「血液型と性格」については、あまりにもタブーが多く、数々の知られざる真実が存在しています。そのため、いまだに学術的な研究は十分ではありませんし、最大の功労者である能見正比古さんの功績も、未だに正当な評価がされているとは言えません。そこで、このページでは、これらの知られざる事実を、なるべく正確に再現して分析してみるつもりです。いままでの「常識」や「定説」をひっくり返す、というのがこのページの最大の目的です。とは言っても、私の力では、どこまでできるか分かりません。いや、それより脱線する確率の方がず〜っと高いかもしれませんね(笑)。
本当にホントかどうかは読んでのお楽しみです(笑)。
いずれにせよ、皆さんが少しでも sense of wonder を感じていただけるのなら、私としてはこんなにうれしいことはありません。(^^) -- H10.12.24
現在、次のような内容を考えています。
「血液型と性格」と言えば、まず最初に思い出すのは、この分野のパイオニアである能見正比古さんのことでしょう。しかし、ほとんどの心理学者や否定論者は、彼に対してヒステリックとも言えるほど否定的です。逆説的ですが、ここまでヒステリックにしつこく否定しなければならないほど、血液型と性格はポピュラーな話題ですし、能見正比古さんの存在も偉大だったと言えるのでしょう。
【血液型はタブー?】
例えば、心理学の専門書(こころの科学セレクション 性格 H10.3 日本評論社)には、巻末のインタビューに次のような内容が収録されています(個人攻撃をするつもりはありませんので、執筆者の名前はここでは書きません→強調部分は私が太字に変更)。
Aさん 心理学では、下手なことをいってマイナスであったというより、ああでもない、こうでもないといったほうが安全だというような風土がありますね。
Bさん 血液型がどうだとかいうのは、もう国辱的な問題だと思います(笑)。
Bさん 国辱的なものだなんていっていないで、もう少しそれに代わるものを考えることですね。
もっとも、このインタビューは、1988年に行われているものの再録ですので、現在は考えが変わっているのかもしれません…。心理学では、血液型と性格の関係を研究するのはどうやら「タブー」であるようです。私にとっては神様のような存在である心理学の権威がこう発言しているのですから間違いないのでしょう、たぶん。
これを裏付ける記述もあります。安藤寿康さんの文章です(心の遺伝をめぐる11の誤解−再び注目を集める『遺伝・環境』問題」 現代のエスプリ第372号 H10.3 至文堂 203ページ)。
心の遺伝について、このごろようやく「科学的に」語られるようになってきたようだ。
これまで心理的な形質の遺伝を問題とすることはほとんどタブーだった。心や行動の遺伝を研究しているというだけで、あの(!)優生論者だの社会的ダーウィニズムだのと騒ぎ立てられ、科学的な議論に至る前に頭から葬り去られることがほとんどだったのである。
どうやら、こういう印象は強いようで、竹内久美子さん『小さな悪魔の背中の窪み』の61ページにも、
彼ら[心理学者]にとって血液型と性格について論じることはタブーのようなものではあるまいか、血液型と性格との間に何か関係があると思って いるような素振りを見せたなら、 即刻学会から永久追放されかねないのではないかと−−それはたぶん考えすぎというものだろうが−−私には感じられるのである。
といった感想が書かれています。同じようなことですが、最近の『ABO FAN』への「批判」のほとんどは、統計的に証明しても意味がないとか、私が統計的「トリック」を使っているというのが多いのです。統計的に証明しても意味がないから、心理学の性格テストは無意味になりますし、「トリック」ならそのタネを見破ればいいはずです。しかし、そんなことはほとんど書いてありません。つまり、そういう人は、血液型と性格は「非科学的」ということを(科学的証明なしで?)頭から信じ込んでいることになるのです。念のために、もう一つ引用しておきましょう。『血液型ステレオタイプ変容の形』(社会心理学研究,11,3,170-179.→強調部分は私が太字に変更)では、
講義の内容は以下のものとなっている。 この講義では、Weber&Crocker(1983)のように、ステレオタイプ化された集団に所属する個々の成員の情報を与えるのではなく、当該ステレオタイプ全般の歴史的な経緯や、非科学性、ステレオタイプの社会的意義などについて、概括的な説明を行っている。
1.〜4.(省略)
5.血液型ステレオタイプの問題:差別的な現状/ナチスドイツにおけるユダヤ人迫害との類似点
#個人攻撃をするつもりはありませんので、執筆者の名前はここでは書きません。
私には、血液型とナチスドイツのユダヤ人迫害のどこがどう似ているのか想像もつきません(笑)。よくできた冗談なのでしょうか…。それとも、「タブー」であると証拠と解釈する方がいいのでしょうか…。はて?
#私が知る限りのデータでは、血液型が「差別」と思っている人はほとんどいないようです。
【能見さんは神様?】
しかし、これとは逆に、性格の違いをすべて血液型で判断するというタイプの人もいるそうです(直接的には確認してはいませんが…)。例えば、世の中には血液型別に4つの性格しかなく、それは、O型は権力志向、A型は神経質、B型はマイペース、AB型は2重人格といったたぐいのものです。私が知る限り、能見正比古さんはそんなことを言っていないので、なぜこんな結論になるかわかりませんが、そう思い込んでいる人も一部にはいるそうです。こういった誤解のために、「血液型と性格」の否定論者が増えているのかもしれません。否定論者に共通しているのは、「血液型性格関連説」によって「実害」を受けたことによる極端な不快感なのでしょうか?
#確かに、そんなことを毎日言われたら誰だっていやになりますけど…。
#もっとも、このページを読んでいる方は[血液型と性格]をそんな単純に理解している人はいないでしょう。
あるいは、別のタイプの人もいます。それは、能見正比古さんの言ったり書いたりしたことは何でも正しいという立場の人です。彼の本を通読した人なら分かるでしょうが、有名人の血液型には結構ミス(10%程度らしいです…未確認)が多いのです。また、能見正比古さんの死去(昭和56年)後、かなり年数がたったこともあり、その後の血液型学や遺伝学の発展に伴って、訂正が必要となった記述もいくつか見受けられます。では具体例を2、3挙げてみましょう。
だいたい、彼がいくら偉大だといっても、神様ではない人間のやることですから、間違いが1つもないはずがないのです。大きなミスはありませんが、細かいミスはいくらでもあります(失礼!)。しかし、これは彼が偉大であることを否定するものではありません。逆に、よくここまで調べたなぁと、私はただただ感心するだけです。
能見正比古さんのデータが正しいことや、分析が正確だったことはいまさら私がわざわざ指摘するまでもないでしょう。彼の功績は、膨大なデータによる統計的な実証です。特に、文化、政治、スポーツなどの分野別血液型分布には、多大な労力を注いでいます。アンケートによる性格分析もその一つと言えるでしょう。また、古川説やブールデルの説では不明であったAB型の性格については、「合理タイプ」という正確な定義を与えました。その結果、驚異的な筆力とも相まって、初めて「血液型と性格」を実用的な人間科学として打ち立てたのです。ヒポクラテスやクレッチマーなどとは比較にならないほどの膨大で正確なデータによる成果です。彼こそ、初めて体質型である血液型と性格についての明確な関係を実証したといえるでしょう。
これ以上詳しく知りたい人は、ぜひ前川輝光さんの『血液型人間学−運命との対話』を読んでみてください!
しかし、能見正比古さんは、少なくとも2つの課題を我々に残したのです。なぜかあまり知られていないその2つの課題とは…。 -- H10.12.24
では、この2つの課題とは何か。それは…
能見正比古さんは、心理学界とは最後まで全面対決の姿勢を取り続けました。そのため(元々は大したことはなかった)この2つの問題点が、彼の死後に徐々に表面化してきます。1.は私が言うまでもなく当然のことでしょう。彼は、性格テストや心理学のデータなんて血液型の分析には全く役に立たない、と一刀両断で切り捨てています。確かに、そういう面もあるにはあるのですが…。
まずかったのは、心理学者からの反論に対して、肯定側が有効な再反論を展開できなかったことです。そのため、彼の死後まもない昭和59年から60年を境に、血液型ブームは徐々に下降に向かうことになります。そして、否定側(≒心理学者)から「非科学的」とレッテルを貼られることになってしまいました。更にまずいことに、一般の人に「非科学的」というイメージが植え付けられたため、「血液型と性格」は科学から「占い」に変質し始めます。
#最近の再ブームも、「占い」的な部分もかなりのウェートを占めているようです。
【血液型ブームはなぜ起こったのか?】 血液型と性格は、平成4年ごろから静かなブームになっているのですが、最初はその理由がわかりませんでした。このホームページをオープンしてやっとわかってきたので、ここに書いておきましょう。 #私は、心理学者が血液型に非常に反発するのは、そういう理由もあると考えています。 その後、興味深いことがわかりました。「ストレス社会」はあくまで間接的な原因で、直接的にはバブル(平成元年がピーク)後の行き詰まり状態によるものだと思えます。世界史的にも、バブル後の行き詰まりには必ずそういう現象が発生しているのだそうです(中西輝政 『なぜ国家は衰亡するのか』 PHP新書 H10.11)。中西さんは、例として江戸時代のお蔭参りを取り上げています。それでは、マイクロソフトの『エンカルタ99』でお蔭参りについて調べてみることにしましょう。 お蔭参り おかげまいり 江戸時代に4回ほどおこった伊勢神宮への集団参詣(さんけい)のこと。伊勢信仰の高まりとともに、江戸時代以前から伊勢参りはみられたが、民衆が特別に効験のあるという「お蔭年」に期待して伊勢参りに殺到することは、1650年(慶安3)に江戸の商人が流行させたことにはじまるといわれる。 中西さんによると、最大時には400〜500万人がお陰参りを行ったそうです。これは、人口比では全日本の15〜20%となり、お蔭参りの期間中は、日本は実質的に麻痺しているとしか考えられません。ここで興味深いのは、お蔭参りの参加者は、本当に柄杓(ひしゃく)1本だけしか持っていかないことです。では、道中の宿泊や食事はどうしたのか? 道中が長ければ履物[当時は草鞋(わらじ)]も必要になります。不思議なことに、街道沿いの店や庄屋や豪商は、これら全部を無償で提供したのです。食事だけではなく、たびたび酒までもが振る舞われました。でも、なぜこんなお蔭参りなどいうバカバカしい?ことに、自発的に無償で協力したのでしょうか? それは、お陰参りを邪魔すれば、悪霊が取りついて子々孫々間で祟られるとされていたからです。
この一見馬鹿げた浪費は、当時のGNPから推測してみると、平成バブルの「企業メセナ」などとは比べものにならないほどの巨大な金額であったようです。しかし、「打ち壊し」と比べると随分と平和なものでした(同書171ページ)。
ここまで読んできて、江戸時代のような昔のことなんて、現代に当てはまるはずがない!なんて思っている人も多いでしょう。では、第1次石油ショックの直前のことを思い出してみてください。とは言っても、若い人には分からないかもしれませんね。そこで、ちょっとだけ説明しておきましょう。超能力やノストラダムスの大予言(現在も再ブーム?)なんかが流行ったのはこの時期です。また、現在の環境問題とほとんど同じである、公害問題が社会問題化しました。刺身×切れ以上を食べると、PCB(公害で有名な有害物質)が許容値をオーバーするから危険だ、といった記事も新聞に掲載されました。極端な例になると、若い女性が「生まれる子供がかわいそうだから生まない」と発言していたりしました。現在のダイオキシンや環境ホルモンなどとは問題にならないほどの過剰反応(?)ぶりでした。オカルトブームと公害問題、これがこの時期の社会現象です。 #私はオカルトは信じていませんけど…。 これらを具体的なデータで見てみましょう(伊藤哲司 『児童心理』 平成8年12月号 特別企画 子供たちは占い・血液型性格判断をどう捉えているか@ 非科学的情報にあふれた生育環境 126〜134ページ)。 若干のずれはあるにしても、実に見事に当てはまっていることがわかります。社会心理学的にはどうなのかわかりませんが、中西さんの説を私なりに解釈すると、これらは一種の「カタルシス」なのですから、「非科学的」だろうが何だろうがそのままにしておいた方がいいことになるはずです。もっとも、環境問題はアメリカ起源のようなので、最近のアメリカの好景気の影響なのかもしれません…。本当はどうなのでしょう? #細かいことをいうと、血液型は他とはやや違った傾向を示しています。もっとも、ちゃんと説明はできるのですが。 念のために書いておきます。私は公害問題や環境問題の科学的側面についてはよく知りません。ただ、化学物質によって生じた問題なら、なんらかの(科学的)解決方法があるはずです。それには、専門家による冷静な議論や研究が絶対に必要でしょう。これらは、必ずしも社会現象化したために促進されるということではないと思います。 血液型ブームについては、少々様子が違っています。まず、能見正比古さんによる『血液型と相性』が昭和46年(1971年)に出版されます。しかし、このときはさほど話題にはなりませんでした。日本中に大ブームを巻き起こすのは、2年後の昭和48年(1973年)に出版された『血液型人間学』です。今までの私の説が正しいとすると、これは起こるべくして起きたのです。なぜなら、昭和48年には日本中にオカルトブームの真最中だったからです。こういう時期には、「癒(いや)し」の1つとしての血液型が求められるので、『血液型と相性』ど同じような内容の本でも(失礼!)大ブームが起こることになるはずです。 |
年代順の出来事についてもっと知りたい人は、略年表のページを読んでみてください。
【血液型は難しい?】
次に、エ〜ッ!?と意外に思う人がほとんどでしょうが、能見正比古さんの記述は(「常識」に反して)かなり覚えにくいのです。現に、20年以上のキャリアがある私でさえ、全部の特徴は覚えていません。まして、細かいシチュエーションともなればチェックできるはずもなく、ほとんどお手上げに近い状態です(苦笑)。となると、普通に単行本を1冊読んだだけだとか、雑誌の記事で読んだだけといった人なら、理解度は言うだけナンセンスというものでしょう(え?
そんなのは私だけ? これは大変失礼しました!)。
能見正比古さんは、どうやら自分の能力に合わせて本を書いていたようです。彼だったら実に簡単な性格特性も、普通の人には到底理解不可能なようです。彼の筆力は驚異的ですから、血液型人間学の本や記事をちょっとでも読むと、何となく血液型が理解できたような気になります。が、実態は全くそうではない…はずなのです!
このことは、「血液型と性格」では非常に本質的なことです。なぜなら、血液型による性格特性は、心理学用語でいう性格用語とは全く違っているからです。少なくとも、血液型に限っては、分かりやすく正確な性格用語なんてどこにもないのですから…。この点については、能見さんも多少は触れていますし、データ的にもいくつかの論文にはっきりと示されているにもかかわらず、「血液型と性格」の盲点であると言えるでしょう。
では、その理由は何でしょうか? 肯定側から説明するのは簡単です。(ABO式)血液型は4種類しかありませんし、性格なんて少し注意深く観察すれば判るのですから…。それなのに、「覚えるだけで20年以上」「かなり覚えにくい」なんて書いてある本が売れるはずもありませんし、信用されるともは思えません(笑)。とは言っても、このことは元々はある肯定論者から聞いたものです。私も経験上すぐ納得できたのですが、それにしても(ごく一部の?)肯定論者にしか解らないのですから、「常識」や「定説」ではないことは確かですね!
となると、なぜ否定論者もこの点には触れないのでしょう? これは、「タブー」だからではないでしょう。実は、松井豊さんや坂元章さんなどのように、データではっきり示している人もいるのです。しかし、不思議なことに、これらのデータや論文は(少なくとも)主流はなりませんでした。とても不思議なことです。
その理由を一言で言うと、否定論者にも(かなり?)都合が悪いからでしょう。多くの否定論者には、血液型で性格を決め付ける(△型は「100%」こういう性格である)といった性格特性が必要なのです。そうでなければ、血液型による「差別」が存在することにはなりませんから…。それが、性格特性が「かなり覚えにくい」のでは、「差別」が存在するという根拠そのものがなくなってしまいます。なぜなら、「覚えるのだけで20年以上」「かなり覚えにくい」なら、性格特性を正確に覚えている人なんてほとんどいないでしょうから、血液型で性格を「決め付ける」ことなんて不可能になるからです。ですから、大部分の否定論者にとっても、「覚えるだけで20年以上」「かなり覚えにくい」ではとっても困ることになります(笑)。「差別」の根拠がなくなるといった、自分にとって都合の悪い(?)ことをわざわざ宣伝する人はいませんからね。:-p
余談になりますが、否定論者の一部には、A型以外の血液型には明確な性格イメージはない(≒「かなり覚えにくい」)と主張し、そして肯定論者は血液型で性格を「決め付け」ていると「同時に」主張している人もいます。なんなのだか…(苦笑)。
では、これらを具体的なデータを使って証明していきましょう。 -- H10.12.24
否定論者の本格的な反論が始まるのは昭和59年から60年頃ですが、この時は肯定論者からの再反論はあまりありませんでした。特に、データに基づく再反論がほとんどないのが特徴です(少なくとも私は見たことがありません)。どうも、この時点で肯定論者は否定論者に「甘く見られた」ようです。そのせい(たぶん?)なのでしょうが、第2次血液型ブームはこの後に下り坂に向かいます。残念なことに、否定論者は反論のし放題(?)という状況になりました。とても残念なことです。
その結果、「血液型と性格」は、徐々に一般の人にも「非科学的」というイメージが植え付けられていきます。現在では、科学的と考えている人は(なんと!)10%程度です。対象が若い女性であることを考慮しても、非常に少ないのが私には残念でしかたありません。(*_*)
原題: 松井豊・上瀬由美子 1994 血液型ステレオタイプの構造と機能 聖心女子大学論叢,82,90-111.
Table 4 血液型ステレオタイプを肯定・否定する理由の因子分析(バリマックス回転後の負荷量)
→因子分析のデータは省略 →強調部分は私が太字に変更
変数名
肯定率(%)*1 1. 血液型性格判断は科学的だと思う
11.6 2. 血液中の成分が異なれば性格にも影響を与えるはずだ
26.4 3. 血液型性格判断は雑誌によく載っているので本当だと思う
15.3 4. 自分の周りの人は血液型性格判断の結果がよくあてはまる
54.4 5. 他人の血液型がなんとなくわかる
55.3 6. 自分と同じ血液型の人は、自分と性格が似ている
45.9 7. 性格は血液型よりも環境によって作られると思う
93.1 8. 人の性格は血液型による4タイプには分けられないと思う 93.1 9. 人の性格は血液型で判断できるほど単純ではない
92.5 10. 同じ血液型でも違う性格の人がいる
98.1 11. 自分の身の回りには血液型性格判断のあてはまらない人がいる
78.3 12. 血液型性格判断の内容は自分には当てはまらない
21.3
注: *1 肯定率は、その項目に「そう思う」「ややそう思う」と回答した者の割合。
昔(っていつだろう…)はこうではなかったはずです。しかし、残念ながらそういうデータがありません。そこで、能見正比古さん自身による著書の紹介を書いておきます(『血液型活用学』の前書き→強調部分は私が太字に変更)。
前著『血液型人間学』は、この一連のシリーズの最初のものだけに、入門、紹介の意味も含め、話題性が多かった。『血液型愛情学』は、主観的な意見が専らの愛情問題に対し、私のアマノジャクも手伝い、あえて統計にウエイトを置き、愛情の現象を客観的に、数字でも示そうと試みた。
『血液型活用学』は、それらに展開された知識の読みとり方という点では、前2著の締めくくりであり、性格構造から、人間の心と行動の本質に迫るという意味では、出発点としたいと思う。
ABO式血液型と人間性との関連そのものに対する態度も、この3著で、いくらかずつ変ってきた。 『血液型人間学』では、それは「科学的に必然の事実」で、実例や数字で「その(関連の)程度の大きさも、おわかりになると思う」とした。『血液型愛情学』では統計値を示し「(その関連に)強い実証性を示すもので、この事実に目をそむけることは、もはや不可能」と述べた。本書では、第2部2章に、新しい客観的な統計をかかげ、この問題は、すでに実証ずみの科学的事実であることを前提とする。 血液型が性格と関係があるかどうか……と論議することは、今では全く無意味な努力である。問題はそれが現実にどう表現されているかを、資料で裏づけながら、具体的に観察分析して行くことに集中する。
また、サンケイ出版による紹介「能見正比古の血液型シリーズ」の広告から抜粋しておきます。これでほぼ分かってもらえると思うのですが…(→強調部分は私が太字に変更)。 -- H10.12.24
血液型人間学 |
あなたを幸せにする性格分析 | 血液型と性格の基本的な関係を、克明なアンケート調査、30年にわたるタフな観察、取材により、科学的に実証、追求した話題の大ベストセラー | 昭和48年8月 258P |
血液型愛情学 |
愛と性のドラマ・20,000人の証言 | 心の動きである愛情が、気質、すなわち血液型と密接に関連することを、約2万人のデータをもとに科学的に立証した、初の本格的愛情レポート | 昭和49年5月 278P |
血液型活用学 |
自分を生かし、人間関係をよくする本 | 血液型と性格に関する知識を、自己の管理や向上、人間関係への柔軟な対応や改善のためにいかに活用させるか、科学的資料をとに分析詳述する。 | 昭和51年5月 288P |
血液型エッセンス |
性格と人間関係の実用百科 | 百科事典にも取り上げられているABO式血液型と性格との関係。著者多年の調査研究をコンパクトにまとめた要保存版。各界スター知名人血液型全名簿付き。 | 昭和52年6月 240P |
血液型政治学 |
政治を動かす衝撃の事実! | 血液型による政界新地図。国会議員・全国知事・市長約2,000人のデータをもとに、血液型と政治の関係について追求。好評、血液型シリーズの最新版! | 昭和53年6月 318P |
心理学者のデータの再分析については、別ページに詳細に書きましたのでここでは省略します。興味がある人は、[血液型と性格]の謎を推理するを読んでみてくださいね。
ところで、性格テストは血液型の分析にはあまり役に立たないのでしょうか? 大村政男さんの「新訂『血液型と性格』」を読んだところ、YG性格検査の「のんきさR」の質問項目が公開されていました。普通は性格テストの質問項目は非公開なので、非常にラッキーなことです。それは、
( )内は予想される血液型です。ただ、実際の回答がどうなるかは別問題です。私の予想は結構外れるので…(笑)。とにかく、個別の質問項目ならともかく、この組み合わせで血液型別の「のんきさR」を測定してもあまり意味はなさそう(?)のように思えます。同じ性格特性でも、質問項目によっては、血液型によって全く逆のデータが出る可能性があるからです。これでは、性格テストは血液型の差を測定するのに向いている、とは言えないでしょう。他の性格テストについては、内容が非公開なのでなんとも言えませんが、公開されているデータを見る限りほぼ同じ現象が起きていることが推測できます。 -- H10.12.24
本当に「血液型と性格」は難しいのでしょうか?
そこで、能見正比古さんの文章を再度読んでみることにしましょう(O型は人間は権力志向型なんだって−血液型性格学 別冊宝島6 『性格の本−もうひとりの自分に出会うためのマニュアル』 宝島社 S52.8)。
血液型別につかんだ特徴をあげると、
O型は一般に情緒安定型と見られている。感情の表現は大きい人もあるが、その動揺によって自分や、自分の生活を見失う人は、ごく少ない。ただ、そのO型が追いつめられた状況が、ある限界をこすと、突如、感情は大混乱し、情緒は、不安定どころの騒ぎではなくなるケースが、よくある。
A型は、対照的に見える。元来、昔男性心理性[注:情緒不安定型?]と見られがちなA型は、周囲の動向に敏感である。完全主義でもあるA型は、ふかく、物ごとのプラス面より、マイナス面を、かぞえやすい。従って状況が悪くなるにつれ、過敏なほど動揺も増す。ところが、その悪さが、これまた、ある限界を試すと、O型とは逆に水を打ったように冷静に落ち着いてしまうことが、よくある。一種の開き直り。
B型 気分屋お天気屋の傾向は一番強い。だから、その情緒はたえず波立っているといえる。お調子にも乗れば、すぐガックリきたりもする。かんしゃくも起すし、奥様方の評判では、どうやら一番手も早い。だが、そのくせ周囲の状況には、一番左右されないのである。つまり、波は立つが、波立ち方は、どんな時も、ほぼ一定といえる。
AB型は、複雑な様相を見せる。ひどくクールで冷静な面がある。スポーツ選手のAB型には大へん特徴的に出たりする。その半面、(特に家庭などでは)ひどい気まぐれさを見せ、唐突に泣き笑う姿を見せる。
以上の四つのケースの、どれを情緒安定といい、不安定といったらいいのだろうか。O型は、ある限界点を境に、安定から不安定へ。A型は逆に不安定から安定へ大転換する。B型は部分的に見れば不安定、巨視的に眺めれば安定だ。AB型は安定と不安定の2つの面を使い分けている。
結局、情緒安定とか不安定とかいう表現は、ある局面における、その人の状態を示すだけの話で、性格を全く言い表わすことはできないと考えなければならない。
従来の性格観の大きな誤りは、性格を固定的な言葉で規定できると考えてきたことだ。事実は、性格は状況によって変わるし、時間的にも年齢差でも、大きく変化を見せるものである。もしそれを集約的に表現できるとすれば、1、2の単語で表わすものではなく、関数表現ということになろう。
そうした性格のダイナミックなとらえ方が、科学としての性格学への一歩のアプローチとなる。(下の図は『血液型エッセンス』の41ページから)
血液型気質学入門
人間の性格を、より確実に知ることの効用は、説明するまでもないであろう。
それはまず、自分と社会にフィットさせるための自己管理の誤差を少なくする。自分に最も有利な進路や適性の発見にもつながる。
また自分の客観的な姿を知ることで、人間関係の挫折を防ぐことができる。自分が人に好かれる点、嫌われる点というのは、自分の眼では、容易に見ることができないものだ。
今度は他人を理解することが、無用の争いや摩察を激擦させる。これまで、いかに多くの夫婦が、相手の性格が判らないままに、空しく結ばれ、空しく別れ去って行ったことであろう。
そうした性格に関する客観的なデータが、(あえて言うが)血液型を分類基準として、比較観察することにより、はじめて私たちの手に入りつつあるのである。
性格に関する……といったが、正しくは行動傾向に関するデータであることは前述の通りである。私にしても今は、かずかずの行動の断片を拾い集め、整理し、つなぎ合わせ、有意差を計算し、因果関係を見つける努力をしているにすぎない。さらに裏づけ調査を必要とするものも、おびただしく残っている。この段階で人間の性格が判ったなどとは到底言えない。私はただ、それを判るためのデータのコレクターであり、レポーターと、自分を考えている。
しかし、その中でも、かなり鮮明に浮び上って来た部分はある。百近い分野での血液型分布率。行動傾向や考え方などを尋ねた2万数千人のアンケート調査、それらの多面的な調査や観察で確かめてきた結果である。
ただ、人間の行動は日常面、対人面、社会面と分けるだけでも多岐多彩にわたる。ここで一々紹介するわけにはいかず、個々の行動や表現の特徴は、拙著を参照していただくしかないが、ここでは、その基本的な形を、少し並べてみよう。
→もっと詳しい解説は、各血液型のページへどうぞ!
〔O型の主な特徹〕 ○生きる欲望が強い。バイタリティが盛ん。 |
〔A型の主な特微〕 ○“何かのため”に生きる生き甲斐を求める。 |
〔B型の主な特徴〕 ○マイペースの行動。しばられ、抑制されることを、ことにいやがる。 |
〔AB型の主な特徴〕 ○ドライに見えるほど合理的な考え方。 |
(のみ まさひこ・作家) -- H10.12.24
どうですか? すばらしい文章でしょう! とても分かりやすいし…。それでは、血液型別の性格特性をもう一度思い出してみてください。ほとんどの内容を思い出せる人は、文句なく記憶力抜群の人です。普通の人は、半分も思い出せないのではないでしょうか?(え?
私だけだろうって…これは失礼しました)
それはなぜか? 簡単に言うと、性格特性の間にあまり関連性がないからです。心理学的にも、関連性のないものを覚えるのは非常に難しいことが実証されています。例えば…いや、このページは心理学の教科書ではないのですから、詳しい説明は省略します(笑)。
かなり前に読んだので正確には覚えていないのですが、面白いエピソードがあったので紹介しておきましょう。 ある心理学者が、記憶の構造を調べるために、囲碁と将棋の名人に棋譜を覚えてもらうことにしました。結果を比較するために、全くの素人にも同じく覚えてもらいます。結果はどうか? 考えるまでもなく、名人の方がはるかに正解率が高いはずです。実際にもそのとおりでした(笑)。次に、全くランダムな棋譜(?)を覚えてもらいました。こちらも名人の方が正解率が高いのでしょうか? 結果は実に意外なものでした。全くの素人の方がわずかながら正解率が高かったのです。つまり、名人だからといって素人より記憶力がよいのではなかったのです。名人は、棋譜を覚えるには自分の知っている定石などと関連させて記憶していたのでした。これなら単なる丸暗記よりもずっと簡単に覚えられることになります。 だから、歴史の勉強のときに、ゴロ合せで年号を暗記するのには、ちゃんと心理学的な根拠があるのです(笑)。 -- H10.12.29 |
#もっと詳しく知りたい人は、心理学の教科書を読んでみてください。
では、大部分の人はどうしているのか? 手っ取り早いのは、自分の覚えている類似の性格用語と関連させて覚えることです。データを見ると、ほとんどの人はこうやって覚えているようです(松井豊・上瀬由美子 血液型ステレオタイプの構造と機能 聖心女子大学論叢 93ページ H6)。
坂元(※1)は、各血液型のイメージを性格に関する20の形容詞を用いて検討している。その結果に基づき坂元(※2)は、血液型ステレオタイプの構造を、内向−外向・協調性−非協調性の2軸から成るものとして考察している。すなわち各血液型の性格は、A型が「内向的で協調的」、B型が「外向的で非協調的」、O型が「外向的で協調的」、AB型が「内向的で非協調的」とイメージされていることを指摘している。ただし、坂元が用いた性格項目は、能見との記述が明確ではない。
※1 坂元章 対人認知様式のABO式血液型性格判断に関する信念 日本社会心理学会第29回大会発表論文集 52〜53ページ S63
※2 坂元章 血液型ステレオタイプの構造と知覚の歪み 日本社会心理学会第32回大会発表論文集 292〜295ページ H3
つまり、4つの血液型の性格特性は、内向−外向・協調性−非協調性と分類して覚えているわけです。この論文を読むと、他の性格特性も見事にこの2つの軸上に乗っていることがわかります。結局、ほとんどの性格特性については、内向−外向・協調性−非協調性と関連付けて記憶していることが明確に証明できるのです(同論文より)。
佐藤・渡辺(※)は、血液型ステレオタイプの内容は、もはや能見や古川のものとは離れ、それぞれの血液型について核になる特性が存在し、それを中心に全体の内容が形成されていると指摘している。ただし、彼らの指摘は回答者の自由記述を分類する形の分析結果に基づいているため、数量的・客観的検討が不充分と考えられる。
※ 佐藤達哉・渡辺芳之 心理学評論 第35巻 234〜268ページ H4
ここで問題なのは、内向−外向・協調性−非協調性の軸では能見さんの記述にはピッタリあてはまらないことです。内向−外向・協調性−非協調性というのは本来は性格心理学の用語ですが、これらは血液型による性格の差を表すには向いているとはいえません。内向的なO型やB型、外向的なA型やAB型もかなりいるからです。しかし、そういう人でも各血液型の特性にはあてはまっていることが多いのです。実は、私も内向的−外向的や開放的−閉鎖的という軸も考えたのですが、どうもピッタリしませんでした。そこで、質問項目どおり、心を開く−心を開かないとしてみたら、これが実にピッタリなのです。
AB型について説明してみましょう。AB型は内向的ということですが、外向的な人もかなりいます(松井さんのデータでも性格テストの社会外向的な点数は高いのです)。能見さんの記述どおり「AB型は、社会に参加意欲は熱心でも、社会や集団との一体感はない」ので、外向的−内向的よりは心を開く−心を開かない(=社会や集団との帰属感)の方が適当であることが分かります。これは、データともピッタリ一致します。このように、性格心理学の用語は血液型による性格の差を表すのには向いていないのです。もし、ムリヤリあてはめると、非常に矛盾した性格になることはいうまでもありません。
協調性−非協調性についても、ルール、慣習、秩序を重視する−重視しないの方がピッタリします。B型は非協調的ということですが、能見さんの記述は、「B型の一番の基本性は、A型とは逆に、世間や周囲を意識することが最も少ないということか。周りを意識しないことから、B型流のマイペース行動が出る。しばられ、拘束され、細かな規則に従わされるのを極度にいやがる。」ということですから、一見一致しているように見えます。しかし、能見さんの別な記述によると「気分が敏感に反応すること、相手の事情や考えを主観を交えずに関心を持ち、理解できるので、人情深さがあり、たちまち行動に出たりする」のですから、これとは明らかに矛盾します。どちらもうまく当てはめるには、ルール、慣習、秩序を重視する−重視しないの方がピッタリします。
元のデータを書いておきましょう。代表的なものを挙げておきますが、いずれも再現性は複数のデータでチェック済みです。 最初は、能見さんの「新・血液型人間学」からのデータです(P71第18表)。陸上競技の一流選手へのアンケートで国際競技の場合に、「日本のためだ頑張ろう!」という人の比率です。調査時期は不明ですが、昭和50年代でしょう。今だったら、もっと比率は低くなると思いますが…
O≒A>B>ABの順になっています。AB型は日本への帰属意識は非常に低いようですね。 次は、「大学生のデータの分析」からのものです(大村政男 「血の商人」の餌食になるなデタラメぶりは立証された 『朝日ジャーナル』 昭和60年3月8日号 89〜92ページ) 。
グループへの帰属心が強いという質問ではないのでやや違う傾向(A型がB型より低い)を示しています。しかし、ここでもO型の回答率が一番高く、AB型が一番低くなっています。A型が低いのは、「仲間内」という言葉があるからだと思います。A型は、仲間というよりは抽象的な組織そのものへの帰属心が強いからです。 最後は、「大学生のデータふたたび」から「ルールや慣習や秩序を重視する」と回答した人の比率です (詫摩武俊・松井豊 1985 血液型ステレオタイプについて 人文学報,172,15-30.)。
これは、O≒A>B>ABの順になっています。 |
これでほぼ分かったはずです。能見正比古さんによる性格特性の記述は、「常識」に反してかなり覚えにくいのです! 普通に単行本を1冊読んだだけだとか、雑誌の記事で読んだだけでは覚えられるものではありません。やはり、この点は「血液型と性格」の(実に!)意外な盲点と言えるでしょう。 -- H10.12.24
これを裏付けるデータはまだまだあります。実は、各個人の知識で内容が一致しているものはせいぜい40%程度なのです。つまり、残りの60%程度はてんでんばらばらなのです。なお、この40%の「正解」は、そのかなりの部分がA型です。次は、渡邊席子さんの論文からの抜粋です(→強調部分は私が太字に変更)。 -- H10.12.24
大学生を対象に行った著者らの予備調査結果によると、調査対象者全員(三重大学の学生94名)について算出した通説と信念内容との一致割合は.44(SD=.18,
n=94)であった(この具体的方法については、本調査の分析法を参照されたい)。ただしこの数値は、血液型性格判断は信用できないと思っている人や、血液型性格判断に興味がない人の間では低く、血溌型性格判断に興味を持ち信用している人々の間ではもっと高くなっている可能性も考えられる。そこで、同時に行った血液型性格判断に対する意見調査の項目の中から、特に血液型性格判断に対する信用を示す項目(「雑誌などに載っている血液型性格判断で、いつも共通して指摘されている内容は、ある程度信用できると思う」、「人の性格の複雑性を考えれば、血液型性絡判断など全く信用できない」)、及び血液型性格判断に興味を持っているかどうかについての項目(「血液型性格判断についての特集や記事をよく読む」、「血液型性格判断の話をするのが好きである」、「血漉型体格判断には興味がある」)に対し、信用に関する2項目すべて、及び興味に関する3項目すべてについて、「信用する」あるいは「興味がある」方向に回答している調査対象者のデータのみを用い、通説との一致度の平均を算出したところ、信用性については.43(SD=.18,
n=28)、興味・関心については.48(SD=.16, n=25)という平均値が得られた。これらの数値は、それ以外の対象者の平均値と比べて有意な差はなかった(信用性:t(92)<-.33,
n.s.;興味・関心:t(92)=1.31, n.s.)。従って、全員の場合も、血液型性格判断について信用しているあるいは興味を持っている人の場合も、個人が持っている信念の内容のうち、通説と一致しているのは約4〜5割であり、残りの5〜6割は通説とは異なった内容で構成されていることが示されている。さらに、前記の予値調査回答者全員のうちある二人を抽出して、そのペアの信念内容を比較するという作業を、組み合わせ分だけ行い、重複している分を除いた一致度の平均を算出したところ、その数値は.36であった(具体的方法については、本調査の分析法を参照されたい)。また、通説との一致度と同様に、血液型性格判断を信用している者と興味・関心を持っている者だけをそれぞれ抜き出し、一致度の平均を計算したところ、信用性については.36、興味・関心については.39の平均値が得られた。これらの数値についても、否定的に答えた者の平均値と比べて差があるかどうかを調べたところ、信用性を持つ者についても(t(92)=.29,
n.s.)、興味・関心を持つ者についても(t(92)=-0.69, n.s.)有意な差は見られず、いずれにせよ個人が持っている信念の内容のうち6割強は一致していないことがわかった。 −*−*−*−*−*−*− 与えられた性格特性に対して調査対象者が行った血液型の判断が、通説とどの程度まで一致しているかを調べる。この際、全特性に対する一致度(知識問題正答率)と、通説により本人の血液型のものとされている性格特性についての分析を合わせて行うものとする。
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では、こういう「誤解」の結果、「血液型と性格」に何が起こったのか? 次は、血液型と偏見のページからの転載です。
B型とAB型は「非協調的」だからイメージが悪いようです。確かに、日本社会では「非協調的」な性格は好まれていません。能見さんの記述では、B型とAB型が「非協調的」なはずはないのですが、いつのまにか常識的(?)な心理学用語と結びついてしまい、更には価値判断までされるようになってしまったようなのです。実に困ったことです。「非協調的」なこと、つまり「和」を乱すことは、日本ではよくないことなのです(井沢元彦さん 『歴史の嘘と真実』 H9.7 祥伝社ノン・ポシェット 15〜16ページ)。
そして、『菊とバット』の著者R・ホワイティング氏は、『和をもって日本となす』(玉木正之約、角川書店)で、実例を書いていると続きます。例えば、ブロ野球の外人選手が行う「家族のために帰国する(職務を放棄して仕事を休む)」ことは、日本では社会的に批判される事実を挙げています。もちろろん、契約書には「家族のために帰国する」ことはいけない、とは一言も書いてありません。つまり、「愛」より「和」を大切にするのは、社会的常識なわけです。逆に、アメリカでは「家族のために帰国する」のは当然のこととされています。もし、日本でそんなことをしたらどうなるか。井沢さんによると(同書17ページ)、
確かにそのとおりです。しかも、実例はこれだけではありません。阪神・淡路大震災では、被災したある地方自治体の女性首長が、夫が入院しているにもかかわらず働いているということが美談としてマスコミに紹介されていました。私もこの方は立派だと思いますが、これは確かに「愛」よりも「和」や「公」や「仕事」が大切ということを如実に実証しています。これで、B型とAB型は「非協調的」だからイメージが悪いことがほぼ明らかになったはずです。 各血液型のイメージ 佐藤達哉さんの論文、「プラットタイプ・ハラスメント」からです(『現代のエスプリ〜血液型と性格』
No.324 至文堂 H6)。
結局、各血液型のイメージは、
B型とAB型はさっぱり特徴が知られてないにもかかわらず、なんとなく「非協調的」と思われていて、結果としてイメージが悪くなっているようです。 -- H10.11.11 |
能見正比古さんは、ず〜っと「血液型には優劣はない」「血液型で性格を決め付けることはできない」と主張してきました。そんなのはわざわざ言うまでもなく当然と思っていたのですが、なるほどこれには意味があったようです。性格特性は、「常識」に反してかなり覚えにくい。ですから、彼の意図に反して「優劣」や「決め付け」が起きてしまうことになります。ごく一部の人だけでしょうが…。
これを防ぐには、「血液型と性格」の正確な知識をより普及させること、そして繰り返し「優劣」や「決め付け」に対して注意を促すしかないようです。この点も、「血液型と性格」の意外な盲点と言えるでしょう。
もちろん、私も「AB型だから○○の性格」といわれるのはあまり好きではありません(笑)。そこで、『血液型エッセンス』(192〜196ページ)に書いてある血液型十戒をここにも書いておきましょう。 -- H10.12.24
では、能見正比古さんが残したこの2つの課題を解決する方法を考えることにします。
解決策を考えるにはどうすればいいのか。こういう場合には原点に戻って考えるのが一番です! -- H10.12.24
1.については、ほぼ結論が出ています。一言で言うと、分析方法が悪かった(失礼!)のです。確かに、心理学者のデータを「常識的」に分析すると、ほとんど差は出ません。しかし、ほとんどの論文はわずかの「異常値」を見逃してしまったのです。この「異常値」がクセ者で、更に詳細に分析すると、ほぼ能見さんのデータと一致するという結果が導かれます。この原因は、あまりにも簡単に否定的なデータが出たので安心してしまい、それ以上の分析をやらなかったのだと私は推測しています。
詳しく知りたい人は、「血液型と性格」の謎を推理するを読んでみてください。
次は2.です。「性格特性はなぜ誤解されるのか?」でも書いたとおり、全部丸暗記しようとするから大変なのです。能見正比古さんの記憶力は抜群のようですし、自分の体験で得られたものだから、全部の性格特性を記憶するのは割と簡単だったのでしょう。しかし、私のような素人には丸暗記は大変なのです。なにしろ、AB型は丸暗記は嫌いなのですから(笑)。そこで、丸暗記は最小限にして、なるべく体系的に覚えようという試みを紹介します。
【AB型】
まず、自分で一番分かりすいAB型です。AB型の特徴とは何か?
〔AB型の主な特徴〕
○ドライに見えるほど合理的な考え方。
○反面、空想的、非日常的、メルヘンチックな趣味性を持つ。
○情緒の安定した面と、不定気ままな面と、はっきり分れた二面性を合せ持つ。
○人との応待はニコヤカでソツなく、頼まれたらイヤといえぬ親切さ。やや調子よさも。
○反面、人とのつきあいに距離をおく感じ。
○物事に没頭し切らず、やや根気にかける。
○分析、批判力にたけ、イヤミは名人級。
○社会参加に熱心。奉仕の精神に富む。
○偽善を烈しくにくむ。正義派。
○多角経営型。趣味を生かした仕事を望む。
○食いしんぼうは随一。睡眠不足に極端に弱い人が、ほとんどである。
確かにそうです(笑)。また、能見正比古さんの『血液型女性白書』から、血液型別の特徴を要約してみます。
「AB型は天才か○○○○」という迷信はあった。これは、AB型については全くわからないという表白である。もちろん、事実ではない。AB型に常識的社会人は最も多い。
AB型の一番の特徴は、社会参加に忠実で、有能さと強さを持つ第一面と、気まぐれ気ままの突発的感情、非現実的な行動の第二面の二面性である。
その他のAB型の基本部分としては、考え方の合理性をあげたい。これが表面に出すぎると、ドライとも見られる。これは、AB型の何ものにも何ごとにものめり込むことの少ない傾向とタイアップする。AB型は、社会に参加意欲は熱心でも、社会や集団との一体感はない。それが、O型やA型と一線を画するところである。
AB型が、社会に参加したがるのは、安定した生活の確保のためのようだ。AB型は、精神的、経済的ともに安定を何より求める。そして、社会に迎えられやすくするために、自分の外見に一定のイメージを作ることが多い。いわば、OLや学生が、出社、登校の際に、当然のように制服を身にまとう姿にも似る。
イメージはどんなものを選んでもいいわけだが、スムーズな社会参加には、平均して人当たりのソフトさが使われるのも当然である。多くのAB型は、このにこやかで、もの柔らかなイメージを作る。その結果、男性は優しいが男らしさに欠けるとも見られ、いくらか損をし、女性は優しさに加えて淑やかさも見せ、いくらか得をする感じであるが、いずれもイメージだけのことである。
イメージをAB型の二重人格とも見る人もあるが、そうではない。その証拠には、ちょっと親しくなった相手には、AB型は簡単に着用イメージを脱ぐ。
では、なぜこんな特徴が生じるのか? これらの特徴を説明するためには、きまぐれ研究室の性格の二次元モデルがどうやら有効のようです。
血液型の遺伝子ABO式血液型は、皆さんがよく知っているようにA、B、O、ABの4つの(表現)型に分かれています。しかし、遺伝子そのものはA、B、Oの3つしかありません。遺伝して血液型を決定するのはこのうちの2つだけです。AとBはOに対して優勢なのですが、AとBの間には優勢・劣勢の関係はありません。結局、 A、B、O、AB型の4つの血液型の遺伝子型は、A型はAAとAO、B型はBBとBO、O型はOOだけ、AB型はABだけということになります。 A、B、O遺伝子と性格 となると、遺伝子的に考えると、A、B、Oの各遺伝子それぞれが(独立して?)性格に何らかの影響を与えていると思うのが自然です。また、血液型そのものでは、A型とB型、O型とAB型が対立関係にあるので、そういう対立的な性格の差を見つけられれば面白いことになります(実は、こんな感じで論理的に推測したのでは全然ないのですが…)。
この2つのデータから血液型による性格の差を図にしてみました。
お手本になる図は、能見さんが『血液型愛情学』の75ページに書いています(ホットとクール、開放性と閉鎖性、A型性とB型性の3つの軸での分布図)。しかし、今回のものとはちょっと内容が違います。また、実際にはこの2つの軸でなく、能見さんのいうように3次元以上のモデルが必要になると思います。ま、今回はテストバージョンですから…f(^^;; 性格の2次元モデル では、実際の性格をこのモデルを使って説明してみましょう。 |
能見正比古さんも書いていますが、AB型と特徴は人との距離感です。これが他の血液型に比べて極端に強い。そして他の血液型に比べると絶対数も少ないのです。一言で言えば、AB型は多民族国家における「少数民族」のようなものですね。では、こういう「少数民族」であるAB型はどんな性格になるのでしょうか?
私が聞きかじった文化人類学の知識によると、多民族国家では「契約」を重視します。なぜなら、民族によって宗教や生活習慣が全然違うので、(均質である日本社会のような)察しによる相互理解ができないからです。そこで、誰にも共通であるはずの「言葉」による「契約」を重視せざるを得ない。相手の気持ちが分からないので、「言葉」や「契約」が大事なわけです。AB型は人との距離感が強いので、共感できない人情よりは「社会参加」や「奉仕の精神」による行動で対応しようとします。また、AB型が社会的に認められるためには、「有能」で「合理的」でなければなりません。ここらへんは、ユダヤ人の生き方にもちょっと通じるのかもしれません(本当かな?)。で、結局、次のような性格になることになります。
○ドライに見えるほど合理的な考え方。
○人との応待はニコヤカでソツなく、頼まれたらイヤといえぬ親切さ。やや調子よさも。
○反面、人とのつきあいに距離をおく感じ。
○社会参加に熱心。奉仕の精神に富む。
○偽善を烈しくにくむ。正義派。
しかし、次のような性格は説明できません。もっも、これらは「性格」というより「気質」でしょうから、このまま丸暗記するしかないでしょう。
○反面、空想的、非日常的、メルヘンチックな趣味性を持つ。
○情緒の安定した面と、不定気ままな面と、はっきり分れた二面性を合せ持つ。
○物事に没頭し切らず、やや根気にかける。
○多角経営型。趣味を生かした仕事を望む。
○食いしんぼうは随一。睡眠不足に極端に弱い人が、ほとんどである。
これらをまとめると、「二重人格」「イヤミ」「クール」「食いしんぼ」「睡眠不足に弱い」といった感じになります。ところで…
○分析、批判力にたけ、イヤミは名人級。
これは性格か気質か判断が難しいところです。いずれにせよ、特徴の半分程度は統一的に説明できることになります。また、「性格」の部分は、環境(年齢・性別、地域、民族、文化・宗教など)により大幅に変わってくることが推測できますね。ただし、そういったことを調べたデータはないのでなんとも判断できません。
【O型】
次は、AB型と対称的なO型について取り上げてみます。O型は群れで生活している社会的動物=人間の生き方に最も適応しているようです。それも、農民ではなく狩人といったタイプのようです。残念ながら、私自身の身近にO型があまりいないため、あまりうまく説明できません…。自己肯定が強いこと、力の差に敏感なこと、人との距離感のなさ、強いスキンシップなどからO型の性格が生じているようです。
〔O型の主な特徹〕
○生きる欲望が強い。バイタリティが盛ん。
○目的一志向性。目的が決ると直進し、達成力もスバぬける。目的あいまいでズッコケ。
○ロマンチックと、強い現実性の二本立て。
○考え方ストレート・少々単純さも……?
○仲間にはスキンシップな愛を持つ。家族思い。親友には裸の開放性、親分性もある。
○反面、仲間外や未知の人に強い警戒心を持つ。
○人間関係大事にし、特に信頼性を重視。
○感情は、最もアッサリし、あとに尾をひかぬ。
○自己主張、自己表現欲強い。個性的なことを好む。
○専門を深め、専門家になって強いタイプ。
○人生の勝負師。強弱関係を意識する。ただし負けると知るとアキラメが早過ぎる感じ。
O型は、AB型と逆に人や社会との距離感がありません。ですから社会との対応のしかたも違ってきます。AB型がかなり意識して対応しているのに対し、O型は半ば無意識的に対応しているようです。また、O型が社会的ポジションを得ようと野心があるのに対し、AB型は4つの血液型中では一番ありません。非常に対照的と言えます。
ただ、ここで注意しておかなければならないことがあります。人や社会との距離感がないからと言って、O型が一番社交的だとは限らないことです。AB型も、社会で生きていくために意識して社交的であろうとします。ですから、社交的なAB型もいますし、非社交的なO型もいるわけです。そのため、必ずしも気質=性格とは限らないのです。
ところで、犬や狼はO型が多いらしいのですが(未確認)、『世界大百科事典』第2版(日立デジタル平凡社 H10)で犬について調べてみると、
飼われたイヌは飼主に服従し,命令に服するだけでなく進んで外敵を攻撃して飼主を守るが,これは飼主を自分が属する群れの上位者と見ているためである。なかには家人にかみつくイヌもあるが,これは飼いかたが悪いためイヌが群れの中の順位を知りえず,戦って順位を決めようとするのである。オオカミではこの戦いに負けたものは服従のジェスチャーを示し,それで戦いが終わる。だが人間はそのようなしきたりを知らないから,攻撃するイヌと戦い続け,そのためイヌはいっそう激しくかみつく。この戦いをイヌの反逆とみなして主人が無理に戦いをやめさせると,そのイヌはときに無知な主人を欺いて上位者となり,いうことを聞かない〈悪いイヌ〉になってしまう。
このようなイヌの行動の説明は,イヌがきびしい順位制をもつ群れで生活するオオカミから生じたとの推定に基づいている。
ダダモさんによると、
O型 The Hunter -- strong, self-relient, leader
となっています。いずれにせよ、群れによる生活に適応しているという感じがします。では、能見正比古さんの『血液型女性白書』からの私なりの要約です。
男女の気質差は、原則的にはほとんどない。しかし、O型男女は一番性別にこだわる。一見ボーイッシュに見えるO型女性でも、やはり女である意識が強い。これに対して、AB型は、表面的には男らしく、あるいは女らしくしていても、内心は男女の区別は一番薄い。
男女別の意識の強さは、O型の自然性の現れである。しかし、O型気質が自然的というのは、決して原始的ということではない。自然的というのは、すなわち人間的であるということである。A型やB型、AB型となっていくにつれ、少しずつ自然離れ、人間離れしてゆく。
世間的には、O型女性は、しばしば女性らしくないと見られることが多い。それは、男女の気質の自然差が小さく、社会的な差の方が大きいからである。O型は、生きることを、そして、そのために役に立つ行動をまず優先させる。そこから、さまざまのO型の気質傾向が導き出されてくる。
O型の驚くほど強い現実性もそれである。現実性とは、生存するために最も有利な行動を絶えず模索し、プラスとマイナスを素早く見分け、割り切りよく、それを取り入れていくことだ。
この現実性が、行動に現れると、O型の目的指向性となる。実生活の上の目的に集中的に突き進む傾向である。生活と遊離した目的には、O型は、それほど熱意を示さない。生きるために直接必要な目的、たとえば職業や仕事を大きくする目的、異性を求める目的、安全を求める目的、そして特に、集団内において力を求める目的などの場合、その集中力が高まる。
そうした目的が目前にないときは、日なたのネコのような状態となり、長く続けばひどく不安定な気分になったりする。
O型のロマンチックな表現や、そうしたことを好む傾向は、一見現実性と矛盾するようであるが、実は、現実的行動を駆り立てる効果を上げている。O型は、ロマンチストとリアリストの二本立ての性格だが、それは見た目の上だけであり、ロマンチックな思いに行動まで引きずられて、現実性を失うということは少ない。
人との距離感がなく力の差に敏感なO型、人との距離感があり力の差には割と鈍感なAB型。生きることに執着するO型、執着のないAB型。非常に対称的な気質といえると思います。
【A型】
次に、A型に行ってみましょう。A型の特徴は、自分なりのルールを重視(完全主義?)することと安全意識です。A型はAB型と逆に、日本人全体の40%を占めていますから、「少数民族」ではなくて「多数派」です。
〔A型の主な特微〕
○“何かのため”に生きる生き甲斐を求める。
○周囲に細かく気と使い、相手や周囲との間に波風が起るのを、特にきらう。
○感情や欲求は抑制するほう。ソッとした思いやりや察しあいを大切にする。
○ルール、慣習、秩序を重視、極端さを避け、羽目を外さぬ。反面、やや型にはまる。
○筋を通し、ものごとのケジメ、白黒をハッキリつける。シンは一番ガンコで短気。
○縦続的な努力や肉体の苦痛によく耐える。
○一つ一つ段階と踏む慎重さ、緻密さで、物ごとへのとっつきはおそいが、大器晩成派。
○完全主義、未来へは悲観主義。苦労性。
○心の底には思いきってカラを破りたい、現状脱皮の夢がうずまく。
まず、次の骨髄移植と血液型・脳と血液型の内容を読んでみてください。太字(私が変更)に注目してください。
遺伝子と性格遺伝子と性格について解説してある本があります。残念ながら英語ですが、内容がとっても面白いので、この本からちょっと引用しておきます(76〜80ページ)。脳内物質や遺伝子と性格については、現在では関係が証明されているようです。なお、著者はアメリカの国立がん研究所(というのかな?)の主任研究員だそうです。 Living with Our Genes -- Why They Matter More Than You Think --(1998) by Dean Hamer, et. al.
結論である下線部のみ訳しておきます。何かヘンな日本語ですが、それはご愛嬌ということで(笑)。
結局、ドーパミンと好奇心(novelty seeking)、セロトニンと心配性(harm avoidance)が関係しているようです。となると、ドーパミンがB型物質、セロトニンがA型物質と関係しているとピッタリなのですが…。でも、そんなにうまくいくなら誰も苦労しませんね(笑)。 -- H10.9.19 |
つまり、「安全意識」が強いと、心配性、うつ、敵意、悲観主義、疲労感が強くなるのです。これで次の特徴についてはほぼ説明できます。
○周囲に細かく気と使い、相手や周囲との間に波風が起るのを、特にきらう。
○感情や欲求は抑制するほう。ソッとした思いやりや察しあいを大切にする。
○一つ一つ段階と踏む慎重さ、緻密さで、物ごとへのとっつきはおそいが、大器晩成派。
○完全主義、未来へは悲観主義。苦労性。
また、自分なりの(抽象的な)ルールを非常に重視し、そのルールに反するものはなかなか受け付けません。そのルールに当てはまるかどうかでケジメをつけたがります。このルールは具体的なものではなく、抽象的なものである点がA型の特徴です。
○ルール、慣習、秩序を重視、極端さを避け、羽目を外さぬ。反面、やや型にはまる。
○筋を通し、ものごとのケジメ、白黒をハッキリつける。シンは一番ガンコで短気。
残念ながら、次の3つは説明できません。共通点はなんでしょうか? あるいは、「気質」なのでしょうか?
○“何かのため”に生きる生き甲斐を求める。
○縦続的な努力や肉体の苦痛によく耐える。
○心の底には思いきってカラを破りたい、現状脱皮の夢がうずまく。
うまい具合に、A型については特徴のかなりの部分が統一的に説明できることになります。では、能見正比古さんの『血液型女性白書』からの私なりの要約です。
A型の基本気質は、O型ほど、はっきり決めにくい。が、社会を意識する敏感さと、安全意識の2つをあげられそうである。
前者は、O型の力関係への敏感さと匹敵する。社会というよりは、"世間"とした方がいいかもしれない。その範囲は個々のA型によって異なる。「旅の恥はかき捨て」は、A型的俚諺で、旅は、A型が世間から抜け出すことになるのである。A型は、2歳児のころから、人目を気にし、世間を意識するようである。
A型は、優等生的社会人が多い。世間に対して、その慣習やルール、常識を尊重し、羽目を外したり、人の注意も引かないように、後ろ指を指されないように努める人が増える。が、逆に、その反動で、世間的なものに反発する人も目立つ。共に、世間意識への敏感さから出ているのである。全体的には、前者が多数を占めるようである。欧米人には、気の強い積極派のA型が多い印象があるが、人種的な差だろうか。
それと、もう一つの完全主義も幼児期にすでに発現する。自分だけではなく、自分の周囲にも完全な姿を要求することから、強い責任感と自立的行動が生まれ、手抜きをしない丹念さ、緻密さ、慎重さなども出てくる。他面、完全さを要求するため、"アラさがしのA"や"口うるささのA"にもなりやすい。
完全主義と勝ち気が結びつき、自分の理屈をどこまでも通そうとするA型は、シンのある理屈っぽい人間と見られやすい。滅多に謝らないA型に、強情頑固の評判が立つ。優しさと頑固、これがA型の二重性の1つであろう。
また、ダダモさんの記述も書いておきます。
A型 The Cultivator -- settled, cooperative, orderly
お遊びですが、猫の血液型についてです(笑)。猫の血液型 猫は約90%がA型、約10%がAB型、約1%がB型だそうです。犬よりはAB型の比率が高そうだからというわけではありませんが、私は犬よりは猫の方が好きです(笑)。
2.3.4.は、ほとんどA型の特性で、思わず笑ってしまいます(失礼!)。5.の後半もそうですね。また、自分独自の判断基準を持っているそうです。これもA型的です。 |
【B型】
最後にB型です。B型の特徴としては、A型とは逆に好奇心が強いこと、そして警戒心が薄いことです。また、抽象的なルールにこだわったりはしません。セロトニンが多いとこんな性格になるようです。ですから、A型とB型ではセロトニンに反対の影響を与えているのかもしれません。つまり、「安全意識」が弱いと(A型とは逆に)、心配性、うつ、敵意、悲観主義、疲労感が弱くなるのです。B型に人との距離感がないのは、安全意識があまり働かないからかもしれません。
〔B型の主な特徴〕
○マイペースの行動。しばられ、抑制されることを、ことにいやがる。
○柔軟なな考え方、新しいことや、自分と違った相手への理解力に富むアイデア性。
○周囲の影響を最も受けず、また、気にしない。無用心さも一番。
○ブアイソか、ザックバラン型。だが、すぐ心を開く開放性あり。差別なく親しむ。
○涙もろい人情味。が、細かい察しあいは苦手。ロマンチックさはなく、シンは実用的。
○興味は多方面に持ち得るジャーナリスト型。ながら族の名人。コリ性は随一。
○未来に楽観的。すんだことにやや未練っぽい。
○総じて、ものごとにケジメが乏しい。
○仲間外れを気にする疎外感の強さがある。
やっぱりA型とほぼ対称的な性格であることがわかります。では、能見正比古さんの『血液型女性白書』からの私なりの要約です。
気さくザックバランなと、見かけブアイソと、とっつきにくい両タイプがB型にはある。周囲や世間に合わせる、方式に適った作法や挨拶を身につけるのが苦手なB型は、前者のような挨拶抜きの対人態度を身につけるか、後者のようになるべく引っ込んでいるかの二者択一になる。少しつきあうと、この両タイプとも、人を信じ、差別なく親しむことの早いことがわかる。開放性こそB型の共通性なのである。
B型の一番の基本性は、A型とは逆に、世間や周囲を意識することが最も少ないということか。
周りを意識しないことから、B型流のマイペース行動が出る。しばられ、拘束され、細かな規則に従わされるのを極度にいやがる。興味の強さは、"面白がる"心が豊かであるということ。O型のように損得を考え、A型のように世間的価値を測ったりはしない。興味は、外界に向けられるので、事実性を重んじ、考え方は科学的実用的となる。常識や慣習に引きずられたりはしないので、物わかりがよく、幅広い柔軟な理解力も示す。
B型はジッとしてはいられない。絶えず体を動かしているか、ジッとして見えても、頭の中はめまぐるしく回転している。
気分が敏感に反応すること、相手の事情や考えを主観を交えずに関心を持ち、理解できるので、人情深さがあり、たちまち行動に出たりする。しかし、B型は喜怒哀楽などの感情性は、そう強くはない。感情が起こると抑制なく表現するので、そう思われるだけである。
ついでだが、自分の考えに恐ろしく頑固にしがみつくことがある。この場合は、頑固さを示すB型となる。
どうでしたか? これで血液型別の性格特性が少しは覚えやすくなったでしょうか? -- H10.12.29
心理学者の反応については、『オール・ザット・血液型』(コスモの本 H8.4)に要領よく分かりやすくまとめられているので、182〜185ページから引用しておきます(個人攻撃をするつもりはありませんので、ここでは著者はSさんとWさんとしておきます)。
心理学者はなかなか腰を上げようとしなかった。ちゃんとした学者は、アカデミックでもない、学者がやっているのではない、俗っぽいテーマは(血液型性格判断のこと)には関心を持つべきじゃないっていう象牙の塔っぽい意識があって、なかなか手を出しにくかったのかも。
#やはり、血液型は「タブー」であったことは確かなようです。
社会心理学者が本格的に血液型性格判断にケチをつけだしたのはせいぜいこの7〜8年[注:この本が出版されたのは平成8年]のことだ。そのさきがけとなったのは、この本のところにも登場する、いま日大名誉教授[注:現・文京大学教授]の大村政男という人。…
大村のコダワった研究は『血液型と性格』(福村出版)[注:平成2年発行]というコダワった本に集大成される。この本は教科書・学術書専門の地味な出版社から出たけど、そこの歴史上でも特筆されるほど売れた。そして、この本が、心理学の中での「血液型ブーム」に火を付けることになった。…
平成2年頃というと、平成バブルが絶頂を過ぎてオカルトが流行ってきた頃です。偶然かもしれませんが、前述の私の説にピッタリであることがわかります。
ちょうどその頃から、若い心理学者が何人もこの世界に入り込んできた。血液型に限らず、占いとか、オカルトとか、超自然現象とか、そういったいままで心理学では嫌われたテーマを研修対象としようという人が、急にたくさん現れた。
これはちょっと不思議なようだけど、実はぼくらの心理学はいろんな意味で相当いきづまっていて[注:どういきづまっているのでしょうか?]、なんか、もっと自由な、もっと面白いテーマはないか、ってみんな探していた。そこで、血液型やオカルトっていう、それまでタブーっぽかったテーマがぼくらを引きつけたというわけ。
話は違いますが、『オール・ザット・血液型』は、血液型グッズや本など、資料が豊富で読んでいて面白いです。肯定論者もなかなか楽しめる本ですから、買ってもソンはないでしょう。私も持っていますし(笑)。
ただ、執筆者にケチをつけるつもりはありませんが、この記述には少々疑問があります。まず、略年表のページを読むとわかりますが、昭和49年の『科学朝日』を別とすると、心理学者の本格的批判は昭和57年のNHK『ウルトラ・アイ』によるものが最初のようです。
【NHK『ウルトラ・アイ』への疑問】 この番組の内容は、大きく分けると、性格テストによる否定、分野別データによる否定の2種類です。正統的なアプローチですが、実は大きな問題点があります。 まず、性格テストによる否定についてです。番組を見たパソコンファンならお分かりでしょうが、(少なくともTV画面上では)当時では最新型だったパソコン、NECのPC−8001を使って統計計算を行っていました。放送では、パソコン画面上に「カンケイナイ!」(漢字でなくカタカナなのが当時をしのばせます)といったような文字が拡大表示されて点滅していたはずです。この部分は非常に印象的だったので覚えている人も多いことでしょう。ところが、この場面はまず間違いなく「ヤラセ」なのです。なぜなら、統計ソフトやプログラムを使ったのなら、統計的な数字(危険率)がズラズラと表示されないおかしいからです。それに、統計学的には「全く関係ない」とは絶対に言えません(危険率がゼロということはありえないので)。となると、「みばえ」がよくなるよう(?)に、この番組のためだけにプログラムが作られた可能性が高いことになります。この「ヤラセ(?)」がNHKによるものなのか取材に協力した心理学者によるものかはなんとも言えませんが…。いずれにせよ、この部分は番組の信頼度をかなり下げていたことは確かです。 問題点はもう1つあります。番組の最後の分野別データでは、釣りが好きな人を調査したものがあったはずです。確か、サンプル数は千人ちょっとで、AB型が12〜13%とやや高い値を示していました。計算してみるとわかりますが、これは偶然とは言えません。つまり、このサンプルに限れば、明らかにAB型が多いのです(AB型が釣りが好きとは初耳ですが…)。しかし、番組中のアナウンサーは、だいたいA:O:B:AB=4:3:2:1であるといった解説をしていました。要するに、AB型は多くないというわけです。しかし、これはおかしいのです。誰が計算しようが結果は同じだからです。 以上の2つの「ミス」により、私はこの番組をあまり信用していません。これらの「ミス」は、注意不足によるものなのか、あるいは意図的なものなのかはなんとも判断できませんが…。いずれにせよ、こんな凡ミス(?)もチェックできなかった番組の信頼度が高いとは言えないこと確かだと思います。ましてや、公共放送であるNHKが放映した番組としては、内容にかなり問題があると言わざるをえません(一応NHKの受信料は払っています…笑)。 こういう印象はなにも私だけのものではなく、前川さんの『血液型人間学−運命との対話』でも、「『血液型と人間の性格の関係は完全に無関係』ということを『論証』するための番組」であり「論証は非常にずさんなものだった」と書かれています(532ページ)。
公共放送であるNHKが(なぜか?)両論併記の形ではなく、否定側の主張だけをそのまま放映するのどうかなと思います。なにしろ、学問的には、いまだに決着が付いていない問題なのですから…。皆さんはどう思いますか? #個人批判はしないつもりなので、あえてここでは実名は書きません。ご了承ください。>ALL |
【否定論者の矛盾する論理】
引き続き、この項目では『ABO FAN』の、特定の個人・団体をなるべく批判しないという方針を少し変更して、ある人を批判させていただきます(え、既にほかの項目でやっているだろうって?…いやぁ、それは f(^^;;)。他意はありませんのでどうかご了承ください。m(._.)m また、引用についても、正確を期すため、極力長く引用することにしました。かなり読みにくくなってしまいましたが…。
では、順を追って説明していきます。他のページに書いたように、否定論者の血液型と性格は「関係ない」という論理は、いろいろあって、だいたい次のようなものが主なものです(その中での細かいバリエーションはあります)。
1、2、3が相互に矛盾することは説明不要でしょうから省略します(つまり、どれか1つしか選べません)。
まずは1番目の方に登場していただきます。否定論者であるSさんの記事「<自分の性格>をめぐる8つの疑問」からの引用です。少々長いのですが、正確を期して「心理テストで性格は測れる?」という項目を全部引用しておきます。なお、この記事は、Sさんが直接執筆しているのではなく、Sさんへのインタビューという形式を取っています(別冊宝島335『性格がわかる・変えられる!』−<自分探しから自分づくりへ>性格診断テストコレクション!− 264〜265ページ 宝島社 H9.10→強調部分は私が太字に変更)。
Q7 心理テストで性格は測れる?
測るということを一定の基準で数値を割り付けるという意味にとれば、心は測れるということになるでしょう。しかし、心はそもそもアイマイで相対的なものですから、絶対的な測定はありえないと言えるでしょう。
ではなぜ、心理テストがあるのかというと、心は暖昧なものだから、私たちも言葉や行動といったものを手がかりにして理解せざるをえないからなんです。そのためにテストというものを指針にしているんです。
心というものは、何かを投げつけてその跳ね返り方を見るようなもので何かがないと見えにくいものですから、そのはね返りの仕方にあらかじめ枠をはめて解釈をするわけです。それによって何か役立つことはないか、というのが、心理テストの基本的な考え方です。
これまで私は心理テストには否定的で、役に立つとはあまり考えませんでした。そんなもので心は測れませんからね。でも、ちょっと考えてみると役立つ点もあるんですよ。
多くの人にとっては、心は漠然としているし、そんななかで私たちは勝手に不安に思ったりしているんですが、テストによって得た結果をちゃんと見せてもらい説明してもらえるならばいいかもしれません。前世がこうだからと言われてかなりのお金を払うよりはずいぶんいいような気がします。
いままでは心理テストを行なっても、結果を教えてくれないことがありました。それをちゃんと公表して本人にフィードバックする機能があればいいんです。そうすれば暖昧な心という概念を、多少なりとも実感として捉えることができるでしょうし、そのためのメディアとして心理テストは有用かもしれません。
素直に文章を読んでみると、Sさんはあまり性格テストに肯定的とは思えません。この本は性格テスト集ですし、記事をインタビュアーが書いたことをを考慮しても、やはりSさんは性格テストに否定的と考えるのが自然です。否定論者のWさんとの共著『性格は変わる、変えられる−多面性格と性格変容の心理学』(自由国民社 H8)にも同じような記述があったはずですし、Sさんの別の本ではもっと否定的だったようなという話もあります(これについては未確認)。残念ながら、どちらも現在は手元にないので正確な確認はできません。
ところで、『現代のエスプリ〜血液型と性格』にはWさんも執筆しています(188〜191ページ 『性格心理学は血液型性格関連説を否定できるか〜性格心理学から見た血液型と性格の関係への疑義』)。
これまで何人かの心理学者が、 血液型と性格との関連を実証的方法で反証し、血液型性格関連説を否定しようとしてきた。ここで注目されるのは、彼らが血液型性格関連説を「科学的方法によって反証可能な理論」、すなわち科学的理論とみなしていることである。この点でそれを「非科学的な迷信」とみなして無視した従来の心理学者とは異なる。
しかし、論文を一読すればわかるように、彼らの多くは「血液型性格関連説は間違っている」というアプリオリな立場を持っており、それを実証するために研究を行なっていることもまた確かである。
心理学者が血液型性格関連説に対して行う反証は二つのタイプに分かれる。一つは「性格検査」など「性格」を測定しているとされる外的基準と血液型との間に関連がないことをデータで示して、血液型と性格には関係がないと結論するものである。たとえば長谷川は、YG性格検査の類型分布が血液型によって変化しないことを示しているし、その他にもEPPS、SPIなどどの関係を調べた多くの研究が、それらの検査結果と血液型とに関係がないことを示して、血液型と性格との関係を否定している。性格検査の妥当性を前提とする限り、こうした論理は正当なものに思える。
しかし、多くの性格検査はそれぞれ人の性格のごく一部を測っているにすぎず、ある検査と血液型とに関係がなくても、他の検査とは関係しているかもしれない。実際、性格検査の得点と血液型との関連が、ごくわずかとはいえ統計的に有意なかたちで見出されたという報告もある。
また、すべての性格検査について検討して血液型と関係するものがひとつもなかったとしても、人の性格というのは非常に複雑なものであるから、これまでどの検査でも測られていない非常に重要な要素が存在して、それが血液型と関連している可能性が残る。…大村の論理は説得力があるが、ある面で両刃の剣でもある。自分たち心理学者が製作し、正当であるとしている「性格検査」による性格判断も、血液型性格関連説上同じ土俵で批判されてしまうのである。たとえば、作られてからかなりの年月が経つが現在もよく使われている性格検査の中には、現在の統計的基準から見るどその安当性の根拠となるデータやその解釈がかなり怪しいものはいくつもある。古川竹二のデータ解釈が誤っているのはあくまでも現在の目から見てであり、同程度に誤ったデーダ解釈は過去の「科学的」心理学にもよく見られる。また、「心理学的性格検査による性格判断が当る」という経験的事実が「FBI効果」による錯覚でないと言い切ることもでさないだろう。
たとえばYG性格検査の類型ごとに性格特徴を記述している文章などはかなり「フリーサイズ」なものであり、大村と同じ手続さで類型とその説明文をデタラメに入れ替えて被験者に示しても、多くの場合自分に当てはまっていると思うのではないか。
また、検査結果が他者の性格についての判断をバイアスしたり、自分自身の行動を検査に合わせて変容したりすることも十分に考えられる。これでは「心理学も血液型もうさんくさい」ということになるだけで、心理学者からの批判が大衆にあまり強い印象を与えないのは当然である。…血液型性格関連説に反論する心理学的研究のもうひとつの問題点は、それらが批判しているのはあくまでも血液型性格関連説の「データ」であって、理論そのものではないことである。心理学者がもし血液型性格関連説を否定するのならば、そのデータを批判するだけでなく、より根本的に「性格に関する心理学的理論によれば、これこれの理由で血液型と性格には関係がないと考えられる」と主張すべさであるのに、それがほとんどみられない。そのため、どうしても心理学者の血液型批判は表面的なものに見えがちである。
これには、データ一辺倒で理論的考察を軽視する戦後の心理学の風潮が大きく影響していることも確かだが、より根本的な部分で、従来の性格心理学と血液型性格関連説が基本的に似た論理構造を持っていることも関係しているように思える。
性格心理学における伝統的定義では、性格(パーソナリティ)は人の内部にあって、外部の環境や状況上は独立に行動に影響を及ぼし、その人独特の行動パターンを生み出しているとされる。そのため、性格の規定因として環境要因よりも個人の内的要因を重視することが多かった。クレッチマーの類型論に見られるように、古くは体質などの遺伝的要因が非常に重視されたし、最近ては「認知システムの個人差」といったことがよく話題になる。いずれにせよ、性格心理学者が性格の規定因を考える時に、環境の影響を豊けにくい生理的要因などの 「ハード」な要因に依存しやすいことは、今も昔も変わらない。
つまり、生理的要因と性格とに関係があるというアイデア自体は心理学も共有しているものであって、その点で血液型性格関連説の論理自体を批判することは従来の性格心理学にとっては難しかったのてある。
したがって、戦後になって、心理学者たちが血液型性格関連説を「非科学的」とか「迷信」とか批判してきた理由はその理論的立場よりも、むしろそれが「ジャーナリスティック」な話題であり、大学のアカデミズムから遠い「通俗的心理学」であるという点であったと考
えた方がよいだろう。
実際には、従来の性格心理学と血液型性格関連説は基本的に同じ基盤に立つ仮説同士という関係にあり、そのため心理学はその基盤自体を明確に攻撃せずに、データによって相手の仮説を反証する以上のことはできなかったのである。「迷信」と否定しながら実際には科学的仮説と認めざるを得なかったわけで、皮肉なことである。
では、2番目に行きます。同じくSさんとWさんの共著『オール・ザット・血液型』(コスモの本 H8.4)から「思い込むとほんとにそうなる!」という項目についての引用です(208〜210ページ)。
思い込むとほんとにそうなる!
これまで説明してきたのは、「ほんとは関係ないのに関係あるように見えるしくみ」だったけど、こんどのはすこし違う。血液型を信じているとほんとに性格と関係ができてくる、というちょっと怖いお話。
ある心理学者が別の仕事で、とある調査のデータを調べていた。その調査はある放送局が若者の意識と生活について10年ほど前から毎年行なっているものなんだけど、よく見ると不思議なことが起こっている。
この調査にはたまたま、アンケートを受けた人の血液型を聞く項目と自分の性格について答える項目が含まれていた。この心理学者は血液型にも興味があったので、半分冗談でこのデータにおける血液型と性格の関係を分析してみた。
調査開始のころのデータでは案の定なんの関係もなかったんだけど、おどろいたことに、年々血液型と性格との関係が強くなっている、 という結果が出た。だんだん血液型で性格がわかるようになってきている、ということだ。
血液型論者がいうように、血液型と性格にもともと関係があるなら、こんな結果が出るはずない。もともとなかったのに、だんだん関係あるようになっているわけ。これは最近の血液型ブームと無関係とは考えにくいよね。
こんなことがおきる理由はいろいろ考えられるけど、血液型と性格に関係がある」「血液型で性格が決まる」と信じこんだ結果、本当にそういう性格になってしまう、ということが十分に考えられる。
血液型性格判断を信じていろいろ読んでいると、血液型ごとの性格が心の中にだんだんインプットされていく。そして、「自分の血液型の性格」に自分の性格を合わせようという傾向が出てくる。
血液型信者の「自己概念」(自分の性格のイメージのこと)には血液型性格判断の内容が焼きついているから、もし自分がそれにあわない性格をもっていたり、それに合わない行動をしたりして自己概念とずれると不快になる。これで自己概念の方を変えるならいいのだけれど、性格や行動の方を変えちゃう人がいるんだ。
理不尽なようだけど、信じていることと自分の性格が合わなかったらアセルよ。「自分はB型で、自分の意思を通してわがままに生きていくはずなのに、いまの自分は引っ込みじあんで人の顔色ばかり見ている。これって異常ですよね?」と大学の学生相談室にカウンセリングを受けにきた学生がいるくらいで、やっぱり自分の性格の方がおかしいって思う人が多いみたい。
つまり、血液型を信じているとそれが心の中に刷り込まれて、もともとは関係なかった性格が、どんどん血液型性格判断の内容に近くなっていくわけ。これを大村は「Iの効果」とよんでいる。IはImprinting(刷り込み)」のIだ。
これはすごく怖いよね。このまま信じ続けていくと、日本人の性格は4種類しかなくなってしまうかも。こうなるとちょっと問題だよね。血液型で性格がわかる、なんていってるうちは愛矯だけど、血液型に性格が影響されちゃうとなると、ちょっと酒落にならない。血液型にとらわれて生きるのなんか嫌だ!
心理学者が不粋だとか、オトナ気ないとかいわれながらも血液型批判をやめないのは、さすがにこうなるとほっとけないからなのです。
ここで説明されている心理学者の論文はこちらです。
では3番目に…。同じ『オール・ザット・血液型』(187〜188ページ)では、「ほんとは血液型と性格は関係ない」として、次のような記述があります。
ほんとは血液型と性格は関係ない
血液型と性格に関係がないと考えてる、といっても、昔の人たちみたいに最初から「非科学的だー」 なんて頭ごなしに否定するだけじゃ科学じゃない。心理学は科学なんだから、関係がないっていう証拠を集めなきゃ。まず、血液型とは別に性格をとらえる方法を何か使って、その結果と血液型とに関係があるか調べてみた。
性格をとらえる、といったら性格テストだ。心理学者が作ってる性格テストは、いちおう正確に性格を測れるというお墨つきがついている。もし血液型と正確に関係があるなら、血液型によって性格テストの結果が違うはず。
これが、ぜんぜん違わない。何人もの学者が何十種類もの性格テストを使って調べたけれど、血液型によって差が出たという結果はほとんどない。たしかに血液型で差が出た場合もごくすこしはあるけど、それは血液型性格判断の説と矛盾してたり(O型が神経質でB型が臆病とか……)、テストによって一貫してなかったり(あるテストではA型は神経質と出たけど、あるテストではA型はおおらかと出たとか……)で、ぜんぜんあてにならない。
性格テストだけでなく、性格の自己評価とか、他人からどう見えるかとか、性格のいろんな基準と血液型との関係を調べてみても、 いまのところ意味のあるような関係は発見されてない。
なお、ほとんどの否定論者の心理学者はこの3番目の解釈を取っています(たまに、2番目と3番目を両方というタイプもいます)。普通の否定論者のホームページは、1番目だけのタイプ、2番目と3番目を両方というタイプが多いようです。
この点は非常に重要なことです。私としては非常に気になるので、いろいろな方法で確認しようとしました。しかし、いまだに心理学者での統一見解はないようです。信じられないような本当の話です。決してウソではありません! つまり、関係あるデータがあるのかないのか、そしてそのデータをどう解釈するのかについては、いまだに定説がないのです。
ではなぜ、「ほんとは関係を否定できないのに全く関係ないという」のでしょうか? 私には、やはり「タブー」のせいとしか考えられません。もっとも、心理学者に直接確認したわけではないので、断定するわけにはいきませんが…。 -- H10.12.29
ここしばらく、心理学の性格テストの問題点について考えていました。この項目は、統計学の心得がある人だけ読んでみてくださいね。
では、スタート!
普通の性格テストは、1940年代のアメリカ人を標準にして作られています。しかも、性格因子の抽出には因子分析的手法を使っています。この2つから、日本人の性格を測定するのには不適当(?)なことが割と簡単に(数学的に)証明できます。
#とはいっても、厳密に数学的な証明は私には無理ですが…。
#ですから、性格テストを過信するのは考えものです。と言っても、有用性は否定しません。(^^)
最初に、1940年代のアメリカ人を標準にして作られているという点について説明します。長谷川さんのページへの感想からです。
まず、別冊宝島335『性格がわかる・変えられる!』という本からです(81ページ)。下線は私が付け加えたものです(この項目については以下も同じ)。
次に、大村政男さんの、「新訂『血液型と性格』」からです(24ページ)。
渡辺芳之さんも面白いことを書いています(『現代のエスプリ〜血液型と性格』 性格心理学は血液型性格関連説を否定できるか〜性格心理学から見た血液型と性格の関係への疑義 渡辺芳之)。
結局、「YG検査で測定される『気分の変化』、『劣等感』、『協調性』などの因子は,いずれも因子分析的手続の中で抽出されたもの」とはいっても、それは1940年代のアメリカの話のことのようです。それらについては、現代の日本で「因子分析的手続」によって抽出したものと同じであるという前提が成り立つとは(私には)思えません。因子分析をご存じの方ならおわかりのように、元データ(1940年代のアメリカ人と現代の日本人との性格特性)が違う場合は、この手法によって抽出される(性格)因子は違ってくるのが当然だからです。だから、渡辺さんのいうように、「YG性格検査の類型ごとに性格特徴を記述している文章などはかなり『フリーサイズ』なもの」という主張になってくるに違いありません。結局、「心理学も血液型もうさんくさい」といった感想を持つ人がいても不思議ではないと思うのですが…。本当はどうなのでしょうか? その後、心理学事典に当たってみました(南博編著『読みこなし 使いこなし 自由自在 心理学がわかる事典』 日本実業出版社 H6.2)。302ページからです。
「実施に関しては専門的技術が不用で採点も簡便」とのことですが、質問数が比較的少なくて、類型に分けられるとういうのがその理由なのでしょうか…。ただ、5つの類型に分けるということになると、(中略)まさにYG法も「パターン分けして、すぐに答えを与える」ことが「好まれる最大の特徴であったのだ」ということにもにならないのでしょうか? 別冊宝島335『性格がわかる・変えられる!』という本では、次のような記述もあります(89ページ)。
解説は不要と思いますので書きませんが…。 -- H10.10.11 |
ところで、上で取り上げた解説書には肝心な説明(?)が抜けています。Y−G性格テストに限らず、普通の質問紙法による性格テストは、数学的には「性格を決めつける」ことと意味がほぼ同じであることです。例えば、Y−G性格テストは120の質問項目によって性格を「A型からE型にいたる主要5型のプロフィール・パターンに分け」ることになっています。120の質問項目について、それぞれ「はい」「いいえ」「?」と答えるのですから、本当は3の120乗通り(約1.8×1057)のプロフィール・パターンがないとおかしいのです。それが(わずか!)5パターンに分けられるのですから、何らかの「圧縮」をしていることになります。みなさんおなじみ(?)のMDやMPEG(DVDやCS)やMP3といった方法の圧縮率はせいぜい1/10ですから、これはまさに驚異的です。私もこんな圧縮率があるソフトだったらぜひ使いたいものです。この驚異の圧縮率は、血液型による「決めつけ」どころではありません…。
実は問題はこれだけではありません。1940年代のアメリカ人を標準にしているため、そのまま使うと日本人では妙な結果が得られてしまうのです。次は松井豊さんの論文からの記述です。なお、下線は私が付け加えたものです。
データの再現性はあるのか?(その3)ところで、この論文では性格テストも同時に行っています(18ページ)。
その結果が表4に示されています(19ページ)。標準偏差は省略します。
で、結局(19〜20ページ)、
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注1で、各尺度得点は1点から11点まで分布しという記述に注目してください。実は、普通の性格テストは平均が中央値になるように調整しています。つまり、この場合は(1+11)/2=6程度にならないとおかしいのです。しかし、上のデータの平均では、親和欲求、追従性欲求、秩序欲求、社会的外向性、支配性では、本来の平均値(?)であるはずの6からかなり離れています(有意差もあるので、明らかに平均から離れていることになります)。これはヘンです。つまり、このデータは歪んでいるので、本来の正しい結果が得られない可能性を示しています。では、このデータは意味がないのでしょうか? そんなことはありません! 性格テストの解説書はよくチェックしていないのですが、サンプリングがおかしいと言うよりは、現在の日本人との性格の差が現れていると考えた方が妥当な解釈でしょう。常識的に考えて、1940年代のアメリカ人と現在の日本人の性格が同じであったら、それこそヘンです。
まずいことに、性格テストでいう「尺度」は1940年代のアメリカ人向けに(質問項目を「圧縮」して)プロフィールを標準化したので、日本人向けでは正しい「尺度」とは言えません。因子分析をご存じの方ならおわかりのように、元データ(1940年代のアメリカ人と現代の日本人との性格特性)が違う場合は、この手法によって抽出される(性格)因子は違ってくるのが当然だからです。これは数学的に証明できるはずです(私には無理ですが…)。証明方法はわからなくとも、因子分析を知っている人なら、この結論は無条件で納得してもらえるはずです…。
では、性格尺度が正しくない(?)というとはどういうことでしょうか? 言うまでもありません! 結果が信用できないということです(失礼!)。つまり、性格テストで差が出なくとも、血液型による差がないとは言えないことになります。これは心理学とは直接関係なく、数学的・統計学的に得られれる結論です。
これで、たとえ性格テストで差がなくとも血液型と性格は「関係ない」とは言えない、という最終的な結論が得られることになったはずです。
皆さんはどう思いますか?
上に書いた証明は、性格テストの質問項目の選び方がわかれば、少し統計学の心得があれば誰でも分かることです。能見正古比さんも、反論にはこの方法を使えばよかったのではないかと思うのですが…。そこまで思い付かなかったのか、それとも反論がなかったので考える必要がなかったのかは、今となっては不明です。 |
#その点、能見さんのデータは、性格テストとは違って現代日本人のデータですから、まずまず妥当なものだと思うのですが…。
#当然のことながら、心理学者はそんな自分に都合の悪いことは言ってません。:-p
う〜ん、イヤミのAB型でしょうか。(^^;;
お断りしておきますが、私は性格テストの有用性を否定しているのではありません。膨大な経験的データにより裏付けられた性格テストは、有用であるにきまっています! だから世の中で広く使われているのでしょう。ただ、性格テストを過信するのはよくないはずですし、性格テストで差がないから血液型と性格は関係ない、ということは言えないのではと主張しているだけです。
心理学者のデータの再分析については、別ページに詳細に書きましたのでここでは省略します。興味がある人は、[血液型と性格]の謎を推理するを読んでみてくださいね。 -- H11.2.5
おっと、今日は時間になってしまいました。
面白いですか? 面白いと思った人は、続きを楽しみにしていてください。
ではバイバイ。(^^)/~