江戸の女・ページ10

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浮世絵の中の女たち・中期

明和期に東錦絵といわれる多色摺版画が誕生しました。 浮世絵師によって描かれた小袖や帯の模様は多種多様ですが、江戸前期のような放胆な大柄模様は陰をひそめ、華麗であっても一種の落ち着きを示すものが多くなります。


 ■寛保・延享年間(1741〜1748)頃


「武道の晴風」より 石川豊信


両袖に見える丸い紋は「結い綿紋」と呼ばれるもので、古くからあった束熨斗(たばねのし)から出たもので、めでたいものとされました。「結い綿紋」は歌舞伎役者「瀬川菊之丞」(俳名は路考)の家紋として江戸っ子には馴染み深いものでもありました。二代目は名女形と称せられた初代の養子で、江戸郊外の王子村の出ということで、王子路考と呼ばれました。彼は舞台の引幕にもこの結い綿紋を用い、世の女性たちはこぞって櫛や小袖、帯、紙入れなどにもこの紋を入れました。

 ■明和期(1764〜1772)


「風俗四季哥仙 水無月」より 鈴木春信


水茶屋の娘を描いたもので、原画には左に湯呑みを手にし、腰掛けた若衆が描かれています。彼女のもつ団扇にも前述した瀬川菊之丞の「結い綿紋」が描かれています。髪は鴎髱(かもめづと)、単衣は「千筋」、帯は「変わり均通し(かわりきんとおし)」といずれも縞柄です。江戸中期には縞模様が意気の象徴となり、大名縞、千筋、万筋、子持ち縞などさまざまな縞柄が用いられました。

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