江戸の女・ページ5

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江戸の女はどのような装いをしていたのか?

浮世絵や黄表紙本の挿し絵など参考にするものは色々ありますが、やはりここでも『守貞謾稿』を選びました。 もともとの図版は墨で描かれているので、 色の方は浮世絵などを参考にしました。また着物や帯などの柄も不明瞭なところは想像で描きました。時代的には 天保年間(1830〜1844)頃ということになります。


未婚女性の服飾



■中流、娘の普段着

■江戸巨戸の娘の晴着

ふだんは専ら縞の衣服、まれに小紋も着用しました。帯の色は緋か紫の絞り縮緬。 前垂は幅広のめいせん織。
三都とも礼服は専ら黒縮緬でしたが、京坂は紫なども着用しました。 しかし三都ともに婚礼には紫は忌み、用いませんでした。 また江戸中民以下の処女は礼服にも振り袖を着る者は京坂にくらべ少なかったそうです。

■江戸小戸の娘および下働きの普段着

衣服は縞木綿、処女はめいせん、玉紬などを着用しました。帯は表は黒繻子(くろしゅす)裏は、紫縮緬の纐纈(こうけち)など、このように表と裏が異なるものを鯨帯といいます。結びの形は密夫結び(注1参照)、腰帯を用いず、前垂の紐で兼用しています。


密夫結び 注1:密夫結び(まおとこむすび)
一般的には「引っかけ結び」というそうです。きもの研究家の笹島寿美さんの著書、『きもの口伝 帯のはなし 結びのはなし』によると帯も毎日締めていると、痛んでいき、仕立て直すと、幅も長さも短くなっていく。「引っかけ結び」は短くなった帯だからこそできる結びなのだそうです。一般の女性が結ぶものではありましたが、夜鷹(売春婦)たちの結びでもありました。簡単な結びなので帯の端をちょっと引っ張ると簡単に解くことが出来るからです。そんな理由から「まおとこ結び」とか「浮気結び」とも呼ばれるそうです。

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