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◆ 竜のたわ言(たつのたわごと) ◆
( 主 管 ブ リ ー フ )
 
no.220 橋下新大阪市長に何を期待するか?     2011.12.1

 大阪市長選挙に、大阪府から下った橋下前府知事が圧倒的な勝利をし、且つ自分が率いる「大阪維新の会」から幹事長である松井氏が、後継の府知事の座に当選したのである。
 橋下氏は言わずと知れた「大阪都構想」の張本人であり、今回もこの構想をもとに「大阪を変える」と言って選挙戦を挑み、民衆の賛成を得たことになる。
 そもそも、今の状況を見ると、3月の「東日本大震災」と東電福島原発による災害によってテレビ・新聞による何時まで経っても津波災害のままの現地状況、一向に進まぬ復興への足取り、福島原発の見えない収束と放射能汚染問題などへの苛立ち、対策に当たらなければならない民主党政権の足の引っ張り合い、かつ協調して難局に当たらなければならない自民党は「総選挙、総選挙」の一点張りで、民意を考えない。こんな体たらくの政治状況だからアメリカからは馬鹿にされて、強引なTPP入りを要求される始末である。
 目を外に向けると、欧州の金融危機は、ギリシャ、イタリア国債の債務超過をめぐる不安、欧州が風邪を引けば、日本にも吹いてくるのは当たり前の世界情勢、金融不安は「よそ事ではなく」、それ以上の借金を持つ日本は大丈夫かと言うと「何となく不安ーーー?」、挙句の果てには、それを解消するには「消費税を上げなくてはならない」と言うことだが、少々のことは国民は泣くだろうが、これも政治の駆け引きになって、一向に先が見えてこない。幸か不幸か円高で75円の水準で、日銀の介入で何とか当面は救えたが、輸出産業では超円高で、日本での生産は諦めて外国で生産を余儀なくされる情勢なのである。
 どちらを向いてもまったく壁に当たっている日本の状態、つまり「閉塞感」が漂っているのである。私のような年金をもらっている層でも、これからの年金の目減り構想には強い関心を持ってこんな情勢からは早く脱却しないとーーーと思っているのだ。
 だから、日本中の国民は「元気が出ない閉塞感!」に陥り、「救世士」が出ることを願っている?そこで、橋下前府知事が訴える街頭演説には、民衆を引き付ける「大阪都構想」と言う麻薬の「言葉の技」に圧倒され、魔法にかかったように「彼に託したら、今を何か変えてくれるのではないか?」と言う期待感になって大きなうねりになり橋下氏を勝利に導いたのであろう。
 知事から転身して総理大臣になった例はあるが、現状のままでは都構想は法律を変えなくてはならないのだから、行く先は国会を目指した動きを必要とするのであろうが、危惧するところは「他人の意見を聞かない、協調性が無く、独裁的だと言われる彼(橋下氏)であるが、何時まで彼の人気が続いて行くかが成否の分かれ道」と思える。
 連携を組んでいる我が「愛知県・名古屋市」であるが、大阪に比べると一段も二段も小さいのであるから、どこまでやれるのか私は疑問を持つところである。

 なお、下らない評価であるが、橋下氏の街頭演説を聞いていると民衆を引き付ける言葉の巧みさを持っており、例のアメリカ・オバマ大統領の「チェンジ」ならでの「大阪を変える(変革)」は、今の「閉塞感」を打ち破る強さがあると見た。そして日本を変えられるか期待するところだ。

no.219 福島原発の状況は!         2011.11.16

 震災から8か月が過ぎた。11日には東電の福島原発の対応拠点「Jヴィレッジ」が報道機関に公開された。「Jヴィレッジ」は、元はサーカー練習場であり、東電が原発の見返りとして(?)地元に作ったものである。
 私がテレビでこの報道を見る限りでは、「良く出来ているなぁー」であり、外国の関心もあることから恥ずかしくない設備内容・対応としていると思った。また12日には事故を受けた原発内部も公開した。私が見る限りでは、地震津波の怖さ、そして原発事故・水素爆発の恐ろしさは言語に絶するものであり、特に水素爆発による被害残骸を見ると、「こんな恐ろしいものをよくも造ったなぁー」と驚嘆するばかりである。
 その原発事故であるが、10日の発表によると、先の4号機での水素爆発であるが、当初は使用済み核燃料プールから発生した水素が溜まって爆発したものと推測されていたのであるが、最近の4号機内部の調査で、空調ダクトがつながっている3号機側からの逆流した水素で爆発したと推定したと述べている。
 また、2日には、2号機で核分裂した際に生じるキセノンという放射性物質が検出されたことから「再臨界」が起こったかと思われたが、その後の調査で、核分裂の連鎖反応が続く「臨界」ではなく「自発核分裂」が起こっていたと発表し、何ら心配ないとした。
 さて、福島原発を作った東電であるが、これから発生する事故への賠償や原発事故収束への対応そして廃炉へ向けての作業等を考えると計り知れない費用と何十年と言う歳月がかかることになるのだ。で、その対策に当たる張本人である東電であるが、企業として持ち応えられるのかと疑問を持つところである。
国の支援を受けることになるのであるが、その説明に当たっている枝野大臣は、事故発生当時の菅首相のもとで官房長官として、東電と渡り合ってきたその人であり、彼にとっては東電は憎いやつと思っている(?)こと間違いなしだ。
 その枝野大臣が、先月(10月)2日に、地方での講演で次のように語っているのだ。
=====「(銀行が持つ)担保権は損害賠償請求の権利よりも優先されるというのが民法の基本ルール」と説明し、さらに「銀行が担保権を行使すれば東電の財産は持って行かれる。ほとんど損害賠償の資金は残らない」故に、「(担保権を持っている)銀行より優先して被害者に賠償金を払わせるには、東電を破綻処理するのではなく、生かしながらやるしかない」と大臣は述べ、「福島原発の被害者を救うには国の「原子力損害賠償支援機構」が東電の賠償金支払いを支援する国の助けが必要である。」=====

 枝野大臣の国の支援が必要であるという説明には、賛否両論があるのであるが、「生かしながらやるしかない」と言う言葉には、事故の恐ろしさ、その後の汚染などの実態を見るにして、張本人である「東電」をつぶさずに生かして、責任とその処置をしてもらわないといけないと思うのは、枝野大臣ばかりでなく、日本国民皆がそう思っているのだ。それも我々庶民の電気料金の値上げなしでだ。

no.218 自転車の歩道通行を規制するは悪法だ!   2011.11.1

 警察庁は10月25日に、私に言わせれば「悪法」とも言うべき通達を全国の警察本部に出した。
 それは、歩道での歩行者と自転車通行者との事故が増え、中には死亡事故もあることから規制をすると言うのだ。確かに歩行と自転車通行とが共用出来る歩道で悪質な自転車乗りを見かけることはよくある。いわゆる自転車乗りのマナーが問われる件であるが、それを誇大に取り上げて、一部の歩道で自転車を追い出し、代わりに車道を走れと言うのである。自転車は元々「軽車両」であるから、車道を走るのを原則であり、それを幅の広い歩道(3M以上らしい)があるところは、邪魔にならないと判断されれば自転車通行を認めただけだと言うのだ。全く人間性のない車社会を優先するお役所判断なのである。
 この通達によって、各県の警察が現状を踏まえて対策して行くらしいが、目に見えて分かることは、自転車が車道を走れば、スピードの違いから事故が多発し、歩道での事故数よりそれ以上の事故そして死亡につながることは明白だと私は懸念と警告をしたい。
 私の自転車走行の経験から言わさせていただくと(私はマイカーが無く、自転車が日常の足なのだ)、幅の狭い歩道もない道路を走る時、当然左側の白線近くを走るのであるが、後ろから車が来る、同時に対向車も来る時、私を追い越したい右側の車は、対向車と接触を避けるために、さらに私寄りに近づき、ほとんど隙間のないぐらいに追い越していくのであるから、私はとっさに逃げの体制で左にハンドルを切り左側の土肩(蓋のある下水溝)に逃げるのだ。一瞬でも操作を誤ってハンドルを右に切ったら、自動車に接触し引っかけられること間違いなし。命がけの回避である。よく見ると右側の車の運転者は何と「年寄り」か「女子」が多いのだ。最近は特に年寄りが多くなった。
 こんな時、自転車の方は前の方しか見てないのであるから、後ろから来る自動車は自転車を避けて間隔を取るのが当たり前であるが、前方からくる対向車との擦れ違いに「恐れ」をなして、自転車側で何とか逃げてくれる(避けてくれる)と思っているだろうが、その自転車側では逆に、道路ともなれば歩行者優先(この時は自転車も)であるから、自動車側で回避動作をするのが自動車運転の基本だと思っているのだ(私は)。
 どうもこのあたりの食い違いがあると思うのだが、私の自転車乗りにすれば、車側で一歩下がるのが当たり前!と言いたい。

 つまらない話になったかもしれないが、さて、この通達で3M以下の許可されていない歩道を自転車で走って、運悪く警察官に見つかり注意されると「交通切符(赤切符)」が切られる時があるらしい。最悪に「赤切符」を切られると裁判所行き(?)になるのだ。それ以外で軽い時は、注意や警告で渡す「指導警告票」の発行となるらしい。

 最後に、私もこの記事を書くために少し勉強したのが、道路の両側に付いている白線、「ここからは歩道」の意味かと思っていたら、全く違ってこの白線からは道路の「路肩」であると言う線らしい。私は免許がないので全くの「無知」でお恥ずかしい。

no.217 自転車ブレーキの鳴きに対処する!     2011.10.16

 私の愛用する乗り物はママチャリである。この自転車は、3年前に盗難に遭った時に、近くのホームセンターが正月セールで安売りしていた時に買い求めたものである。それは日々の生活の足として毎日使用していたので、タイヤも擦り減り、交換しながら大事に(?)に乗っていた。ところが、ここしばらく後輪のバンドブレーキの「キーキー」鳴き音に悩まされて来た。特に雨降りの時には強く発生し、自分も嫌だが、はた迷惑になっていると感じて、いろいろと対策(バンドの隙間や効き具合などをいじくる)して、数日は鳴らないがまた鳴って来るのだ。普通のバンドブレーキ型の自転車にはこれまで何台か乗り回してきたが、あまり「鳴き」に困るようなことは無かった。もちろんそれまでの自転車は国産の一流品であったから品質が良かったかもしれない。今の自転車は言わずと知れた中国製品である。
 私が現役であった頃に明治大学に依頼した「バンドブレーキの鳴きの研究」を思い出し、調べてみると、この構造からくる「ブレーキの鳴き」は致し方がなく、対策すればバンドの材料を吟味し・厚さを薄くすれば音は出なくなるような結果が出ている。しかし、こんな対策は素人が出来ることではない。
 そこでここはてっとり早くインターネット検索で調べると、「分解して掃除をせよ」「新品と交換せよ」といろいろと書いておられる。が、時代も変わり、私が現役の時にはなかった新製品が出ているのだ。それはサーボブレーキとかローラーブレーキと言われる物であり、サーボブレーキはバンドブレーキと互換性があり、メーカによって若干の違いがあるが、構造は従来のブレーキドラムを外側からバンドで摩擦するのでなく、内側から摩擦する構造である。
 私もこの際、サーボブレーキに交換することに決めたが、町の自転車屋さんから買い求める手があるが、安さだけで決めるならインターネットであり(送料、代引き手数料を含めると、結局は割高!)、買い求めてしまった。(実際は、近くの自転車屋だといろいろと煩わしいことが出てくるので、避けたがったのが、本音?)
 早速、交換になるのであるが、前もってドラム抜きの対策としてホームセンターで穴あき金具板を求めておいて取り掛かるが、後輪を外して、いざドラムを抜きにかかり、買い求めた金具板を当てるが、私の検討不足で加工が必要と分かる(ドラム抜き工具は売ってはいるけど高額である)。
 仕方が無く、最後の手でボツにしてもいいマイナスドライバーでドラムの孔をたたいて、ようやくねじ込が緩み、ほっとしたのである。ドラムを外せばあとは簡単に交換でき、ブレーキワイヤを通してブレーキの効きを調整して終わったのである。
 交換後の試乗では、全く信じられないほどブレーキの音は出ず、「シー」と発する軽やかなブレーキ状態になったのである。これで安心してブレーキがかけられると思ったし、もっと早くやれば良かったのにと悔やまれるのである。

 後日、近くに住む愚息に自慢げに、「ブレーキを交換したら音が出なくなったよ!」と言うと、「幾らかかったの?」と聞くので、誇らしげに「2千数百円かかった」と言うと、息子曰く「お父さん!3倍出せば新品の自転車が買えるのにーーー」と、あたかも無駄なことをやったと言わんばかりの言い方なのである。

 
no.216 曽野綾子著「老いの才覚」を読み解く!(2)      2011.10.1

 本稿5か月前のno.206にて「老いの才覚」を紹介し、機会あらばその続編をと言っていたので、今回書くことにした。書く理由は、今の世の中、復興税と東北大震災復旧の現状と福島原発事故ニュース以外は無い状況であり、新聞を開ければ全面広告ばかりで、読む記事は少ない。この新聞の状況を皮肉で申せば「広告新聞」と言った方が受け取りやすい!と思うのだがーーー。
 こんな状況で先ほどの「老いの才覚」の読書感(?)を書こうと思って読んで行くと、著者の綾子女史は、40数年前に「戒老録」を出版されている。その本は、女史の37歳の誕生日を機に、自分が老いた時には「こんな老人でありたい」、「こんな老人でなければならない」と自分に戒めるために書いたと述べておられる著書である。
 で、その本、何となく我が居間の本箱の片隅に亡妻が買い求めたのであろう偶然にも置かれていたのである。買い求めた時期は不明であるが、多分作家女史と同じように自分が老人になるための指標を求めたのであろう。だが、妻はその本のようには行かず老人になる前に「あの世」へ行ってしまったのである。
 どんな因果か知らないが、私がその本を読む羽目になってしまった。読むと言っても独居老人で主婦業の身、非常に忙しくしているので、中味は読まずに項目らしきところだけを掴み読みで何とか本稿の原稿にしようとする悪老人であるのだ。
 では、40数年前の綾子著者が目差す老人の在り方を拾い上げる。(『』文中は著書の原文で引用)
 ●きびしさを感じ、それに応える準備を
 @ 『他人が、何かを「くれる」こと、「してくれること」を期待してはいけない。−−−してもらうのは当然、と思わぬこと。年寄りだからといって、してもらう権利があると思うのは、錯覚。』
 中々厳しい指標であるが、「老いの才覚」にも書かれているが、65歳以上が今の日本では高齢者・老人の扱いとなるのであるが、これを機にいろんな恩典が給付されるのである、それらが無料だと言ってむやみやたらに利用することは、そのために若年層にしわ寄せが行き、社会の負担が増すことを考えることが必要と言う。恩典は最少限度に止め、次の世代を担う若い層に与える勇気を。
例えば、映画を観賞するのに、シルバー料金で見るのを止め、一般料金で見れば、館の収益が上がり、引いては社会の消費好転につながって行くというものだ。
 A『生活の淋しさは、誰にも救えない。自分で解決しようとする時に、手助けをしてくれる人はあるだろうが、根本は、あくまで自分で自分を救済するほかはない。−−−淋しさは老人にとって共通の運命であり、最大の苦痛であろう。』
 老人になって、生きる楽しみは、自分が発見するしかない。趣味の課外活動(ゴルフ、碁、将棋、ダンス、旅行など)を通じて話し相手を求める、また、一人で過ごす遊び(読書、思索を兼ねたインターネット遊びなど)も必要。老後の大切な時間をアマチュアとしての学問や知識や技術を学ぶことは、老後を楽しく変化に満ちて生きるために役に立つ、孤独から免れる方法も、また自らの努力なしには解決しない。

 老いるための準備としては、上に挙げたようなことが重要であろうが、ほかにも沢山書かれている。
綾子女史の老人に求めた指標の「戒老録」を掴み読んで感じたことは、新しい出版の「老いの才覚」と中味は変わらないことであろう。当然それは、著者曽野綾子女史の「人生・老人観」を描いているのであるから、それが一貫として変わらぬ信念となっているのだと、凡人の私は悟らねばならない。

no.215 福島原発災害に思う!                 2011.9.16

 今日本では、福島原発アレルギーに陥っている。
 最近の事柄から挙げると、まず鉢呂前経産相の発言による辞任だろう。鉢呂前経産相は在任中に福島原発の避難地区を訪れ、避難した状況を「死のまち」を言ったこと、さらに記者団に向かって「放射能をつけちゃうぞ」と言ったことで、世論の非難を浴び、大臣を拝命して9日目に辞任させられてしまうのである。
 もう一つの事柄は、中部大学の武田邦彦教授がテレビ番組で子供からの「東北の野菜とか牛肉を食べたら僕らはどうなるの」という質問に対し「もちろん健康を害する。今生産するのが間違っている。」と述べたことに対し、東北の名指しされた市が抗議のメッセージを出したが、同教授は取り消す意思はなく、さらに「大人たちは子供に東北産の食べ物の汚染を心配させている事実を問題とすべきだ」と言っているのだ。
 これ以外にも福島原発をめぐる問題とされる発言はあるが、またの機会に。
 最初の、鉢呂前経産相の発言であるが、「死のまち」は正直な表現だと思うのであるが、今の日本には、それを言わせない状況の方が私は恐ろしいのである。何故なら原発災害の被害、影響を何とか隠そうとする雰囲気が何処かにあるのではないかと疑われるのだ。原発近くの避難している町の状況は「町に一人もいない」状況を作っているのであるからーーー。
 「放射能をつけちゃうぞ」と言った鉢呂前経産相、本人は視察帰りの省庁前の記者団に対し冗談のつもりで言ったのであろう。その場では記者連中は何も問題とせず、某新聞記者が社に戻って会見模様を社に報告したら状況が一変に変わり、その社の新聞・テレビの報道で、他社も右に倣えしたと言うオチの付いた話なのである。可哀想なのは鉢呂前経産相、「そんなことを言った覚えもない」と言う位の軽い出来事であったのにマスコミは容赦なく、大臣の首を斬ったのである。日本列島がアレルギー状態でなければ冗談で済んだ発言であったと私は思うのだ。
 次の健康問題、中部大学の武田邦彦教授は原発や地球環境問題についての著書が多数あり、売れっ子でテレビの番組にも出ておられる。また、国の原子力安全委員会の専門委員にもなって居られ、まんざら出鱈目発言をされていないと思っている。これも原発放射能の被害を心配しての発言と見られ、向こう産(?)の物を複数・多数食べたらどうなるのか、今のところ誰も「絶対に安全だ」とは言わない状況の中での警告であろう。当面の防衛処置としては「食べないことに越したことはない」と言いたいのであるが、それが言えない状況は今にあるのだ。
 名指しされた東北の市長は「相手が発言を取り消さないと言っているならば、この件についてはもう取り合わない」と大人の見識を示したが、脛に傷持つ身(?)であるから、正直言って「致し方が無い」と言いたい。
 この二つの出来事、いずれにしても災害復興の目差しが見えて来ない事への国民の苛立ちが「冗談もジョークも許さない」アレルギー的症状だと見る。

 発足した野田政権、初頭から躓いているが、何とか日本再興の道しるべを築いて欲しいと願うばかりである。

no.214 菅首相で良かったのか?                      2011.9.1

 菅首相の後継となる新しい民主党の代表が決まり、8月30日には新首相の誕生となる。
登場したのが野田佳彦氏であるが、私にはピンとこないのであり、民主党内にまだ首相になれる人が居たのかと冷やかに見ている。野田新首相がどのような内閣を作り復興を進めて行くか、しばらくは様子を見て行こう。
 とうとう菅首相の退陣となったのであるが、私は菅さんを応援する側に居たので、以下に述べていく菅首相の評価は贔屓目であると思っていただきたい。
 8月26日付朝日新聞夕刊の「素粒子」コラムで、菅首相の評価を風刺風・皮肉に書いているので、それを紹介しながら、おこがましいけど私考を展開したい。
 (●文章が素粒子コラム(原文そのまま)、「」内文章は私考である。)

●菅首相でなかったら。組織が動き被災地に早く物資が届いたかも。がれき処理や仮設建設も進んだかもしれない。
 「絶対にそうは思いたくないし、本来、被災地の援護は各自治体で自主的に行うもので国・政府を待って行うものではない。今回の被災の対策を見ていると県や市町村の自立心がなく、やたらと頼る他人任せがある。自治体が復興の基本計画を立て、それを国・政府にぶっつけて行く姿勢がない。自民党だったら、もっと早くやると言うならば、命令を受けた官庁が党の顔色を見て仕事をしているからであり、自民党でなく民主党を選んだ国民が悪いのだ。」

●菅首相でなかったら。こんなに粘らなかったかも。そもそも菅おろしも代表選も脱小沢もなかったかもしれない。
 「その通りである。菅首相以前の鳩山さんや自民党首相は、責任を投げ出して無条件降伏して逃げて行った。それに比べれば菅首相は自分の意志で、辞任の条件となる重要な法案を通させ、存在感を示した。そもそも菅おろし・脱小沢は民主党政権が持つ内部紛争であり、大多数を率いる小沢派には、自派以外は敵視されてしまうのである。このような民主党に政治を任せた国民が悪いのだ。」

●菅首相でなかったら。電力会社とけんかせず浜岡も止まらなかったかも。原子力村も安泰だったかもしれない。
 「まさにその通り。菅首相の功績と言えば、原発事故の恐ろしさ
一度事故が起きればその負債は孫やひ孫の時代まで引きつることを率直に伝え、将来は原発を無くすることの考えを国民に訴えたことであろう。残念ながら日本は産業立国、原発も重要な輸出品、菅首相の訴えが産業界の反対で小さくなってしまったことだ。国と電力会社・原発を見守る側、この3者が自民党政権からの癒着で国民の安全を守らなかったこと、これを菅首相が正したことは大きな功績だ。」

 菅首相「やるべきことはやった。」と言うのであるが、消費税アップ、復興費の財源、エネルギー改革など裏付けのない唐突な発言を繰りかしては修正する骨抜きな政治手法はリーダーシップの欠如と言われている。しかし、衆参のねじれ状態での法案通過、小沢派の菅おろ対抗しての内閣や党内のまとめなどなど、容易ではなかったと思う。今の民主党内ではどうしようもないことの結果である。

 この記事の書き上げの直後に新首相が決まったが、民主党に任せている間は(大連立も考えられるがーーー!)ゴタゴタの繰り返しだろう。これが嫌だったら、次回の総選挙では他党を選ぶしかないだろう。

no.213 米格付け会社S&Pに世界混乱の責任ないのか?       2011.8.16

 米国の大手格付け会社のS&P(スタンダード・アンド・プアーズ)は自国の国債に対し、その信用格付けを最高レベルのトリプルA(AAA)から1ランク下げAA+と格付けした。
 おりも折、アメリカ政府と議会との発行高の上限枠を巡って妥協点を見つけたものの株式市場はその不安があってか、この8月4日からドル安・株安になっていた。その最中、S&Pは政府のようやく議会と妥協した上限の拡大と借金の返済計画では物足りないとして、政府の執拗な説得にも応じぜず、アメリカ国債の格下げを強行したのである。
 その結果は、ご存じの通りに、世界中に金融不安が流れ、ドル安(日本では円高)と株式市場の株価下げが起こしているのである。この金融混乱は一向に歯止めがかかっていないのが今の状況である。この混乱の最中で、為替変動するのを狙って儲けている連中がいるのも事実であり、 これは私の邪推であるが、私的企業である格付け会社のS&Pも世間に不安を募らせ、その裏で為替の変動で営利を得ているのではないかと思っている。
何故なら、営利を目的とした民間会社であり、自国や世界中の発行する債券に信用度をつけて、その手数料で稼いでいる会社であるが、さすが自国国債に対しては手数料を国・政府からはもらっていないそうである。その代わりに、政府から民間が発行する債券には、格付け会社の信用度を得るのを条件にしており、公的機関としての存在を戴いているのである。
 このようなアメリカ政府のお墨付きを戴いている大手の格付け会社は、このS&P以外にムーディーズ・インベスターズ・サービスと、フィッチ・レーティングスがあるが、この2社は米国債に対してはここしばらくは最上位を維持すると言っているのだ。
 私は、S&Pの無責任な格付け下げが世界中に株安を招き、引いてはドル安(異常な円高)になって、アメリカ国債の信用度が低下してしまったのだと言いたい。
 損をした人は、このS&Pに対して、無責任な格下げが招いた結果だとして補償を求めることも良いのではないかと私は思う。
 公平な立場で、米国債を評価すれば多額の借金である国債、その返還の目途さえつかない状況であるけど、アメリカ経済が世界をリードしている事実、そのアメリカがコケたら世界が混乱すること明らか、政府との妥協・調整を一方的に退けて格下げを発表し、世界中を混乱させているS&Pの責任は重いと言いたい。
 S&Pの言い分は、公平な立場での評価、その結果が混乱しても、それは米国債の信用が失った証拠であり、米政府の政策に誤りがあるのだと言うのがオチだろう!
 だが、やはりS&Pの取った処置は誤りであったと私は思うのであり、私的会社ではなくアメリカの公的な格付け機関だったとするならば、もう少し世界を見た処置が必要だったのではないか?

 結局、S&Pは、この混乱を利用して傘下の子会社が多額の利益を得たのではないか?これがアメリカの資本主義経済の実態だと言えるのである。
 早速、アメリカ議会では今回の世界市場の混乱をうけ、格付け会社の調査と改革強化を求める議員の声が強まっているのは当然であろうと見る。
 徹底した究明とS&Pの責任を追及してもらいたいものだ。

 
no.212 原発事故による外国客解約の賠償に疑問?       2011.8.1

 東電の原発事故に伴う賠償の目安を定める政府の原子力損害賠償紛争審議会がまとめる中での中間指針の原案が明らかになり、その中味が7月27日の某新聞に載った。
 私はその中味を見て異様に思えたのが風評被害で、「訪日外国人観光客の解約に伴う賠償」である。全国の観光業者を賠償対象にして、「原発事故が発生する前に受け付けた予約について、5月末までに、通常の解約率を上回る解約があったことで生じた減収分を賠償する」としている。
 私は解約のルールについて詳しくないが、観光客の一方的な解約についてはキャンセル料を戴くことになっているのが普通であり、この時には観光業者には幾分の解約料が入るので、実損は少なくなるはず。今回は風評被害であるから観光業者の手落ちはなくて客の一方的なキャンセルで「日本へ行くのは危ない―危険だー放射能にやられる」と言うことであるから、観光業者側が震災(天災)福島原発と言うことで、キャンセル料の請求がし難いということも考えられる。で、結局その「ツケ」を賠償という形で発生元の東電に請求することになるのである。
だが、東電にお金があるわけでなく政府が肩代わりして払うことになるから、前述のような「決まり」を作ることになるが、最後は国民にその「ツケ」が回って来るのは目に見えている。
 外国解約客の最も多いのが中国人であろう(多分?)。その大部分が旅行会社を通した団体のツアー客だ。これからの観光客は中国を当てにしているのが日本側であるから、大事な客を逃がしてはいけないとして今回の一方的な解約についても「目をつむってキャンセル料を取らない」としたことが十分に想像できる。だと言ってその代わりに東電引いては国に賠償を求めるは私は腑に落ちない「我慢ならない」のだ。
 ついでに、国内観光客の解約の被害についても考慮され、福島・茨城・栃木に拠点がある観光業者について賠償の範囲とした。従来の指針では福島だけであったが、今回の中間指針では茨城・栃木両県の被害も事故との因果関係にあると認め、解約や予約控えなどによって生じた減収分を賠償に加えるとしている。これもどうもおかしい?なぜ茨城・栃木両県のみであり、福島の上に当たる宮城県は関係ないのだろうか?何か政治家が動いたようにも見えるのだが、腑に落ちない。
 さらに、私がおかしいと思うのが今回の賠償の該当者が観光業者であるが、その範囲を広げて旅行業者やホテル・旅館だけでなく、ゴルフ場やレジャー施設などの被害も認めるとしていることだ。金持ちや裕福族を相手にしている人たちに何故何故恵(めぐむ)と言いたい!

 今回の風評被害での賠償は観光業者(ここでは話していないが、その他、農林水産物業者も賠償の範囲となっている)を的にしているが、福島原発事故で外国労働者も日本から逃げており、雇っていた業者・会社では操業が出来ないような状況になっている。この業者も風評被害であろうと思うのだが、こんなこと言っていたら日本中が被害になっていると言っても過言ではない。
例えば、「牛肉が怖くて食べられない状況で食生活にストレスが係った」、これも十分な精神的被害であると私は思う。

 結局、上記の賠償指針、金もない民主党の被災した国民への人気取りかもしれないが、一般からすると余分な事であると「竜のたわ言」は言いたい。

no.211 原発の行方は?                      2011.7.16

 菅首相は13日の記者会見で、原子力を含むエネルギー政策について「原発に依存しない社会を目指すべきだとする考えに至った。計画的、段階的に原発依存度を下げ、将来は原発がなくてもやっていける社会をを実現していく」と述べ、「脱原発」社会を目指す考えを表明した。
菅首相はエネルギー政策の転換をめざす理由について「原子力事故のリスクの大きさを考えた時、これまで考えてきた安全確保の考え方だけでは律することができない技術だと痛感した」と説明している。
 東日本大震災による福島原発事故の大きさを考えた時、今もってその収束が目に見えてこない現実、そして避難と放射能による補償のこと、福島原発の廃炉による莫大な費用と何十年と関わる問題等を考えた時、首相の原発に対する認識が変わったのである。それが「脱原発」なのである。
 首相の表明の中では、具体的な実現のための道筋については、何ら触れなかったのであるが、この点についてマスコミは無責任だと言っているが、道筋をつけるのはこれからで、産業界や立地地元などとの調整などがあり、一気には決められない現実があると私は思っている。
自民党が進めてきた原発を含む国のエネルギー基本計画を昨年の6月追認する形で閣議決定した(原子力の発電比率を53%に高めるもの)のを撤回しているが、当然のことである。
 この「脱原発」キーワードと同意語(?)になるものに「卒原発」があり、滋賀県の嘉田由紀子知事(61)が段階的に原発依存度を下げ、最終的に原発をなくす方向を打ち出し、そのキーワードとして「卒原発」を使い始めている。
 その嘉田由紀子知事は先日の全国知事会で山形県の吉村美栄子知事と共に原子力発電から自然エネルギーへのシフトを目指す「卒原発」を共同提言しているのである。両県とも隣県に原発が立地しており、福島の原発事故を機に安全性などが議論される中、女性知事同士が原発依存からの脱却で同調し、他の都道府県知事にも賛同を呼び掛けたのである。
 そもそもこの「卒原発」キーワードは、元官房長官の武村正義さんが6月19日、京都大で「東日本大震災と脱原発政策」をテーマに講演し、今後の原発の在り方について「一つでも二つでも減らす時代に向かうべきだ。30年かけて原発のない日本を実現できたらいい」と「卒原発」を訴えたらしい。また、その講演の中では「核科学が未熟なままで実用化を優先した。人間が核に手をつけたことが間違っていたと思わざるをえない」と指摘し、「科学技術で安全が作れる幻想は振りまかないほうがいい」とも言うている。
 「脱原発」「卒原発」の目指すところは同じで「原発を無くする」ことであり、緩やかに原発を無くしていくのが「卒原発」らしいが、菅首相が表明した「脱原発社会」と同意語であろう。

 菅首相が表明した「脱原発」に対し、早速賛否両論が出た。自民党の石破茂政調会長は、「首相が『将来的に原発をゼロにする』と言い切ったが、そこに至るまでの道のりが示されなければ、大きな疑念を抱かざるを得ない。」とのコメントを発表している。一方、社民党の福島瑞穂党首は「英断だ。自民党ならこの段階で『原発に依存しない社会』とは言えなかった」と絶賛しているのだ。

no.210 福島原発ニュース もううんざりだぁー!      2011.7.1

 こんな事を書いたら、被災者を冒涜する非国民だと言われるかもしれない。

東日本大震災、被災から3か月過ぎ110日になろうとしているのであるが、一向に復興の兆しが見えて来ないし、福島原発に至っては収束に向けての汚染された冷却水等の処理や溶けた各ウランの状況が今一あやふやであり、気がかりな事ばかりである。対策する政府・つまり菅首相であるが前号で述べたように「やる気満々」であるから、続けさせれば良いと思うのだが、政敵にとっては「ノロ菅」と言って早く降ろそうとしている。むしろ震災を楯に自分の都合の良い内閣を造ろうと画策しているのみだ。 自民党の石原幹事長(言わずと知れた石原東京都知事の息子だ。)、若いからもう少し前向きに考え(これが問題だが?)、民主党に協力する発言をするかと期待するのだが、全く駄目だ!
 で、本題に戻すと、新聞・テレビではニュースの大部分が震災の記事、そして福島原発の記事で語られている。震災初めはそれで良かったかもしれない。しかし、今でも震災時の状況や・避難されている方々の生活状況、原発で強制的に避難されている方の気持などなどを新聞では多くの紙面を使って記事を埋めている。また、東北・関東地区の汚染状況を見るための大気中の放射線量などを連日報じている。こんな具合で記事を埋めていると、外国のメディアが見たら、「日本は危ない、危険だ!」だと思うのが普通ではないだろうか?
 よほどの日本通でないと、日本の今の状況は理解出来ないだろうと私は思っている。28日(6月)の新聞記事によると東北の福島原発に近い沿岸に中国の監視船が来て海水の汚染状況を測定をしているらしいとの記事が載っていた。まったく今の日本をいじめた理解出来ない行動をしているのだ。
 今のような新聞・テレビの報道のやり方では、震災の報道や原発の状況ニュースなどは止めた方が良いのではないかと私は思っている。そう言う私は70半ばの老人であるから、あと10年も生きられないのであるから、ストレスになる(気が重くなる)ような記事は、ほどほどにしか私は見ないーーー!と、言ったら被災者の気持ちが分からない奴と非国民あつかいされ、罵倒されるかもしれない。
 震災を風化させようとは言っていない。前向きの記事であって時々の状況(?)で良いのだ。今のような連日の、例えば「放射線量の測定」を見ていると、再爆発するかもしれない、もっと上がって来るのではないか、今でも原発は放射線が出ているから危険なのだと思えてしまうのではないか?
 まして、外国メディアが伝える特派員の得る情報は、中途半端だろうし、興味本位となることは間違いない。何故なら、視聴者の得になる事と言えば視聴率が上がる―ーー故に日本の一向に進まない復興や原発収束状況を見れば、まだまだ、日本への渡航へは危ないと慎重にとなってしまう。


 そのような震災の記事からはおさらばして、「ここまで復興したよ!原発は収束し、心配する事は何もないよ!」と言う記事が出て、生きている事に喜びが感じられるのが年寄りには好いのだがーーー!

no.209 菅首相では駄目なのか?        2011.6.16

 菅内閣に対する不信任決議案は2日午後、衆院本会議で採決され、賛成152、反対293で否決された。菅直人首相が民主党代議士会で自発的な退陣を表明したことを受けての結果となった。
これを受けて菅首相は元気付いたのか、退陣をチラつかせながら菅内閣の延命を図り、福島原発の収拾の見通しがつくまで「やりたい」と表明しているのだ。これだけの意気込みのある首相は自民党政権の麻生さんを除けば、安倍さんや福田さんのように途中で逃げるのでなく、しっかりと方針を見てやめたいと言っているのだ。私は立派だと感心し、任せてやりたいと思っているのだ。
 そこで、世間が言う菅首相では駄目だと言う(ここでは民主党内の反菅派の事は、今回菅さんを信じたのだからーーー)一方旗頭である自民党の谷垣総裁は、菅首相から災害対策大臣としての協力を求められた時に拒否し、その理由をこう言っている。
 1、どんなに頑張っても菅首相の下では決定権が無い(最終的に手柄を取られる)
 2、民主党と一緒に責任を負わされたくない(自民党のイメージを壊したくない)
 3、どさくさに紛れて大連立に擦り寄る様な民主党には協力出来ない(支持率激減の
   民主党と距離を置きたい)
これが彼谷垣総裁の理由であるが、次期首相を目指す人とは思えない腹の小さい、選挙に重点を置いた党利党略が目に見えているのだ。
 世界中が日本の未曾有の大災害(地震・福島原発)に注目し、スポーツの場であれば「日本がんばれ」と激励しているのだ。あのバチカンの法王さえも日本の被災民に対し哀悼の言葉と発しているのだ。
 その源である日本国内の政治家が、党利党略・派閥優先主義(これは民主党内の小沢・鳩山のこと)で、被災された国民の復興を遅らせて一向に進んでいない状況は何なのだ!
 この緊急事態に、民主党と自民党は、一時休戦して協力して震災の早期復興に努めなければならない筈ではないか!
 それが決断力が無いとか、先送りしているとか、隠しているとか言い合っている時でないと思っている。この時期、誰が首相になってもやることは一つである。考え、方法に違いがあったとしても復興を迅速にしなければならないことには変わりない。
 むしろ、地方の利権に関係のない、持ったことがない民主政権の方が斬新なことが出来、良いぐらいに私は思っておる。自民党に任せたら、利権がはらんだ復興投資になり所詮自民議員を利する事は目に見えている。
 政治は議員さんが考えるのでなく所轄の官庁が今までの経験と実績を見て方針を作り、大臣に提案するのだから、いくら官庁主導から内閣主導へと格好いいこと言っても何ら経験のない大臣・副大臣に何が出来るのかと言いたいぐらいだ。官僚に任せて最後は大臣・首相が決断すればよいのに、民主政権になってからは脱官僚と言っているから、何事も後手後手とまわり、先送りしなければならないのだ。

 回り道に逸れたが、今の状況は難しいかもしれないが、民主・自民が協力してこの国難に当たることが一番良いのではないか!そして、今の菅首相の下で協力して世界からも三流政治が一流政治に変わった言われるぐらいの大変貌を遂げて、日本の再建・復興をしてもらいたいと思うのは「竜のたわ言」の私だけではないと思っている。

no.208 世の中、不可思議なことが多い!        2011.6.1

 福島原発の事であるが、世にも不思議な事がおこるものだ。前日に福島原発1号機の海水注入問題で一時は中断していたと言う東電発表が、一夜明けて27日午後に「現地の原発所長の判断で継続されていた」と発表し、前日の記者発表をくつがえしたのである。結果は良き方向に向かっていたので良いのであるが、この件で政府が振り回され、そして国会で野党が追及したことが全て無駄になってしまったことである。
 発端は、原子力安全委員会の斑目春樹委員長の海水注入について「再臨界の可能性はゼロではない」と言う発言に技術に強いと言う菅首相らが惑わされ、揚句に東電本社の原発の構造について詳しく知らない連中が、現地の原発管理室とテレビ会談で「中断で話し合い」をするわけだが、実行の意思も取らずに「うやむや」に終わったと思うのだ。残された原発所長、原発については「東電きっての一人者」、今海水注入を部下に指示して行っている最中からすると、部下に「給水中止」を相談しても、何とか今の状況を早く落ち着かせたいと言う現場の雰囲気からは、とても理解されることではない。状況が危機的に迫っているわけだから、「ゼロでない」状況に後ずさりすることは、さらに危険を先延ばしするだけだと若手の技術者から突き上げられると、今の原子炉の状況をしている現場の最高責任者である自分が決断することを余儀なくされるのである。この事は一部の関係者しか知らないことで、所長は注水の続行決意したのである。あえて続行を本社に伝えることで混乱を招くし、緊急事態の時には現地責任者の所長に任せられている社風(?)があるのだーーー良くても悪くても緊急の時は仕方がないのだと私は思っている。
 そのあと、東電本社は清水社長の指示に背いて対応した現地の所長の進退については、「技術判断は妥当だった」として、不問に付するようであり、結果からしてあたり前の事であろうと私は思う。

 先だって(5月25日)技研有志OB会が開かれて、私のこの「竜のたわ言」で話が出、「くどくで長たらしい」と悪評が2,3の方から頂戴したので、今回(?)はとりあえずここまでとするが、少し物足りないのだがーーー!

 最近になって、上記騒動の当事者である斑目春樹委員長は「再臨界の可能性はゼロではない」と言ったのは、「事実上ゼロと言う意味だ」と国会の衆院復興特別委員会で申し述べられたのである。人をなめて愚弄するのもほどほどにして欲しいと「竜のたわ言」はつぶやくことにする。

no.207 中電浜岡原発 解せないことあり!        2011.5.16

 5月6日夜、菅首相は中部電力に対し、浜岡原発の停止を要請した。それを受けて中電は9日に要請を受け入れ停止することになった。
 菅首相の要請は、浜岡原発の場所は想定される東海地震の想定震源域の真上にあることから、地震が起こる確率が今後30年間に87%と高率であること、今回の福島原発の災害などから見て
「しっかりした地震津波対策をする事が求められる」とし、停止は国民の安全と安心を考えてのことだと言い切っているのだ。
 今の福島原発の状況からすると、停止要請に反対する族はいないし、国民は至極当然と受け入れると判断したのであろう。私も勇気ある決断だと評価したい。ただ、今後原発を推進するか否かは別問題と見る。
 で、中電の対応であるが、それについて私には解せないことが多い。
 まず、今回の東日本を襲った地震津波は、200年に一度起こるかどうか予測できない巨大な地震であったのであるが、それ故、自然の災害であるからと事故が起きても仕方がないと思っていないか?もし、浜岡を巨大地震が襲っても「想定外の地震であるからーーー」と、中電の幹部は逃げるつもりであったのではないかと、私は疑いたい。中電も利益を追求する企業であるから無駄な(?)設備投資は実行しないのである。菅首相の要請では、想定される東海地震等に備えた浜岡原発の中長期の対策を施工した時には原発再運転も残されているのである。
 そのことから中電は、停止要請を受け入れる条件として国の支援を出したのである。私はこれが解せないのだ。地震津波対策をすることは、原発を安全に運転するための必死条件であり、設置した地域の住民の安全を守るのが企業の使命であるから、それが出来ない・国に支援を求めないと出来ないならば、そのような発電施設(原発)は作るべきでないと私は思うのだ。
 原発設置は、時の政府であった自民党が他の火力や水力と比し安上がりな電力として電力会社に推進したのであるから、尻拭いは国でと言いたいのであろうか?
 中電も企業、株主の事を考えているのか「配当は継続したい」と中電社長は会見で言っているが、これもおかしい。国の支援を受けながら配当を出すなんて解せないのだ!、大株主はメガバンクであるから、銀行の機嫌を損ねては融資が受けられないと思っているのだろう。
 結局は、国の融資となるのであろうが、これも国民の出す税金なのであり、停電・節電・電力料金値上げ、それら全て、国民に覆いかぶさって来るのだ。
 この春、愛知県知事になった大村秀晃知事の浜松原発中止要請に対して政府に、私にとっては解せない、気に食わない行動をしているのだ。
 大村知事は、浜岡原発停止に関わる費用や代替電源の確保による費用の負担を国に要求したのである。前述の中電と同じように国に負担を迫るのである。どうも大村知事のやっていることは東海の大企業である中電、そして大電力を消費するトヨタ関連企業を庇っての行動であることは見え見え、この知事が名古屋市の減税日本の河村市長と組んでいるのだが、この河村市長も同じようなことを言っているのであるが、減税どころか電力値上げとともに増税になると、私は言いたい。
 
 まぁ、 竜のたわ言の落ちどころ。原発は所詮「国策品」? その国策品の夢を見ていた福島原発近隣の人々にとっては、少しは恩恵が有ったかもしれないが、これから続く長期の避難生活を考えると本当に可哀そうだと思う、出来る限りのことをしてあげたいと思うのである。
 民主党政権の菅首相、自民党時代の「原発」と言う「お荷物」に対し、一生懸命対応していると私は思っており、地震災害復興そして福島原発が落ち着くまで、政権を維持して成し遂げて欲しいと激励したい。

no.206 曽野綾子著「老いの才覚」を読み解く!        2011.5.1

 今回の統一地方選挙で、菅首相が率いる民主党は各地で席を落とし、惨敗とマスコミは報じている。それに呼応したのか政治献金で訴追されている小沢一郎氏は、菅首相のやり方に気に食わないのか、またまた菅降ろしを堂々と言っている。菅内閣は民主党政権であるから、党員皆が助けてやらなければならないのに、また、自民党にしても、谷垣総裁は菅首相に「能力が無い」と倒閣を言っている。大震災のこのような時、現政権をいじめている場合でないと、誰でもそう思っている、一部の知識人は「緊急事態の処置として全党が入った復興内閣を作るべきだと言っているぐらいである。
 しかし、国会議員の彼らには自分の事しか考えていないのである。これでは大震災で家屋を失ってしまった人、また、福島原発で避難をしている人たちは、どう見ているだろうか?政治不信に陥っているだけではないだろうか?
 東日本以外の人たちにとっても、福島原発の進捗状況が心配不安であるが、関係者の必死の対策を見守るしかないと私は思っている。国民全体が苦しみを共有し合う形での復興財源作りも、課題になりつつあるが、期間限定で協力をするのが義務であり、「日本復活」への道だと思っているのだ。
  そこで、しばし、他愛のない話で!
 今ベストセラーで売れている本が首題の作家曽野綾子氏が書く「老いの才覚」、夜のNHKのテレビで紹介したから、さらに売れまくっている。私も老人であることには間違いないので?時代に遅れてはならずと買って読んで見ることにした。
 で、当然気になるのが「才覚」とは何ぞや?ということで辞書を見ると(ここではインターネットで)、「才覚」とは_____すばやく頭を働かせて物事に対応する能力、知恵の働き_____とある。と言うことは年相応の経験での知恵を持ち、分別できる能力を持つことを言うのかと思う。本著のカバーに記述されている「さわり」を紹介しよう《−−−》内著書から。

 《 超高齢化社会を迎えているが、年を重ねても自立した老人になる方法を知らない人間が増えている。マスコミでは子育ての仕方が分からない若い夫婦、引きこもりの子供、フリーターなどをニュースで騒ぎ立てるが、実は年の取り方を知らないわがままな老人が増えていることこそが大問題である。日本の将来に対しても、自立した老人になるために、老いの才覚=老いる力を持つことが重要なのである。その老いる7つの力とは、
 @「自立」と「自律」の力
 A死ぬまで働く力
 B夫婦・子供と付き合う力
 Cお金に困らない力
 D孤独と付き合い、人生を面白がる力
 E老い、病気、死と慣れ親しむ力
 F神さまの視点を持つ力

 さらに、他人に依存しないで自分の才覚で生きるために
 ●高齢者に与えられた権利は、放棄した方がいい
 ●老化度を測る目安は「くれない指数」
 ●老人が使う言葉は極度に貧困になった
 ●人に何かをやってもらうときは、対価を払う
 ●ひと昔前まで、人は死ぬまで働くのが当たり前だった

 ●料理、洗濯、掃除・・・日常生活の営みを人任せにしない
 ●老年の仕事は孤独に耐えることetc.    》

と、曽野綾子著者は言っているのである。
「老いる力」、「生きるために」などの上の項目を注釈・紹介しながら、私なりの意見を出してみたいと思っているので、それは次の機会に記すことにする。

no.205 60年振りに友と会う!          2011.4.16

 東日本大震災により被災された皆様に、 心よりお見舞いを申し上げます。
 被災地の復興を心よりお祈り申し上げます。

 3月11日に起きた巨大地震と津波からもう1か月過ぎてしまったが、依然としてその被害が出た福島原発の事故・損傷は回復に至っておらず、今も高濃度の放射能を出しているようである。
 その結果、累積放射線量の推定の大きさから国際的な評価である「レベル7」に格上げをする声明を発し、避難退去する地域も広げるなどの予防処置を取るなどしている。一刻も早く収拾して原発事故の脅威を取り除き、地震津波による復興に手を付けたいと思うのは被災地の人々の切なる願いであり、全ての日本国民がそう思っているのが心情であろう。
 これ以上の震災事故のことを書くのは、私にとって非常に辛いことであり、老いにかかる不安・心配で体調を悪くする事態にもなったことから、心苦しいが、ここで首題の話題に代えさせていただく。

 私の父親は、昔の国鉄の駅員であったので2年ぐらいで転勤すのは当たり前だったのか、私が小学校に入ってからも卒業するまでに3回も転校している。小学校5年の時に、岐阜県多治見市の小学校から三重県鈴鹿市の加佐登小学校に転入したが、その当時は貧乏な時代で、身なりといえば姉さんの服を男子用に改造したものを着せられて恥ずかしい思いをしたことがあったが、何とかそこの小学校は卒業した。そして、近くの白鳥中学校に入学するのであるが、この中学校は近隣の他の2つの小学校も集まる中学校であった。
 クラスは4クラスあったが、1クラスはその当時は45人位だったと思うが、卒業した小学校も1年半位の在籍だったから、真の友達も居なく、中学に入っても他の小学校卒業生と一緒で馴染めなく、何一つ良いことはなく、思い出したくないような嫌な思いのする時代であった。
 その中で、中学で知り合った他校の男子生徒2人とは仲が良く、3人でまだ学んでいなかった平方根の出し方(?)だったと思うが、競い合うなどして、大変意気の合う友を持つことが出来た。
 その中学校も親の転勤で1年3学期の中頃には、友と別れてしまうことになってしまったのである。(また、これは小学6年生の淡い恋ではないが、いい感じに思っていた女子とも中学も一緒であったが、その女子とは小学時代に担任の先生と連れられて数人で四日市神社でのサーカスを見に行ったことがあり、今から思うと懐かしい幼少(?)時代の終わりだったと述懐している。)
 中学1年で転校した後も、その男子2人とは、1年1回の年賀状の交換だけは、どう言うわけかその後も今日まで続き、「今年はぜひ会いましょう!」と書くことで60年過ぎ去ってしまったのである。その60年の間には年賀状だけであるので、詳しい状況の知らせることはほとんどなく、私の住所変更位の連絡であったかもしれない(他の2人は長男で住所変わらず)。
それがこの2人の友のお蔭で、中学卒業同窓会案内の名簿に転校して行ってしまった私の名前を載せていただく事になり、この3月17日中学同窓会開催のハガキをもらうことになったのである。
私にとっては嫌な時代の思い出につながることになるのではあるが、それも60年過ぎてしまえば、懐かしい自分の1ページだと思えば、今回を外すと(断れば)2度と呼んでくれることは無くなるし、2人の友の好意に背くことにもなると思い、今回が2人の友に会える絶好の機会と思い(彼らは同窓会の幹事でもあった)参加を申し出たのであった。
 同窓会の会場は三重県の「湯の山温泉」で、1泊の内容であったが、あいにくと私は翌日18日からご近所の老夫婦と九州旅行をする予定を持っており、同窓会当日の宴会のみの出席とさせてもらったのである。
 60年ぶりに会う2人の友は、中学時代とは違った体格・風貌をしていたのはあたり前であるが、中学時代の面影はあり会って直ぐに分り、60年振りの再会を喜び合ったのである。同窓会の雰囲気は私がその中学を卒業していなくても、参加した皆さんはそんな事はお構いなく私と気楽に会って話をして下さり、出席して後悔するのではないかと危惧していたが、そのようなこともなく楽しい懐かしいひと時を過ごさせていただいたのである。

 例のごとく蛇足であるが、同窓会宴会場を去る時に、あの思い出のある女子が「投げキッス」をして別れを送ってくれたことには、今も思い出すと微笑ましい一幕として顔が緩むのである。

no.204 東日本地方に巨大地震・津波が襲う!        2011.4.1

 東日本大震災により被災された皆様に、 心よりお見舞いを申し上げます。
 被災地の復興を心よりお祈り申し上げます。

3月11日午後2時46分、三陸沖を震源とする巨大地震があり、宮城県栗原市で震度7を記録した。この地震の規模は当初の発表では国内観測史上最大のマグニチュード8・4としていたが、再々訂正され13日の気象庁の発表ではマグニチュード9.0の世界最大級の地震規模であったとしている。引き起こされた大津波による被害は言語に絶するもので、茶の間に映しだされたテレビの画像を見ると物凄い津波の怖さ・規模を目の前に見、自然の力の強さに恐ろしさを感じた。この津波によって東北地方の太平洋岸では壊滅的被害となり、町や村が一瞬にしてさらわれ、人も家屋も呑み込まれてしまった。死者・行方不明者は合わせると最終的には3万人以上になるのではないかと思われる。

 地震と同時に停止した東電の福島原発においては、原子炉の冷却が思うように行かず、また、原子炉自体の傷損も考えられ、万が一を想定して半径30キロ圏内の住民の避難が指示されており、一部の避難民においては少量の被爆を受けたとの情報もあり、津波の被害とともに、今後が心配がされる事態になっている。30日には東電首脳から廃炉の方向が言明されたが、完全に終了するには数十年かかると専門家は解説している。
 津波に詳しい港湾空港技術研究所の高橋重雄氏は、震度7を観測した今回の三陸沖大地震による津波について、「高さ、被害域の広さともに国内で過去最大級。100年に1回クラスの規模だ」との見方を示している。
 日本は地震国であり、津波についてもその予知・対策について世界一流の備えを持っていたのであるが、今回の予想を上回る規模の発生については人間の力ではどうしようもない事なのであろうか?今後、防波堤を高くするとかの事は考えられるだろうが、100年・200年に一度起こるかどうか分からないことに巨額の費用をつぎ込むことにもいささか疑問があるであろう。
 問題は今起こっている福島原発の異常な事態である。何とか被害が少なく収まっていくことを願っているのであるが、先のソ連時代の事故やアメリカでの事故を見ると人間の操作ミスが連鎖反応で事故に陥っているのであるが、今回は天災による想定外の事故とみるのであるが、アメリカの原子力担当者が言っていたが、日本のような国土の狭い密集した地域に原発を置いたところに問題があると提起している。

 この福島原発事故に関しては、政府や東電の対応、原発推進責任などに批判が集中し、マスコミでいろいろと言っているが、いたずらに国民に不安・心配を与えるだけであり、起こってしまった事にとやかく言ってもどうしようもない。ここは静かに関係者の必死の被害拡大防止対策を見守ることが肝要だと私は思っている。

(3月16日号の発行は、東北地方の大震災に鑑み、休刊としております。)

no.203 小沢元代表の問題は!        2011.3.1

 小沢一郎民主党元代表は、検察審査会による、政治資金規正法違反で「起訴すべき」との二度目に議決を受け、1月31日強制起訴された。それを受けて民主党は、小沢一郎元代表の処分について2月22日、「判決確定まで党員資格停止」とする内容を決め、党としての「けじめ」としたのである。
 その決定・処分に異議を唱える小沢系の議員がいろいろと謀反を起こしている事は連日のマスコミ報道でご存じのことと思う。
 さて、この小沢元代表の問題は、民主党代表でもある菅首相が1月初めの記者会見で、今年は小沢自身を取り巻く「政治とカネ」の問題に取り組む姿勢を見せたように、その根は民主党の生い立ちにもさかのぼる深いものがあり、小沢氏自身はあの有名なロッキード事件で起訴された田中角栄氏の子分であり、金権政治の申し子であるように見れるのだ。
 今回の起訴を受けたご本人は、元秘書3人に加え、自らも刑事責任を問われる事態に、政治家としてのけじめが求められるのであるが、彼の言い分はこうだ。
「検察によって有罪の確信を持って行われる起訴とは全く異質なものであり、何ひとつ私自身やましいことはない、国会でも必要ならば説明する機会があればやると言って参ったが強制起訴されたのでーーあとは法廷で改めて真実を述べる。」こんなことを言っているのだ。国民に対する申し開きが先送りされているのである(国会での証人喚問という手があるのであるが、政治の駆け引きに使われて一向に進まない)。

 初めに戻って、強制起訴された当日に「号外」でそれを知らせる報道が出るほどの国民の関心事である「金と政治」の事から、政治家としての道義的責任について何らなされない事に不満を持つのがあたり前の普通の人であろうと思う。菅首相が率いる民主党幹部・岡田幹事長たちは先の「けじめ」をつけて、何とか国民の理解を得、菅政権の浮揚を図ろうとしているのであるが、降ってわいた鳩山前首相の「抑止力方便」発言、さらに菅首相自身の「子ども手当にびっくり」発言などで、とても浮揚どころではない。
 一方、民主党の「けじめ」によって小沢氏がおとなしくしているかと思えば「普通の起訴とはまったく異質なものなので、同志、国民の皆さんから要請があれば、今後も地方行脚をしたいし、国会活動も必要なことについてはしていく」と、何ら自責任がない風情なのであり、むしろ菅政権を降ろすような行動をする子分たちの言論・行動を容認してしているのだ。

 菅政権の政治で、小沢代表時の選挙公約であるマニフェスト(政権公約)であるが、選挙前には「こうしたい、あーしたい」と謳ったけど、実際に政権を取って菅政権の政治のもとで運営して、予算を図ってみると「とても実現できない」ことが分かってきたのが事実であろう(事業仕分けでの財源確保は僅かであり、それも形だけで終わっている)。それで、公約通り出来ないなら国民を欺いたのだから責任を取り、国民に信を問え(つまり解散せよ)と言っているのが最大野党である自民党の主張であるが、私はいささか筋違いだと思っている。国民に納得できる説明をすればよいことであり、それも国会の場で堂々と議論すればよいことであると思っている。
 今、小沢問題を抱き込んだ民主党・菅政権がうまく政治が行われていないのは、何事についても小沢・反小沢の抗争があるが故にまとまらず、足を引っ張っている状況だと思える。思い切って分党して(以前の民主党と自由党に?)、他党を引き込んだ政党の再編成(連立、合併を)もあって良いかと思うのだ。
 今の民主党のままでは、誰が首相になってもうまくいくはずがないのが現実であり、小沢氏の自由党と合併したが、考え方による相違は埋まらず未だに抗争が続いていると私は見ている
 次年度予算を巡り、菅政権降ろしを天秤にかけて(解散も含め)予算通過云々がささやかれているが、もう何度も首相を変えるようなことをして欲しくないのが国民の声だと思うのだが、それが今の政治家には通用しないらしい? おかしなことなのだ。

 日本の産業復興が遅れ、中国などの新興国などの動向に左右される中、世界で三流政治にしか見てくれない日本政治に「強固さ」を期待するのは夢だろうか?

no.202 大相撲八百長を斬る!        2011.2.16

 前号までは安泰だったエジプト大統領は辞職し、その政権が崩壊したが、インターネット情報による国民蜂起はあっという間に大きなうねりとなってエジプトを襲ってしまったのだ。このような現象はエジプト隣国のアラブ諸国の首長にも影響するらしい。我が国の隣国である中国や北朝鮮でも起こる可能性を秘めていると思っている。さて、菅民主政権であるが身内の小沢起訴に決着が付けられずいたずらに時間稼ぎをしている。もう国民に民主党を期待する人はいないだろう?
 さて、大相撲の八百長であるが、これについて一席ぶちたい。
 私は今迄にも大相撲については、何度かこの「竜のたわ言」で愚痴を書いた。要は大相撲はプロの格闘技と変わらないのだと私は以前からそう思っている。特に外人関取がのさぼり、暴力を振るったり、麻薬に手を出したり、賭けごとで暴力団に貢いだりしている元凶の発端は、何といっても外人に大相撲を開いたことからだと思っているから、その時点でもう国技でないと言いたいのである。
 で、国技とは何ぞやと、またまた辞典を調べると

 「一国の特有な技芸。一国の趣味を発揮した技芸、我国では相撲をいう。」(広辞苑から)
私のひねくれた解釈をすると、一国の技芸であるならば、それを行なうのは当然その国の人間であるべきーーーこれだけではない次のことだ大事だ。大相撲を取り仕切る「日本相撲協会」は問題となっている「公益法人」なのであり、これを監督管轄するのが文科省なのである。(公益法人であるので税法上の便宜があり、財政は潤っており力士・親方は高給取りなのである。)
 それで「一国」と「文科省が監督する公益法人」の2語で、私は「日本人だけの力士」で行なうのが本道だと思っているのだ(一度世界に大相撲をグローバル化した以上は無理だがーーー)。
 そう思っている中で湧いた「八百長」を断じるならば、大相撲に八百長はありきと見ている。何故なら大相撲は神事として奉納しながらも、その神髄は武士道につながる「義理」「人情」を日本人の心として持っているものだと思っている。それ故に、力士同士の勝負の貸し借りも「助け合い」として出てくるものなのである。「真剣勝負」のつもりで土俵上で戦う姿勢を見せ、観客を喜ばせるのが相撲なのである。「国技」であるから「八百長」はやってはだめだと言う人の中には「相撲は真剣勝負だから」と言うけれど、それは間違い(?)であり、先に書いたように時代は変化しており、今のテレビ時代での相撲は「数あるプロ競技の中での格闘技」であって「ショー」であり、幅広い「エンターテインメント」の一つになっていると思っている。
 そう思っている私は、昨年11月の九州場所での「白鵬」の連勝を止めた「稀勢の里」の勝負の後の千秋楽、一敗同士の「白鵬」と「豊ノ島」との優勝決定戦で、実況のアナウンサーが盛んに言っていた『久しぶりに日本人力士の優勝が見られるかもしれない』、この言葉を聞いていた私は「白鵬」が故意に負けてやって日本人力士に勝たせてやるのも力士に通じる武士道なり相撲道の「情(義)」であり、「白鵬」に「勝負に負け相撲に勝つ」という相撲精神があるかなぁーと一瞬思ったけど、私の心が通じず「白鵬」の優勝となってしまった。
 後日この思いをパソコン教室の友人に言ったところ、彼曰く「それは八百長だ!」、と言う彼には私の考えを理解させるには困難と感じ、もう話は切り替えた。
 大相撲の八百長はありきで、以前にその話題が出た時、時の横綱審議委員会の委員長であった故舟橋聖一氏から「(相撲には)『物の哀れ』というものがある」と言われたと東京都の石原慎太郎知事が言っており、彼・都知事自身も今回の八百長について、次の様な辛辣な発言をしている。
「(八百長は)昔から当たり前のこととしてあったんだよ、(相撲を)日本の文化、伝統を踏まえた日本の文化の神髄である国技だというのは、ちゃんちゃらおかしい」とバッサリ切り捨てた。

都知事の毒舌はさておいといて、じゃーどうするかと言うことで私のひねくれ発言を?

 公益法人から脱し、一般財団法人へ切り替えれば監督官庁からの監督が消え、今よりも自由な運営が出来、プロの活動家として自由気ままに(外人も八百長もすべてOK!)出来る。その時には国のお墨付きが無くなるので、幕内優勝力士へ贈られる「天皇賜杯」や「内閣総理大臣杯」の表彰は無くなるだろう。また、現実の好取組に掲げられる「懸賞」も見直しされてすっきりと!ーーー(国技に「懸賞」とはおかしいとは思わない?)

no.201 iPadを買って電子版新聞を検証!        2011.2.1

 前号(no.200)で、「産経新聞」が電子版新聞として紙面そのものをiPhoneで無料、iPadでは月額1500円で提供していると書いた。書いたその時点では私はその実態を把握しておらず、言うならば情報の受け売りであった。
 何となく後ろめたさがあって電器ショップへ出かけiPadを触ることで確認しようとした。ところがショップで展示してあるiPad前で先客の小学生が滑らかに(?)操作し、人気ガールズAKB48等の画像を見ているのではないか!私も代わって操作して見るが(私の携帯電話はiPhone、機種替えして2ヶ月弱で慣れていない?似ているところがあるのだがーーー)気が動転して思う目的の新聞にたどりつけない。結局、その日は検証出来ずに帰ってくるのである。
 私が関与しているシニアのパソコン教室で一緒に教えている同僚が、VistaからWindows7にノートパソコンを乗り換えると言う事を聞き、それに負けずに私もと思っていたのであるが、私が持っているパソコンはVistaからWindows7にアップグレードしたものであり、まだまだ当分は使えると思っていたことからパソコンは止めて、iPadを早急に買って先陣を張ることに思いついたのである。自分にはーーー買う目的は電子版新聞の検証なのであると言い訳するのである。

 で、早速近くのソフトバンクの携帯ショップへ行き、最初は見るだけで後日予約するつもりで衝動買いの熱を冷めさせてと思ったのであるが、店員の言う「今なら在庫が有ります」の売り言葉に乗ってしまい、とうとうiPadを買ってしまったのである(3G回線対応は、通信費が高くなり年金生活者には堪えるので、無線LAN環境のWi-Fi機種にする)。
 このiPad、パソコンの動く環境でAppleのホームページと接続して初期設定をしないことには、動いてくれないのである。私は先に購入したiPhoneの設定で経験しているのであるが、何となく不安で億劫な作業なのである。このiPad、ご存じのことと思うのだが、アメリカのApple社のMacパソコンの業績悪化を救ったのがスマートフォンiPhoneであり、それに続いてのタブレット端末としてのiPad、全世界に多くの台数を短時間に売り旋風を起こしたのだ。iPhoneやiPadを使いこなすには、それなりの知識・賢さが必要と見るのであるが、一昔のことであるがアメリカの大多数を占める黒人人種は学問の程度は低いと見られていたのであるが(人種差別みたいですみません)、これらの人がiPhoneやiPadを使っているのかと気になるのであるがーーー?
 アメリカは世界1位の経済大国、開発技術力も超一流、日本のソニーやキャノンそしてトヨタの勢いが鈍っている昨今、まして、日本の政治の貧困さ、政権・民主党の展望のない取り組み、それらを見ると情けない。私が働いた40年前、高度成長で勢いのあった日本、その日本を背負って来たという自負、その思いからすると今の状況は日本衰退・沈没間近と懸念しきりだ?
 さて、横道に逸れてしまったが、iPadを設定して操作すること2−3時間、ようやく「電子版・産経新聞」を見るのである。紙面そのものが見れ、鮮明であり、大きくして見れば十分活字を読むことが出来、驚くばかりである。「無料」ではトップ頁の一面しか正常に見れないが、これで十分という人もいるかもしれない。有料の会員になると全頁が見れ、またサムネイル表示されるので素早く目的の紙面に移れ、紙面インデックスもありジャンル分けしてあるので所望の記事が探せるのである。有料会員になると過去紙面も読めるというから至れり尽くせりの感じを私は持った。
 このiPad、無線LAN環境(Wi-Fi)からEメールの送受信、ネットサーフィン、音楽、動画鑑賞と何でも出来る優れ物、残念なことに出来ないのは電話の送受信だけ、孤独な私の様な老人には癒してくれる遊び道具になる。
 
 残念なことには現モデルでは、標準的なUSB端子が無いこと(だから外部からのUSBメモリ、拡張HDなどが認識しない)、だが発売されて1年も過ぎていないのに(日本では昨年5月)、もう今年の下半期にはUSBに対応した新モデルが出るとの情報があり、良いことではあるが私の買ったばかりのiPadが、半年で陳腐化するとは何とも戴けない話だ!

(後記: 産経新聞の紙面の電子版化は以前から試みられており、パソコンでも有料で紙面を読めることを付け加えておく。)



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