◆ 竜のたわ言 ◆
( 主 管 ブ リ ー フ )

no.30  自衛隊派遣について                 2003.12.16

 日本の小泉首相はイラクへの自衛隊の派遣を決めた。
拙者は、国連も退く戦争危険地帯に自衛隊を派遣することに疑問を持ち、大国
であり当初から批判的であったフランス・ドイツのように、世界の警察官と自称
する米・英と対立する骨の在る行動が採れないものかと思い、腹立たしさを
感じるのであるがーーーーー。
 ところが、我が愚息(自動車セールスマン、29歳既婚)は、斯様にのたまわっ
た。日本の立場からすれば、如何なる首相でも、アメリカからの派遣要請を断れ
るものでない。日本の安全はアメリカに「おんぶ」であり、北朝鮮拉致の解決に
してもアメリカの後ろ盾がないと出来ない、アメリカは日本の最大の輸出国であり、
その意に反した行動を取れば、景気回復に向かう日本経済は、瞬く間に失速して
しまう。もっと首相は、このような状況にある日本の立場を国民に訴えるべきである
とーーーーおっしゃた。お前の言うことはマスコミの誰かの受け売りかと聞く、
「いゃー私の考えだと」ーーーー、さらに、お金で(金満の日本?)イラク戦争に
いくらバラ蒔いても、何の実績にもならない。自衛隊と言う軍隊を派遣することで
初めて米・英に協力したことになるのだとーーー。
 確かに、これは正論だろう。
 だとすると、このような国にしたのは誰だろうか? それは、やはり先を見つめ
ない政治家とその官僚の所為だと拙者は思うーーーそして、そのような方向を
許した国民ではなかろうか!
 いま、その「つけ」が回って来た??
(追記)フセイン元大統領拘束される。ーーーますます、米国の強権が!

 
no.29  友人K                     2003.12.1

 私の友人Kは、バルブ好景気の時には社員を10人以上雇ってマイコン・パソ
コンの販売から周辺機器の製作造りの事業を行っていた。しかし、不況になって、
受注も減り、苦しい経営の時も逢ったようである。しかし、新しい製品の開発に
力を注ぎ、時代の要求するシステムを創り上げて、今も活躍する事業家である。
 彼は元・公立試験機関の技術者で、脱サラして起業家になる位であるので、
電子機器製作の知識技術を持ち、果敢にシステム造りに挑戦した結果、他に
負けないノウハウを持つ身となった。私はその技術に惚れ込んで、現役時代に
は、私の意とする研究開発製品を彼に依頼し、助けてもらった。お互いにその
時流に乗って新しい技術を取り入れ・開発する「心意気」で一致してか、今も変
わらぬ親交を続けているのである。
 今、彼は自治体の災害対策のブームに乗って、気象データ(風向・風速・雨量
・気圧・ーーetc)の採集からデータ解析そしてインターネットWebでの画像表示
まで実行し、名古屋・東京・大阪で活躍する「その道の通」と称せられる技術者と
組んでシステムを完成させている。また、各地の地震対策(地震情報)も手がけ
ており、結構忙しく自業展開している。
 先日、彼は岐阜県の某自治体に気象システムを搬入した。人手が欲しいとの
事で私で良ければと手伝った。まだ、雪が降ってなかったので紅葉も見ながら、
帰りには、地元の温泉に泊まり、源泉に近いお湯にたっぷりと浸かって帰って
来たのである。
 ただ残念なのは、この費用全てボランティアであったこと。
 ”まぁ、 いい温泉に入って来れた” この実感で、良しとするか!

no.28  43年振りに同期生に会う(続)     2003.11.16

 43年振りに会うことに私は躊躇していた。それは途中で退社した事への
拘りである。その当時は終身勤務が当たり前で、転職することは「悪」のような
世評があった。いくら向学心で辞めたとしても、心の中では何故か後ろめたい
気持ちをずーと持っていたのである。それがあってか、元の職場を覗くことも、
後ろ向きと思い、タダタダ今を乗り切ることを良しとして、ここに至った訳である。
 今回のお誘いを元職場を振り返る最後のチャンスと思い、意を決して参加した
のである。結果は私が思っていた憂いは全く無く、皆、昔の友を懐かしく迎えて
くれたのである。
 大企業を定年まで勤め上げた驕りはなく、また、自賛するわけでなく、皆、
昔入社した当時の詰襟服での記念写真を懐かしく見て、当時の事を語り合った
のである。定年までの元職場での苦労話しは忘れたかのように、定年以後の
今の過ごし方に話題が集まって話が弾み、シルバーセンターの紹介で「やーさん
家の庭の草取り」に出かけて、立派な植木を見させて頂いた時の緊張感など
を面白可笑しく話すなど、酒を酌みながらの愉快なひとときであった。
  (追記)
 上記の同期会の翌日、近くの(猪苗代湖)に在る天鏡閣(有栖川宮家の御別邸)
を皆で見学することになり、ルネッサンス時代の建物内外を見てきた。帰宅後
数日経ってのこと、新聞紙上で有栖川宮家の子孫と偽って詐欺披露宴の記事を
見て「あの別邸」の事件かとーーービックリした由である

 no.27  43年振りに同期生に会う      2003.11.1

 私は学校を卒業して直ぐに、茨城県日立市の日立製作所本社工場に入社した。
そこで4年ほど勤めて、進学を志して退社した。その入社(工場の)同期生から
連絡があって、郡山・磐梯山の麓で開催される入社同期会に参加のお呼びがあり
、先日、出かけたのである。退社した後、今日まで、その同期生とは音信不通で
あったが、勤めていた元上司とは年賀状のみの交際から連絡が取れて同期会を
知ることになった。しかし、思い出せば退社する頃に名簿を作って会を発足させ
たらしいーー(その名簿があるから間違いない。)
 その同期会も、職場の中堅となると忙しくなって、また転属も有って、60歳
定年まではまとまった会合は開かれて無かったと言う。定年を過ぎた頃から(老
いを感じた頃?)皆が若いとき・特に入社した当初の頃を思い出して、集まる
ようになったと言う。
 今回は4回目の会合であって、同期生35名中の18人の出席であり、亡く
なった方が4名おられた。私は始めて参加させていただいたが、実に43年振り
の出会いであった。皆は私のような「日立の落伍者」にも暖かい歓迎をしていた
だき、楽しいひとときを過ごして、参加して良かったなぁーと痛感したのである。
                                     −後日に続く−

 no.26  シニアの努力があれば、事は成る    2003.10.16

 私が属するシニアネットでは、市の関係団体から、「シニアのための年賀状作成
講座」の委託を受けた。勿論、講座は有料で1日3時間4日間のコースである。
 指導する側としては、事前に使用するソフトについて熟知しておく必要があり、
それなりの勉強をしていた。いざ、講習本番に入ると受講生の中にはパソコンは
初めてと言う方も居られ、この先不安を感じた(当然、シニアと謳っているので、
全員60歳以上である)。しかし、たどたどしいキー入力であるが、皆さんの
お荷物にならないで、付いて来られた。別の方は「ローマ字日本語入力」では、
ローマ字が解らない方であるが、ローマ字入力の一覧表を見て入力されていた。
 この方達は、翌日の講習では前日のことが忘れないで出来るのである。忘れる
のが当たり前なので、不思議に思い聞いてみると、何と家族のパソコンを使って
復習をしたと言うのである。このような調子なので、住所録の作成、文面の作成も
特に大きな障害にならずに進み、最終日には立派な年賀状文面(イラストでは
来年の干支
・さるの絵とか写真を入れた。)が出来上がり、印刷をしてあげて、喜ん
でいただいた。
 結果として、この方達(この二人は70歳以上でご婦人)は、覚えたいの一心で
よく努力されて、その結果、年賀状が出来上がったのである。古いことわざ通りに
為せば成る」のである。
 シニアの呆け対策の一つが頭の体操である。皆さんも見習いませんか!

 no.25  「ジャパユキ」さんに思う?           2003.10.1

 私は時々体を癒すために、南の国フィリピンを訪れる。先月も少しばかりの期日で
この地を訪れて、日本とは暑さが異なる体験をしながら、いろいろと見聞して来た。
確か先には、この地のSARSの状況を書いたのであるが、今は当然そのような
雰囲気はまったくない。今回は異なる状況を話そう。
 日本に多くのフィリピン女性が出稼ぎに来ているが、彼女たちは「ジャパユキさん」
と呼ばれ、日本ではパブとかクラブでダンスや歌手としての職業を持つタレントと称
して、働くのである(これは日本政府が単なる出稼ぎの人をお断りし、職を持った
芸能タレントでないと入国出来ないのだ。)。
 それ故、現地では日本へ入るためのタレント養成学校や日本への入国・働き口を
世話するプロモーションなどが繁盛しているのだ。
 先日、知り合いの女性の妹が、日本へ行くための準備をしていると言うので、
渡航資金を稼いでいる彼女(妹)のお店に行って見た。知り合いの女性は以前は、
妹は日本で、レストランに勤め、「皿洗い」と「カラオケの手伝い」をするのだと言って
いたが、今は事情を知ったのか、妹が働くフィリピン・カラオケに連れて行ったのだ。
当の妹は、タレント養成が行き届いているのか、すっかりパブ風の若い女性に成り
切っていた(妹は確か、18歳に未だなっていないはずだがーーー)。
 彼女(妹)たちは、日本へ来て厳しい客相手をさせられて、お金を得る訳だが、
そのお金は、最初はタレント養成・渡航費用などで6ヵ月ぐらいは無収入、その後は
稼いだお金を家族の生活費に惜しげもなく送るのである。それは、戦前の日本の
女工哀史に似ており、痛ましい気がする。自分の身を削ってまでも、家族・兄弟姉妹
を見て上げようとする彼女たちに、私が思う憂いさは無く、明るいことにほっとする。
 とかく新聞沙汰になるところの、フィリピン女性を抱きこんだ凶悪事件もあるが、
それらは南国のおおらかで気立ての良い彼女たちの持つ可愛さに、何事も捨てて
しまいたい良き魅力(?)を、彼女たちは持っているからであろう。
 私は彼女たちが日本へ来て、健全に働き、親に仕送りをして、貧困生活を助ける
ことが、何事も無く出来るのを心から願うのみである。

 no.24  逃げては駄目だった!             2003.9.16

 以前に、この欄でパソコンの不具合を依頼され、当面の処置だけをして手渡した
ことを記した。このパソコンはウイルスに侵され、本人の知らぬ間にアドレス帳から
アドレスを借りてメールを発信していた。この対策は万全に実行し、ウイルス防止
ソフトもインストールして、とりあえず終了した。この時点でも時々フリーズすることが
遭ったが(OSはMe)、緊急処置(例の3KEYの同時操作)で逃げられたので、
まぁー、これで良しとした。
 本来ならばウイルス対策と同時にOSのリカバリを行うのが最良であったが、この
パソコンは色んな人が立ち入りして、設定を複雑化していることもあって、私は、
何とか簡単に済ませて、その場を繕うことにしたのだ。
 この時、リカバリの実行云々について、逃げた気がして何とか長く保ってくれる事を
願ったが、実際には、そう具合良く行かなかった。
 それは今年の残暑でのADSLモデムの不具合も重なって、それを解らずに色んな
設定を崩してしまい、フリーズすること、頻繁となった。そして、再度私に相談を持ち
込まれ、断り切れずに、引き受けることになったのだ。
 モデムの不具合は、ADSLランプが点灯しないことから、接続端子の抜き差しを
繰り返して見るが駄目で、何の説明もされていない「Init]ピンボタンを押して見たら
正常に戻り(モデムの中で崩れていたらしい)、ほっとする。
 OSのフリーズは、システムのどこかが一部壊れていることから起こるものであり、
嫌がっていたシステムのリカバリ・アプリの再インストール・ソフトの再設定
・退避データの復帰などを、8時間ほどかけて行い、無事に正常動作を見た。
 こんなことなら、最初からリカバリしておけば良かったにと、後悔するが、これも己が
決めたこと、仕方が無かったことだと言い聞かせる。
 後日、イターネット・メールなどを試行させて、無事に引き渡したのである。

 数日後、電話があり、Eメールが送信できないとおっしゃるがーー、宛先の私には
Eメールが確かに届いているのだ。どうもご老人と付き合っていると、こちらまで
変になりそうであるーーーーこれは蛇足。

 no.23  (時期外れ)盆に寄せて?           2003.9.1

 「お盆の行事」について、本によると、その時期は、7月15日の新暦盆、8月15日の
月遅れの盆、それに旧暦の旧盆とあり、その土地によって入り乱れて行われるそうで
ある。筆者宅でも新仏を出した時から、仏壇を用意し、霊を供養することになった。
 初盆の時に、世話になっている和尚様(臨済宗・妙心派・某寺住職)に、何時来て棚経
をよんで頂けるか聞いたところ、筆者の近くに檀家があり、そこには8月24日頃に伺う
のでーーーーーと言うことで、私も毎日がサンデーの身であるので、あえて他の国民的
行事日(13から15日)にする必要も無く、その日に決め、それが当たり前になった。
 確か、昔は(50年前以上)8月23日からが盆で、その時に盆踊りがあったような気が
するーーー遠い昔のような思いがしてーーー老いを感じる?
 これも時代が変わって、関東の大都市圏・東北地方で7月、それ以外では月遅れ
の8月で最も多いらしい。旧暦行われている所もあるが、マスコミが発達した今の状況
下では、無視された感じではなかろうか!
 下記の文献を紹介したい。
      -----------------------------
 お盆は、先祖の霊を迎えて、一家一族の触れ合い、語らいの場でもあります。
盆のひとときを名香を聞き、自分を育んでくれた先祖に感謝し、静かに人生に思いを
めぐらす時にしたいものです。
          大法輪15年8月号  藤井正雄 大正大学教授の解説から引用
      -----------------------------
 このような静かな気持ちを作り出せない私は、地獄に落ちるのだろか?
来年は、藤井教授の言われる心境を、ぜひ作るよう 心掛けたい。

 no.22  個人情報の保護!               2003.8.16

 前回に筆者が属しているシニアネットのパソコン勉強会で「暑中見舞いハガキ作成
コンテストを行い、その作品を展示したことを述べた。この件は、これで終わらず、
次に述べるような経過を辿って筆者に大きな(?)汚点を残す破目になってしまった。
それは、折角の色鮮やかなハガキ文面を展示会だけで終わらずに、ホームページ上
で、その作品を公開して見て貰おうという事になり、急遽拙者がハガキ文面を画像
処理(スキャナー入力、サイズ変更など)をして、ハガキ画像をサムネイル(画像の
縮小版)して、そのサムネイルをクリックすると実物大のハガキ文面画像を見れる
HTMLページを作成した。このソースはシニアネットが借りているサーバに上げ、
ホームページの一情報として、公開する予定であった。しかし、サーバの準備の都合
で、急に市の外郭団体である社会福祉協議会のボランティア紹介コーナの一つと
して、そこに上げていただく事になった。
 この段階で、インターネットのホームページ上で見られ、良かったと思っていた。
ところが、このサーバを管理している上記協議会では、ハガキを詳しく見ると個人
情報(住所、名前、時には電話番号・Emailアドレスも含む)が記載されており、
個人情報の保護漏洩に触れるからとのことで、管理者の権限でその個人情報を
ボカされてしまった。これは筆者の言い訳かもしれないが、作品作成・勉強会では
公開する事を伝え、その上で文面を作っていただいた経緯があり、公開することを
承諾していただいていると言うことで、ホームページ上に貼り付けたのである。
 それ故、個人情報の保護を考慮する思いが、ページ作成時に何ら浮かんで来な
かった。これが思慮不足の過失だと言われるとーーーー少し納得できないが?

 私論からすると、ハガキ上の個人情報の保護は難しい?ーーーと思う。
ハガキ文面上の住所・名前・その他は、レイアウト上の要点だし、そのフォント・
大きさなどは画面構成のデザインでもあるから。
 デタラメの住所・名前では、何となく??ーーーそんな感じを私は持つがーー。

 
 no.21  シニアの根気が花を咲かせる!      2003.8.1

 筆者は、シニアのパソコングループを結成し、8ヶ月を過ぎようとしている。
毎週月曜日は勉強会と称して、朝の10時前から午後3時ごろまで、ノートパソコンを
20何台揃えてパソコンの操作を教えている。中には一度も触ったことが無い人も来て
おり、初歩から中程度まで様々である。
 内容はインターネットの活用・Eメールの送受信・ワードエクセルの操作など解らない
ことは何でも(?)、お教えしますをモットーにして行い、時にはテーマを持って指導して
いる。1ヶ月前からはワードを使用して「暑中見舞いハガキ」の作成を行い、作成した
折角の文面図柄をそのまま寝かすのは惜しいことから、『暑中見舞いハガキコンテスト』
を行うことにした。会員の4割以上の方が3枚を限度に応募され、その作品を展示した。
新聞の折込を主とする地方の新聞社からの取材も有り、記事に載せて頂いた。
 展示は好評であったが、それにも増して喜んでもらえたのは、出品者に賞状と参加賞
をお出ししたが、中でも賞状に付いては、気配りしたお陰で最大の評価を得た。
 それは筆者が賞状を作ったのであるが、参加賞では子供やお孫さんに対して、
身が狭いだろうから、良く頑張ったと言うことの努力文面で 「優秀賞」 を授けた。
 これだと大きな顔で威張れるし、額にも入れることが出来るのだ。
 こんな後始末の結果、応募者からEメールで感謝のお言葉を多々頂いた。
 タイトルにあるように、シニアのパソコンを習いたい・メールを交歓したい、その意欲・
努力が結果として実ったものと思う。
 筆者らは手ごたえが合った事で、これからも趣向を変えて、いろいろと挑戦して行き
たいと思っている。手前味噌かもしれないが、タイトルのシニアは筆者らを言っている
かーーとも思えないことはないーーーー。



no.11〜no.20は、こちらで読むことが出来ます。
no. 1〜no.10は、こちらで読むことが出来ます。



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