江戸の女・ページ11 |
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浮世絵の中の女たち・後期 |
江戸後期は一言でいえば頽廃美へ傾斜した時代でした。
女性の小袖の色調や柄は地味なものが多くなり、帯は黒繻子(くろしゅす)、襟も同様に黒繻子またはびろうどの掛け襟が流行しました。
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■天明期(1781〜1789) |
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「亀戸の藤見」より 鳥居清長
オリジナルは二枚続き、天明三年ごろの作品で藤花の盛りの亀戸天神を描いています。縞柄の小袖、髪は燈籠鬢の勝山に結っています。
左手にもっているのは煙草入れです。たばこが伝来して100年ほどたった享保元年(1716)江島其磧が著した『世間娘容器(せけんむすめかたぎ)』には「昔は女の煙草をのむ事遊女の外は怪我にもなかりし事なるに、今煙草のまぬ女と精進する出家は稀なり」とありこのころ女性の喫煙は珍しいものではなかったようです。
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■寛政期(1789〜1801) |
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■寛政期(1789〜1801) |
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「福寿」より 喜多川歌麿
茶屋の娘を描いたものです。天明期の清長の絵と比較すると、寛政期、歌麿の美人画に描かれた女性の髷は異様に大きくなっています。これは歌麿が誇張して描いたわけではなく、寛政六年(1794)頃から髷がにわかに大きくなり始めたのです。文化元年(1804)頃にその傾向は頂点に達し、髷が頭よりも大きかったといいます。しかしこの傾向は文化五、六年には廃っていたようです。(下の浮世風呂からの引用を参照。)
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★文化六年刊、式亭三馬『浮世風呂』二編上巻より
「ひとしきりは頸(ツムリ、頭の意)の上へ髷がおつかぶさって居りましたが、又むかしへ帰って、些ばかり貰って来たほどの島田になりました。(以下略)」 |
■文化・文政〜天保頃(1804〜1844) |
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■天保期(1830〜1844) |
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