第四章 有機栽培から自然栽培へ
私が自然な稲作を考えた始めてきっかけは釣りや山菜といった話の他にも、甥っ子がアトピーにかかったことがありました。と言いますか、これもやっばり釣りや山菜の話に回帰します。そのアトピーの甥っ子は、食事制限する必要があったのですが、不思議なことに、山の山菜と川の魚には拒否反応がありませんでした。
除草作業の様子 |
どうも自然で育った食材には、時に不思議なエネルギーを感じさせることがあります。
こういった効果がどこまで解明されているか、医学に明るくない私には責任のあることは言えませんが、しかし自然で育つ食材のほうが、誰かの役に立つ場合もあるかもしれない、そんな思いが心の中にふくらんできました。
そして、ついに「自然栽培」の稲作に取り組み始めたわけです。誰にでも喜んで食べていただける、そんな米を作りたい、その思いが根底にありました。
始めはアイガモ農法でした。「農薬」と「化学肥料」を使ないので、今までの稲作より自然に近づきました。ただし、化学肥料は使わずとも有機肥料を「田んぼに入れる」わけですから、まだ人為の働きに頼る稲作になっています。
平成18年産米の天日干し |
当時、私が稲作している3haの田んぼのうち、このアイガモ農法をしていたのは1haで、その他2ha田んぼは従来の方法、つまり除草剤も殺虫剤も使った稲作をしておりました。しかしアイガモ農法を始めてみると、他の田んぼも薬を使わないほうが良いかな、そう感じられることがありました。なんだか「薬をふらないで。」そう田んぼがささやいているように聞こえるのです。そしてもっと田んぼの力を信じみよう、そう感じるようになりました。
平成15年には、冬の時期から田んぼに水を入れ、農薬も化学肥料も使わない「冬水田んぼ」を始めました。そうすると田んぼの姿が以前より元気に感じられるようになったのです。そこでは微生物を小さな虫が食べ、それを昆虫が食べ、そしてさらに鳥が昆虫を食べに来て、ツバメの雛がかえる頃にはトンボが羽化し、自然が持つ大きなリズムが感じられました。
農薬を使わずの農家仲間と 作柄を比べ合う (平成15年9月) |
その営みはバランスの取れない雑音の集合体ではなく、それぞれが一定の調和のとれたバランスの良いリズムのように感じられてきます。これは印象的な光景でした。日々、田んぼに行き、そういったリズムを体で感じることができるのです。
そして稲の姿は豪快で野性的でした。平成15年は冷害年でしたが、その稲は冷害でも病害にならず秋には立派な穂を風にそよがせていました。考えみると稲が病気に罹りやすいのは生長の最盛期になるのですが、「冬水田んぼ」の稲は、他の田んぼより成長が遅れており、自ら病害のリスクを自ら回避していたようです。人が何かしないでも稲は自らの力で天候との調和を図っていたのですね。
これは土壌化学的にも理にかなったメカニズムで、化学肥料を使わなければ、土はその年の気候に合わせて稲の養分を分解していきます。つまり冷涼であれば、自然と有機物の分解が遅れ、そして稲の生長も後れるわけで、このようにして田んぼは気候とリズムを合わせ、そして稲もそのリズムに合わせながら病害を回避していたのです。
自然のリズムに鼓動を合わせ、稲が成長していく。稲は少しずつ自然に回帰し、生命力を高めていったのでしょう。人間の力の及ばない、田んぼ自身が持っている力、それを実感させられました。
平成15年9月の稲の状況 |
晩秋の頃、冷害にも耐えたその稲を収穫し、食べてみたら、また新たな発見がありました。いままでと味が違うのです。私は昔、幼少の頃食べた米の味を思い出しました。食味は昔に近づき、そして少しだけ自然に近づいように感じた味でした。
なんにしても、平成15年には、大きなことに気が付かされました、リズム、そう「リズム」なのです。武道で言うならば「間合い」と言い換えることができるかもしれません。私が趣味にジャズがあります。ドラムがあり、ベースがあって、ギターがある。その一つ々が奏でる音が調和してリズムを取る。決して乱雑な雑音にはならず、それが心地よいリズムになります。そしてそのリズムは人の心を豊かにし、明日に生きるエネルギーを与えてくれます。これが作物であれば、そのエネルギーは味覚となって現れてくるのでしょう。
平成16年には、もう一つ自然に近づける試みをしました。それは化学肥料はもとより、有機肥料さえ田んぼに入れない、「無肥料栽培」の試みです。そうすることで、よりシャープで雑音の少ない自然のリズムが田んぼから聞こえていくるのではないかと、そう考えました。
いつしか、私の田んぼは無肥料栽培、つまり有機栽培から自然栽培になっていきました。
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