森の再生、二酸化炭素から考える人と森
国土が狭く、資源が少ない国、日本・・・
などとの言葉を聞くことがありますが、日本にはとても恵まれた自然環境があります。どんな資源にもまして、この自然は貴重であり、そして私達に豊潤な恵みをもたらしてくれます。理屈はさておき、まずは以下の写真をご覧下さい。
伐採後0年の森林と木の切り株です。 | ||
伐採後2年の森林と木の切り株です。 | ||
伐採後4年の森林と木の切り株です。 | ||
伐採後7年の森林と木の切り株です。 |
力強い、森の再生力を感じることができたでしょうか?
伐採した木の切り株から枝が芽生え育ち、そして、切り開かれた森は確実に再生していきます。
湿潤で温暖な日本の気候は、短い年月で切り開かれた森を再生してくれるのです。
トータル的視点から考える木の二酸化炭素排出量
さて、「薪を使用した場合の二酸化炭素排出量は?」のページでは、薪と灯油の二酸化炭素発生量を比較してみました。木は二酸化炭素を吸収して酸素に換えます。これは植物の光合成の作用によるものですが、その一方で木は光合成と併せて呼吸をしながら、私達人間と同じように酸素を吸収し、二酸化炭素を放出しています。
そして木が育ち、老木となり、朽ちて土に還るさいには微生物に分解されることで、二酸化炭素を大気に放出しています。
つまり、木は大気に酸素を供給する一方で、二酸化炭素も排出しているわけです。
◆トータル的視点で木の二酸化炭素排出量はプラマイゼロ
木は生長過程で二酸化炭素を吸収し、これを幹や枝に炭素として蓄積する。そして朽ちていく過程で、蓄積していた炭素を再び二酸化炭素として大気に放出します。
これらの収支をトータルで考えるならば、大気中への木の二酸化炭素排出量はプラスマイナスゼロとなります。
◆腐葉土や炭化による二酸化炭素の固定
ただし、実際には、朽ちた木は充分に分解されず、腐葉土として炭素を保持したまま森林の土壌に堆積していきます。そして何らかの原因で木が土に埋まったり、あるいは湖など水に沈んでしまうなどすると、木は炭化したまま残ってしまいます。
そういった腐葉土や炭化した木は、自ら保持した炭素を二酸化炭素に還元しないため、その意味でも木の大気中への二酸化炭素排出量は若干だけマイナス側に傾くはずです。
◆海のプランクトンが海底に二酸化炭素を固定する?
さらに付け加えるならば、風に飛ばされ川に落ちた木の葉は微生物の餌となり、そして海までたどり着いてプランクトンの餌になることもあるでしょう。この過程で木の葉が保持する炭素は海のプランクトンにで引き継がれ、そのプランクトンが命を全うすると、木から引き継いだ炭素を保持したまま、海底深くに沈んでいきます。
こうなるとプランクトンが引き継いだ木由来の炭素は、二酸化炭素として大気に還元されないまま、海底深くに蓄積していきますから、その分だけ、木の二酸化炭素排出量はマイナスに傾いていきます。
[宮城県気仙沼市唐桑町の大理石海岸説明看板から]
このように、木が大気中へ排出する二酸化炭素は、ある程度はマイナスに傾くように思われます。しかし、それは昨今話題の地球温暖化の抑制に貢献するには、本当にわずかな量でしかないように思われます。
成長した木を薪にする。
それでは、次に木の生長期ごとの二酸化炭素排出量を考えてみます。
◆成長期の木は盛大に二酸化炭素を吸収
土に落ちた種子が芽を出し、葉をつける。若木が幹を太くし、枝葉を広げ、生い茂っていく。木は生長過程で、盛んに光合成を行い、そして大気中の二酸化炭素を吸収し、枝や幹に炭素を蓄積していきます。
木の成長期においては、呼吸により排出される二酸化炭素よりも、光合成で吸収される二酸化炭素が多く、この期間のみで考るならば、間違いなく木から排出される二酸化炭はマイナス側に傾いているはずです。
◆充分に育った木は二酸化炭素の吸収プラマイゼロ
か細かった木の芽が堂々たる幹となる。そして、太い枝を伸ばし荘厳な茂りとなる。充分に育った木は、これ以上の成長が無くなります。この時期になると木の呼吸による二酸化炭素排出量と、光合成による吸収量は平衡し、大気中への二酸化炭素排出量はプラスマイナスゼロになっていきます。
◆朽木は二酸化炭素を排出
堂々たる幹を持った木、しかし、そこにはいつしか洞ができ、生命の力は至大に衰えていきます。そして老木が静かに命を全うし、その巨体を地に伏す時が訪れるのです。
地に伏した巨木にはキノコが芽生え、カブトムシ幼虫が朽 木をむさぼり始め、年月を経ながら土に還っていきます。
この過程で、木の成長期に幹や枝に蓄積した炭素は、再び二酸化炭素として大気に還っていきます。
そのため、この時期の木の二酸化炭素排出量は、大きくプラスに傾いているはずです。
森が人に与える火の恵み
◆森が人に与える火の恵み
二酸化炭素を盛大に吸収して成長した木は、老木となり命を全うし、再び二酸化炭素を大気中に還していく。
とするならば、成長した木を伐採し、薪として燃やして二酸化炭素を排出する営みは、朽ちた木が排出するはずたった二酸化炭素を、人が熱を得るために「いただく」行為にも思えてきます。
そう考えれば、まさに薪とは自然が人に与えた恵みなのかもしれません。
とは言え、森の再生力には限りがあります。それに目を向けず伐採を続ければ、いつしか自然の恵はつき、そして今度は牙を持って自然は人に対峙してくるでしょう。
ですから自然の恵みをいただく際には、これと併せて森の姿に気を配り続けることが大切になるはずです。
幸いにして、日本には、森林にとって豊潤な気候があります。この気候が森林の再生を速め、そしてより多くの恵みを私達に与えてくれるわけです。
本当に、日本には、とても大きな資源があるのだと気が付かされます。
さて、いろいろ木と二酸化炭素の関係を述べてきました。しかしながら実のところ、私は二酸化炭素の抑制で地球温暖化を抑制する・・・などとの大それたことは考えてもいません。
そんなことよりも、二酸化炭素という、昨今はやりの題材をテーマとしながら、「人と森」、そして「人と自然との関わり」を、もう少し別の視点から再確認したかったわけです。
次に、もう少し別の視点から「人と森林の関係」を考えてみたいと思います。
再生の遅い森
伐採後3年の森林と木の切り株です。 |
力強い再生力を持つ日本の森林は、私達日本人にとってかけがえのない資源です。しかし、同じ日本であっても、あまり再生力の強くない森林があります。
既に、伐採してから、3年が経過しましたが、まだ木の切り株には、枝が芽生えていません。そして写真ではわかりづらいのですが、伐採した山全体に、木の芽生えがほとんど見られません。この森はかつて杉林でした。
[伐採後7年目の広葉樹林] |
杉などの針葉樹は、広葉樹に比較して再生が遅いようです。広葉樹であれば、木を切っても、切り株からたくさんの芽が芽生えいきます。そして地表に潜伏していた種子は、木が伐採され、空が開かれたことで、ここぞとばかりに発芽し始め、10年も経てば、見事に森が再生します。
しかしながら、針葉樹の切り株からは、芽が芽生えてきません。そしてその土壌も酸性になりがちで、地表の種子は発芽し難くなってしまうようです。
針葉樹の伐採地を歩くと、棘のあるイバラが繁茂し、そして地表が笹に覆われてしまうことが多いように感じます。
針葉樹の森は、昭和30年代に盛んに造成されました。
当時、杉は建築材としての需要が大きく、針葉樹こそが森の恵みと考えられていたのかもしれません。
その後、数十年を経て、杉は立派に生長しましたが、外材の輸入も盛んとなり、建築材として杉の需要は低下していきました。
さらに杉林は花粉症を生みだし、人に苦しみを与えることさえあります。しかも伐採したとて、再生の遅いのが、杉林、針葉樹の特徴です。
再生力の旺盛の日本の森林ですが、針葉樹の森は、趣を異にしているようです。そして私達人間達に、自然とは何であるのか、問いかけているように思えてなりません。