正覚寺通信第二十四号を発行してから、五年が過ぎてしまいました。忙しかったともいえるし、何かに追われているような五年間だったとも思われます。
本年六月二十三日に行った落慶法要も終了し、やっと一段落といった気持ちもありますが、これからお寺をどう進めていっていいのか、行事などの進め方も含めて考えていかなければいけないとも思います。
一九九五年に開教したころは、ちょうどある宗教団体が事件を起こした後で、新しいお寺が地域に受け入れられるのかどうか不安な時期でもありました。
お寺の案内文書を作成し、現在でもホームページで公開しています。 (表紙)
そして、地域活動の一貫としてバザーや書道教室、お講(法話会)などを行い、また障害者の団体などの支援活動も行ってきました。しかし、お寺が周囲に知られるようになってくるのと同時に忙しくなってしまい、一つひとつのことにゆっくり時間をかけられなくなってしまいました。
それでもなんとか施設を改修し、寺院としての体裁を整えてきたのですが、二〇〇八年十一月末の火災で焼失してしまいました。
その後のことについては、大谷婦人会の冊子『花すみれ』に投稿させていただいた記事のとおりです。
◎お寺がなくなる
私のいるお寺は、首都圏の開教寺院です。開教活動を始めて十年ちょっとで、開教寺院の中 でも比較的新しい方ではないかと思います。そんなお寺ですが、何とか大谷派の寺院名簿にも登載していただき、非法人教会として活動しています。
法事や葬儀のご縁もいただき、このまま順調にいけば・・・と思っていたところ、一昨年火災になってしまいました。一晩で状況が一変してしまったのです。少しやけどをしたので救急車で病院に運ばれましたが、病院で寝ているときもさまざまな気持ちが沸き起こってきます。
建物が燃えてしまったという心の痛手、これから再建できるのだろうかという不安な気持ち。バザーなどさまざまな行事を行い、地域でもなんとかお寺として認められてきていたのですが、信頼関係を再構築できるのだろうかという不安など、次から次といろんなことを考えてしまいます。
翌日からの消防署や警察署の現場検証や事情聴取、損害保険の手続きなどもあり、精神的にかなり疲労感が大きかったと思います。すべてを投げ出して、誰も知らないところに行けたらどんなに楽だろうとも考えました。また、救急車や消防車のサイレンの音にも敏感になり、街中で救急車や消防車を見かけても目をそむけたくなる自分がいました。
◎私の心
その後、プレハブの仮寺務所の設置や法務などで忙しく過ごしてきましたが、なかなか「心の痛み」は無くなりません。「何かお手伝いできることは」という申し出もたくさんあり、それはそれでありがたかったのですが、そっと見守っていてほしいという気持ちのときもあり、また時間が経過してからはもうそのことには触れてほしくないという気持ちにもなりました。
火災から二年目でようやく再建の目途もたち、なんとかお寺として活動していけそうかなとも思えるこの頃ですが、施設が完成したからといって、完全に「心の痛み」が解消できるとも思いません。
「心の痛み」は何も特別な事故や災害ばかりではありません。私自身、障害のある方の施設のお手伝いをしたり、被爆された方のお話をお寺でみんなで聞いたり、まったく無関係のところにいたわけではないのですが、今まで以上にいろいろなことを考えさせられています
また、ニュースを見ても今までの私と受けとめ方の違いがあるような気がします。電車の事故にあった方が今でも電車に乗れなくて苦しんでいたり、災害や事故にあった方やその遺族のお話、空襲や被爆された方のお話を聞いた時など・・・。
◎大切なこと
私にはそのような「心の痛み」を解消できるような知恵や技術はなにもありませんが、お話を聞いたり、共感しあえることはできるかもしれません。それで痛みが少し和らぐこともあるでしょう。
お寺として、何かを伝えたり発信することも大切ですが、それと同時にさまざまな人のお話を聞くこと、そのような場としてのお寺を目指していました。私自身が大切なことを忘れかけていたのかもしれません。あらためて、そういう願いを込めたお寺でありたいと思います。
また、火災のニュースを知った障害をもっているグループホームの友人たちから、「大変なことになり皆で心配しております。山吹さん、体に気をつけて。私達もがんばります。」という手紙をいただきました。私が運営する側、彼らが利用する側という立場を超えて、長年おつきあいしている友人たちですが、ありがたい便りでした。
いっしょに歩んでいくという気持ちを、私は出会った人たちと大切にしていきたいと思います。
落慶法要では、最初に本日の法要の意義を表明する表白を読みますが、次のような文章にさせていただきました。
「敬って阿弥陀如来、並びに十方三世の三宝に申し上げます。
正覚寺は一九九五年に聞法の道場として開設以来、地域に根差した活動を続けてまいりました。
集う御門徒の数も徐々に増え、寺院としての体裁も整えつつありましたが、二〇〇八年十一月の火災により焼失してしまいました。
それより仮事務所を設置し、不自由ながらも寺院活動を続けてまいりました。
このたび幸いにも宿願が実を結び、本堂が修復され、落成慶讃法要をお勤めさせていただくことになりました。
また、本日は帰敬式を受式される方も多数で、親鸞聖人の教えを聞いていく同朋が増えることは心強く感じられることでもあります。
しかし、このたびの大震災の復旧もなかなか進まず、原発事故も収束する目途もついておりません。
このような時代社会の中で、寺院のあり方や存在意義も厳しく問われています。
さまざまな問題に目をそむけることなく、御門徒とともに歩んでまいりたいと思います。
この地域に念仏の声がより一層広がることを念じております。
謹んで申し上げます。」
|