心のふるさとを求めて
真宗大谷派(東本願寺)正 覚 寺
出 会 い 第二十号(2002年12月) |
めぐり合(お)うた よろこびこそ 生きたよろこびである |
七年前に私が新しくお寺を始めるにあたって、皆さんにお送りしたご案内の文書にもありますが、浄土真宗のお寺は、昔から人と人とのふれあいの場として作られています。儀式執行や修行だけを目的とはしておりません。また、先祖供養の場だけでもありません。
法事などでいつもお話するのですが、亡くなった方のことだけを考えるのではなく、亡くなった方をとおして自分を見つめる場でもあるのです。
ここで言っている「めぐり合い」とは、人と人の出会いではなく、仏の教えにふれることです。
2002年の法語カレンダーの裏の解説には、「他力」に出遇うと書かれております。
別のページにご案内してあります、「帰敬式」も単に生前に法名をいただくというのではなく、今までの自分を振り返り、また、仏の教えにふれながら自分を発見していく契機とすることが大切です。
お釈迦様がおっしゃっていることは、亡くなった人の魂を鎮めるためのものではなく、現に今生きている私たちの生活の指針となるものなのです。
七年間にいろいろな方と出会いお話をする機会を得ましたが、私も含めて僧侶が忙しさにかまけて、そのような仏の教えにふれる機会を少なくしてしまっていたのではないかとも思います。
また、ちょっとお話をしたり、書いたものを渡しただけで、「この人はわかってくれているだろう。」と、勝手に思いこんでいる自分がいることにも気づかされました。
今回、帰敬式に私も同行しますが、私は僧侶としての自分の姿勢や、またお寺がどうあるべきなのか、再度自分自身に問い直してみようと考えています。
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