以前に、否定論者の自己矛盾というページを作りました。内容は極めて単純明快で、なんでこんな簡単なことに今まで誰も気が付かなかったのか 、 という話です。
どうも、これ以後は否定論者の反応が変わってきたようです。もっとも、私の気のせいかもしれませんが…。f(^^;;
一応、大きく分けてみると、次の3つです。
1.まだわかりますよね。いままでは、あれだけ「統計的な根拠はない」、つまり心理学の性格テストでは意味のある差が出なかった、いやFBI効果のせいだ、と言っていた人は、奇妙なことにほとんど沈黙してしまいました。
#もちろん、全くなくなったわけではありません、念のため。
2.は奇妙な反応です。「科学的な根拠」を求められたら、心理学自身が崩壊してしまいます。なぜなら、「心」の存在はまだまだ(自然)科学的に解明されていないからです。例えば、UFO(正確には空飛ぶ円盤や宇宙人の宇宙船ですが…)や霊と同じで、これらは科学的に存在するかどうかわからないのですから、 初めから存在を前提とした「科学的な根拠」の話ができるはずがありません。「心」も同じことです。
#例えば、行動心理学ではそんな立場を取っています。
3.は…なぜなんでしょうね。急に忙しくなってしまうのでしょうか…。(苦笑)
しかし、最近は第4の反応もあるようです。それは血液型ごとに1%ぐらい(?)の差はあるかもしれないが、日常生活で利用できるほどの「強い関係」はない、という主張です。
最近では─私の知る限り─岡山大学の長谷川さんや、大阪大学の菊池さんがそう主張しているようです。
一見、この主張は正しそうに思えますが、実は必ずしもそうではない、というのが私の意見です。
皆さんも、知的ゲームとして私の反論を楽しんでみてください。
なお、残念ながら、否定論者の自己矛盾ほどはわかりやすくはありません。少々数学が苦手な方のために、結論を要約して書いておきましょう。いや、もっと正確に知りたい、という人はぜひぜひ全部通して読んでくださいね。v(^^)
結論の要約
ここでは、わかりやすいように、「ルールや慣習や秩序を重視する」と回答した人の比率で考えることにします (詫摩武俊・松井豊 S60 血液型ステレオタイプについて 東京都立大学人文学報 第172巻 15〜30ページ)。
最初にデータを示しておきます。
血液型 回答者数 比 率 O 29.7% 57.7% A 36.7% 54.7% B 22.5% 50.7% AB 11.1% 41.2% 合計 613人 −
ほぼ予想どおり、O≒A>B>ABの順になっています。
思ったより差が小さいと思う人もいると思います。この程度の差で「強い関係」と言えるほどの差が出るのでしょうか? これは確かに問題ですね。さてどうするか? 実は、この程度の差でも「 強い関係」と言える差が出ると考えるのが自然です。というのは、平均を中心に正規分布のグラフを書いてみると分かりますが、ある基準以上(または以下)の人の割合は血液型によって数十パーセントは違うからです 。具体的には、BやCより大きい部分だけで比較すれば、確かに「強い関係」はあるといえます。下がそのイメージ図です。本当は数学的に厳密にいうと違うのですが(AB型の41.2%のところやO型の57.7%がピークになる保証はありません)、わかりやすくするためにわざとそう書いています。
では、本番スタート!
実は、この4番目の主張、つまり血液型と性格の「強い関係」のみ否定している人は─私の知る限り─かなりの少数派でした。具体例として、岡山大学の長谷川さんの例をピックアップしておきましょう。というか、私は長谷川さんしか思い浮かばないのですが…。f(^^;;
批判的思考のための「血液型性格判断」(PDF形式) (2005年発表 13〜14ページ太字は私)
筆者は、自らが開設している
Web サイト「血液型性格判断資料集」*2 において、「血液型」論議は、レベル1:統計的には有意であるが実用的には役に立たない程度の僅かな差が見られるのかどうか、という学術レベルの議論
レベル2:実用的価値があるほどの顕著な差が見られるのかどうか、という日常生活への応用可能性についての議論
レベル3:生まれつきの属性(性別、血液型、人種など)と結びつけて他人を判断してしまうことの不当性はないか、という人権に関する根本的議論という
3 つのレベルのそれぞれにおいて議論すべきであると主張している。このうち、レベル3の危険性については、すでに3.(1)に記した通りである。かつて優生学がナチズムや人種差別などに利用されたように、また現に、戦前において血液型者の優劣や犯罪傾向などが調査された(大村
, 1998)ことからも示唆されるように、偏見・差別を助長しないように十分な配慮が求められる。しかし、すでに述べたように、差別につながるから止めましょう、と自粛を呼びかけるだけでは、レベル2やレベル1の信奉者の固定観念を変えることはできない。批判的思考という視点からの地道な働きかけがどうしても必要である。
次に、「血液型」論議がしばしばすれ違いに終わるのは、レベル1とレベル2の取り違え、もしくは意図的な論点のすり替えに起因していることが多いように思う。
例えば「心理学者は血液型と性格の関連を否定している」などとよく言われるが、これは、レベル2における否定論であって、レベル1の「僅かな差の可能性」を頭ごなしに否定しているわけではない
*1。「血液型と性格は関係があるかもしれないが、人間の行動はそれだけで決まるものではない。他の多種多様な要因が複雑に働いている以上、血液型だけでタイプ分けするのは間違っている」と主張する場合も同様である。この場合も、レベル1における「僅かな差」については肯定も否定もしていない。レベル2における否定論を展開しているのである。
*1
批判的思考についての定まった定義はないが、いっぱんに(
1)物事を一面的ではなく、多面的に見たり考えたりすることができる、(2) 問題を解決するのに、いろいろなやり方を考え、試そうとする、(3)自分の考えに固執せずに、論理的な正しさや客観性を重視する、といった特徴をもつ思考・判断のことを言う。ゼックミスタ・ジョンソン(1996)ほか参照。
なお、2004 年2 月8 日に、京都大学百周年時計台記念館で「批判的思考の認知的基盤と実践ワークショップ」が開催され、批判的思考の定義や、大学教育への導入をめぐる様々な問題について議論された。長谷川の参加報告がhttp://www.okayama-u.ac.jp/user/le/psycho/member/hase/journal/psy-rec/_40208/index.htmlにある。*2
http://www.geocities.jp/hasep2004/bloodtype/index.html [注:現在のURLに修正]
そういえば、以前はこんなことを主張していたはずはないなぁ〜と思って、ちょっと調べてみました。
正確を期すために、きちんとした文献から引用しておきます。1994年の『現代のエスプリ〜血液型と性格』の中で、長谷川さんはこういう意見を述べています(128ページ 『目分量統計の心理と血液型人間「学」』 長谷川芳典 太字は私)。
「血液型と性格は関係がない」という作業仮説のもとに地道にデータを集め、ある性格的特徴について明らかに血液型との関係を示すようなデータが安定的に得られた時に初めてこの仮説を棄却するのである。これこそが、雑多な変動現象の中から帰納的に規則性を見い出そうとするときにとるべき科学的態度である。
言うまでもなく、これが代表的な主張です。ここでは「強い関係」かどうかは明記していません。
また、否定論者の心理学者である渡辺芳之さんは、同じ『現代のエスプリ〜血液型と性格』で次のように書いています(188ページ 『性格心理学は血液型性格関連説を否定できるか〜性格心理学から見た血液型と性格の関係への疑義』 太字は私)。
これまで何人かの心理学者が、 血液型と性格との関連を実証的方法で反証し、血液型性格関連説を否定しようとしてきた。ここで注目されるのは、彼らが血液型性格関連説を「科学的方法によって反証可能な理論」、すなわち科学的理論とみなしていることである。この点でそれを「非科学的な迷信」とみなして無視した従来の心理学者とは異なる。
しかし、論文を一読すればわかるように、彼らの多くは「血液型性格関連説は間違っている」というアプリオリな立場を持っており、それを実証するために研究を行なっていることもまた確かである。
ここでも、「強い関係」かどうかは明記していません。強いて言えば、長谷川さんは同書126ページ(太字は私)で、
確率現象の錯覚や統計学的誤用という観点から、血液型人間「学」のからくりを考えてきたわけであるが、これらを指摘したからといって「血液型と性格は全く関係がない」ということにはならない。筆者は、約10年前よりこの問題を取り上げてきたが(7)(8)、その主旨は、第1に、血液型人間「学」と呼ばれる俗説のデタラメな「分析」方法を批判すること、第2に、「血液型と性格」には少なくとも日常性格場面で問題となるほどの相関はないことを反例の形で示すことにあった。純粋に科学的なレベルで「血液型と性格が全く関係ない」かどうかは私にはわからないし、この問題についての科学的研究を妨げるつもりもない。
「純粋に科学的なレベル」の定義については、同書127ページに『「A型はO型より笑い上戸になる確率が1%だけ高い」ということが実証されたとしても現実の人間関係には何の役にも立たない』とありますから、1%程度の差を想定していることになります。
しかし、2005年と1994年で、長谷川さんの主張は微妙に違っているように思えます。
ポイントはここです!
2005年 批判的思考のための「血液型性格判断」
「血液型と性格は関係があるかもしれないが、人間の行動はそれだけで決まるものではない。他の多種多様な要因が複雑に働いている以上、血液型だけでタイプ分けするのは間違っている」と主張する場合も同様である。
1994年 目分量統計の心理と血液型人間「学」
純粋に科学的なレベルで「血液型と性格が全く関係ない」かどうかは私にはわからない
同じじゃないか!と思う人もいるかもしれません。しかし、2005年には「血液型と性格は関係があるかもしれない」という主張が、決して否定的なニュアンスではなく (一部では?既に関係が実証されたように?)明記されています。かつての否定論者では、こんなことは全く考えられませでしたし、以前の長谷川さん(もちろん、全部調べたわけではないので断言はできませんが…)では考えられなかったことです。
#まぁ、それが否定論者の自己矛盾かせいかどうかはわかりませんが…。
最近では、大阪大学の菊池誠さんも、ほぼ同じ内容(?)のことを述べています。例えば、
岐阜県産業技術センター(2007/4/19)資料(太字は私)
3.血液型を考える
血液型性格判断については特に説明を要しない でしょう。ただし、これがなぜニセ科学なのかというその理由は改めて確認しておくべきかもしれ ません。血液型性格判断を批判する人の中には、 性格がたった四つに分類できるはずはないから、そんなものはニセ科学だと主張する人も多いようです。また、赤血球についている糖鎖の微妙な違いなんてものが性格に影響するはずがないという批判も見かけます。残念ながら、どちらも論理的に誤っています。実のところ、原理的には血液型と性格に関連があってもいいし、性格が大きく四つに分類されてもかまわないのです。血液型性格判断が誤りである理由は、あくまでも血液型から性格が判断できるほどの強い関係は発見されていないからです。性格「判断」に使えない程度の弱い関係はあってもよい。いや、原理的には強い関連があってもよかったのですが、それは心理学者の研究によって否定されたということなのです。 とっくに否定されているのに、あたかも科学的事実であるかのように言うのは「ニセ科学」です。
というわけで、血液型性格判断は、原理的にはあり得たが検証の結果として否定されたもの、ということになります。なお、血液型によって脳内物質の出かたに差があるという説もあるようです。そうなのかもしれません。しかし、だからといってそれが血液型性格判断の根拠になるわけではないことに注意してください。血液型と性格を関連づけるメカニズムの説明にはなるでしょうが、メカニズムがあることとその効果が性格の違いとして顕著に表れるかどうかとはまったく別の問題です。僕たちが知っているのは、仮にその効果があるとしても、性格判断に使えるほど強くはないということです。
血液型性格判断など、遊びだからいいじゃないか、という人をよく見かけますが、現実には血液型による就職差別や配属差別なども起きています。お隣の韓国でも最近は血液型性格判断がブームで、激しいB型バッシングがあったと聞きます。もちろん、仮に血液型と性格のあいだに関連があったとしても、それによる差別はあってはならないことです。まして、血液型性格判断は否定されています。差別につながるものであることは認識しておいてください。
正確を期するため、血液型に関係する部分を全文引用させていただきました。
性格がたった四つに分類できるはずはないとか、メカニズムが解明されていないとか、ダメな否定論者の主張も遠慮なく批判しているところはすばらしいですね。(^^)
読めばわかるように、菊池さんの主張のポイントは、「血液型性格判断が誤りである理由は、あくまでも血液型から性格が判断できるほどの強い関係は発見されていない」です。
念のため、kikulogの血液型と性格では、菊池さんはこう述べていますので、ここも引用しておきます。
きくち May 11, 2007 @22:50:50
「集団に属する個人の性質が論じられるほどの強い関連かどうか」という質問で、強さについての基準はだいたいわかるはずですが、具体的には、たとえば集団間の平均の差と集団内の個人差の大小関係で論じることができます。
きくち May 12, 2007 @02:04:56
「集団に属する個人の性質が論じられるほどの強い関連かどうか」は極めて明確で、あいまいではありません。集団間での平均値の差が集団内での標準偏差と比べて充分に大きいかどうかですから、データから導けます。
ここでは「集団の平均的性質にすぎない」か「集団に属する個人の性質についても言える」かが本質的に重要です。なぜなら、ABOFANさんはサイト内で「人間関係にかなり効果がある」という表現で、あたかも「個人」についてもかなりのことが言えるかのように主張しているからです。
「集団の平均的性質にすぎない」のであれば、ABOFANさんの主張は明確に誤りです。
長谷川さんの主張のポイントである、「レベル2:実用的価値があるほどの顕著な差が見られるのかどうか、という日常生活への応用可能性についての議論」とだいたい同じであることがわかるかと思います。
もっとも、厳密に言うと、長谷川さんの「レベル2」と菊池さんの「強い関連」が同じものであるかどうかは、具体的な基準や数値が示されていないので、なんとも言えません。私が考えるに、たぶん、F検定をして有意差が出ればよい、という意味なのでしょう…。
#なお、ここでは、ほぽ同じものとして扱うこととします。
ところで、長谷川さんや菊池さんの主張が現在主流なのかというと、私も判断に迷うところです。が、ともかく、従来主流だった「弱い関係」だろうが「強い関係」だろうが「 関係があるとはいえない」という否定論とは一線を画す主張であることは間違いないでしょう。また、長谷川さんだけではなく、菊池さんも加わったことで、これから一気に主流になるのかもしれません(笑)。
#まぁ、なんとも言えませんが…。f(^^;;
とここまで書いたところで、一応菊池さんの以前の主張もチェックしてしまいましょう。(^^;;
「ニセ科学入門」共同研究「科学と社会」報告書(2004/2)からの抜粋(太字は私)
2.練習問題:血液型性格判断
……
さて、現在の位置づけを簡単に述べよう。心理学の問題としては解決済みで、「血液型と性格が関連するという積極的な証拠はない」ということでよいだろう。つまり、能見説にせよ古川説にせよ、間違っていたわけである。では、古川学説は「ニセ科学」だったのか。いや、学説が出された段階では「ニセ科学」ではなかったはずである。それどころか、「性格が遺伝するなら、同様に遺伝する血液型と関係するのではないか」という推測は、むしろ目のつけどころとしてはよかったといってもいいだろう。
問題は能見説以降、特に心理学の問題としては「関係があるとは言えない」という結論が出てしまったあとの”民間信仰”的ブームである。能見は独自にデータを収集した上で結論を出しているので、科学的に研究しようとしたのだとは思う。しかし、実際には「科学」として通用するものではなかった。”血液型と性格は関連があるはずだ”という前提で議論を続けるのはニセ科学である
……
ところで、血液型に関して「心理学の調査では性格との関連が見つからなくても、実は微かな関係がある可能性は否定できないのではないか」という質問をされることがある。それはもちろんその通りで、よくよく研究してみると弱い関係があるということになるかもしれない。研究する価値もあるだろう。しかし、一般に言われる血液型性格判断はそのような微妙な関係ではなく、「あなたはA型でしょう」とコンパの席で指摘できるほどにはっきりした関係を主張していることに注意するべきである。したがって、上の質問は血液型性格判断とはなんの関係もない。
上には引用しませんでしたが、この報告書には「世界中で日本人ほど他人の血液型を気にする国民はいないらしい。飲み屋で血液型と性格の関連を話題にするのは日本人くらいだろう。」とあります。しかし、2006年の資料では「お隣の韓国でも最近は血液型性格判断がブームで、激しいB型バッシングがあったと聞きます。」全く反対の記述をしています。 気になるのは私だけかもしれませんが…。f(^^;; |
あれ? よくよく読んでみると、微妙にニュアンスが違うようです、
2006年 性格「判断」に使えない程度の弱い関係はあってもよい。
2004年 よくよく研究してみると弱い関係があるということになるかもしれない。
2006年には「関係がある」という何らかの論文を読んでいない限り、「弱い関係はあってもよい」と書くはずがありません。なぜなら、2004年には「弱い関係があるということになるかもしれない」よりは、意味として強いからです。 あたかも、一部では(?)既に関係が実証されたように(?)書いてあるのです。
#単に私の考えすぎなのかもしれませんが…。
更に、長谷川さんも同じように「弱い関係はあってもよい」といったようなニュアンスの文章を書いていたのが気になります。1人だけだったら「言葉のあや」かもしれませんが、2人ともそうですからね。
#これまた、私の考えすぎなのかもしれませんが…。
本当はどうなのでしょうか? 少なくとも私は、かなり気になります。(@_@)
【H20.8.24追記】 菊池聡さん 「自分だまし」の心理学 祥伝社新書121 H20.8 819円(税込) 東京に行く用事があったので、○重洲ブックセンターに寄ったら、菊池聡さんの本が置いてあったので、思わず買ってしまいました。 血液型の話題に戻ると、彼のことですから、相変わらず「血液型性格診断」は否定しています(当然!)。 例えば…(太字は私)
一読しただけでは、この文章は「血液型と性格」を否定していると感じられるのですが、実は違うのです! #実は、私も最初はだまされました。(タイトルどおりですね・苦笑) では、もう一度注意深く読んでみることにします。 「診断力のある差異」が見いだせないということは、「診断力のある差異」でなければ、あってもよいということです。 つまり、「統計的な差はない」という以前の主張は完全に引っ込めたことになります。 しつこいようですが、もともと何の(統計的な?)差異も認められないなら、わざわざ「診断力のある差異」と言う必要はないので、単なる「差異」や「統計的な差(異)」にしても問題はありませんし、以前は確かにそう言っていました。ところが、今回はわざわざ「診断力のある差異」と断っているのです。 不思議ですよね? 念のため、彼の以前の主張を抜粋しておきます(太字は私)。
なお、今回は単行本ですから、以前の『週刊文春』のような(自分で編集できない)インタビュー記事ではないし、『児童心理』のように分量を6ページ以内に収める必要はありませんから、ページ数の都合で統計の話を省略したとは考えられません。 ですので、今回から明確に主張が変わった、と考えていいと思います。 そのうち、2人目、3人目と続く人が出てくるのでしょうか? |
実は、長谷川さんと菊池さんの論理と定義は、非常に抽象的です。正直言って、私にはよくわかりません。そこで、議論を進めるために、もう少し定義を明確にすることにしましょう。
ここでは、わかりやすいように、「ルールや慣習や秩序を重視する」と回答した人の比率で考えることにします(詫摩武俊・松井豊 S60 血液型ステレオタイプについて 東京都立大学人文学報 第172巻 15〜30ページ)。
最初にデータを示しておきます。
血液型 回答者数 比 率 O 29.7% 57.7% A 36.7% 54.7% B 22.5% 50.7% AB 11.1% 41.2% 合計 613人 −
ほぼ予想どおり、O≒A>B>ABの順になっています。
思ったより差が小さいと思う人もいると思います。この程度の差で「強い関係」と言えるほどの差が出るのでしょうか?
しかし、その前に、最低限の準備として、長谷川さんの言うレベルや、菊池さんのいう「弱い関係」「強い関係」の定義をしなければなりません。 確かに1%ではダメでしょう(笑)。では、上にも示したように、通常の回答率の差である10〜20%ではどうでしょうか? これは微妙なところでしょう。長谷川さんや菊池さんは、私のHPを読んでいるはずなのですが、(なぜか?)この点については明確な基準を示していません。意図的なものかどうかはわかりませんが…。
#本当は「強い関係」と言った人が定義をはっきりさせる必要があるはずです。
まぁ、ここでどうこう言ってもしょうがないので、私がエイヤで決めることにします。仮に出現確率が数十パーセントぐらい違うということでいい、 ということにしましょう。もちろん、長谷川さんや菊池さんには確認していません。(^^;;
通常の回答率の差は10〜20%ですから、数十パーセントも違うということはありえません。つまり、「強い関係」はないことになります。
これは確かに問題ですね。さてどうするか?
実は、この程度の差でも「強い関係」と言える差が出ると考えるのが自然です。というのは、平均を中心に正規分布のグラフを書いてみると分かりますが、ある基準以上(または以下)の人の割合は血液型によって数十パーセントは違うからです 。具体的には、BやCより大きい部分だけで比較すれば、確かに「強い関係」はあるといえます。下がそのイメージ図です。本当は数学的に厳密にいうと違うのですが(AB型の41.2%のところやO型の57.7%がピークになる保証はありません)、わかりやすくするためにわざとそう書いています。言うまでもなく、細かいところは違っても、大筋で違うことはありません。
当然のことながら、Aより大きい部分で比較すれば、出現確率が数十パーセントも違うということはありません。ほとんど差はない、と言ってもいいでしょぅ。
つまりこういうことです。
日常生活で利用できるほどの「強い関係」という定義があいまいなのです!
あるいは、こういうことも言えるはずです。差が1%程度の「弱い関係」がある可能性を認めてしまえば、「強い関係」がないことを否定することはできなくなってしまうのです。
結局、「強い関係」か「弱い関係」かは、環境や条件次第で変わる(A、B、Cのどの点を基準とするか)、と考えるしかないようです。
では、具体的なデータに当たってみましょう。ちょっと古いのですが、平成13年現在のデータということで、下の表を見てください。これはホームラン王のデータです。
順位 選手氏名 本塁打数 血液型 1 王 貞治 868 O 2 野村克也 657 B 3 門田博光 567 B 4 山本浩二 536 B 5 落合博光 510 O 6 張本 勲 504 O 6 衣笠祥雄 504 O 8 大杉勝男 486 O 9 田淵幸一 474 A 10 土井正博 465 O
見ればわかるとおり、圧倒的にO型とB型が多く、AB型が1人いないことがわかります。しかし、プロ野球の選手全体の血液型は、ほぼ日本人の血液型に一致しているそうです(否定論者も含めて何回か調査がされています)。しかし、本当にO型とB型はホームラン王になりやすいのでしょうか?
本当にそんなに違うなら、私の身近なO型やB型は抜群に野球が上手なはずですが、そんなことはありません。(笑)
おかしいですよね?
しかし、実はおかしくないのです!
性格分布のイメージ図を思い出してみてください。ホームラン王の場合も同じになるはずです。
運動神経は、それほど血液型で差があるとは思えません(厳密にデータで確認したわけではありませんが…)。しかし、ホームラン王は、日本人の血液型分布を考慮しても、O型が一番多くAB型が一番少ないのです。やはり、ホームラン王を獲得するといった、特定の(非常に特殊な)条件がある場合は、極めて強い偏りが現れるようです。
その後、平成14年度末の通算本塁打数ベスト80のデータを調べてみました。やはり、O型とB型が多いようです。思ったとおり、順位が下がると、血液型による差が少なくなる傾向にあるようですね。ホッ。
どういうわけか、O型は安定して上位にあるようです。
なお、詳しいデータはこちらです。
日本の首相はO型が多いといわれています。では、というので戦後の首相の血液型を調べてみたのが下の表です。
敬称略 H19.5現在
O型(14) A型(6) B型(3) AB型(2) 幣原喜重郎
東久爾宮稔彦
吉田茂
石橋湛山
岸信介
池田勇人
福田赳夫
大平正芳
鈴木善幸
中曽根康弘
細川護煕
羽田牧
村山富市
森喜朗佐藤栄作
三木赳夫
海部俊樹
宇野宗佑
小渕恵三
小泉純一郎田中角栄
竹下登
安倍晋三宮沢喜一
橋本龍太郎
やっぱりO型が多いようですね(笑)。日本人平均では、O型30.7%、A型38.1%、B型21.8%、AB型9.4%ですから、O型の多さが際立っています。O型は首相になりやすいのでしょうか?
答えは、半分イエスで半分ノーです。というのは、戦後の首相は、ほとんどが自民党の派閥のトップがなっているからです(太字)。このシステムが続く限りO型の比率が下がることはないでしょう。自民党の派閥のトップはO型が多いですからね。しかし、最近では派閥のトップよりは、国民に人気がある政治家がなるようにシステムが変わりつつあるようです。例えば、現在の
安倍首相は元々は派閥のトップではありません。となると、O型の率がだんだん下がる可能性があるのですが…。いずれにせよ、非常に興味深いデータであることは確かです。
では、私の身近なO型は抜群に政治が好きかというと、全然そんなことはありません。(笑)
おかしくありませんか?
やはり、おかしくないのです!
ここまで読んでいただいた読者の皆さんなら、間違いなく私に同感していただけると思うのですが…。
では、最初に戻りましょう。
つまりこういうことです。
長谷川さんや菊池さんの、日常生活で利用できるほどの「弱い関係」「強い関係」という定義はあいまいです!
またこういうことも言えるはずです。差が1%程度の「弱い関係」がある可能性を認めてしまえば、「強い関係」がないことを否定することはできなくなってしまうのです。
結局、「強い関係」か「弱い関係」かは、環境や条件次第で変わる、と考えるしかないようです。
そういう意味では、長谷川さんも菊池さんも、「弱い関係」を積極的に否定しないことで、実質的に「強い関係」を認めてしまったことになります。v(^^)
皆さんは、どう思いますか?
それでも、人の血液型を当てられないのはおかしいじゃないか、という疑問がある人もいるでしょう。
そういう人のために、[血液型と性格]の謎を推理するから、関係部分を抜粋しておきます。
なぜ人の血液型を当てることができないのか? PART1 これでほとんどの謎が解けました。なぜ心理学者のデータで差が出ないのか?という問題はクリアしたはずです。ということで、次の問題を解くことにします。それは、血液型で性格が違うなら、なぜ人の血液型を当てることができないのか?という問題です。これは比較的簡単でした。経験的に、この程度の差では人がどのタイプに当てはまるかを判断するのは無理だからです。
これについては、実際に計算してみるとよく分かります。といっても、計算がイヤな人も多いと思うので、とりあえず結果だけ書いておきましょう。ということで、次のような仮定をすることにします。
この場合はどうすれば一番よく血液型を当てることができるでしょうか? 30%も違う特徴があるのだから、簡単に当たりそうに見えるのですが、実はそうでもないのです。普通は、このようにすればいいと思うでしょう。
黙っていてもA型というだけで38.1%は当たるのだから、それよりもかなり高い確率で血液型を当てないとしょうがないのですが、実際には正解率はたったの?41.7%です。つまり、3.6%しか多く当たらないのです。これじゃぁしょうがありませんね。 では、特徴の数をもう少し増やしたらどうでしょうか? という訳で、試しに2つにして計算してみました。血液型の当て方は次のようにするとします(細かくいうちょっと違うのですが…)。
この場合の正解率は49.4%です。まだまだですが、とりあえずよしとしましょう(笑)。念のため、最初の該当率を75%と70%の場合も計算してみると、正解率はそれぞれ46.1%と44.1%です。ん〜、ちょっと不満ですね。念のために、特徴を3つにして計算してみることにします。血液型の当て方は次のようにします(これも、細かくいうちょっと違うのですが…)。
この場合の正解率は、最初の該当率を80%、75%、70%とした場合、それぞれ56.0%、50.2%、45.3%です。まあ、こんなものでしょう。(笑)。特徴の数を増やせばどんどん当たるということになります。これは当然ですね! 以上のことから、次のようなことが言えます。血液型の特徴が1つしか区別できなければ、血液型を当てるのは非常に難しい。しかし、2つ以上あれば、まずまずの確率(偶然より10%程度以上の確率)で当てることができる。これは私の経験と全く一致します。だから、初対面の人では特徴がつかみにくいので全然当たらないのですが、よく知った人なら50%程度の確率(本当に?実はあまり自信はありません…f(^^;;)で当てることができるという訳です。これですべてが円くおさまりました(笑)。具体的な計算方法はこちらです。 -- H10.2.1 なぜ人の血液型を当てることができないのか? PART2PART1には、こんな反論がありました。30%も違いがあるなら当たるのは当たり前だというのです。確かに、そんなに差がある特徴というのは聞いたことがありません。困ったなぁと思っていたところ、実はうまい方法があるのです。 PART1の計算は、特徴に当てはまるかどうかを「はい」「いいえ」の2つに分けるデジタル的な方法でしたが、当てはまる率を0〜1までアナログ的に評価するという方法に変えるともっと当たるのです! この場合、PART1のように1つの特徴をそのまま使うのではなく、いくつかの特徴を組み合わせて新たな特徴を計算するという方法も可能です。もちろん、血液型の当て方は、一番当てはまる率が高い血液型と断定することとします。この場合、PART1でのある血液型の該当率(他の血液型の該当率は50%)が80%、75%、70%と同じ正解率にするには、当てはまる率はそれぞれ0.67(67%)、0.63(63%)、0.60(60%)でOKです(他の血液型の当てはまる率は0.5=50%とします)。つまり、差は10〜17%程度でいいことになります。 10〜20%程度の差がある特徴なんてゴロゴロしていますから、うまく使えばかなりの人の血液型を当てることも可能なようです。ただ、私は人の血液型を当てるのはかなり苦手です。それに、この計算はあくまで理論値ですので、誰でも簡単にこんなに当たるというわけではありません(笑)。 なお、具体的な計算方法はこちらです。 -- H10.2.4 なぜ人の血液型を当てることができないのか? PART3 実は、特徴が2種類以上ある場合も、それほど難しく考える必要はなかったのです! 下の図を見てください。ここで、赤がA型の分布、青がB型の分布とします。特徴が1つしかわからない場合は、X方向、あるいはY方向の違いだけで当てるわけです。つまり、特徴を見分けるには、距離1の差しかありません。ところが、特徴を2つ知っている場合は距離2の差で見分けることになります。計算すると、距離2は距離1の1.4倍(2の平方根倍)になります。 これを一般に拡張すると、特徴がN個の場合は、距離の差はNの平方根倍になることになります。つまり、原理的にいくらでも大きくなるわけです。(^^) これで、特徴を知れば知るほど、人の血液型を簡単に当てることが説明できます。わかってみれば、な〜んだということなのですが(笑)。 -- H10.2.23 |