心のふるさとを求めて

真宗大谷派(東本願寺)正 覚 寺


迷  信 第十六号(2000年12月)

悲しきかなや道俗(どうぞく)の

良時(りょうじ)吉日(きちじつ)
  えらばしめ

天神 (てんじん)地祇 (じぎ)
  をあがめつつ

卜占 (ぼくせん)祭祀(さいし)
  つとめとす

     親鸞聖人和讃より

 《現代語訳》  

 悲しいかな、今の世の僧侶も俗人も、目先の欲望を満たすために、日時の善悪吉凶を選び、現世の幸せを与えるとされる天の神・地の神をあがめ、占いや祀りでもって幸福を得、災いを除こうと努めている。

《私の意見》

親鸞聖人の時代から、すでに八百年が過ぎようとしていますが、ここに書かれていることは遠い過去のことなのでしょうか。いくら文明が進もうと、人の心の本質はさほど変わっていないような気がします。

平安時代の貴族が、行事を行うにあたっては、占いによって是非を判断したとか、後の時代の武将たちが出陣の日を占いによって定めたとか言われておりますが、現代の私たちも似たようなところがあります。

結婚式と大安、葬儀と友引などがいい例ではないでしょうか。そして、現代のもっと都合の悪いことは、結婚式=大安、葬儀=友引には行わない、となぜそうするのか、なぜそうしないかということもわからないままに、マニュアル化されているようなところがあるということです。大安、仏滅、友引などは中国の古い占いから来ているらしいのですが、それも日本では元の意味とかなり異なって伝わっているとのことです。どちらにしても、仏教とは縁のないことです。

また時々耳にするのですが、なんにもないときに新しく仏壇を迎えると、その家に死者が出るというのがあります。いったい誰が、何を根拠としてそんなことをおっしゃっているのでしょうか。仏壇はその家の御本尊、浄土真宗では阿弥陀如来をお迎えする場所であって、信仰生活の要ともなるものです。

私たちの心は、自分が思っているほど強くはありません。身近に不幸が続いたり、いやなことが多かったりすると、ついついそんな言葉にも不安を感じてしまいます。

仏事は、特に、宗教的な教えと、その地域の習慣と、迷信が混在しやすいのかも知れません。

迷信に惑わされていると、本当に大切なことも見失いがちになってしまうのではないでしょうか。

真宗会館で発行している「サンガ」にも仏事に関する記事が掲載されていますし、また宗派ごとに様々な書籍が出版されています。

また、各宗派の坊さんが集まって、電話相談を受け付けているところもあります。

毎月行っている勉強会でも、そのような話題を取り上げています。お気軽にご参加ください。

正覚寺通信でも機会があればお知らせする予定にしております。


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