kikulog
ABO FAN
議論が終了しました
【H26.8.10追記】
H26.7.7ごろからkikulogのコメント欄がなくなりました。
結局、私の統計に対する次の質問は、NATROMさんと同じく、全く無視されることが確定しました。本当に残念と言うしかありません。(*_*)
繰り返しになりますが、
1. きくちさんの次の文章は間違っています
-----
きくち May 6, 2007 @11:05:11
「多くの日本人が"関係あり"と思いこんでいるにもかかわらず、心理学の調査では関連が見いだせないほど、弱い相関しか存在しない」ということです。「弱い相関」もないのかもしれません。
エントリー:血液型と性格
http://www.cp.cmc.osaka-u.ac.jp/~kikuchi/weblog/index.php?UID=1158225244
-----
これは、次の2.の坂元さんや、3.の最近の心理学の文献で否定されています。
2. 山崎賢治・坂元章 1991 血液型ステレオタイプによる自己成就現象−全国調査の時系列分析− 日本社会心理学会第32回大会発表論文集
血液型と性格の自己報告との間の相関は、弱いが認められた。さらに、一般の人々の性格の自己報告は、大学生の血液型ステレオタイプに合致していることがわかった。
http://www010.upp.so-net.ne.jp/abofan/sakamoto.htm
3. 最近の心理学の文献
-----
A. 自分の性格の評価に血液型ステレオタイプが与える影響 工藤 恵理子(東京女子大学)
全体として、血液型ステレオタイプに合致するような自己評価が認められた
B. 血液型性格項目の自己認知に及ぼすTV番組視聴の影響 山岡 重行(聖徳大学人文学部)
高受容群では11項目で血液型の主効果が認められ、低受容群でも2項目で血液型の主効果が認められた。
C. 潜在的な血液型ステレオタイプ信念と自己情報処理 久保田健市(名古屋市立大学)
特性語の種類の主効果(F(1,32)=9.80, p<.01)と特性語の種類×参加者の血液型の交互作用(F(3,32)=3.22,
p<.05)が有意だった…定義づけ課題の結果についても,同様の2要因分散分析を行ったところ,特性語×参加者の血液型の交互作用が有意だった.
D. Physica A: Statistical and Theoretical Physics Volume 373, 1
January 2007, Pages 533-540
Blood-type distribution
Beom Jun Kim, Dong Myeong Lee, Sung Hun Lee and Wan-Suk Gim
A psychological implication for the case of B-type males is also
suggested as an effect of a distorted implicit personality theory
affected by recent popularity of characterizing a human personality
by blood types.
[大意] MBTI検査では、ただ1つB型男性を除いては血液型による差がなかった。これは、血液型ブームによる歪みが現れたものと考えられる。
-----
なぜここまで“回答拒否”なのでしょう? 統計的に「関係がある」と認めるのは、それほど問題があることなのでしょうか?
----------
平成24年7月初めごろ、突如kikulogが消滅した(?)ようです。
結局、管理人のきくちさんは、「統計的に差がある」という私の質問には答えていただけませんでした。(*_*)
が、なぜか、twitterでは血液型以外のことを頻繁に発言されているようです…。
#もっとも、多くの方は、私の主張に賛同しないにしても、黙認しているようです。
ですので、消滅してしまった(?)、その「統計的に差がある」と同意した代表的な部分を抜粋しておきます。
しかし、きくちさんも、何で消したのかな? -- H24.7.30
【H24.10.28追記】
H24.10.10から再開したようですが、発言者は大幅減のようです。
解説
kikulog
[http://www.cp.cmc.osaka-u.ac.jp/~kikuchi/weblog/]
での議論が、(一応?)終了しました。
エントリーは、 血液型性格判断問題についての確認
[http://www.cp.cmc.osaka-u.ac.jp/~kikuchi/weblog/index.php?UID=1256972977]
です。
意外(?)なことに、disraffさんは「統計的に差がある」(=きくちさんは間違っている)とあっさり認めています。
素直に議論すれば、わかってもらえるものなのでしょうか?
ちょっとうれしいです。
disraffさん、ありがとうございました。
そして、この論理的帰結として、
・1980年代以降に「統計的に差がない」と結論づけた心理学論文はすべて間違っている
→サンプルが少ない、質問が有名な特性でなかった etc.
・心理学の性格検査で「神経質」「マイペース」といった選択肢があれば[あるはずです]、それは必ず「血液型ステレオタイプの影響が現れる」ことになる
→性格検査は、必ず血液型による差が現れるので信用できない(補正が必要?)
ということになります。
disraffさんも私も、心理学者だったら絶対に言えないことですね。
そこで、思い出したのが、
小塩真司さん『性格を科学する心理学のはなし』―血液型性格判断に別れを告げよう
[http://abofan.blog.so-net.ne.jp/2011-10-20]
と
村上宣寛さん『性格のパワー』
[http://abofan.blog.so-net.ne.jp/2011-08-14]
です。
小塩さんは、性格心理学を教えています。
村上さんは、性格心理学を教えているだけではなく、実際に性格検査を作成して販売しています。
ですので、2人とも性格検査に「血液型ステレオタイプの影響が現れる」なんて、口が裂けても言えるはずがありません。
“商売”にさわるでしょうから…。
特に、村上さんは、もう少しすると定年なので、大げさに言うと、自分の人生を否定することになってしまいます。
しょうがないとは思いますが、「統計的に差がある」ことは事実ですので…。
と思って、もう一度『性格のパワー』を読み返したのですが、「血液型と性格の関連性を実証するデータは1つもない。」(p47)とあるのは、ひょっとして、悲痛な叫びなのか、あるいは自分に言い聞かせるために書いているのかなぁ?(単に私の考えすぎ?)
ちなみに、きくちさんは、議論の間は全く発言がありませんでした。残念!
※ブログのkjkulogでの議論が終了しました…[H24.3.11]からの抜粋
私の主張(=統計的に差がある)が認められたやりとり その1…disraffさん
953. ABO FAN — March 5, 2012 @06:35:40
disraffさん、おはようございます。
> #947. disraff — March 4, 2012 @19:32:53
> ただ単に「統計的に差がある」と言われても、何が言いたいのかわからないでしょう。当然です。
実際の心理学の論文でデータをご覧になるとわかると思いますが、(細かいことは別として)本当にザックリとした話をすれば、基本的に「能見(正比古)説」と(差の大きさも含めて)一致するということです。
つまり、
「能見説」=「心理学の論文」
となります。
さて(私の理解では)、kikulogでの定義では「血液型性格判断」=「能見説」のはずです。
ということは、「血液型性格判断」=「能見説」=「心理学の論文」となるはずです。
ところで、「能見説」自体は、血液型によって性格を判断できる、いわゆる「血液型性格判断」を否定しています。
となると、結局、血液型で性格を判断できる「血液型性格判断」なんてものは、初めから存在しなかった、(「血液型性格判断」≠「能見説」=「心理学の論文」)ということになります。
つまり、
「血液型性格判断」≠「能見説」
だった(「能見説」の定義が間違っていた)。
という理解でいいでしょうか?
955. disraff — March 5, 2012 @22:32:56
あいかわらず意味不明なのですが、「能見説」=「心理学の論文」って、いったいぜんたいどうしてそこに等号が出てきちゃうんでしょうね…。
『「能見説」の検証を目的とした研究を行って、「能見説」の通りの結果を得た』という論文であればまぁ等号で結ぶ事も許されるかもしれませんが(それにしても乱暴かつ粗雑な表現ですが)。一般の論文についてそんな無茶な等号は成立しません。
956. ABO FAN — March 5, 2012 @23:31:24
> #955. disraff — March 5, 2012 @22:32:56
> 『「能見説」の検証を目的とした研究を行って、「能見説」の通りの結果を得た』という論文
これは、(少なくとも統計に限ればここ数年の)最近の論文ではそちらの方が主流です。
昔から有名なのは、
・山岡重行さんの一連の論文
・坂元章さんの一連の論文
ですが、最近では代表的なもの(以前にも紹介)として、
1. 自分の性格の評価に血液型ステレオタイプが与える影響 工藤 恵理子(東京女子大学) 日本心理学会第73回大会発表論文集 2008年
全体として、血液型ステレオタイプに合致するような自己評価が認められた
2. 血液型性格項目の自己認知に及ぼすTV番組視聴の影響 山岡 重行(聖徳大学) 日本社会心理学会大会第47回大会発表論文集 2006年
高受容群では11項目で血液型の主効果が認められ、低受容群でも2項目で血液型の主効果が認められた。
3. 潜在的な血液型ステレオタイプ信念と自己情報処理 久保田健市(名古屋市立大学) 日本社会心理学会大会第48回発表論文集 2007年
特性語の種類の主効果(F(1,32)=9.80, p<.01)と特性語の種類×参加者の血液型の交互作用(F(3,32)=3.22,
p<.05)が有意だった…定義づけ課題の結果についても,同様の2要因分散分析を行ったところ,特性語×参加者の血液型の交互作用が有意だった.
4. Blood-type distribution; Beom Jun Kim, Dong Myeong Lee, Sung Hun
Lee and Wan-Suk Gim; Physica A: Statistical and Theoretical Physics
Volume 373, 1, January 2007, Pages 533-540
A psychological implication for the case of B-type males is also
suggested as an effect of a distorted implicit personality theory
affected by recent popularity of characterizing a human personality
by blood types.
[大意] MBTI検査では、ただ1つB型男性を除いては血液型による差がなかった。これは、血液型ブームによる歪みが現れたものと考えられる。
です。まだまだあります。
ご希望であれば、いくらでも紹介することは可能です。
私を疑うのであれば、ぜひご自分でお調べになってください。
つまり、少なくとも統計に限れば、仮に私が沈黙したり論破されたにしても、「統計的に差がある」という事実が変わることはありません。
957. ABO FAN — March 6, 2012 @00:28:15
補足です。
心理学者の著書でも、血液型により「統計的に差がない」という記述は、(同じ著者・同じシリーズでは)徐々に消滅しつつあります。
例えば、
小塩真司さん
1. 性格を科学する心理学のはなし―血液型性格判断に別れを告げよう 2011年
2. はじめて学ぶパーソナリティ心理学―個性をめぐる冒険 2010年
2.では明確に「統計的に差がない」と言っていたのですが、1.では、統計データには(なぜか?)触れられていません。
大坊郁夫さん編著
1. わたし そして われわれ ミレニアムバージョン 2004年
2. わたし そして われわれ Ver.2 1993年
これまた、2.では明確に「統計的に(ほとんど)差がない」と言っていたのですが、1.では、統計データに差があることを示唆しています(明記はしていません)。
といった調子です。
逆のケースは、私が知る限りありません。
もっとも、すべての心理学者が「統計的に差がある」と言っているわけではありません。
昔から一貫して「統計的に差がない」と言っている人もいます。
ただ、上に示した2人のように、「統計的に差がない」という記述が新しい著書で(見事に?)消滅したということは、非常に象徴的な出来事だと思います。
958. disraff — March 6, 2012 @17:00:42
ふむ。これらが
『「能見説」の検証を目的とした研究を行って、「能見説」の通りの結果を得た』という論文である
ということは、すなわち
「能見説」=「性格の自己評価には血液型ステレオタイプの影響が現れる」
という定義なのですね。
であるならば、昨今の世相に鑑みて、さして不思議な事でもありませんね。決して好ましい風潮ではありませんが…。
960. ABO FAN — March 7, 2012 @06:26:29
disraffさん、おはようございます。
> ふむ。これらが
> 『「能見説」の検証を目的とした研究を行って、「能見説」の通りの結果を得た』という論文である
> ということは、すなわち
> 「能見説」=「性格の自己評価には血液型ステレオタイプの影響が現れる」
> という定義なのですね。
> であるならば、昨今の世相に鑑みて、さして不思議な事でもありませんね。
一部の(多くの?)心理学者はそう言っているということになります。
ですので、統計データだけに着目すると、「能見説」=「心理学の論文」となります。
ところで、「能見説」自体は、血液型によって性格を判断できる、いわゆる「血液型性格判断」を否定しています。というのは、質問紙の回答の差は、数パーセントからせいぜい10パーセント余り(20パーセント以下)ですから。
結局、血液型で性格を判断できる「血液型性格判断」なんてものは、初めから存在しなかった、(「血液型性格判断」≠「能見説」=「心理学の論文」)ということになります。
ところで、ここで問題があります。
仮に、心理学者が言うように、統計データの差はすべて「血液型ステレオタイプの影響」だとします。
(ちなみに、本当にそうだと検証した論文[推測ならあります]は存在しません)
能見さんの処女作『血液型でわかる相性』が1971年、『血液型人間学』は1973年発行です。
となると、遅くとも1980年代には「血液型ステレオタイプの影響」はあったはずです。
実際に、NHKのデータを見ても、1980年代には「関係がある」という人が、現在と同じ割合(全体の7割程度)です。
これはどういうことかというと、具体的には、A型は「神経質」、B型は「マイペース」といった「有名な」性格特性には、「必ず」血液型により差が出るということです。
つまり、
・1980年代以降に「統計的に差がない」と結論づけた心理学論文はすべて間違っている
→サンプルが少ない、質問が有名な特性でなかった etc.
・心理学の性格検査で「神経質」「マイペース」といった選択肢があれば[あるはずです]、それは必ず「血液型ステレオタイプの影響が現れる」ことになる
→性格検査は、必ず血液型による差が現れるので信用できない(補正が必要?)
といった、大変なことになります。(*_*)
当然のことながら、『「能見説」の検証を目的とした研究を行って、「能見説」の通りの結果を得た』という論文では、このことについては全く説明がありません。
正直、disraffさんや私は、心理学者じゃないので大胆なことが言えるのだと思います。
967. disraff — March 7, 2012 @23:18:58
まぁつまるところ、自己評価はあくまで自己評価なのです。
私の主張(=統計的に差がある)が認められたやりとり その2…zororiさん
1101. ABO FAN — June 14, 2012 @23:11:31 [抜粋]
> #1096. kyu. — June 13, 2012 @23:51:19
> 血液型で性格を判断することはまず不可能
能見正比古さんも私も同意見です。(笑)
ですので、きくちさんは、いつのまにか「血液型性格判断」から能見(正比古)説を外してしまったようです。
> 性格(内的要因)に関わる遺伝子はおそらく多数
ご承知のように、現時点では遺伝子が性格にどのように影響するかわかってないので、いくら推測しても科学的な推測にはなりません。
念のため、
-----
菊池聡さん 不可思議現象心理学9 血液型信仰のナゾ−後編 月刊『百科』 平凡社 平成10年3月号 28〜29ページ
ただ、最近は血液型性格判断を撲滅しようという意識ばかりが先走って、適切でない批判をする人も散見される。…
血液型が性格に影響を与えるメカニズムが明らかでないことを批判点として挙げる人もいる。説明原理の不在は科学理論として決して望ましいものではないが、現実に承認されている他の科学理論にも詳しいメカニズムが不明なものはある。メカニズムを解明しようとしない血液型学の提唱者を批判することはできても、理論自体をこの点だけから批判するのはフェアではない。…
血液型学に限らず、おおよそすべての性格理論は統計的なものであって、集団全体の傾向としてしかとらえられない。たとえば筋肉を使った運動能力は女性よりも男性の方が優れていることに誰も異論はな
いと思うが、それでも特定の男性を取り上げれば、平均的な女性より力が弱い人はざらにいるだろう。必要なのは個々の事例ではなく、統計的な事実なのである。
-----
これに反対する人は、kikulogにはいなかったように記憶しています。
> 渡邊芳之さんの「ABO FANへの手紙」はまだ前半の一部しか目を通しておりません。
あの内容は数行、せいぜい10行くらいに要約できます。
が、私が説明しても面白くないでしょうから、ここには書きません。
楽しみながら読んでみてください。
> おかげで渡邊さんがなぜ「血液型診断には興味がない」と強調されるのか判ったような気がします。
全く逆ですよ。(笑)
ぜひ、「ABO FANへの手紙」を最後まで読んでみてください。
> 相互作用論がより正しい説なのか、という点は素人の私には判りませんが、
それは、渡邊芳之さんの別の本を読むとわかります。
ぜひ、読んでみてください。
余談ですが、彼には今でも感謝しています。
いろいろ親切に教えてもらったので。
> ABO FANさんの説については「ABO FANへの手紙」やホームページを読んで、判断してみようかと。
ここkikulogでは簡単です。
きくちさん論理(統計的に差がない)の否定です。
最近の論文では「統計的に差がある」が主流です。
繰り返しになりますが、
1. きくちさんの次の文章は間違っています
-----
きくち May 6, 2007 @11:05:11
「多くの日本人が"関係あり"と思いこんでいるにもかかわらず、心理学の調査では関連が見いだせないほど、弱い相関しか存在しない」ということです。「弱い相関」もないのかもしれません。
エントリー:血液型と性格
http://www.cp.cmc.osaka-u.ac.jp/~kikuchi/weblog/index.php?UID=1158225244
-----
これは、次の2.の坂元さんや、3.の最近の心理学の文献で否定されています。
2. 山崎賢治・坂元章 1991 血液型ステレオタイプによる自己成就現象−全国調査の時系列分析− 日本社会心理学会第32回大会発表論文集
血液型と性格の自己報告との間の相関は、弱いが認められた。さらに、一般の人々の性格の自己報告は、大学生の血液型ステレオタイプに合致していることがわかった。
http://www010.upp.so-net.ne.jp/abofan/sakamoto.htm
3. 最近の心理学の文献
-----
A. 自分の性格の評価に血液型ステレオタイプが与える影響 工藤 恵理子(東京女子大学)
全体として、血液型ステレオタイプに合致するような自己評価が認められた
B. 血液型性格項目の自己認知に及ぼすTV番組視聴の影響 山岡 重行(聖徳大学人文学部)
高受容群では11項目で血液型の主効果が認められ、低受容群でも2項目で血液型の主効果が認められた。
C. 潜在的な血液型ステレオタイプ信念と自己情報処理 久保田健市(名古屋市立大学)
特性語の種類の主効果(F(1,32)=9.80, p<.01)と特性語の種類×参加者の血液型の交互作用(F(3,32)=3.22,
p<.05)が有意だった…定義づけ課題の結果についても,同様の2要因分散分析を行ったところ,特性語×参加者の血液型の交互作用が有意だった.
D. Physica A: Statistical and Theoretical Physics Volume 373, 1
January 2007, Pages 533-540
Blood-type distribution
Beom Jun Kim, Dong Myeong Lee, Sung Hun Lee and Wan-Suk Gim
A psychological implication for the case of B-type males is also
suggested as an effect of a distorted implicit personality theory
affected by recent popularity of characterizing a human personality
by blood types.
[大意] MBTI検査では、ただ1つB型男性を除いては血液型による差がなかった。これは、血液型ブームによる歪みが現れたものと考えられる。
-----
1107. やまちゃん — June 16, 2012 @00:55:53 [抜粋]
初めまして、いやーすばらしい結末ですね。ROMしてましたが思わず出てきました。
>#1101 の
>これは、次の2.の坂元さんや、3.の最近の心理学の文献で否定されています。
の以下の文章に書いてある内容、すなわち、これまでの血液型性格判断の世間への浸透のために、自己診断した性格と血液型の間には明確な相関関係が認められるようになった、というのはこれはもうkikulog常連の方々も認めざるを得ないんではないでしょうかw。
ABOFANさんの完全勝利と言っても良いかと思います。これにておしまい、って感じでしょうか。
#敗北した人はいないけどw。
1108. ABO FAN — June 16, 2012 @07:19:30 [抜粋]
やまちゃんさん、おはようございます。
> #1107. やまちゃん — June 16, 2012 @00:55:53
>
これまでの血液型性格判断の世間への浸透のために、自己診断した性格と血液型の間には明確な相関関係が認められるようになった、というのはこれはもうkikulog常連の方々も認めざるを得ないんではないでしょうかw。
ありがとうございます。
おっしゃりとおりです。
> #敗北した人はいないけどw。
私もそう思うんですが…。
が、これだけ沈黙しているところをみると、「敗北した」と思っているのじゃないですか?
それ以外に、沈黙している理由が見当たりません。
あるいは、単に「ニセ科学批判」が間違っていたことを認めるのがイヤなのか?
本当はどうなんでしょう?
余談ですが、私が“勝利宣言”をしているのは、反応がほしいという理由も大きいです。
少なくとも、「悪い噂」は広まりますので、それなりの効果はありますね。(笑)
1109. zorori — June 16, 2012 @06:47:16 [抜粋]
やまちゃんさん、
>の以下の文章に書いてある内容、すなわち、これまでの血液型性格判断の世間への浸透のために、自己診断した性格と血液型の間には明確な相関関係が認められるようになった、というのはこれはもうkikulog常連の方々も認めざるを得ないんではないでしょうかw。
最初から認めているんです。ただし「明確な相関関係」ではなく、大量のサンプルでやっと検出できる弱い相関ですが。
A型は几帳面というステレオタイプを信じているA型の人は、自分の性格を几帳面と診断しやすい。
そりゃそうだと思える仮説だけど、実際に調べてみると意外に小さな相関しかなかったということかと。
なお、このステレオタイプは大学生の間に流布しているステレオタイプであって、能見説とは違います。
1109. zorori — June 16, 2012 @06:47:16 [抜粋]
やまちゃんさん、
>の以下の文章に書いてある内容、すなわち、これまでの血液型性格判断の世間への浸透のために、自己診断した性格と血液型の間には明確な相関関係が認められるようになった、というのはこれはもうkikulog常連の方々も認めざるを得ないんではないでしょうかw。
最初から認めているんです。ただし「明確な相関関係」ではなく、大量のサンプルでやっと検出できる弱い相関ですが。
A型は几帳面というステレオタイプを信じているA型の人は、自分の性格を几帳面と診断しやすい。
そりゃそうだと思える仮説だけど、実際に調べてみると意外に小さな相関しかなかったということかと。
なお、このステレオタイプは大学生の間に流布しているステレオタイプであって、能見説とは違います
1110. やまちゃん — June 16, 2012 @10:53:38
zororiさん、
どうもすみません。野暮になるかなと思ったんですが、やっぱり冗談だとはっきりわかるように書いた方がよかったでしょうか。
#できれば大笑いしてほしかったです。
1117. ABO FAN — June 17, 2012 @02:36:20 [抜粋]
> #1116. かとう — June 17, 2012 @00:41:28
> kyu.さん
> そもそも、それを明言しないというのも、この方の問題の一つなのです。
> そして、現時点でのkikulogでは、それ以前の心理学をやる為に必要な統計の知識に関して、この方の統計の知識が問題なので、まずそれを片付けないといけないというレベルで止まったままです。
何回指摘しても無視されますが、kyu.さんもいらっしゃるのでもう一度書きます。
きくちさんの当初の定義は、
血液型性格判断=能見説=古川説=血液型と性格は関係ある
です。能見説は統計的に定義できますし(effect
sizeで小から中程度=相関係数で0.3程度)、ここの議論では既に統計的には実証されました。
#少なくとも、明確に間違っているという人は(現在は)いません。
しかし、こうなってしまうと(どういうわけか?)きくちさんは定義を変えてしまいました。
血液型性格判断≠能見説(=古川説?=血液型と性格は関係ある?)です。
統計的な相関が実証された後には、(なぜか?)血液型性格判断は「強い相関」となり、能見説との関係は不明になりました。
きくちさんによると、強い相関とは「血液型で性格が判断できる」であり、いくら要求してもこれ以上の説明はありません。
つまり、きくちさんによる「血液型性格判断」の科学的な定義は現在も不明ということになります。
定義が不明なら、議論するだけムダというものです。
それなら、このエントリー全体が初めからムダです。
#なぜ定義を変えたのか、私にはよくわかりません。
ひょっとして、血液型性格判断=能見説=古川説=血液型と性格は関係ある、が統計的に実証されると「ニセ科学批判」にとって何か都合が悪いということなのでしょうか?
それから、血液型が性格に影響を及ぼすのは「連鎖」とだけ限定するのはいかがかと思います。
神経中の「神経伝達物質」に影響を及ぼすことも考えられますし、能見説ではそうなっています。
そのほかの説もあるようです。
ただ、現在では科学的に未解明な点が多く、その点は菊池聡さん(既出)のおっしゃるとおりです。
念のため、
-----
菊池聡さん 不可思議現象心理学9 血液型信仰のナゾ−後編 月刊『百科』 平凡社 平成10年3月号 28〜29ページ
ただ、最近は血液型性格判断を撲滅しようという意識ばかりが先走って、適切でない批判をする人も散見される。…
血液型が性格に影響を与えるメカニズムが明らかでないことを批判点として挙げる人もいる。説明原理の不在は科学理論として決して望ましいものではないが、現実に承認されている他の科学理論にも詳しいメカニズムが不明なものはある。メカニズムを解明しようとしない血液型学の提唱者を批判することはできても、理論自体をこの点だけから批判するのはフェアではない。…
血液型学に限らず、おおよそすべての性格理論は統計的なものであって、集団全体の傾向としてしかとらえられない。たとえば筋肉を使った運動能力は女性よりも男性の方が優れていることに誰も異論はな
いと思うが、それでも特定の男性を取り上げれば、平均的な女性より力が弱い人はざらにいるだろう。必要なのは個々の事例ではなく、統計的な事実なのである。
-----
これに反対する人は、kikulogにはいなかったように記憶しています。
また、「血液型性格判断の社会的影響を受けている」とのことですが、これは推測であり、私の知る限り立証されてはいません。
データを見る限り、元々は大きな差はない(effect
sizeで小から中程度=相関係数で0.3程度)が、社会的影響で差があると思う人が増えている、というのが一番妥当な説明になります。もちろん、まだ立証されてはいません。
よろしくお願いします。
1124. 関西人 — June 19, 2012 @12:08:46
>ほとんどの人が「回答拒否」なので、今回は単にそれを
>確認する結果になると思います。
これはもうABOFANさんはご自分のHPで勝利宣言するしか
ないですね!
1125. koma — June 19, 2012 @19:43:38
そうですね。もう誰もABO FANさんのことは否定できません。
いまこそ勝利宣言ですよ!
|
今となって読み返すと、関西人さんって、ひょっとしてきくちさん自身ななんでしょうかね? -- H24.7.30
旧コンテンツ
平成24年7月初めごろ、突如kikulogが消滅(?)したようです。
とりあえず、旧コンテンツとして、そのまま置いておきま。
もちろん、リンクは無効です。
【H22.9.25追記】きくちさんの勘違い 最近、きくちさんの勘違いが目立つような気がします。
訂正をお願いしている願いしているのですが、特に反応はありません。
事実と反対でも訂正しないというのは、疑似科学批判としてどうなのかという気はするんですが…。
http://www.cp.cmc.osaka-u.ac.jp/~kikuchi/weblog/index.php?UID=1256972977#CID1285078972
559. ABO FAN — September 21, 2010 @23:22:52
ご無沙汰しております。 以前は大変お世話になりました。
もう少し整理してから書くつもりだったのですが、誤解が広まると困るので少し書かせていただきます。
> きくち April 19, 2010 @09:57:33
> アンケートのくだり、少し違います
>「血液型派」はアンケート結果から有意に差があると主張します。しかし、これは「血液型正確判断に好意的な人たち」からのアンケートになっているので、ある意味当然です。
> 心理学での、主としてアンケートによる調査では、結果に有意な差は見られません。
> きくち April 20, 2010 @02:59:13
> ああ、たしかに
> 心理学のは、いわゆる「質問紙」のたぐいとか、あるいは決まりきった「性格検査」とかです
例えば、次の文献はMBTIですから「質問紙」かつ「性格検査」です。
Physica A: Statistical and Theoretical Physics Volume 373, 1 January
2007, Pages 533-540
Blood-type distribution
Beom Jun Kim, Dong Myeong Lee, Sung Hun Lee and Wan-Suk Gim
A psychological implication for the case of B-type males is also
suggested as an effect of a distorted implicit personality theory
affected by recent popularity of characterizing a human personality by
blood types.
[大意] MBTI検査では、ただ1つB型男性を除いては血液型による差がなかった。これは、血液型ブームによる歪みが現れたものと考えられる。
読んだとおり、いわゆる「血液型性格判断」どおりの差が出ていると結論づけられています。
なお、原文を読むと、他の項目でも、いわゆる「血液型性格判断」どおりの差が出ていますが、有意差はありません。
たまたま、この項目だけ有意差が出たので、サンプルを増やせば他の項目でも差が出ると推測できるかと…。
#この論文は、きくちさんも読まれたはずです。
ちなみに、最近の日本の文献でも同じ傾向です。 念のため、3つほど引用します。
-----
A. 自分の性格の評価に血液型ステレオタイプが与える影響 工藤 恵理子(東京女子大学)
全体として、血液型ステレオタイプに合致するような自己評価が認められた
B. 血液型性格項目の自己認知に及ぼすTV番組視聴の影響 山岡 重行(聖徳大学人文学部)
高受容群では11項目で血液型の主効果が認められ、低受容群でも2項目で血液型の主効果が認められた。
C. 潜在的な血液型ステレオタイプ信念と自己情報処理 久保田健市(名古屋市立大学)
特性語の種類の主効果(F(1,32)=9.80, p<.01)と特性語の種類×参加者の血液型の交互作用(F(3,32)=3.22,
p<.05)が有意だった…定義づけ課題の結果についても,同様の2要因分散分析を行ったところ,特性語×参加者の血液型の交互作用が有意だった.
-----
つまり、性格検査だろうが、アンケートだろうが同じ結果になります。
これについては、再三きくちさんに質問しても無視されていた(?)のですが、やっとお答えいただけたようです。
ただ、結論を正反対にされては困ります。 どうか、訂正をお願いします。
【H21.12.6追記】とりあえずのまとめ
現在までのkikulogでの議論をまとめてみました。
まず、私に対する質問への回答です。
1. 私が考える「能見説」とは何か?
2. 私の主張とは何か?
そして(なぜか?)毎回スルーされていることを6点ほどまとめてみました。
(177. ABO FAN — November 8, 2009 @22:03:31)
http://www.cp.cmc.osaka-u.ac.jp/~kikuchi/weblog/index.php?UID=1256972977#CID1257685411
私に対しての質問をまとめてみると、
1. 私が考える「能見説」とは何か?
2. 私の主張とは何か?
になるかと思います。
この2つの質問に対する回答は、以前にも何回も説明させていただいたのですが、(なぜか?)いまだに納得していただけないようです。
では、ご要望ですので、もう一度簡単に説明させていただきます。
1. 私が考える「能見説」とは何か?
ここでは、数値化できる(要するに命題ということです)ものに絞ることにします。
その理由は、文学的な表現や抽象的な記述は、妥当かどうか検証が難しいためです。
さて「能見説」で数値化可能なものは、大きく分けて「アンケート」と「分野別血液型分布」です。
心理学では、このうち「アンケート」で検証しているケースが大半です。
従って、私が考える「能見説」とは、一言で言えば「アンケート」の結果に再現性があるということです。
言い換えれば、「データに差がある」ということです。
よろしいでしょうか?
2. 私の主張とは何か?
これは以前にも説明しましたが、心理学の「否定論の否定」です。
心理学には、血液型と性格には「関係がある」と言えるための条件があります。
この条件とは、1.に書いたように「性格検査」(アンケート)の結果で再現性があることです。
また、ただ再現性があるだけでは十分でなく「完全なランダムサンプリング」「複数回安定したデータ」「多くのサンプル」が必要となります。
よろしいでしょうか?
実は、この(従来の)心理学の条件には、重大な欠陥があります。
というのは、「思い込み」があれば(日本人なら必ずあります!)なら、「性格検査」の結果には必ず再現性が出てしまうからです!
#なぜなら、「性格検査」の結果には、必ず「思い込み」が反映されますから…。
これで(従来の)心理学者の主張は崩壊してしまいました。
そのせいかどうか知りませんが、最近(2005年以降)の心理学の文献では「データに差がある」という意見が主流となっています。
(ABO FAN — November 13, 2009 @22:50:03)
http://www.cp.cmc.osaka-u.ac.jp/~kikuchi/weblog/index.php?UID=1256972977#CID1259495810
1. 菊池さんの次の文章は間違っています
きくち May 6, 2007 @11:05:11
「多くの日本人が"関係あり"と思いこんでいるにもかかわらず、心理学の調査では関連が見いだせないほど、弱い相関しか存在しない」ということです。「弱い相関」もないのかもしれません。
エントリー:血液型と性格
http://www.cp.cmc.osaka-u.ac.jp/~kikuchi/weblog/index.php?UID=1158225244
これは、次の2.の坂元さんや、3.の最近の心理学の文献で否定されています。
2. 山崎賢治・坂元章 1991 血液型ステレオタイプによる自己成就現象−全国調査の時系列分析− 日本社会心理学会第32回大会発表論文集
血液型と性格の自己報告との間の相関は、弱いが認められた。さらに、一般の人々の性格の自己報告は、大学生の血液型ステレオタイプに合致していることがわかった。
http://www010.upp.so-net.ne.jp/abofan/sakamoto.htm
3. 最近の心理学の文献 [A〜Cは発表年を追加]
A. 自分の性格の評価に血液型ステレオタイプが与える影響 工藤 恵理子(東京女子大学) [2009年]
全体として、血液型ステレオタイプに合致するような自己評価が認められた
B. 血液型性格項目の自己認知に及ぼすTV番組視聴の影響 山岡 重行(聖徳大学人文学部) [2006年]
高受容群では11項目で血液型の主効果が認められ、低受容群でも2項目で血液型の主効果が認められた。
C. 潜在的な血液型ステレオタイプ信念と自己情報処理 久保田健市(名古屋市立大学) [2007年]
特性語の種類の主効果(F(1,32)=9.80, p<.01)と特性語の種類×参加者の血液型の交互作用(F(3,32)=3.22,
p<.05)が有意だった…定義づけ課題の結果についても,同様の2要因分散分析を行ったところ,特性語×参加者の血液型の交互作用が有意だった.
D. Physica A: Statistical and Theoretical Physics Volume 373, 1
January 2007, Pages 533-540
Blood-type distribution
Beom Jun Kim, Dong Myeong Lee, Sung Hun Lee and Wan-Suk Gim
A psychological implication for the case of B-type males is also
suggested as an effect of a distorted implicit personality theory
affected by recent popularity of characterizing a human personality
by blood types.
[大意] MBTI検査では、ただ1つB型男性を除いては血液型による差がなかった。これは、血液型ブームによる歪みが現れたものと考えられる。
4. 否定の根拠に引用される柴内さんのサイトの矛盾
A. 「データは差がない」
http://www1.doshisha.ac.jp/~yshibana/etc/blood/archive/research.htm
の下の方にあります。
多くの心理学者は、「血液型と性格の間に関係は存在しない、少なくとも一般に信じられている関係は存在しない。存在するのなら、そのような結果を示すデータが安定的に検出できるはずであるから。関係があるというデータは、まれにしか出現せず、また相互に一貫しない矛盾したものがほとんどであった」という判断を下したのです。
B. 「データに差がある」
http://www1.doshisha.ac.jp/~yshibana/etc/blood/archive/jnn.htm
の下の方にあります。
山崎・坂元はこのほかに、「血液型と性格の間に関係がある可能性は否定できないが、ここで数千のデータを解釈しなければ現れなかった微弱な差を持って、個々人単位に▽型の人は△△型だ、などという主張はできない」
5. B型は「けじめをつける」という回答が少ない
松井豊 1985 血液型ステレオタイプについて 東京都立大学人文学報 第44号 pp15〜30
1. ものごとのけじめや白黒をはっきりつける(%)
O:55.5 A:53.3 B:47.1 AB:55.9
松井豊 1991 血液型による性格の相違に関する統計的検討 東京都立立川短期大学紀要 第24巻 pp51〜54
6. ものごとにけじめをつける(4年間の平均%)
O:38.9 A:39.7 B:36.1 AB:41.0
6. B型は「マイペース」という回答が多い
松井豊 1985 血液型ステレオタイプについて 東京都立大学人文学報 第44号 pp15〜30
7. 人にしばられ、抑制されたりするのはきらいである(%)
O:86.8 A:86.2 B:92.0 AB:88.2
渡邊席子 1994 血液型ステレオタイプ形成におけるプロトタイプとイグゼンブラの役割 社会心理学研究 第10巻第2号 pp77〜86
マイペース型で、周囲の影響は受けにくい(%)
B型以外:32.5 B型:64.0
白佐俊憲 1999 血液型性格判断の妥当性の検討(2) 北海道女子大学短期大学部研究紀要 第36巻 pp1-18 (浅井学園大学)
35. 束縛を嫌うマイペース型である。
有意差の検定結果 1%, B型>A型
【H20.9.6追記】こなみさんのコメントについて
kikulogの血液型と性格3で、
こなみさんのこんな発言がありました。
600. こなみ — September 4, 2008 @00:14:17
> 当然ですが海外の心理学者は、こういったマインドコントロールを受けていません。
> だから普通に調査することが可能です。
すでに紹介されていますが,海外の心理学者たちがやった研究はたしかにありましたね。
http://www.sciencedirect.com/science?_ob=ArticleURL&_udi=B6V9F-46JYKJX-3&_user=10&_rdoc=1&_fmt=&_orig=search
&_sort=d&view=c&_acct=C000050221&_version=1&_urlVersion=0&_userid=10&md5=869437d88620738e39bb8f2cf3ceea9d
http://www.sciencedirect.com/science?_ob=ArticleURL&_udi=B6V9F-4D2FH97-2&_user=10&_rdoc=1&_fmt=&_orig=search
&_sort=d&view=c&_acct=C000050221&_version=1&_urlVersion=0&_userid=10&md5=447cd817286b4b42228201ae0bebddb2
鈴森さんはこれを読んでないのかな?
もしも海外の研究で,血液型と性格(気質でもいいですが)に有意な相関があることが証明されたという論文があったら教えてくれませんかね?「海外の心理学者」に言及しているからには,何か紹介してくれないと,はったりにしかなりませんよ。
どうやら、こなみさんも基本的な文献は読まれていないようです。
これが、日本の“否定論者”の平均的レベルとすると、ちょっとがっかりです。
kikulogからは撤退したのですが、基本的な誤りが広まるのもナンなので、本意ではないのですが、次のように回答を書きました。
608. ABO FAN http://www010.upp.so-net.ne.jp/abofan/ — September
6, 2008 @08:09:35
こなみさん、おはようございます、ABO FANです。
> もしも海外の研究で,血液型と性格(気質でもいいですが)に有意
> な相関があることが証明されたという論文があったら教えてくれま
> せんかね?
撤退した私が答えるのはどうかと思いますが、現在のところ、誰からも回答がないようですので、ちょっとお邪魔させていただきます。
kikulogで事実誤認をされてはどうかと思いますので…。
ScienceDirectで検索できるものなら、次の論文があります。
Physica A: Statistical and Theoretical Physics
Volume 373, 1 January 2007, Pages 533-540
Blood-type distribution
Beom Jun Kima, Dong Myeong Leeb, Sung Hun Leeb and Wan-Suk Gimc
http://www.sciencedirect.com/science?_ob=ArticleURL&_udi=B6TVG-4K7F87W-3&_user=10&_coverDate=01%2F01%2F2007
&_alid=786725831&_rdoc=3&_fmt=high&_orig=search&_cdi=5534&_sort=d&_docanchor=&view=c&_ct=63&_acct=C000050221
&_version=1&_urlVersion=0&_userid=10&md5=954600a72db84ca1e2938a9e7d6b0caa
アブストラクトでは、
The statistical χ2-test reveals the independence between the blood
types and MBTI results with an exception of type B males.
とありますから、B型男性では有意な差が出ています。
なお、本文では「血液型ブームによる歪み」(distorted implicit personality theory affected
by recent popularity of characterizing a human personality by blood
types)とあります。
ScienceDirectにないものはいくつかありますが、例として1つだけ挙げておきます。これは、たぶん一番有名なものではないかと思います。
R.B. Cattell, The relation of blood types to primary and secondary
personality traits, The Mankind Quarterly, pp35-51, Vol. 21, 1980.
概要は、私のサイトに紹介してあります。ABO式血液型でも差が出ています。
http://www010.upp.so-net.ne.jp/abofan/cattell.html
【SUMMARYの意訳】
オーストラリアに住む白人323人のサンプルを、17の遺伝型(7つの血液型、5つの赤血球酵素、5つの血清タンパク質)と21の心理因子(16の第1次、5つの第2次の性格因子)によって分類した。心理スコアを年齢によって補正し、それぞれの発現型を比較して、危険率5%以下で13の因子、1%以下で11の因子に有意差が得られた。最も特徴的なことは、P式血液型で起こった:4つの第1次因子では危険率1%以下(C、H、Q3、Q4)の有意差だったので、第2次因子QIIは0.1%以下の危険率となり、この研究で最大の有意差が得られた。
さて、こなみさんが紹介された論文は、最近流行のBig Five理論に基づく性格検査(NEO-PI-Rなど)による調査結果です。
私が調べた範囲では、Big
Five理論に基づく性格検査(性格因子の導出に因子分析を使っているもの)は、データを5つの性格因子に集約する過程で、個別の質問項目で出ていた差が消滅するようです。
実際、ScienceDirectの論文でも、私が紹介した差が出ているケースは、Big Five理論に基づかないMBTIを使っています。
実際に、韓国心理学会誌に掲載された、
A Review of Sociocultural, Behavioral, Biochemical Analyses on ABO
Blood-Groups Typology
Sung Il Ryu , Young Woo Sohn
The Korean Psychological Association , The Korean Journal of Social
and Personality Psychology / 21 Vol 3 No
27 ~ 55, All 29 pages
では、そのように結論づけられています。要するに、Big
Five理論に基づく性格検査のデータを再分析した結果では、他の調査結果と一致するとのことです。
【意訳】
一方,Big-Five Factor モデルを活用した研究では皆血液型と性格は関係がないという結論が下された(So Hyun Cho,
2005; Cramer, 2002; Rogers, 2003; Kunher, 2005).一方 MBTIを基盤とした研究では一部血液型と性格類型の関係を見せてくれた(Kim
Beom Jun, 2006; D'Adamo, 2001).…
So Hyun Choなど(2005)から該当の研究の調査データの提供を受け,個別質問項目に対してデータを再分析してみた.So
Hyun Choなど(2005)の研究に使われた Big-Five
尺度は全40個の質問項目で成り立つアンケート紙に計算された.このアンケートデータを質問項目別に再分析してみた結果,10個の質問項目で有意な血液型との関係が発見された.その結果を上の表7[省略]に整理した.…
このように,実際に血液型別差が存在するにもかかわらず Big-Five モデルはそれを感知することができないという事実が確認された.
なお、この文献の概要も、私のサイトに紹介してあります。
http://www010.upp.so-net.ne.jp/abofan/korea-psy.html
失礼しました。
【H20.9.21追記】こなみさんとPseuDoctorさんのコメントに驚きました
その後、返事らしきコメント(?)がありましたので、ちょっと紹介しておきます。
616. こなみ — September 15, 2008 @00:58:43
私は ABOFAN と対話する気はまったくない。これまでもずっと無視している。これも ABOFAN
に読ませるためのものではないことをまず宣言。
さて,シチュエーションを書いてみます。
・K が A という人に質問した。
・A は沈黙している。
・その場から去ると宣言して消えたはずの B が突然何かを言った。
・K にそれが聞こえたからといって,B が返事を要求する資格はない。
つまりは,いなくなったふりをしてこっそり人の話を立ち聞きしていた人間が,とつぜん割り込んで来た。なんとも恥ずかしいことを。
こなみさんの真意は不明ですが、私が推測するに、たぶんこういうことでしょう。
- 海外の研究で,血液型と性格(気質でもいいですが)に有意な相関があることが証明されたという論文はあるかもしれない
- しかし、他の人の指摘ならともかく、私が言ったことは(正しくないから?)無視する
正直驚きました。というのは、H20.6.4付の脳に血液型物質がないとか、骨髄移植で骨髄や血液以外の血液型も変わるとかの話では、
今回と同じ横レスにもかかわらず、菊池さんやzororiさんはきちんと受け止めていただき、自説の見違いを訂正していただいたからです。つまり、きくちさんやzororiさんへの横レスは問題ないのに、こなみさんはダメ(
なぜ?)なのだそうです。
私が言おうが、誰が言おうが、事実は事実ですから変えようがありません。「海外の研究で,血液型と性格(気質でもいいですが)に有意な相関があることが証明されたという論文はある」のは事実です。
#もっとも、「証明」の意味が微妙ですが、それでも、有意差が報告された研究が少なからずある事実は動かしようがありません…。
更に驚くことに、PseuDoctorさんも同じようなことを言っています。
614. PseuDoctor — September 14, 2008 @22:53:08
こんばんは。
>余談ですが、#608の海外の研究に対して、質問者のこなみさんだけではなく、誰からも返事がないようです。
>「有意差がある」海外の研究もあるということでいいのでしょうかね?
もう何度も何度も何度も何度も書いてきた事ですが、私はABO
FANさんをまともな議論が出来る相手として認めていません。その理由も散々ここに書いてきましたから今更繰り返しませんが、議論が出来ない原因はABO
FANさんにあると確信しています。
ですから、ABO FANさんが何を書き込もうと「私の気が向かない限り」応答する事はありません。
「まともな議論」ではなく、単なる事実の確認です。議論をしているつもりは全くないのですが…。
有名なSF作家、アイザック・アジモフ(Isaac Asimov)の言葉から引用しておきます。
『わが惑星、そは汝のもの』空想自然科学入門 (My Planet, 'Tis of Thee')
山高昭 訳 早川書房
親愛なる読者諸君、科学の発見の中から選り好みをし、私の尊大な気まぐれのままに、あるいは受け入れ、あるいは捨てる自由を認めてもらえるなら、諸君が証明したいことを何でも証明してお目にかけよう
何が正しいか、何が事実かどうか、自分(だけ)が判断する、というのでは科学的な議論とは言えないでしょう。
kikulogの状態が改善されることを祈るばかりです。
少なくとも、kikulogの「血液型と性格」では、少なくない否定論者が、基礎的な知識さえない(?)ことが明らかになってしまいました。
しかも、素直に訂正する人と、事実の確認さえしない(?)人に分かれています。
全く残念なことです。
これでは、他の疑似科学批判のサイトへの悪影響が及ぶことは避けられない、といらぬ心配をするのは私だけでしょうか?
大丈夫なんでしょうかね?
【H20.9.27追記】きくちさんが復活したのはいいのですが… きくちさん、復活おめでとうございます。
きくち September 26, 2008 @09:55:24
おひさしぶりです。
撤退しているなら、「気になっても発言しない」のがいいんじゃないかと思いますよ。
興味深いです。
確かにおっしゃるとおりです。が、「事実の確認」はしなくていいのでしょうか?
ちょっと気になります。
|
【H20.8.4追記】池内了さんの『疑似科学入門』について kikulogの「疑似科学入門」池内了(岩波新書)
で、議論をさせていただきました。
議論の場を提供していただいた菊池さん、議論の相手をしていただいた多くの方々に、この場を借りて感謝申し上げます。
さて、結論として、菊池さんは私と同意見であるものの、一部の方は(なぜか?)私の意見に同意していただけないようです。
珍しく菊池さんと私は意見が一致したのに、残念というしかありません…。
がっかりです。
参考までに、新刊情報からの抜粋を掲載しておきます。
池内了さん 疑似科学入門 H20.4 岩波新書 735円(税込)
疑似科学批判の本はいろいろと読みました。
最近出たのがこの本なのですが、なかなかの労作です。
ただ、ほかの部分はともかく、血液型批判のところはいかがなものかと思います。
実は、すぐに気がつくような単純ミス(失礼!)があるなのです。
これは単なる私の推測ですが、池内さんは、きちんと心理学や血液型の本を読んでいないのではないでしょうか?
202ページには、「本書を読まれた諸兄姉の忌憚のないご批判を期待している。」とあるので、遠慮なく書かせていただきます。
次は、5〜6ページからの引用です(太字は私)。
日本で特に人気が高いのが血液型占いである。人間をたった4種類の血液型に分類し、それによって人間の性格が判断できるかのように思わせている。ゲーム感覚で楽しんでいる間は何の問題もなさそうだが、実は知らず知らずのうちに信じ込んでしまう危険性がある。事実、就職のエントリーカードに血液型を書かせる欄があったり、新製品の開発チームに同じ血液型の人間を集めたりする企業も出現しているらしい。人を分類して排除することによって、人間が持つ本来の可能性を摘み取りかねない。そもそも人間を4種類だけで分類することなんかできないから、血液型に科学的根拠がないのは自明のことである。(血液型は細かく分類すれば最低50種類はあり、それで人を区分けするのは多すぎる。4種類だけに集約することが占いに好都合になっているだけなのだ。)血液型を問うことが挨拶替わりになり、大手を振って罷り通っている日本は、本当に科学・技術を重んじている国なのかどうか疑ってしまう。
一般的な本ならともかく、この本は科学的な視点から「疑似科学」を批判しているのですから、その内容に(科学的な)間違いがあっては、他の部分についても、読者にいらぬ疑問を抱かせかねません。
例えば、太字の部分には、心理学者からの反論があります(太字は私)。
菊池聡さん 不可思議現象心理学9 血液型信仰のナゾ−後編 月刊『百科』 平凡社 平成10年3月号 28〜29ページ
ただ、最近は血液型性格判断を撲滅しようという意識ばかりが先走って、適切でない批判をする人も散見される。よく聞くのは「多様な人の性格が四つになんか分けられるはずがない」という批判である。しかし「何らかの基準によって四つに分ける発想」自体には本質的に問題はないのである。もちろん境界線上であいまいに分類される欠点はあるが、この発想自体は心理学でも類型論という考え方で受け入れられている。
ですので、要するに、池内さんの「血液型に科学的根拠がないのは自明」というのは、心理学者によるとウソということです(失礼!)。
「疑似科学」を批判している本ですが、なぜこんな単純ミスに気がつかなかったのかは謎です。ましてや、この本は、池内さん本人だけではなく、岩波書店編集部のチェックも入っているのですから…。
#他の部分は大丈夫なのでしょうか?と、つい余計な心配もしてしまいます。(^^;;
また、別の問題もあると思います。
それは、「就職のエントリーカードに血液型を書かせる欄があったり、新製品の開発チームに同じ血液型の人間を集めたりする企業も出現しているらしい。」という記述です。前者の出典はわかりませんが、後者はたぶん×菱電機のケースでしょう。しかし、出典がないのでは、私のような読者は事実を確認しようがありません。反証可能性があるのが科学ではなかったのかと思いますが…。
印象だけで血液型を批判されても…というのが、私の素直な感想です。
皆さんはどう思いますか? -- H20.6.29
[念のため、同様の内容で岩波書店にメールを出しました]
|
現在、kikulogの血液型と性格3で
の議論は休止中です(H19/9/12付け議論規制は実質解除?)
血液型と性格に関するエントリー
【H20.6.4追記】本当にがっかりです いやぁ、本当にがっかりです。
kikulogのレベルにははなはだ失望しました。血液型の入門書レベルの科学的知識は、ほとんどの方は(きくちさんも含めて)持ち合わせていないと判断せざるを得ません。
例えば、脳に血液型物質がないとか、骨髄移植で骨髄や血液以外の血液型も変わるとか…。これでは、日本の疑似科学批判自体が疑似科学とも言われかねません。
あまりもがっかりしたので、以下の発言を最後に、とりあえず一旦撤退することにしました。
本当にがっかりです。(*_*)
421. ABO FAN — June 4, 2008 @19:53:51
> 389. 芹沢 — June 3, 2008 @23:19:17
>> 実は、骨髄移植で変わるのは、血液の血液型で、脳の血液型は変わ
>> りません
> 脳と体の間には、胎盤のような異なる血液型を共存させる器官など
> 存在しないのですが。
大変失礼ながら、大爆笑してしまいました。 文献からの引用のみ示しておきます。 なお、私のHPにも書いてあります。
○大久保康人さん 血液型と輸血検査(第2版) 6〜7ページ
表I−5 各臓器中のABH抗原
臓器 反応(%)
胃 100
……
脳 8
○芦田嘉之さん やさしいバイオテクノロジー 115ページ
骨髄由来以外の圧倒的多数の細胞のゲノムは、移植前後で変わりません。したがって、血液型を決定している遺伝子も元のまま変わっていませんから、骨髄由来以外の「血液型」は変化していません。
> 401. zorori — June 4, 2008 @08:42:44
> 409. zorori — June 4, 2008 @09:48:34
> きくち June 4, 2008 @10:05:28
上に同じです。 しかし、本当は爆笑してはいけないのかもしれません。 日本の疑似科学批判のレベルって、こんなものなのでしょうか?
正直、がっかりです。 はっきり言って、やる気を失いました。 まさか、それが作戦とは思いませんが…。
425. ABO FAN — June 4, 2008 @20:58:23
大変失礼なことではありますが、#420[注:正しくは#421]にも書きましたように、kikulogのレベルにははなはだ失望しました。
血液型の入門書レベルの科学的知識は、ほとんどの方は(きくちさんも含めて)持ち合わせていないと判断せざるを得ません。
1人2人が間違うのはしょうがありませんし、私も少なからず間違いはしています。
しかし、kikulogでは、誰1人として、血液型の入門書レベルの間違いにも気づかないようです。
いや、気付いていても、あえて指摘はしないということでしょうか?
ですので、大変勝手ではありますが、ここで一旦撤退させていただきます。
【H20.6.29追記】その後 読者からのメールでkikulogを思い出して、血液型のところを少し覗いてみました。
ほぼ、予想どおり(?)の展開になっているようです…。(^^;;
脳に血液型物質がない&性格は脳で決まる → 血液型と性格は関係ない
というロジックなら、
脳に血液型物質がある → 血液型と性格は関係ある または 脳で性格は決まらない
ということになるはずです。しかし、現状では(予想どおり?なぜか?)議論はストップしているようです。
いや、そもそも、脳に血液型があるかどうかは、血液型と性格の議論には関係ない、ということなのでしょうか?
仮にそうだとするなら、そういう話題を振った人は、科学的ではない(?)ということになります。
いずれにせよ、現時点では(予想どおり?なぜか?)科学的な議論には展開していないないようですね。
|
【H20.3.22追記】
香山リカ+菊池誠さん 信じぬ者は救われる かもがわ出版 H20.3 1,470円(税込)
香山リカ+菊池誠さんの対談です。
香山さんについては、今さら改めて説明する必要はないでしょう(笑)。
菊池さんは、kikulogの管理者で、疑似科学(彼の言葉では「ニセ科学」)批判で有名な方です。「血液型と性格」批判の急先鋒でもあります。
ところで、10年以上前の香山リカさんは、割と血液型に寛容だったはず(肯定的ではないにしても…)ですが、最近は批判的な発言が目立つようですね。念のために、『リカちゃんのサイコのお部屋』文庫版(1994年発行でオリジナルは1991年発行)を読み返してみました。
77ページにはこうあります。
血液型で性格が違うというのはナンセンス、というのが医学の世界の常識だ、と私の大学の生理学の教授(O型)は言ってました。
これを受けた78ページには、
でも、血液型と性格が関係ないってことをを証明した人はいるのでしょうか?
…何か特徴を見つけたら、それに基づいて分類してみたい、というのは人類の永遠の欲望です。血液型と性格や病気の関係も、もっと医学的に研究されてもいいのにね。医者だって、ナンパのときは、“君、何型?”と言うんだから。
この文章を素直に読めば、香山さんが血液型を否定しているとは思えないでしょう。(笑)
では、本題に入りましょう。この『信じぬ者は救われる』では、血液型と性格について、2カ所で取り上げられています。
- 40ページから42ページ 〈テレビならウソを言っても構わない!〉
- 97ページから100ページ 〈血液型で人を分け隔てしていい?〉
■テレビならウソを言っても構わない!
ではまず、〈テレビならウソを言っても構わない!〉から見ていきます。
ここでは、菊池さんと香山さんがそれぞれ1つずつ例を挙げています。
まず、菊池さんですが、
脳科学が専門の大学教授[注:たぶん、セクハラで辞めた、元北大の先生でしょう…]がテレビ番組に出演して、要するに血液型と性格の関係はあるという話をしていたのです。
…たまたま番組を見た直後に、その先生に会う機会があったので、ちょっとつかまえて、「あれは何ですか」って聞いたら、彼は、「いや、テレビですからあんなもんですよ」ということを、僕だけじゃなくてほかにもいろんな人がいる前で言ったんです。それでみんな呆れちゃって。
もちろん、これが事実だとすると、みんなが呆れるのは当然です。が、他のまじめな先生の研究もテレビで公開されているのですから、この話だけで血液型を否定するのは、正直どうかと思いますが…。
次に、香山さんは、10年ぐらい前の話として、民放で心理テスト番組(?)をつくったときの話をしています。このときは、心理学の有名教授、A先生(たぶん、日大名誉教授の○村さんでしょう)が出演して、いろいろテストをやったそうです。香山さんは、それだけでは性格はわからないんじゃないでしょうかと「正論」をはいたそうです。[ちなみに、B型は決めつけられるのが一番嫌いなので、「テストで性格がわかる」と言われたら、当然のことながら、少なくないB型が香山さんのように反対するでしょう・笑]
香山さんの反論に対するA先生の答えが奮っています。彼女はこう続けます。
「君ね、そんなに構えなくともいいんだよ。うちの大学で、いいかげんな心理テストを学生にやらせ、その後、ちゃんとつくられた心理検査をやらせたのね。そしたら、でたらめのほうのテストで、でたらめな答えを学生に返したときに、当たっているという割合と、ちゃんとした検査をして、その答えを渡したときに、当たっているという学生はどっちも同じ割合だった」って言うんですよね。
…バーナム効果(*)ですよね。だから、問題ないんだと。
(*)誰にでも当てはまるような一般的な性格記述を、自分だけに当てはまると見なしてしまう現象のこと。アメリカの興行師の名前に由来している。
結論として、そんな厳密じゃない場合でも、ちゃんとしたテストでも、結局はそんなに差がないんだからいいんだ、というのがA先生の主張です。(笑)
私は、このやりとりを読んで、腹を抱えて大笑いしてしまいました(失礼!)。というのは、いかにも○村さんらしい絶妙の受け答えだからです。ここは、二重三重に“ひっかけ”があるので、心理学者や、ある程度心理学に詳しい人なら読んだら絶対にウケます。つまり、彼のこの主張を、文言どおり受け取ってはいけません!
ところが、なぜか、香山さんも菊池さんも、なんとなくおかしいと思いつつも、○村さんのこの説明に納得してしまったようです。
菊池さんは、こう言っています[ちなみに、この文章に明らかな間違いがあります…後述]。
その実験自体有名ですよね。でもそれは、血液型性格判断がいかに当てにならないかという話のときに持ち出される実験なんですよ。別の血液型のやつと貼り替えてもオーケーとか、そういう話です。でも、そのロジック最後はおかしいなあ。でたらめなのを渡しても、どうせみんな当たっていると思う。テレビだからそれていいと言うんでしよう。
香山さんも、納得したのか、ついには「ある意味で目からウロコが落ちました」と言っています。
しかし、目からウロコが落ちてはいけないのです!
■○村さんのレトリック
では、ここからは、香山リカ+菊池誠さんに代わって、私が○村さんの“真意”を解説することにしましょう。
#○村さんの苦笑する顔が目に見えるようです。(^^;;
では、順番に進んで行きましょう。まずは、最初の文章からです。
「君ね、そんなに構えなくともいいんだよ。うちの大学で、いいかげんな心理テストを学生にやらせ、その後、ちゃんとつくられた心理検査をやらせたのね。そしたら、でたらめのほうのテストで、でたらめな答えを学生に返したときに、当たっているという割合と、ちゃんとした検査をして、その答えを渡したときに、当たっているという学生はどっちも同じ割合だった」って言うんですよね。
…バーナム効果(*)ですよね。だから、問題ないんだと。
○レトリック1 心理テストの信頼性
A先生は、いかにも心理テストの信頼性について説明しているようなフリをしていますが、実は全然別のことを説明しているのです!
さて、皆さんは、心理テストの信頼性はどうやって測定するかわかりますか?
香山リカ+菊池誠さんのペアが見事に誤解(?)したように、本人が「当たっている」から信頼性が高いというのではないのです。逆に言うと、本人が「当たっている」と感じたからといって、本当に当たっているという保証はどころにもありません。
自分の客観的な評価は一見簡単なようですが、結構難しいものです。血液型の特徴なんか当てはまってない、と主張する本人の性格が、他人からは全くそのとおりだ、というのもよく聞くところです。
同じことですが、大人になって、子供の頃の自分の成績を思い出させてみると、(昔の)5段階評価なら平均点は3にならないとおかしいはずですが、計算すると4ぐらいになったなんて笑い話もあります。
余談ですが、多くの占いソフトは、平均的な運勢は100点満点なら50点にはしていないはずです。たぶん60〜70点ぐらいなんじゃないでしょうか? なぜなら、平均点をきちんと50点にすると、「当たってない」と言われて売れないからです。
いや、ついつい脇道にそれてしまいました。(^^;;
では、心理テストの信頼性はどうやって測定するのでしょう?
心理学では、性格は行動に現れるということになっていますから、一言で言えは、行動を客観的に測定するということなります。要するに、本人が「当たっている」と感じたかどうかは心理テストの信頼性と直接の関係はないのです。
#厳密な定義は専門書に当たってみてください。
○レトリック2 バーナム効果
次に、バーナム効果の説明ですが、はっきり言って、この説明は極めてウソに近いものです!
なぜなら、バーナム効果は、「自己暗示」とは直接の関係はないからです。この説明だけでは、○村さんは「バーナム効果」(フリーサイズ効果)と「自己暗示」(ラベリング効果またはインプリンティング効果)のどちらを説明しているのかわかりません。
私は、文章から判断すると「自己暗示」に近いような気がします。そうなると、バーナム効果の説明としては(明らかに?)間違っている(?)ことになります。
ともかく、「バーナム効果」の定義が曖昧と言うしかありません。
念のため、○村さんがやった実験の例を引用しておきます。読めばわかるように、どちらもあるので、上の文章だけでは判断しようがありません。
佐藤達哉さん編集の『性格のための心理学』(現代のエスプリNo.372 H10.7 至文堂)「座談会―性格のための心理学」(22ページ)から引用しておきます。
大村[政男さん] …私はある授業の時、紙片に学生本来のフルネームを書いて出して貰った。少し経ってから、「君たちの書いた文字をある筆跡鑑定家に依頼してその文字から性格を判断して貰った」(これはもちろん嘘)といって1人ずつその偽の診断書を手渡した。そうしたところ、おおよそ70パーセントぐらいの学生が「当たっている」と報告してきた。
ということは、大村さんのケースでは、少なくとも70%程度の学生には「フリーサイズ効果」が現れることになります。ところが、続きの文章には…
大村[政男さん] 行き過ぎると自己成就してしまう。偽物を渡されて「当たってる」と思う。ずっと前にYG性格検査をやって、その後、偽の結果を手渡したがだれも文句を言わないで納得してしまった。
前川輝光さん 『血液型人間学−運命との対話−』(551〜553ページ)
「FBI効果」について見ていきたい。大村は能見血液型人間学はニセ科学であり、自らの所説を真実らしく見せるために3つのトリックを用いていると言う。すなわち「フリーサイズ効果(Freesize)」「ラベリング効果(Labeling)」
「インプリンティング効果(Imprinting)」の3つである。「FBI効果」の「FBI」というのは、各効果の英語表現のうちの傍点を付けた文字をつないだものである。
各効果の内容は以下のようなものである。
フリーサイズ効果というのは、(能見がある型の特性として提示した気質特性が…筆者)何にでも合ってしまうことをいう。B型の特徴は看板さえ換えれば、ただちにAB型になってしまうのである。
(大村 「『血の商人』 の餌食になるな」、 『朝日ジャーナル』 1985年3月8日号、91頁)
ラベリング効果というのは、ラベル(レッテル)によって内容が規定されてしまうことである。これがO型の特徴だと書いてあれば、内容が何であってもO型だと思い込んでしまう。
インプリンティング効果というのは、最初の接触で強い印象が人の心のなかに刷り込まれることをいう。…このインプリンティング効果が利用されているのである。これがA型の特徴だと書いてあれば、A型の人の心にそれが刷り込まれ、ずっと消去しないで存続する。(同誌90〜91頁。以上、『血液型と性格』中の「FBI効果」についての説明はわかりにくいので、『朝日ジャーナル』中の発言を引用した)
しかし、この問題は実は、大村の依拠する既存の心理学において、すでに議論されていたことであった。引用した大村の発言ではこのことがぼかされているが、白佐俊憲・井口拓自のこの点についての発言を読むと、事態がより明瞭になるであろう。
こうした効果 (FBI効果…筆者) は特に血液型性格判断だけにあてはまるものではないようである。
アイゼンクとナイアス…は著書『占星術−科学か迷信か−』の中で、「人びとが一般的で漠然とした性格記述と自分とを同一視するこの傾向は、「バーナム効果と言われ、多くの研究で示された」と述べている。つまり、血液型性格判断に限らず、ラベルを貼られると、たとえそれがデタラメな記述であったとしても、そこに示された性格が当たっていると思ってしまう傾向が一般にあるということである。『入門』46頁)
大村自身、こうした説の存在は知っていたのである。『血液型と性格』の4年半前に出版された『「血液型」の迷路』では、大村は、大西赤人との対談中、目立たない形でではあるが、こうした説にふれている(「これと同じような事が一般の性格テストでも起こります。そういう報告もありますよ」
『「血液型」の迷路』86頁)。ただし、それが気になったらしい大西から質問が出ると、さっさとこの話題を切り上げている(87頁)。 |
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#詳しくはこちらをご覧ください。
では、この項目の最後に、菊池さんのミスを指摘しておきます。
その実験自体有名ですよね。でもそれは、血液型性格判断がいかに当てにならないかという話のときに持ち出される実験なんですよ。別の血液型のやつと貼り替えてもオーケーとか、そういう話です。でも、そのロジック最後はおかしいなあ。でたらめなのを渡しても、どうせみんな当たっていると思う。テレビだからそれていいと言うんでしょう。
ここまで読んできた読者の皆さんには、既におわかりでしょう。実は、この文章は「自己暗示」に関するもので、「バーナム効果」とは直接の関係はありません。つまり、菊池さんは、心理学用語を間違えて使っている(?)ようなのです。
当然のことながら、香山さんもこの原稿にはチェックを入れているはずです。バーナム効果の解説は、内容からして香山さん(たぶん?)が書いたと思われますが、どうやら、菊池さんのミスにはノーチェックのようです。編集者のチェックでも引っかからなかったのでしょうか?
う〜む。これだけ心理学を誤解しているとは…正直、困っています。(*_*)
皆さんはどう思いますか?
#これでは、kikulogの議論もさっぱりかみ合わない訳ですねぇ、ふぅ。
○おまけ 「バーナム効果」のウソ
「バーナム効果」を調べるのに、手元の心理学辞典(丸善)を使ってみました。念のため、Wikipediaも調べてみたところ、脚注の松岡圭祐さんの「ブラッドタイプ」についての記述を発見しました。しかし、この文章、必ずしも正しいとは言えません。なぜなら、結果が「バーナム効果」のせいなのか「自己暗示」のせいなのかがわからないからです。
Wikipediaは便利で、私もしょっちゅう利用していますが、血液型のように論争になっている項目を調べるときは、十分に注意した方が良さそうです。(^^;;
ちなみに、血液型がウソというのは、すべてがバーナム効果で説明することは不可能です。
それは、極端な例を考えて見ればすぐ分かります。例えば、本当かどうかは別として、
×型はよく気配りをする
△型はマイペースだ
という文章があったとします。これをバーナム効果で説明すると、「よく気配りをする」と「マイペース」は「誰にでも当てはまるような一般的な性格記述」ということになります。(笑)
まさか、本当にそんなことを信じている人は多くはないでしょう…。それなら、どの血液型も自他ともにマイペース」が多いという結果になるはずですし、特定の血液型が抗議するはずもありませんから!
■血液型で人を分け隔てしていい?
では、〈血液型で人を分け隔てしていい?〉に移ろうと思います。
こちらは、項目名からしてわかるように、科学的な内容とは直接の関係はないようですので、ちょっとだけ。
確かに、私も、「血液型で人を分け隔てしていい?」と聞かれれば、一般論としては「よくない」答えるでしょう。その点では、香山さんや菊池さんと意見は一致します。
しかしながら、竹内薫さんの『白い仮説黒い仮説』にあるように、次のような意見も看過すべきではありません!
科学者が社会と文化に対して、「それ[血液型性格分類]はやってはいけません、信じてもいけません、本を買っても、テレビを見てもいけません」というのはいわないほうがいいというのが私の考えです。というのは、もしそれを許してしまうと、科学者が文化を「検閲」する人になってしまうからです。
(65〜66ページ)
私も全く同意見です。私も自戒の念を込めて…。
ところで、この〈血液型で人を分け隔てしていい?〉には、少々興味深い内容もあります。
菊池 …血液型診断がウソだと言われているのは知っているけど、信じている人っているじゃないですか。
香山 医者にも結構いるんですよ。
菊池 そうらしいですね。僕もよく血液型の話をするときに、この問題になると理性を失う研究者がたくさんいるって言います。
正直、え〜〜っ!本当にこんなこと言っていいの?って、すごく意外です。つまり、「血液型と性格」に関しては、科学的な結論はまだ出ていない(要するに否定されてはいない)ということです。
更に興味深いことに、菊池さんは「統計的には根拠ない」とも言っています。これにも驚きました。(@_@)
[注:「根拠がない」と「差がない」のとは違います。kikulogでの、ちがやまるさんとの議論のように、「差」があっても「根拠」がないことはあり得ますから…差があってもいいということなのかなぁ?]
■実は菊池さんは肯定論者になった!?
ところで、この本では、なぜか「血液型と性格」という言葉は(少なくとも明確には)1回も登場していないようです。
#厳密には、「血液型性格判断」と「血液型と性格」は違った内容ですからね。
菊池さん自身の言葉でいうと、「血液型性格判断」は「強い関係」のことを言うが、「血液型と性格」は「弱い関係」も可ということです。ただし、弱い関係もまだ実証されていないというのが、従来の菊池さんのスタンスです。
しかし、今回はそんな区別は特にしていませんし、弱い関係がまだ実証されていないとも(明確には)発言していません。
ということは?
うがった見方をすれば、菊池さんは極めて肯定論者に近い立場になった、と言えるのかもしれません。
あるいは、この本は一般書なので、あえて、そんな面倒な言い方はしなかった、とも考えることもできます。
真意は不明ですので、今後の発言を注意深く見守っていきたいと思います。
皆さんはどう思いますか? |
【H19.12.22追記】ちがやまるさんとの合意
やっと、ちがやまるさんと合意することができました。大変ありがとうございました。私は大変満足しています。
血液型と性格2
476. ABO FAN — November 13, 2007 @23:37:56
> 470. ちがやまる — November 13, 2007 @19:17:34
お手数をおかけします。
> A型 はい 4104名(32.9%) いいえ 8362名(67.1%) 計 12466名 > B型 はい 2589名(37.8%) いいえ 4263名(62.2%) 計 6852名
> こうですね。Yatesの連続補正を使ったカイ2乗値が報告されていて、 >
p<0.0001ということです。このまま全体を1/10に縮小して対象者数約2000名になるとp=0.0342になります。p=0.05になるのは対象者数約1500名あたりからです。
ありがとうございます。 では、(決して大きいとは言えないが)血液型によりデータに差があると考えていいですね?
>
A型とB型で比べて(本人に尋ねた時)いちばん違いの大きく出ている質問でさえ、偶然というバックグラウンドから違いが浮かび上がるのは1500名も集めた場合である、という結果なんですね。
坂元データではおっしゃるとおりです。 従って、松井データで差が出ないのは、サンプルが少ないせいだ、ということなります。 つまり、松井データの松井さん自身の分析結果(統計的に有意な差がない)は間違いだ、ということになります。 ここまでは同意したと考えてよろしいですか?
なお、他の多くの方は、この点について、特にコメントされないようです。理由はわかりませんが、実に不思議ですねぇ。 |
【H19.9.12追記】議論規制中!?
いままでは、自由に議論できていたと感じていたのですが、きくちさんの突然の方針転換(?)で、一部の議論が規制されることになった(?)ようです。以下は、きくちさんの発言です。
きくち September 11, 2007 @00:55:55
ABOFANさんはご自分の意見をきちんと述べてください。それまでは議論は始まってもいません。上のほうでは「心理学者と同じ意見」と書いておられますね。ということは、「血液型性格判断は否定されている」という意見と思っていいのですね。そう決めます。それが嫌なら、ご自分の意見をきちんと(「誰と同じ」とかではなく、命題として)述べてください。それ以外の発言は残念ながらまったく無意味ですので、お断りします。他のみなさんも、細かいことに反応なさらないほうがいいですよ。ABOFANさんは、大筋から逃れられることならどんなことにでもなんらかの反応をされますが、大筋についてはまったくお答えになりませんから。
なお、
上のほうでは「心理学者と同じ意見」と書いておられますね。ということは、「血液型性格判断は否定されている」という意見と思っていいのですね。そう決めます。
とありますが、私はそんなことは書いていません。きくちさんがなぜここまで誤解されるのか、正直理解に苦しみます。(*_*)
さて、きくちさんの発言では「上のほう」とありますが、全く同じ文章がはないようなので、私の元の発言は、たぶん太字の部分だと推測しています。
151. ABO FAN — September 10, 2007 @22:29:43
> きくち September 10, 2007 @12:09:46
> それどころか自分の意見というものもないらしい」という結論になっています。
私の論理は、基本的には心理学者と同じですから、それが「自分の意見というものもない」と判断されるのでしたら、そのとおりかもしれません。
ただ、そうすると「自分の考えは一切述べず」とは矛盾するはずです。 私は、心理学者と(基本的に)同じ意見を述べているからです。
しかし、そういう解釈をされる方もほとんどいないようです。 ですから、正直、この文章は意味不明です。
ここで、きくちさんは、二重の意味で誤解されているようです。
まず、「心理学者と同じ意見」ですが、正しくは「私の論理は、基本的には心理学者と同じ」です。読めばわかると思いますが、私の文脈では、「論理」は「血液型と性格の関係の有無の判断基準」という意味です。だから、結果として私は、「心理学者と(基本的に)同じ意見を述べている」ことになります。
しかし、論理は同じでも、前提やデータの解釈の仕方によって、結論が正反対になることもありますよね。だから、あえてカッコ書きで「基本的に」と書いているわけです。心理学者も、私と同じ考え方をするなら、「血液型と性格は関係ある」という私と同意見になるはず(例え現実はそうでないとしても)です。そういう意味なのですが…。
#まさか、きくちさんが、私の意見は「血液型と性格は関係ある」と知らないはずはありません!
もちろん、私の説明も悪いのかもしれませんが、だからといって、いくらなんでも、
上のほうでは「心理学者と同じ意見」と書いておられますね。ということは、「血液型性格判断は否定されている」という意見と思っていいのですね。そう決めます。
とまで決めつけるのは、(少々?)論理の飛躍ではないかと思いますが…。
また、全ての心理学者が「血液型性格判断は否定されている」という意見ではありません。例えば、最近の大村政男さんは、関係はあるかも…という意見のようです。
さて、もう一つの大きな問題(?)は、発言内容の規制の問題です。きくちさんは、
それ[注:血液型性格判断は否定されている]が嫌なら、ご自分の意見をきちんと(「誰と同じ」とかではなく、命題として)述べてください。それ以外の発言は残念ながらまったく無意味ですので、お断りします。他のみなさんも、細かいことに反応なさらないほうがいいですよ。
この発言も真意が不明です。
素直に考えると、きくちさんが私の意見を「血液型性格判断は否定されている」と(無条件に?)決めつけてもいい(?)ということになります。そう決めつけられてもいいと私が認めない限り、kikulogでは発言禁止である。そして、私の考えは「心理学者と同じ」といった文章ではダメで、自分自身の意見として命題として述べるべきということになります。更には、私以外の発言者は、私が自分自身の意見として命題として述べたこと以外にコメントしてはいけない、ということです。
きくちさんの真意がわかりませんが、本当にこう考えているとすると、はっきり言って無茶苦茶です(失礼!)。
私の意見を決めつける(?)のはともかく、他の発言者の発言内容も事実上規制することになります。それなら、わざわざ現在のような掲示板形式にすることはないでしょう。SNSやMLでやればいいだけの話です。
それに「『誰と同じ』とかではなく、命題として)述べてください」とのことですが、既に心理学者の文献で、関係の有無の判断基準は散々書いてあるわけです。それは、原典から引用するか、議論したい人が原典を読めばいいわけで、わざわざ私の言葉で述べることはないと思うんですが…。その上で、解釈の違いや、新たなデータについて議論するべきでしょう。
最初から最後まで自分の言葉で説明するというのは、ディベートならともかく、他の学問でもほとんどないのではないのでしょうか?
極論ですが、性格の定義や統計的検定について、自分の言葉で説明せよというのはナンセンスでしょう。まず、議論する双方が専門書を読み、その上で更に議論を深めるのが一般的なやりかたで、効率も上がるはずです。
また、「意見をきちんと(『誰と同じ』とかではなく、命題として)述べてください。それ以外の発言は残念ながらまったく無意味ですので、お断りします」が、過去の発言に遡って適用されるのかどうかも問題です。
例えば、血液型と性格での私へのコメントには、時間を見て返事をしようと考えていたのですが、過去の他の人の発言にも私の発言が規制されるということなら、要する言った者勝ちということになります。それなら、時間を惜しんでどんどん発言した方が有利ですから、きくちさんの発言が少々公平性に欠けると思うのは私だけではないでしょう。
まさか、きくちさんが、このとおり考えているとも思えませんので、これから確認しようと思います。 閑話休題。 kikulogは大学のドメインを使っているのですから、私の発言が、誹謗・中傷、公序良俗に反する、政治的、宗教的といった理由(?)で規制が必要というならまだわかります。発言を控えることもやぶさかではありません。
しかし、
上のほうでは「心理学者と同じ意見」と書いておられますね。ということは、「血液型性格判断は否定されている」という意見と思っていいのですね。そう決めます。
というのはいかがなものでしょうか? そして、
それが嫌なら、ご自分の意見をきちんと(「誰と同じ」とかではなく、命題として)述べてください。それ以外の発言は残念ながらまったく無意味ですので、お断りします。他のみなさんも、細かいことに反応なさらないほうがいいですよ。
は、誹謗・中傷、公序良俗に反する、政治的、宗教的といった理由(?)で規制が必要ということなのでしょうか? 【H19.9.21追記】
どうやら、議論の規制が実質的に撤回されたようです…。理由は不明です。 |
【H19.9.19追記】 読者からのメールの一部を紹介しておきます。
No.1 H19.9.14
「否定論者の大敗北」を拝見しました。大変面白かったです。
この話の立場を逆にすると、こんなことも言えるんではないかと思いました(^^)。
1.肯定論者は、必ずしも絶対に強い関係があると主張しているわけではない
2.しかるに、否定論者は、肯定論が「絶対に強い関係がある」と主張していると決め付けている。
3.ゆえに否定論者は間違っているのである。
実際、肯定論者から見ると、否定論者は自分の都合のいいように戦線を移動しているように見えて、ずるいな〜という感じがしてしまうんですよね(^^)。
もちろん、同じ否定論者と言っても、全員が同じ主張をしているわけではないので、他の否定論者の主張の責任まで負う義務は無い、と言われればそれまでですが。
でも、それは肯定論者についても言えることで、肯定論者だって、してもいない主張でずっと十派一からげに批判されてきたわけですからねえ(^^)。
特に、O先生なんかは、能見さんのことを「血の商人」とか言って、人格批判までしてるわけなんだから、それまでの主張を変えて少しは関係あるかも知れないとか言うんだったら、謝罪ぐらいしろよと思いますけどね(^^)。
以上、感想でした(^^)。
No.1への返事
ごぶさたしております。
> 「否定論者の大敗北」を拝見しました。大変面白かったです。
ありがとうございます。
> 実際、肯定論者から見ると、否定論者は自分の都合のいいように戦線を移動しているように見えて、ずるいな〜という感じがしてしまうんですよね(^^)。
心理学者のように、意図的な場合(まあ、商売だからしょうがないです)もありますね。
kikulogは、意図的かどうかはわかりませんが。
> 実際、肯定論者から見ると、否定論者は自分の都合のいいように戦線を移動しているように見えて、ずるいな〜という感じがしてしまうんですよね(^^)。
心理学者のように、意図的な場合(まあ、商売だからしょうがないです)もありますね。
kikulogは、正直、意図してやってるのか、確信犯なのか、無意識的なものかはよくわかりません。
> でも、それは肯定論者についても言えることで、肯定論者だって、してもいない主張でずっと十派一からげに批判されてきたわけですからねえ(^^)。
あはは。
>
特に、O先生なんかは、能見さんのことを「血の商人」とか言って、人格批判までしてるわけなんだから、それまでの主張を変えて少しは関係あるかも知れないとか言うんだったら、謝罪ぐらいしろよと思いますけどね(^^)。
あの人の場合は、また特殊でしょう。
正比古さん本人が生きているときは、批判は怖くてできないので、死去後に批判しましたよね。
しかし、ここ何年かは、論調が変化して、内心では尊敬している風です。
そして、実際、O、S、Wさんあたりは、日常的には血液型を信じているらしいです。
意外かもしれませんが、「×型はこんな性格」って言ってるようですよ。それなら、ちゃんと肯定論を展開すればいいと思うのですが、能見さんのような在野の人の後追いはイヤということなのでしょう、たぶん。
逆に、他の心理学者は、商売がかかっているので、2004年のTV番組がすごかったときは、BPOまで利用したわけです。
では。
PS
最近、kikulogに遊びに行っているので、興味があったら覗いてみてください。
kikulogの発言内容から判断すると、Kさんは有名になりたい、目立ちたい(これまた、最近の大学では商売です)ということなんでしょうかねぇ?
内容はともかく、言葉遣いが普通ではありません。大丈夫なのかなぁ。
No.2 H19.9.14
お返事ありがとうございます。こちらこそご無沙汰してます。
>最近、kikulogに遊びに行っているので、興味があったら覗いてみてください。
いやー、なんか、見るだけで疲れそうなのでやめときます(^^)。
SHOZOさんがすごいなと思うのは、その辛抱強く議論を続ける根性ですよね。
それはとてもマネできないなと思いますね〜。皮肉じゃなくて。
>kikulogの発言内容から判断すると、Kさんは有名になりたい、目立ちたい
まあ、言ってることさえ間違っていなければ、目立ちたくてやっててももかまわないとは思いますすけどね(^^)。
ぼくは、吉岡さんの言ってることには必ずしも賛成できませんが、当たっているところもあるとは思うんですよね。それは、ニセ科学批判者は、ムキになりすぎるってこと(^^)。
もともと、血液型と性格の関係なんて、心理学者の人も認めているように、絶対に関係ないというような証明はほとんど不可能なんですよね。
だから、これは学界の主流では認められていません、ぐらいにしとけばいいのに、これはニセ科学だから「絶対に」間違っていると言おうとするものだから、無理が出てきてしまうわけでしょう。
それで仕方なく、ニセ科学を主張している奴には悪意があるとか商売のためだとか、余計な批判をくっつけなきゃならなくなる。そういうのって、強引なセールスみたいなもので、強く言えば言うほど逆効果になってしまうんですよね。
だいたい、インチキ商法に騙される人がゼロにならないのと同じように、ニセ科学に騙される人がゼロになることだってありえないと思うんですよね。それを無理にゼロにしようとすれば、かえって世の中にいろんな歪みが出てくるんじゃないでしょうか。
「と学会」だって、最初はそういうものを根絶するのは難しいから、ユーモアで笑い飛ばしましょうみたいな話だったはずなのに、だんだん「と学会」自体が権威になってしまって、ニセ科学に対する魔女狩りみたいになってしまったでしょう。そのへんからズレてきてると思うんですよね。
っていう意味では、吉岡さんの話に共感するところもないではないです(^^)。
それではまた。
No.2への返事
>>最近、kikulogに遊びに行っているので、興味があったら覗いてみてください。
> いやー、なんか、見るだけで疲れそうなのでやめときます(^^)。
> SHOZOさんがすごいなと思うのは、その辛抱強く議論を続ける根性ですよね。
いやぁ、それが一番効率的と思うからやっているだけです。
ただ、今回の連休は時間がなくて…。
他の方法もありますが、もっと大変です。(*_*)
> これはニセ科学だから「絶対に」間違っていると言おうとするものだから、無理が出てきてしまうわけでしょう。
そのとおりですね。
> そういうのって、強引なセールスみたいなもので、強く言えば言うほど逆効果になってしまうんですよね。
これは、ちゃんと心理学者のデータもありますよ。[注:伊藤哲司さんの論文の論文2]
>
「と学会」だって、最初はそういうものを根絶するのは難しいから、ユーモアで笑い飛ばしましょうみたいな話だったはずなのに、だんだん「と学会」自体が権威になってしまって、ニセ科学に対する魔女狩りみたいになってしまったでしょう。そのへんからズレてきてると思うんですよね。
へ〜、そうなんですか。
「と学会」は面白いのですが、血液型をやっきになって否定するのを見ていると、確かに逆効果だと思います。
No.2への返事(追伸)
追伸です。
> もともと、血液型と性格の関係なんて、心理学者の人も認めているように、絶対に関係ないというような証明はほとんど不可能なんですよね。
> だから、これは学界の主流では認められていません、ぐらいにしとけばいいのに、
それは、K氏も認めています。
が、しかし、
> これはニセ科学だから「絶対に」間違っていると言おうとするものだから、無理が出てきてしまうわけでしょう。
K氏は、「絶対に」間違っている、とは言っていません。
彼が言っているのは、“血液型性格判断”は間違っている、です。
なぜなら心理学者には、それほど大きな差は認められていないから、ということです。
しかし、小さな差はあっても不思議ではないということなります。
ここで問題なのは、心理学では「大きな差」「小さな差」を述べている人がほとんどいない(私の知る限り岡山大の長谷川氏のみ)ということです。
ですから、どのぐらいが「大きな差」「小さな差」なのかは、K氏が説明責任を負っています。
また、これを真偽が判断できる命題にするためには、彼が客観的な定義(○○%とか)をしないといけません。
が、しかし、彼は意図的に(?)この説明からは逃げているようです。
何回も彼に質問したのですが、回答は返ってきていません。
逆に、どのくらいの差があるかを含めて、説明責任は全て肯定側にある、というのがK氏のスタンスです。
どう思います?
つまり、肯定側は、一方的にデータを出すだけです。
極論すれば、正しいかどうかは、K氏が(一方的に?)判断する、ということになります。
しつこいようですが、私が質問しても「客観的な基準」の回答はありません。
彼がそこまで知的能力がないはずがありませんから、そうなると、形を変えた「絶対に」間違っている、だと思いますが?
長くなりました。
【H19.9.21追記】
No.3 H19.9.20
>彼がそこまで知的能力がないはずがありませんから、そうなると、形を変えた「絶対に」間違っている、だと思いますが?
これは、氏自身が立論の根拠にしている「メタ理論」のようなものに依存するのではない
かと思います。代表的なメタ理論としては、次のようなものが考えられます。
1.菊池氏自身が、「科学的」な論理と実証により否定する
2.心理学界の権威により否定する
3.菊池氏自身の、一人間としての直感により否定する
これまでの菊池氏の議論の仕方を見ると、基本的には1のスタンスをとっていると思われますが、この場合にももちろん、「差が小さすぎる」ということを論拠とするのであれば、どの程度の差であれば十分かを提示する必要があると思われます。
もちろん、測定誤差のように、計算によって容易に誤差範囲を算出できるような場合には、誤差論を勉強しろ、というような解答もありでしょう。とにかく、ある程度論理的に真か偽かを決定できるアルゴリズムを提示しなければならないと思われます。
しかし、SHOZOさんが引用している菊池氏の発言を見ると、こと血液型性格論に関しては、氏が1の立場に立っているようにはあまり思えません。
仮に2の立場にたっているとすれば、必要な差は、「心理学者を説得できる程度の差」ということになるので、菊池氏自身には挙証責任はなくなります。
ぼくは、科学的権威というものを全否定する気は毛頭ないので、これはこれで認められる立場だと思います。ただ、もし本当は2であるのに、1であるかのように言っているとすれば、それは不誠実だと思いますが。
また、3の立場の場合には、菊池氏自身の記憶から導かれる、経験的なベイズ推論のようなものが根拠になっていると思われるので、この場合にも、はっきりした基準を示すことは難しいと思われます。
ぼくは、菊池氏個人が信じない理由としては、これもありだと思います。ただ、この理由では、菊池氏以外を説得するのが難しいことは、菊池氏自身認めなければならないでしょう。また、もし3であるのに、1であるかのように言っているとすれば、それもやはり不誠実だということになるでしょう。
まとめると、菊池氏の否定の根拠がもし1であれば、「大きな差」の基準を示す必要があるかもしれないが、あまりそうとは思われない。2,3であれば、かならずしも基準を示す必要はないが、それを1であるかのように言っているとすれば、それは不誠実である、という感じでしょうか。
そもそも、科学哲学者も言うように、何が「科学的真実」であるかどうかは、必ずしも純論理的なアルゴリズムで決定されるものではなく、むしろ、科学という文化の進化の過程で淘汰されるものであると考えた方が実情に近いと思います。
もちろん、そのような進化の過程で確立されたディシプリンが「論理と実証」であるわけですが、このディシプリンは、かならずしもあらゆる入力に対して真か偽かを一義的に出力するようなアルゴリズムではありません。
何が「大きな差」か、というのも、本来は不毛な問いだと思います。そもそも、大きな差であれば研究する価値があるが、小さな差なら価値がないというのもおかしな話ですし、一見小さな差と見えたものが、条件を変えることによって鋭敏な差となって現れた例は科学史上枚挙に暇がありません。もちろん、逆に一見「大きな差」と見えるものが、隠れた因子による擬似相関に過ぎないということもあります。
ですから、否定論者がよく言うように、単なる統計的な有意性だけでなく、既存の理論と整合的な説明理論があって初めて、学界全体を説得するに足るという主張は、必ずしも間違っていないと思います。
ぼくが糾弾したいのは、むしろ、大村氏のようないい加減な主張を学界の権威の元に正当化しようとしたり(菊池氏もこの点だけは認めるというなら、能見氏だけでなく大村氏批判もしてほしいものです(^^))、学界に認められていない説を主張しただけで人格批判をしたり、そういう説を支持する一般人を問答無用でバカ扱いしたりする態度です。
そうではなくて、こういう説もあるけど、学界では認められていないというだけでは、なぜいけないのか。学界では認められていないから、学校で教えたり、試験の判断基準にするのは不適当だというだけではなぜいけないのか。
それは多分、そういうニセ科学に騙される被害者がいるからだということなんでしょうけど、ぼくなんかは、科学的啓蒙でそういう被害者を根絶できると思うのは、むしろ科学者の思い上がりだと思うんですけどね。
むしろ科学者は、いい加減な説に対しては、いい加減な説なりの距離感を保ってつきあいましょう、みたいなことを言うべきじゃないですかねえ。それこそが真の啓蒙だと思いますけど。
長くなってしまってごめんなさい。
【H19.9.23追記】
No.3への返事
私も菊池さんの立場はよくわかりません。
> 1.菊池氏自身が、「科学的」な論理と実証により否定する
おっしゃるとおり、これは非常に考えにくいです。なぜなら、彼自身が、血液型に関しては私の方が知識があることを認めているからです。
> 「差が小さすぎる」ということを論拠とするのであれば、どの程度の差であれば十分かを提示する必要があると思われます。
私も再三質問しているのですが、どうしても答えてもらえないようです。理由は不明ですが…。
さて、このページの最後にも紹介してありますが、志水一夫さんの『宜保愛子イジメを斬る!!』には、疑似科学を否定する大槻さん(現在は早稲田大学名誉教授)を批判するこんな文章が掲載されています(80〜81ページ)。
さて、ご存じのように[大槻]キョージュは、もし超能力の存在が証明されたら早稲田大学の教授を退職する称して、辞表を持参し、しばしばTVや週刊誌などで見せびらかしており…
言っちゃ何だが、これ、よくある陳腐なトリックである。アメリカには、この種の宣言をしている人が少なからずいる。
ナチスのユダヤ人虐殺を立証した人[注:つまり立証責任です]には100万ドル進呈します、といった類だ。
しかし、こういう場合は、結局その人本人を納得させうるような証拠を提出するというのが条件なので、何が出てこようとも「まだまだ、そんなものは証拠の内に入らない」とさえ言っていれば、彼は賞金を払う必要はないし、それでいて世間には、いかにも彼の主張が正しくて、例えばナチスのユダヤ人虐殺には明確な証拠がないような印象を与えることができるというわけである。
しかも、すでに述べたように(「物理の基本原則に反する」ので)何があっても超能力は認めないというのだから、両方表のコインで賭をしているようなものである。
言っちゃ悪いのですが、kikulogにはどうもこんな雰囲気が感じられなくもありません。たぶん、少なくない人がそう感じているのではないでしょうか?
語弊を恐れず言わせてもらえれば、そういう雰囲気には科学的な議論にはマイナスにしかならないと思うんでですが…。
> 2.心理学界の権威により否定する
普通のHPならもちろんありで、私も否定するつもりはありません。ただ、kikulogでわざわざするべき議論ではないと思います。せっかく、誰でも科学的な議論ができるように、オープンな場を提供しているのですからね。
> 3.菊池氏自身の、一人間としての直感により否定する
これは、科学的をモットーとするkikulogですべき議論ではないでしょう。この立場はありえない、と私は思います。
ということで、私は菊池さんの立場はいまだよくわかりません。(^^;;
>
何が「大きな差」か、というのも、本来は不毛な問いだと思います。
私もそう思います。それは、私も懐疑論者の自己矛盾に書いたとおりです。
>
ぼくが糾弾したいのは、むしろ、大村氏のようないい加減な主張を学界の権威の元に正当化しよう
> としたり(菊池氏もこの点だけは認めるというなら、能見氏だけでなく大村氏批判もしてほしいもので
> す(^^))、
これはそのとおりですね。ただ、心理学者も商売だから、ある程度のセールストークはしょうがないとは思います。しかし、だからといって、自由な批判を封じてしまうのは論外ですが。
> 学界に認められていない説を主張しただけで人格批判をしたり、そういう説を支持する一般人を問
> 答無用でバカ扱いしたりする態度です。
心理学者も商売とはいえ、これは明らかに行き過ぎでしょう。
> ぼくなんかは、科学的啓蒙でそういう被害者を根絶できると思うのは、むしろ科学者の思い上がり
> だと思うんですけどね。
あはは、おっしゃるとおりですが、いろいろな人がいますからねぇ。一般論としての科学的啓蒙なら、私は頭から否定はしません。
しかし、kikulogの参加者や読者は、ある程度のレベルの想定しているはずですから、少なくともkikulogに関しては科学的啓蒙は不要と言えると思います。
>
むしろ科学者は、いい加減な説に対しては、いい加減な説なりの距離感を保ってつきあいましょう、
> みたいなことを言うべきじゃないですかねえ。それこそが真の啓蒙だと思いますけど。
確かにそのとおりですね。
では。
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kikulog(大阪大学
菊池誠さん)への感想
大阪大学 菊池誠教授(物理学)のブログ『kikulog』に、『ABO FAN』へのコメントが掲載されていました。取り上げていただき、大変ありがとうございます。なお、『ABO
FAN』では、原則として敬称は「さん」で統一していますので、恐縮ですが敬称は「さん」を使わせていただきます。どうかご了承ください。>ALL
平成19年5月4日現在、kikulogでは血液型について2つの記事があるようです。
- 平成17年5月17日付け 血液型(書きかけなので予告)
- 平成18年9月14日付け 血液型と性格
私から言うのもどうかと思いますが、こういうのを健全な批判というのでしょうね。(笑)
#心理学者が参加していないのが不思議です。
ちょっとホッとします。
その中で、いくつかの質問、あるいは誤解されている思われる点について、できる限り丁寧に回答したいと思います。どうかよろしくお願いします。m(._.)m
【H19.5.20追記】 kikulogはなんにも知らないよ!? きくちさんのこのコメントにはビックリしました。
これまで何人かの心理学者が、
血液型と性格との関連を実証的方法で反証し、血液型性格関連説を否定しようとしてきた。ここで注目されるのは、彼らが血液型性格関連説を「科学的方法によって反証可能な理論」、すなわち科学的理論とみなしていることである。この点でそれを「非科学的な迷信」とみなして無視した従来の心理学者とは異なる。
【H19.5.25追記】 kikulogはなんにも知らないよ!? Part 2
何日か見ないうちに、いつのまにか“差別”の話になっていました。kikulogは、自然科学の話が専門と思っていたのですが、社会科学系の内容もOKのようです。それは構わないのですが、菊池さんのこのコメントには、正直開いた口がふさがりませんでした、というか全く脱力してしまいました。(@_@)
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血液型(書きかけなので予告)について
このうち、1は書きかけということで、内容は少なめです。ただ、いくつか興味深い点もあります。例えば、冒頭の、
批判派の中にも論理のおかしい人が多いなあという話。以前テレビで大槻先生が「糖鎖の違いが性格の違いをもたらすなんてことは絶対にない」と力説してはりましたが、いや、そういう問題ではないでしょう。
すぐに脳内メカニズムの話に持っていきたがる人がいるのですが、それって問題設定がそもそも間違っています。
全くおっしゃるとおりです。(笑)
そのほか、コメントNo.2にも、
伊庭 むかし,科○朝○の巻末かなにかに編集者が「血液型で性格が決まるなら骨髄移植すれば性格が変わるはずだ」(から血液型性格論はうそ?)と書いていて,アホなので呆然としました.そもそも,連鎖非平衡があれば,血液型の遺伝子が性格と無関係でも統計的相関はあってもよいのですが(科○朝○の記者はそれ以前にどうしようもなく間違ってますが).
きくち 肯定派にしろ否定派にしろ、メカニズムの議論をしてしまう人たちは、メカニズムさえあれぱそれが測定可能な形で性格に反映すると信じているみたいなのですが、その時点で間違ってますよね。
ど〜しよ〜もない批判(失礼!)が多いなかで、こういうまともな意見を読むと、正直ホッとしますねぇ。
No.4にも、「大槻パパの擬似科学批判はけっこうお気楽ですな。」とあり、菊池さんのコメントとして、
大槻さんをパパと呼ぶのは物性理論の研究者だけ(^^)
そうなのです。大槻さんは不勉強(ニセ科学について)なので困ります。勉強してもなんの役にも立たないことはわかってるんだけど、でも勉強しないと筋違いの批判をしてしまうから・・・
まぁ、大槻さん(B型)は、血液型についても…ムニャムニャ。心理学者からも批判があるのは、“業界筋”では有名な話です。
また、どの学会とは言いませんが、文科系とされている某学会では、“身内”の批判はタブーみたいですから、これまたホッとしますねぇ。
No.13には、黒羽白さんが、こんなコメントを寄せています。
黒羽白 トンデモウォッチャーとしてお馴染みのNATROMさんが、血液型性格判断に関する面白いネタを提供してくれてます
http://d.hatena.ne.jp/NATROM/20060602
きくち うひゃー、こんなネタがありましたか。
問題点の2が本質的で、三段論法の誤りなんですね。血液型性格相関に関してこの誤りを犯す"科学者"が意外に多いようなのはなぜでしょう
ただ、ちょっと疑問なのは、No.2との関連です。メカニズムの議論がナンセンスなら、藤田さんもNATROMさんも同様にナンセンスということになりますが…。はて?
ついでに、リンクのあるNATROMさんのブログも読んでみたのですが、2000年のNatureの論文を紹介し、「胃腸管に関するいくつかの形質に弱い相関が認められる以外には、血液型と疾患の相関については再現性よく示されたものはない」とあります。しかし、これと正反対(?)と思われる『「O型は梅毒に感染しにくい」ことを前提として受け入れるとしても』ともあります。素人の私が考えても、この両者が同時に成り立つはずがありません。
なぜなら、梅毒は胃腸管経由の感染症ではないからです(違うのかな?)。言い換えれば、梅毒は「胃腸管に関するいくつかの形質」に含まれませんから、それなら『「O型は梅毒に感染しにくい」ことを前提として受け入れるとしても』は冗談と考えるしかありません(違うのかな?)。
ちなみに、手元の資料では、梅毒と血液型の関連性は2000年以前に研究されているようですから、逆にNatureの論文の結論は信用できない(?)のかもしれません。はて?
私は医学に対しては素人ですので、これ以上なんとも言えませんが、従来は多くの場合、こういう素朴な疑問への回答がウヤムヤになりがちで、非常に残念というしかありません…。
そういえば、この点は、黒羽白さんや菊池さんはどう考えているのでしょうか? ちょっと気になります。 -- H19.5.4
血液型と性格について
では、本題に移ります。『ABOFAN』に関係がありそうなところ、誤解されているようなところを重点的にピックアップしていきます。お楽しみに。(^^)
松岡圭祐さん『ブラッドタイプ』について
冒頭に松岡圭祐さんの『ブラッドタイプ』が取り上げられています。これは『ABOFAN』でも詳しく詳しく説明したので、詳細は省略しますが、要するに否定的な証明にはならないのです。それは、松岡さん自身が「血液型と性格は関係ないことの証明はできない」(平成19年2月14日 『毎日新聞』 東京朝刊
理系白書’07:第1部 科学と非科学/3 根拠ない血液型性格判断)と認めているとおりです。
ちなみに、No.10では、こなみさんが「相間本や水伝本を出している徳間書店が,それってマッチポンプじゃないかい?と突っ込みたくなってしまうのですが,血をタイトルに含んだ本は出してないんですね。びみょーですが骨肉相食むことはないらしい。」とありますが、これは半分正しく、半分正しくありません。
それは、菊池さんが「同じ出版社が相矛盾する本を出すなんてことは、いくらでもあるんで。」とおっしゃっているとおりです。
徳間書店は、規模から言ってたぶん“一枚岩”なのでしょう。だから、そういうことも言えるかもしれません。しかし、もっと大きな出版社(典型が『さいとう・たかをのゴルゴ流
怖いくらい人を見抜ける「血液型」の本』を出しているPHP)、あるいは在京民放テレビ局、いわゆる大新聞社は“一枚岩”ではありません。従って、ある部署(ex.
科学部)では否定的だが、別の部署(ex. 社会部や芸能部)では肯定的というのはよくある話のようです。
さてさて、本題に戻ると、『ブラッドタイプ』の結論としては、No.26に菊池さんが書いているとおりです。
バーナム効果は「血液型性格判断は当たると思う理由」の解釈として有効なものであると思います。「血液型性格判断そのもの」の話ではない。
今回の結果は、「血液型性格判断は否定されている」を前提として、じゃあなぜ当たるような気がするかといえば、それはバーナム効果なんですよという説明をするのに有効。
しかし、前半は同意するつもりはありません。なぜなら、「血液型性格判断は当たると思う理由」ではなく、「血液型と性格」は関係があるからです(笑)。後半はそのとおりでしょう。
本当に「血液型と性格の間に関連があるという仮説」を検定したいなら、もっとたくさんの質問を並べて性格検査をするのが一番よいはずです。「あなたは几帳面ですか」みたいな、いかにもステロタイプそのものの質問ではだめなのでしょうが(わざとそういうのを混ぜておく実験計画は「あり」です)。
ただし、そういうのは心理学の研究として何度も行われているわけです。一方、同じことをインターネットでやるのは、サンプルの性質が偏るので解釈が難しくなりそうです。
今回の実験がインターネットで行われたにも拘わらず意味を持つのは、バーナム効果だからです。試した人の多くがもともと「血液型性格判断を信じる」人だったとしても(あるいは、そういう人であればなおのこと)バーナム効果の実証になる。
この文章は、正直意味不明です。(*_*)
確かに心理学の論文はたくさんあります。どの論文にどんな問題点があるか、具体的に指摘していただければよかったのですが…。
後半は少々疑問です。もし、否定的な結果が得られるなら、必ずしもランダムサンプリングじゃなくともいい、ということなのでしょうか?
それなら、必ずしもランダムサンプリングじゃない、能見さんのデータだって正しいということになってしまいますが? はて?
こなみさんのコメントについて
余談ですが、こなみさんのコメントを見ていると、ちょっと不安になります。経歴を見ると、私よりよっぽど統計学に詳しいはずなのですが…。
#ひょっとして、心理学の論文を読んでいないのでしょうか?
例えば、現代社会論II「人は偶然をどう認識するのか —
占いと血液型性格診断を考える」の資料をさっとチェックしてみましたが、いくつかの単純ミスがあるようです。
URL: 現代社会論II 人は偶然をどう認識するのか
— 占いと血液型性格診断を考える
第二回配布資料(PDF)
「血液型はXX でーす!」といって自己紹介するのはだれでもよくやっていることらしい。この習慣,日本 だけでしか通用しない「奇妙な」文化である。
日本だけじゃなくて、韓国でも通用するらしいです。(^^;; それに、日本だけでしか通用しないかどうかは、正しいか正しくないかとは別物です。また、極論ですが、「日本だけ云々」が科学的な議論で通用するなら、ある意味で人種差別ということにもなりかねません。
1.1 だれか言い出したのか
1927 古川竹二「血液型と気質に関する研究」
[中略]
(立命館大学文学部心理学科佐藤達哉氏 「**を信じるな!」1 血液型性格判断 を疑ってみよう!)
ここも単純ミスです。なぜなら佐藤達哉さん自身が明確に否定しているからです。
正しくは、世界で最初に血液型と気質の関係を示唆したのは原来復さん(A型)と小林栄さんです。事実、佐藤達哉さんの『通史日本の心理学』と『日本における心理学の受容と展開』にはそういう説明があります。以下は、『通史日本の心理学』(274ページ
下線は私)からの引用です。
さて、血液型と人の性質に関係があるのではないかと考えたのは必ずしも古川が最初ではなく、医師原来復(1882−1944)などがその先駆である。しかし、原のアイディアはわずかな医学者の関心をひいただけに終わった。古川はおそらくこれらの人々とは無関係に自説を暖め、研究を行い、成果を発表し、そして賛否両論を受けたうえで、最終的にその説を否定されたのである。その意味で血液型気質相関説は古川の学説であったといってよい。
次の文章にはちょっと驚きます。
多くの心理学的な研究の結果として,血液型と性格が関係するという判断ができるようなデータは得られていない。
大変失礼ながら、これは勉強不足というものでしょう。ここに[H19.5.5追記--ここも]ちゃんとありますよ! この統計的に有意なデータは認めていただけるのでしょうか?
「100%
関係ない」という結論を出すことは,科学的な議論で出すことはできない。ただし,巷で流布されているような相関があれば,それは有意なデータを出すはずであるから,「血液型で人の性格がけっこうちがう」
という感覚的判断は,明白に否定してよい。
この文章も、正直意味不明です。素直に読むと、「感覚的判断」は「科学的な議論」の対象ではないでしょう(違うのかな?)。それなら、「感覚的判断を「科学的な議論」で否定するのは不可能ということになりますからナンセンスです。いや、もし可能だというなら、逆に「血液型で人の性格がけっこうちがう」
という感覚的判断をベースに「科学的な議論」をしていい、ということになります。
#そんなことに賛成する人はいないでしょう。(笑)
次も非常に問題のある文章です。
1.6 それでも復活する血液型俗説
[中略]
テレゴング式に視聴者からの回答を使って集計したら,偏った結果が出るのは必至である。
しかし、その前には全く正反対の意味(?)の文章があるのです。
1.4 400 万人が参加した「究極の血液型性格診断」—当たるはずだよ自分の性格
『ブラッドタイプ』(松岡圭祐,徳間書店,2006)は大掛かりなネットワーク上での「罠」を仕掛けた。参加
したのは400万人。その9割近くが「血液型性格診断が当たっている」と回答した。これはバーナム効果を実証する興味深い社会実験である。
この2つを素直に読むと、「ネットワーク上での」「回答を使って集計したら,偏った結果が出るのは必至である。」ということになります。そう言う意味で「興味深い社会実験」としか判断できませんが、これって本当にこなみさんの意見なのでしょうか?
ざっと読んで気の付いたところはこんなところです。
否定するのは大いに結構ですが、前提が違っているのでは健全な議論にならないでしょう…たぶん。
誤解されている思われる点について
■No.12へのきくちさんのコメント
No.12へのきくちさんのコメントですが、
ところで、ABO
FANは「血液型と性格は関連がある」ということと「血液型から性格が判断できる」ということの違いを判っているくせに、意図的に混同するようにミスリードしていますね。
僕の記憶が正しければ、彼の以前の主張は「血液型性格判断は正しい」だったはずです。しかし、今は「血液型と性格は関連がある」に重点を置いて、それでいて読者には暗に「血液型から性格が判断できる」と思わせようとしているように読めます。
確かに、これは耳の痛い点です。ただ、その前にいくつかの誤解を解いておかなければならないようです。
細かいことにケチを付けるようで恐縮ですが、私は、いわゆる「血液型性格判断」は正しいとは思っていませんから、そんなことは一言も書いていません。なぜなら、「判断」=「占い」だからです。ただ、一般の読者には「血液型性格判断」と思われているのなら、私の説明不足でしょうし、ある意味で反省すべき点であることは確かでしょう。
次に、『今は「血液型と性格は関連がある」に重点を置いて、それでいて読者には暗に「血液型から性格が判断できる」と思わせようとしているように読めます。』ということですが、統計的な点を中心にして「血液型と性格は関連がある」に重点を置いていることは確かです。しかし、だからといって、「血液型から性格が判断できる」と言っているつもりはありません(もっとも、統計的に特定の傾向があることは確かです)。ただ、一般の読者に「血液型から性格が判断できる」と思われているなら、やはり反省すべきだとは思います。(^^;;
「血液型と性格のあいだに関連はあってもよい」が「その関連は、血液型から性格が判断できる、あるいは、行動から血液型が推測できるほど強くはない」というのが現在の知見のはずです。
これは少々問題かなと思います。それならそうはっきり言うべきでしょう! いわゆる「血液型性格判断」はニセ科学だが、「血液型と性格のあいだに関連はあってもよい」のだ、と。
#一般の読者が受ける印象は全然違ってくると思います。
だから、性格判断を論じるなら、「関連があるかどうか」ではだめなんですよね。
仮に「詳細に調べたら血液型と性格のあいだに関連があった」という研究報告があったとしても(あってもよい)、それだけでは「血液型性格判断」をなんら肯定も正当化もしない。菊池聡さんの本にもきちんとそう書いてあるはず。
ここも少々問題かなと思います。たぶん、まともな肯定側の人間でいわゆる「性格判断」を論じている人はいないでしょう。また、現実に「詳細に調べたら血液型と性格のあいだに関連があった」という研究報告はあります。例えば、坂元章さんの論文です。
ところで、菊池聡さんの本とありますが、たぶんこれは『超常現象の心理学』だと思います(違うのでしょうか?)。実は、以前にこの本のベースとなる月刊『百科』について菊池聡さん自身に質問したのですが、どういうわけか事実上の“回答拒否”という憂き目にあっています。
#残念なことですが、未だに回答はいただいていません。
従って、「菊池聡さんの本にもきちんとそう書いてある」ことは確かですが、厳密な意味では正しいとは言えないでしょう。(^^;;
■No.33 Tonさん
No.33にTonさんのコメントがありますが、これは単純ミスのようです。
むかし「朝日ジャーナル」という週刊誌がありました。そこにニュースキャスターの森本さんが、血液型と性格に相関はないという趣旨の一文を書いておられました。
私が知る限り、森本毅郎さんが執筆したのは以下のものだけで、『朝日ジャーナル』には書いていないようです。何かの勘違いではないでしょうか?
- 森本毅郎の"TBS日曜ゴールデン特版"編 「血液型人間学のウソ」 日本実業出版社 (1985) 1984年7月15日東京放送で放送したものの本
また、森本毅郎さんは、平成16年10月7日に司会をした『超スパスパ人間学!』で、肯定側に趣旨替えしているようです(詳しくはこちら)。
■No.35へのきくちさんのコメント
No.35へのきくちさんのコメントについてです。
ABO FANのページが更新されましたか(^^
YGとバーナム効果の関係について、完全に誤解してますね。誤解じゃなくて、意図的な誤導かな。「YGの結果」と「結果を読んで納得すること」とは別です。まあ、知っててやってる可能性が高いか。
ここも、正直意味不明な文章です。(*_*)
たぶん菊池さんは、私が「YGの結果」は間違っている、と主張していると判断されているのではないでしょうか? しかし、私はここで、「YGの結果」は間違っている(あるいは正しい)とは言っていません。
正確には、「結果を読んで納得すること」=「バーナム効果」と、「YGの結果」は間違っている(あるいは正しい)ことは関係ないという心理学者の知見を紹介しているだけです。そう言う意味では、ここの菊池さんの主張とは一致しています。
ただし、ABO
FANの書いている"「バーナム効果」の存在を証明しただけでは、血液型と性格の関係を否定することはできません"はその通りだと思います。バーナム効果は証明ではなく、解釈です。
ここは全く同感です。
血液型と性格に関連が見いだされないことは、バーナム効果と無関係に検証されています(何度も書いている通り、微妙な相関はあるかもしれません。ABO
FANはこのふたつを意図的に混同して、読者を誤導しているようですが、「性格判断」を議論するなら、このふたつは区別しなくてはならない)
ここも、「血液型と性格に関連が見いだされない」とありますが、私には根拠が不明です。出典を明らかにしてもらえれば、何らかの反論が可能なのですが…。
■No.38へのきくちさんのコメント
No.38のコメントについてです。
lessless こんにちは。実はABO FANにメールを出したことがあったりします。
ずっと疑問に思ってるんですが、彼は「知っててやってる」んでしょうか? 意図的に読者を誤読させようとするためには、「実は違う」ことを
理解できていないとそういう文章は書けないと思うんですよね。
で、本人が実は「血液型と性格に関係なんかない」という事を理解しているとすると、今度はあんなページを作る動機がわからない。
彼が実は血液型本を売っている出版者の人間だ、というわけでもなさそうですし。
私の態度は終始一貫しているつもりなのですが、やはり誤解されているのですね…。ちょっと悲しいです。(*_*)
と言っていてもしょうがいので、ここで再度書いておきましょう。
今まで、否定論者(主に日本の心理学者)は、「信頼できるアンケートのデータで安定した結果が得られない」から「血液型と性格の関係はない」と主張してきました(文献や電子メールでの議論で確認しています)。なぜなら、「関係がある」というデータは全部、
1.ランダムサンプリング(無作為抽出)が行われていないので、データの信頼性がない
2.血液型で差が出ても、アンケートによって傾向が違うのでデータの再現性がない
3.血液型で差が出ても、必ずしもその血液型の特徴と一致しない
つまり、「関係がある」といえる条件として、「完全なランダムサンプリング」「複数回安定したデータ」「多くのサンプル」が必要だというわけです。
逆にこれらの条件を満たしたデータがあれば、文句なく「関係がある」ということなります。しかし、実際にこの条件を満たしたデータを示したとたん、ほとんどの否定論者(主に日本の心理学者)は沈黙してしまいました。具体的には、
の2つです。
その後の数少ない反論は、私が知る限り「科学的な根拠」がないという一言のみ(心理学的?統計的?生化学的?脳科学的?出典も不明?)で、それ以上の根拠は示されていません。つまり、肯定側としては反論しようがないのです…。
ちなみに、心理学自体が「科学的な根拠」はありませんから、心理学者の反論なら意味があるとは思いません。なぜなら、「心」の実体やメカニズムは依然として不明だからです。
#最近の「クオリア」の研究は面白いのですが、なぜか心理学者は関心がないようです…。
これに対するきくちさんのコメントですが、
きくち 僕の理解では(間違ってるかもしれません)、ABO
FANは当初「血液型性格判断」の話をしていました。心理学者との長いやりとりのあとでしょうか、「血液型性格相関」の話に重点を移しているように思います。違うかな。
で、僕の解釈は、「性格判断」はだめだということが自分で判ってしまったのだけど、ウェブサイトが長く続いてしまったために、"引っ込みがつかなく"なり、可能性のある「相関」の話に移ったのではないか、ということなんですけど。
"引っ込みがつかない"は動機として充分にありうると思います
まあ、所詮憶測です。ただ、意図的でないとすると、ABO
FANはあれだけ長くやっているのに、いまだに「性格判断」と「相関の有無」の本質的な違いすら理解していないことになっちゃいます。
この件については、No.12へのきくちさんのコメントで書いたとおりですので省略します。しかし、随分と誤解されているようですね…。残念でしかたありません。
-- H19.5.4
「ニセ科学入門」について
その後、「ニセ科学入門」というページを読んでみました。たぶんこれが、現在の菊池さんの論理なのでしょう。
特に問題ないと思うので、血液型の部分だけ抜粋しておきます。
2.練習問題:血液型性格判断
世界中で日本人ほど他人の血液型を気にする国民はいないらしい。飲み屋で血液型と性格の関連を話題にするのは日本人くらいだろう。血液型性格判断のニセ科学性については語り尽くされているといっていいのだが、わかりやすい例なので、簡単にまとめておく。
血液型性格判断の歴史は古く、1927年に古川竹二が出した学説まで遡る。もっとも古川学説は現在の血液型隆盛とは基本的に関係ない。現在の血液型性格判断に直接つながるのは1971年に出版された能見正比古の著書である。能見は学者ではなく、血液型に関する学術論文を書いたわけでもなさそうだ。その代わり、能見と息子の俊賢は血液型に関する多くの一般書を出版している。
さて、現在の位置づけを簡単に述べよう。心理学の問題としては解決済みで、「血液型と性格が関連するという積極的な証拠はない」ということでよいだろう。つまり、能見説にせよ古川説にせよ、間違っていたわけである。では、古川学説は「ニセ科学」だったのか。いや、学説が出された段階では「ニセ科学」ではなかったはずである。それどころか、「性格が遺伝するなら、同様に遺伝する血液型と関係するのではないか」という推測は、むしろ目のつけどころとしてはよかったといってもいいだろう。
問題は能見説以降、特に心理学の問題としては「関係があるとは言えない」という結論が出てしまったあとの”民間信仰”的ブームである。能見は独自にデータを収集した上で結論を出しているので、科学的に研究しようとしたのだとは思う。しかし、実際には「科学」として通用するものではなかった。”血液型と性格は関連があるはずだ”という前提で議論を続けるのはニセ科学である。
では、なぜ血液型性格判断は広く信じられているのだろうか。以下に二つの要因を挙げておく。いずれも仮説である。
(1)4分類という思い切った割り切り:2分類では恐らく誰も信じないし、10分類では多すぎておぼえる気になれない。おぼえやすいことは重要で、血液型性格判断が学校から飲み屋まであらゆる状況で話題にされるのは、手許に参考文献がなくても議論できるからである。4という数は適当にもっともらしく、しかも使いやすいものなのだろう。
(2)血液型は遺伝現象の典型と認識されており、メンデル型の遺伝法則に従うことが一般常識として広く知れ渡っている。また、性格のかなりの部分が遺伝的に決まっていると信じている人は多そうである。いかにも遺伝しそうな「性格」が、もっともよく知られた遺伝現象である「血液型」と関連すると主張されれば、多くの人がなるほどそれは「科学的」でもっともらしいと納得するのも不思議ではない。この場合、信じる側はあくまでも「科学」として信じるわけである。
さて、血液型性格判断も単なる遊びのうちはたいした問題ではないが、これが実害をもたらす可能性がある。たとえば、ある企業がインターネット上に公開している就職活動のためのエントリーシートには、氏名・住所・電話番号・電子メール・性別に続いて「血液型」の記入が求められている。ほかの項目は出身大学や帰省先、職種の希望など常識的なものばかりであるから、血液型の項目は目を引く。もちろん、なぜそれが必要とされているのかはわからないが、採用上なんらかの参考にしているのではという疑念はわく。また、以前、電機メーカーがAB型の社員だけを集めて新製品開発プロジェクトチームを作ったという実例がある。特に成果は出なかったようだが。要するに、血液型が就職や配属面で考慮されていると思われる事例があるのだ。これは無論、差別である。
ところで、血液型に関して「心理学の調査では性格との関連が見つからなくても、実は微かな関係がある可能性は否定できないのではないか」という質問をされることがある。それはもちろんその通りで、よくよく研究してみると弱い関係があるということになるかもしれない。研究する価値もあるだろう。しかし、一般に言われる血液型性格判断はそのような微妙な関係ではなく、「あなたはA型でしょう」とコンパの席で指摘できるほどにはっきりした関係を主張していることに注意するべきである。したがって、上の質問は血液型性格判断とはなんの関係もない。
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これによると、具体的な根拠・出典は不明ですが、『心理学の問題としては解決済みで、「血液型と性格が関連するという積極的な証拠はない」』とあるので、どうも心理学の結論をそのまま引用しているように思われます。
#例によって「血液型性格判断の歴史は古く、1927年に古川竹二が出した学説まで遡る。」という単純ミスがあります。
しかし、肝心の心理学者からの反論は(たまにあったにしても)BPOによる「“血液型を扱う番組”に対する要望」の紹介・引用や「科学的な根拠がない」(この場合、具体的な根拠・出典が示されていないので、「科学的」の定義が一切不明?)の一点張りで、相変わらず実質的な反論はないに等しい状態です。
これは、坂元章さんの論文や否定論者の自己矛盾!?を公開した時期と妙に一致しています。ちなみに、この2つに対する反論は極めて少なく、特に後者に対する反論は全くありません!
kikulogには菊池さん自身の『ABOFAN』に対するコメントもあるので、私の論理の核心であるこれらを読んでいないとは考えられないのですが…確かにこの2つに関するコメントはありません。
はて?
読むのは面倒くさいかのもしれませんが、ぜひぜひ読んでいただきコメントいただければと思います。 -- H19.5.5
私からのお願い
さて、kikulogと「ニセ科学入門」を読んで不明な点ができたので、私からお願いしたいところもあります。
お忙しいところ大変恐縮ですが、以下の点について教えていただけば幸いです。
根拠・出典について
No.35へのきくちさんのコメントでは、「血液型と性格に関連が見いだされないことは、バーナム効果と無関係に検証されています」とあります。
この根拠、あるいは出典は何でしょうか?
仮に、「ニセ科学入門」にあるように、『心理学の問題としては解決済みで、「血液型と性格が関連するという積極的な証拠はない」』なら、坂元章さんの論文や否定論者の自己矛盾!?を読んでいただければ、心理学者の論理は矛盾していることがおわかりになると思います。
#それだけではなく、大村さんのデータもあります。
もっとよく探せばどこかに書いてあるのかもしれませんが、残念ながら見つけることができませんでした。お手数ですが、教えていだけると幸いです。
【H19.5.20追記】
どうも、根拠、あるいは出典について、菊池さんは初めから答えるつもりがないようです。なぜなんでしょうか?
関連部分を抜粋しておきます。
> きくち May 12, 2007 @10:13:09
> 僕は物理学者ですから、性格心理学についてはとおり一遍の知識しかありません。
はい、お答えありがとうございます。ただ、なぜか私の質問には答えていただけないようです。
しつこいようですが、再度質問させていただきます。
能見(正古比)さんのどの本を読まれましたか?
というのは、「能見説」について一生懸命説明したつもりなのですが、どうも共通理解を得られていないようです。
きくちさんがどの程度の予備知識があるのかわからないと、私はこれ以上どのように説明すればよいのか迷ってしまいます。
どうかよろしくお願いします。
また、心理学者の論文は、どの論文を読まれましたか?
これも同様の理由です。
どうかよろしくお願いします。
「能見のどの本か」なんて憶えてませんよ。読み返してもいないし。僕が見た本は、科学的言説の体をなしていなかったので、それをどうこうしたってしょうがない。
[後半の質問には回答なし]
ABOFANさんが、都合が悪くなったら論点をずらすだろう、というのもおおかたの人の予測していたところだと思います。
案の定、「能見の本を熟読しているのか」という話になりましたが、実はそれは議論の中身と関係ないんです。
性格心理学を知っているのかという話も出ましたが、もちろん僕には通り一遍の知識しかないものの、幸いなことに心理学者の友人がいますから、必要なら教えて貰うことができます。だから、これも心配は無用ですし、やっぱり議論の中身と関係ありません。
論文を読んでいるかという点についても、入手の難しい論文については、幸いABOFANさんがデータを示してくださっているので、ABOFANさんとの議論には差し支えないでしょう。
> きくち May 12, 2007 @11:22:13
> その意味はずっと以前から書き続けているとおり、「個人について、なにかが言えるか」とい
> うことです
???
これは、上に示したとおり、心理学の「定説」ではないと考えますが、出典はどこなのでしょうか?
仮に、心理学の「定説」ということなら出典を示していただかないと、反論しようがありません。
なお、この点については何回も質問させていただいていますが、まだ回答をいただいていないと考えます。
それとも、きくちさん独自の説ということでしょうか?
それなら、出典は不要ですので…。
> 何度も書いていると思いますが、ABOFANさんは一貫して、「集団の平均的性質」と「集団に含ま
> れる個人の性質」との違いを無視しておられます。
趣旨はわかりました。
ただ、これは心理学の「定説」ではないと考えます。よろしければ出典を示していただけないでしょうか?
それとも、きくちさん独自の説ということでしょうか?
それなら、出典は不要ですので…。
この後のコメント(きくち May 13, 2007 @01:20:37)では、出典は示されませんでした。
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「関係がある」という条件について
菊池さんは、どのような条件を満たせば、血液型と性格は「関係がある」と言えるとお考えですか?
よく探せばどこかに書いてあるのかもしれませんが、残念ながら見つけることができませんでした。お手数ですが、教えていだけると幸いです。
既に書いたとおりですが、従来の否定論者(主に日本の心理学者)と私とは、「関係がある」といえる条件として、「完全なランダムサンプリング」「複数回安定したデータ」「多くのサンプル」が必要ということで合意しました。ひょっとして、同じ条件なのでしょうか?
#それなら『ブラッドタイプ』のデータはアウトになるはずですが…。
しかし、実際にこの条件を満たしたデータを示したとたん、ほとんどの否定論者(主に日本の心理学者)は沈黙してしまいました。詳細な経緯は、私のHPに公開されているとおりです。ということは、やはり違うのでしょうか?
不躾なお願いで大変恐縮ですが、どうかよろしくお願いします。m(._.)m -- H19.5.4 [H19.5.5修正]
【H19.5.20追記】
このコメントにもびっくりしました。
#233 ABO FAN — May 13, 2007 @00:17:22
> ZEROX — May 12, 2007 @21:38:53
> ABOFANさんへ
> そもそも、性格そのものが科学的に説明できないんだから、
それは私の責任ではなく、心理学の責任です。
また、それなら、きくちさんは、心理学の「定説」を信じているらしいので、きくちさん自身が非科学的なことになってしまいます。(苦笑)
きくち May 13, 2007 @01:52:45
僕は「血液型性格判断は否定されている」という主張ですから、性格が定義されていようがいまいが構いません。
「血液型性格判断は正しい」と言いたければ、それが大問題ですけど、「正しくない」というためには必要ないんですよ。
どこかの文書にはその点も書いた記憶があります
「血液型性格判断は否定されている」というのは、性格が定義されていなければいけないはずです。実は、菊池さんはこう書いています。
(#51 ABO FAN — May 6, 2007 @07:38:56 へのコメント) きくち May 6, 2007 @11:05:11
「多くの日本人が"関係あり"と思いこんでいるにもかかわらず、心理学の調査では関連が見いだせないほど、弱い相関しか存在しない」ということです。「弱い相関」もないのかもしれません。
どう考えても、これは性格が定義されているというのが前提です。性格が定義されていないなら、相関が存在するはずがありません。まさか、「弱い相関」もないというのは、性格が定義されていないから「弱い相関」も存在しない、という意味ではないでしょう。
まさか、まさか、とは思いますが、性格が存在するかどうか科学的に不明、ということであれば、いわゆる「血液型性格判断」は科学的分析の対象になるはずがありませんから、科学的な議論、つまりkikulogで否定するのは不可能ということになります。
つまり、kikulogで宗教について議論しましょう、ということと同じですから、初めからナンセンスです。そんなムダなことをしているとは思えませんし…。
結局、どの論理でも、私には到底理解不可能です。(*_*)
そういえば、このコメントにもびっくりです。
(#261 ABO FAN — May 13, 2007 @10:54:35 へのコメント) きくち May 14, 2007 @01:35:19
さて、ABOFANさんの基本的誤りは「否定的な心理学者の論文」を否定すれば、「能見説(とABOFANさんが呼ばれているもの)」が証明されると考えておられるらしいことです。
どうも妙な誤解をされているようで、残念です。(^^;;
私は、『「否定的な心理学者の論文」を否定』することによって、心理学者が『関係がある』という条件を満たすデータを示しているだけです。あるいは、心理学者が「能見説」を正しいと認める条件と言い換えても構いません。決してそれ以上でもそれ以下でもありません。
従って、菊池さんらから見て『「否定的な心理学者の論文」を否定』することになれば、「能見説が証明される」ということになります。 |
to be continued...
時間がないので、きちんとフォローできていませんが、無責任な感想を少々。
ちょっと信じられないことですが、kikulogの[この血液型と性格の議論の]参加メンバーの大半は、能見さんの本も、心理学者の論文も、性格心理学も、性格検査、そして生化学も血液型もあまりご存じないようです(失礼!)。
別に知らなくともいいのですが、それできちんとした批判ができるとは思えません。そう感じるのは私だけでしょうか?
ちなみに、あるメッセージで、「血液−脳関門」が存在するため脳に血液型物質はない、だから血液型が性格に影響を与える分けがない、と断言されている人がいました。これは二重の意味で間違いです。なぜなら、脳に血液型物質は存在するし、血液型が性格に影響を与える(または与えない)メカニズムは不明なため、それだけでは単純に否定はできないからです。
このような状態では、明確な差が現れた大村さんのTCIの結果や、東海大の灰田さんの実験結果は、まず間違いなく知らないでしょう。繰り返しになりますが、血液型と性格の関係を否定するのは構わないのですが、科学をベースに議論をするなら、参考文献を読んでいないというのはいかがなものでしょう?
そういえば、自分で参加するまではわからなかったのですが、kikulogの全体としての雰囲気は、某有名匿名掲示板に─いい意味でも悪い意味でも─よく似ているような気がします。もちろん、雰囲気は某掲示板よりず〜っと高級ですけどね。(^^)
さて、以前に発見したkikulogに関するサイトで、読み物として面白そうのがあったので、読者の皆さんにも紹介しておきます。ただ、私はマイナスイオンは素人ですから、内容が正しいのかどうかは正直わかりません。(^^;;
あくまで、読み物として面白い、ということだけです。
ところで、このサイトには血液型も書いてあるのは興味深いですね。私も同感するところがあるのですが、さすがにここまで遠慮なくは書けませんでした。(^^;;
吉岡英介さんのサイト「水は変わる」の中のkikulog関連部分(一部)
- 2006.06.22 キクログ批判 その1 マイナスイオンはニセ科学?
- 2006.07.06 キクログ批判 その2 産業技術総合研究所の講演会
- 2006.07.12 キクログ批判 その3 なんで今頃、水道水の安全論議か?
- 2006.07.26 キクログ批判 その4 産総研 その後
- 2006.07.27 キクログ批判 その5 ステロイド問題 こなみ氏を批判する
- 2006.07.28 キクログ批判 その6 ステロイド問題 2
- 2006.08.04 キクログ批判 その7 ステロイド問題 3
全くの余談ですが、吉岡英介さんのサイトの情報が正しいとすると、○羽さんのやっていることは、犯罪行為に近いですね。厳密に法律を適用すると、ひょっとして横領罪になるかもしれません。まぁ、私は法律の専門家でないからわかりませんが、わかる人が本気でつつく気なら(例えば、石原都知事がTBSをつついたように)いくらでもつつけるでしょう。私だって、いくつか方法を思いつくぐらいですから…。
#そうなれば、○羽さんは多少なりとも社会的ダメージは免れません。
私は小心者ですから、到底○羽さんのようなことはできません。自分が「ニセ科学」と信じているものに対して、そこまでするという感覚がすごいというか、怖いもの知らずというか、
正直ちょっと信じられないです。(@_@)
【H19.7.3追記】
No.1571 O型男性のクロさんから
H19.7.2 17:30
1.面白いですか?
ふつう
2.お気に入りのページ
kikulogへの感想
3.血液型と性格の関係は?
ない
4.メッセージ:
性格を決めるのは後天的な要素が大きいと思うので、血液型との相関はないというか、統計的に出ないと思う。
ところで、kikulogへの感想の真ん中あたりに吉岡氏の話題が出て、○羽さん(天羽さんですよね)は横領罪になるかもとおっしゃってますが、なぜでしょうか。私が法律の素人だからかもしれませんが、双方のHPを見てもなぜ横領罪になるのかわかりませんでした。よろしければ理由をお聞かせください。興味があります。
メールありがとうございます。
> 統計的に出ないと思う。
申し訳ありませんが、根拠なデータを示していただけないでしょうか?
> 双方のHPを見てもなぜ横領罪になるのかわかりませんでした。
自分の会社のものを私用に使えば横領罪です。だから、大学のサーバを私用に使えば…ということですね。
ただ、正確には横領罪になるのは、サーバを管理している先生だけで、○羽さんは共犯になるのか、窃盗罪になるのかもしれません。f(^^;;
もっとも、私なら、提訴や刑法よりは行政手続法を使います。こっちの方が簡単で効果がありますからね。v(^^)
|
いやぁ、○大学からサーバを移転するぐらいで済んで、本当によかったなぁ、と思います。
全くの余談でした。f(^^;; -- H19.5.15 [H19.5.20修正]
【H19.5.8追記】 皆さんからのメールから抜粋しておきます。
No.1519 ふまさんから
H19.5.7 1:25
1.面白いですか?
とっても(^O^)
2.お気に入りのページ
kikulog(阪大 菊池誠さん)への感想
3.血液型と性格の関係は?
ある
4.メッセージ:
『ABOFANへの手紙(前半)』を見ました。要するに
1.現在の(性格)心理学では「血液型と性格には関連がある」とするのは自然である
2.だからと言って「血液型と性格に因果関係がある」ということにはならない
3.なぜなら、現在の(性格)心理学が扱うのは「相関関係」であって「因果関係」ではないからである
ということだと思います。どうしてこの議論から、心理学的には「血液型と性格に関連がない」ということになると主張できるのか、不思議です。さらに、そもそも血液型は(行動主義的な意味では)性格の原因になりえないことは実験するまでもなく明らかです。というより、実験できません。血液型がA型の人をB型に変えて性格がどう変わるかなんて実験のしようがない。まさか、血液を入れ替えるんでしょうかね
http://d.hatena.ne.jp/ese-kagaku/20070505#1178426932
面白く興味深いメールをありがとうございます。
疑似科学批判の批判もあるのですね。私は、不勉強なので知りませんでした…。f(^^;;
前半は同感です。
ただ、渡邊さんの考えは、正直言って、私には理解不能なところがあります。行動主義で一貫しているならいいのですが、その後の『「モード性格」論』(2005.11発行)では、従来の性格心理学の枠組みに戻ってしまっているのです。(@_@)
行動主義の枠組みと、従来の性格心理学の枠組みが両方正しいということは、私のような素人には理解できません。典型的なのが、『「モード性格」論』の121ページの文章で、「血液型によって性格がはっきりと異なるなら、いかに心理学者の作った性格検査に欠陥があろうとも、まったく何の証拠も現れないということは考えにくいからです」とあります。
逆に言えば、性格検査に何らかの証拠(統計的に有意な差がある)が現れるなら、血液型によって性格が異なると考えていい、ということなります。
この点で、その後の『「モード性格」論』では、以前の『ABOFANへの手紙』のスタンスとは明らかに異なります、というか正反対の立場に変わってしまったようです。
菊池さんは、どうもその点がわかっていないらしく、「話は渡邊さんが書いておられることでほぼ尽きている」を読んだ私は、思わず爆笑してしまいました(大変失礼とは思ったのですが…)。
#渡邊さんも苦笑していることでしょう、たぶん。
後半の行動主義では、私の考え方はちょっと違います。
最近は、脳のメカニズムの研究が進みつつあり、脳波やMRIの研究によると、血液型によって脳の働き方に違いがあるかもしれない、という結果も得られているそうです。もちろん、追試も少なく、まだまだ確定的なことが言える段階ではありませんが…。
具体的な名前を出しましょう。東海大の灰田さんの実験は、例の捏造問題でボツになった「あるある」で紹介されたのですが、別のソースからもほぼ同じ結果を聞いています。また聞きですが、真面目な研究なので、きちんとした取材なら受けるという話ですから、非常に興味深い結果と言っていいでしょう。
#それによっては、今までの常識がひっくり返る可能性のゼロではないわけです。
とは言っても、追試が何回もされてからでないと確定的なことは言えませんから、謎が解明されるのはまだまだ先のことでしょうが、必ずしも「実験のしようがない」という状態でないことは確かなようです。
時間がないので、とりあえずこのへんで…。
No.1520
O型男性の単純ミスだと思いますがさんから
H19.5.8 10:31
1.面白いですか?
ふつう
2.お気に入りのページ
E−MAIL
3.血液型と性格の関係は?
ある
4.メッセージ:
メールNo.1519への返答より
>「血液型によって性格がはっきりと異なるなら、いかに心理学者の作った性格検査に欠陥があろうとも、まったく何の証拠も現れないということは考えにくいからです」とあります。
> 逆に言えば、性格検査に何らかの証拠(統計的に有意な差がある)が現れるなら、血液型によって性格が異なると考えていい、ということなります。
なりませんよ。
ある命題が正しい時に正しいと言えるは対偶で、逆は正しいとは限りません。
つまり「」内が正しいなら、対偶である
・「性格検査に証拠が現れない」なら、性格検査に欠陥があっても、「血液型によって性格がはっきりと異なるということはない」
も正しい、ってことでしょ。
メールありがとうございます。
きちんと内容を理解していただいたメールですので、嬉しいですね。(^^)
もちろん、おっしゃるとおりです。この文章だけを数学的に厳密に解釈すればそうなります。ただ、『「モード性格」論』は、入門書というよりは一般書である、という性格を考慮する必要があるでしょう。
例えば、同じ121ページには、「もしその[注:血液型と性格との]関係を証明するようなデータが現れればそれは大発見」とありますから、全体としては「性格検査に何らかの証拠(統計的に有意な差がある)が現れるなら、血液型によって性格が異なると考えていい」というトーンで一貫していると考えていいのではないでしょうか?
ぜひ、渡邊さんの『「モード性格」論』を買って読んであげましょう。(笑)
彼も喜ぶと思いますよ。
No.1521 匿名希望さんから
H19.5.8 10:42
1.面白いですか?
とっても(^O^)
2.お気に入りのページ
その他
3.血液型と性格の関係は?
ある
4.メッセージ:
渡辺さんの統計論は一般的なもの(統計学の常識)だと思いますが、その常識をこの問題に適用するのは間違っています
渡辺さんは「全体が有限数のデータ」を「その部分データ」から議論するという意味で統計の議論をしています
しかし、全体のデータは有限ではありえません。なぜなら、人の性格(あるいは、性格認知)は、ゆっくりであっても時々刻々と変化するものだからです。つまり、たった一人の人間の性格ですら、そのデータの全体は無限です
ま、実はデータの全体を有限だと考えるのは統計屋の商売上必要なことなのですが、その態度は科学的とは言えません
本当に科学的と呼ばれるデータは、制御された測定によって『安定的にある特定の確率分布が再現性をもって得られる』場合に限ります。それ以外は、ダメデータです
とはいえ、現実にはダメデータしかない場合が多い。だから、統計的な議論によってお茶を濁す。それは仕方のないことではあるのです
メールありがとうございます。
気持ちはわかります。
だいたい、心理学なんて、理系の人間からすると結構怪しげですから、極端な人になるとオカルト扱いです。(苦笑)
しかし、ここでそんなこと(例えば性格の定義や測定方法)を言っても始まりませんので、私は一応、性格心理学の方法論を正しいものとして議論を展開しています。ご了承ください。
【H19.5.11追記】
No.1524
O型男性の「菊池さん、またまた訳分かりません」さんから
H19.5.10 8:30
1.面白いですか?
ふつう
2.お気に入りのページ
その他
3.血液型と性格の関係は?
どちらともいえない
4.メッセージ:
May 10, 2007 @01:12:56
>定説とそれに反する主張とは立場が対等ではないことを理解してもらわなくてはならないですね。「定説に反する新規な主張をする側が、その主張と根拠を述べる」というのが、科学の議論におけるルールですから。それがなければ、定説が受け入れられ続けるだけです
http://www.cp.cmc.osaka-u.ac.jp/~kikuchi/weblog/index.php?UID=1158225244#CID1178727176
1.科学的にナンセンスな主張に対して、科学的に反論することはできない。
(正しい)
2.何かを主張するときには、科学的な意味を明確にしなければならない。
(科学至上主義w)
3.ABOFAN氏の主張は、科学的な意味が不明確である。
(多分、正しい)
4.ABOFAN氏の主張は、科学的な定説に反している。
(多分、間違い。科学的でない命題は、科学的な命題に反しようがない)
5.科学的でない主張に対し、科学的な定説に反していると非難している。
(多分、正しい)
6.ニセ科学批判は『科学至上主義の布教』である。
メールありがとうございます。
ただ、このメッセージを私宛に送信していただいた意味がわかりません。kikulogに書いた方がいいのではないですか?
【H19.5.15追記】
どうしようかと迷ったのですが、掲載しない積極的な理由もないので次のメールも掲載しておきます。ひょっとして、No.1524と同じ方なのでしょうか?
No.1527
B型女性の匿名希望さんから
H19.5.13 16:59
1.面白いですか?
とっても(^O^)
2.お気に入りのページ
その他
3.血液型と性格の関係は?
ある
4.メッセージ:
科学的に意味不明な主張が、科学的定説に対立する訳がないだろう。この人達は一体なんなんだ?
どちらかを選ばなければならない
1.科学的に意味不明である。
2.科学的な意味は分かるが、それは「これこれ」という科学的定説に反している。
「科学的な意味が分からない」と言いつつ「それは科学的定説に反する」とは一体、どういうことだwww
メールありがとうございます。
このメッセージはkikulogに書いた方がいいのではないですか?
【H19.5.20追記】
No.1533 AB型女性のふまさんから
H19.5.18 0:02
1.面白いですか?
とっても(^O^)
3.血液型と性格の関係は?
ある
4.メッセージ:
*「それ因子であって、分類じゃねーし」
アナログとデジタルの区別がついてないんじゃん
>「分類」の意味によりますが、「性格は複雑だから、安定した分類はできない」と言い切るわけにはいかなくて、その複雑さがどの程度複雑なのかといえば、もしかしたら「5因子でかなりの部分が決まる」程度かもしれないということです
http://www.cp.cmc.osaka-u.ac.jp/~kikuchi/weblog/index.php?UID=1158225244#CID1179403266
基本的な科学センスが欠如してるよ
頑張って知識で防衛しているタイプなんだな、つまり…
メールありがとうございます。
No.1534
血液型不明の女性のきくち先生、大丈夫?さんから
H19.5.18 1:32
1.面白いですか?
とっても(^O^)
3.血液型と性格の関係は?
ある
4.メッセージ:
意味不明だな
>集団内でのばらつき(標準偏差)と比べなくてはだめです。
http://www.cp.cmc.osaka-u.ac.jp/~kikuchi/weblog/index.php?UID=1158225244#CID1178936533
例えば:
(問い)私は神経質である
(回答)はい=+1点、どちらでもない=0点、いいえ=−1点
として
A型:(はい=1万人)、(どちらでもない=0人)、(いいえ=1万人)
B型:(はい=0人)、(どちらでもない=2万人)、(いいえ=0人)。
これだったら、大きな関連があると思うが。A型の平均点も0点で、B型の平均点も0点になるから違いはないとでも言うのか?
今の場合は回答の選択肢が3つだったけど、5つにでもすれば、A型の分布とB型の分布の平均値、標準偏差がともに等しくて、しかし、分布としては全く異なる例なんて簡単に作れそうだなw
さすが、統計バカのモンテカルロ屋だわい
>まあ、統計に関しては、「意味もわからずに計算してる人」は多いですよね。ABOFANさんのは、ちょっとひどすぎるかもしれないけど
http://www.cp.cmc.osaka-u.ac.jp/~kikuchi/weblog/index.php?UID=1158225244#CID1179246846
メールありがとうございます。
【H19.5.21追記】
No.1535
血液型不明の男性の早川恭治(仮名)さんから
H19.5.21 17:38
1.面白いですか?
とっても(^O^)
3.血液型と性格の関係は?
わからない
4.メッセージ:
>行動(認識)を変えるくらいなら、解釈を変える方が簡単
>カルト宗教などで教祖が「東京に大地震がおきる」と予言し、それに基づいて疎開したけど地震が起こらなかった時に、「教祖の予言が外れた」と認識するよりも、「教祖の超能力で地震が回避された」と解釈を変える
http://www.cp.cmc.osaka-u.ac.jp/~kikuchi/weblog/index.php?UID=1158225244#CID1179706555
変ですね。いや、別に、ABOFAN氏に認知的不協和はない、ということでは全くないのですが、「教祖の予言が外れた」というのは一つの解釈でしょう
解釈ではなく行動を変えるというのは、例えば「脱退する」とかそういう話だと思うんですけど。それに、議論において解釈ではなく行動を変えるというのも、イメージがよく沸きませんなあw
あ、あと、「否定の否定」は肯定ではない、と言うスローガンが出てるみたいですが、ちょっとミスリーディングのような気もしますね
正確には、「主張の否定の根拠の否定」は主張の肯定ではない、とかそういうことだと思いますよ
『仮説の根拠を否定した』からと言って、その仮説が否定されたことにはなりません。このことは「ニセ科学」の人も「ニセ科学批判」の人もよぉーく肝に命じて置かれるといいと思います
ニセ物理学者 早川恭治(仮名)
メールありがとうございます。
No.1536
A型男性の川崎尚男さんから
H19.5.21 18:05
1.面白いですか?
とっても(^O^)
3.血液型と性格の関係は?
わからない
4.メッセージ:
もし解釈が明確でなければ、解釈の変更があったのか、どうかも
明確にはなりがたい、と思います。
解釈変更をしたと主張されるということは、既に解釈を何らかの意味で理解していたのではないか、と思います。
柘植先生は、ABOFAN氏の主張の解釈をどのようなものとして理解されていたのでしょう。
メールありがとうございます。
【H19.5.25追記】
No.1537 O型男性のふまさんから
H19.5.22 1:30 [2通のメールをまとめました]
1.面白いですか?
とっても(^O^)
3.血液型と性格の関係は?
わからない
4.メッセージ:
kikulog は前からそうなんですが、どんどんあっちの方に向かってますね。
「科学的な意味が自分には分からない主張」は、その人にとって科学的に否定の対象にも肯定の対象にもならないはずですよね。
正直に「自分には意味が分かりません」でいいと思うのですが…
それでも否定(あるいは肯定)がしたいなら、「科学的な意味が分かるようになるように努力する責任」は自分にあるはずです。
ま、正直に言って、私は肯定でも否定でもどっちでもいいので、努力をするつもりはありませんが。これは、マイナスイオンでも同じです。
もちろん、自分には科学的意味が分かり、結論も既に持っていて否定(あるいは肯定)する、と言うなら、それは当然のことですが。
−−−−−−
向こうで血液型面接(社会的影響の一つ)の話を募集しているみたいですね。
但し、採用面接の場合、ただのネタ(圧迫面接など)という可能性も高いと思います。しかし、個人情報ですから、ネタとしても採用面接においてあまり聞くべきではないと思います。気になるなら「不明です」と答えておけばいいんでしょうけど。
問題は血液型人事があるのか?、それは確かに社会的に影響しているのか?ということになろうかと思います。これについては、『珍しい実験的な人事』があったとして、報道されることはあるようですね。
一方『ある種のスポーツ選手に早生まれは少ない』という調査が報告されているようです。もしこれが事実であるなら、国の教育制度による『偏った現実的な影響』であると言えると思います。
メールありがとうございます。
No.1539 O型女性の匿名希望さんから
H19.5.22 9:37
1.面白いですか?
とっても(^O^)
2.お気に入りのページ
「常識」のウソ、入門&新常識?!、血液型再検討
3.血液型と性格の関係は?
ある
4.メッセージ:
血液型診断の科学的な意味は私も分かりません。
でも、次のことは考えて欲しいのです。
1.
>血液型診断は科学的に否定される、という方へ
血液型診断の科学的な意味は何ですか?
その科学的な意味はどのように科学的に否定されるのですか?
2.
>血液型診断は『差別』など悪いことである、という方へ
その証明を見せてはいただけませんか?
メールありがとうございます。私も知りたいです。(笑)
No.1540 A型女性の
データを出せさんから
H19.5.22 13:58 [2通のメールをまとめました]
1.面白いですか?
とっても(^O^)
2.お気に入りのページ
「常識」のウソ、入門&新常識?!、血液型再検討
3.血液型と性格の関係は?
ある
4.メッセージ:
血液型診断批判派の方には、血液型診断の悪影響を示すデータを出して欲しい、と思います。
それとも、血液型診断による影響を含め、血液型の社会関係への影響はほとんどないとお考えでしょうか?
The kikulog 派
−−−−−−
The kikulogu 派!w
メッセージ : また、ニセ科学批判さんが、いい加減な印象操作をしていますね
生まれによるものであろうとなかろうと、差別はしてはいけないんですよ
問題は
生まれ持った性質によって区別をすることはすべて差別で、いけないことなんですかね?w
The kikulog 派!
メールありがとうございます。私もぜひ知りたいです。(笑)
No.1545 O型男性の匿名希望さんから
H19.5.23 17:58 [2通のメールをまとめました]
1.面白いですか?
とっても(^O^)
3.血液型と性格の関係は?
ある
4.メッセージ:
本人の自己責任でどうにかなる選択、
例えば性転換者を差別していいのか、
どうかと言ったらよくないと思う。
『本人の努力や選択』で、どうにか
なるか、どうかというのは、差別の
基準としては使えないんだけどな。
まあ、そういう訳分からない基準が
持ち出されるのは世間話レベルでは
割とあるような気はするけれどね。
−−−−−−
> とりあえず「建前」をきちんとしておくのが大事
http://www.cp.cmc.osaka-u.ac.jp/~kikuchi/weblog/index.php?UID=1158225244#CID1179965407
「ありがとう」は良い言葉、「バカ」は悪い言葉。というのも、建前としては普通のものだろう。「血液型診断は差別」云々よりかなり普通の建前だ
道徳授業なら「建前をお話に託して語る」のも変わったことではないよ。ニセ科学批判って、とってもご都合主義ですね
メールありがとうございます。
【H19.5.28追記】
No.1551
O型男性の菊池さん、また訳の分からないことをさんから
H19.5.27 15:16
1.面白いですか?
とっても(^O^)
3.血液型と性格の関係は?
ある
4.メッセージ:
きくち May 27, 2007 @11:21:56
http://www.cp.cmc.osaka-u.ac.jp/~kikuchi/weblog/index.php?UID=1158225244#CID1180232516
>現実には「血液型で人を判断する」のは差別であるとみなさん考えておられるわけです。それはいいですよね。
私が血液型相性判断で付き合う女を選んだら、それは差別なのかな?
メールありがとうございます。
チェックしてみましたが(5/28 0:00)、そんなことは書いてないようです…。ひょっして、菊池さん自身が修正したのでしょうか?
【H19.5.31追記】
No.1552 O型男性のキャスさんから
H19.5.29 1:03
1.面白いですか?
とっても(^O^)
2.お気に入りのページ
「常識」のウソ、入門&新常識?!、骨髄移植・脳と血液型
3.血液型と性格の関係は?
ない
4.メッセージ:
kikulogから来ました。少し長文ですがお許しください。
血液型により性格が多少は左右されているかもしれませんが、それほど強くはないと私は思います。私の友人で一番神経質な人O型ですし、一番ルーズな人はA型です。僕はよくころころ変わると言われますが、AB型ではありません。
「長男、中間子、末っ子」というような状況よりは、血液型の影響は弱いような気がします。
広範囲の資料を集められており、頭が下がります。ちなみに、集められた資料を、逆の仮説で検証すると答えは同じになるのでしょうか?
読まさせていただいた中で疑問点をいくつか。
「懐疑論者の自己矛盾」の一番初めのグラフ(性格分布のイメージ)について
41.2%と57.7%は頻度分布の面積の差であり、強度(横軸)の平均値の大小を明らかに示しているわけではありません。分散も平均も同じかもしれませんし(山の高さが変る)、書かれているグラフのように分散は同じで、平均が異なるのかもしれません。いろいろな場合を併記して、血液型から性格が推定しやすい場合とそうでない場合を説明するのがベターだと思います(現時点のデータから言える精一杯のこと)。そもそも1つ山の紡錘型に分布するのもあくまで仮定ですから。
「日常生活で利用できるほどの「弱い関係」「強い関係」」といわれているのは、kikulogでの議論と少し違うと思います
・日常生活で利用できるなら「強い関係」
・統計で差が出ても日常生活で利用できないなら「弱い関係」
ではないでしょうか?
弱い相関についての私の解釈は
・統計処理では優位差がでるが、個別の事例の判断には使えない。
・特定の条件(例えば日本ランキングで10番までに入る)では優位差が出るが、一般的な条件(県大会レベル)では優位差がない。
一方、強い相関の私の解釈は
・特定の条件下での血液型の比率を予測できる。
(例えば将棋の上位ランキングの人の血液型を予測できる)
スポーツの切り口で見る場合、性格に差が出ているのか肉体に差が出ているのか分離できないような気もします(碁や将棋ならいいかな?)。自民党にO型が多いのは、O型は徹夜に強いのかもしれません。
まさかこちらで憲法論議があるとは思わなかったのですが。。。
もし14条がなければ、男女雇用機会均等法を制定する義務は国にはありません。男女雇用機会均等法はあくまで憲法の枠内での規定です(憲法を具体的に書き下したもの)。憲法で差別の実施が強い権利として認められていれば、男女雇用機会均等法は成立しません。
おっしゃる様に憲法は国と国民の契約です。もし、国の中に憲法を遵守しない会社が出現し、国民が迷惑を被れば、国はその会社に対し是正する義務(法律の充実&改変)が生じます(なかなかしてくれませんが)。
男女の雇用のあり方について、憲法の条項を具体的に規定したものの1つが男女雇用機会均等法です。憲法に書かれている法の下の平等を、具体的にどう定義するか(雇用の機会・従業員の割合・
給与の平均値、定年の年齢)とう議論はあっても、憲法が保障していないことはないと思います。
ご存知のように、14条の門地は血縁(血液型ではないです)も含んでいます。血液型で国民が不利益になることが増加すれば、具体的な法律が出来るでしょう。
男女雇用機会均等法成立以前にも定年の男女差を争った裁判などがあり、この時は14条が引き合いに出されています。
以下、判決要旨-------------------------------------------
憲法14条(法の下における平等)の趣旨を設けた民法1条の2により、性による不合理な差別を禁止するという男女平等の原理は、国家と国民、国民相互の関係の別なく、全ての法律関係を通じた基本原理とされており、この原理が民法90条の公序良俗の内容をなすことは明らかである。
http://www.miraikan.go.jp/hourei/case_detail.php?id=19991201100000032syst
メールありがとうございます。
> 血液型により性格が多少は左右されているかもしれませんが…
> 「長男、中間子、末っ子」というような状況よりは、血液型の影響は弱いような気がします。
ぜひ、具体的なデータをお示しください。
> ちなみに、集められた資料を、逆の仮説で検証すると答えは同じになるのでしょうか?
すみません、「逆の仮説」って具体的に何でしょうか?
> そもそも1つ山の紡錘型に分布するのもあくまで仮定ですから。
??? それなら、更に差が大きくなりますが? あの図は、差が最も小さくなるように書いたつもりなのですが?
> ・日常生活で利用できるなら「強い関係」
> ・統計で差が出ても日常生活で利用できないなら「弱い関係」
> ではないでしょうか?
???
具体的な基準が書いてないので、これでは科学的に「強い関係」か「弱い関係」か判断することは不可能ですが?
つまり、kikulog(あるいはキャスさん)の基準では科学的な議論はできないことになります。
「科学」を名乗っているなら、そんな曖昧な定義のしかたはおかしいと思います。
kikulogのメンバーが、そんな具体的な定義をしないのは、たぶん「能見説」も「性格心理学」もよく知らないし、論文も読んでないとしか考えられません…(失礼!)。
> もし14条がなければ、男女雇用機会均等法を制定する義務は国にはありません。
大変失礼ながら、爆笑してしまいました。
私は法律の専門家ではありませんが、基礎知識は持っているつもりです。
さて、国は憲法を守らなければなりませんが、同時に外国などとの条約も遵守しなければなりません。「男女雇用機会均等法」を制定する直接のきっかけは、国連の「女性差別撤廃条約」を批准する準備のためのようです。念のため、手元の『スーパーニッポニカ』から引用します(太字は私)。
■男女雇用機会均等法
正式には「雇用の分野における男女の均等な機会及び待遇の確保等に関する法律」(平成9年法律92号)という(以下、本法という)。本法は、最初1985年(昭和60)5月17日に「勤労婦人福祉法」(昭和47年法律113号)の改正法として「雇用の分野における男女の均等な機会及び待遇の確保等女子労働者の福祉の増進に関する法律」(昭和60年法律45号)という名称の下に立法され、その後、97年(平成9)6月11日に大幅に改正されるとともに、現行名称になった。
1985年に制定された法律は、1979年に国際連合で採択された「女性差別撤廃条約」を批准(わが国の批准は85年)する条件を整備するため、雇用の分野での男女の均等な機会・待遇の確保、女性労働者の職業能力の開発・向上、再就職の援助、職業生活と家庭生活の調和を図ることなどにより女性労働者の福祉を増進させることを目的に制定された。
(C)小学館
もちろん、条約との整合性を取る必要があれば、憲法を改正する必要もあるでしょうが、このときはそこまでは不要という判断だったのでしょう。そういう意味では、必ずしも「もし14条がなければ…」ということではないと思います。いかがですか?
> 血液型で国民が不利益になることが増加すれば、具体的な法律が出来るでしょう。
おっしゃるとおりです。もちろん、私も血液型差別には反対です。
ただ、現時点では、法律で明確に禁止されているわけでもないし、また裁判にもなっていないようなので、明確に違法と言えるかは少々疑問だと主張しているだけです。
> 憲法が保障していないことはないと思います。
では、男女雇用機会均等法とその運用通達を示しておきます(太字は私)。
男女雇用機会均等法
(目的)
第1条
この法律は、法の下の平等を保障する日本国憲法の理念にのつとり雇用の分野における男女の均等な機会及び待遇の確保を図るとともに、女性労働者の就業に関して妊娠中及び出産後の健康の確保を図る等の措置を推進することを目的とする。
[後略]
男女雇用機会均等法の運用通達(H10.6.11付女発第168号)
第1 総則(法第1章)
法第1章は、法の目的、基本的理念、男女雇用機会均等対策基本方針等、法第2章及び第3章に規定する具体的措置に共通する基本的考え方を明らかにしたものであること。
(1)法第1条は、法の目的が、第一に雇用の分野における男女の均等な機会及び待遇の確保を図ること、第二に女性労働者の就業に関して妊娠中及び出産後の健康を図る等の措置を推進することにあることを明らかにしたものであること。
(2)「法の下の平等を保障する日本国憲法の理念」とは、国民の国に対する権利として「すべて国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において差別されない」と規定した日本国憲法第14条の考え方を言い、同規定自体は私人間に直接適用されるものではないものの、その理念は一般的な平等原則として法の基礎となる考え方であること。
[後略]
つまり、憲法第14条だけはダメで、具体的な法律が制定されないと民々の関係は規制されないということです。
実際に、日産自動車では、昭和48年に就業規則を改正しましたが、男子の定年は60歳、女子の定年は55歳と差があります。もし、男女の定年に差があるのが違法だというなら、間髪を入れず労働基準監督署の査察が入りそうですが、そんな話は一言も書いてないようです(つまり、この時点では明確に違法ではなかったのでしょう)。そして、二審敗訴後の昭和54年になって、やっと男女とも60歳定年として差をなくしています。日本を代表する大会社でさえそうなのですから、より小規模の会社なら言うだけナンセンスというものでしょう。(^^;;
参考までに、厚生労働省のサイトから抜粋しておきます。
○ 現行法との関係の整理に関する裁判例
日産自動車事件(最高裁昭和56年3月24日判決)
(事案の概要)
昭和41年、自動車製造を業とするA社は、同業のY社[日産自動車]に吸収合併された。A社の定年は男女ともに55歳であったが、Y社の就業規則では、男子の定年を55歳、女子の定年を50歳と定めていた。A社が吸収合併される際、A社の労働組合は、A社との間で労働条件は原則としてY社の就業規則によるとの労働協約を締結した。
XはA社に勤務していた女性の非組合員であったが、前記労働協約の一般的拘束力が及んだことにより、A社の吸収合併によりY社の就業規則の適用を受けることとなった。
昭和44年1月に、Xは満50歳となることから、前年12月、Y社はXに対して、就業規則に基づき1月末をもって退職を命ずる旨の予告を行った。Xは男女別定年制は無効であると主張し、雇用関係存続の確認等を求めて出訴した。
地位保全仮処分申請の1審及び2審では、男女別定年制の合理性を認めて申請を退けたが、本訴1審及び2審はその合理性を否定し、男女別定年制は公序違反で民法90条により無効とした。これに対して、Y社が上告した。
(なお、本件係争中の昭和48年にY社は就業規則を改正し、男子の定年を60歳、女子の定年を55歳とした。また、本訴2審敗訴[昭和54年]後、Y社は男女とも60歳定年としたが、2審判決の法令解釈に誤りがあるとして上告した。)
(判決の要旨)
Y社の就業規則は男子の定年年齢を60歳、女子の定年年齢を55歳と規定しているところ、右の男女別定年制に合理性があるか否かにつき、原審は、Y社における女子従業員の担当職種、男女従業員の勤続年数、高齢女子労働者の労働能力、定年制の一般的現状等諸般の事情を検討したうえ、Y社においては、女子従業員の担当職務は相当広範囲にわたっていて、従業員の努力とY社の活用策いかんによっては貢献度を上げうる職種が数多く含まれており、女子従業員各個人の能力等の評価を離れて、その全体をY社に対する貢献度の上がらない従業員と断定する根拠はないこと、しかも、女子従業員について労働の質量が向上しないのに実質賃金が上昇するという不均衡が生じていると認めるべき根拠はないこと、少なくとも60歳前後までは、男女とも通常の職務であれば企業経営上要求される職務遂行能力に欠けるところはなく、各個人の労働能力の差異に応じた取扱がされるのは格別、一律に従業員として不適格とみて企業外へ排除するまでの理由はないことなど、Y社の企業経営上の観点から定年年齢において女子を差別しなければならない合理的理由は認められない旨認定判断したものであり、右認定判断は、原判決挙示の証拠関係及びその説示に照らし、正当として是認することができる。そうすると、原審の確定した事実関係のもとにおいて、Y社の就業規則中女子の定年年齢を男子より低く定めた部分は、専ら女子であることのみを理由として差別したことに帰着するものであり、性別のみによる不合理な差別を定めたものとして民法90条の規定により無効であると解するのが相当である(憲法14条1項、民法1条ノ2参照)。これと同旨の原審の判断は正当として是認することができ、原判決に所論の違法はない。右違法のあることを前提とする所論違憲の主張は、その前提を欠く。
出典:http://www.mhlw.go.jp/shingi/2005/02/s0208-2c2.html
【H19.6.1追記】
No.1553 O型男性の匿名希望さんから
H19.5.31 21:57
1.面白いですか?
全然(--;)
2.お気に入りのページ
kikulogへの感想
3.血液型と性格の関係は?
ない
4.メッセージ:
kikulogへの感想ではやっぱり自分に都合の悪い部分は完全にスルーですね
話は「まずABOFANさんは何を主張しているのか」ってところで止まってるんです。
ここが解決していない以上、「何も議論は始まっていない」のです。きくちさんのコメントにもそこらじゅうに書いてありますね。
議論が始まっていない以上、根拠も出典の明示もできるわけがありません。
> 別に知らなくともいいのですが、それできちんとした批判ができるとは思えません。そう感じるのは私だけでしょうか?
とも書かれていますが、そもそも「きちんとした批判」は必要とされていません。「きちんとした批判」は「きちんとした主張」に対してしか行えないからです。
「能見説はおおむね正しい」なんてのは全然きちんとした主張じゃないわけ。これは能見の書籍を読んでるかどうかなんて関係ない(もし私が熟読してたとしても、「おおむね」ってどこが正しくてどこが間違ってるんだよ、と聞き返すでしょう)。こういう点が「それ以前の問題」だと言われているわけです。
しかしまあ、そこをほっぽり出して、こっちで必死にkikulogへのネガティプキャンペーンとはね。
しかもマイナスイオンの有名トンデモサイトまで引用してるし。で、「内容が正しいのかどうかは正直わかりません。(^^;;」だって???
あなた本当に理系ですか?
「大学の理系学部を出ている」という意味の理系で、吉岡氏がデタラメであるという判断ができないっていうのはありえないんですが。
ABOFANさんは「理系」という単語を「小学生の頃どっちかといえば理科や算数の方が得意だった」という意味で使っている、というのならそれでも構いませんが、とりあえず安井先生のページぐらいは読んでください。
http://www.ne.jp/asahi/ecodb/yasui/MinusM-Yoshi.htm
メールありがとうございます。
> 話は「まずABOFANさんは何を主張しているのか」ってところで止まってるんです。
これはあり得ないはずです。なぜなら、私の主張は、「否定論の否定」ではなく(性格心理学で血液型と性格に)「関係があるという条件を満たしたデータ」を示しているだけだからです。
「関係あるという条件を満たしたデータ」というのは、代表的な性格心理学の論文を読めばわかるはずで、具体的には「完全なランダムサンプリング」「複数回安定したデータ」「多くのサンプル」です。
ですから、本当に私が「何を主張しているのか」わからない、というこであれば、性格心理学の論文を読んでいないか(確かにそうかもしれません…)、本当はわかっているがわかってないフリをしている、といった可能性ぐらいしか考えられませんが?
#まさか、頭が悪いからわからない、ということはないでしょう。(苦笑)
> 「能見説はおおむね正しい」なんてのは全然きちんとした主張じゃないわけ。
能見さんの本を熟読していない人には、「能見説はおおむね正しい」という説明をしても混乱するだけなので、既に撤回したしたつもりですが?
> もし私が熟読してたとしても、「おおむね」ってどこが正しくてどこが間違ってるんだよ、と聞き返すでしょう。
???
熟読されていないのですよね?
熟読しているなら、初めからこんなことを言うはずがない、と私は堅く信じています。
繰り返しますが、意味は#185に書いているとおりです。
#185. ABO FAN — May 11, 2007 @21:47:48
#140の続きです。
まず、「能見正比古さんの主張は(概ね)正しい」という意味を説明する必要があるようですね。
> 「おおむね正しい」の「おおむね」とはどういう意味か、です。
「概ね正しい」を言い換えれば、正しくないこともある、ということになります。
私は2つの意味で使っています。
1.能見正比古さんの主張は正しくない場合もある
2.能見正比古さんの主張は正しいかもしれないが、私が検証していない部分も多い
では、どの部分がそうなのか具体的に説明しろ、ということになるでしょうが、そうなると議論が拡散することは目に見えているので、代表例を挙げるだけにとどめておきます。
例えば、1.ですが、能見さんはO型が人類最初の血液型と主張しています(これは一昔前のムーラントの主張)。しかし、現在では遺伝子の解析からA型が最初の人類血液型とされています。
2.では、私は能見さんのような波瀾万丈の人生経験はしていませんし、また全てのデータの追試をしているわけでもありませんから、少なくない部分が未検証のまま残っています。(^^;;
これでもわからないなら、その人は私の定義では「能見さんの本を熟読していない人」です。(^^;;
> こっちで必死にkikulogへのネガティプキャンペーンとはね。
???
私はネガティブキャンペーンとは思っていませんが?
仮にそうだというなら、“ネガティブキャンペーン”の効果が上がっているのが前提かと思いますが?
> とりあえず安井先生のページぐらいは読んでください。
菊池さんが直接反論している部分はないのでしょうか?
菊池さん以外のページだけを紹介されても、それほど意味があるとは思いませんが?
最後に素朴な疑問を呈しておきます。
今回のメールで、私の主張に対して具体的な反論がない(?)というのは、そもそも反論するつもりがないということでしょうか?
メール(その2) H19.6.1 2:18
kikulogのコメント欄にそのものズバリの返答があったのでコピペです(#414より)。きくちさんすいません。
>
ええ、そこが奇異な点で、ABOFANさんの言葉を文字通り捉えると、「関係あるという条件を満たしたデータ」を示しているだけ、というのが「主張」ということになってしまいます。
> しかし、それは主張でも自説でもありません。
>
>
「データがある」というだけなら、僕たちは「へえ、そうですか」で終わってもいいんです。主張がないのだから、それ以上言うことはない。「データがあるから血液型と性格は関係する」という主張なら、「ではそれは、どういう関係ですか」という質問から議論を深めることができます。
> 「データがある」では議論にもなんにもならない。
ということです。
一応皆さんは「ABOFANさんは血液型と性格に関係があるという主張をしているはず」という前提で話をしているはずなんですが、本当に「データを示しているだけ」というのが主張なら、この前提が間違っていたということで良いですかね。
ならばなおさら何も言うことはなくなるんですがね。何しろ「関係があるという主張」をしていないんですから。
おまけ。
>菊池さん以外のページだけを紹介されても、それほど意味があるとは思いませんが?
ABOFANさんは、「kikulogを批判しているから」吉岡氏のHPを紹介したものだと思っていましたが?
吉岡サイトのトンデモ記事には、きくちさんのブログでのマイナスイオンに関するエントリーへのリンクがたくさん貼られています。であれば当然リンク先のエントリに飛んで議論は読んでいると思っていましたよ。
再度、メールありがとうございます。
> 何しろ「関係があるという主張」をしていないんですから。
???
私は、性格心理学をベースに「関係あるという条件を満たしたデータ」を示しているだけです。まさか…ですが、それが「血液型と性格に関係があるという主張」でないというなら、たぶんその人は、心理学の論文も、性格心理学の入門書も、能見さんの本も読んだことはないのでしょう…。論理的にそうなりませんか?
> ABOFANさんは、「kikulogを批判しているから」吉岡氏のHPを紹介したものだと思っていましたが?
半分は正しく、半分はそうではありません。批判しているというのはそのとおりですが、数多くのHPの中から吉岡さんだけを紹介したのは、私自身が面白いと思ったからです。もっとも、私はマイナスイオンについては素人なので、どちらの主張が正しいかわかりませんけど(苦笑)。
ところで、菊池さんは吉岡さんの質問には(たぶん?)答えてないのでしょう。まさにそこが、私との議論とパターンが一緒だと思ったので紹介したのです。
また、私が(少なくとも現時点で)関心があるのは、吉岡さんと菊池さんとの議論だけで、他は特に興味はありません。
最後にまた素朴な疑問を呈しておきます。
今回のメールで、私の主張に対してご自身の具体的な反論がない(?)というのは、そもそも反論するつもりがないということでしょうか?
【H19.6.4追記】
No.1556
O型男性のまたまた、菊池さんwさんから
H19.6.2 13:17 [4通を1つにまとめました]
1.面白いですか?
とっても(^O^)
3.血液型と性格の関係は?
ある
4.メッセージ:
きくち June 1, 2007 @18:29:49
http://www.cp.cmc.osaka-u.ac.jp/~kikuchi/weblog/index.php?UID=1179852154#CID1180690189
> >自分の過去の経験で痛い目にあった血液型の人はなんとなく避けてしまう
>
>などというのは、理由のない差別です
「過去に乱暴された男と同じ血液型」の男との付き合いを、自己責任で避けたら、差別なのかよ?
もはや科学の名を借りた暴力だな
−−−−−
> >自分の過去の経験で痛い目にあった血液型の人はなんとなく避けてしまう
>
>などというのは、理由のない差別です
トラウマに対して、あまり合理的でない反応をしてるだけで
差別呼ばわりだもんなあ。
これがニセ科学批判どもの科学主義でしょう。
−−−−−
稲葉振一郎 先生 と kikulog
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/sociology/1165139599/785
> オマエのちっぽけな実存なんか豚も食わねぇよ。
> 科学の「来歴」に信頼を寄せるのは当然だろ。
そんなんだから、『科学を名乗る非科学』を間違って
真に受けてきたんだねえ>スネオ君
> それから血液型で先入観を持つのは差別です。
> それは差別行為を差別と名指しただけの事。
> 差別が必ずしも禁じられるべきだと言ってるのではないのはわかるよね?
あっそ。菊池&稲葉のターミノロジー(www)では
差別って合理的でないってだけで必ずしも悪いことで
ないんだね。 ふーん、差別しても別にいい、ってこと
だな
インタラクティヴ読書ノート別館の別館
http://d.hatena.ne.jp/shinichiroinaba/
−−−−−
http://www.cp.cmc.osaka-u.ac.jp/~kikuchi/weblog/index.php?UID=1179852154#CID1180871196
> 「建前」は「建前」として尊重する必要があります。その上で、「そうは言っても現実には・・・」という「いいわけがましい話」ならわかります
あることが尊重されるべき建前であるか、どうかはそのときどきの状況で変わるものですよ
『人事担当者』が説明会で採用方針を『説明』するときには尊重
した方がいい建前が、そのまま「社内の会議」でも尊重した方が
いいかどうかは分からないし。ましてや、ネット上の発言で尊重
すべきとは、非常に考え難いことだねえ。
メールありがとうございます。
【H19.6.10追記】
No.1561 AB型女性の
菊池さん、もういい加減にしたら?さんから
H19.6.5 10:34
1.面白いですか?
とっても(^O^)
3.血液型と性格の関係は?
ある
4.メッセージ:
> >ドーキンスのように躍起になって神を否定する必要は科学にはないはずです。
>創造論が信仰の範囲に留まるなら、ですね。創造論が教育や政治にかかわりだしたら、否定せざるを得ない。
http://www.cp.cmc.osaka-u.ac.jp/~kikuchi/weblog/index.php?UID=1118068989#CID1181003617
>大学の宗教生活および教育の完成を助けること
http://www.icu.ac.jp/abouticu/christianity.html
創造論が【科学として】教育や政治にかかわりだしたら、
否定せざるを得ない。
というならいいがなw
マイナスイオンだってそうだぜ。科学として宣伝に使われるなら
否定、というのは分かるけど、【キャッチーなフレーズ】として
使うことも否定ですか?ああ、そうですか?w
メールありがとうございます。
No.1562 女性のkikulog-neさんから
H19.6.6 3:24 [3通のメールをまとめました]
1.面白いですか?
とっても(^O^)
3.血液型と性格の関係は?
ある
4.メッセージ:
kikulog-ne
塩川伸明:「読書ノート」
>
「どのような現象を扱って」いるのかということを明らかにすること自体が難しい――何をとりあげ、それをどのような現象と捉えるかということ自体が争点であり、論争当事者間で共通了解がないために、言葉もなかなか通じない――ということが珍しくない。
>
「そのテーマについてより深い知識を身につけるためのはっきりとした道が用意されている」というのも、既に確立した学問分野において、「初等編」「中等編」「高等編」といった教科書があるような場合には当てはまるが、その分野そのものが開拓途上の場合には、そうした「道」は決して「用意されて」などいない。
http://www.j.u-tokyo.ac.jp/~shiokawa/ongoing/books/sokal.htm
−−−−−
> ABOFAN氏はどうも「血液型差別は法律違反」という判決が明示的に出るまでは「悪くない」という立場
http://www.cp.cmc.osaka-u.ac.jp/~kikuchi/weblog/index.php?UID=1158225244#CID1181234781
普通、差別は悪いことを指すんですよ。
問題は「血液型で人を区別すること」は常に差別であるとは限らないということだよ。
「性別」で人を区別することは常に差別であるとは限らない
−−−−−
この人、ほんとどうしようもないですね
「法的に違反」であることと「倫理的に悪」であることとは別物
日本国憲法を持ち出して「法律違反だ」と言い出したからそれに
疑義を挟んだ訳だ
ニセ科学批判って本当にクダラナイですね
メールありがとうございます。
kikulogにも書きましたが、初めは憲法上「根拠」があるかどうかだったはずですが?
「法律違反」と「倫理的に悪」は基本的に別物でしょうし…。
【H19.7.2追記】
No.1652 メール(その2) H19.6.8 10:52
[複数のメールを1つにまとめました]
> ABOFAN氏はどうも「血液型差別は法律違反」という判決が明示的に出るまでは「悪くない」という立場
http://www.cp.cmc.osaka-u.ac.jp/~kikuchi/weblog/index.php?UID=1158225244#CID1181234781
普通、差別は悪いことを指すんですよ。
問題は「血液型で人を区別すること」は常に差別であるとは限らないということだよ。
「性別」で人を区別することは常に差別であるとは限らない
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この人、ほんとどうしようもないですね
「法的に違反」であることと「倫理的に悪」であることとは別物
日本国憲法を持ち出して「法律違反だ」と言い出したからそれに
疑義を挟んだ訳だ
ニセ科学批判って本当にクダラナイですね
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血液型であろうが、何であろうが差別は悪いことだ、というのは共通見解でしょう。
「血液型で人を区別することは必ず差別なのか?」と言えば違うでしょう。
ところで、血液型は
>「人種、民族、社会的身分、門地、本籍、出生地その他社会的差別の原因となるおそれのある事項」
には該当しないと思いますね。血液型って
>社会的身分(先天的原因に基づく社会的地位)
に関連してるんですかね?ほとんど関係ないと思うが?
http://www.jil.go.jp/kobetsu/book/4.html
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kikulog の印象操作は酷すぎますね
【AB型ならば、結婚します】と契約することが違法であるからと言って
AB型であることを判断の材料に【結婚します】と契約することが違法に
なる訳でもなければ、ましてや「倫理的に悪」になる訳でもない
これが、ニセ科学批判なんだろうねえ
−−−−−
【東大卒ならば再雇用する】という契約とか
【関西人ならば再雇用する】という契約とか
これらは違法。
だからと言って、個々に
東大卒であることを判断材料にして再雇用することとか
関西人であることを判断材料にして再雇用することとか
が違法になる訳でない。
判断材料にしたことが法的に示されたとしてもね。
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ニセ科学批判はダブスタ:
自己の感情を独自の表現で著わした私信の無断公開は、
厳密に言えば著作権の侵害に当たるんだがなあ
俺は法的なことはあまり気にしないが、ニセ科学批判の
人達って他人(ニセ科学?)の「法的な」侵害行為には
うるさいのに、自分達の『もっと酷い同系統の行為』は
スルーな訳よね
ほんとどうしようもない
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>科学の議論は「勝ち負け」ではない
http://www.cp.cmc.osaka-u.ac.jp/~kikuchi/weblog/index.php?UID=1181694301
>ABOFANさんは負けませんよ。ただ、「負けない」ことと「勝つ」こととは全然違うんですけど。ABOFANさんは勝負を始めもしない
http://www.cp.cmc.osaka-u.ac.jp/~kikuchi/weblog/index.php?UID=1158225244#CID1181058489
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血液型診断を批判したいなら、血液型診断の駄目なとこを
指摘しなきゃ
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企画部経営企画ユニット
> 本学では、「山形大学基本構想委員会」を設置し、学長を中心に、各種評価への対応を行っています。
http://www.yamagata-u.ac.jp/jpn/yu/modules/university1/index.php?id=10&yu_m=1_10
山形新聞
> やまがたニュースオンライン
http://www.yamagata-np.jp/
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kikulog-ne
また、キクログ氏がトンデモ憲法解釈を披露していますね。
http://www.cp.cmc.osaka-u.ac.jp/~kikuchi/weblog/index.php?UID=1158225244#CID1181899130
>憲法の人権規定は私人間における人権侵害にも「適用される」
>「血液型による雇用差別は憲法14条に違反する」と言う人の方が、遥かに人権概念を理解している
問題は、
1.血液型の申告を判断材料にして、採用不採用を決めたら
人権侵害になると憲法は規定しているか?
2.卒業大学を判断材料にして、採用不採用を決めたら
人権侵害になると憲法は規定しているか?
3.出身(育った県)を判断材料にして、採用不採用を決めたら
人権侵害になると憲法は規定しているか?
4.血液型の申告を判断材料に、結婚相手の候補から排除する
ことは、人権侵害であると憲法は規定しているか?
5.卒業大学を判断材料に、結婚相手の候補から排除する
ことは、人権侵害であると憲法は規定しているか?
6.出身(育った県)を判断材料に、結婚相手の候補から排除
することは、人権侵害になると憲法は規定しているか?
きくち June 1, 2007 @18:29:49
http://www.cp.cmc.osaka-u.ac.jp/~kikuchi/weblog/index.php?UID=1179852154#CID1180690189
> >自分の過去の経験で痛い目にあった血液型の人はなんとなく避けてしまう
>
>などというのは、理由のない差別です
へえー、それって「人権を侵害」してることになるんだ?www
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ニセ科学批判って、本当にどうしようもないですねw
日産自動車事件
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
>合併前の会社は男女とも55歳定年だったが、新しい勤務先となった会社は就業規則で定年を男性55歳、女性50歳と定めていた。そして、満50歳となった原告は1969年1月末で退職を命じられた。
>厚生年金保険については当時、支給開始年齢が男女で差があり、これは被告企業の主張の一つでもあったのだが、最高裁判決ではこれについての正当性の判断は示されなかった。
私人間効力
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「法の精神」ねえ。ふーんw
>まともな文書でないクレームには一切対応しません。ってか対応すると逆にまずいでしょう。
>法的根拠のないことをすることになるわけで。
http://www.cm.kj.yamagata-u.ac.jp/blog/index.php?logid=5434
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kikulog-ne
○羽掲示板係争中
お茶の水女子大学を神戸地裁に提訴しました
http://www.minusionwater.com/ochaacjp.htm
ゲストブック兼掲示板
http://atom11.phys.ocha.ac.jp/bbs01/list.php
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「憲法解釈論」を勝手にご自分の主張(血液型で区別することは差別である)に繋げてしまっているように思いますけど…。
1.他の区別と同様に血液型で区別することは差別になる可能性はある
2.他の区別と同様に血液型での区別も、どのようなとき差別になるのか、ならないのか。
具体的に憲法で規定されている訳ではない
が正しいと思います。間接適用の話は、単に
民事契約上の区別(例えば就業規則の定年)が【もし差別に当たるならば】それは違法である
ということであって「血液型で区別することは差別である」と憲法が言っているという話では全くありませんよね。
メールありがとうございます。
前回書いたように、初めは憲法上「根拠」があるかどうかだったはずですが?
刑事事件なら、法律に明文で書いていない限り、「疑わしきは罰せず」なはずですし…。
■疑わしきは罰せず
in dubio pro reo ラテン語
刑事訴訟において、被告人が有罪だということに「合理的な疑い」が残らないほどまでに、検察官が証明しなければ、裁判所は被告人を有罪にしてはならないという原則を示す法諺(ほうげん)。「疑わしきは被告人の利益に」ともいう。その萌芽(ほうが)はすでにローマ法にみいだすことができるが、刑事訴訟においてこの原則が確立するのは、近代になって人権の尊重が強調されるようになってからである。被告人は「無罪の推定」を受けるという原則と同じ意味をもつ。フランス革命の際に発せられた人権宣言は、「すべての者は、犯罪者と宣告されるまでは、無罪と推定される」(9条)と規定し、世界人権宣言(1948)も、「何人(なんぴと)も……法によって有罪が立証されるまでは、無罪の推定を受ける権利を有する」(11条)として、この原則を明言している。なお、「一人の罪なき者を罰するより10人の罪人が免れたほうがよい」Better
ten guilty escape thanone innocent sufferという格言も同様の意味で用いられる。→法諺〈大出良知〉 (C)小学館
もちろん、一般の法律では、過去に遡及して適用することこともありません。
■遡及効
ある法律要件が、要件事実の発生以前にさかのぼって効果(効力)をもつこと。法領域では、遡及効を認めることは法的安定性を害するところから、遡及効は原則として認められない。ただ、たとえば法律行為の取消(民法121条)、時効(同法144条)などのように、とくに法律が遡及効を認めた場合は例外である。とくに問題となるのは、新たに制定された法律が、その制定以前の事実にさかのぼって適用されうるか、である。この点につき、法治主義のもとでは、法律の遡及効を禁止するのが原則となっている。これを法律不遡及の原則または事後法禁止の原則という。
ただ、この原則は、事後法により関係者が不利に扱われる場合であって、有利な場合には妥当しない。このことがとくに問題になるのは、刑罰法規の遡及的適用が許されるか、である。近代刑法の基本原則の一つに罪刑法定主義があるが、その派生原理として刑罰法規不遡及の原則があり、憲法第39条もこの原則を採用している。〈
(C)小学館
以上の原則から、民法第90条の「無効」ということになったのだと思われます。
また、kikulogの議論の感想ですが、立法者の視点が明確ではない(?)と感じています。男女雇用機会均等法が制定されたのは、現行法制度の枠組みでは、男女の雇用機会が均等にならないので、新たな法律の整備が必要、と考えられていたからでしょう。なぜなら、憲法や民法第90条だけで十分なら、(立法者の立場からすると)初めからこんな法律を制定する必要はありませんからね…。まぁ、考えてみれば当然ですが。
ですから、意地悪な見方をすると、男女雇用機会均等法施行以前は、「グレーゾーン」の男女差別があったということでしょう。なにしろ、法律に明確に禁止規定がないのだから、おかしいと感じても禁止しようがありません。外国ならともかく、日本では提訴するというはよっぽどのことですかららね。(^^;;
念のため、この法律の第1条と第2条を紹介しておきます。
(目的)
第1条 この法律は、法の下の平等を保障する日本国憲法の理念にのつとり雇用の分野における男女の均等な機会及び待遇の確保を図るとともに、女性労働者の就業に関して妊娠中及び出産後の健康の確保を図る等の措置を推進することを目的とする。
(基本的理念)
第2条 この法律においては、労働者が性別により差別されることなく、また、女性労働者にあつては母性を尊重されつつ、充実した職業生活を営むことができるようにすることをその基本的理念とする。
第1条を逆から読むと、法の下の平等を保障する日本国憲法の理念があったとしても、この法律がない限り「雇用の分野における男女の均等な機会及び待遇の確保」が図れない可能性がある、ということになります。
第2条も同じで、この法律がないと「労働者が性別により差別される」可能性があることになります。(^^;;
普通は遡及適応をしないのが原則なので、つまりこの法律の制定以前には、男女差別が存在し、かつ明確に違法ではないケースがあった(?)ということになります。
ということですから、血液型に関しては、「血液型雇用機会均等法」といった法律がない以上、「グレーゾーン」の差別が存在しても別に不思議ではないことなります。
もちろん、私は血液型差別を肯定しているわけではありませんので、念のため。
No.1564 O型男のSNさんの印象操作。さんから
H19.6.11 0:48 [2通のメールをまとめました]
1.面白いですか?
とっても(^O^)
3.血液型と性格の関係は?
ある
4.メッセージ:
>占いなどで経営判断する経営者がい(るようですが)て、会社に損害を与え、占いによる経営がばれたら、従業員や株主によって法的(民事)な責任を追求されますよね。
占いによろうがよらなかろうが、損害を与えたことが法的に証明されれば、法的に責任を追及できます。
血液型も同じだ。占いだから駄目なんじゃなくて、損害を与えたから駄目なんだろうが。ほんと、どうしようもないなあ。
−−−−−
【AB型ならば結婚(or再雇用)します】という契約を結ぶことは違法だが、
AB型であることを判断材料として【結婚(or再雇用)します】という契約を
結ぶことは違法ではない。そういうことでしょ
前者が違法だからと言って、後者が違法であることにはならないよねえ
「血液型による区別」って普通、後者みたいなことを言うんじゃないのかな
何度も言うように「血液型で区別することは差別に当たる場合がある」ということと「血液型で区別することは差別」というのは全く別の話なんだが
メールありがとうございます。
No.1566
B型女性の時代は菊池誠先生さんから
H19.6.13 19:27
4.メッセージ:
>このページでは
http://www.mainichi-msn.co.jp/chihou/yamagata/archive/news/2007/05/11/20070511ddlk06040281000c.html
のキャッシュを表示しています。
ふむふむ
>女性がそれらのメールを自身のページで公開すると、男性は女性がHPを開設する国立大学にも再三メールで削除を要求。
これは正当な行為。
>ネット上で女性に「変態科学者」「オバタリアン」などと中傷を繰り返した。
これが問題になったのね。
>HPを開設する大学や所属する山形大にも迷惑をかけたことも重視して提訴したという。
問題部分に託けて、正当な行為を抑止しようとするのがニセ科学批判のニセ科学批判たる所以だよねえ
メールありがとうございます。
【H19.7.15追記】
kikulog-neさんからのメールのページをオープンしました。今後のメールは、そちらへ掲載します。
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おまけ
志水一夫さんの『宜保愛子イジメを斬る!!』には、疑似科学を否定する大槻さん(現在は早稲田大学名誉教授)を批判するこんな文章が掲載されています(80〜81ページ)。
さて、ご存じのように[大槻]キョージュは、もし超能力の存在が証明されたら早稲田大学の教授を退職する称して、辞表を持参し、しばしばTVや週刊誌などで見せびらかしており…
言っちゃ何だが、これ、よくある陳腐なトリックである。アメリカには、この種の宣言をしている人が少なからずいる。
ナチスのユダヤ人虐殺を立証した人[注:つまり立証責任です]には100万ドル進呈します、といった類だ。
しかし、こういう場合は、結局その人本人を納得させうるような証拠を提出するというのが条件なので、何が出てこようとも「まだまだ、そんなものは証拠の内に入らない」とさえ言っていれば、彼は賞金を払う必要はないし、それでいて世間には、いかにも彼の主張が正しくて、例えばナチスのユダヤ人虐殺には明確な証拠がないような印象を与えることができるというわけである。
しかも、すでに述べたように(「物理の基本原則に反する」ので)何があっても超能力は認めないというのだから、両方表のコインで賭をしているようなものである。
大槻さんは、血液型にも否定的です。しかし、『通販生活』などに掲載された否定の論理は、否定論者の心理学者にも(あまりにも強引だと)疑問視されているのが現状です。ヒトダマの研究で有名になった科学者らしくはないと思うんですが…。
私は超能力を信じているわけではありませんが、あまりにもヒステリックな否定論には反発を感じます。データを見ると、一般の人もそのようです。つまり、「科学真理教(?)」は説得の方法としては逆効果なのです。こんなことをしても、決して科学の進歩には貢献しないと思うんですが…。
もちろん、kikulogがそこまでヒステリックだ、というつもりはありません。しかし、一読すると、「血液型と性格」の論文も能見さんの本も全く読んだことはないが、心理学者が否定しているから私の主張は間違っているに違いない、という雰囲気を感じられなくもありません。
私が言うのもどうかと思いますが、もう少し心理学者の論文を読んでいただければ、議論がスムーズに進むと思うんですが…。マイナスイオンとのギャップを感じるのは私だけでしょうか?
-- H19.5.20
ホームページへ
最終更新日:平成24年7月30日
E-mail: abofan@js2.so-net.ne.jp
> 僕は物理学者ですから、性格心理学についてはとおり一遍の知識しかありません。
はい、お答えありがとうございます。ただ、なぜか私の質問には答えていただけないようです。
しつこいようですが、再度質問させていただきます。
能見(正古比)さんのどの本を読まれましたか?
というのは、「能見説」について一生懸命説明したつもりなのですが、どうも共通理解を得られていないようです。
きくちさんがどの程度の予備知識があるのかわからないと、私はこれ以上どのように説明すればよいのか迷ってしまいます。
どうかよろしくお願いします。
また、心理学者の論文は、どの論文を読まれましたか?
これも同様の理由です。
どうかよろしくお願いします。