Prejudice


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32.gif (286 バイト)血液型と「偏見」

 現在でも、血液型による「差別」や「偏見」は、全くないとはいえないようです。これらの偏見を生じるプロセスと解決方法がある程度分かりましたので、皆さんに公開して判断を仰ぎたいと思います。 -- H10.11.11

32.gif (286 バイト)血液型別の性格特性って?

 血液型別の性格特性については、(どういうわけか?)いまだに誤解が多いようです。だいたい、特定の血液型がそんなに有利ということはありえないのです。もし、ある血液型が非常に生存に有利なら、ほとんど人間がその血液型になっていないといけないはずです(特定の病気についてはそういう例はありますが…)。実際はそうでないのだから、それほどの差はないと考えるのが妥当でしょう。

 これらの性格特性については、特定の(わかりやすい?)心理学用語と混同されがちで、必ずしも本来の性格特性を正しくは表してはいないようです。

 きまぐれ研究室の「2次元モデルとステレオタイプ」からの抜粋です。

 私のオリジナルだと思っていたのですが、すでに坂元章さんが発表していたことがわかりました。ちょっとガッカリです(松井豊・上瀬由美子 血液型ステレオタイプの構造と機能 聖心女子大学論叢 93ページ H6)。

坂元(※1)は、各血液型のイメージを性格に関する20の形容詞を用いて検討している。その結果に基づき坂元(※2)は、血液型ステレオタイプの構造を、内向−外向・協調性−非協調性の2軸から成るものとして考察している。すなわち各血液型の性格は、A型が「内向的で協調的」、B型が「外向的で非協調的」、O型が「外向的で協調的」、AB型が「内向的で非協調的」とイメージされていることを指摘している。ただし、坂元が用いた性格項目は、能見との記述が明確ではない。

※1 坂元章 対人認知様式のABO式血液型性格判断に関する信念 日本社会心理学会第29回大会発表論文集 52〜53ページ S63
※2 坂元章 血液型ステレオタイプの構造と知覚の歪み 日本社会心理学会第32回大会発表論文集 292〜295ページ H3

 もっとも、どちらの論文も持っていないので、完全な確認はしていません。また、坂元さんは「血液型ステレオタイプ」の構造といっているだけで、実際には性格の差がないと主張していますので念のため。

 しかし、私のアイディアは坂元さんとは(ちょっとですが…)違います。というのは、内向−外向・協調性−非協調性の軸では能見さんの記述にはピッタリあてはまらないのです。内向−外向・協調性−非協調性というのは本来は性格心理学の用語ですが、これらは血液型による性格の差を表すには向いていないのです。例えば、内向的なO型やB型、外向的なA型やAB型もかなりいるからです。しかし、そういう人でも各血液型の特性にはあてはまっていることが多いのです。実は、私も内向的−外向的や開放的−閉鎖的という軸も考えたのですが、どうもピッタリしませんでした。そこで、質問項目どおり、心を開く−心を開かないとしてみたら、これがピッタリなのです。
 AB型について説明してみましょう。AB型は内向的ということですが、外向的な人もかなりいます(松井さんのデータでも性格テストの社会外向的な点数は高いのです)。能見さんの記述どおり「AB型は、社会に参加意欲は熱心でも、社会や集団との一体感はない」ので、外向的−内向的よりは心を開く−心を開かない(=社会や集団との帰属感)の方が適当であることが分かります。これは、データともピッタリ一致します。このように、性格心理学の用語は血液型による性格の差を表すのには向いていないのです。もし、ムリヤリあてはめると、非常に矛盾した性格になることはいうまでもありません。
 協調性−非協調性についても、ルール、慣習、秩序を重視する−重視しないの方がピッタリします。B型は非協調的ということですが、能見さんの記述は、「B型の一番の基本性は、A型とは逆に、世間や周囲を意識することが最も少ないということか。周りを意識しないことから、B型流のマイペース行動が出る。しばられ、拘束され、細かな規則に従わされるのを極度にいやがる。」ということですから、一見一致しているように見えます。しかし、能見さんの別な記述によると「気分が敏感に反応すること、相手の事情や考えを主観を交えずに関心を持ち、理解できるので、人情深さがあり、たちまち行動に出たりする」のですから、これとは明らかに矛盾します。どちらもうまく当てはめるには、ルール、慣習、秩序を重視する−重視しないの方がピッタリします。

 また、それを裏付けるような論文もあります(松井豊・上瀬由美子 血液型ステレオタイプの構造と機能 聖心女子大学論叢 93ページ H6)。

佐藤・渡辺(※)は、血液型ステレオタイプの内容は、もはや能見や古川のものとは離れ、それぞれの血液型について核になる特性が存在し、それを中心に全体の内容が形成されていると指摘している。ただし、彼らの指摘は回答者の自由記述を分類する形の分析結果に基づいているため、数量的・客観的検討が不充分と考えられる。

※ 佐藤達哉・渡辺芳之 心理学評論 第35巻 234〜268ページ H4

 残念ながら、この論文も持っていないので、完全な確認はしていません。また、佐藤さん・渡辺さんも性格の差はないと主張していますので念のため。

 結局、現在のステレオタイプは、「もはや能見や古川のものとは離れ、それぞれの血液型について核になる特性が存在し、それを中心に全体の内容が形成されている」ことになり、それは『A型が「内向的で協調的」、B型が「外向的で非強調的」、O型が「外向的で強調的」、AB型が「内向的で非協調的」とイメージされている』ことになります。これは、他のデータにもちゃんと合っていることがわかります。

 要するに、B型とAB型は「非協調的」だからイメージが悪いようです。確かに、日本社会では「非協調的」な性格は好まれていません。能見さんの記述では、B型とAB型が「非協調的」なはずはないのですが、いつのまにか常識的(?)な心理学用語と結びついてしまい、更には価値判断までされるようになってしまったようなのです。実に困ったことです。「非協調的」なこと、つまり「和」を乱すことは、日本ではよくないことなのです(井沢元彦さん 『歴史の嘘と真実』 H9.7 祥伝社ノン・ポシェット 15〜16ページ)。

「和」は「愛」よりも強し

 日本人の作法にとって、最も大切ことは何か。
 それがどうやら「和」であることに、最近になって私は気がついた。
 いや、これは作法に限らず、日本人の生活、人生、生き方すべてに通じる原則である。
 ところが滑稽(こっけい)なことに、多くの日本人はそれに気がついていない。…
 もっとも、いや私は「愛」の方が大切だと思うとか、私は「友情」の方が大事だ、あるいは人によっては「親孝行」が一番大事だと言う人もいるだろう。
 しかし、実は違う。「和」の方が大切なのだ。そして、誰もがそのことは無意識には知っている。「和」を乱す行為をすれば社会的に非難される、ということをだ。

 そして、『菊とバット』の著者R・ホワイティング氏は、『和をもって日本となす』(玉木正之約、角川書店)で、実例を書いていると続きます。例えば、ブロ野球の外人選手が行う「家族のために帰国する(職務を放棄して仕事を休む)」ことは、日本では社会的に批判される事実を挙げています。もちろろん、契約書には「家族のために帰国する」ことはいけない、とは一言も書いてありません。つまり、「愛」より「和」を大切にするのは、社会的常識なわけです。逆に、アメリカでは「家族のために帰国する」のは当然のこととされています。もし、日本でそんなことをしたらどうなるか。井沢さんによると(同書17ページ)、

 「あいつは常識をしらないね」「家族思いなのはいいが、仕事はちゃんとしてもらわないと」「どうも、あいつの考えにはついて行けん」等々、非難の内容も予測がつくだろう。
 これがすなわち「和」の方が大切だということを、無意識のうちに知っている、ということだ。本当に「愛」の方が大切だと心の底から思っているなら、ガイジンのようにすべきなのである。

 確かにそのとおりです。しかも、実例はこれだけではありません。阪神・淡路大震災では、被災したある地方自治体の女性首長が、夫が入院しているにもかかわらず働いているということが美談としてマスコミに紹介されていました。私もこの方は立派だと思いますが、これは確かに「愛」よりも「和」や「公」や「仕事」が大切ということを如実に実証しています。これで、B型とAB型は「非協調的」だからイメージが悪いことがほぼ明らかになったはずです。
 次に、B型とAB型は、一般的にどんなイメージで捉えられているかを示します。 -- H10.11.11

32.gif (286 バイト)各血液型のイメージ

 佐藤達哉さんの論文、「プラットタイプ・ハラスメント」からです(『現代のエスプリ〜血液型と性格』 No.324 至文堂 H6)。
 表を見ればわかるとおり、A型の特徴についてはある程度当たっているもの、O型についてはかなりいいかげんで、B型についてはあてにならず、AB型については全く知られていないことが分かります。また、B型とAB型についてはややネガティブなイメージがあることがわかります。

表1 各血液型のイメージ(N=197)

回答\血液型

A O B AB 合計

几帳面

111 0 0 0 111
神経質 77 1 1 3 80
真面目 54 0 0 3 57
おおらか 0 90 1 0 91
大ざっぱ 0 25 4 0 29
おっとり 0 16 1 0 17
明るい 4 16 38 1 59
マイペース 0 8 33 1 42
個性的 0 2 23 6 31
いい加減 0 0 17 0 17
わがまま 0 2 12 1 15
自己中心的 1 3 11 0 15
楽天的 0 8 10 0 18
面白い 0 2 10 1 13
二重人格 0 1 0 77 78
二面性がある 0 2 18 64 84
変わり者 0 0 1 13 14

よく分からない

0 0 0 12 12

表2 各血液型のイメージの社会的望ましさ(数値が大きいほど肯定的)

血液型

回答数 平均 標準偏差

O型

220 3.92 0.81
A型 226 3.41 0.80
B型 215 3.19 1.13
AB型 216 2.55 0.85

表3 各血液型のイメージ(%) N=318

A B O AB なし

隣には住みたくないタイプ

6 18 2 20 51
仲間として一緒のクラブに入りたくないタイプ 6 9 2 13 64
結婚したくないタイプ 10 12 3 22 50
自分には好きになれないタイプ 5 12 2 14 60

 結局、各血液型のイメージは、

 B型とAB型はさっぱり特徴が知られてないにもかかわらず、なんとなく「非協調的」と思われていて、結果としてイメージが悪くなっているようです。 -- H10.11.11

32.gif (286 バイト)「偏見」をなくす方法

 渡邊席子さんの論文から、今までに書いたような「差別」や「偏見」をなくす方法がある程度分かりました。この論文のデータを私なりに分析した結果、次のようなことが言えるようです。

血液型と性格に関する知識と性格の決めつけ方との関係(表Cより)

区 分

知識問題の正答率
大きいほど知識がある

自分の血液型のものと
判断した性格特性の確信度
→大きいほど自分にあてはまる
血液型で性格を決めつける
正確な知識がある

≧.75 (n=38)

.90 (SD=.96)

≧.72 (n=46)

1.05 (SD=.93)
正確な知識がない

<.75 (n=56)

1.32 (SD=.91)

<.72 (n=48)

1.34 (SD=.94)

<.65 (n=35)

1.48 (SD=.84)

 以上の分析結果は、否定論者だけではなく、肯定論者も含めての「常識」をひっくり返すものです。これらのことから、血液型と性格についての知識を普及すればするほど「偏見」や「差別」が減るはずだという結論が得られます。つまり、否定論者の「血液型と性格は関係あるはずがない」といった主張は、本来の意図に反して「差別」や「偏見」を増やすことになり、全く逆効果であることになるのです。う〜ん、なんと言っていいのかわかりませんが、否定論者には皮肉な結論というしかありません。

 実は、「血液型と性格の正確な知識がある人ほど、血液型だけでは性格が決まらないと思っている」というのは、私の実感とぴったり一致します。また、「血液型と性格の正確な知識がない人ほど、血液型だけで性格が決まると思っている」というのは、否定論者がよくいう「血液型で性格を決めつける」からよくないという主張ともぴったり一致します。そういう否定論者には、ぜひ正確な知識を持っていただきたいと思います。これで、「差別」や「偏見」が少しは減るはずですから…。

 え? 私がAB型だから、否定論者に毎回毎回そんなイヤミを言うのではないかって? それは全く違います! 「血液型と性格の正確な知識がある人ほど、血液型だけでは性格が決まらないと思っている」のですから、私がイヤミを言うのはAB型のせいではありません(笑)。お後がよろしいようで…。   -- H10.11.11


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最終更新日:平成10年11月11日