心のふるさとを求めて

真宗大谷派(東本願寺)正 覚 寺


今の自分  第十九号(2002年3月)

今のあなたが

未来を

つくるのではない

あなたの未来が

今のあなたを

つくるんだ

         林暁宇

文章を読んでいると、ときどき「あれっ」と思うような言葉があります。『歎異抄』の悪人正機もそうですが、私たちは、それまでの自分が得た知識や経験で物事を考えがちで、ちょっと違った視点で見ることがなかなかできません。

また、経験がない事柄には、通説や大多数の人がしていることが常識だと思い込み、それが正しいことだと信じているようなところもあります。

それに、いつも不特定の周囲の人に対してアンテナを張り巡らせていて、「こんなことをしたら、どう思われるのだろう」、「こんなことを言ったら、どう思われるのだろう」というように考えがちです。いわゆる「世間体」という言葉で表現されるのでしょうが、そのことにこだわりすぎてしまいます。

仏事に関する相談を時々お受けすることがあるのですが、そういうときでも「世間体」があります。極端な話が、法名やお布施の相談をされるときに、「世間並みに恥ずかしくないように」、とおっしゃる方もいらっしゃいます。亡くなった方に対して、自分たちでできる限りのことをしたいという気持ちは私もわかるのですが、「世間並み」には困ってしまいます。相談を聞く方の立場からすれば、法名やお布施に何か相場があるようにも思えてしまいます。

こんなふうに、程度の差はあれ、「世間体」や「世間並み」という実体があるような、ないようなわからないものにこだわって生きている私たちがいます。

さらに、目先の損得で物事を判断することが多いようにも思います。時間は、過去・現在・未来と一貫して流れているのに、その場の急場しのぎをして生きている私たちがいるように思えてなりません。

「私」はどのように生きてきたのでしょうか。「私」はどこにいるのでしょうか。「私」は何をしたいのでしょうか。

行動や言動は、その人が何をどのように考えているのかによって裏付けられていると思います。

あなたは、何にどのようにこだわって生きているのでしょうか。周囲の人や他人がどう言ったか、どう思うかではなく、「私」が何をどう思うのか、自分の心の中をときどきのぞいてみませんか?


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