっている場面を想像すると、思わず微笑ましくなってしまうのは私だけではないでしょう(笑)。それなら、執筆者紹介の欄に血液型も書いてくれると楽しいんですがねぇ。前回とは随分変わったものです。執筆者が女性だからでしょうか?
採用試験に使うなんてことならともかく、明るい話題として楽しむだけなら、放送大学のお墨付きもあるので大いに安心していいようです。(^O^) -- H16.7.26
井沢元彦さん(B型)の『歴史の嘘と真実』(祥伝社文庫 H9.7)から少々長いのですが、引用しておきます(24〜28ページ)。
ミス・コンは「女性差別」なのだそうだ。 もちろん、この民主主義の社会における人間は、どんな思想や信条を持とうと自由である。また自分の思想を「正義」だと思うことも自由である。 ただ、その「正義」を通すために他人の自由を侵害してばいけない。 ミス・コンが女性差別だと思うなら、それに参加しようとしている女性に参加しないように説得すればいい。ミス・コンの参加者は、強制的に集められているわけではない。あくまでも自分の自由意志で、参加したいから参加しているのである。だから、それをどうしてもやめさせたいなら、参加者および主催者にやめるよう説得すべきであって、それ以外の手段で妨害すべきではない。それは参加者に対する重大な人権侵害である。彼女たちは、自分たちが参加したいものに参加する自由があるからだ。(中略) ミス・コン反対者の中には、そもそも「女性の美」を競うことすら「差別」だと叫ぶ人々もいるらわしい。 しかし、そんなことを言うなら、「ソロバン日本一」を決めるコンテストは、人間を「計算能力」で差別するということになる。それどころか「オリンピック」も、人間を「運動神経」で差別する、とんでもないイベントということになってしまう。 人間には、さまざまな能力・属性があり、生まれつきのものもあれば後天的に獲得したものもある。それを比べてみたいという欲望も当然ある。 もちろん、本人の承諾もなしに、勝手に「美人」だの「ブス」だの決めつけることには抵抗があるだろう。しかし、何度も言うように、当事者が自由意志で参加するイベントは、法律に触れるようなものでない限り、他人が妨害すべきではない。「ミス・コンが女性差別だ」 とみなす自由はあるし、「女性差別を糾弾する」自由も当然ある。だが、同時に各人がコンテストに参加する自由もあるのだ。それを現場(注:言論?)以外の不公正な手段で妨害しようとするなど、真の自由も人権もわかっていないのだとしか言いようがない。(中略) 人間は、思想の自由を持つ。平たく言えば「何をどのように考えてもいい」ということだ。だからこそ、100人のうち99人までがそうでないのに残りの1人が「不快感」を抱くこともある。「自由」である以上、それは当然起こり得る。それゆえにこそ、そういう「少数者の不快感」を絶対化してはいけないのである。これは「少数意見の尊重」とはまるで意味が違う。この絶対化は、「お漏らし」(注:建設省が作った治水推進の細川ふみえさんのポスターが「お漏らし」に見えると問題になった事件のこと)のように良識ある人間は考えないことを、「正義」にしてしまうことになる。 それに、もしそれが許されるなら、世の中のことすべてに「インネン」をつけることができるようになる。 たとえば「オリンピック中止」や、サッカーの「カズ・ダンス」が体を自由に動かせない人にとっては「不快」だからやめろ、ということにもなりかねない。理屈と膏薬(こうやく)はどこにでもつく、のである。 ところが、実際には「少数者の不快感」が絶対化され、ますます推進されているのだ。個人の感性の差にすぎない事柄を人権の名のもとに告発するのは、かえって重要な人権問題である差別に対する国民の感性を歪(ゆが)めるのではないか。 |
ただ、井沢元彦さんが血液型と性格についてどう思っているかはわかりません(笑)。 -- H10.6.15
次にイザヤ・ベンダサンさん(山本七平さん訳・A型)の『日本教について』(文芸春秋 S47.11)からこれまた少々長いのですが、引用しておきます(229〜232ページ)。
正義とは「涜れた布」 人間の言葉で反論できない言葉はありません。また反論してならない言葉もありません。反論者を犯罪人の位置におく体勢をとること、これがナチズムの第一歩です。 |
解説は不要でしょうから書きません。ただ、山本七平さん(=イザヤ・ベンダサンさん)が生きていたら血液型は信用しないでしょうね、たぶん(苦笑)。私にこんな文章を引用されて、きっと天国で苦笑しているに違いありません(笑)。 -- H10.8.1
【H17.8.9追記】 関係の有無と差別 仮に血液型と性格に関係があるとすれば、血液型による「差別」は正当化されるのでしょうか? いや、絶対にそんなことはないはずです! もし、関係がないのに「差別」されるのが問題ということなら、関係があるなら「差別」は正当化される(!)ということになります。しかし、いくらなんでもそう思っている人はいないでしょう。 ということは、「関係の有無」に関わらず「差別」は問題であるということです。つまり、「関係の有無」と「差別」は全く別物ということになる…はずです。 なぜ一緒に論じる必要があるのでしょうか?? |
【H25.12.7追記】 統計に裏付けられた「血液型人間学」なら差別ではない、というのが現在の裁判所の見解です。 東京地方裁判所
岡野さんのサイトによると、控訴審ではBPOの態度に変化が現れたようです。
それは、血液型人間学(=能見説)は、BPOの「要望」には含まれないということです!
やはり、血液型人間学(=能見説)は、BPOの「要望」には含まれないということになります! つまり、「占い」はダメですが、統計に裏付けられた「血液型人間学」なら差別ではない、と裁判所がお墨付きを出したということです。 岡野さん、やりましたね!v(^^) |