Mr. Fukada


ABO FAN


Pencil_and_Paper32.gif (245 バイト)深田さんからのメール

 長くなりそうなので別のページにしました。見やすいですか?

09.gif (441 バイト)メールの内容

 では、本題に移ります。

Red_Ball12.gif (916 バイト)No.476 B型男性の深田さんから H13.2.5 16:29

1.面白いですか?

とっても(^O^)

2.お気に入りのページ

うーん、他の心理学者の統計値をいじくるところがなかなか面白い
すごいテキスト量が充実!!
まだ全部読んでません。すいません

3.血液型と性格の関係は?

あってもおかしくない

4.メッセージ:

 はじめまして

 なかなか面白いです。
 どっちかというと血液型と性格がうんぬんというよりも
 それを導くプロセスについての頭の体操で、と言う感じですが...
 んで、ちょっと参加しようかなぁと思ったのですが
 ご意見やご感想のメールフォームがうまく作動しないので
 (なんかInternal Server Errorが出ます)
 せっかく書いたことだし...と直メールで送ってみます


 えっと、はじめまして
 ひょんなことからこのページを見つけましたが、かなりすごいですね。
 何よりデータ量がすごい。否定派の論文であっても自分の意見とは分けて、きちんとなるべく変更を加えないように掲載しているのがすばらしいと思います。

 私の考えは「血液型による違いはあるかもしれない」ですが「巷で言われる『血液型性格分類』のような「分類」ができるほどの特徴はない」です。まぁ、その辺の話はまたいつかすることにして、HP上の統計手法とその論法についてちょっと気になったので、質問、というか意見を述べてみたいと思います。

 ちなみに、一応私も大学で心理学を専攻してまして、その時の担当の先生が「統計は道具として使えるようになれ」という考えの人で、「χ2検定・t検定・分散分析・F検定」といった基本的な検定については習いました。(あとは因子分析とか数量化理論は覚えようと思いましたが使わないしめんどくさいしで手をつけませんでした)ただし、あくまで道具として覚えただけで、自分で使う範囲の知識しかないわけで、理論的なところはなおざりになっているかもしれません。
 そのへんはつっこんでいただくとしてとりあえずお読みください。

 さて「血液型統計入門(statistics.htm)」では「血液型統計はほとんどがχ2検定を使います。つまり、これさえ覚えていればほとんどに対応できることになります。」とおっしゃっていますが、実際のところχ2検定だけではだめなんでは?(「何を知りたいか」にもよりますが)と思いました。

 例えば初級編で「昭和53年4月現在の衆議院議員」について検定していますね。この場合使われているχ2検定はおそらく「適合度の検定」でしょうから、
この検定の仮説は
「分布が標準的な血液型の分布と異なる(偏りがある)」となり
帰無仮説は
「分布は標準的な血液型の分布と変わらない」となるわけで

検定によりそれが棄却されたとすれば、その結果は
「分布が標準的な血液型の分布と異なる(偏りがある)という仮説が支持される」『だけ』であり
「その原因は血液型か?血液型だとすれば、いずれの血液型にあるのか?」は検定していません。
そのため、この段階では「議院議員はO型とAB型が多く、A型が少ないということは『まだ実証されていない』」ことになるのではないでしょうか

さて、「中級編2−2つの血液型の場合」では、その課題をちょっとクリアしかけているように見受けられますが、これもχ2検定しか使っていないので結局のところ、
「O型とそれ以外の血液型の分布に偏りがある」ということを言っているだけであって、パーセンテージの差を単純に効果の差であるような結果は導き出せないはずです。
(あと、言葉について気になるのですが「衆議院議員はO型が多いということになります」という言い方だと「衆議院議員の過半数以上がO型なのか?」と早とちりする人もいるでしょうから「衆議院議員は通常の分布と比較してO型の割合が増加している」とか表現したほうがいいのでは?...細かいですが)

 そのへんの事を分かりやすく例えて見ると、サイコロについてのχ2検定で、それぞれの目が1/6の確率で出るという帰無仮説が棄却され、「サイコロの目が偏る」という結果が導き出されたとすれば「サイコロに何か仕掛けがあるかもしれない」という可能性は示唆されますしかし、「どの目が出やすいように細工されているのか」とか「その細工による影響はどれくらいか」といったものはχ2検定ではわからんのでは?ということなんです。

 χ2検定はお手軽な一方、分散もサンプル数もほとんど無視して割合だけで見てしまう乱暴な統計ですから、「パターンに合うのか合わないのか」は分かっても、その偏りを生じさせている原因は何か?まではわからない(はずの)統計だと記憶しています。
 私見ですが、特に人間という個人差のみならず個人内変動すら容易に起こすものをサンプルとして使用する以上、その人間の集まりである「集団」を比較して効果を測定する場合、分散値も重視した統計が不可欠なのではないでしょうか。(知る範囲では分散分析とかt検定とか)

 とはいえ、もちろんχ2検定がまったく使えないかというとそういうわけでもありません。
 それこそ「血液型により分類した場合、偏りがあるのかどうか」というのには手軽で便利に使えると思いま
す。
 ただし、SHOZOさんの手にする文献からは平均値とかパーセンテージまでしか出ていないことが多いみたいなので、大変だなぁということは分かります。(せめて分散ぐらい分かれば統計にも幅がでるのでしょうが)
 また、「はい・いいえ」で答えさせるアンケートの場合その差をどう検定していいのか難しそうですね。(複数の質問があるのであれば、数量化理論が使えそうですが)
 さすがに、統計は専門的に習っていませんので「これだ!」ということが言えなくてごめんなさい。
 
 でも、逆に言えば、χ2検定ではうまく出ないものであってもイコール「血液型間で差は無い」とは限らないわけで、別の手法では差がでるかもしれません。ですから、ぜひともχ2検定で収まらず、様々な検定を模索していただきたいと思います。

まとめ:
χ2検定は使いやすい分、その結果で言える範囲も限定される。
χ2検定だけを使用している限り、ある性格について、ある血液型の優位性は分からない。

この点についてご意見ありましたら.....

 あ、あと、別に心理学側の人間だから弁護するわけではないですが
 FBIについて記載されている部分について、ちょっと触れたいと思います
 「座談会―性格のための心理学」(22ページ)については、「筆跡鑑定士」や権威ある「YGテスト」を使用したところから考えると、「フリーサイズ効果」を狙った実験と言うよりは「権威付け」の効果を測る実験のように思われます。単なる「フリーサイズ効果」を調べるのであれば、こういう設定はいらないわけですからね。
 もし、大村某がこんな実験を「フリーサイズ効果の実験としてこんなことをしました」と明言しているのであれば、疑うべきところは「フリーサイズ効果」ではなく「実験計画のまずさ」であり、座談会のこの発言をもって「FBI効果は存在しない!」というのは、ちょっと無茶だと思います。(その強引さは血液性格否定者の論法とタメはるのでは...)
 まぁ、私も読んでみましたが、あの話はやっぱり「『性格』というものが権威づけの影響を受けやすいもので、それは何故かというと、当人ですら自分の『性格』を明確に規定できていない(もしくは言語化できていない)からなのだろう。そしてそこに『専門家』という権威を利用して『規定』付けをしようとすると、今度はその『言語』に自己の性格を規定してしまう自己成就の危険性がある」ってことを言いたいんだと思います。

メール(その2) H13.2.6 14:36

さて、ちょっともやもやと疑問に思っていたことを、なんとか言語表現できそうな気がしますので、再びメールさせていただきます。

判断基準についてこう書かれています(番号は便宜上私自身がふりました)
1.ABO式血液型と性格の関係は確かにある
2.回答率の差は10〜20%であまり大きくはない
3.人間関係をよくするにはかなり効果がある
4.しかし、この程度の差で血液型別の性格を「決めつける」ことはできない

1.2.4.は統計的裏づけも取られているようですし、私自身「血液型と性格の関係」の存在は否定しない、というか、「存在しない事のほうが不思議だ」と思っているほうです。
また、HPを見る限り1.2.4.について、SHOZOさんはなるべく論理的に「血液型と性格の関連」を分析している印象を受けます
しかし、「3.人間関係をよくするにはかなり効果がある」はなにか他の3点と異質な印象を受けました。
一見、1.の結論から3.の結論を導き出すのは矛盾が無いような気もしますし2.と4.の補足を見る限り、良心的な対応をしている印象を受けます。
でもなんだかやはり、唐突すぎる印象を受けます(←もやもやした部分)。
さらに、2.4.はどちらかといえば3.を否定する意味合いを持ってますが、あえて「かなり効果がある」というの何故なのでしょう?

否定論者や、私のように「血液型と性格の関係」はあってもいいんじゃないのと思う人が、それでも眉をひそめるのはまさしくこの部分なのではないでしょうか?
「やっぱり×型だから」「×型っぽくない」「×型らしい」などなど、大切な自己のパーソナリティを「血液型」という普遍的なくくり(そして、その多くは適当ではない)で論じられてしまい不快に思うことがままあります。
これが、星占いとか迷信の範疇に入るものであれば笑ってすごすこともできましょう。
でもそれが科学的にも正しいと主張されると話は別です、それこそ「ブラッドハラスメント」にもつながります。
血液型によってあらわれる性格の差異があると仮定した場合において、果たしてそれが性格をはかるスケールとなるのでしょうか?

キノコに例えてみましょう(設定や数値などは全て架空です)
100種類あるキノコのうち、40種類が毒キノコ、60種類が食用キノコだとします。
さて、ちなみに俗説では「芯の部分が縦に裂けるのは毒」というものがあります。
実際に調べてみると毒キノコ20種類・食用キノコ20種類が「芯の部分が縦に裂ける」事が分かりました。
パーセンテージに直すと、毒キノコが50%・食用キノコが33%で、このパーセンテージの差には有意差があったとします。
このことから「毒性と『縦に裂けること』の関連性」があり、「毒キノコと食用キノコを比較すると毒キノコのほうが『縦に裂ける』割合が高い」ことが分かりました。

さて、この結果を導き出した研究者(もしくは食品業者でも可)
この結果から『「芯の部分が縦に裂けるのは毒」という説は正しい!』とアナウンスして良いのでしょうか

これを鵜呑みにした一般人は、100種類のうちの60種類のみ選んで食べることになります。
まぁ、そうなれば20種類の食用キノコが除外されてしまうわけですが、それよりも怖いのは60種類のうちその1/3以上が「縦に裂けない毒キノコ」であるということです。

これは、「縦に裂けるか裂けないか」で分類したときの差異がでたことに気をとられすぎ、「毒キノコの半分は縦に裂けない」、「食用キノコでも縦に裂けるものが1/3ある」という事実が目に入らないことによる論理の飛躍ですね。

もちろん、便法としてこれを回避する手段はあります
「芯の部分が縦に裂けるのは毒キノコである傾向がありますが、縦に裂けるキノコの半数が食べれますし、縦に裂けないキノコの1/3は毒キノコです。」
はい、こう言えば誤解は生じにくいです。...でも、だから何なんでしょう?
というか、物分りのいい人ならこう思うでしょう
「縦に裂けるか裂けないかに妙にこだわってるけど、そこにこだわる意味は本当にあるの?」

あなたが100種類のキノコを目の前にしてどれか一種類選んで食べる時、「縦に裂けるかどうか」を基準にして選びますか?それしか基準が無いのであれば1/2より2/3にかけるって?
じゃぁ、そんなに切羽詰った状況設定ではなく、例えば人に聞かれたらどう答えますか

A「縦に裂けるキノコは毒キノコが多いよ」
B「縦に裂けるとかなんてあてにしないほうがいいよ」

Aはウソはついていません。でもこの言い方は様々な危険性をはらんでいるのは分かりますね
また、例えば「図鑑で調べたほうがいい」とか「専門家に聞いた方がいい」とか確実性の高い判断基準があり、かつAの人がそれを知っていた場合、ウソはついていないが、かなり誠実ではありません。
では、その言葉を付け加えるとどうでしょう?

A「縦に裂けるキノコは毒キノコが多いよ。でも専門家に聞けばもっといいね」
B「縦に裂けるとかなんてあてにしないほうがいいよ。専門家に聞けばいいんじゃない」

Aさんに聞いた人はどうするでしょう?専門家は補足的な印象を受けますし、聞くのはめんどくさいので手っ取り早く「縦に裂けるキノコだからまぁ大丈夫じゃないの?」と食べてしまうでしょう。
Bさんに聞いた人は、毒キノコだといやなので面倒でも専門家に聞くでしょう。
ではでは、「図鑑」や「専門家」が存在しない場合はどうでしょう?

A「ひとつの基準として縦に裂けるキノコは毒キノコが多いってことを覚えておいたら?」
もしくは
「全部がそうじゃないけど、縦に裂けるかどうかは毒を持っているかの判断でかなり役に立つよ。」
B「素人判断で毒キノコか食用か判断して食べない方がいいよ」
さて、どっちに聞いた人が毒キノコを選ぶ過ちをしにくいでしょうか?

もうお分かりだと思いますが「縦に裂ける」を「血液型」、毒を「ある特定の性格」と読み替えると今の「血液型と性格の関連の有無」と「血液型で性格を分類する是非」の問題は別なところにであることが分かると思います。
「血液型と性格」には関係性があったとしても、性格をはかる指標としては使えないのではないでしょうか。

また例えば、こんな架空の結果があったとして(パーセンテージは適当です。深い意味は無いです)
「人を理由無く殺してもいいと思う」 O型0.7% A型0.8% B型0.9% AB型1.2%
「血液型性格分類」の論法で行けばたった1.2%のサイコパスのおかげで『AB型は人を理由無く殺してもいいと思いがちである』と言われてしまいます

結論:
何も別に危険を承知で『血液型』をツールとして分類する必要は無い。
それどころか安易な分類は分類しないよりも対象となった人間が誤解される危険性をはらみやすい。
よって「人間関係をよくするといった効果については疑問視されるべきである」
結局のところ「血液型と性格が関係ある」と「血液型で性格判断」は別なものと考えた方がいいのではないでしょうか?

果たしてSHOZOさんにおきましては
「人間関係をよくするにはかなり効果がある」根拠(特に「かなり」と強調する意味)にはどのようなものがあるのでしょうか?
血液型による分類が当てはまらない相手に適用しようとして「人間関係が悪くなる」リスクを加味した上でもやはり「よくするのにはかなり効果がある」と言えるのでしょうか?
そこのところを確認できたらと思います。

「血液型と性格の関連」を分析するSHOZOさんはどちらかといえば「冷徹で公正な分析者」に徹しようとしているのですが、「血液型で性格を分類する是非」においては明確な基準を述べず、「血液型狂信者」と変わらない気がしてちょっと拍子抜けの印象を受けました。
とはいえ、HPは個人の意見を発表する場であり、本来で言えばそれに文句をいう筋合いはありません。
しかし、全体的なページの作りを見ると、SHOZOさんは意見を押し付けるためにHPを立ち上げているというよりも、HPを媒介にして様々な意見交流をして行く過程で自己の理論を強固なものにしていこうという姿勢が感じ取れました(私には)。逆に言えば、私のような否定意見こそSHOZOさんの望むところかなぁと(勝手に)思いましたので遠慮なく書かせてもらいました。
というか、私自身、本気で血液型がうんぬんと言う興味よりも、どのように論理的組み立てができれば結論に導かれるのか、説得できるのか、を考えることが面白い方です。
だから、(答えてくれるという前提においてですが)この疑問(愚問?)が否定されるにしても肯定されるにしても、その結論よりもその論理構成がどうなるかが楽しみです。
あと、「心理学者の方法論」とか「一般的には」という代用句は使用せずにお答えくださればもっといいかなぁ、なぁんて。

ちなみに、性格で血液型を推測する、という手法は面白かったです。このような使い方をする分には血液型で微妙に現れる差を利用するのは有効かもしれませんね。(でも確実なのは血液検査ですけど...)
もし、「人間関係をよくするには」と言っているだけで「性格を判断する上で」とは言っていない、とおっしゃるのならば考えられる有効な活用方法がひとつあります。
それは、逆説的になりますが他者の持つ「血液型ステレオタイプ」を利用して、自己紹介をスムーズにするということです。
「普段は全体的にB型っぽいんですが、女の子の前ではA型っぽくなります」
とかいうと、簡潔なのにイメージとして描きやすいという利点がありますね。
 
ではでは、長くてすいませんでした

長文のメールをどうもありがとうございます。

 さて、どこから答えたらよいものか…。

 まず、メール送信フォームですが、たまにエラーになることがあるようです。私がテストしても問題はないのですが…。

 χ2−検定については、もちろん全くおっしゃるとおりです。ただし、心理学の論文に当たってみるとわかりますが、ほとんどはχ2−検定を使っています。その理由は私にはわかりません(笑)。

 FBI効果については、まさに「『権威付け』の効果を測る実験」と私は解釈しています。

 後半の「3.人間関係をよくするにはかなり効果がある」というのは、心理学者自身が認めている事実です。私独自の意見でもなんでもありません(笑)。お好みの文献に当たってみてください。一つだけ例をあげておきます(詳しくはこちら)。

変数名

肯定率(%)

血液型性格判断は楽しい

83.6

血液型性格判断が好き

61.5

コミュニケーションに役立つ

40.4

 なお、これは心理学者自身によるデータです。心理学者の文献を読むとわかりますが、まじめに血液型を否定して座が白けたという話はいくらでもあります(笑)。

 また、キノコの件については、別に血液型に限らず、性別・年齢・出身地でも同じことです。不快に思う人もいますが、どちらかといえば少数のはずです。

メール(その3) H13.3.1 15:48

>χ2−検定については、もちろん全くおっしゃるとおりです。
>ただし、心理学の論文に当たってみるとわかりますが、ほとんどはχ2−検定を使っています。
>その理由は私にはわかりません(笑)。

使われている理由もわからずに、ただ尻馬に乗ってχ2−検定を使いそれで「差が出た、だから血液型うんぬんは正しい」といったところで扱い方が悪いのを本当に分かっているという前提に考えれば「だから血液型うんぬんは正しい」というのは決して「だから」ではなくあなた自身の主観(もしくは希望)を故意に、「あたかも」自分の意見が統計的裏づけを持っていると、読者をだます行為になりやしませんか?

ついでにいえば、あなたの言う「心理学者」は「差がない」事を調べるために「χ2−検定」を使っているのであってそういう意味では「心理学者」の使い方は正しいしかし、あなたのように「全体的なデータの分布に差がある。
だから部分的な比較において見られる□型と△型の間に見られる差は有意である」という使い方は、おそらくあなたのいう「心理学者も使っているχ2−検定の使い方」ではなくあなた自身が勝手に誤った解釈をしているχ2−検定の使い方なんではないでしょうか?どうでしょう

>FBI効果については、まさに「『権威付け』の効果を測る実験」と私は解釈しています。

???私が言っているのは、「FBI効果は存在しない!」で述べられている現代のエスプリの引用の下りで「YG検査うんぬん」を「FBI効果」とあなたが受け取り否定していることについて「YG検査うんぬん」の実験は『権威付け』の効果を測る実験なのに、あなたは「FBI効果」を否定したいがために、かってにそれを「FBI効果の実験」と曲解しているのが間違っていると言ってたつもりなのですが?その間違いを認めたってこと?

>後半の「3.人間関係をよくするにはかなり効果がある」というのは、心理学者自身が認めている事実です。
>私独自の意見でもなんでもありません(笑)。

わざわざ指定してくださってありがとうございます。
でもなんですかこれ?
「コミュニケーションに役立つ」と『思っている』人が40.4%いるだけで「ホントにコミュニケーションに役立つの」を心理学者が認めているわけでもないし、ましてや「事実」かどうかわからんでしょ
「3.根拠は無いですが人間関係をよくするにはかなり効果があると思っている」
ならばそれはそれでいいのですが...(じゃぁデータなんて関係ないじゃん...)
この引用のしかたの無茶苦茶さにはかなりびっくりでした...

『あなたの意見』をストレートに言っていただいた方が間違いは無いと思うんだけどなぁ
下手に「権威付け」をおこなおうと「心理学者も」とかいう引用で済まそうとするからこんな「明らかに間違いと分かる間違い」が生じてしまうのです
だから前のメールで
『「心理学者の方法論」とか「一般的には」という代用句は使用せずにお答えくださればもっといいかなぁ』
と言ったのですよ〜
あなたのページなんだから「私独自の意見」でも理論的にきっちりしてればそれでいいんじゃないのですか?

>不快に思う人もいますが、どちらかといえば少数のはずです。

キノコの件については、不快に思う人の多い少ないの問題ではなく
(つうか、多い少ない問題を言ってしまえば、マイノリティの差別とかいった「血液型への科学的アプローチ」には全く関係ない話題になってしまいますしね)
理論に当てはまらない事象が生じることが分かっていながら、それを理論として正しいと主張することの是非を聞きたかったのです。

<<質問のまとめ>>

あと、もう一つ。何かと言えば『心理学者』とかなり乱暴な分類をしてあたかも「全ての心理学者が」と受け取られるような表現をしていますが
その実「ある特定の心理学者が」とか「ある特定の心理学者の論文のある特定の部分で」と言う意味であったりすることがままありますこのような使い方は多くの誤解を生むので止めたほうがいいのではないでしょうか?

なんかHPの体裁としては「血液型を否定する心理学者は間違っている」ってスタンスなんだけど
その否定する相手の部分的なコメントを引用したときなど「心理学者自信もこう認めている(から正しい)」っ
て論調で「心理学者」を権威としてうけとめているのか、それとも「心理学者」を否定しようとしているのかよく分かりませんねー

ではでは、できれば気合の入った反論・持論期待しています。

前回は時間がないので失礼しました。

 では、順番に回答します。

1.心理学側の血液型と性格の関係の実験において、χ2−検定を「差がないかの検定」として使っているのはわかるが
 χ2−検定を「差がある」ことの証明として使った上、そのまま各個のデータの差を有意味であるかのように扱う方法は
 明らかなABOFAN側の検定の使用方法の誤りではないの?

 ??? このセンテンスは意味不明です。
 「χ2−検定を『差がある』ことの証明として使」うのは当然ですから、何がまずいのでしょうか? 統計的検定は、元来「差がある」ことを証明するようにできているはずなのですが…。
 「そのまま各個のデータの差を有意味であるかのように扱う」のは、タイプ2エラーのことです。要するに、サンプル数が足りないから有意な差が出ないということです。別にヘンじゃないと思いますが…。証明は各々のページをご覧ください(例えばこちら)。

 だいたい、統計的に差があっても血液型と性格の関係がないということなら、わざわざ検定なんかする必要はありません。ところが、心理学者のほとんどの論文では、一心不乱に「差がない」と主張しているのですから、全くムダな努力ということになってしまいます。深田さんは本当にそう思っているのですか?

 それと、心理学者のデータは、ほとんどがχ2−検定用です。分散を計算するのが面倒だからでしょうか? そういう意味で、なぜ(血液型と性格の関係を否定する)心理学者がχ2−検定を好むのかわからないという意味です。決して、私がF検定やt検定を嫌いなわけじゃありません(確かに面倒ですが・笑)。

#ちなみに、私は因子分析、主成分分析、判別関数とかやりましたが、全部理解しているかというと…(汗)。

2.「FBI効果は存在しない!」で「YG検査うんぬん」の実験を「FBI効果」の否定材料として使うのは誤りではないの?

 正確を期すために、元のページから引用します。

 最近、ミシェルの状況主義について知りたくて、佐藤達哉さん編集の『性格のための心理学』(現代のエスプリNo.372 H10.7 至文堂)を読み直してみました。ところが、そこには衝撃的な事実が書かれていたのです! 次は、「座談会―性格のための心理学」(22ページ)から引用しておきます。

大村[政男さん] …私はある授業の時、紙片に学生本来のフルネームを書いて出して貰った。少し経ってから、「君たちの書いた文字をある筆跡鑑定家に依頼してその文字から性格を判断して貰った」(これはもちろん嘘)といって1人ずつその偽の診断書を手渡した。そうしたところ、おおよそ70パーセントぐらいの学生が「当たっている」と報告してきた。

 ということは、大村さんのケースでは、少なくとも70%程度の学生には「フリーサイズ効果」が現れることになります。ところが、続きの文章には…

大村[政男さん] 行き過ぎると自己成就してしまう。偽物を渡されて「当たってる」と思う。ずっと前にYG性格検査をやって、その後、偽の結果を手渡したがだれも文句を言わないで納得してしまった。

 私は、この文章を読んで思わず自分の目を疑いました。信じられなくて、何回も読み直してみたのですが、確かに間違いありません。しつこいようですが、上の文章は一字一句違わずに原文どおり引用したものです。疑問がある人は、自分で原典に当たってみてください!

 大村さんの言うことが事実だとすると、YG性格検査では100%「フリーサイズ効果」が現れることになります。でも、YG性格検査がインチキだという心理学者はいません。少なくとも私が知る限りは…。結局、「フリーサイズ効果」が現れるかどうかと、性格に差があるかどうかは(ほとんど?)関係ないとしか言いようがありません。

 では、現実のデータを見てみましょう。これも、元のページからの引用です。

Red_Ball12.gif (916 バイト)大村さんのデータ

 では、問題の記事に当たってみることにしましょう(大村政男  「血の商人」の餌食になるなデタラメぶりは立証された 『朝日ジャーナル』 昭和60年3月8日号 89〜92ページ)。大村さんによる同様のデータは、平成4年4月号の『ニュートン』にもあるそうですから、心理学では定説?になっているのではないかと思います。彼は、血液型と性格の関係を否定している代表者の一人です。

 それは、例えば、本来(?)の性格である「O型は大らか」「A型は注意深い」「B型は好奇心が強い」「AB型は合理的」というような内容を印刷し、それを入れる封筒のラベルには別の血液型を書き、本当に自分と合っているかどうか回答してもらうというものです。変える順番はなんでもいいですが、例えば、O型とAB型を交換し、更にA型とB型を交換するというものです(表II)。あるいは、各血液型からランダムに性格の記述を拾ってくるというものです(表III)。

表II おかしな一致(その1)57人

本人\ラベル O型
(実はAB)
A型
(実はB)
B型
(実はA)
AB型
(実はO)
O型 13
A型 19
B型 12
AB型

表III おかしな一致(その2)63人

本人\ラベル O型
実はO1・A3・
AB6で構成
A型
実はO5・B5
で構成
B型
実はO1・A6・
AB3で構成
AB型
実はO3・A1・B5・
AB1で構成
O型 21
A型 18
B型 11
AB型

 心理学者がやっているのですから、ランダムサンプリング等の統計的な問題はクリアしているものと仮定します。で、結論としては、彼のいう「フリーサイズ効果」(性格の特徴があいまいで何にでもあってしまう)が実証されているように思えます。

 次に、O型の性格としてあげられている8つの特徴を各血液型の人に自分に当てはまるかどうか質問してみたそうです(表IV)。

表IV O型の特徴といえるものがあるのか(%)

項    目

O型
115人
A型
216人
B型
104人
AB型
45人
1.現実的な考え方が目立つ 54.8 57.8 63.5 55.6

2.ロマンチストである

65.2 68.5 66.3 75.6

3.集団的な結束力が強い

60.6 50.0 51.9 53.3

4.独立心旺盛

49.0 51.9 60.6 55.6

5.仲間内では開放的

82.6 75.5 79.8 68.9

6.初対面では警戒する

58.7 58.3 58.7 62.2

7.論理を好む

39.4 34.7 36.5 33.3

8.直感で判断しやすい

61.3 64.4 71.2 60.0

 赤が一番高い比率です。これも、結論として、3.5.7の3項目だけが他の血液型より高い値を示しているが統計的には意味がないと締めくくっています。なるほど!ですね(どうもこの表はO型の数字にミスがあるらしく、人数がちゃんと出ないのですが、とりあえずそのまま使っています)。

 表II&IIIと表IVを比べると一目瞭然ですが、全然数字が違っています。表II&IIIでは、自分の血液型と思っている性格特性の肯定率が極端に高いの対し、表IVではせいぜい20%程度の差しかありません。こんなことは偶然ではありえません! 条件が違うのでしょうか?

 実は、表II&IIIについては、K大学やI大学で追試(?)をして再現性を確認しています。心理学的に血液型と性格の関連性があることがわかった、と実験者が発表し、その後に「○型の性格は××」という質問に対して被験者に回答させるというパターンです。残念ながら、手持ちのFBI効果の文献では、表II&IIIをどのような条件で行ったか明記されていませんが、データや再現性を考えると、ほとんど同じような実験(というかK大学やI大学の方が追試)だと思われます。どこかにちゃんと書いてあったような気もするのですが…。

 その意味で、まさにFBI効果は「『権威付け』の効果を測る実験」と私は解釈しています。

3.んで、「3.人間関係をよくするにはかなり効果がある」の『あなた』の理論背景は?

 「コミュニケーションに役立つ」かどうかは定義の問題でしょう。40.4%が自己評定でそう答えているにも関わらず、それが「認知の歪み」と断定するのはどうでしょうか? 別にこの数字はヘンではありません。なぜなら、「楽しい」が61.5%、「好き」が83.6%だからです。複数人でのコミュニケーションを考えると、2人とも「楽しい」場合は37.8%で、3人とも「好き」な場合も58.4%です。矛盾しないと思いますが…。それに、原則として本人の自己評定がウソとすると、自己評定に依存しているYG性格検査なんかはまるっきりウソになってしまいます(ご存じのとおり注意事項になっているようです)。

 仮に「コミュニケーションに役立たない」となると、複数人で「好き」や「楽しい」ことをおしゃべりしても「コミュニケーションに役立たない」ことになります。これは逆にヘンではないでしょうか?

 他には、松井豊編『ファンとブームの社会心理』(サイエンス社1994)をご覧ください。参考文献のリストも付いています。

 175ページには、上瀬さんの自身の言葉で「血液型性格判断が楽しまれる背景には、それが他者とのコミュニケーションに役立つという実用性があることが理解できる。」とあります。

 つらつら文献を読んでみると、血液型が流行っていることはさすがに否定できないので、「コミュニケーションに役立つ」と言っているのかなぁと勝手に推測しています。

4.キノコの例のように、エラー(理論に当てはまらない事象)が生じることが分かっていながら、ある程度の事で当てはまるように見えるものを理論として正しいと主張することの是非はどうなの?

 これがなぜ問題になるのでしょうか?

 私は○は××の性格とは言っていません(深田さんのメールその2冒頭)。あくまでも統計的な傾向があるということです。性格検査もそうですよね? 「性格を判断する」つもりもありませんし…。

 最後に一言。私は「心理学者」とか書いていますが、関係者なら誰のことを指しているか全員おわかりのはずです(笑)。批判するのに個人名を出すのはどうなのかなぁ、と思っていますのでワザとそういう表現にしてあります(一部例外もありますが)。深田さんは関係者ではないのでしょうね、たぶん。

メール(その4) H13.3.9 14:37

おお、専用ページが!
「長くなりそうなので」なんて言われたら、長くしちゃいますよ...メールを(←オイ)
すいませんね、なかなか言葉がまとまらないので妙にメール長くなっちゃうんですよ
以前こちらで論争をしていた渡邊先生のように理路整然にはいかないと思いますがよろしくお付き合いください。

ということでど、前回のお返事について...と行きたい所ですが、書いてるうちに「コリャいくら長いったって限度を超えてるよ」と思ったので、次回に見送り。
今回は、せっかくページを作っていただいたということで自己紹介等を中心に書いてみました。

///自己紹介///
教養ですが、大学では一応心理学を学んでおりました...が、学部程度の知識。
(性格関連については専門が異なりますので詳細には知りません。概論程度には知っているつもり。)
統計については、カイ2・T・分散・相関までは実際に使ったり、統計ソフトを作ったりしてますので、ある程度のレベルの理解はしている...かな。

ただし、因子・数量化等の高等(?)なものについては知識として知っている程度。とりあえずSPSSに突っ込めばなんかやってくれるだろ、って感じですね。
今はこのHPに投稿するために、昔まとめた統計のノートやら、『「心理・教育のための統計法」 山内光哉著・サイエンス社』をひもといたりしています。
予断ですが、ABOFANさんのHPにある渡邊先生の文章は統計を扱う人間にとってろても分かりやすく的確なものに思えました。おかげで、統計に関する考え方がうまく整理されてきた感じです。

ちなみに基本的に高校から大学まで文系人間です。
しかも最初から心理学を目指していたわけではなく、高校時代は中国哲学青年でしたが、大学に入る頃にはすっかり飽きていて、パソコンにつられ、心理学研究室に進みました..。(その頃文系で唯一パソコンがいじれる研究室だったのです)その他受けた学部教養は、美学・哲学・論理学・社会学あたりかな(欠席しがちでしたが...)

///「血液型と性格」観///
さて、このHP上で意見を述べていくには、一応「血液型と性格の関係」をどう思っているか、というのを述べた方がいいでしょうかね?

えっと、私は、血液型と性格の関係の有無は断言できないけど、あってもおかしくない。むしろ、無い方が不思議、といったものです。
何故かと言うと、「人間の体の大部分に行き渡っている血液の成分が異なっているのだから、その差が肉体や精神にまったくあらわれないということは無いだろう」と思うからです。
このHPで紹介されている脳内物質の話等でも、そんな感触を受けますしね。

ちなみに、じゃぁここのスタンスとの相違はあるのか?というと、下記のような感じです

「ABO式血液型と性格の関係は確かにある」=消極的賛成(わからないけど多分ある)

「回答率の差は10〜20%であまり大きくはない」=『回答率の差』を使う意味合いが良く分かりませんが、あまり大きくないと言う点には賛成。

「人間関係をよくするにはかなり効果がある」=以前の意見で述べたように疑問視。(ABOFANさんから定義の問題が出されているので、定義の詳細が判明するまで「賛成/反対」のスタンスは選べない。)

「しかし、この程度の差で血液型別の性格を「決めつける」ことはできない」=絶対賛成

よって、このHPについては『総論賛成』という立場かな?ただし、『各論反対』の部分もありますね。
この『総論賛成・各論反対』というスタンスは良く理解してくださいな

なんとなーく思うんだけど、私の意見に対するABOFANさんの返事を見ると、部分否定を全体否定と受け取り、否定してない(というか論議の対象としていない)はずの部分について反証してたりするんですよね。例えば「FBIは存在しない」のページのある特定の部分の記述について反論をしたつもりでしたが、何故か「FBIは存在しない」という総論について反論しているように過剰に受け取られていたようですし...
きっと、ABOFANさんがわざとこんな的外れの反論をしているのではなく、私が『血液型と性格は絶対関係ない』派だと思って読んでいるから、過剰に反応しちゃってるのかなぁ、なんて思いました。
だから、ここで改めて実際の私の立場を明確にしてみましたので、今後このスタンスを理解した上でメールを読解してくださいね。

///「血液型と性格」の現行の疑問点///
さて、一応私の「血液型と性格」観を述べさせてもらいましたので、立場としては「賛成派」寄りの人間という事がご理解いただけたでしょうか。

 ただし、現在のところ「あってもおかしくない」は私の『仮説』でしかありません。
 では、科学的立場で考えた場合どうなの?と言われたら、現在のところの答えは「わからない」。

例えば、このHPでは「科学的分析でも『血液型と性格』が関係あることが立証できる」というスタンスだと思いますが、その内容を見ると「科学的分析」はしているが、「科学的推論」にまずい所があるんじゃないかなぁ、と感じています(そのまずいと思った部分は以前にメールで出したもの)。

では一方、否定的な結果が出た論文について考えると。ちゃんと自分で実験してる研究者は、おそらく『仮説』に基づいたある程度正しい「科学的分析」と「科学的推論」はしているんじゃないかなぁ(ま、中には例外もいるとは思うけど)
ABOFANさんは、各研究者の各研究で異なっているはずの『仮説』をすっ飛ばして、データだけを見ているのではという印象を持っています。(まぁ、印象っていう個人的感覚ですが。)
あくまで科学的研究は『仮説』を元に「実験計画」を立ててデータを取り、『仮説』を元に「統計」をし、『仮説』を元に「統計からの推論」をし、『仮説』を元に「結果」を立てているわけです。
だから、例えばある『仮説』に基づく結果に対し、違う『仮説』によって得られているデータを持ち出して「結果に矛盾があるじゃないかぁぁ!」というのはある意味的外れである事が往々にしてあります。
まぁ、この辺はおそらくABOFANさんは反論したいところだと思いますけど。
(話題に上がったらもうちょい詳しく述べてみたいと思います)

んで、「やっぱり否定論者を支持するんだから、お前は否定論者だろうがぁぁぁ」
...なんて短絡的に思っちゃわないでね。
おそらく、今までそんな「否定的な結果」が出た実験における『仮説』の中に「この世のどのような場面においても性格評定(もしくは行動)に血液型における差は出ない」という論文は無かったはずです。

つまり我々は、「うまい仮説を作れればすれば関係が見られる事があるはず」との「仮説」を持ち続けることができます(この辺はABOFANさんと似ていますかね。)
ただし、今のところそんな『うまい仮説』と『うまい結果』が出たというものは残念ながらまだ見たことがありません。
だから、科学的立場からいえば「現在のところ分からない」というのが正しいスタンスだと思われます。

///「血液型と性格の関係」を進める上での疑問///
私も、渡邊先生や佐藤達哉先生の著作もいくつか読んでおり、色々と納得する事が多いです。
そんな中で通して感じられ、共感できたのは、「血液型と性格の関係」云々を述べる前に、「性格」ってなんだろう?ということです

ABOFANさんは
> YG性格検査がインチキだという心理学者はいません。(FBI効果の項)
とおっしゃっていますが、確かにインチキだという心理学者はいません
ただし、当然ご承知とは思いますが、「YGでその人の性格が分かる」とかいうのは、例えば企業の採用担当者のような人の素人考えで(それが一番危険ですけど)、少なくとも私が習った限りにおいては、「YGテストのような質問紙法で出てくる結果は、内面的な性格をはかっているのではなく、『自分はこうであると思い込んでいる』もしくは『他人にこう思われたい』といったものを計っているのにすぎない。」というのが本当のようです。(性格検査についてきちんと学んだ事のある人においては共通見解だと思います。)
まぁこれについては、私自身も経験上納得していることです。

ここで言う「質問紙法の回答に現れる外面的な性格」は、いわゆる「パーソナリティ」の語源となっている『ペルソナ』と呼ばれるものに(全く同じとは言えないまでも)似通っていると考えられ、それを考えると「YGテストで計ったもの」もある意味性格であるというのは決して間違いではないでしょう。

でも、本当に我々が知りたいのは、そんな「質問紙法」という限定された状態で作り出される「性格」ではなく、日常われわれが「その人の意識・無意識を問わない実際の行動」を見て感じる性格なのではないでしょうか?(少なくとも私はそうです)

ということで、「性格」の計り方がはっきりしないのに、「血液型との関係」なんか計れないじゃないか、ということです。

じゃぁどうしたらいいんでしょうね?
それについては、うーん...これから考えなくてはいけないでしょうね
個人的には「ゾンディテスト」が検査法としては興味深い(質問者の意図を汲み取られにくいので)ですが、残念な事にその妥当性が今ひとつなので深く言及はいたしません。
でも、ゾンディと血液型の組み合わせって結構画期的かも!!なんても思ってますね

まぁ、この『性格』の問題が解決しない限り、「血液型と性格の関係」への科学的な正しいジャッジは下せないと感じています。

///あらためて「性格」って何?///
「B型の私は何型でしょうさん」とほとんど同意見なのですが、ABOFANでは性格をどうとらえているのでしょうか?一応尻馬に乗った形ですが、自分の意見を述べたいと思います。

>「性格」については、基本的に心理学者の定義に従っているつもりなのですが…。
とのことでしたが、果たして「心理学者の定義」ってなんなんでしょ

「なんだよ、『性格』の心理学の定義も知らないのかよ、そんなの心理学を学んできたとはいえねーよ」、と思われるかもしれません。
まぁ、学生時代は、単位が足りなくて4年のところ5年いたような人間ですからー(←言わんでよろしい)授業で「心理学者の定義」をやったとき、家で寝てたのかもしれませんね。
素人同然と受け止められてもかまいません(つうか、玄人と思われては困ります)
でも、このHPに来る人の多くは、そんな素人同然の人達が多いはずですよね。

どうか、無学な私めや、ここに来る他の素人の方のためにも、お手数ですがその「心理学者の定義」って奴をここでもう一度教えてください。

...なんて下手に言ってみましたが、どうですか?
なーんでこんなこと聞くんだろ?って、おそらく心理学とは異なる分野にいるABOFANさんは思うでしょう。
でも、心理学にいた私としては「性格」の定義ほど「研究によっていろいろ変わるもの」は無いんじゃないの、と感じているからです。

「基本的に心理学者の定義に従っている」というセンテンスは、ABOFANさんの意図はどうであるかはともかく、読む人(少なくとも私は)はあたかも「心理学における『性格』という言葉は、誰もが同じ定義で同じ物をさすものとして使っている」と感じるでしょう。

でも、本来心理学の分野の人間ではないのに、下手な心理学部の学生よりもたくさんの文献をあたっているABOFANさんは当然承知と思われますが、同じ『性格』と言う言葉でも、研究者、はたまた論文毎に多かれ少なかれ『定義』が異なり、その「性格」によって示される対象が異なっていますよね。

だから、ただ「性格」と言われたのでは『どの心理学者のどの研究の定義に沿って「性格」という言葉を使っているのか、それともABOFANさん独自の定義の「性格」なのか』が、心理学をちょっとかじったくらいの私ですら混乱してしまいますし、ましてや、ABOFANさん並に様々な文献を読んでいる人であればさらに混乱するはずです。
渡邊先生がメールのやり取りの序盤に、あえて「性格にまつわる3つの仮説」をあげたのも、ABOFANさんが「性格」をどう捕らえているかがまず問題だったからでしょう。

日常会話レベルであれば、「性格」とひとこと言えば、ある程度の漠然とした共通認識が持てるかもしれませんが、あくまで「科学的」にこだわるのであれば、そんなあやふやであるかないかわからない共通認識に頼る事などできないはずですよねー。
だから、科学的・心理学的に「性格」というものを問題にしたい場合、「どんな定義により何を指す『性格』」なのかをはっきりさせる必要があるわけです。

...ということで、科学的に「性格」を論ずる時、その定義付け、もしくは説明が大切なのはわかっていただけましたか?
 
「性格を定義しろ定義しろっていうけど、実際に性格ってものは確かにあるはずじゃないか!それじゃダメなのか!それともあんたは無いものだというのか!」
なんーて言わないでね(言わないと思うけど)。

いえいえそうではありません。少なくとも私は性格はあると思います
ただ、ABOFANさんの所では、「性格」という話題において、様々な人の定義を紹介しており、とっても参考にはなるのですが、ではさて、ABOFANでは「性格」をどのようにとらえているのか?ということを考えようとすると、逆に多種多様な「性格」の定義が紹介されていることで、かえって考えがまとまりません。

もしかしたら、「基本的に心理学者の定義に従っているつもり」となにか自信なさげなコメントをするABOFANさんも同じ気持ちなのやもしれません。

しかし、仮にも『血液型と性格というものを「科学的・統計的」な検証する』HPにおいて、「性格」の定義が十分になされないというのはちょっと...というのは許されないんじゃないかなぁ
だって、一番軸になる「性格」というものを扱う人自身(ABOFANさん)が、それを定義できないのであれば結局何を「科学的・統計的」に検証しているのか、検証している人自身が分かっていない事になるからです。

「そんなことない!ちゃんと定義できてるからこそ科学的・統計的に検証しているといえるんだ!」
と言いたいのであれば、やっぱり、他の心理学者の定義のうけうりでもなんでもいいですから、それをきちんとまとめた形でABOFAN的定義を提示すべきだとおもいます。

※ ...そもそも「基本的に心理学者の定義に従っている」の「基本的に」という言葉も曲者なのです。全て「心理学者の定義(があればですが)」にしたがっているなら「基本的に」とことわる必要はないはずですから、どっかの部分に「基本的とは異なるABOFANさんの考え」が混入しているはずです

...などなど、かなり意地悪口調で言っていますが、一応HPのほとんどに目を通した私はだいたいABOFANさんが「性格」についてどのように捉えようとしてるのかなんとなく分かった気がしています(気がしてる
だけ?)。
ただし、やっぱり他にもこのHPに来て、よくわからないけど一緒に(同じ立ち位置に立って)血液型と性格について考えたいなという人も沢山いるでしょうから、きちんと分かりやすい場所に、分かりやすい言葉で「ABOFAN的性格の定義」を載せたほうがいいんじゃないの、と思います

だって、ここはABOFANさんのHPであり、ABOFANさんが分析しているわけだから、ここにメールを出すのはABOFANさんのデータ処理に対する意見や、ABOFANさんの考え方に対する意見でなくてはいけないと思うからです。
正直、乱暴な事を言えば、ミシェルがなんと言おうと、小学館がなんとまとめようと、能見さんがなんと定義しようと、このHPを訪れ、ABOFANさんにメールを出している私には関係はありませんね。

そして、私はABOFANさんが例え
『多数の心理学者とは全く異なる「性格」の定義』
をしようが、最低下の3つの要件を満たしていれば「それが正しい」だの「間違っている」だの言うつもりはありません。さて、その用件とは

「その後の議論において、定義が「いつのまにか」追加や変化する事が無い事が保障される」
あくまで「定義」ですから、論議の末より目的に合ったものにするため変更・追加は必要ですが、知らぬ間に定義が変更されるとそれまでの議論が全く無駄になってしまうので勝手にコロコロ変わると困る。

「その前提において議論がしっかりできるもの」
これはあまり難しく考えないでください。
たとえば「性格とは人間の行動になんらかの影響を与えるものである」とかいうあまりにも漠然とした定義では何も議論できないなぁ、ぐらいのレベルの話です。

「その定義で述べた範囲内で論議をすすめるもの。」
上の項にも関連するのですが、「言ってないから、肯定(否定)していると受け取ってもいい」なんて水掛論みたいなことにならないように、言っている範囲で考えていきましょうよ、ということです。

 すくなくとも、それを大前提の土台にして私は論議を積み重ねることを私は強く約束します。

ちなみに「人にばっか聞いて自分は『性格』についてどう思ってるんだ」と言われてもあれなので、私自身として「性格」についての仮説と定義にチャレンジしてみました。

<仮説>
人間の行動は絶えず状況に影響され、変動が生じる(個人内変動)ため「通状況的一貫」は見られない。ただし、その個人内変動はある方向のベクトルに対し一定の振幅で生じ、全く無秩序に変動しているわけではないため、一定の傾向が感じられる場合がある。また、個人個人によってベクトルと振幅は異なる事が多く、それが「個性」と認知される。
このように、行動や対人認知によって認知される「性格」とはその個人内変動している部分である。ただし、そのように外観上変動して見える性格は表層的なものであり本質的なものとは言えない。やはり、その本質は、表層の裏側でベクトルと振幅を制御している「軸」の部分にあると思われる。また、この「軸」の部分はある程度固定され、変動が少なく、そこには「首尾一貫性」が認められるのでは、と推測する。

<定義>
 本稿における「性格」という言葉は、あえて断らない限り、上記の仮説における変動の多い表層的な性格を指し示すのではなく、その裏側にある「首尾一貫性」を持つと仮定される部分を差すこととする。

って感じでしょうか?
...あ、これは私の定義ですから、全く参考にしないでくださいね。決して心理学の一般的定義ではないです。(でも、ABOFANさんの考えに結構近いかも、なんて思いますが)この定義をこのABOFANに持ち込むつもりはありませんから...というか、このHPで、こんな私の個人的な定義について論争されても困っちゃいますから。
ABOFANさんも、まず「ABOFAN的性格の定義」をぶちたててくださいな。それが先決です。

///前回の返事について///
では、前回の返事について、観点の相違があったようですので簡単に説明させていただきます。
(詳細な説明は作成中で、後日にあらためて。これ以上長いメールもいかがなものかと思うので)
これで、「あっ!そういうことだったのか」という理解がいただけたら幸いです。
新しいご理解を得た上で、あらためてお返事いただければいいかなーと思うけど、これでも理解できない、もうちょっと詳しく聞きたいとかありましたら次回あらためて詳細に解説したいと思いますので、それまで待っててください。

<1>χ2−検定問題
うーんと、言い方が悪かったのでしょうか?
χ2−検定の統計の手法・用途は間違っていないが、統計結果から結果を導き出す段階で、χ2−検定で知る事ができる以上のことを言っているのでは?ということを言ったつもりデス

<2>エスプリ引用部分は果たしてフリーサイズの実験なのか
私は「FBI効果⇒権威付け」ということに全体的な異論を投げかけているのではなく、あくまであの「エスプリ引用部分」の実験内容を「フリーサイズ効果」と言っているのは認識の間違いではと指摘しているつもりデス。

<3>人間関係をよくする意味
私が『「認知の歪み」と断定している』と断定されています...???
私が言いたかったのは、「みんながそう思う」ということと、「『科学的に』証明される」というのは別じゃないの?と言いたかったのですけど...
つうことで、今回の返事を加味した私のこれに対する新たな理解はこの項目は、例えば「多数決」とかいう単純な観点で導いた結論であり、「科学的推測」とは関係ないところで成立しているのかな?と感じたのですがどうなのでしょうか?(それが「定義の問題」になるのかな?)
「『日常会話』等の正確性が問われない状況下での『話のネタ』としてコミュニケーションに役立つ」
ってことならば私も賛成!

<4>キノコの例
えっ!問題ないの?というのが率直な意見。少なくともキノコの例に関しては実際にそうやったら問題あるはずですけど...
 ただし、これは「3.人間関係をよくするにはかなり効果がある」に対する疑問に付随する話でしたよね。
私は前回、この項目が「統計的に認められた差を人間関係に当てはめて利用する」という意味合いで言っているのだと誤解していたために発生した例え話ですから、もしも、実は「コミュニケーションに役立つのは、先に述べた『話のネタ』レベルの効果」と理解していいのであれば、わたしのピント外れでした。

そうならばキノコの話もこのHPとは関係なく、ただ
「仮に統計的な差を盲信してそれを人間関係に当てはめようとした場合の危険性」
についての話題提供だったと思ってください。
 
<5>心理学者というカテゴリー
>私は「心理学者」とか書いていますが、関係者なら誰のことを指しているか全員おわかりのはずです(笑)。

正直分かんないですね〜、それが単数なのか複数なのかも分かんない。

>深田さんは関係者ではないのでしょうね、たぶん。

「関係者」というのが「心理学関係者」であるならば、一応私も関係者になりますが、全世界に何千何万といる心理学者全員とその考え方を知っているわけじゃないですからねー。
「血液−性格論争」の関係者、というのであれば、私はにわか参加者なので知らなくて当然ねー。

まぁ、私は、「心理学者」というその言葉が与える印象を考えた上で、なるべく誠実な表現をする姿勢があるかないかを聞きたかった。
このHPに来る人たちのほとんどは私同様、その「にわか参加者」でしょうから、そんな人達が「心理学者が言った」ってだけ言われたら、きっと「すべての心理学者の共通見解」ってうけっとっちゃうと危惧するんですけど...
HP読めば分かるとおっしゃるかもしれませんが、やっぱりなるべく誤解を生じさせる表現はさけた方がいいんじゃないでしょうか?
 別に名指ししろ、ってわけじゃなく、「とある心理学者」とかいう簡単な表現でも、ある程度誤解は防げると思うのですが

///多分まとめ?///
まぁそんなわけで、心理学とのプロとの対談は以前さんざんやっていると思うので私は、これから意見交換が続くようであるならば、このHPに来た素人、なかでも肯定的な立場であっても「おや?」と思うような部分について意見を交わしたいと思います。
いえいえ、みんなの代弁者だ、なんていう大それた事ではありません、あくまでいち素人の疑問・意見として受け取ってください

ちなみに私、「何かを生み出そうとする」論争は好きですが、「論争のための論争」「否定のための否定」といった、泥沼が際限なく広がるだけの論争は疲れるだけで何も生み出さないので嫌いです。

そこで、そのような不毛な論争を回避するための「私自身の留意事項」をあらかじめ言っておきたいと思います。

その1「互いの意見を交わすようにしたいなぁ」
 弁護士にせよ何にせよ、「自分の意見」があってこそ、「あるもの(ここでは血液型と性格の関係や心理学者の論文)」を支持したり否定したりできる。
ただ「こんな考え方をしてる論文もある」とか言われても、それを提示した人の「意見」が無くては討論はできない。というか、先にも述べたが討論においては、他の誰が何を述べていようと問題になるのはその討論相手の考え方だと思う。
 
その2「ABOFANさんと私は対等の立場」
 「相手の意見」について理解を正しくするために『どういう意味なんですか』と聞くのは大切です。
 でも、「そこにいない人の意見」について、ただ『これはどういう意味なんでしょう』とぶつけたり、「どうしたらいいんでしょう」と懇願するのは「先生と生徒の関係」だ。私は先生にはなれないし、なりたくない。ただし、「そこにいない人の意見」について、「これは自分ではこう理解してるんだけど、あんたはどう思う?」という投げかけであれば意見の交換が成立するのでOK。

その3:「私は心理学者ではない。」
私は心理学者ではないので、心理学者の代弁はできないし、するつもりもない。
また、私自身も現在の性格心理学には不満を感じており、そこの人たちを弁護する義務は無い。
さらに、どんな有名な心理学者が主張しようが、それが只の「立証されていない仮説」である限り、無条件で正しい事と受け入れなければならない義務も無い。

その4:「私は理系でもない。」
 私の能力不足により、理系知識に関わる例えは理解できない恐れがあります。ご承知の程を。

その5:「『元になる考え』の無い例えは無い」
例えを出す前に、例えの元となる自分の考え方を明確にする。
例えだけで理解を求めようとすると、誤解が生じる確率が上がる。

その6:「科学的・建設的な議論にしようよ」
・ 「有るの反対は無い(もしくはその逆)」といった短絡的な2項対立的考えはしない
科学的に推論を進めるのは、「有る」「無い」の間に「不明」とというニュートラルな過程が存在すると思います。
また、「AならばB」の結論から証明できるのは「BでないならAではない」である。(論理学の基本ですよね)
「BならばA」や「AでなければBではない」というものは、決して「AならばB」の結論からは証明できない。
・ 相手が言及してない部分を勝手に解釈して決め付けない。解釈についてはその発言者の反論があればそっちを尊重する。
・ その発言が「仮説」であるか、科学的な裏付けを得た「結論」なのか分けて述べる。(科学的裏付けの無い主張は「仮説」)
・ 統計を使う以上は、統計で出なかったものに「希望的観測」を加えて結論としない。
(「仮説」に「希望的観測」を加えるのはいっこうにかまわない)
 
その7:「科学的検証を外れたところでだだをこねない」
 「正しい/正しくない」「良い/悪い」を述べる時は「個人的感覚として」か「科学的に」かはっきり区別する。
個人的感覚は結局の所、他の人がそれを決めるもんではないからね。
だから、「個人的感覚」についてはそれが「個人的感覚」と認識している限り反論などは生じないので、ことさら強く主張する必要も無い。だけど、「個人的感覚」なのか「科学的にも正しい」のかの判断がつかない時には討論の必要が生じる。
特に「科学的な結果として正しい」のか「科学的な結果を受け止めた上での仮説(つまり個人的感覚)」であるのかは混乱が生じる所であり、きちんと線引きすべきであろう。
例えばさ、「統計では差が見られなかった、そのためこのケースでは差はないと考えられる」というのは、統計の使い方等の手続きがきちんとしていれば「科学的に正しい」と言えるし、統計の使い方等を検討する事で「正しい・正しくない」の論議はできる。
でも、「統計では差が見られなかった、でも別な可能性を考えれば差はないとは言えない」というのは、そんなの「仮説」でしかないわけで、そんなのにいちいちどうだこうだと付き合ってたらきりが無い。

その8:「明るく楽しく、そして「他の読者も理解しやすい」意見交換を目指す」
でもどうしても文章長くなっちゃうので見辛いですよね...
メールはテキストで送りますので、加筆・削除をしない限り、見やすくするための行換え、行間スペース、文字大などのエフェクトはお任せします。

あ、ちなみにこれはあくまで私自身へ制限事項であり、ABOFANさんにも尊守を求めるものではないですよー。
でも、あらかじめ「答えられない」もしくは「答える必要性が無い」ものをあらかじめ知っておいていただかないと、ABOFANさんに無駄なテキストの浪費させてしまいますからね〜。ご理解の程お願いします。
また、上記の理由で「議論にならないから答える必要が無いな」と思っているのに、「答えられないのはこっちが正しいからだ〜」って思われるのも癪ですから、あらかじめ言っておきました。
とりあえず、これは私の意見ですので、意味が良くわからないところがありましたら説明します。

結局の所、このHPで血液型性格判断に関して色々な研究があるのは理解できたけど、 正直な話、失礼ですが現在のところまでは、様々な人との『議論』においても、実はABOFANさんは自身の博識さを披露するに止まる事が多く、むしろ『議論』というよりは『言い合い』に近いものになっていたと思います(まぁ、何が違うのかというのはニュアンスでしか表現できませんが)。
また、その言い合いはまさに尽きる事無い博識ゆえに、そのままでは永遠に終わらない印象を受けました。
悪く言えば、「知識」はあるけども、それを自分なりに消化して整理されていない、という印象です(余計なお世話ですか?)

しかし、実際のところ、このようなHPを精力的に運営し、山のような文献を読んでいる背景には、それらの文献なんかよりも深い『洞察』があるはずだと信じています(現在でもその表層は見せているが、広大なHPに分散しているので常人には理解しにくい)。
だからこそ、「血液型と性格の関係は有る!」という考えに至ったABOFANさん自身の持論がどのようなものであるのかを披露していっていってくれたらなぁと思います。

私はABOFANさんと知識合戦をするつもりは無いですし、そんな他人のフンドシで相撲を取るようなマネをするのが今後の血液型問題に有効に作用するともおもえません。
そんなわけで、こんな自分なりのガイドラインを作ってみました。
 
それに加えて、私も血液型と性格の関係はある・無いというとりとめの無い論争をせずに(まぁ、手法的な問題は今後のためにも突き詰める必要は大いにありますが)、ABOFANさんと同じ立場に立ち「ではどうしたら血液型と性格の関係が判明するのか」を考えつつ、HP運営に役に立ちそうな意見を述べていきたいですね。

 ついでに「深田専用ページ」のようになってはいますが、広く他の人も参加できるような場にしたいなぁと、自分のHPでもないのに勝手に思ったりしちゃってますので.....

どうでしょう、よろしいでしょうか?
...つうか、このガイドラインで議論できないなら、「科学っぽい水掛け論」はできても「科学的に何かを求める議論」はできない(もしくはするつもりもない)ってことだと思うんですけどね...
まぁ、そちらの様々な理由により(例えば『興味が沸かない』・『そんな議論では深田って奴から有効な意見が聞けるとは思えない』などなど)、<ABOFANとしてはそんなガイドラインを持った奴と議論はできない>、と判断されたのであれば、お互いのためにも早めに手を引きますのでよろしくー

あと、どうしても考えをわかりやすく伝えようとすると文章が長くなってしまうので、打てば響く、というような軽快なレスポンスはちょっと期待しないでくださいね。
でも、HPで私のメールに対して返事をいただければ、時間がかかっても礼儀としてちゃんとリアクションをしていきたいと思います。

そんなこんなで結局長くなっちゃいましたね。
ではでは、また

なるほど、今回はよくわかりました(笑)。こういうメールはたまに来るのですが、実は心理学者だったりして、相手も特定されてしまうケースが多いので、ついそのクセが出てしまいました。(^^;; スミマセン。

 ただ、何から答えたらよいものか、正直のところ途方にくれています(*_*)。というのは、今回のメールの疑問は『血液型人間学』でも読んでもらえれば、そのほとんどは解決してしまうからです。能見さんの『血液型人間学』を一から説明するとなると、膨大な時間がかかりますし、第一、私にはそこまでの能力はありません。(^^;; 図書館でも古本屋でもいいですから、まず能見正比古さんの著作を1冊でもいいから読んでいただことを強く強くお願いします。

 それと、今までの肯定・否定論争の経緯も読んでほしいところです。例えば、『現代のエスプリ〜血液型と性格』、前川さんの『血液型人間学〜運命との対話』とか…。たぶん読んでないんでしょうねぇ。これまた全部を説明するとなると、膨大な時間がかかりますので、ここでは省略させてもらいます。(^^;;

 前置きはともかく、今回も順番に回答していきましょう。

・人間の体の大部分に行き渡っている血液の成分が異なっているのだから、その差が肉体や精神にまったくあらわれないということは無いだろう

 一応は理系(?)の私から言わせると、これは科学的ではありません。ある場合もあるし、ない場合もあります。それは、データを見ないと判断できません。

・人間関係をよくするにはかなり効果がある

 前出のデータと、自分自身の体験からはそう言えますが、これだけでは信用しないということであれば、私にはなんとも言えません。

・このHPでは「科学的分析でも『血液型と性格』が関係あることが立証できる」

 そんことは一言も書いてません!(笑) 私はこれでも一応は理系ですから、何らかの医学的・生理学的メカニズムが証明されない限り、科学的には証明されないという立場ですから。ただ、統計的には相関があると証明されていると確信しています。くどいようですが、未だに(科学的には)因果関係は証明されていません!

・あくまで科学的研究は『仮説』を元に「実験計画」を立ててデータを取り、『仮説』を元に「統計」をし、『仮説』を元に「統計からの推論」をし、『仮説』を元に「結果」を立てているわけです。

 一応理系の私の常識では、そんなことは信じられません。偶然や非常識から新しい学説が生まれることが多いと思います。セオリーどおりにやってセオリーどおりの結果が得られても全然面白くないですよ。:-< 血液型と性格のように、今までの常識をひっくり返すような仮説が面白いのです。一見矛盾するデータから新しい理論が生まれるケースも多いんじゃないでしょうか?

・例えばある『仮説』に基づく結果に対し、違う『仮説』によって得られているデータを持ち出して「結果に矛盾があるじゃないかぁぁ!」というのはある意味的外れである事が往々にしてあります。

 私の立場は、「データはすべて正しい」「すべてのデータを説明できる仮説が正しい」です。逆に、一見いいように見えても、すべてのデータを説明でない仮説は、いかにエレガントに見えようが魅力的だろうが、それは正しくありません。

 昔読んだ本で感動したのは、ある理系の先生が言った言葉です。その先生は、恩師からこんなふうに教えられたそうです。「諸君、君たちは現在の定説とは反対の学説を立てなさい」と…。それが、新しい時代の定説になるのだと、こういう意味だったそうです。その先生は、恩師の言葉に強く感動したからそう書いたのでしょう。

・おそらく、今までそんな「否定的な結果」が出た実験における『仮説』の中に「この世のどのような場面においても性格評定(もしくは行動)に血液型における差は出ない」という論文は無かったはずです。

 任意の(日本の)心理学者の文献を読んでみてください。ただ1つの例外を除いて、見事に「この世のどのような場面においても性格評定(もしくは行動)に血液型における差は出ない」と書いてあります(笑)。

 さて、性格の定義ですが、

・本稿における「性格」という言葉は、あえて断らない限り、上記の仮説における変動の多い表層的な性格を指し示すのではなく、その裏側にある「首尾一貫性」を持つと仮定される部分を差すこととする。

 基本的にはそういうことです。詳しくは、性格の一貫性と血液型を読んでみてください。ここも、『血液型人間学』でも読んでもらえれば、わざわざ説明する必要はないと思います。

<1>χ2−検定問題

 もちろん、統計以上のことは言っています(笑)。自分自身の体験に基づくものとかありますからね。それは科学的でないから認めない、ということならしょうがありません。(^^;;

<2>エスプリ引用部分は果たしてフリーサイズの実験なのか

 「エスプリ引用部分」の実験内容は「フリーサイズ効果」なはずです。大村さんの定義どおりだと思いますが…。

<3>人間関係をよくする意味

 「みんながそう思う」ということと、「『科学的に』証明される」というのは別というのはそのとおりです。確かに、現時点ではまともなデータはありませんから、科学的には証明されてないんじゃないの?という疑問はもっともです。別に反対するつもりはありません。もっとも、私はとりあえず自己評定だけで十分とは思っていますが…。

<4>キノコの例

 「仮に統計的な差を盲信してそれを人間関係に当てはめようとした場合の危険性」は当然です。血液型だけで性格が決まるわけじゃありませんからね(笑)。

<5>心理学者というカテゴリー

 これは、私自身が匿名で書いていながら、相手を実名で批判するのはどうかなぁということです。当初は、わかる人だけわかればいい、というスタンスでしたからね。今のところ、このスタンスを変えるつもりはありません。とは言っても、実際にやってみた結果、実名の批判が一番効果があるようです(笑)。意図せざる効果ですな。(^^;;

・「知識」はあるけども、それを自分なりに消化して整理されていない、

 う〜ん、そういう見方もあるんですかねぇ。私はデータいじりが趣味ですので、データ分析のところを読んでみれば、自然と私の考えがわかってもらえると思ってたんですが…。

 私のスタンスとしては、@データはすべて正しいA心理学者の分析は全部間違っているB従って、まともに分析すれば必ず血液型と性格に相関があることが証明できる。その集大成がこのHPです。

#最初からそう意図してた訳じゃありません。

 しかし、それでは、知識が「自分なりに消化して整理されていない」ということなら、あえて反論をしようとは思いません。私は、すべてのデータが矛盾なく説明できれば十分満足なのですから…。

 いずれにせよ、(日本の)心理学者がどう言おうが、データ分析についてはほぼ決着が付いたと思っています。

 残るは、いかに正しいことを世間に知らしめるかです。誰かやってくれないかなぁ。私の分析結果は全部あげますから(笑)。

 いや、そんなの全然いらない、と言われてもどうしようもありませんが(大笑)。

 なお、心理学者の主張は、放送大学「人格心理学(’00)」についてにコンパクトにまとめられています。

【FBI効果についての追記】 -- H13.3.12

 その後、森本毅郎さんの『血液型人間学のウソ』(日本実業出版社 S60.3)の93〜94ページに次のような説明がありました。こうなると、もうなにをか言わんやです。(^^;;

 思い込み効果に関しては、ユングに有名なエピソードがある。彼は、何人かの人に「筆跡で性格判断をしてやる」といって、字を書かせたあと、「これがあなたの性格です」と、コレコレの性格である、と書いた紙をそれぞれに渡した。全部同じことを書いてあるにもかかわらず、それを読んだ人すべてが、「あたっている」と答えたそうである。
 これももう文字を書かされた瞬間から暗示にかかっている。だから、診断を読む時には、何かと自分にあてはまる部分を探して読むという心理状態にさせられている。いわば、あてられたがっているのだ。
 同様の試みを、日大の大村政男教授が、血液型について行っている。[昭和]59年8月の「週刊朝日」に載っていたので、その部分を引用させていただく。
 「東大教育学部の附属中学校で生徒37人に『君の血液型の性格だよ』といって別の血液型の“性格”を書いた紙を渡してみたんです。そしたら33人が、『確かに当たってる』と。これなんか、血液型と性格の相関といっても実は思い込みだったということになる」

メール(その5) H13.3.30 14:31

ご無沙汰してました〜
せっかくページ作ってもらったのに、なかなかお返事する事ができなくてすいません。
私もこんなペースですのでABOFANさんもそんなにあせらずにゆっくり考えてお返事くださいな。
なんか前回、QとAがずれてた箇所が多々見られました
こんな状態が続くのであればちょっと討論も論争も議論も話し合いも成立しそうに無いですね〜
そんときはまたスタイルを考えなくてはいけんですな

でもさー、
「ABOFANさんがまったく正しいでゲスなぁ〜」
「ABOFANさんの言う事でまったく全て納得できました」
って人ばっか受け入れるページ、もしくはそういう人以外は受け入れられない(話をちゃんと聞かない)ようなページって嫌じゃないですか?
ここはそうではないと信じて、もうちょっと頑張りましょう。

>こういうメールはたまに来るのですが、実は心理学者だったりして

おお!私は心理学者と思われていたのでしょうか!!
ちょっと光栄なのかしらん♪
でも、じゃぁ誰だと思ったんだろう??
残念ながら、ホントに心理学者ではありませんね〜
私が心理学者と思うのは勝手ですし、私自身心理学者のフリをするのも格好いいと思いますが、多分すぐにボロが出るのでやめときましょう

...ただ、思ったんだけど、相手が心理学者だとか、その相手の特定だとかおっしゃっていましたが、それって何の意味があるのでしょう??
もしこういう場で、「心理学者」だからといって対応を変えたりするスタンスだったら、それはヤバくないですか?ここは血液型について話をするところで、別に特に心理学者を攻撃する目的の場ではないと思いますがねぇ...

そういう意味では、中間管理職さんのページにある『私のひとり言』もなんだかなぁと言う感じでした。
なんか、ABOFANさんははっきりとは明言はしてませんが、全体的に悪意が感じ取れる書きかたでしたねぇ。なんかおどし文句みたい

「そんなふうに書いたつもりは無いのですが、そう受け取られてしまう書きかたをしたのは申し訳ありません」
なーんていうかもしれないけど、
まぁ、印象が良い悪い以前に、そもそも「血液型」の話をしに来た人の「血液型」の話とは関係ない属性を勝手に推測するがなんだかなぁって感じです。
というか、自分がそうであること、そうでないことの証明が困難なインターネット界では、そんな推測をするだけ無駄だもんね

ABOFANさんはどこかで「肯定・否定の両方からの議論を深めることが大切でしょう。」とおっしゃっていますが、議論議論といいつつも、国会とかで『政策』について批判しないで、やれ女関係がどうだって個人的なことで批判したつもりになっているヘボ議員みたいに見えてしまいますよ。

おっと、そんなことを言っていると『お前の正体もわかったぞ!』なんてつつかれそうですね。

ま、もし正体(つうか私は前回正しく正体を明かしたつもりですが)が分かった(つもりになった)なら私の場合はぜひ『ここで正体をバラすつもりは毛頭ありません。』なんて言わないでばーんとバラしちゃってください。つうかちゃんとバラしなさい「これ以降は、読者の想像にお任せします…。」なんて卑怯な言いまわししないでさ

つうか、どんなふうに私をABOFANさんが思っているのか知りたいなぁ
あ、あと、私が「わざわざ自らの属性や状況を明らか」にしたのは議論をスムーズに進めるためですので、別に身分を隠そうとする意図があったわけではありませんからね
(隠してどーする ← 隠すほどのものも無いだろ)

ちなみにABOFANさんと同じJUSTNETに私のHPがあります。それを見つけたら私の正体(?)が分かるはず...(←ホントかよ)
血液型とは全く関係ないHPなので無理に探せとはいいませんが、暇があったら見つけてください。

ありゃりゃ、前置きだけでもう普通のメールよりも長くなっている。
つうことで本題。

ABOFANさんはよく
「何から答えたらよいものか」
とおっしゃっていますので新企画です。

今回はQ→Aのズレを減らすため「ファイナルアンサー」スタイルにしてみました。
質問はあなた自身の考えについてです。
どっかの心理学者の言葉でもなく、一般的な意見でもなく、あなた自身が考えてお答えください。(牽制)
賞金は....無いです

一応答えやすく選択形式にしていますが、選択肢外で自分で答えを作って解答するのも十分アリですよ。

というわけで、すくなくともこれらの部分に関しては必ずお答え下さい。
もちろん、それ以外の部分にもレス付け大賛成です。

あ、スタンスは前回言ったオレガイドライン(←勝手に命名)に沿って話を進めてみます
ちなみにこのファイナルアンサー形式は
俺ガイドライン
その1・その6の2項に基づき、相互理解を深めるものであり

ガイドラインその2「ABOFANさんと私は対等の立場」には抵触しないと思われますのでよろしく回答ください。

それではスタート!!

--------------------------------------------
(1)世の血液型論争とABOFANさんの意見について
--------------------------------------------

>能見さんの『血液型人間学』を一から説明するとなると、膨大な時間がかかりますし

そんなぞっとすること言わないで〜
頼むからそんな時間の浪費のしかたはヤメテクダサイ

>まず能見正比古さんの著作を1冊でもいいから読んでいただことを強く強くお願いします。
> それと、今までの肯定・否定論争の経緯も読んでほしいところです。例えば....たぶん読んでないんで
しょうねぇ。

 はーい、読んでません(断言)、いや...何かは読んだことぐらいあるかも...。あ、でもこのHPはだいたい目を通しましたよ。あと、佐藤達哉先生の本はいくつか読んでいます。

 えっとー、前回も言いましたが、私はABOFANさん自身のスタンス・意見について知りたいがためにメールを書いていますので、そういう概論的な部分はABOFANさんの知識のバックボーンとして持っているだけで十分です(少なくとも私に対しては)。

 つうか、私は「血液型論争の歴史」とか「血液型論争の論者で誰が正しいか」をしたくてメールを書いているのではありません!(きっぱり)
 
 だって、それを「正しい」と信じるのはABOFANさんの勝手だし、では「能見さんの理論は科学的に正しいのか」という議論は、その議論をしたい人が、能見さんとすればよろしい(存命であればですが)。
 というのが、前回のオレガイドラインの(その1)の趣旨です。
 お願いです、私のスタンスを取り違えないでぇ〜(何度も説明しなきゃならんのかとの悲痛な叫び)

 まぁ、どうしてもというなら読まないこともないこともないかもしれません(←どっちだ)
 でもね、例え読んだとしても、その結果として私がABOFANさんに聞くのは
「能見さんの意見は分かった。でもそれは能見さんの意見だよね。私が聞きたいのは、ABOFANさんの意見はなんだけど、どうなの?」ですよ

いや、ABOFANさんの言いたいことも分かるよ。
血液型の話をするんだから基本的な文献ぐらい押さえとけっていう気持ちは。
でもさ、とりあえず今んとこは「このHPの内容について」ぐらいしか聞いてないでしょ?
別に私は能見先生を批判しているわけでもなんでもない。
ABOFANさんの意見・表現について聞いてるんだから、

という理由により、少なくとも今のところは読む必要は無いと感じています

>これまた全部を説明するとなると、膨大な時間がかかりますので、ここでは省略させてもらいます。

どうぞどうぞ。積極的に省略してください。というか省略希望!

>>人間の体の大部分に行き渡っている血液の成分が異なっているのだから、その差が肉体や精神にまったくあ
らわれないということは無いだろう
>一応は理系(?)の私から言わせると、これは科学的ではありません。

はい、だから私も「私の『仮説』でしかありません」って言ってますよね〜ん。

ちょっと思ったんだけど、私とABOFANさんで「科学」の受け取り方が違う気がしたんですがどうなんでしょう?

それでは軽く質問!
Q1=================================
ABOFANさんが「科学的」と言った場合の意味合いは?
<1.解剖学・化学反応といった狭義の科学>
<2.立証方法として、「科学的」と認められた推測方法>
<3.それ以外の「科学的」(要説明)>
==================================
ちなみに私は<2>ですね。「科学的アプローチ(統計・論理的推定方法やらなんやら)」の意味で使っています。

--------------------------------------------
(2)深田自身の取り違い
--------------------------------------------

>人間関係をよくするにはかなり効果がある
>前出のデータと、自分自身の体験からはそう言えますが、これだけでは信用しないということであれば、私に
はなんとも言えません。

あ、申し訳ない。ホント申し訳ない
とまず謝っておきます。

よーく読んでみたらこれらは「データを相互に矛盾なく説明できる『仮説』」でしたね
んで、ちゃんと「仮説を皆さんに評価してもらう」って言ってるじゃないかぁぁぁ、俺のバカァ!(赤面)
「仮説」自体を否定してたって事はオレガイドライン(その6)と(その7)に自ら抵触してますね、ははははは〜(←笑って誤魔化す気か!!)

でも、マジですいませんでした。私の取り違えでした。
つまりは「仮説を立てたけど、みんなはどう思う?」「この仮説、立証(反証)できる実験とか知ってる?」って聞いてたんですよね〜。

今後は、これについて話すのであれば
「データで本当に裏づけられているのかの検証」や
「自分の経験の話」や
「あの4つの仮説を科学的に立証する手続きはどうすればいいのか」もしくは
「仮説とは異なる結果の実験があるのか」
というスタンスで考えていこうと思いますので勘弁してねー

あ、でも「信用する・しない」もあんま関係ないと思いますよ、信用させるためにこれから仮説を検証するんですからね。

>>このHPでは「科学的分析でも『血液型と性格』が関係あることが立証できる」
>そんことは一言も書いてません!(笑) 

ラジャー!
トップの言葉にある「科学的・統計的な検証」に惑わされてました。
「科学的・統計的な検証」はしてても、それによる「立証」はされていないってことですね。

オレガイドライン(その6)第2項に従い、この意見に従います(←なんか、オレガイドラインって便利だなぁ)

>ただ、統計的には相関があると証明されていると確信しています。

ひとつ確認
Q2================================
この「相関」とは
<1.要因が特定された上で導き出される統計的手法としての「相関」>
<2.ただ一般的な「相互関係」という言葉を短縮していっているだけの「相関」>
==================================
私の印象としてはABOFANさんは「ありとあらゆる方法で比較すると、どの方法で出るかは毎回異なるかもしれないが、なんらかの関係がみつかる」と言っているような気がするのですが、それは統計的な意味の相関ではないですよね。ちょっと確認したかっただけ

--------------------------------------------
(3)仮説について
--------------------------------------------

>>あくまで科学的研究は『仮説』を元に.....(以下略)
>一応理系の私の常識では、そんなことは信じられません。

ええ!科学の大御所である理系の人が「信じられない」というほど拒否反応が来るのが信じられません!!

うーん、何が信じられないのでしょうか?
理化学分野では「仮説(仮定)」が無くても研究することができるのでしょうか?

ちなみに、『仮説』とは本来「ある事実や現象を合理的、体系的に説明するために仮に設けた説。」という意味と、私は認識しています。(参考つうか抜粋:角川新国語辞典)

>偶然や非常識から新しい学説が生まれることが多いと思います。

はい、そう思いますよ。
だけど、その新しい学説が生まれる過程に
「偶然や非常識から、斬新な『仮説』が立てられ」そして私が言った手順を踏んだ後「結果」が出て「新しい学説」が生まれるのだと思うのですが...
それとも、理系の世界では「オレは(根拠無いけど)こんな仮説を考えてみたヨン」って言ったその日から「新しい学説」として認められてしまうのかしらん...
それとも、「仮説」無くして実験ができたりするのでしょうか?
理系は分野違いなので闇の中ですね。
良かったら「理系」的な実験手続きを教えてください。

>セオリーどおりにやってセオリーどおりの結果が得られても全然面白くないですよ。:-<

これはきっとABOFANさんは
『「みんなの仮説」どうりにやって、「みんなの仮説」どうりの結果が得られても、』
という意味で言ってるんでしょうね...。

私はただ、『仮説』という概念について話しているのに、なんでそれを『みんなの仮説』という意味に勝手に変換しちゃうんでしょうか...
それとももっと深い意味が隠されているのでしょうか?.
なんか違う、なんか変だ、なんか怖い....

>血液型と性格のように、今までの常識をひっくり返すような仮説が面白いのです。

だからなんでわざわざこんなことを改めて述べるのでしょう?
私はただ『仮説』について話しただけでありますし、「常識をひっくり返すような仮説」を立てるなとは言ってませんよー(だってそれも仮説のうちじゃん)。

私自身
○「仮説」に「希望的観測」を加えるのはいっこうにかまわない
○「個人的感覚」についてはそれが「個人的感覚」と認識している限り反論などは生じない
とか、むしろ、「仮説ならば常識をひっくり返すようなものでもかまわない」ように言ってるじゃないかぁぁ

うーん、もしかしてABOFANさんは『仮説』というのは「常識」と同義なのでしょうか??
それとも、私を否定したいがためにワザと勘違いした書き方してます?
不安になってきました

ファ...ファイナルアンサー!(ちょっと怖い)
Q3================================
ABOFANさんが議論しようとしている相手は、
<1.わざわざ長文メールで相互理解を深めようとしている私なのでしょうか?>
<2.それとも、ABOFANさんにだけは見えている私ではない誰かなのでしょうか....>
==================================
レスポンスが早いのはとても嬉しいのですが
お願いですからじっくり読んでいただいてから、「私のメールの内容」についてお返事いただけないでしょうか?

どーもABOFANさんは「私のメール」に対して返事しているのではなく、「ABOFANさんの頭の中にある『血液型研究批判者』ならこんなことを言うだろう」という想像に対して返事しているように思われて、実際にメールを出している私に関しては無視されているようで、とっても悲しい....

--------------------------------------------
(4)『仮説』・『結論(結果)』・『理論』
--------------------------------------------

>一見矛盾するデータから新しい理論が生まれるケースも多いんじゃないでしょうか?

そんなケースでも、「一見矛盾するデータ」⇒「その矛盾を解決する新たな仮説」⇒「検証」⇒「新たな仮説を支持する結果」⇒「新たな理論の誕生」というステップを踏んでると思います...

おもしろくするため怖がってみましたが、もしかしてABOFANさん、マジで研究における『仮説』の位置付け、私の言うこと間違って感じられているのでしょうか?
もしかして、理系って「言っただけ勝ち(とりあえず言えば学説になる)」??違いますよね『仮説』の位置付けの認識の相違と願いたい!!

> 私の立場は、「データはすべて正しい」「すべてのデータを説明できる仮説が正しい」です。

本来の正しい意味では「仮説を元にデータを取った場合、それが一貫して支持されるものが正しい」んでしょうね

仮説というものを正しい・正しくないというには「検証」が必要です。
例えば、「すべてのデータを説明できるんじゃないのかな?」という予測にすぎません。
そういった意味では「既存のデータを説明できない仮説」は「正しくない」とは言えませんが、すでに反証(既存のデータ)があるので仮説を立てた時点で反証され棄却されため「無駄なもの」と言えるでしょう。

自己回帰的な『仮説』とその検証方法は一見正しそうに見える、厄介な永遠の袋小路です
例えば、ABOFANさんは様々な論文のデータからそれらに矛盾が無いと思われる『仮説』を導き出しています。
では、その仮説を立証するにはどうしたら良いか?
ABOFANさんは「従来のデータに当てはまるのだから正しい」と言うかもしれません
しかしそれが果たして科学的立場で言えるでしょうか?
(「いや、俺は科学的立場で言うとはひとことも言っていない」と言うのであればしょうがないですね...というか、議論をする意味も無いですね)
だって仮説が「従来のデータ」から導き出されているのであるから、仮説と「従来のデータ」に整合性があるのは当然だもん。
 
 問題は「仮説」と言っているからなのかな?
 ABOFANさんがいろいろなデータを検証した結果導き出したのだから、それはもう『仮説』ではなく『結果』と言っちゃえばいいんじゃないの?

 もちろん『結果』と言うんであれば、ABOFANさんが他の心理学者にそうしているように『データ処理の誤り』や『論理的矛盾』の批判にさらされ、そのABOFANさんの『結果』は「間違っている・正しい」というジャッジをみんなですることができてものすごく建設的ですよね。
 でも、あくまでも「仮説」というのには何かわけがあるのでしょうか?

軽く質問
Q4================================
<1.ホントは自分でも正しい『結果』だと思っているけど、『結果』というと風当たりが強いから『仮説』にしておいて、いざとなれば「あくまでも仮説です」と逃げれるようにしている>
<2.まぁ、自分で実験したわけじゃないから殊勝に「仮説」としている。>
<3.あ、そうか。じゃ今後『結果』ということにしよう。>
==================================

>その先生は、恩師からこんなふうに教えられたそうです。「諸君、君たちは現在の定説とは反対の学説を立て
なさい」と…。

多分その先生は「定説に反対の仮説を立てなさい、そしてその仮説が立証できたら、定説なんか怖がらないで学説として主張しなさい」と言いたかったんだろうなぁ...。

--------------------------------------------
(5)心理学者というもの
--------------------------------------------

>任意の(日本の)心理学者の文献を読んでみてください。ただ1つの例外を除いて、見事に「この世のどのような場面においても性格評定(もしくは行動)に血液型における差は出ない」と書いてあります(笑)。

そりゃいかんね!そりゃまずい!!(ここでオレガイドライン(その3)が生きてくる)
そんな「どのような場面でも」とかいう検証不能な無茶な仮説を立てるアホはほっときましょう。

せめて私が同様の研究をするのであれば
「血液型で分類した場合において、この世のどのような場面においても『一貫して現れる』ような性格評定(もしくは行動)の差はない」って仮説にしますね。

こうすれば、2つ以上のケースで「一貫しない」ものを見つければ棄却できるよね
みんなこういう前提で実験やってたと思ったのですが、これが事実だとすればABOFANさんに批判されてもしょうがないわなぁ

--------------------------------------------
(6)どうしても答えてくれない『性格』定義
--------------------------------------------

>>本稿における「性格」という言葉は、あえて断らない限り、....(深田の『性格の定義』)
>基本的にはそういうことです。

あ、そんなふうに評価しないでください。
これ、私だけの仮説と定義ですから。(っていったはずだろ....)
ABOFANさんと合ってる合ってないはまったく問題にしてませんから(拒否)。
つうか、そうやって手を抜こうとズルしないでください。

ただ、ABOFANさんに「定義しろー定義しろー」って言っておいて、自分が何もしないのもなんだと思って苦労して考えたんですけどねー...。
ここまですれば重い腰あげて定義をしてくれると思ったのに

しかも、また「基本的には」って言ってるし...
結局これって『違う部分もあるぞ』っていうことだよね。そこが重要なのに...

>詳しくは、性格の一貫性と血液型を読んでみてください。ここも、『血液型人間学』でも読んでもらえれば、
わざわざ説明する必要はないと思います。

だもんなー。
あれほどなぜ「わざわざ説明する必要があるのか」までたっぷり説明したはずなのに...
だからぁ、私が知りたいのは「ミシェル」や「前川輝光」の学説じゃなくて(この2つ、「全く同じ」じゃないですよね)それを踏まえたうえでABOFANさんがどう定義しているか、なんですけどね...

いや、どうしても定義したくない(定義できない)、見りゃわかる(わかんないからまとめてくれって言ってるのに...)っていって明かしてくれない(明かせない)というならはっきりそう言ってくだされ

そうすればABOFANさんとの会話で「性格」に関わる論議は「ムダだ」と認識できますので。

とりあえず、こう質問しましょう
Q5================================
ABOFANさんがこのHPで述べる『性格』という言葉について
<1.定義できている>
<2.現在鋭意定義中>
<3.そのうち定義するつもり>
<4.必要がないと考えているので定義しない>
<5.定義できない>
==================================

1.なら改めてお願いします。ABOFANのまとめた定義を教えてください
『性格の定義については→こちら』とかいって、喜んでそっちに飛んでみると、心理学者の定義が羅列され、ABOFANさん自身は「そうかもしれませんねー」とか「これはいったいどうなんでしょう?」とかの漠然としたコメントを掲げているだけ、っつうのはナシヨ。
「他人の意見に対するコメント」ではなく、「自分の言葉」で組み立てて教えてくださいよー
いや、例えば「ミシェルと全く同じ」つうなら、その引用だけでいいっすよ。というか、そのスタンスの表明だけでも良い。
でも、「ミシェルと『基本的に』同じ」つうなら、やっぱり、その「基本的じゃない部分」について加えた上でまとめたものを言って欲しいのよ

2.3.については、定義される日を心待ちにしております。定義され次第教えてください。
「血液型と性格」の話をするのはそれからです。

4.5.であるならば、残念ながらこのHPで「性格」について議論を交わすことはできないものと判断します。つうか、もしマジでそうならば、あとはあなたがいくら「血液型と性格」の関係を主張しようとも、「ケッ、その『性格』って奴を自分で消化できてない奴が何言ってんだ」って思うだけですね。

ちょっと攻撃的になってしまいました
だってこの「性格定義問題」について、私が先回りして、理由までつけて「そうしないでね」って言っているような方法でのらりくらりとかわそうとしているんだもん。
どーしても定義を口にしたくない理由があるに違いないと邪推してしまう...

--------------------------------------------
(7)ABOFANさんのX2乗の使い方の悪い所
--------------------------------------------

> もちろん、統計以上のことは言っています(笑)。自分自身の体験に基づくものとかありますからね。それ
は科学的でないから認めない、ということならしょうがありません。(^^;;

ABOFANさん自らが「科学的じゃない」というのを表明してしまったらしょうがないですね...
ちょっとこのコメントは残念...

意見として言わせてもらえれば、他のコーナーならいざしらず、「統計学入門」というコーナーで「統計学」とは異なる推測方法を教えるのは、信念以前の困りモンだと思いますよ

まぁ、あとで、「いや、私が認めたのはそういうことじゃない」という泥沼の蒸し返しを防ぐために念のため問題点について再び指摘して確認しておきます。

X2検定における帰無仮説は「A1〜Anの各要因間で差が無い」であり対立仮説は「A1〜Anの各要因間で『全部、または一部』に差が有る」です。

X2検定は、モデルとの適合度を測るものであり、それ以上のものでは無いモデルと適合しないものに関しては、「どこがどう」ということは言えずただ単に「適合しない」という結果を導き出す

X2検定は、例えばある人にある服がぴったり合うかどうかを計るとすれば
出てくる結果は「合うと考えた方が良い」「合わないと考えた方が良い」のどちらかです。
そしてこれが重要なのですが、X2検定で「合わない」という結果が出たとしても
「サイズが大きい(小さい)から合わない」のか、「袖が通らないから合わない」のかは分からない(検定してない)ということなのです

ですから、少なくともX2検定からだけでは、「衆議院議員はO型とAB型が多く、A型が少ない(「統計学入門」より)」などという分析はできないのです。

もしそう言うひとがいたとしたら、それはあまりにも統計の考えを無視した言い草。
そんな人は、自分がやっていることがデータ分析だなんて口が裂けても言えない筈です。
だって、それが本来のX2検定の決まり事なんですから。
決まりごとを無視して形だけ真似てもそれはX2検定ではない。

それが認められないなら最初からX2検定をやらなきゃいいのです。

なのに、X2検定で有意な結果が出ただけで上記の事を言ってしまうのはまさに誤りでしょう。
また噴飯もののありがちな間違いとして(ABOFANさんがそうかは別として)、
例えば100人のサンプルを取って結果が「A:35% B:25% C:25% D:15%」となったとして
「A:25% B:25% C:25% D:25%」の帰無仮説がX2検定で棄却されたからといって
「Aが多くて、Dが少ない」という分析結果を出す間違いもとんでもないですが(理由は前記)、中にはこのX2検定だけで「Aが10%多くて、Dが10%少ない」という分析結果を出す人もいるかもしれません。これはもう、目も当てられない大間違いです。理由は分かりますよね。

X2乗のみを使っている限り、目に見えている差についてはまったく言及できない、まったく便利ながらもどかしい検定なのです。

Q6================================
私が、ABOFANさんのX2乗検定がおかしい!といった理由を納得していただけましたか?
<1.うん>
<2.やっぱわかんない>
Q7================================
では、ABOFANさんがX2乗検定を使って実証されたと思っていることには、実は「実証されていない」ことが多いということを認めますか?
<1.うん>
<2.認めん!>
Q8================================
それでも、これからもX2乗検定の結果から誤って導かれた分析で「血液型と性格は正しい」と言い続けますか?
<1.モチロン!>
<2.いや、別の方法を検討しよう>
==================================


--------------------------------------------
(8)エスプリ問題
--------------------------------------------

 >「エスプリ引用部分」の実験内容は「フリーサイズ効果」なはずです。大村さんの定義どおりだと思いますが…。

えっと、以下の事を考えてみましょう
1 一般的な心理学の知識から言うと手続き上「権威付け効果」の実験に読める
2 大村さん自身、この項で「フリーサイズ効果の実験」と断っていない
3 大村先生は「フリーサイズ効果の実験」だけをしている人ではない
4 そもそも、そっち系の研究者であれば、「権威付けの効果に関する実験」もやっている可能性はかなり高い
(というかやっていないほうが不思議)

<結果>
 上記の理由により大村先生の実験=「フリーサイズ効果(もしくはFBI)の実験」と短絡的に考えるのには無理が大きすぎる。
もちろん、実はこれは「フリーサイズ効果の実験」だった可能性が0だとも言えないが、このように「権威付け効果の実験」である可能性が多分にあるのだから、それを勝手に「フリーサイズ効果の実験」という前提で扱うのは間違い

「大村先生のフリーサイズ効果の実験は権威付けの実験である」
というABOFANさんがとらえた「前提条件」がありますよね。
しかし、そのことから
「大村先生のすべての権威付けの実験はフリーサイズ効果の実験である」
というのは論理上間違いだということは理解できますか?
(これが理解できないと、「必要条件・十分条件」という中・高校レベルの論理学を説明しなければならなくなっちゃいますね)
ちなみに、先の前提条件から言えることは
「大村先生の権威付けの実験でないものは、フリーサイズ効果の実験ではない」
ということです

Q9================================
<1.それでもエスプリ引用部分は「フリーサイズ効果」としか読めない(誰もが)>
<2.たしかに「権威付け効果」の可能性も考えられる。少なくとも決め付ける事はできない>
<3.っていうか、「権威付けの効果」の実験だったんだね、これ>
==================================

ま、それ以前に、YGテストだから信頼性がある、っていう切り口でフリーサイズ効果を否定するのも気になるんですけどね。
だって、実際信頼性ってそんなにないっしょ。どうなの?
信頼性が無い根拠、私は言えますけど、ABOFANさんは「みんなも認めている」以外に信頼性がある根拠言えますか?
おまけQ(記述形式)================================
そうそう、前のメールの返事の最後に「【FBI効果についての追記】 」が加わっていますがこれはどういった意図なのかな?
「こうなると、もうなにをか言わんやです。」と言っていますが、具体的なABOFANさんの取り上げた趣旨が分かりません。できれば問題点を明確に述べてください。
そのときは僭越ながら私の意見も書かせていただきます。
=======

******閑話休題******
これは血液型々の話とは別なものとして聞いてください。
また、大村先生の理論とは全く別な事をいっているかもしれないこともご了承ください

私の考えでは、フリーサイズ効果と権威付け効果は同じでは無いと思います。
ただし、権威付けの効果は、フリーサイズ効果に多大な影響を与えます

占い師の「誰にでも、こう言えば『当たってる』と思わせるテクニック」に
「実はあなた、ちょっと寂しがり屋さんでしょ」と言うというものがあります。
これはいわゆる「誰もが自己をそう評価しがちな性格属性」と考える事ができ、この言葉は「フリーサイズ効果」を持っていると思われます。

しかし、この言葉を見ず知らずの赤の他人から言われたとすればどうでしょう?
あなたは素直に信じる事ができますか?

でも、「占い師」だっていわば見ず知らずの赤の他人です。この違いは何でしょう?
はい、「占い師」という権威付けの効果があるからこそフリーサイズ効果も有効に働くのです。

逆に「占い師」という権威付けがあっても「あなたは残虐で人非人ですね」と言った場合受け入れられない。

ということで、フリーサイズ効果(に見えるもの)は、権威付け効果との密接な関係を持っていますが全く同じ物では無いと思います。

******閑話休題終了******

--------------------------------------------
(9)深田自身の取り違いその2
--------------------------------------------
<3>人間関係をよくする意味 <4>キノコの例

「人間関係をよくするにはかなり効果」のところで述べさせていただいたとおりでございますぅ

--------------------------------------------
(10)心理学者というカテゴリー
--------------------------------------------

> これは、私自身が匿名で書いていながら、相手を実名で批判するのはどうかなぁということです。

だから、せめて、「ほとんどの心理学者」と「一部の心理学者」と「とある心理学者個人」ぐらいのレベルわけして誤解をへらすようにしたら...っていってんですけど。だれもことさら名前出せって言ってないってばぁ

でも、ま、徐々に誤解が無い方向に改善されていくことを望みます、ってことでこれに関してはもういいかな。

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(11)まともなデータ分析
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>う〜ん、そういう見方もあるんですかねぇ。私はデータいじりが趣味ですので、データ分析のところを読んでみれば、自然と私の考えがわかってもらえると思ってたんですが…。

誤解を生じさせないには「自然と考えがわかってもらえる」って希望は捨てた方がいいんじゃないでしょうか?
だって、私のように考えを分かってもらおうと、積極的に言葉にしていても、ABOFANさんからは誤解ばかりですしね〜

結局のところ
Q1「これってこれこれって意味ですか?」
A1「それは違う」
Q2「じゃぁどういうことなんですか?」
A2「それは読めば分かる」(→Q1に戻る)

って不毛な会話が続くだけですよね。
たしかにA側は楽だし、都合が悪くなってきたら「違う」って逃げればいいんだし。
いや、そのような不毛な会話が好きなら止めませんが、(私は加わりませんが)

「明言しないのは明言できない(自分の意見すらまとめられない)からだ」
と受け取られてもしょうがないかと...
...というか、そんな人は議論自体できないはずですが...

う〜ん、なんか堂堂巡り...

ちょっと言わせてもらえれば、データいじりが趣味のわりには、データの取扱が乱暴じゃないんでしょうか?
例えば統計は「どう計算するか」も大切ですが、そんなもの一度公式を覚えてしまえばいいわけで、一番大事なのは、
「どんなデータにどんな統計を当てはめれば、その結果から何が言えるか」だと思うねー

> 私のスタンスとしては、データはすべて正しい心理学者の分析は全部間違っている従って、まともに分析すれば必ず血液型と性格に相関があることが証明できる。その集大成がこのHPです。

ABOFANさんにおける「まともな分析」とはどのレベルなのでしょうか?
Q10===============================
<1.「数値」というものをある公式に入れ確率的な結果を得ること>
<2.1で分かった確率的な結果は何を指し示しているのか、使用した統計方法では何を計り何が分かるかを理解した上で、その統計の性質に沿っていえる範囲の正しい推論をする>
<3.1・2に加え、サンプルデータの取り方まで加味して、推定の範囲を限定する。>
==================================

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(12)ABOFANさんのデータ分析の欠点
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> 私は、すべてのデータが矛盾なく説明できれば十分満足なのですから…。

まさか、満足されてませんよね?

> (日本の)心理学者がどう言おうが、データ分析についてはほぼ決着が付いたと思っています。

うーん、すごい自信ですが(思うのは勝手ですが)、先の統計についてのアンサーの答えが<1>のレベルであればそれはきっと思い違いでしょう(それはで決して「データ分析」の域に達していない)。
渡辺先生との討論を見る限り、少なくとも<3>のレベルまでは行ってないと思いますよ。

なんでそういう事を言うんだ、理由を述べよとおっしゃるならば

・ カイ2乗分析で、計算方法や、カイ2乗検定量を求める所まではあっているかもしれないが「だからこのデータはこうだ!」という分析の部分でその統計では分からないはずのことまで言っている。それならば統計などやる必要が無いし、データ分析とは言えない。(具体的にはX2乗の項参照)

・ 心理学者は矛盾している、と言いつつ、違う心理学者の違う目的でとっているデータを並べ立て結果の違いを批判したりする。
<3>のレベルまで統計を理解しているのであれば、そんなことはできないはず。
つうか、ABOFANさんは「心理学者」というものをカテゴライズして見すぎです。
まるでひとつの「心理学大意識」というものが、様々な心理学者のしもべを使っているように感じているのでしょうか?

・ タイプ1エラーやタイプ2エラーの話を持ち出してきてから、さらに怪しいと感じるようになったのですが、統計の世界でこれを自分の求める結果が出てない理由にするのはまずいんじゃないの?
これは、「こういうエラーがあるから、データ分析は慎重にしろよ」って言う意味での概念であって、標準偏差の裾野の高さがどこまでいっても0にはならないように、どんなにがんばってもこの2つのエラーは無くならない筈です。

中間管理職さんのところでこんなことを言ってました
>明らかに有意な差が出ています。なぜなら、4つの血液型すべてで自己の血液型得点がもっとも高く
>なる確率は1/4の4乗ですから、偶然だとすると0.4%以下ですよね。普通は5%以下でOKです
>から文句なく有意となります。ちなみに、全体でも3つはそうなので2%以下です。これも有意ですね
>つまり、高受容群は「本当に差がある」と判定されるわけですから、T2エラー(笑)は起きようがあり
>ません。

これはT2エラーを理解していないとしか思えません。
「文句無く有意」とか「本当に差がある」などと言って、T2エラーは起きようがありません?いえいえ、ご自分で言ってるじゃないですか、起こる可能性を。
そうです0.4%以下の確率でT2エラーが生じるのです。
0.4%以下って言ったら1/250ですか、この確率が「起きようが無い確率」なんて言われたらパチンコなんてできませんよ。2%といえば1/50、こんなデジパチあったらパチンコ雑誌では「当たりやすい爆裂機」なんて紹介しますよ。

確かにABOFANさんが言うようなT1エラーがあるために差が出ないのかもしれない
でも、それを言ったらABOFANさんが「差が出た」と主張する結果だってT2エラーで済まされてしまいます。
(少なくとも上記で述べたABOFANさんの「T2エラーは無い」という主張はまったく勘違いな訳ですから。)
 そもそも、T1エラーがあるかもしれないが無いかもしれない事を、
「差が出ないのはT1エラーのせいだ!」(じゃぁ差が出るのはT2エラーのせいかもね)
「ちゃんとやれば差が出るはずだ」(差が出てから言ってください。)
この論理こそ「矛盾」そのものではないでしょうか?

ABOFANさんがやっているのは果たして「正しいデータ分析」と言えるのでしょうか?
Q11================================
<1.いえない>
<2.いや、そういえるし、理由も科学的・数理的に説明できる。>
<3.自分のデータ分析が実際間違ってようが、言うのは自由だろ>
==================================

--------------------------------------------
(13)「正しい」という前提で考えるとあやしくなるかも
--------------------------------------------

> 残るは、いかに正しいことを世間に知らしめるかです。

つうことで、「正しい」と個人で信じるのは自由ですが、それが世間に知らしめるには一般的に正しい手法を正しく使うことが大切だと思います。

「中間管理職」さんはいつのまにやら否定派のような立場になっていますが、きっと私と意見は同じでしょう。
「血液型と性格の関係はあると思う。しかし、ABOFANさんの今までのやり方で証明したと思うのは間違っているのでは?」

「中間管理職」さんへのお返事でこんな一節がありました
『人間を納得させる場合は、(論理ではなく)相手の納得の前提となっている根拠を覆すしかない』
おそらく、これはABOFANさん自身のスタンスを示唆しとるんでしょうか?
どんなに論理的に議論したとしても、最終的に
「確かに論理的には正しくないかもしれない。しかし、それでも俺は俺の方法を信じる。信じるのは自由だ!」
と言われてしまっては、議論する必要が無いって事になりますよね。

ABOFANさんを見ていると、議論しようよと言いつつも
『自分の意見は絶対正しい!
議論というものは、論点をずらそうが何しようが自分の有利な話をするものだ』
というスタンスでいるような気がします。

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(14)提言
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「諸君、君たちは現在の定説とは反対の学説を立てなさい」
そんな事を言う先生がいたそうですが、私もまったく同感です。
物事を多角的に見ようとしなければ見えないものがある、ホントはそういうことを言いたかったのかもしれません。
そのためには、時には自分自身の説も捨て、新たなアプローチで挑むことも必要でしょう。
しかし、この言葉に感動したはずなのに、能見先生の「定説」の呪縛から逃れられず、己の組み立てた理論に意義を唱える人がいかに正しい事を言ってもそれをを認めず、視点を変えようとしていない人もいるようです...

そんな、ちょっぴりセンチな感覚を覚える今日この頃です。
私がABOFANさんに言って欲しいのは決して「血液型と性格の関係は無い」という全面否定の言葉ではなくある意味、今まで自分がやっている分析を否定する事になるかもしれませんが、「それではこれからどうやったらほんとうに血液型と性格を証明することができるだろうか」という提言なのかもしれません。

あと確認
論理学の基本では
「AならばB」が正しい場合、成立するのは「BでないならAではない」であって
「AでないならBではない」、「BならばA」というのは成立しない、というのはご理解いただいてますよね。

ではでは

お帰りなさいませ。実は、公開メールより私信の部分の方がず〜っと面白いのですが、当然のこととして省略させていただきます(笑)。

 中間管理職さんのページも読んでいただきありがとうございます。あのメールの内容は一向に構わない(いや、大歓迎です!)のですが、職業や年齢を意図的(?)に詐称する(?)というのは少々穏やかではありません。わざわざ詐称するぐらいなら、はじめから匿名でやればいいのです。このHPは元々匿名投稿が可能ですから全然問題はありません。

#少なくとも、私の方から問題にするつもりはありません…。

 しかし、ある特定の目的を実現するため(?)に、職業や年齢を意図的に詐称する(?)というのなら話は別です。いくら匿名と言ってもねぇ…。もちろん、投稿者の属性が本当かどうかは普通のメールでは(デジタル署名があるなら別ですが)わかりません。しかし、この手のメールは、ご存じのとおり相手が特定される可能性が高いのです(理由は省略)。

 どうせ匿名なのだから、もっとユーモアのある書き方をしてもらうか、ウソがパレないような書き方をしていただきたいものです。:-p

 では、今回も順番どおり回答していきます。

Q1=================================
ABOFANさんが「科学的」と言った場合の意味合いは?
<1.解剖学・化学反応といった狭義の科学>
<2.立証方法として、「科学的」と認められた推測方法>
<3.それ以外の「科学的」(要説明)>
==================================

 狭義の科学という意味がイマイチ不明ですが、一応は1でしょう。ただし、私の言うのは「狭義の科学」ではなく、理工学一般という意味です。

Q2================================
この「相関」とは
<1.要因が特定された上で導き出される統計的手法としての「相関」>
<2.ただ一般的な「相互関係」という言葉を短縮していっているだけの「相関」>
==================================

 基本的には1です。ただし、細かいところになると、統計の解釈の問題になってくるので、違う答えになるかもしれませんが、この文章だけではなんとも言えません。

Q3================================
ABOFANさんが議論しようとしている相手は、
<1.わざわざ長文メールで相互理解を深めようとしている私なのでしょうか?>
<2.それとも、ABOFANさんにだけは見えている私ではない誰かなのでしょうか....>
==================================

 当然のことながら1です(笑)。ただ、未だに深田さんの論理や考え方の根拠・前提が深く理解できていないのは確かですので、そういう意味では的はずれな答えになっているかもしれません。悪しからず。

Q4================================
<1.ホントは自分でも正しい『結果』だと思っているけど、『結果』というと風当たりが強いから『仮説』にしておいて、いざとなれば「あくまでも仮説です」と逃げれるようにしている>
<2.まぁ、自分で実験したわけじゃないから殊勝に「仮説」としている。>
<3.あ、そうか。じゃ今後『結果』ということにしよう。>
==================================

 これは読んでもよくわかりません。(?_?) 「結果」ではなく「結論」や「理論」ならピッタリきますがそれでいいのですか? 仮説を証明するのには、たいていは複数の「結果」が必要なので、「『結果』というと風当たりが強いから『仮説』」という意味がわかりません。

>ABOFANさんは「従来のデータに当てはまるのだから正しい」と言うかもしれません
>しかしそれが果たして科学的立場で言えるでしょうか?

 これが科学的な立場なはずですが…。次を読んでみてください。

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(5)心理学者というもの
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>>任意の(日本の)心理学者の文献を読んでみてください。ただ1つの例外を除いて、見事に「この世のどのような場面においても性格評定(もしくは行動)に血液型における差は出ない」と書いてあります(笑)。
>「血液型で分類した場合において、この世のどのような場面においても『一貫して現れる』ような性格評定(もしくは行動)の差はない」って仮説にしますね。

 確かに私の書き方が悪かったので訂正しておきます。(^^;; ただし、そうなると深田さんの書き方も正確ではありません。(統計的な)誤差等を考慮しつつ「一貫して現れる」傾向というのが一番妥当な記述でしょう。

Q5================================
ABOFANさんがこのHPで述べる『性格』という言葉について
<1.定義できている>
<2.現在鋭意定義中>
<3.そのうち定義するつもり>
<4.必要がないと考えているので定義しない>
<5.定義できない>
==================================

 これは5です(苦笑)。なぜなら、万人が認める(科学的な?)な定義はないからです。HPを読めばわかると思いますが、私は心理学者が「○○という条件が満たされれば血液型と性格に関係があると認める」というデータなり分析なりを示しているだけです。従って、深田さんが求めているような定義ははじめから存在しません!

#ただ、心理学者ではなく一般用語としての「性格」は確かに存在します。

 また、「血液型と性格」に関わる性格についてなら、せひ能見さんの本を読んでみてください。

Q6================================
私が、ABOFANさんのX2乗検定がおかしい!といった理由を納得していただけましたか?
<1.うん>
<2.やっぱわかんない>

 2です。例えば、

>X2検定は、例えばある人にある服がぴったり合うかどうかを計るとすれば
>出てくる結果は「合うと考えた方が良い」「合わないと考えた方が良い」のどちらかです。

 どこぞのアパレルメーカーでX2検定を使っているケースってあるんでしょうか? 普通の品質管理なら散布図、ABC分析、ヒストグラムぐらいだと思うんですが…。しいて検定を使うとすると、常識的にはF-検定やt-検定ですよね? これって私の質問の解釈が違っているんでしょうか?

Q7=================================
では、ABOFANさんがX2乗検定を使って実証されたと思っていることには、実は「実証されていない」ことが多いということを認めますか?
<1.うん>
<2.認めん!>
Q8================================
それでも、これからもX2乗検定の結果から誤って導かれた分析で「血液型と性格は正しい」と言い続けますか?
<1.モチロン!>
<2.いや、別の方法を検討しよう>
==================================

 すみません。具体例がないので答えようがありません。
 ただ、衆議院などの例は、×型が多い(少ない)で正しいんです。理由は統計学の教科書をご覧ください。

Q9================================
<1.それでもエスプリ引用部分は「フリーサイズ効果」としか読めない(誰もが)>
<2.たしかに「権威付け効果」の可能性も考えられる。少なくとも決め付ける事はできない>
<3.っていうか、「権威付けの効果」の実験だったんだね、これ>
==================================

 大村さんの定義なら「フリーサイズ効果」ですが、(私や)他の人によると「権威付け効果」でしょう。もっとも、一般的には「バーナム効果」です。

おまけQ(記述形式)================================
そうそう、前のメールの返事の最後に「【FBI効果についての追記】 」が加わっていますがこれはどういった意図なのかな?
「こうなると、もうなにをか言わんやです。」と言っていますが、具体的なABOFANさんの取り上げた趣旨が分かりません。できれば問題点を明確に述べてください。
そのときは僭越ながら私の意見も書かせていただきます。
=======

 上に書いたとおりですが…。

Q10===============================
<1.「数値」というものをある公式に入れ確率的な結果を得ること>
<2.1で分かった確率的な結果は何を指し示しているのか、使用した統計方法では何を計り何が分かるかを理解した上で、その統計の性質に沿っていえる範囲の正しい推論をする>
<3.1・2に加え、サンプルデータの取り方まで加味して、推定の範囲を限定する。>
==================================

 3です。ただ、2で引っかかったのが「正しい推論」という部分です。私にとって「正しい」というのは、現時点で間違っていると証明されていない、つまり、現在までのデータを(誤差等を考慮しながら)全部説明できると言う意味です。

ABOFANさんがやっているのは果たして「正しいデータ分析」と言えるのでしょうか?
Q11================================
<1.いえない>
<2.いや、そういえるし、理由も科学的・数理的に説明できる。>
<3.自分のデータ分析が実際間違ってようが、言うのは自由だろ>
==================================

 これは3です(笑)。私は(一般的に)「正しい」という言葉には非常に抵抗がありますし、自説がそこまで正しいという自信もありません。(^^;; せいぜい「私が正しいと考えるデータ分析」です。たとえば、○○理論は(無条件で)「正しい」といったら、普通の理系人間なら笑い出すのではないでしょうか。相対性理論だって量子力学だって、正しいのは適用範囲内だけであって、その範囲外なら「間違っている」のは当然ですから…。前回の「正しい」が一般的に正しいと解釈されているなら、ここで訂正しておきます。(^^;;

#ひょっとして、T1とT2が逆なんじゃないでしょうか…。

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(13)「正しい」という前提で考えるとあやしくなるかも
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>ABOFANさんを見ていると、議論しようよと言いつつも
>『自分の意見は絶対正しい!
>議論というものは、論点をずらそうが何しようが自分の有利な話をするものだ』
>というスタンスでいるような気がします。

 これもよく意味がわかりません。ひょっとして、「私の仮説は間違っている」という意見に対しての私自身の反論がそう解釈されているのでしょうか…。具体例をあげていただけませんか?

--------------------------------------------
(14)提言
--------------------------------------------

 どうもありがとうございます。私は、否定派の根拠となる前提やデータを覆そうとしているだけです。

>能見先生の「定説」の呪縛から逃れられず、己の組み立てた理論に意義を唱える人がいか
>に正しい事を言ってもそれをを認めず、視点を変えようとしていない人もいるようです...

 すみません。ちょっと強く書かせていただきます。「定説」の本を何冊読みましたか?心理学者の文献にいくつ当たりましたか?読んでも見てもいないことに言及するなら、少々慎重になっていただきいたいと思います。少なくとも、「科学的」と称するのなら…。

 今回は、T1&T2エラーで気が抜けてしまいました。(^^;; 次回に期待したいと思います。

 あと、どうも渡邊さんのときもそうだったのですが、議論の前提のギャップを埋めるのに相当な時間がかかりそうです。相互理解を深めるのなら、かなりの長丁場を覚悟するようですね。まあ、あせらずに頑張りましょう!

 次回にでも、相互のギャップを埋めるため、ぜひ具体例を豊富にあげていただくようお願いします。m(._.)m

メール(その6) H13.7.24 23:25

どもども、久方ぶりの深田です
最近出没してませんでしたが血液型論争に興味が無くなったわけではありませんよ
逆に書きたいことが沢山あって、整理がつかず、今はこつこつと
分かりやすく書き直しているところです(←暇人なのか?)。
乞うご期待!

んで、ではなんでそっちの筆を一旦休めてこのメールをしたかというと
21日の更新における「『血液型性格判断のウソ・ホント』のウソ・ホント」のコーナー
「50ページ  統計で実証できることはなにか」で、

「おっ、おーい、それは明らかにおかしいんじゃないの〜」

ということがあったので、たまらずメールしました
うーん、ABOFANさんは論理学が不得意なんでしょうか?

「否定論者の自己矛盾!?」のキャプションに
「大部分の心理学者は、統計学も論理学もよくわからないというしかありません」 
と書かれていますが、ABOFANさんもそれを他山の石とせねばなりませんよ
(余計なお世話?)

えっと、本題。
「50ページ  統計で実証できることはなにか」で、
性格と血液型の関係を背理法で証明しようと試みていますが

>わかっている人は読み飛ばしてくださいね。

とおっしゃっています。こ、これはとんでもない策略です!

その背理法が誤りだということがわかるような人には読み飛ばさせといて
その背理法が誤りだということが気付かない人にだけ読ませるなんて!!

まぁ、冗談はおいておいて、わからない人もわかる人も一緒に読んでくださいな

ちなみに私は「背理法」と聞くと、どうしても
丸大ハンバーグのCM「ハイリ・ハイリフレ・ハイリホー」のフレーズが
頭をよぎってしまいます。

....さて、さっさと検証していきましょう

そもそも背理法とは求めている理の反対の理(背理)を立てて、それを棄却することで
求めている理を証明するわけです。

これは論理学の範疇に入るものであり
十分条件、必要条件等をしっかりとらえないと論法として成り立ちません

ところで私の知っている限りの「背理法」とは

「Pの否定の否定(2重否定)が真ならば,Pは真である(真と偽を入れ換えても成り立つ)」

いわば、「性格と血液型は関係が無い」という否定の命題を掲げ、
それに当てはまらないものが1個でもあるなら否定の命題が否定され
「性格と血液型は関係がある」と言えるものです

んでも、ABOFANさんは3つの要素、3つの関係を使用した背理法(?)を使ってますね。

これ背理法なのか?
論理学をそんなに詳しく学んだわけでは無い私では確実なことはいえませんが
まぁ、つまるところ論理的論法なのであれば、基礎的な論理学の知識でも解明できるはずです

つうことで、ABOFANさんが掲げた背理法を論理的検証法として扱ってみましょう

ちなみに他に有名な論法に「三段論法」がありますが、
よく「あてにならない例」として引き合いに出されるものに
1 馬は4本足である
2 鹿も4本足である
3 よって馬は鹿である
というものがありますが、これは十分条件、必要条件を理解しないがための過ちです。

あ、ABOFANさん、いま「フン、俺の背理法ではそんなことないよ」って笑いましたね?

いえいえ、同様の危険性があなたの「背理法」にも潜んでおり、
他でもないあなた自身がその罠にはまっているのです

...だから、さっさと検証しろって。ホントに前置き長いね(←ひとごとのように)。

ではではさっそく、ABOFAN式背理法の検証をしよう

>1.性格検査と性格は関係がある

このような肝心な前提をさらっと簡単に流されると困りもんだが、
「性格検査では計れない性格があること」や
「性格検査で導き出される結果が必ずしもすべて正確な性格ではない」ことを考えると
決して「すべての性格検査とすべての性格は関係がある」とは言えない

だから正しくは
『1.性格検査の一部と性格の一部は関係がある』
とすべきだ
 
>2.もし、血液型と性格に全く関係がなかったら、性格検査の結果は血液型にかかわらず同じになるはず

先に述べた正しい前提に立脚すると、これは背理になり得ない
なぜなら血液型と性格に全く関係がなくとも
本来の性格が反映されない性格検査が(←変な話だが、それが現実。なんなら背理法で証明もできますよ)
血液型と関係してしまうというケースを想定していない(このケースの可能性は0では無いですよね)

>3.しかし、現実には性格検査の結果(の一部)は血液型によって違う(しかも安定している)

大切な前提条件1・2が崩されてしまったが、
それでも『性格検査の結果の全て』が血液型によって違うということであれば
その『結果の全て』の中には、一部の『性格と関係がある性格検査』が含まれることになり
性格と血液型の関係は立証できます

でも、あくまで『性格検査の結果の一部』という限定条件なのであれば、(安定してようがしてなかろうが)
それに『性格と関係ある性格検査』が含まれているという保証はない(可能性はあるが絶対ではない)

>4.従って、血液型と性格は(一部にしても)関係がある

従って
1.前提が正確ではない
2.背理が正確ではない
3.上の2つでただでさえ怪しい論法になっているのに、
  さらに『一部』という限定をつけることにより確実性が全く失せている

ということで、ABOFANさんの背理法(?)による因果関係(?)の証明は証明になりえません

重ねて言いますが、
血液型との関係がある『性格検査の結果の一部』に『性格検査で正しく測れる性格の一部』が
確実に含まれているかどうかはABOFANさんの論法内では全く触れておらず、
結論でわざわざ「(一部にしても)」なんて気弱な注釈をつけようがつけまいが
その確実性は全く担保されていないのです

※ さらに付け加えるのであれば、このケースにおいてわざわざ背理を立てる意味が良くわかりません
  やろうと思えば論理式だけで説明がつくような気がしますが...

ちょっと文章だけではわかりずらいかな?
では、絵を描いて反証してみましょう
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
1 まず、円を一つ書き、中に「性格」と書いてください

2 その円の左に、「性格」の円と一部が重なるような円を書き加え、中に「性格検査」と書いてください

3 さらに、その左に、「性格検査」の円に重なり、「性格」の円とは重ならない円を書いて、
  中に「血液型」と書いてください
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
さて、描けましたか?これで反証は終わりです
何故って?、この3つの円による論理式の模式図は
ABOFANさんの言う背理法の条件1・3を満たしているにもかかわらず
結論である4が成り立っていないじゃないですか!

簡単な背理法でいけば
「ABOFANさんの論理が正しいのであれば、その論理に当てままらないものはない」
という背理を立てたところ、かように論理に当てままらないケースが出てきたため
「ABOFANさんの論理は正しくない」という結論が導き出されます

※「そんなケースはきっとレアケースだ!」なんて言わないでね。
 レアだろうがなんであろうが、論理的にはそれは「事実」なのだし
 そもそも、論理学で確率の話をするのはお門違い

もし、すべての性格検査は性格を正確に測っているという前提で言っているのであれば
それはそれで、
「んじゃ、なんで証明するのにわざわざ3要素で背理法でやるんだよ」
って話になりますけどね。

次に述べている、性格−職業−血液型の背理法(?)による検証は、ちょっとすごい
性格−職業−血液型の関係の背理と思いきや

いうのまにか、
「血液型と職業に全く関係がないなら、全ての職業の血液型分布には偏りがないはずである」
という、「性格」を無視した背理になっています

※ただし、本来の私が知っている背理法の形にはなっています。
 一部の職業において血液型の偏りが見つかれば「血液型と職業は一部関係がある」ことが証明できます
 ただし、もし同様に「性格と職業の一部は関係がある」ということが証明できたとしても
 血液型と性格の関係が証明できたわけではないことは、今までの反論のとおり

...それとも
「血液型と『性格』に全く関係がないなら、全ての職業の血液型分布には偏りがないはずである」
というケアレスミスですか?
どっちなんでしょう

ただし、もし、この部分が『性格』という語句だったとしてもダメですね
いちいち詳しく申しませんが、前提で「一部の職業と性格が関係する」と明言しているんだから
全ての職業には「性格とは関係がない職業」が含まれることになります

理解できないようでしたら、もう一度円を描いて、検証してください。簡単ですよ

ちなみに、ABOFANさんの論法の誤りとはどんなものなのか
蛇足ながら性格と性格テストと血液型ではなく、A君、Bちゃん、Cさんで説明してみましょう

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
<ABOFAN式背理法>
1.A君とBちゃんはときどき会っている   
2.もしも、CさんがA君に会うことがないならば、CさんがBちゃんに会っているはずがない
  (CさんはBちゃんがA君に会ってない時でも会うことが可能なので明らかにこの背理はおかしい)
3.CさんはBちゃんにときどき会っている
4.だから、CさんとA君もときどき会っていることになる
  (全然確実ではない)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
<論理的に正しいもの>
1.A君とBちゃんはいつも一緒だ   
2.もしも、CさんがA君に会うことがないならば、CさんがBちゃんに会うはずがない
3.CさんはBちゃんに会ったことがある
4.だから、CさんとA君も会ったことになる

というかこれならわざわざ背理を立てなくとも
1.A君とBちゃんはいつも一緒だ   
2.CさんはBちゃんに会ったことがある
3.だから、CさんとA君もときどき会っていることになる

でも論理的に説明つくんですけどね
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
どうでしょう?違いが分かりますか?

もしかするとそれでもABOFANさんはこう言うかもしれない
 
  例え背理とか論法が間違ってたとしても
  1の「性格検査と性格は一部関係がある」と
  3の「性格検査の一部と血液型の関係が認められる」が成り立てば
  4の「血液型と性格は一部関係がある」が
  正しいという『 可能性 』が全く無いわけじゃない!
  だから、この背理法でも
  『 結果が間違っているというわけではない 』

いやいや、これが一般的な推論として言われているのであれば、
私も「そうだね、そうかもね」と思うよ

でも、ABOFANさんはあくまで
「『背理法』で『証明』する」
とおっしゃっているんですから

第一に『背理法』といいつつ背理法の正しい用件を満たしていない(というか論理学の用件を満たしていない)

第二に『証明』といいつつ、確たる結果を導き出せず、推論の域におさまっている

第三に、そもそも、結果があいまいでいいのであれば何も背理法を使う必要は無いし
    背理法と断る理由も無い

という3つの逃れ得ない問題が生じてしまい
ということで、それでは「証明した」というのは『間違ってる』と言わざるをえないんじゃないのかな

そもそも、先に3段論法の例と同様、
論理は厳密であってこそ証明が証明として成り立つのであって
不確定さ入り込んでしまったらまったく証明の用を足さないということを理解してくださいな

※ 生兵法は怪我のもとですよ

ちなみに、この似非背理法ではこんなことも言えちゃいます

1 馬は4本足である
2 鹿と馬が違うのであれば、鹿は4本足であるはずがない
3 鹿は4本足である
4 よって、馬と鹿は同じである

あれ、これって2を抜けばさっきの似非3段論法になるね
まぁこれはABOFANさんの間違いよりも悪質な論理のすり替えをつかってますけどね

※ちなみにABOFANさんは中国故事にも知識があるという印象を持ってますが
 (多分、渡邊先生とのやりとりを読んだ印象ですが)
 諸子百家のひとり「恵子(「けいこ」ではなく多分「けいし」)」は読んだことありますか?
 あれこそは屁理屈論法のバイブルというべきものでしょう!!


...つーか、「論理」について長々と説明しましたが
そもそも背理法はただ単に「関係」があることを立証するもので
「因果関係」、すなわち何が原因で何が結果かを立証するものではないんじゃないの?
と、いまさらながら思うんですけどね

草野さんに対し『「因果関係」を「相関関係」と書き間違えたのでは』と
「因果関係」と「相関関係」の相違を指摘しているにもかかわらず

今度は自分で、『因果関係については背理法で証明できる』と思いっきり間違ってませんか?
(他山の石、他山の石)
背理法で因果関係が証明できるのでしょうか?

例えば例えば、100歩、いや1000歩、いや10000歩譲って
ABOFANさんの背理法が正しいと仮定して
その結果を純粋に信頼した場合

『血液型と性格は「相関関係」がある』とはなっていますが
はてさて、この論理法のどこをどう見れば「因果関係」まで分かるんですかねぇ?

いや、『「血液型」が原因で「性格」が結果だ』っていいたいんだろうけど
論理式の範疇「のみ」で考えたら、
『「性格」が原因で「血液型」が結果』であってもおかしくないじゃないですか
(お!「性格が血液型を作る」これは面白い考えだぞ)

むしろ、ABOFAN流背理法だけで『「血液型」が原因で「性格」が結果だ』と言い切る事のほうが
論理的に間違っているのではないでしょうか

おっと、「常識的に考えるとそんなことはありえない」なんて突然一般社会の常識を持ち込まないでね
自分で論理学の枠組みを使っておきながら、都合が悪くなると別な枠組みを持ってくることこそ常識外です

論理学に詳しいのであれば理解できると思いますが、論理学には論理学の常識があって、
論理の世界では「血液型」と「性格」なんてしょせんAとBとかの単純化された記号なんですから
それなのにあの背理法(?)で因果が分かるなんていうのは、早急にも程があります

因果関係とはどういうものか、ABOFANさんこそご存知ですかね?

それでも「因果関係」が分かると言うのであれば
どういうしくみで一方を「原因」、もう一方を「結果」に振り分けてしまえるのか
ぜひとも教えていただきたい!


結局のところ『因果関係については背理法で証明できる』という考えこそが
大きな過ちだったんではないでしょうか?
どうでしょう??


さて、読者のみなさんは何がどう誤っていたか気がつきましたか?
そして、ABOFANさんも理解していただけたでしょうか?

どこの何が、どういう理由で間違っているか説明したつもりですので
いつもの
「いや、これでいいはずです。理由はよく読んでもらえればわかるはずです」
って漠然とした答えは絶対勘弁ね

あ、あと「そうはいっても現実にこういったデータがあって関係が指摘できる」
ってのも無しね
私は現実云々ではなく、ABOFANさんの「背理法」が論理的であるかを問題にしているので...

※部分反対、全体沈黙はいけません

背理法等の論理学は「これこれはこうである。だからこうとしかいえない」
と、あくまでも論理的に説明できるものであるべきで
「これこれはこうである。だからこうなって『ほしい』」
というのは、論理による証明ではなく、ただの「希望的観測」にすぎません

それとも、ABOFAN流の背理法には何かウルトラC級の理が隠されているんでしょうか?

※「いや、理系の背理法はこれでいい!」
  なんて無茶苦茶なことはいいっこなしよ
  そもそも、背理法は数学で使われることが多いけど、元々は「論理学」すなわち哲学系。
  いわば文系のお膝元なんですしね

まぁ、ぜひともABOFANさんの回答をいただきましょう
願わくはそれが「論理的に正しい」回答であることを...


さてさて、最後に予告っぽい質問(今回の論理問題とは関係ないです)
良かったらぜひ答えてくださいな

進化論に対し聖書で対抗しても何も進まないのは歴史が証明しているかもしれません

ところで私は、「科学的な推定法」をおこなっている研究に対し反論・意見を述べるには
その「反論・意見」も「科学的な推定法」にもとずいたものでなければいけないと思っています

ABOFANさんにおかれましてはどうでしょう?
「科学的な推定法」に対し、「非科学的な推定法」でそれを棄却するのは有りなんでしょうか?
そして、ABOFANさんにおける「科学的な推定法」とはいったいなんでしょう?

ではまた次回

PS
あ、遅ればせながらJUSTNETのメルマガにインタビューが載ってましたね
うらやましいです
おめでとうございました

お久しぶりです。

 JustNetはまさか掲載依頼が来るとは思っていませんでした。隔世の感がありますね。

 今回も公開メールより私信の部分の方がず〜っと面白いのですが、省略させていただきます(笑)。

 まず前半です。

>「性格検査では計れない性格があること」や
>「性格検査で導き出される結果が必ずしもすべて正確な性格ではない」ことを考えると
>決して「すべての性格検査とすべての性格は関係がある」とは言えない

 あはは、それは当然です(笑)。しかし、これは深田さんではなく草野さんや心理学者に対しての言葉です。
 性格検査では、一応は「すべての性格検査とすべての性格は関係がある」というタテマエになっています。理由は改めて考えるまでもないでしょう。
 もし、「ある性格検査と性格は関係がない」ということになってしまったなら、その性格検査はインチキとしか言いようがありません。(^^;;
 それでも一向に私は構いません。(一部の)性格心理学はダメということですからね。
 しかし、それは心理学者に言うべきことであって、私に言ってもしょうがありませんよ(笑)。

 従って、ここでは一応「すべての性格検査とすべての性格は関係がある」と仮定して議論を進めるしかありません。

#そうでないなら、(少なくとも一部の)性格検査のデータはインチキだということですから、
#血液型が云々どころの騒ぎではないでしょう。

 後半は、職業と性格、そして因果関係についてです。

 まず、それぞれの職業に特有の性格がある(だろう)というのは、確かにアプリオリの仮定です。職業ごとの性格検査のデータなんて手元にありませんから、データで説明しろと要求されれば、現時点では残念ながらできません。(^^;;

#心理学者に聞けば、どっかにあるのかもしれませんが…。

 因果関係については、確かに私の書き方が悪かったかもしれません。科学的に因果関係を証明するのであれば、ある血液型が特定の職業に多い(少ないー)メカニズムの証明が必要になりますから、これは非常に難しいです。ただし、予想できる因果関係の方向を決めるのはそれほど難しくはありません。 そういう意味です。
 仮に血液型と職業に相関関係があるとすれば、因果関係としては、

  1. 職業を選ぶと(一部の)個人の血液型が変化する
  2. 血液型によって職業の適性が違う

 ぐらいしかありません。1.は非現実的な仮定ですから、因果関係が存在するとなると、必然的に2.ということになります。

 なお、因果関係については、タイプA行動(性格)とMAOの関係については証明されているようですので、現時点では少なくとも一部については証明されている、と判断しています。

 蛇足ですが、私は中国の古典は、せいぜい高校レベルですので大したことはありません。(^^;;

メール(その7) H13.7.27 23:25

どもども、またまた登場です
すわ、新作の登場か!と思いきや、前回の続きです

その前に最近考えた事を述べておきましょう
初めは、噂の(?)「私信」に書いていたのですが、なかなか面白いとおもったので
本文に移しておきます

突然ですがABOFANさんって、実は論理学って向いてないでしょ?

いやいや、これは悪口ではなくて、
多分理系の人間の多くは(数学系は別として)論理学って苦手、
というかあまり論理をつきつめたりはしないんじゃないかなと思うのです


それは批判されることではありません
論理学の論理はあまりに厳密すぎて、
あいまいさが残る余地がどうしても出てくる現実のデータは、論理学では立証できない場合がある
どっちを優先させますか?って言われたら、そりゃ多少のエラーはあっても現実の方でしょう。

特にABOFANさんのように、データ至上主義(と言うのは言いすぎですか?)で
統計による『推計』を主としておこなう人にとっては
「論理学」の本当の厳密さには耐えられないと思うんです

※ そもそも「論理学」の基本は、何者にも否定されない「真理」を求めるための哲学で
  バカバカしいほどに厳密なのですもんね

現実のデータが目の前にあるがために
「論理」の無味乾燥とした記号空間を頭に描きにくいんじゃないでしょうか。きっと

一方文系という学問はどうなのかというと、結構「形而上学的なもの」を扱う事が多い
つまりもう初めから無味乾燥な空間なんで「論理学」のフィールドに移行しやすいんですね
(つうか形而上学的フィールド自体すでに論理学の世界だったりもするのだが)

さらに、哲学なんてものは(もちろんそれには「論理学」も含まれますが)
目に見えない、非現実的なことを頭の中であーだこーだとこねくりまわす学問なので
その論争もどうしても「現実問題」なんて論争なんて意味が無く、
もうそれはただひたすら実証も論理、反証も論理というものになったりしますからね

だから前にもちょっと触れたように
「論理学」というものは文系のものであって
「統計」等を検証の主におく理系の人には
感覚的に受け入れられないものがあるんじゃないのかなぁと思います

「論理学は文系のほうが発達している」というこの私の仮説

じっさいどうでしょう(理系の現実は分からないので)?
感想お待ちしています。


まぁ、その仮説は当たってるか当たっていないかは別として
ABOFANさんは自らそのフィールドに足を踏み入れてきたわけです。
さて、そんな論理学の世界の住人だった人間にはABOFANさんの「証明」は
どのように映るのでしょうか?

さて返事に入りましょう

 > 今回も公開メールより私信の部分の方がず〜っと面白いのですが、省略させていただきます(笑)。

失礼なこといわないでくださいよ。他の読者が妙な期待をしちゃうじゃないですか
多分、他の人が読んでも面白くないですよー
...つうか本文のほうがおもしろく書いているつもりなんですが、つまんないですか...


さてさて、相変わらずのお早い返事ですが、またやってしまっていますね。
あれほど口をすっぱくして、論理学のフィールドで質問していると言っているのに結局、

 論理的なもんだいはともかく(←それを「ともかく」にするなぁぁぁ!)
 現実問題心理学者が云々、データが云々...

の論法で正当化をはかっています。とても残念...
(もしかして、実は私信のほうだけ読んで、本文はほとんど読んでないんじゃぁ....)
おかげでまた別なほうを中断してメールを書く羽目になってしまいました....

お忘れでしょうか?
議論の焦点は、ABOFANさんが「因果関係を背理法で証明」したことに対する
その背理法(?)のロジックについて論理学的観点から論議しているのであって

ABOFANさんの
「それでも性格と血液型は関係する」という『信念』について聞いているわけではありません

※ 実はわざと話をそらしているでしょ?

> 性格検査では、一応は「すべての性格検査とすべての性格は関係がある」というタテマエになっています。
> 理由は改めて考えるまでもないでしょう。

そこを改めて考えないでおいて、何が「論理的に証明できる」というのだろうか...
ABOFANさんは「論理」というものをかなり甘っちょろいものと誤解しているとしか思えません

> もし、「ある性格検査と性格は関係がない」ということになってしまったなら、
> その性格検査はインチキとしか言いようがありません。(^^;;

インチキというのは極論ですが、あながち外れではないと思いますよ。
理由はABOFANさんも良くご存知だと思います(詳しくはあとで述べていきますが)

  でも、ABOFANさんがそれをはっきり認めないのは
  ABOFANさんの「血液型と性格の関係」の根拠もその『インチキな』性格検査に
  現在のところ頼らざるをえないからなんでしょうね。

   それはあたかも「原子力」の危険性を分かっていながら
   「でも、原子力がなければ電気はどうなるんだ。
    原子力を使うには安全だと思わせるしかないじゃないか」
   という破壊されたロジックのようです。

  本当は信用してないものを信用せざるを得ないもんだから、
  では、他の心理学者に「質問紙なんかで性格はわからん」なんて言われると
  本心では「実際そうだよな」と思いつつも、「いや、それは違う」と言わなくてはならず
  自然と「性格検査と性格は関係ある」派の言葉をオウム返しのように述べてみたり
  「じゃぁどうやってはかったらいいんだよぅ」なんて泣き言をいってみたくなるわけですな
  (そんなところが嫌なので、血液型否定派でもないのに、
    「ABOFAN的血液型肯定の否定派」になっているのです)

まぁ、そんなどろどろした思惑なんていうのは
論理学のフィールドではポンとはじきとばされてしまうのですがね

さて、手始めに『インチキ問題』に論理的に決着をつけていきましょう

「すべての性格検査とすべての性格は関係がある」と言う命題は
 反証が簡単に立てられるので論理学的にはもちろん「偽」です(きっぱり)

この「偽」が、すなわちインチキだというのであれば、
「性格検査」は「論理学的に」インチキと言わざるを得ません

しかし、もし性格検査に求められているものが「論理学的な」完全無比な正確さではなく
部分的にでも、ある程度の関係があればいいという考え方であれば、
インチキというのは妥当な言葉では無いと私は思います

どの程度の確度をインチキというかは個々の主観によるもので
だから「インチキと呼ぶな」とは私は言いません。
...ただし、その考え方は自分の言っていることにも当てはめてくださいな

もしもABOFANさんが
「すべての性格検査とすべての性格は関係がある」のではなく
「ある性格検査では性格は関係が出ない」ことがある
という事象をもってして
「性格検査はインチキ」と判断し、「そんなのは性格検査と定義づけられない」とするのであれば

自身で述べている
「すべての血液型とすべての性格は関係がある」のではなく、
「部分的な関係が見られるのだ(他の部分では血液型と性格は関係が出ない)」
という事象を主張しているあなたの結論は
『血液型と性格の関係はインチキだ』ということになります

チャンチャン♪

うーん、なかなか綺麗に決まったので、もちっといじってみましょう♪
このロジックの矛盾を解消するにはどうすればいいのでしょう?

対処1:
 もしも、『血液型と性格の関係はインチキだ』と言いたくないのであれば
 「性格との関係が出ない時がある」ものであってもそれは「性格検査」であると認めざるをえず
 その場合、ロジックで「性格検査」を扱う場合は
 第一前提は「すべての性格検査とすべての性格は関係がある」ではなく
      「一部の性格検査と一部の性格は関係がある」と定義しなくてはならない
 ...でもそうすると、それ以後の「背理法(?)」の証明がボロボロになってしまいますね

対処2:
 んじゃ、あくまでも
 「すべての性格検査とすべての性格は関係がある」ものでないと「性格検査」と言えない
 それ以外はインチキだ!!
 というロジックを成り立たせるのであれば
 その結論で「性格と血液型は(一部ではあるものの)関係がある」という結論が出たとしても
 「すべての◎◎とすべての□□が関係がある」事象でないと「インチキ」呼ばわりなので
 「性格と血液型の関係」もやっぱりインチキだ!といわざるを得なくなります

うーんますます深みにはまってきますね、

再度ABOFANさんの言葉を借りましょう

> 一応「すべての性格検査とすべての性格は関係がある」と仮定して議論を進めるしかありません。

「こう仮定して議論を進めるしかない」のは、あくまでABOFANさんにとっての都合です。

個人的な論議ならそれは相互が納得する・しないの問題ですみますが
だってここはロジックの世界なんだもん

自分から「背理法をつかって証明するよ〜♪」と「論理学」の分野に足をつっこんでおいて
大切なところになると
「いやさ、これは論理的に検証するともちろん間違っているけど、そこはなんとか認めてくれよ」
と懇願されても困ってしまいます

現実の事象と掲げている説が明らかに異なっているものを使って
なんでわざわざ論理学で説明しなければならないのでしょうか?

『「すべての性格検査とすべての性格は関係がある」と仮定して議論を進めるしかありません』
という横紙破りはABOFANさんが己の説の保身のために勝手に作った都合としか考えられません。


しかし、しかーし!
ロジックをつきつめていくとあらあら不思議
「すべての性格検査とすべての性格は関係がある」と「仮定をするしかない」のであれば
「性格と血液型の関係」はインチキだ、という結論にするしかないではないですか!!(上記「対処2」参考)


かように、ロジックで解析するとおもしろいほどABOFANさんの主張は自己矛盾を含んでいますね
あ、あくまでロジックで、ってことで
『思い込む』ってことはロジック以外の世界では間違っているとは言いませんよ

※ でも最初にロジックのフィールドに誘い込んだのは
  「背理法で証明できる」と自ら言った、他ならぬABOFANさんですよ♪

> しかし、それは心理学者に言うべきことであって、私に言ってもしょうがありませんよ(笑)。

 うーん、いつも思うのですが、ABOFANさんは
 「否定論者の自己矛盾」などと揶揄しつつ、
 さっきの例もそうですが自分も思いっきり自己矛盾してますよねぇ

 「心理学者の意見は間違っている」と「心理学者の意見は正しいものとしてあつかうべきだ」
 が、交錯しまくっています。

 ...いえいえ、いいたいことは分かってますって
 「そうではなく、私はデータを見ることで判断しているんだ」
 って言いたいんでしょ。分かってますって

それよりも、こっちこそ分かって欲しいのは、私が今回述べているのは
「心理学者が正しいのかそうじゃないのか」とかいうことを聞いているのではなく

『ABOFANさんの「背理法による証明」はロジックとして正しいかどうか』なのです

なのに、ABOFANさんは論理学を全く無視した方法で返事をしていますね

例えばいきなりABOFANさんは

 >一応「すべての性格検査とすべての性格は関係がある」と仮定して議論を進めるしかありません。
 
なんて、一番都合の悪いところは「仮定」でいいんだと言い切って強引に推し進めようとしていますが
ABOFANさんがそんな仮定するに至った功罪が、百歩譲って心理学者にあるとして

その仮定を「事象をロジックで証明するのに」通用すると思い込んでしまったのは他でもない
ABOFANさん自身の勘違いなのではなかったのでしょうか?


 前提に論証が簡単ですぐに否定されるような仮定をもってこようとする自体
 「ABOFANさんはホントに論理学をわかっているの?」といわざるをえません

 ロジックの初歩的な誤りでしょ、これ
 そんなことを言ったらなんだって「証明」できますよ
  
  例:星座と血液型は関係することの証明
  1.すべての星座とすべての性格検査は関係がある(と仮定する)
  2.もしも血液型と星座が関係しないのであれば、性格検査と血液型には関連性が無いはず
  3.一部の性格検査は血液型と関連性が見られる
  4.星座と血液型は関係する

あれれ、ABOFANさん的背理法で「星座と血液型の関係」が証明できることになりますよ
お望みであれば「名前と血液型は関係する」でも「前世と血液型は関係する」でも証明できますよ

みなさんは
「『すべての星座とすべての性格検査は関係がある』なんてことは有り得ない!」
と思うかもしれませんが、
ABOFAN的背理法では、その真偽こそが重要になってくる「前提」に
なんと『仮定』を持ってきて良いようなので、こんな離れ業ができるわけです
さて、これってホントに論理学??

『すべての星座とすべての性格検査は関係がある』という仮定と
『すべての性格とすべての性格検査は関係がある』という仮定は信頼度が違う!
とABOFANさんは言うかもしれませんが

何度も言うように、「背理法」と言い張るならばロジックの世界で考えねばなりません。
True(真) or False(偽) なので、
100%Trueで無い限りFalseなのです。
信頼度、なんていう1%から99%のあいまいさが存在する余地はないのですよ

 ※ 論理学を分かっているのであれば当然ご存知だと思いますが...

『すべての性格とすべての性格検査は関係がある』と言う命題は
簡単な背理法で、「特に心理学者でなくとも」却下することができます

1 『すべての性格とすべての性格検査は関係がある』ならば

2 『性格検査において自分の性格があらわれないような回答をすることは不可能である』
  という背理が生じます
  ※ 正確な背理は、「性格とは関係の無い結果が出る性格検査は一つも無い」

3 さて、別に心理学者でなくとも、一度でも性格検査を受けたことがある人ならば
  この背理に反証が可能です。別に心理学者に聞く必要もありません
  背理法ですから、最低1つでも反証ができればいいわけですが
  ・ ウソを書けば、性格とは関係の無い結果がでる
  ・ 適当に書けばいい、性格とは関係の無い結果がでる
  ・ 現実とは異なる自分の思い込みを書けばいい、性格とは関係の無い結果がでる
  ・ 書かなければいい。結果がでない

  などと、ぞろぞろ反証がでてきます

  ※ おっと、ABOFANさん、「そう書く」ということ自体が性格と関係あるんだ
    なんて言い出さないでね。
    「そう書く」と性格を「すべての性格検査」で正しく測れていないと意味が無いでしょ
  
よって『すべての性格とすべての性格検査は関係がある』は、成り立たない

 ※ ある意味、誰も真面目に反証しようと思わなかったがゆえに検証材料があまり用意されていない
   『すべての星座とすべての性格検査は関係がある』という命題よりも反証しやすいね。

ね、みなさん。すんごく簡単に反証できたでしょ。

『論理的』に血液型と性格の関係を説明しようとする時に
こんな単純な反証で棄却されるような仮説をきちんと検証しないまま
(というか、ホントは自分では検証済みなのに、それをあえて見なかったことにして)
わざわざ『論理学』のフィールドに持ってきてしまったのはABOFANさん自身なのですよ
(それを「心理学」のフィールドで批判材料にするのであれば幾分ましだったでしょうが)

だから、ロジックの過ちを「そう言っている」とされる心理学者のせいにする以前に
まず、ABOFANさん自身の論理学への理解の浅さの問題を明確にすべきではないでしょうか

※ というより、そもそも「事実」により論証していく論理学で
  「誰々がそう言っている」という、伝聞をそのまま前提にしてしまうこと自体が
  すでにロジックにはなり得てないこと、分かりませんかねぇ...
  その似非ロジックだと、例えば占星術師が
  「『すべての星座とすべての性格検査は関係がある』と言っていた!」
  と主張さえすればなんでも正しくなるんですけどね。

##########################################補足############################################

仮に、万一、『すべての性格とすべての性格検査は関係がある』と言うのが事実に成りうるとすれば
ABOFAN流の謎の背理法を使う必要も無く

1 すべての性格とすべての性格検査は関係がある(A=B)
2 一部の血液型と一部の性格検査は関係がある(Cの一部とBの一部は重なる)
3 ゆえに一部の血液型と一部の性格は関係がある(当然Cの一部とAの一部も重なる)

とこれだけで論理的に証明できることになります。

いったい、ABOFANさんの背理は何のためにあったのでしょうか....
本当に背理法だったのでしょうか....

##########################################################################################

>#そうでないなら、(少なくとも一部の)性格検査のデータはインチキだということですから、
>#血液型が云々どころの騒ぎではないでしょう。

渡邊先生とか佐藤先生とか、現実に性格検査の問題について騒いでいる人がいるじゃないですかぁ。

> 後半は、職業と性格、そして因果関係についてです。

え、え、えぇぇぇぇぇぇ!
前半の「性格検査」の問題から、いきなり「職業と性格、そして因果関係」の話ですかぁ
一番肝心な中盤の「背理法のロジックの誤り」に関してはまったく無視ですか...

※ ...ABOFANさん流に言えば
  「背理法の過ちを指摘すると、ABOFANさんは黙ってしまいます。どうしてでしょうね(^^;;」
 って感じでしょうか

ちょっとあきれかえってしまいました
くどくいってもしょうがないのでさっと後の文に注釈をつけましょう

> まず、それぞれの職業に特有の性格がある(だろう)というのは、確かにアプリオリの仮定です。
>職業ごとの性格検査のデータなんて手元にありませんから、データで説明しろと要求されれ
>ば、現時点では残念ながらできません。(^^;;

はいそうですか、(私はデータでの説明の要求してません)
無いものを勝手に作って「ロジック」が組み立てれてさらには「証明」できるのであれば
私だって「宇宙人にも血液型はある」とか「背後霊の血液型と自分の血液型は同じ」
でもなんでも証明して見せますよ(↑しつこいね。このパターン)

つうかそれ以前に、これもロジックとして成り立たせるのであれば
「全ての職業は性格と関係がある」という前提が必要なんですよねABOFANさん♪

> 因果関係については、確かに私の書き方が悪かったかもしれません。

そうですか...「かも」ですか...

> 科学的に因果関係を証明するのであれば、ある血液型が特定の職業に多い(少ないー)メカニズムの証明が
必要に
> なりますから、これは非常に難しいです。

...えっとぉ、私が言っているのはぁ(何度も言うので疲れてきたが)
科学的な証明ではどうなんだ、ということではないんですよぉぉぉぉぉぉ、おーい
(私は論理学の話をしていると言ってますよね)

くどく言います
ABOFANさんが「背理法で(論理学的に)因果関係を証明できる」と書いていましたが
 あそこに書いてあった背理法っぽいもので、果たして
 ・ 「背理法」を使って(論理的に)
 ・ 「因果関係」という、どっちが原因でどっちが結果かということを
 ・ 「証明」という、揺らぎ無い確実なものとして示せていたんですか、

と聞いているのです

※ 話をわざと論理学からそらすのは良くないですよ

> ただし、予想できる因果関係の方向を決めるのはそれほど難しくはありません。 そういう意味です。

そういう意味ですって...どういう意味ですか...??????

ABOFANさんはこの間「背理法で因果関係を証明できる」って言ってたはずですよね

それがいつのまにか、「予想できる因果関係の方向を決めるのはそれほど難しくはありません」
って「背理法」でも、「証明」でもないものになってるような気が....

うーん、もう一回ABOFANさんの意見を見直しましょう

1 科学的に因果関係を証明するのであれば非常に難しい
  うん、確かにそうだ。しかし、私は論理的に証明できるのかを聞いているので、科学の話は意味が無い

2.予想できる因果関係の方向を決める
  「予想する」のはロジックでしょうか?それともABOFANさんの希望でしょうか?
  「決める」のはロジックでしょうか?それともABOFANさんの希望でしょうか?

3.のはそれほど難しくはありません
  んじゃ、なんでそれを最初からやってくれなかったんでしょうか?

疑問:んじゃつまるところ、掲載された背理法(?)では因果関係は証明できていないってこと??

> 仮に血液型と職業に相関関係があるとすれば、因果関係としては、

ロジックの世界で「仮に」ですか...まぁいいでしょう

>   1.職業を選ぶと(一部の)個人の血液型が変化する
>   2.血液型によって職業の適性が違う
> ぐらいしかありません。

本当ですか?絶対ですか??
命かけれますか!?(←ガキかい)

それはABOFANさんが結論を2にしたいがためにわざと限定していませんか?

「論理学」で検証するのであれば考えうる全ての可能性を考えるべきでしょう

※ もちろん前提は「血液型とすべての職業に相関関係がある」ではなく
  「血液型と一部の職業に相関関係がある」として考えます

え、考えられない?そんなら論理学の世界に入る資格はないですねぇ....
んじゃ、私がかわりに...

3.雇い主が血液型性格分類を信じきっており、採用に影響している
4.特定の血液型が必要な特殊企業がある。
5.ある特定の地域にしか無い職種で、またそのある特定の地域においては血液型分布が偏っている
6.O型の夫婦とその子供達を中心にした特殊な業種で、社員みんなO型
7.国の秘密プロジェクトで、試しに特定の血液型だけをあつめて特殊な仕事をさせている

どうです?
特殊ではあっても、絶対にありえないとは言えないケースがずらっと出てきました

>1.は非現実的な仮定ですから、因果関係が存在するとなると、必然的に2.ということになります。

論理的に因果関係を証明しようと言うABOFANさんは
根源的な手続きの誤りを犯しているようです

第一に ロジックに現実性を持ち込んでも意味が無いことをいいかげん分かっていない
    現実性の有無で判断するのであればロジックは必要ないし
    あくまでロジックで対処するなら、
    「職業を選んでも血液型が変化しない」ことを証明しなければならない
    つまりは「全ての人間は職業を選んでも血液型が変化しない」ということを「常識」ではなく
    事実(つまり、全ての人間の血液型の変化を調べる)で提示しなくてはならない。
    ※ ま、それは極論ですが。

第二に 「因果関係が存在するとなると...」なんて「仮説」を実証抜きにして
    ロジックにあてはめようとしている

結論として「必然的に」というのはロジックとしての必然性ではなく、ABOFANさんの希望でしかない

> なお、因果関係については、タイプA行動(性格)とMAOの関係については証明されているようですの
で、
> 現時点では少なくとも一部については証明されている、と判断しています。

まぁ、これは余談として聞いておきましょう
でも、なんでABOFANさんは「ABOFANさんの論理的な証明」を聞いている私に
「他人がやった科学的な証明」の事を聞かせたがるのでしょう?

※ やっぱり言いたくないのですか?

> 蛇足ですが、私は中国の古典は、せいぜい高校レベルですので大したことはありません。(^^;;

論理好きにはたまんないですよ、あの頃の中国人の理屈って。


...まとめにはいりましょう

論理学というのはABOFANさんのように基本的な原則を無視しても証明したことになる世界ではなく

予断も、一般常識も、感情も、希望的観測も無い
法則と記号のみが存在する無機的なフィールドです。

(ゆえに私は、ABOFANさんの主観とかを無視して、ズバッと批判できるわけです)

そして、無機的ゆえに正しく使えば正しく事象を『証明』できるとこだと思います。

ABOFANさんはそのフィールドに足を踏み込み、
論理的弁証法である「背理法」を使って血液型と性格の因果関係を「証明」したと言いました
しかし、その論法は、予断や、一般常識や、感情や、希望的観測無しには成り立たないようです

つまりは、ちっとも論理的ではなかった、ってことでしょうか....
「心理学者は論理学には詳しくないんじゃないの?」と言ってる割には...って感じですね


そんなふうに論理をつきつめていくと必ずこういう人がいます

「理屈はそうだけどさぁ、現実は...」

現実を持ち出してなんとかロジックの世界から逃げ出そうとするんですよね
通常であれば、まぁそれでもいいでしょう。

でも、何度も言うようですがABOFANさんが自分からロジックの世界に足を踏み入れておいて
旗色が悪くなると「心理学では...」とか「科学では...」と現実世界に逃げ出そうとするのは
うーん、いかがなもんでしょ?

さて、どうも論理学的な話になるとABOFANさんは黙ってしますようです(^^;;( (C)ABOFAN )
それとも、質問されている事自体がわからないのでしょうか?

ただ、これだけ長いとABOFANさんも何を私が聞いているのかわからないと思いますので
最後に、前回今回含めてのABOFANさんへの質問を列挙してみましょう

あ、その前に、これは論理学的論争なので、
・ 反論はロジックで反論すべきはずです(そして、前回も言いましたが、そうして欲しいです)。

また、ロジックの世界なので、答えはFalse(偽)かTrue(真)かどちらかになるべきでしょう
「ある意味」、「基本的には」、「一般的には」、「おそらく」、「多分」
などというあいまいさを含んだ結論はロジックには無関係ですから...

もしも、論理学の世界とはかけ離れた反論や回答をする、もしくは答えない場合は...
まぁ、それがどういうことかは読者の判断にお任せします...(^^;;( (C)ABOFAN )


...おっと、悪ふざけがすぎましたか?
まぁ必要以上に敵を作ってもしょうがないんですが、
お願いですからロジックに関する質問なので、ロジックで説明できる反論してくださいな

※ それとも、ABOFAN式ウルトラC回答の「質問の意味が分かりません」がまた出てくるんでしょうか

念のため要約しときます
「あの背理法で血液型と性格の因果関係をロジックで証明できるのか」をテーマに5つ絞ってみました
どうしても質問の意味が分からない時は、大変でしょうがもう一度今回と前回のメールを読み返して下さい
それでも質問の意味が分からない時はしょうがないですけど...
そのかわり今後、ABOFANでは他人の論理の批判はしないでください(ウソです。どうぞご自由に)

※ というか、いつも思うのですがあれだけの量の文章に回答を出すのになんであんなに早いんですか?
  質問の意味が分からない以前に、文章自体を読んでないんじゃないのーと思う時がありますよー
  (だって、くどすぎるぐらい注意しててもそれでも答えがずれていることが多いんだもん)

では質問です。よろしくお願いします。
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1 『あの「背理法」は本当に背理法といえるのか?』
   これは率直な疑問です。調べてみましたが、結局前回紹介した2要因の単純な背理法しか
   見つからなかったので....
   そして、どう考えても、あれが証明法として成り立ってると思えず、
   また、証明法としてかろうじて成り立つケースにおいては、実は背理は必要が無くなってしまうのです

2 『あの「背理法」で本当に「血液型と性格の関係」を「証明」できるのか』
   「証明」ですよ「証明」。ゆるぎない事実として示せるのですか?

3 『ロジックの世界に、反証を受ければすぐに「偽」になる仮設を前提に持ってくるのはいいの?』
   つまり、「すべての性格検査とすべての性格は関係がある」というものを前提に持ってくる事の是非ね
   「だってそれしか材料が無いからしょうがないじゃないか」って泣き言はナシ。
   そんなら始めから「背理法で証明できる」なんて言わなきゃ良かったんだから

4 『ホントにあのロジックだけで「因果関係」まで証明できてたの?』
   どうも、「因果関係が分かる」というのは「ロジックで」という意味ではなく、
   「一般常識」とかいう希望的観測に立脚しているような気がするのですが...
   それなら「背理法で証明できた」ことにはならないと思うんですが...

5 『「詭弁も含まれる弁証法」と「厳密な証明方法としての論理学」を混同していませんか?』
   「すべての星座とすべての性格検査は関係がある」とか「馬は鹿である」とかいう
   いわゆる『詭弁』は、証明方法として的確性を書いている事は周知のところだろう。
   だから、『証明』をすると明言する以上、その証明方法は「詭弁」ではなく「論理学」に準拠すべき
   だと思われる。それができていないのは、もしかして混同してしまっているのでは?
   という危惧があります

重要なのはこんなとこでしょうか 

あ、あと

6 初めに書いた「理系よりも文系のほうが論理学は合っているのか」の感想もできれば
  (もちろん、これは「感想」なのでロジカルである必要はありません)

7 前回の質問(「科学に反論するには」と「科学的推定法」とは何か。)も余裕があれば

ABOFANさんの悪いパターンとしては
 
 質問の答えはさらっと流し、でも「現実には」と、現実問題での正当性をとうとうと述べる(ロジックなのにぃ)

 深田さんの言っている事は...と私の意見に対する反論を述べ、結局質問への答えは言わない

とうものが考えられます。
まずはきちんと質問に答えて決着つけてね♪(ロジックでね) 

つうことで次回予告(?)ですが
もうちょっと論理話をしたいので、科学の話はちょっとお休みして
次回は軽い「統計の考え」の話をしたいと思います

ではでは

素早いご返事をありがとうございます。いやぁ、大変な量を3日ぐらいで書いてしまうというはすごいですねぇ(決してお世辞ではなく…笑)。

 またまた、渡辺さんとの議論を想い出しました。彼とも結局どうも論理がかみ合わなくて困ったのです
 結局、やっと彼の論理がわかったのが論争後だったのでした(遅いって!…苦笑)。おかげで、随分恥をかいてしまったのですが、その分は別なところで取り返したので、なんとかなっています。(^^)

#今回はそうでないことを希望します。

 さて、その7を読んで、深田さんが私の論理を理解していない(らしい?)のがやっと判ったので、長くなりますがここで再度書いておくことにします。
 というのは、今までは深田さんが私の論理を理解していることを前提として書いているので、確かにメインの主語・述語が抜けているからです。(^^;;

#私の書き方が文系向きじゃないのかな??

 さて、私の論理は、読んだ資料と判断基準・論理構成に書いてあるとおりなのですが、以下に抜粋しておきます。

 今まで、否定論者は、「信頼できるアンケートのデータで安定した結果が得られない」から「血液型と性格の関係はない」と主張してきました(文献や電子メールでの議論で確認しています)。なぜなら、「関係がある」というデータは全部、
  1. ランダムサンプリング(無作為抽出)が行われていないので、データの信頼性がない
  2. 血液型で差が出ても、アンケートによって傾向が違うのでデータの再現性がない
  3. 血液型で差が出ても、必ずしもその血液型の特徴と一致しない

 つまり、「関係がある」といえる条件として、「完全なランダムサンプリング」「複数回安定したデータ」「多くのサンプル」が必要だというわけです。能見さんのデータはこれらの条件を満たしていないからダメということですね。

* * * * *

 参考までに、多くの否定論者のページは、

  1. 統計(≒心理学の性格テスト)を使うことは「無意味」だ
  2. 統計的に「差はある」。しかし、それは「信念」によるもので本当は性格との関係はない
  3. 統計的に「差はない」。だから、血液型と性格の関係はない

 のいずれかの主張をしています。この中で、圧倒的に多いのは3.です。もっとも、1.-3を同時に主張しているケースもあって困るのですが…。

 ということ、心理学者の主張・論理はバラバラなのです。(^^;; これらの主張について、心理学者による(能見さんのデータは心理学者に信用してもらえないので議論には意味がない)実際のデータに基づき、それぞれに対して私の反論を展開しています。

 このように、元々の心理学者の主張・論理はバラバラですから、私の反論の一部を取り出せば、確かに論理的に矛盾する部分もあります。それを矛盾と言われても、元々心理学者の主張が一貫していないのですからねぇ…。

 このHPは、心理学者に血液型と性格が関係あることを認めさせるのが目的ですから、必然的にそういう論理構成を取っています。
 極論すれば、非科学的だろうが統計が無茶苦茶だろうが関係ないのです(というのは言い過ぎですが…)。「関係ある」「関係ない」という相互に合意した条件に基づき、そういう条件を満たす論理なりデータなり文献を一生懸命見つけて相手に示すだけなのですから…。そうじゃないと相手が納得しないので、他に何かうまい方法があればぜひ教えてください。

 ここまでの説明で、深田さんの誤解はかなりの部分が解けたはずですので、次に前回のメールの返事に移りましょう。

#蛇足ですが、恥ずかしながら私も論理学は正規に勉強しましたよ。(^^;;

> なぜならば、実験をやるような理系においては(もしくは心理学もそうかもね)
> 論理よりも何よりも先に「実験結果」という現実が目に入ってきてしまい
> 論理なんてものは、その結果がうまく説明できればそれに越した事が無いし
> もしも論理で説明できなくとも、優先されるべき事は「現実の結果」なので、無視すればいい
> そんな程度のものなんじゃないのでしょうか

 ここれほとんど当たっています(笑)。ただ、理系(というよりは工学系)は論理や理論は「無視すればいい」というのではなくて、その理論は破綻していると判断します。例えば、ユークリッド幾何学やニュートン力学がいかに論理的に正しいとしても、現実をうまく説明できなければリーマン幾何学や相対性理論を採用するというようにです。

> 性格検査では、一応は「すべての性格検査とすべての性格は関係がある」というタテマエになっています。
> 理由は改めて考えるまでもないでしょう。

そこを改めて考えないでおいて、何が「論理的に証明できる」というのだろうか...
ABOFANさんは「論理」というものをかなり甘っちょろいものと誤解しているとしか思えません

 ここは大幅に誤解されているようですね。困ったなぁ。まぁ、一応書いておきますか…。

 「すべての性格検査とすべての性格は関係がある」というのは、性格心理学者のタテマエです。実際に専門書に当たってみると、相関係数が1ということはありえないので、0.8ぐらいなら上出来としているケースが多いようですね。

 しかし、性格検査には深田さんも私も素人です。素人同士が性格検査についてどうこう議論をしてもしょうがないでしょう。「そこを改めて考えないでおいて」とのことですが、素人が改めて考えてもあまり意味はありません。そういう意味です。

 渡辺さんがどうの、佐藤さんがどうのと言っても、彼らの説は(現在は)定説ではありません。そのことは、彼ら自身が一番よく知っています。だから、素人が改めて考えるということなら、それこそ「『性格検査』というものをかなり甘っちょろいものと誤解しているとしか思えません」。

#もし、渡辺さんや佐藤さんが正しいとするなら、性格は存在しないのですから深田さんの質問そのものが無意味になります。

 それと、「すべての性格検査とすべての性格は関係がある」というのは確かに誤解を与える書き方なので訂正させてください。(^^;; 正確には、

  1. 性格検査で必ずしも全ての性格を測定できる訳ではない
  2. 従って、本当は性格に差があっても性格検査では差が出ない場合がある(かもしれない)
  3. しかし、性格検査で差が出れば必ず何らかの性格の差があるはずである

 ということです。これは性格心理学者の公式見解…のはずです。つまり、「性格検査で差が出れば必ず性格に差がある」ということになります。だから、安定して差がある性格検査の項目を見つければいいのです。

#それは違うと言われても、この点は論理学ではなく心理学の問題ですから受け付けるつもりはありません…。

 従って、その6の

本来の性格が反映されない性格検査が…血液型と関係してしまうというケースを想定していない(このケースの可能性は0では無いですよね)

 という可能性はゼロと考えます。本来の性格が反映されない性格検査が血液型と関係すれば、それは何らかの性格の差を−その性格検査で示されているものとは違うにしても−現していることになる…はずです。

 納得してもらえましたか?

 次に、職業と血液型についてです。

 ここも、正しくは、因果関係が証明できるのではなく、因果関係の方向が推定できるということです。訂正します。m(._.)m

#すみません、該当ページの記述も訂正しました。(^^;;

 職業と血液型に相関関係があるとすると、因果関係の方向は職業→血液型、または血液型→職業のどちらかしかありません。もっとも、何からの擬似相関である可能性も考えられます。その場合は確かに因果関係はないかもしれません。例えば、深田さんが指摘しているように、

3.雇い主が血液型性格分類を信じきっており、採用に影響している
4.特定の血液型が必要な特殊企業がある
5.ある特定の地域にしか無い職種で、またそのある特定の地域においては血液型分布が偏っている
6.O型の夫婦とその子供達を中心にした特殊な業種で、社員みんなO型
7.国の秘密プロジェクトで、試しに特定の血液型だけをあつめて特殊な仕事をさせている

 確かにそういう可能性はゼロではありません(笑)。しかし、

3+.その雇い主は特定の血液型が多い
4+.その特殊企業は特定の性格の人が多い
5+.ある特定の地域にしか無い職種は、その地域の血液型分布と関係がある
6+.O型の夫婦とその子供達を中心にした特殊な業種で、社員みんなO型でO型的性格
7+.国の秘密プロジェクトで、試しに特定の性格だけをあつめて特殊な仕事をさせている

 なのかもしれません(笑)。
 「特殊ではあっても、絶対にありえないとは言えないケースがずらっと出てきました。」

 前回の返事は、深田さんが私のHPをよく読んでいると思っているので(ありがとうございます)、思いっきり説明を手抜きしてしまいました…。(^^;; やっぱり、手抜きはダメですねぇ。

 では、最後に質問に対する回答です。

> 1 『あの「背理法」は本当に背理法といえるのか?』
 YESです。ただ、誤解を与える書き方だと思いますで訂正しました。(^^;;

> 2 『あの「背理法」で本当に「血液型と性格の関係」を「証明」できるのか』
>  「証明」ですよ「証明」。ゆるぎない事実として示せるのですか?
 私の主張は、心理学者がこれなら「関係がある」という条件や論理を満たしているということです。
 元々心理学者の論理が間違っているというのなら、それは私の責任ではありません。(^^;;

> 3 『ロジックの世界に、反証を受ければすぐに「偽」になる仮設を前提に持ってくるのはいいの?』
>   つまり、「すべての性格検査とすべての性格は関係がある」というものを前提に持ってくる事の是非ね
 前述したので省略します。確かに誤解を与える書きだったと思います。

> 4 『ホントにあのロジックだけで「因果関係」まで証明できてたの?』
 前述したので省略します。

> 5 『「詭弁も含まれる弁証法」と「厳密な証明方法としての論理学」を混同していませんか?』
 してないと思いますが…。
 ところで、「雇い主が…」〜「国の秘密プロジェクトで…」はどうでしょう??

> 6 初めに書いた「理系よりも文系のほうが論理学は合っているのか」の感想もできれば
 理系と文系の定義をしないといけないでしょう。ケース・バイ・ケースですが平均的には理系と思います。
 もっとも、5のように「雇い主が…」〜「国の秘密プロジェクトで…」が適用できれば…。(^^;;

> 7 前回の質問(「科学に反論するには」と「科学的推定法」とは何か。)も余裕があれば
 2の回答で書いたとおりです。私の反論は、相手の論理に反論するのがメインです。ですから、相手が科学や科学的推定法をどう考えているかによります。

 では、今度は私からの質問です。その6では回答してもらえなかったものですから、前々回と同じ質問を再度させてください。

 A.どこぞのアパレルメーカーでX2検定を使っているケースってあるんでしょうか?
 B.「定説」の本を何冊読みましたか?心理学者の文献にいくつ当たりましたか?
 C.T1とT2が逆なんじゃないでしょうか?

メール(その8) H13.7.31 1:10

どもども
前回のお返事はなかなか読み応えのあるもので
また、ABOFANの論理補強の一助となるGOODな変更がありました。

まぁ、それらのことには次回においおい触れるとして
どうやらABOFANさんにも私に答えて欲しい事があったようですので、
まずそれにお答えせねばならんでしょう
つうか、実は「論理」の話以前に書いていた未完成の原稿には触れていたんですが
それ、まだ送ってなかったですもんね。大事な事もあったのにすいません。

...とはいえ、正直あんまり広がる話題でもないのであしからず。
それでも長くなりそうなので質問の順番にかかわらず、大切な事項から回答していきましょう。

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>C.T1とT2が逆なんじゃないでしょうか?

これ一番大切です。はい、よく読んで見たら勘違いでした。すいません。
とりあえず、あの個所のT1とT2におけるABOFAN批判は勘違いだった事にしてください。
そのうち、T1・T2を足がかりにしてまた論議を提示しますので、
その時は間違わないようにします。
本当にすいませんでしたー

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>B.「定説」の本を何冊読みましたか?心理学者の文献にいくつ当たりましたか?

これに関する回答は、

(「定説」というものが能見先生の著書、ということであるならば)
前者は不明。血液型と性格についての知識が全く無いわけではないから、本流か亜流かは不明だが、
何らかのそれ関連の本は読んだ事があるはずですが、それが誰の何かまでは覚えていません。
(「文献」というものが「論文」に限らず、心理学者が書いた文章すべて、という意味合いであれば)
後者は少なくとも血液型に関して数パターンは読みました。

...と、一応Qに対するAwo返した時点でちょい申し上げたい

これは私が
「能見先生の「定説」の呪縛から逃れられず、己の組み立てた理論に意義を唱える人がいか
に正しい事を言ってもそれをを認めず、視点を変えようとしていない人もいるようです...」
といった事に対し、ABOFANさんが
「読んでも見てもいないことに言及するなら、少々慎重になっていただきいたいと思います。
 少なくとも、「科学的」と称するのなら…。 」
と答えた事の延長での質問ですね。

この「読んでも見てもいないことに...」と言っていることをかんがみると
ABOFANさんに勘違い、というか読み違いが発生していることが予測されます
ABOFANさんは、もしかしたら私が
「知りもしないのに」『能見先生を間違っている』とし、だめだと言っているとでも思ったのでしょうか?

しかし、よ〜く読んでください。わたしだって、読んでもいない本を批判しているわけではありません。
(短絡的にわたしがあたかも否定論者だという先入観を持って読み飛ばすのは悪い癖です)

私の言葉の前半が指し示しているものは 『能見先生の「定説」』 そのものではなく
『能見先生の「定説」に呪縛されている人』 、つまりそれを盲信している人ではないですかぁ!!

つうことで、私は少なくとも今まで批判の手を『能見先生の「定説」』自体には言及していないので、
(つうか、読んでいないものを批評するのは私にはできません。私の批評の対象は、あ・な・た。)
『能見先生の「定説」』を読んだとか読まないとか批判されるいわれは無いとおもいますが....
どうですか?
 
「正しいと思ったことを信じて何が悪い!
 呪縛されるな、ってあんたが言うってことは
 あんたがそのその定説を間違っていると言ってるのと同じだろ!」

なーんて、ABOFANさんは言ったりして....いやいや、そんなこと言うはずはありません。
なぜならABOFANさんは
「諸君、君たちは現在の定説とは反対の学説を立てなさい」
と言った先生にちゃんと共感しているのですからね♪
これって、その先生も「現在の定説は間違っている、だから盲信するな」
って言ってたわけじゃなかったんでしょ?

だから、ABOFANさんの提言をそのまま受け取るのであれば

「科学的」と称するのなら...
『能見先生の「定説」に呪縛されている人』について言及する場合、
少々慎重に『能見先生の「定説」に呪縛されている人』の書いている文献なりHPなりを
「ちゃんと見てから」意見を言えばいい、ってことになりますよね。

.....わたし、ちゃんと見てますよ......いえ、何をだって...それは、ねぇ


ついでに、後半の「少なくとも、「科学的」と称するのなら…。 」という一文には異論ありです
確かに知識の無いものが読めばちったぁ思考が「科学的」になる「かもしれません」が
読んでもちっとも思考が「科学的」にならない人もいます。
逆にちゃんと「科学」を分かっているのであれば、その科学的アプローチを応用した研究について
「それが科学的アプローチかどうか」の議論はちゃんとできると思いますよ。
よって「少なくとも...」ではなく「できれば」ぐらいのレベルが妥当ではないのでしょうか?

「科学的」そのものの話をしている時に、その科学性の根拠を「科学者がやっているから」
といいたいがために本を読むというのは本末転倒。
「知識」と「理解」は別物です
「科学的」とは何ぞや?ということを理解しないまま「科学者」を盲目的に信じる事は
「科学的」とは到底いえません。(ABOFANさんはそうではないと思いますが)
また、その人がちゃんと「理解」しているかは、正確には測りえませんが
少なくとも、「自分の言葉で説明できる」というのが「理解」の一辺をしめすことにはなると思います

ABOFANさんこそ「科学的」な話をしているつもりであるならば
文献にこだわって「誰々がこうやっている・誰々もこうやっている」というのは別にかまいませんが
「誰々がやっているから自分のやっていることは間違っていない。間違っているとすれば、その誰々が悪い」
といったような論調は、全く「科学的」とはかけ離れたことだと思います。

ガキの言い分けじゃあるまいし、しかられたとたん
「だって、○○ちゃんがいいっていったんだもぉぉぉぉん」ていうのは、ちょっとねぇ


「しかし、結局また文献文献って...何度言ったらABOFANさんは理解してくれるのだろう?」
そんなもどかしさでいっぱいです。
多分最初のころにそれについては言ってたはずですよね....

どんなもどかしさか、読者の方にも分かりやすいようにたとえるならば、
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
Bさんにリンゴを使ったアップルパイ(あたりまえ)の作り方を教えてもらったAさんが
独自にアップルのかわりにモモを使って作り、なおかつ「これアップルパイだよ」と私に出したとする

それを食べた私が
「これ、アップルパイじゃないよ、なんでモモなの?」
と聞いたら

「いや、これはアップルパイの作り方で作ったからアップルパイだ
 それともBさんの教えたアップルパイの作り方が間違っているというのかね
 だが、お前は「Bさんの教え方」を知らないんだから、偉そうに「おかしい」とか言うな」

と一気にまくしたてられたようなものです

私は「Aさん自身がアップルパイにモモを使ったことに対する是非」について言っているのに....
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
そんなすれ違いを感じます。
(たとえ話で分かりやすくなっているのだろうか....)

※これはたとえですよ。た・と・え。実際にモモ入りアップルパイを食べたことがあるわけではありません

結論:
 私が私の目的をきちんと果たすために必要なのは、「血液型の本を読むこと」ではなく、
 このABOFANさんのHPを熱心に読むことと、
 「科学」や「論理」に対する知識を高める事であると思うのですが、どうでしょう?
 あ、ご心配なく。一応、科学と論理に関しては、おかげさまで様々な本を積極的に借りては
読むようになりました(これはABOFANさんのおかげです。ほんとにいいことです)

 それでも、あえて「科学の理解という質」ではなく「論文の知識の量」で論議しようというならば、
私は退散するしか無いですね....
 まぁ、でもそんな人の言っていることが「科学的」といえるかどうかは
 読者の判断におまかせしましょう....(^^;;(c)ABOFAN

***********************************************
蛇足ですが、ABOFANさんのこのHPを見ることは、下手に右も左も分からず文献をあさるよりも、
ずっとずっと勉強になるとおもいますよ。(これはABOFANさんのおかげね)
 ですから、私はともかく、他の読者さんが意見を述べようとした時には
「話がしたかったら、直接文献読め!」なんて無体な返事はしないであげないでくださいね。
それよか、このHPを読めば、沢山文献を読んでいるABOFANさんに匹敵する知識が持てる。
という方向に自信を持ったほうがいいんじゃないのでしょうか?
余計なことですいません
***********************************************

おっと、ABOFANさんは「読んだ事あるのか」と質問しただけなのに
裏読みしていろんな事言っちゃいましたね。

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さて、長くなってしまいましたが最後の質問の答えです。
わざわざ質問を繰り返す割には....って感じでしたが答えましょう

>A.どこぞのアパレルメーカーでX2検定を使っているケースってあるんでしょうか?

これはもしABOFANさん的に答えるのならば
「絶対使ってないことが証明できない限り、使っている可能性はある」とでもなるのでしょうが
私としては、このことに関して議論をする必要も(関係も)無いと思うのであっさりいきましょう

答え:「そんなの知らん」

えっと、これは私がX2検定をたとえ話で理解してもらおうと、
「X2検定は、例えばある人にある服がぴったり合うかどうかを計るとすれば
 出てくる結果は「合うと考えた方が良い」「合わないと考えた方が良い」のどちらかです。 」
といったのに対し、ABOFANさんは
「どこぞのアパレルメーカーでX2検定を使っているケースってあるんでしょうか?」
と聞いています。

 ※ちなみに、今にして思えばこの「出てくる結果」の内容のほうこそ指摘されるべき間違いです。
  何がどう間違っているか、それは次回以降の意見で述べていきたいとおもいますが、とりあえず
  ABOFANさんには特に指摘はされなかったようなので、自分自身で訂正の予告をしておきます。
  ところでその間違い、ABOFANさんは分かりました?

これ、マジで質問とは思っていませんでした。単純なるABOFANさんの独り言と受け取っていました。

「ある人にある服がぴったり合うかどうかを計るとすれば」という例えから
「どこぞのアパレルメーカー」という具体的な事を指している、という想像の飛躍もたいしたもんです。
(それとも、「ある服がぴったり合うかどうか」調べる職業にアパレルも含まれるからそう考えてもいい、
という理屈なのでしょうか)←だからといって限定できない ←つうか、問題にするところが違う....

まぁ、私の今の気持ちを例えるならば
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
足し算を説明しようとした先生が
「例えば果物が籠に2個と、3個それぞれあったとします」
というような話をしているのに、
「現実にはそこに『みかん』はないんじゃないですか」
と質問されてしまったようなものです。
だれも「現実」を問題にしていないし、(「例えば」ってちゃんと言ったのに)
ましてや「みかん」だとも規定していないのです(「果物」としか言ってないし)。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
こんなたとえばっかだね。
ABOFANさんはともかく、せめて読者の方には伝わってほしいなぁ

これを根拠に「深田の言ってることは分からん」っていわれても...ねぇ

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つうことで、答えるほうが脱力するような質問ほど後回しになるように回答しました。
いかがでしたか?

読者の皆さんは「C」の質問への答え
「T1エラーとT2エラーに関しては深田の勘違いがあった」
ということさえ忘れなければ結構だと思います。
(訂正をお願いするのも面倒かけますし、今後の戒めのためにも残しておきますか....)


ABOFANさんにおかれましては、それに加えて「B」の質問の答えもよく読んで
私の指摘している事が何に対する事か、何を論議の対象としているのか
もう一度認識を新たにしてください

どうしても、認識することあたわず、そして万一

・ いや、やっぱり読んでもらって、能見さんの意見が正しいと仮定して論議してもらわないと...

・ 私の意見聞かれても、人の意見を鵜呑みにした回答しかできないし...
  だったらやっぱり初めに読んでもらったほうが早いです。
  あ、でも誰の意見をどう採用して、誰の意見をどう否定するかは私が決めていますよ
  だけどその事について質問されても「科学的というより自分の都合のいいように...」としか..

・ 基本的にこのHPは科学者の意見を参考にしてるんだから科学的に正しい。
  もちろん、私自身の考えも述べているが、自分の意見について「科学的かどうか」は問題にしてないから
  そんなこと聞かれちゃ困る。

等などの不毛な結論に達してしまったのであれば、早めに言ってね。

一応、このことに対し「そうではないし、それでも自分の科学性は問題にならない」という反論があるケース
を予測して、その反論の反論はすでに用意してあるけど、
考えてみればそれ以前に
『つまるところABOFANさん自身の意見・やり方を「科学的」かどうか検証するのは全くの無意味』
という結論になるのであれば、
私だってABOFAN的には意味の無い質問を繰り返すのは全くの無駄なんですよね...

※ そういう場合は、互いの空想話を「そうかもね、そうだよね」と言ってりゃいい話です。


そして、「A」の質問は....この質問は無かった事にしたほうが
ABOFANさん的にもよろしいんじゃないですかねぇ....
ここが「アパレルFAN」ならともかく....


つうことで、一応ひととおり質問に答えさせていただきました。
私もABOFANさんに色々と質問している立場上、ABOFANさんからの質問には
一所懸命答えますので、これからもご遠慮なさらずに質問してくださいね。
(ただし、私が言っていることに関してね。「誰々は正しいのか」なんて聞くのはやぼよ)

んでは最後に一応こっちからもひとつ質問
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私は、ABOFANさん自身の科学性・論理性を問題にしてこれからも論議してもいいのでしょうか?

どうも、私がABOFANさん自身の科学性・論理性を問題にしてるのに、ABOFANさんはどうしても
他者の科学性・論理性(または、一般性、万人性、不可能な絶対性)に
問題をすりかえてけむに巻きたがっているように思えてしまうのですが....

それともABOFANさん自身の科学性・論理性については「触れてはいけないタブー」なのでしょうか
例え、タブーでないとして、聞いた場合、ABOFANさんはちゃんと「科学性を持った答え」で答えて
くれるのでしょうか。
もしも「それは困る」というのであれば、できればその理由を....

あ、ちなみに
「科学では解明できない事もあるのでそういう意味では答えられないこともあります...」
なんて答えはちょっと...
それは科学的考え方の話ができるのかとは別問題ですね(その認識は「科学の考え方」としては大切ですが)

たとえるならば、
 私はドリル(科学)で穴を開けることができるか(解明できるか)、を聞いているのではなく、
 そもそも、ちゃんとドリル(科学)の操作法を知っているのかというのをを問題にしているのです。

それでも
「科学者のやりかたでやっているだけで、それを間違っているといわれるのであれば仕方が無い」
というのであれば、
「キチンとその科学者の考え方を踏襲し、やり方を忠実に守った上でそう言っているのかい?」
という疑問は沸きますが、
それ以前に科学として大切な部分を他人に任せている時点で

「自分自身は科学性うんぬんを語る資格は持ち合わせてはいない」

ということを吐露してることになるんじゃないですかねぇ....

そうではないことを祈りつつ
ま、そのへんはABOFANさんの答えと、読者の判断におまかせしましょう....(^^;;(c)ABOFAN
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

と、半ば挑発的に言ってしまっていますが(私はこのページではやっぱりヒール扱いなのかな)
やっぱり、実際のところABOFANさんには、ふてぶてしくも

「自分自身(ABOFAN)の科学についての質問・疑問・意見、全然OKOK!
 だって、自分の科学基盤はしっかりしてるんだもん!
 だからどしどし質問くれ、バッサバッサと私自身がなで斬りにしてあげるから!Come On!!」

といって欲しいんですねー
でないと、私としては何も言えなく ( 言いたくなく ) なってしまいますから、
困っちゃいますよね。(まぁ、ABOFANさんとしてはそんなに困んないと思うけど。)

ABOFANさんが自身の科学性に自信を持っているのであれば
どうかもう少しお付き合いくださいな


次回があるのなら(ABOFANさん自身の科学性・論理性を私が問題提起してもいいのなら)、
またちょっとだけ論理話に戻りましょうか。
まぁ、それにはもちっと時間ください。また長くなりそうなので....
では

またまた素早いご返事をありがとうございます。 これでやっと議論がかみ合ってきたというか、お互い前提がわかってきたということですね。
 よかったよかった。(^^)

 ただ、先が見えてきたけれど、まだまだ先は長そうです。(^^;;

 では本題へ。

>>C.T1とT2が逆なんじゃないでしょうか?

>これ一番大切です。はい、よく読んで見たら勘違いでした。すいません。
>とりあえず、あの個所のT1とT2におけるABOFAN批判は勘違いだった事にしてください。

 そう素直に認められてしまうと、ここで議論は終わりになってしまいます(笑)。普通の人は、ここで自分の間違いを認めない場合が多いので、何パターンかの反論を考えていたのですが、全くムダになってしまいました(大笑)。

>>B.「定説」の本を何冊読みましたか?心理学者の文献にいくつ当たりましたか?

>(「定説」というものが能見先生の著書、ということであるならば)
>前者は不明。血液型と性格についての知識が全く無いわけではないから、本流か亜流かは不明だが、
>何らかのそれ関連の本は読んだ事があるはずですが、それが誰の何かまでは覚えていません。
>(「文献」というものが「論文」に限らず、心理学者が書いた文章すべて、という意味合いであれば)
>後者は少なくとも血液型に関して数パターンは読みました。

 やっぱりそうですか…。「定説」と言った場合はいろいろな意味がありますが、ここでは(ほとんどは)能見さんの本という意味になります。

 つまり、血液型について、少なくとも能見さんの本と心理の学者の文献はあまり読んでいないということですね。ということは、本当(?)の「定説」は読んでいないのだから、私が本当に能見さんの「定説」の呪縛から逃れられないかどうかはわからないじゃないですか(笑)。せいぜい言えるのは、私自身が私の主張する「能見さんの『定説』」の呪縛から逃れられないということだけです。いや、私が全面的に正しいということを信じないなら、それさえ怪しいものです…。そして、深田さんは私が全面的に正しいとは思っていないですよね??

 逆に、ABOFANは、能見さんの「定説」を自分の都合のいいように使っている、という言い方も十分に可能です。本当はどうなのかは、能見さんの本を読まない限り判断できないはずですから…。

 論理学がわかる深田さんになら言うだけヤボというものですが、ここはやっぱり読者の判断におまかせしましょう(笑)。

 さて、細かいことを言うと、現在一般的に「定説」と思われているものは、能見さんのものとは違います。つまり、現在の「定説」は能見さんのものと微妙にズレていることになるのです。

#説明すると長くなるのでここでは触れません。→詳細

 以上の説明でわかるように、もし深田さんの読んだ本が「本流か亜流かは不明」ということなら、どう考えてもABOFANは「能見さんの『定説』」の呪縛から逃れられない 、と言えるはずがありません。いや、逆にABOFANは「能見さんの『定説』」を(少なくとも部分的には)自分の都合のいいように引用している、と言うならまだわかりますが…。しかし、実際は、メール(その5)のように、

>能見先生の「定説」の呪縛から逃れられず、己の組み立てた理論に意義を唱える人がいか
>に正しい事を言ってもそれを認めず、視点を変えようとしていない人もいるようです...

 ですから、私はこの書き方には納得できません。

 確かに能見さんは偉大でしょうが、私は別に神様だとは思っていませんよ。彼の本には、今となっては古くなってしまったり間違っている記述も散見されます。しかし、具体例を挙げても自分に損になるだけなので、ここで一々説明するつもりはありません。どうしても知りたいなら、それこそ「能見さんの『定説』」を読んでみればいいのではないですか?

 この点についてこれ以上の議論には膨大な説明が必要になるので止めておきます。

 私は、中国の古典にはあまり詳しくはないのですが、「孟子」や「近思録」が孔子の呪縛から逃れられない、とは普通は言わないでしょう。なぜなら、「孟子」や「近思録」は孔子と時代背景や社会体制が違うので必ずしも内容は同じではないからです。いや、実は私が知らないだけで、一般的にはそう言われているのかもしれません。しかし、どれも読まないでそう判断できるのですか?

 キリスト教の信者に、あなたの宗教は「旧約聖書」の呪縛から逃れられないと言ったら、カンカンになって怒るでしょう。「旧約聖書」「新約聖書」はどちらも聖書なのか、ユダヤ教の言うように「旧約聖書」だけが聖書なのか、解釈はその人がどちらの宗教に属するかによって変わってくるのではありませんか? 神との契約は、新しいもの(新約聖書)も有効と認めるのか、それとも古いもの(旧約聖書)を唯一とするのか、どちらも読まないで判断できるのですか?

 次は、X2検定についてです。

>えっと、これは私がX2検定をたとえ話で理解してもらおうと、
>「X2検定は、例えばある人にある服がぴったり合うかどうかを計るとすれば
> 出てくる結果は「合うと考えた方が良い」「合わないと考えた方が良い」のどちらかです。 」
>といったのに対し、ABOFANさんは
>「どこぞのアパレルメーカーでX2検定を使っているケースってあるんでしょうか?」
>と聞いています。

 質問の意味が誤解されているようなので、確認の意味でもう一度書いておきます。普通は「ある人にある服がぴったり合うかどうかを計る」なら、X2検定は適切な方法とは言えないでしょう。 なぜなら、その人のサイズと服を実際に測ってみればいいので、わざわざ検定をする必要がないからです。あるいは、「ある人」「ある服」がどちらも集団を意味するということなら、統計的検定も意味があると は思います。が、必要なのは品質管理的手法だと思いますので、X2検定のようなノンバラメトリック検定が適切とは(少なくとも私には)思えません。だから、メール(その5)の回答のように、

 普通の品質管理なら散布図、ABC分析、ヒストグラムぐらいだと思うんですが…。しいて検定を使うとすると、常識的にはF-検定やt-検定ですよね? これって私の質問の解釈が違っているんでしょうか?

となります。

 いやいや、文字どおり「合うと考えた方が良い」「合わないと考えた方が良い」というなら、その服を着た人の感覚の問題になりますよね。それなら、X2検定は意味があると思います 。しかし、実際にはなかなか分析は難しいでしょう。いや、そういうことなら本当はファジー論理の方が適切なのかもしれません。残念なことに、私はファジー論理は専門外なので、これ以上の説明は無理ですから遠慮しておきます。(^^;;

 以上が私の常識的(?)な推論ですから、「ある人にある服がぴったり合うかどうかを計る」のにX2検定を使うとは到底考えられないので「どこぞのアパレルメーカーでX2検定を使っているケースってあるんでしょうか?」と質問したのです。ですから、「そんなの知らん」と言われてすっかり脱力してしまいました。(*_*)

 では、最後の質問に行きましょう。

>Q
>私は、ABOFANさん自身の科学性・論理性を問題にしてこれからも論議してもいいのでしょうか?

 この質問の意味が不明ですが、文章どおり解釈すると、私は「意味がない」としか言えません。

 私個人の「科学性・論理性」という属性と、私が展開する血液型と性格についての議論が正しいかどうかは、直接の関係はないでしょう。正しいかどうかは、私の具体的主張に基づいて判断すればいいことであって、個人の属性を持ち出しても意味はないはずですし、(普通は)そうすべきではありません。極端な話、日本のトップクラスの科学者や論理学者でも、血液型と性格の議論について科学的・論理的かと言うと、必ずしもそんなことはありません(実例はいくらでもあります…)。

 それに、私は、血液型と性格については極力科学的・論理的に議論を進めようとしますが、他の面では必ずしもそんなことはありませんから(笑)。

 もちろん、議論のテクニックとして個人の属性を持ち出すというならわかります。しかし、そういうことなら初めからこの質問に回答するつもりはありませんので悪しからず。

 それとも別な意味があるのでしょうか?

Red_Ball12.gif (916 バイト)メール(その9) H13.8.15 17:43

[注:深田さん本人の希望ではこのページのみに掲載してほしいとのことでしたが、読みやすいようにmt_whさんのメールのページにも掲載しました。]

〜〜〜T1・T2問題雑感〜〜〜

さてさて、T1・T2問題は、ABOFANさんの指摘がまさにそのとおりということで
決着がついた(と私は思っている)ので、その後日談としてちょっと書いてみましょう。

> そう素直に認められてしまうと、ここで議論は終わりになってしまいます(笑)。
> 何パターンかの反論を考えていたのですが、全くムダになってしまいました(大笑)。

とのことですが、だってあれ、誰が判断しても「読み誤り」以外の何者でもないでしょ。

でももったいないので、「明白な読み違い」に対する「反論」がちょっと知りたい気分...
しまった、ごねれば良かった。(で、でもどうやってごねろというのか....)

まぁ、これについては別の観点でちょっとごねてみました。
それは「mt_whさんのメール」の頁にあります。

そして、それに再びABOFANさんが返事を書いていたのですが
「もう、どうぞつっこんでください」
といった内容なので、ぜひとも突っ込んでみたいと思います

本来であればそっちの頁で返事すべきなのですが、
「いつまで人のページに出張しているんだ」とABOFANさんに怒られそうだし
そんな「統計」とは違うテーマで人の頁を騒がすのも心痛いので、こっちでしましょう

ただ、他の読者さんから

>深田さん等とのやりとりはすごい展開ですね。よくやるなあというのが感想です。
>僕も議論好きだけど、読み物としてはちょいと疲れるのも確かです。

という意見も寄せられていますので、ちょっと工夫して
今までの経緯と概要についてと、ABOFANさんの返事に対する反論をまとめて
裁判劇のように工夫してみました。

ただし、実際の「mt_whさんのメール」の頁でのやりとりと主旨は変わらないようにはしたのですが
この形式にするにおいて、ニュアンスは確実に変化してしまうので
絶対に、まず、「mt_whさんのメール」の頁でのやりとりを見てから以下の文を読んでください

ちょっとは読み物っぽくなったかな?
(相変わらずゲロ長ですが...)

果たして、
 ABOFANさんが慧眼して、やっと間違いに気がついてくれるのか
 それとも、敏腕弁護士が登場するのか
 もしくは、単なる茶番だと決め付けて、すっかりだまってしまわれるのか...

どっちにせよ、読者のみなさんも、陪審員として楽しんでいただければ幸いです

=================================================================================================
[事件名]
 ABOFANさんによるMMさん「本当に」事件
=================================================================================================
[被害者]
 MMさん
=================================================================================================
[被告人]
 ABOFANさん
=================================================================================================
[検察]
 深田
=================================================================================================
[事件概要]
 被害者における
 「もし本当にO型、B型が多いのであれば...(後略)」

 という発言に対し、被告は「この文章は意味不明」と断定し、その名誉を貶めた
 その理由の主旨は「統計では本当に多い」とかなんて言えない、ということである
=================================================================================================
<裁判長>
 まず被告人、被害者の発言を意味不明とした理由をのべなさい
--------------------------------------------------------------------------------------------------
<被告>(mt_whさんのメールのページより抜粋)

 いくら有意差があったにしても、統計的検定では「本当にO型、B型が多い」かどうかはわからないからで
す。
 おわかりですよね? 従って、文章の前半は意味不明となります。
 あるいは、全くの冗談なのか…。もっとも、MMさんが全数調査を行っているなら、
 「本当にO型、B型が多い」かどうかわかるので、そういう意味なのですか? 
 それなら、ぜひその全数調査のデータを教えていただけると幸いなのですが。
 #読者の方のために書いておくと、本当に=100%、という意味です。

--------------------------------------------------------------------------------------------------
<裁判長>
 検察側、この発言に対し、何かありますか?
--------------------------------------------------------------------------------------------------
<検察側>
 陪審員のみなさん、惑わされてはいけません
 そもそも「本当に=100%」という定義を持ち出したのは他ならぬ被告です

 被告の意見を聞くと、
 あたかも被害者のほうが「意味不明」なことを言い
 被告はそれに論理的に正しく反論しただけかとお思いかもしれません

 しかし、良く考えてください、
 被害者の意見が「意味不明」になってしまった理由は
 被害者の意見が本当に意味不明だったからではなく
 被告自身が突然「本当に=100%」という定義を持ち出したことに原因があります!

 つまり、被害者はもともと「意味不明」であったのではなく
 被告の勝手な主張により「意味不明」に仕立て上げられてしまった、全くの被害者なのです
--------------------------------------------------------------------------------------------------
<裁判長>
 被告の勝手な主張とはどういうことか
 「本当に=100%」という考え方はある意味妥当と言えるのではないか
--------------------------------------------------------------------------------------------------
<検察側>
 確かに「本当に=100%」という考え方はある意味間違っているとは言えません

 しかし、被告が自分の都合によりその「本当に」の解釈をころころ変えております

 そのような自分勝手なあやふやな基準で、被害者の意見を「意味不明」と決め付けてしまい
 被害者が「意味不明な事をいう人」というイメージを植え付けようと試みた事は
 被害者を無意味に冒涜したことであり、厳しく断罪すべきであると思われます!
--------------------------------------------------------------------------------------------------
<裁判長>
 被告が『自分の都合によりその「本当に」の解釈をころころ変える』とはどういうことか
--------------------------------------------------------------------------------------------------
<検察側>
 はい、こちらの資料を提出します。
 被告の「中間管理職さん」のページにおける被告の発言です。
--------------------------------------------------------------------------------------------------
<資料>(中間管理職さんのメールのページより抜粋)

 高受容群は、明らかに有意な差が出ています。なぜなら、4つの血液型すべてで自己の血液型得点がもっとも
 高くなる確率は1/4の4乗ですから、偶然だとすると0.4%以下ですよね。普通は5%以下でOKです
 から文句なく有意となります。ちなみに、全体でも3つはそうなので2%以下です。これも有意ですね
 つまり、高受容群は「本当に差がある」と判定されるわけですから、T2エラー(笑)は起きようがあませ
ん。

--------------------------------------------------------------------------------------------------
<検察側>
 ちなみに、被告は被害者への返事の中でこのように述べております。こちらの資料も提出します
--------------------------------------------------------------------------------------------------
<資料>(mt_whさんのメールのページより抜粋)

 タイプ2エラーとは、本当は差があるのに差がないと判定する誤りのことです。
 危険率は普通はタイプ1エラーの確率で、本当は差がないのに差があると判定する誤りのことです。

--------------------------------------------------------------------------------------------------
<検察側>
 さて、それに基づいて資料を読んでください、

 被告は「0.4%以下」「2%以下」という基準を持って差を有意と判定しています
 しかし、「0.4%以下」「2%以下」というのは「危険率」を指し示しているのです
 もちろん被告の言うとおり、全数調査でもしない限りこの危険率は0%にはなりません

 なのに、被告はこの数パーセントの危険率の存在を無視して
 「本当に差がある」と判定される、としております
 被告の主張を借りれば
 『「100%差がある」と判定される』と言うことになってしまいます
 つまり、この資料と、被害者への言動を照らし合わせると
 この資料における彼の言動もまた「意味不明」になってしまうのです
--------------------------------------------------------------------------------------------------
<裁判長>
 確かに、「本当=100%」という定義を他人の意見に当てはめて、「意味不明」とするならば
 自分の意見にも「本当=100%」という定義を当てはめて、「意味不明」としなくてはなりませんね
--------------------------------------------------------------------------------------------------
<検察側>
 なのに、自分を差し置いて、被害者の文章のみを「意味不明」扱いするとは言語同断です!

 このような明らかな被告自身の過失が認められる以上
 被害者は被告から与えられた不本意な「意味不明」のレッテルは不当ということになります

 しかし、このような間違いはおそらくだれもが犯してしまうであろう問題であり
 被告は間違いであった事を認め、
 被害者に謝罪の上、その自らの「過失」によって与えてしまった「意味不明」のイメージを払拭に努めれば
 それ以上の罪に問う必要は無いと思われます。
--------------------------------------------------------------------------------------------------
<裁判長>
 わかりました。それでは今回は時間が来ましたので閉廷します
 次回は被告の論述から始めます
=================================================================================================

(......ここまでが、私の前回のメールの内容の概要に当たる部分です。
 そして、以下が、前回の私のメールに対するABOFANさんの返事と、私の反論に対応します)

=================================================================================================
<裁判長>
 それでは開廷します。
 被告人、なにか意見はありますか?
--------------------------------------------------------------------------------------------------
<被告>(mt_whさんのメールのページより抜粋)

 確かに、中間管理職さんへの回答と、このページでは「本当」の意味が少し違います。
 タイプ2エラーを説明する場合は、適当な分布を仮定して計算するので、その分布に対して「本当」は
 云々と言えます。しかし、このページでは「本当」の分布は不明なので、正確な計算はできません。

--------------------------------------------------------------------------------------------------
<検察側>
 裁判長!
 被告は明白な過失があるのにもかかわらず、愚にもつかない主張でなんとか言い逃れようとしております
 反省の情薄く、叙情酌量の余地すらありません!
 また、言い逃れの罪はもはや、過失として済まされるものではなく
 故意犯としてさらに重い罪が与えられるべきです。
--------------------------------------------------------------------------------------------------
<裁判長>
 被告の主張は正当ではないのですか?
--------------------------------------------------------------------------------------------------
<検察側>
 はい、被告は自分勝手な「本当」の定義をして、それをもって被害者を糾弾をしていたわけですが
 今回は自分が糾弾される場合になると、また自分勝手に「本当」の再定義をして
 自己があたかも間違っていないかのような印象を与えようとしています!!

 自分の都合で「本当」の定義をころころ変え
 人の意見に反論する時は、「相手の都合が悪くなるような定義」
 自分の意見に反論された時は「自分の都合が良くなるような定義」
 を新たに勝手にどんどん持ち出すのは、虫がいいとしか言えません!

 そのような論理はすでに「論理的」とは言えません!
--------------------------------------------------------------------------------------------------
<裁判長>
 検察は、このような定義を被告人が「新たに勝手にどんどん持ち出す」と言っているが
 もしも被告人が、あらかじめ

   通常は「本当=100%」だ。
   ただし、タイプ2エラーを説明する場合は、適当な分布を仮定して計算するので、
   その分布に対して「本当」は云々と言える。

 という定義をすでにしていた可能性はないのですか? 
--------------------------------------------------------------------------------------------------
<検察側>
 裁判長!被告は、この論争よりも前においてHP上のどこにも
 被告はそのような「本当」の定義づけなどおこなっておりません!
--------------------------------------------------------------------------------------------------
<裁判長>
 それは事実ですか?HPに掲載されているもの全てをチェックしたのですか?
--------------------------------------------------------------------------------------------------
<検察側>
 う....それは....全部とは言い切れませんが...
 す、少なくとも、「MMさんのメール」と「中間管理職さんのメール」のページでは
 そのような定義づけはおこなっておりません....
--------------------------------------------------------------------------------------------------
<裁判長>
 つまり、実は定義づけられている可能性は無くはないのですね。
 実際はどうであったかは、陪審員のみなさんに確認していただきましょう
 
 しかし、現時点では定義づけられている可能性が残るので
 検察側は定義づけられているという前提で話を進めてください
--------------------------------------------------------------------------------------------------
<検察側>
 ...分かりました。
 では、仮にそのような定義がすでにあったとして、
 問題となっている「中間管理職さんのメール」のページにおける被告のコメントは
 その定義に当てはまるかどうかを検証していきましょう

 しかし、この
  >タイプ2エラーを説明する場合は、適当な分布を仮定して計算するので、
  >その分布に対して「本当」は云々と言えます。
 というのは、はなはだ不完全なもので、検証する必要性も実は私には感じられません!
--------------------------------------------------------------------------------------------------
<裁判長>
 その理由は?
--------------------------------------------------------------------------------------------------
<検察側>
 第一に、『「本当」と言える』と言ったのは誰か?
     統計的にそうなっているのか?それとも被告の個人的希望であるのか明確ではありません
     もしも「被告の個人的希望」であるのであれば、ただの言い訳にもなりません
 
 第二に、あれほど被害者に対し「本当」の厳密さを求めた被告が、
     「仮定」して計算した分布から「本当に」を導き出してしまえるなんていう
     絵空事のような論理を許容するわけがない。
     これを許容するのであれば、被害者の使用した「本当に」の使い方も、ある程度許容して
     やるべきだと思われます。

 まぁしかし、それらの問題はおいておいても、それでもまだ説明の足りない部分が残ります
 それは

    ・「適当な分布」とは何の分布を示しているか、

 こんな肝心な事を明らかにしてはいないのです!!
 これでは、ちゃんと定義しているとはいえません!

 明確な指針を示していない限り、被告の
   >「本当」の意味が少し違います。
 という発言の正当性を保証する言い訳にはなり得ないのです

 そして、それを明らかにしなかったということは、
 自分の発言の正当性の保証の再検証を、自ら放棄したということに他なりません!!
 
 いや、むしろ、何の根拠も無いからこそ、このような空虚な言い訳をしたとしか思えません!
--------------------------------------------------------------------------------------------------
<裁判長>
 検察側の意見には若干主観的な推測が混じっているようです。慎むように

 例えば、「タイプ2エラーを説明する場合は、」と言っているのであるから
 タイプ2エラーの分布と考えても良いのではないのかね?
--------------------------------------------------------------------------------------------------
<検察側>
 裁判長!
 被告は都合が悪くなると「そういうふうには言っていない」と
 すぐ逃げを打つずるがしこいヤツです!!

 もし、「タイプ2エラーの分布」と仮定して話を進めても、被告が都合が悪くなると
 「どこをどうみても、そのように書いてあるとは思えない」
 なんて言い出すに決まってます!
--------------------------------------------------------------------------------------------------
<裁判長>
 検察官、ここは厳正なる裁きの場です
 ここはあくまで「中間管理職さん」のページと被害者に向けられた言動のみに着目すべきであり
 それ以外での場面での被告の言動を判断に取り入れてはいけません。
--------------------------------------------------------------------------------------------------
<検察側>
 ...わかりました、そういう意味では「タイプ2エラーの分布」を指し示すと予測されます
 そう言えるもう一つの理由として、被告は被害者に対して

   >いくら有意差があったにしても、統計的検定では「本当にO型、B型が多い」かどうかはわからない

 と言っています。
 つまり、『有意差=危険率が低い状態』があっても「本当に多いかわからない」としていますから
 このことから「タイプ1エラーの分布」での判断は、
 被告の言う「本当と言える」条件には当たらない事が判断できます
--------------------------------------------------------------------------------------------------
<裁判長>
 話を進める前に、タイプ1エラーの分布とタイプ2エラーの分布の違いを簡単に述べてください
--------------------------------------------------------------------------------------------------
<検察側>
 わかりました。私の理解した範囲で簡単に述べましょう
 タイプ1エラーの分布は、「帰無仮説の誤差、もしくは確率の分布」であり
 タイプ2エラーの分布は、その分布にさらに
             「対立仮説の誤差、もしくは確率の分布」を重ね合わせて計算する必要があります
--------------------------------------------------------------------------------------------------
<裁判長>
 わかりました。
 それでタイプ2エラーの分布は「ある仮説」を立ててからでないと作れないのですね
--------------------------------------------------------------------------------------------------
<検察側>
 私はそのように受け取っています

 では続けます

 ではもう一回資料として提出した「中間管理職さんへの回答」へ戻りましょう
 わかりやすく被告の論旨をまとめるとこうなります

   1:0.4%以下とか2%以下という有意差が出ている
   2:だから「本当に差がある」と判定される
   3:タイプ2エラーは『差がない』と判定される時に発生するのであるから、
     論理的に考えてもタイプ2エラーは発生しない

 「タイプ2エラー」という単語は出てきていますから、
 この「中間管理職さんへの回答」において
   タイプ2エラーを説明している
 としてもやぶさかではありません

 しかし、被告の主張によれば、「本当に」と使っていいには、
 さらに『適当な分布を仮定して計算』しなければならないということになります。

 しかし、被告のこの記述においては、
 その『適当な分布を仮定して計算』したという事実はどこにも残されていません
 
 むしろ、有意差が出れば、そんな事やる必要の無いといったような論調です
--------------------------------------------------------------------------------------------------
<裁判長>
 しかし、それは言わなかっただけで
 実は被告は裏ではちゃんと『適当な分布を仮定して計算』してから物を言ったのでは?
--------------------------------------------------------------------------------------------------
<検察側>
 わかりました、それも可能性のある要素として許容しましょう

 しかし、被告の主張によれば、「本当に」と使っていいにはもう一つ条件があります、
 「その分布」、つまりタイプ2エラーの分布に対して言わなくてはならないのです

 しかるに「中間管理職さんへの回答」において、被告は何を言っているかというと
 
   「0.4%以下とか2%以下という有意差が出ている」から
   「本当に差がある」と言っているのにすぎず
   「タイプ2エラー」の事が出てくるのはその結論が導かれた後です
 
 結局のところ、「帰無仮説の誤差、もしくは確率の分布」、つまり『タイプ1エラーの分布』を根拠に、
 「本当に」と言っているのに過ぎないのです!!

 いったいどこに「タイプ2エラーの分布」が出てきて、
 いったいいつそれに対して「本当」と言ったのだというのでしょうか!!

 
 被告は、
   >タイプ2エラーを説明する場合は、適当な分布を仮定して計算するので、
   >その分布に対して「本当」は云々と言えます。
 と主張しておりますが、

 今回の分析でお分かりのように
 中間管理職さんのところの彼の発言は、その自ら提示した『本当と言える条件』を全く満たしていないので
す!!
--------------------------------------------------------------------------------------------------
<裁判長>
 つまり、被告は
 
   >タイプ2エラーを説明する場合は、適当な分布を仮定して計算しその分布に対して「本当」は云々と言
える。

 とあたかも自己の正当性を主張しているかのように見えるが
 実際に問題になっている中間管理職さんのところで被告が言った「本当に」の使用においては
 『その用件を実は満たしていなかった』ということになるのですね。
--------------------------------------------------------------------------------------------------
<検察側>
 そういうことになります。

 ではなぜ被告は何故
   >タイプ2エラーを説明する場合は、適当な分布を仮定して計算しその分布に対して「本当」は云々と言
える。
 ということをわざわざ言わなくてはならなかったのでしょう?

 中間管理職さんのメールのページにおいて、自分が実際に
   タイプ1エラーの分布に対し「本当に」と言っていたのか
   それともタイプ2エラーの分布に対し「本当に」と言っていたのか
 言った本人がわからなくなるわけはありません

 また、たとえ分からなくなっていたとしても、
 自ら言い訳をする以上、対象となっている部分にその言い訳があてはまるかどうかぐらいは
 当然判別がつくはずです

 つまり、被告の
   >確かに、中間管理職さんへの回答と、このページでは「本当」の意味が少し違います。
   >タイプ2エラーを説明する場合は、適当な分布を仮定して計算するので、
   >その分布に対して「本当」は云々と言えます。
 という発言は、
 本当は被告自身、間違いに気付いているくせに
 どうしてもそれを認めたくないがための、その場しのぎの思慮の浅い、稚拙なウソをついた
 という悪意が見え見えなのであります!!
--------------------------------------------------------------------------------------------------
<裁判長>
 果たしてそれが、結果としてウソだったのか、初めから明確な意図をもってウソをついたのか、
 そういう被告の意図までは断定するのは良くないでしょう。

 ではそろそろ論告をまとめてください
--------------------------------------------------------------------------------------------------
<検察側>
 わかりやすく比較しましょう、
 
 被告は被害者に対して
   >いくら有意差があったにしても、統計的検定では「本当にO型、B型が多い」かどうかはわからない
 と言いました
 しかし、中間管理職さんに対しては
   >偶然の確率が0.4%以下なのだから有意といえる。つまり「本当に差がある」と判定されるのです
 とのようなことを言っています。

 これを一瞥すれば、被告が被害者に対して批判したことを、自分でも犯しているという事実が明白です

 しかし、そのような指摘がされた場合においても、
 被告はなおも非を認めず
   >確かに、中間管理職さんへの回答と、このページでは「本当」の意味が少し違います。
   >タイプ2エラーを説明する場合は、適当な分布を仮定して計算するので、
   >その分布に対して「本当」は云々と言えます。
 という主張をし、

 あたかも、

   自分が「中間管理職さん」のところではタイプ2エラーの分布に対して「本当」と言ったのだから
   被害者に対して文句を言った『「本当」の使い方』とは違う

 というようにもとれる発言をしたのです。

 しかし、結局のところ被告は「中間管理職さん」のところにおいても、被害者の発言同様
 『タイプ1エラーの分布に対して「本当」』といっているに過ぎず、

 『タイプ2エラーの分布に対して「本当」』なら言えるとする被告の主張は
 「中間管理職さん」での問題の発言とは全くの無関係であったことが判明しております

 当然自分でも、全くの関係の無いということが分かりうるような事柄を、
 なぜあえて述べたか

 それは、陪審員の理解を誤った方向に向け、自分の有利にしようという
 被告の狡猾な意図をもっておこなわれたものなのだと疑られてもしょうがないことです。

 また、もし故意でなかったにせよ、明白な過失を認めようともせず
 陪審員をただ混乱させるのを目的としたような無意味な発言をしたことは、
 十分偽証罪の適用に値すると思われます
--------------------------------------------------------------------------------------------------
<裁判長>
 では、検察側の求刑を
--------------------------------------------------------------------------------------------------
<検察側>
 最初に被告が犯した
   「被告自身も冒しているような過ちをもって、被害者を糾弾する」
 という罪においては、軽微な過失と認定するにやぶさかではありません

 その後の被告の弁論における
   「明らかな間違いであるにかかわらず、被告はそれを認めたくないがために、狡猾なウソをつく」
 と言う行為は、明らかな故意であり、論議を冗長に混乱させる重大な罪であると認定します

 また、明確な誤りを指摘された後においても、誤った根拠を示してでも、なんとしてでも
   「自分の意見の場合は『本当』といって良く、相手の意見の場合『本当』という表現は否定する」
 という自己矛盾...というよりもむしろ自分勝手な主張を貫こうとする行為は
 被告自身が度々口にする「科学的」「論理的」とはまったくかけ離れた論理であるといえます

 よって、検察側は、被告に罪があることは明らかなものであるとし

   以後被告は、この件を反省し、被害者の名誉の復権に勤め
   また、今後このようなことが無いように
   「他人の文章を、自分が批判を与えるに都合がいいように勝手に読解する」 
   という行為を慎む事を要求いたします。

 以上です。
--------------------------------------------------------------------------------------------------
<裁判長>
 わかりました。

 それでは被告人の意見陳述に移ります。
 ただし、被告人は感情に溺れることなく、今回のこの経緯をよく読んだ上で、
 「中間管理職さん」のページと「mt_whさん」のページで述べられたことを対象とした問題に限定し
 広義な解釈に陥ることなく、明確な根拠と論理性を備えた意見を発言してください

 自分に過失や嘘があったかどうかの事実関係を明確にした後に
 弁護すべきところはきちんと根拠のある弁護をし、認めるべきところは認めるようにしてください。
=================================================================================================

長文のメールありがとうございます。

 私は法律には疎いのですが、陪審員裁判となれば、必然的に刑事裁判ですよね? 調べてみたところ、確かに名誉毀損でも刑事裁判になるケースもあるようです(実例はあるのかな?)。でも、刑事裁判なら黙秘権もありますし、被告には必ず弁護人を付けないといけません。私が付けられないと言ったら、国選弁護人でもなんでも付けないといけないのはご存じでしょう。証人尋問には反対尋問も必須ですよ。アメリカの刑事ドラマで有名なセリフはご存じですよね?

#なお、日本では陪審員制度はありません。戦前はあったらしいのですが…。

 ということで、深田さん、優秀な国選弁護人の手配をよろしくお願いします(笑)。

 刑事裁判なら、万が一裁判に負けて有罪判決が下れば前科者になってしまいます。それでは私も困りますからね。(*_*)

 まぁ、常識的に考えると、仮にχ2検定の解釈が間違っているにしても、刑事裁判にはならないと考えた方が妥当でしょう。そんなことしたら、心理学者なんてほとんど前科者になってしまいます(←冗談です)。私は未だにそんな話は聞いたことがありませんし…。

#民事裁判なら、弁護人も証人尋問も陪審員も必須ではないようです。
#それなら、陪審員や弁護人云々はナンセンスとなります。

 冗談はこのぐらいにして、本題に移りましょう。問題らしき(?)記述について、順を追ってコメントします。

 まずは、私の「本当に」についての文章です。

> 「本当に差がある」と判定される

 ご存じのとおり、正確に言えば、「血液型により差がないという帰無仮説が棄却される」ということになります。普通の人なら、帰無仮説が棄却された場合は、「『本当に差がある』と判定される」(注:「本当に差がある」とは違います)と言いませんか? いや、深田さんは「全数調査以外は認めない」というならそれでも結構です。あるいは、どんなに小さな危険率で帰無仮説が棄却されたにしても、「『本当に差がある』と判定される」とは言えない、ということでも結構です。そういうことなら、私も潔く「本当に差がある」は撤回して「帰無仮説が棄却される」と訂正します。

 もっとも、それなら小泉内閣の支持率が80%超であることは全数調査をしない限り証明できませんから、世論調査なんか全くナンセンスということになってしまいます。いや、ありとあらゆる統計的検定は実質的に無意味になってしまいます。理由は言うまでもなくおわかりですよね?

 では、MMさんの「本当に」についての記述に移ります。

> もし本当にO型、B型が多いのであれば、(O+B):(A+AB)だけでなく、O:A:B:ABの計算で有意差が出るはずです。

 私は、この文章の「本当に」は、明らかに「帰無仮説が棄却される」という意味ではないと判断しました。なぜなら、前者では帰無仮説が棄却されているのに対して、後者ではそうではない(=帰無仮説は棄却できない)からです。となると、「本当に」は何らかの統計的でない(絶対的な?)基準があるとしか思えません。従って、私には「本当に=100%」と解釈しました。

 その後、MMさんから、私にも理解できる新たな補足説明がありました(感謝!)。それは、「統計的にO型、B型が多いと言う結論が出せるのは、特別な理由が無い限り、(O+B):(A+AB)だけでなくO:A:B:ABの計算でも有意差が出たときだけのはずだ。」 ということです。これについては、次回にでも少しはまともに説明するつもりですので、あまり期待せずに気を長くしてお待ちください。

 時間の関係で、ここではごく簡単な説明だけしておきます。結論だけ書いておくと、10人では少々サンプル数が足りないようなのです。

 仮にここで、ホームランの上位の真の分布は、O型、B型がそれぞれ50%ずつであるとしてみます。

#本当にそうであるということではなく、あくまでも仮定ですので念のため。

 この場合、「本塁打ベスト8」の血液型分布は、O型4人、B型4人とするのが一番もっともらしいと言えるでしょう(時間の関係で2項分布の細かい説明は省略)。このデータに対して、O:A:B:ABについてχ2検定を行ってみるとχ2=7.69が得られ、危険率を計算すると5%超になるので帰無仮説は棄却できません。しかし、(O+B):(A+AB)ならχ2=7.24となって危険率は1%以下ですから、帰無仮説は棄却されて「差がある」と言えます。

 つまり、サンプル数が8人しかないなら、「もし本当にO型、B型が多い」としても正しい結果が得られない(=タイプ2エラー)ことがあるのです!

 実際のサンプル数は、8人よりちょっとだけ多い10人ですから、同じようなことが起こっていると推測できます。ただ、実際に「本塁打ベスト10」のタイプ2エラーを計算するとなると、こんなに単純なものではなさそうですね。いや、実は少し考えたのですが相当面倒くさそうなので、実際の計算は省略させていただきます。(^^;;

 従って、「統計的にO型、B型が多いと言う結論が出せるのは、特別な理由が無い限り、(O+B):(A+AB)だけでなくO:A:B:ABの計算でも有意差が出たときだけのはずだ。」 とは言えないと思いますがどうでしょうか?

 以上のことは、「χ2検定の特性」を知っていれば、より簡単に理解できる…はずだと思います。

 今日のところは時間がないので、この程度で悪しからずご容赦ください。

Red_Ball12.gif (916 バイト)メール(その10) H13.8.18 2:14

<裁判長>
 それでは開廷する

 ちなみに被告人に申し上げる、
 作者は「裁判劇の『ように』」と言っておる
 よって、実際の裁判とはもちろん異なる事もあるし、
 被告人が望むのであれば弁護士を登場させてもかまわない
 しかし、この空間はアメリカや日本と言った特定の「国」ではないので
 残念であるが、「国」選弁護人は用意できない
 まぁ、私裁判長も検察側も手弁当でやっているので、弁護士の手配はそちらでやって欲しい

 もちろん、有罪判決が降りたとしても、刑務所・死刑台などは
 こちらとしても準備するつもりはないので、もし個人的に欲しいのであればそちらで用意して欲しい

 あと、陪審員のみなさん
 「深田さんのページ」ではそうでもないが、また「mt_whさんのページ」にも掲載された場合
 文章同士にちょっと間があき分かりにくいと思われるので
 冗長であるが、もう一度この場で、被告の証言を再掲したいと思う

 ちなみに、この証言のあとに

   「その後、MMさんから、私にも理解できる新たな補足説明がありました〜」

 とのパラグラムが存在するが、そのくだりは、今回の裁判に関連してではなく、MMさんとのやりとり
 に関連する返事であるから、
 このことに関してはMMさん、及び検察官ではない時の深田氏に別項を設けて論議していただくことにする
 今回の裁判では対象としないのでご了承願いたい

 あと、冒頭にも「裁判について」の話もあり、面白いがここでは割愛する。
 被告の実際の返事を参照にして欲しい

 では、以下が被告の証言である。
--------------------------------------------------------------------------------------------------
<被告>
 まずは、私の「本当に」についての文章です。

 > 「本当に差がある」と判定される

 ご存じのとおり、正確に言えば、「血液型により差がないという帰無仮説が棄却される」ということになりま
す。
 普通の人なら、帰無仮説が棄却された場合は、
 「『本当に差がある』と判定される」(注:「本当に差がある」とは違います)と言いませんか?
 いや、深田さんは「全数調査以外は認めない」というならそれでも結構です。
 あるいは、どんなに小さな危険率で帰無仮説が棄却されたにしても、
 「『本当に差がある』と判定される」とは言えない、ということでも結構です。
 そういうことなら、私も潔く「『本当に差がある』と判定される」は撤回して「帰無仮説が棄却される」と訂
正します。
 もっとも、それなら小泉内閣の支持率が80%超であることは全数調査をしない限り証明できませんから、
 世論調査なんか全くナンセンスということになってしまいます。
 いや、ありとあらゆる統計的検定は実質的に無意味になってしまいます。理由は言うまでもなくおわかりです
よね?

 では、MMさんの「本当に」についての記述に移ります。

 > もし本当にO型、B型が多いのであれば、(O+B):(A+AB)だけでなく、
 > O:A:B:ABの計算で有意差が出るはずです。

 私は、この文章の「本当に」は、明らかに「帰無仮説が棄却される」という意味ではないと判断しました。
 なぜなら、前者では帰無仮説が棄却されているのに対して、後者ではそうではない(=帰無仮説は棄却できな
い)
 からです。
 となると、「本当に」は何らかの統計的でない(絶対的な?)基準があるとしか思えません。
 従って、私には「本当に=100%」と解釈しました。
--------------------------------------------------------------------------------------------------
<裁判長>
 さて、非常に残念ではあるが、私がこう言った事はお忘れだろうか?
   >ただし、被告人は感情に溺れることなく、今回のこの経緯をよく読んだ上で、
   >「中間管理職さん」のページと「mt_whさん」のページで述べられたことを対象とした問題に限定し
   >広義な解釈に陥ることなく、明確な根拠と論理性を備えた意見を発言してください

 第1パラグラフの中盤「いや、深田さんは〜」からのくだりは、当裁判には無意味である
 ただし、これが被告の問いかけだとすれば、検察側も答えねばなるまい。

 検察側、あなたは「全数調査以外は認めない」という立場なのですか?
--------------------------------------------------------------------------------------------------
<検察>
 いえ、今までそのようなことをいった覚えはありません。
--------------------------------------------------------------------------------------------------
<裁判長>
 では、もうひとつ
 検察側は「中間管理職さんのページ」での被告の言った事が「正しい・正しくない」
 ということを争点としているのかね
--------------------------------------------------------------------------------------------------
<検察>
 いえ、検察側は「中間管理職さんのページ」の「正しい・正しくない」を焦点としているのではありません
 事件名を見ていただければ分かるように

 『ABOFANさんによるMMさん「意味不明」決め付け事件』

 となっております

 要点を述べれば、
  被告は被害者の文章に対し「意味不明」と申し立て
  まるで被害者の文章が何ら根拠が無い戯言のように言っておりますが
  それは単に被告の認識がおかしいだけであり、
  被害者は何ら罪は無いということであります

 そして「被告の認識がおかしい」と言う根拠として検察側は
  被告自身が被害者の文章がおかしいとした理由、
  つまり『本当=100%』として被害者の文章を見ると統計的におかしい
  と指摘したのに、「中間管理職さんのページ」においては
  同様の場面において自分では「本当に差がある」という言動を取っており

 ここがポイントですが、
  例えば、被害者に対する『本当=100%』として『意味不明』とする態度が正しいのであれば
  「中間管理職さんのページ」における被告の言動も同時に「意味不明になる」
  
  その場合、まさに意味不明なのは
  自分でもその「意味不明」な事を言っていながら、同じような事を言った被害者に対し
  鬼の首でも取ったかのように糾弾するという態度は妥当ではないし

  もし、「中間管理職さんのページ」における被告の言動が正統だと言うのであれば
  被害者の言動も正統となるわけであるから、「意味不明だ」という被告の主張は妥当ではない

 つまり、
  「中間管理職さんのページ」での被告の言った事と、被害者を「意味不明」としたことに
  被告自身の『矛盾』が生じている 
 という、その『矛盾』自体を争点としているのであって
  「中間管理職さんのページ」での被告さんの言った事が「正しい・正しくない」
 を問題にしているのではありません
--------------------------------------------------------------------------------------------------
<裁判長>
 うむ。裁判の進行記録を見る限りにおいても、そうであったことが分かる。
 であるから被告の
   
   私も潔く「『本当に差がある』と判定される」は撤回して「帰無仮説が棄却される」と訂正します。

 という被告の発言も、そのようなことをそもそも検察は要求してないので無意味である。
 被告はもう一度裁判記録を読むよう、強く要請する
--------------------------------------------------------------------------------------------------
<検察>
 裁判長!もうひとつ、この裁判に妥当ではない発言があります
--------------------------------------------------------------------------------------------------
<裁判長>
 それは何かね
--------------------------------------------------------------------------------------------------
<検察>
 裁判長、この場のやりとりは
 このHPの作者の目的に照らし、「科学」もしくは「論理」に基づき行われなくてはいけないと考えられます
--------------------------------------------------------------------------------------------------
<裁判長>
 うむ、それは当然である。
 被告も十分それを承知だと思うが?
--------------------------------------------------------------------------------------------------
<検察>
 しかし、被告は大切な論述の中で
   >普通の人なら、帰無仮説が棄却された場合は、
   >「『本当に差がある』と判定される」(注:「本当に差がある」とは違います)と言いませんか?
 等と申しております。
--------------------------------------------------------------------------------------------------
<裁判長>
 それに何か問題が?
--------------------------------------------------------------------------------------------------
<検察>
 ひとつに「普通は」というあいまいな基準で自説を述べている点
 そしてもうひとつは「普通は」と言って、
 陪審員にまるで被告の言っていることが「統計的に正しい意見」であるかのような誤解を与える一方
 結びでは「と言いませんか?」という問いかけの形で終わり、
 何ら明確な事実を伝えるものでは無くなっている事があげられます。
--------------------------------------------------------------------------------------------------
<裁判長>
 「言いませんか?」というあいまいな表現は確かに相応しくないと思うが
 「普通は」という言い方も問題あるのかね?
--------------------------------------------------------------------------------------------------
<検察>
 では裁判長、彼のいう「普通は」、とはどういうことでしょうか?
--------------------------------------------------------------------------------------------------
<裁判長>
 ええと、一般的に...いやこれは同じ意味か
 大部分の人は、ということではないのかね
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<検察>
 まぁ、正確に言えば「統計に携わる大部分の人」とでも言いましょうか
 しかし、裁判長、「大部分の人がやる」と言うことは「一部の人はやらない」ということですよね
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<裁判長>
 確かに。
 例えば本当に...ウォッフォン、これは今は禁句だな
 例えば統計手法としてちゃんと正しいのであれば
 かえって、一部の除外事項を含める「普通は」などというあいまいな表現は必要ないな
--------------------------------------------------------------------------------------------------
<検察>
 ちなみに、だからといって絶対に「普通は」と言う言葉は使われないというわけではありません。
 例えば、
   Aのようなデータを扱う場合の統計手法にa・bの2つがあるとして
  「普通は」aを使う、なんて言いかたはします。
   ただし、そのような場合、aでもbでも統計は正しくできる事は間違いないが、
   aよりbのほうが検定力が低いので「普通は」aを使う、という明確な理由付けが必要です。

 しかるに、被告はその「普通は」という言葉になんら根拠を示していません
 根拠が示されないのであれば、只単に被告の意見として「普通」と言っているにすぎないでしょう

 では、被告の意見だとして、
 被告は「大部分の人が言っている」ということをどこで調べたのでしょうか?

 ちょくちょく被告は「普通」だの「一般」だの「通常」だの、
 あたかも「自分の意見はみんなが正しいとしている」と言うような印象を与える効果を狙った発言が
 目立ちますが、

 結局のところ、只単に「普通」と言ったのでは、「科学的」もしくは「論理的」な根拠が全く無い、
 せいぜい判明するのは被告自身がそう思っているということだけなのです
--------------------------------------------------------------------------------------------------
<裁判長>
 参考までに聞くが、検察自身の意見はどうかね?
--------------------------------------------------------------------------------------------------
<検察>
 私にとっては被告の意見なんて「個人的見解」としかとれませんから
 私も「個人的見解」として述べるに留めたいと思います

 私であれば、帰無仮説が棄却された場合は、「有意な差が認められる」と言います

 差が「只の引き算的に導き出される差」ではなく
 「誤差以外の効果が発生している確率が高い差」と言う意味で「有意な差」という言葉を示すのであって

 わざわざそれを「『本当に差がある』と判定された」などと、
 誤解を生じやすい言葉に変換する必要は無いと思われるからです。

 また、私が今まで読んだ、心理学をはじめ、化学、工学、医学等の分野の論文でも
 「有意差が認められた」という記述は見た事がありますが
 「本当に差があると判定された」という能天気な記述があったとの記憶はありません。

 とはいえ、これはあくまで「個人的見解」であって
 もしかしたら、被告の周りの友人達や、被告が読んだ論文にはあったのかもしれません。
 さらにいえば『漫画でカンタンにわかる統計学』とかいう本で
 白衣を着たおっさんが、野球帽をかぶった少年に

  「世の中には誤差というのが溢れているんじゃ。
   だからただの引き算だけでは『本当に』効果があったか分からないんじゃ
   そこで、『本当に』効果があるかどうかを統計で調べるんじゃ」

 とか言っていた事を被告は「座右の銘」としているのかもしれません。
 もちろんそんな本は私は知りませんし、被告の頭の中までは分かりません

 結局のところ、被告のような無根拠な状態で「普通」と言われた場合、
 確かに我々は反証不能になります。
 もし「絶対」と言うのであれば、そうでない事象を一つ突きつければいい話ですが
 「普通」はいったい全体に対して何割占めたら普通になるかあいまいですから、
 全体がいくつで、そうでない事象がいくつだから「普通」ではない、ということを調べる事はできません

 しかし、逆に被告は「普通であること」を実証できるでしょうか?いやできません
 同様に「普通であること」を実証するには全体に対して何割占めると普通かを明確にし
 全体がいくつで、そうである事象がいくつだから「普通」だと言わなくてはなりません

 まぁ、そのへんの日常会話レベルの話の時なら別に「反証」も「実証」も不要ですから
 「普通はねぇ」とか言ってもかまわないでしょう

 しかし、このように「反証」も「実証」も不能な「普通」という概念を
 「科学」や「論理」持ち込むのであれば、お門違いもはなはだしいということになります

 そもそも、被告は根拠があればそれをはっきり言う人間であります

 しかし、根拠が無いのであれば、それは示せない
 それでも陪審員の皆様にあたかも根拠があるかのような印象を与えたいがために
 「普通は」という無根拠な、それでいて
 「あたかも」正しい事を言っているかのような「印象を与える」尺度を持ち出します。

 せひとも、陪審員様はそこのところを騙されないようにしてください
 逆に言えば、被告が「普通は」等と言い出したと言う事は
 「論理のネタが尽きて、感情に訴えてきている」と考えても差し支えないかと思われます

 まぁ、以上のことから、被告の
   >普通の人なら、帰無仮説が棄却された場合は、
   >「『本当に差がある』と判定される」(注:「本当に差がある」とは違います)と言いませんか?
 という証言自体、信憑性がまるでなく、採用すべきではないと思われます
--------------------------------------------------------------------------------------------------
<裁判長>
 長い論述でしたね...。
 まぁ、この「普通」論議による被告の明確な根拠の提示があるまで、
 被告の
   普通の人なら、帰無仮説が棄却された場合は、
   「『本当に差がある』と判定される」(注:「本当に差がある」とは違います)と言いませんか?
 という主張は陪審員の頭の中から除外しておいてほしい。

 ただし、
   正確に言えば、「血液型により差がないという帰無仮説が棄却される」ということになります。
 という意見は採用するがよろしいかね。
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<検察>
 結構ですが...
 私も検察と言う追及する側から離れ、老婆心から忠告したいのですが
 本当に採用していいのか、被告にもう一度確認したほうがよろしいかと思います
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<裁判長>
 なぜそんな必要があると?
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<検察>
 そう聞かれると、追求せざるを得ないのですが
 お忘れでしょうか?前回の被告の「本当に」と言っていいケースとして被告自身
   タイプ2エラーを説明する場合は、適当な分布を仮定して計算するので、その分布に対して「本当」は
   云々と言えます。
 と論述しました。
 この論述については、前回の公判で
  「例えそうだとしても、少なくとも『中間管理職さんのページ』での被告の「本当に」には適用されない」
 事が判明されていますし、被告もその反論は述べておりません。

 しかし、おかしなことに、今回の公判において、突然前回自分が何を言ったのか忘れたかのように
 
   「帰無仮説が棄却された場合」という『本当に』といって良い

 と新たな定義を持ち出しました

 『ご存知のように』
 と言われても、私検察側としては
 被告は
   「タイプ2エラーの分布に当てはめた時に『本当』と言える」と思っている
 と思っていましたので
 突然
   「タイプ1エラーの分布に当てはめた時にも『本当』と言える」と言い出されても

 『あんたのそんなころころ変わる考えなんてご存知ではないですよ』

 としか言いようがありません
 
 被告は、健忘症の癖でもあるのでしょうか?

 それとも、触れられたくない事は、反論も認める事もせず
 全く違う事をしれっと言い出すのが彼のいう「科学的」「論理的」とでも言うのでしょうか

 しかし、このことから分かるのは
 「中間管理職さんのページ」で被告が「本当に」と記述した時
 被告は何ら確たる考えも無くただ適当に「本当に」と書いただけであったということです

 そうでなければ、後になって都合が悪くなるたびに、
 ころころ考えを変わるということがあるはずはありません
 逆に言えば、当時は何ら明確な考えが無かったからこそ
 現在、厚顔無恥さながら、前に自分が言ったことを忘れたフリをしながら
 必死につじつまが合いそうな言い訳を次から次へと新たに出しているにすぎないのです

 とすれば、被告自身が「本当に」という言葉にさほど注意を払っていないのに
 被害者の「本当に」という発言に対し、突然お堅い定義を持ち出すというのも妥当ではありません

 どちらにせよ、被害者が「意味不明」とされてしまったのは妥当ではないということになります。

 しかも、このまま今回の意見を採用すると、

 被告の非論理性というものがたまたま「被害者の返事」に対して現れただけなのではなく
 この公判においても「非論理性」しか示せないのであるから
 もともと素養が「非論理的」である、というはなはだ不名誉な推論が成り立ってしまう危険があります

 ここは被告のためにも、もう一度再考をうながさせるべきだと思われます。
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<裁判長>
 なんだかんだいって、結局しっかり追求しているじゃないか...
 まぁ、わかった。
 少なくとも、被告の詳細が無い限り、今回の被告の意見と前回の被告の意見は全く整合性が見られないので
 被告自身のためにも、もう一度必要があれば、前回の意見を踏まえた意見を述べなおすように勧めよう

 じゃあ、第1パラグラフは、保留するとして
 第2パラグラフにおいて、被告は新たな提案をしてきたようだ
 
 どうやら、検察側は被害者の発言のほうも省略せずもう少し吟味すべきだったのでは無いのかね
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<検察>
 被害者の言動を分析しなかったのは確かに検察側の手落ちでした
 それを謝罪した上で、この被告の意見に対して分析をおこないたいとおもいます

 あの場面で被害者が言ったのは
   もし本当にO型、B型が多いのであれば、(O+B):(A+AB)だけでなく、
   O:A:B:ABの計算で有意差が出るはずです。
 という言動であり、確かにその言動においては、
 我々検察側も明らかに「帰無仮説が棄却される」という意味ではないと判断しました。

 では、その判断から「本当に=100%」に至るまでの被告の論理形態を整理しましょう

   1.なぜなら、前者では帰無仮説が棄却されているのに対して、後者ではそうではない。
   2 となると、「本当に」は何らかの統計的でない(絶対的な?)基準があるとしか思えない。
   3 従って、私には「本当に=100%」と解釈しました。

 となっています。

 しかし、私はこの結論に疑念を挟まざるをえません
--------------------------------------------------------------------------------------------------
<裁判長>
 その理由を述べよ
--------------------------------------------------------------------------------------------------
<検察>
 実際に当てはめてみると分かりますが
 「もし100%O型、B型が多いのであれば...」
 ...何を言っているのか分かりません。確かに意味不明です

 確かにそういうことが言えるケース
 例えば「O型、B型」が割合にして2、それ以外が1の場合や
    「O型、B型」が全てを占めて、それ以外は0の場合は
 まぁ、そういう表現をする場合もあると思います

 しかし、それまでの被害者と被告人のやりとりを観察しても、
 そのような前提で話しているようには思えませんし
 被害者も「そういうことを述べているわけではない」と言うと思います

 むしろ、一番びっくりしているのは実際に当てはめてみたら
 なんともトンチンカンなことになってしまうことに気付いた被告自身ではないでしょうか?

 陪審員のみなさん、念のために言っておきますが
 被害者が実際に「もし100%O型、B型が多いのであれば」と言っているからトンチンカンになったのでは
なく
 被告が自ら主張する「本当に=100%」という解釈を適応したらトンチンカンになってしまったのです

 つまり、「もし100%O型、B型が多いのであれば」というトンチンカンさの原因は
 「文章読解能力」「国語力」あるいは「数学の知識」等における
 被告自身の何らかの過ちが引き起こしているのです
--------------------------------------------------------------------------------------------------
<裁判長>
 うむ...確かにトンチンカンであるな...
--------------------------------------------------------------------------------------------------
<検察>
 裁判長、この程度の詭弁に惑わされるようじゃ、被告にすっかり騙されてしまいますよ
 今のはわざと、トンチンカンに解釈して見せただけです

 被告に好意的に解釈してやるとすれば
   「本当に=100%=確実に」
 とでもしてやれば
   「もし確実にO型、B型が多いのであれば...」
 という、それなりに意味が通る内容になると思います
--------------------------------------------------------------------------------------------------
<裁判長>
 おいおい、分かっているなら始めからそう言いたまえ
--------------------------------------------------------------------------------------------------
<検察>
 失礼しました
 しかし、分かっていたのではなく、もしかしたら被告は本気で
   「もし『100%』O型、B型が多いのであれば」
 と思っていたのかもしれませんよ。
 
 あくまで、私検察側の好意で、日本語として通じやすい言葉に変換してやっただけです

 さて、どう読解すべきかは被害者に聞かないと分かりませんが
 ちなみに検察側がこの文章を「本当に」以外で読みかえるならばこう読解いたします

 「もし『実際には』O型、B型が多いのであれば」と。

 個人的には、こう読めば少なくとも「意味不明」にはならなかったと思います

 ただし、被告の脳内のボキャブラリーが貧弱で
 どう読んでも「100%」もしくは「確実」という言葉しか当てはめられなかった
 というのであれば、ご同情の上、それを「誤り」と問いただすのも控えるべきかもしれません

 ところで、「実際にO型、B型が多い」のかどうかという言葉に変えても、
 実際にそうなのかは、それこそ全数調査でもしない限り分かりません
 
 しかし、陪審員の皆さん、ひとつ重大な事を見落としてやいませんか?
 被害者はわざわざ「もし、」をくっつけて、仮定の話としてしているのです。

 仮定の話なのに、それが現実には不可能だからといって糾弾されるべきなのでしょうか?

 被告のような語り口調を借りれば
  「現実には不可能なことは、仮定の話としてでもしていけないというのであれば
   母集団という概念を使う統計は全くのナンセンスだとしか言えません。
   まさか被告は統計で母集団を仮定して統計をするのはナンセンスだとでも思っているのですか?」
 といった感じでしょう。

 通常であれば省いてしまいがちなこの「もし」
 被害者が慎重であり、きちんと仮定と現実を分けたがために、
 この場でその無実が証明されたのです!

 それよりも、もっと着目すべき論理の破綻があります
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<裁判長>
 それは何かね
--------------------------------------------------------------------------------------------------
<検察>
 はい。今回被告はまたいろいろな事を新たに言い出して裁判を混乱させようと企てているようですが
 私も、彼が何を言っているのか混乱せざるをえません

 問題の被害者に対する被告の言葉で
   > いくら有意差があったにしても、統計的検定では「本当にO型、B型が多い」かどうかはわからない
   > からです。おわかりですよね? 従って、文章の前半は意味不明となります。
   > #読者の方のために書いておくと、本当に=100%、という意味です。

 と言ったのですが
 一方今回の陳述においては

   『「本当に」は何らかの統計的でない(絶対的な?)基準があるとしか思えないから』
    従って、「私には「本当に=100%」と解釈しました。」

 と言っています

 前者の論理構造は、言葉の順番こそ最後になってますが、「本当に=100%と解釈する」を当てはめた上で
 「意味不明」と評価しているのが分かると思います。そのため、こうなります

  1 「本当に=100%と解釈する」
  2 例え有意差が出ても、そのようなことは統計的検定では言えない
  3 だから意味不明である

 そして今回の陳述の論理構造は

  1 そもそも被害者は統計の事を言ってないと思った
  2 その考えによれば、統計とは異なる基準で言っているはずだ
  3 だから「本当には100%と解釈する」

 となってます

 では、両者に共通する「本当に=100%と解釈する」を軸に並べ替えてみましょう

  1 そもそも被害者は統計の事を言ってないと思った
  2 その考えによれば、統計とは異なる基準で言っているはずだ
  3 だから「本当に=100%と解釈する」
  4 例え有意差が出ても、そのようなことは統計的検定では言えない
  5 だから意味不明である

 お分かりでしょうか?
 1、2番で「被害者は統計の事を言っていない」という前提で「本当=100%」としたくせに
 4番目になるとそれをもう忘れてしまったのか、「それは統計的には言えるはずが無い」という、
 「本当=100%」の前後で、被害者の言を「統計の事ではない」としたり「統計の事」としたり
 全く一貫性が無いのです

 ...やはり被告に健忘症の線が濃厚になってきてしまいました

 まぁ健忘症かどうかはともかく
 「意味不明」なのはやはり被告の論理だとしか言いようがありません
--------------------------------------------------------------------------------------------------
<裁判長>
 健忘症かどうかは当裁判では関知しないぞ
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<検察>
 分かってます。
 それではまとめに入らせていただきます。
 今回、被告は新たに
   帰無仮説が棄却された場合は、「『本当に差がある』と判定される」
 等と言い始めましたが

 前回の被告の論述から被告における「本当に」が使われるケースが定義されたと思いきや
 それが「中間管理職さんのページ」では実は通用しなかったことが判明するや否や、
 全然前回の論述では全く触れなかった定義を持ち出すという
 まさに泥縄な論述であり、このままでは検討する価値すらありません。
 
 さらに、「普通」という言葉を使用していますが根拠が明らかではありません
 そのような言葉は「科学的態度」としては慎むべきだと思います

 また、被害者の言動のほうこそ問題があるとの主張でありましたが
 被害者の言動を分析したところ、少なくとも「意味不明にはならない解釈」が存在することが判明し
 「意味不明」になった原因はやはり被害者には無く、
 あえていうなら
 被告の文章の基本的な文法の理解とボキャブラリーの不足としか言いようが無い結果となりました

 また、「本当=100%」という判断に至ったプロセスを
 当時の言動と、今回の論述とで合わせると、まったくつじつまが合っていないことが判明しました

 通常は、論述を重ねる事によって、論理の穴は埋まり、ますます強固になるのが普通ではありますが
 被告の場合、論述を重ねれば重ねるほど、被告自身の論理と言うのが破綻していくとしか思えません

 それが、被告自身の論理の素質なのか健忘によるものかは分かりませんが
 そんな無茶苦茶な論理で「意味不明」とされてしまった被害者が可愛そうでなりません!!
--------------------------------------------------------------------------------------------------
<裁判長>
 なるほど、わかりました
--------------------------------------------------------------------------------------------------
<検察>
 あと、最後にひとつ私見をこの場を借りて言いたいと思います

 現在も被告と被害者は論争らしきものしていますが
 被害者は、
   「検定力」「タイプ2エラー」「χ2検定の特性」は分かってると思っていいから、
   まず、説明してみろ!
 と、さらには言葉を尽くして「おかしい理由」を述べているのに、
 
 被告にいたっては、説明してやってもいい、とか言いながら、いつまでたっても何の芸も無く
   本当に「検定力」「タイプ2エラー」「χ2検定の特性」をご存知ですか?
   「引っかけ」以外に解釈しようがないのですが
 といった、漠然とした反論のみで
 ほとんど被害者の質問に答えていないのに陪審員はお気づきでしょうか

 ちゃんと答えないのは、ちゃんと答えられないからと私は思わざるをえません

 何より、おそらく被告においては、私の見たところ
   人が正しいとする事に対し、自分の考えとは違うということを、
   まるで「そして自分のほうが科学的に正しい」ように言って攻めるのは得意ですが
 人に被告のやっている事は間違っていると指摘されると
   自分がやっているのは当然正しいと思っているが、
   「何で正しいのか」は実は知らないので、科学的論理的説明ができないのでうまく守れない
 というのが実情ではないでしょうか?

 議論をするだけ無駄、と言ってはいますが


 被害者が実際に聞きたいのは、おそらく
 「科学的推測法における、統計という道具の使い方の有りかた」
 について聞いているのでしょう

 なのに、わざわざ
 「統計だけでは100%確実な証明ができるのか」
 というように自分で解釈して
 わざと「議論をするだけ無駄」という方向になんとか持っていこうとしているのは
 ほかならぬ被告自身なのではないでしょうか?

 ちなみに、
 「科学的推測法において、統計という道具の使い方の有りかた」
 という命題は

 実際のところ、『データをいじった経験が沢山ある人』においても

 「ただ、統計と言うブラックボックスに数値を入れたらなんか結果らしきものが出てきた」
 「統計と言うブラックボックスに数値をこういう風に入れると都合のいい結果が出てくる」 

 なんていういじり方をしているような人には、
 例え1000000件のデータをいじったとしても理解できない命題でしょう
 
 逆に『データをいじった経験があまり無い人』
 であっても、ちゃんと「科学」と「統計」の関係について分かっていれば分かる話です

 そういう意味では「ひっかけですか?」というのはある意味当たっている事でしょう
 なにせ、ABOFANさんに「正しい」ことを説明をさせる
 という試み自体が、ABOFANさんの論理を破綻させる「ひっかけ」になるのですから

 ですから、今もおそらく被害者にさらに言葉を費やさせる事で
 そのうち出てくるかもしれない末端的な言葉の使い方の誤りを指摘し
 「本来の問題ではない事」
 に話をすりかえるチャンスをうかがっているのではないでしょうか?

 被告はそのような態度を反省し、きちんと「論理的」「科学的」立場に立ち戻らなくては
 また今回のような事件がくりかえされる可能性は大きいと思います。

 ですから、私検察官は、
 過失にせよ故意にせよ、そのような事を繰り返していたら
 被告が自ら求めていると思われる「論理性」「科学性」を自らが放棄してしまうことに
 早く気付いて欲しいと心底思うのであります。
 以上です
--------------------------------------------------------------------------------------------------
<裁判長>
 わかりました
 
 最後の検察側の弁であるが、
 確かに、人間と言うものは
 「自分の信じる事は正しい、そしてみんなも正しいと思っているはずだ」 
 と思いがちである。そして、
 「自分が正しいと思っている事を他人が信じないのは、他人のほうが知識が浅いからだ」
 と傲慢にも思いがちだ

 しかし、「言わずもがな」は本当に「言わずもがな」なのか
 実は「言わずもがな」と自分が思っているのは本当は間違っていないのか?
 それは結局のところ「言って」お互いに検証しないと分からないものなのだ
 ということを理解せねばなるまい
 
 それで自分が正しいと分かるのであればそれに越した事は無い
 そして間違ってたら間違ってたでいい、
 自分の間違いに気付くと言うのは立派な「得」だからだ
  
 まぁ、被告においては
 検察の意見のようにもし「今やっていない」のであっても
 だからといって「後でもやらない」ということは言えないはずだ

 もしかしたら、分かりやすく説明するために思考をまとめているから
 「まだやっていない」のかもしれない
 とりあえず、そちらのほうはこちらの事件とは別な事件として
 陪審員の方々にも見守っていて欲しい。

 さて、次に再び被告の論述に入るわけであるが
 前回は質問意図がわかりにくかったのでは?ということを踏まえ、
 今回は被告が答えるべき問題点をまず提示しておこう

  ・なぜ、前回は「タイプ2エラー分布に対して本当」と言えると定義しながら
   今回は突然「帰無仮説が棄却された場合」という『本当に』といって良いと言い始めたのか?
   前回の回答から今回の回答に至る変遷を論理的に説明せよ。
   また、その論理は「中間管理職さんのメール」での発言の時点であったものか
   それとも今回の裁判の経過において、事後承諾的に作ったものか明確にせよ。

  ・そもそも、なぜ前回わざわざ対象になっているケースに当てはまらない定義を持ち出したのか
   当てはまらない事を知ってて言ったのか、それとも何も考えないで言っていたのか
   それとも検察官の反証とは異なり、実はあてはまるのか

  ・今回述べた「本当=100%」の解釈に至る過程と、当時被告が言った「意味不明」に至る解釈
   を整理して並べると明らかにおかしいが、どういうことか

  ・本来、他人の文章を読むに当たっては、意味を解釈するように読むのが本来であり
   そういう意味ではわざわざ「意味不明」になる「本当=100%」という概念を当てはめた事に
   妥当性はあるのか、また「もし」という語句を全く無視していたのではないか?

 これらの問題点とあわせて

  ・当初から言われていた「中間管理職さんのメール」での発言と、被害者への発言は矛盾しないのか

 そして結論として、

  ・被害者の文章を「意味不明」とした原因は、被害者にあるのか被告にあるのか

 明確にして欲しい

 もちろん、それ以外の検察に対する反論も許可されるが、
 まず、焦点である上記の問題に答えて欲しい。
 
 加えて、証言においては、今までの被告自身の言動と合わせても
 論理が崩れないような説明をするようにに留意して欲しい
 
 また、自分でも立証不能な「普通」「通常」「一般」などというあやふやな概念の使用は控えて欲しい

 もちろん、被告に黙秘権は認められる。都合が悪い事は言わなくてもよろしい。
 なんで都合が悪いかは陪審員の判断にまかせられる....

 それでは、次回、被告の証言があるまで閉廷とする
 こちらはとりたてて急ぎはしないので
 被告においては、「時間が無いので簡単に」等といわないで、
 裁判の趣旨と論点を理解し、自分の弁護がしっかりできるまでじっくり考えてから証言して欲しい


 ちなみにこれは私から皆さんへのおまけの問題である
 統計における使用方法の誤りを考える一助としてちょっと考えてみてほしい

 『Aさんが外出してふと前を見たら、「1234」というナンバーの車を見た
  ちなみに、小さい番号は2桁で、ナンバーが選べる制度の前のものであった

  Aさんは計算してみてびっくりした。
  なんとそのナンバーを「偶然」見る確率は約10000分の1なのである!
  
  Aさんは言った
  そんなに低い偶然は統計的にはありえないと考えてよいはずだ!  
  だから私が「1234」というナンバーの車を見た事は「必然」なんだ!!
    
  果たしてAさんの推測は正しいのか?そしてその結果に再現性はあるのか?』

  (ちなみに元ネタは『科学は不確かだ!』RPファインマン著 岩波書店) 

 以上。ではまた次回の公判まで

いやぁ、力作ですね。すごいなぁ。

 しかし、どうも全然議論がかみ合いませんね。困ったな…。急がば回れで、まず中間管理職さんのメールのところを再検討しましょうか。

 私はこう書きました。

> 統計的検定の判定の誤りは2つあります。

>   1. タイプ1エラー…本当は差がないのに差があると判定する誤り
>   2. タイプ2エラー…本当は差があるのに差がないと判定する誤り

 これはどういうことかというと、タイプ2エラーの説明については、前の返事に書いたとおりです。理解しやすいように再掲しておきます。

 仮にここで、ホームランの上位の真の分布は、O型、B型がそれぞれ50%ずつであるとしてみます。

#本当にそうであるということではなく、あくまでも仮定ですので念のため。

 この場合、「本塁打ベスト8」の血液型分布は、O型4人、B型4人とするのが一番もっともらしいと言えるでしょう(時間の関係で2項分布の細かい説明は省略)。このデータに対して、O:A:B:ABについてχ2検定を行ってみるとχ2=7.69が得られ、危険率を計算すると5%超になるので帰無仮説は棄却できません。しかし、(O+B):(A+AB)ならχ2=7.24となって危険率は1%以下ですから、帰無仮説は棄却されて「差がある」と言えます。

 つまり、サンプル数が8人しかないなら、「もし本当にO型、B型が多い」としても正しい結果が得られない(=タイプ2エラー)ことがあるのです!

 実際のサンプル数は、8人よりちょっとだけ多い10人ですから、同じようなことが起こっていると推測できます。ただ、実際に「本塁打ベスト10」のタイプ2エラーを計算するとなると、こんなに単純なものではなさそうです。いや、実は少し考えたのですが相当面倒くさそうなので、実際の計算は省略させていただきます。(^^;;

 つまり、ホームランの上位の分布は本当にO型とB型が多い、と仮定しているのです。具体的には、O型、B型がそれぞれ50%ずつであるとしています。

 ところが、実際にサンプル数を8人として計算してみると、本当にO型とB型が多い(=差がある)はずであるにもかからわず、帰無仮説を棄却できない(「本当は差がない」と判定される?)という、不思議な結果になってしまいました。くどいようですが、これがタイブ2エラーです。

 従って、MMさんの言う、

> もし本当にO型、B型が多いのであれば、(O+B):(A+AB)だけでなく、O:A:B:ABの計算で有意差が出るはずです。

 という命題は、必ずしも成り立たないことはわかっていただけるでしょうか?

#つまり、サンプル数が少ない訳です。それは、「検定力」や「χ2検定の特性」を考えればわかるはずですよね。

 しかし、深田さんやMMさんもよくご存じのように、必ずしもこの逆は言えません。つまり、帰無仮説を棄却できなかったから本当に(=100%の確率で)差がないとも、帰無仮説を棄却できたから本当に(=100%の確率で)差があるとも…。この判定を間違う確率がタイプ1&2エラーな訳です。これまたくどいのですが、危険率はタイプ1エラーのことです。

 よって、めでたく帰無仮説を棄却できたにしても、残念ながら本当に差があるとは言えません。ただ、普通は危険率を考慮しつつも「本当に差がある」と判定はされるでしょう。普通の人なら、そう判断するはずです。

 「当社が実施した世論調査によると、小泉内閣の支持率は80%超である」という新聞報道があったにしても、信頼区間を計算しろとは普通の人(でいいですよね?…笑)は言いませんよね。少なくとも、私は言いません。その理由は、普通の人は「小泉内閣の支持率は本当に80%超である」と判定しているからでしょう。

 違いますか?

 いや、100%の確率で「小泉内閣の支持率は80%超である」とは言えないから、そんな世論調査の結果は認めない、というならそれでも結構です。それなら、私も「本当に」云々という前言を本当に撤回します(笑)。

 その意味で、MMさんのメール(その6)で、「有意差が出たデータこそタイプ1エラーだったのかもしれない」と断言されてしまうと、統計的検定の意味がなくなってしまうので、私には理解できなかったのです。

 ただ、再度読み直してみると、「本当に差がある」と判定するよりは、「本当に差がある」と推定する、とした方が適切だったのかもしれません。確かに誤解されやすい表現だったかもしれないので、ちょっと反省…。(^^;;

Red_Ball12.gif (916 バイト)メール(その11) H13.8.27 13:25

 <裁判長>
 では、開廷する

 なお、今回の公判をもって当裁判は終了する予定である。
 理由など詳細は後述する

 では、 再び他のページとの兼ね合いで、冗長ではあるが被告の論述を再掲する
 掲載の都合上行間の空き等は削除し、また行頭の空きや改行も少し変更した。
 その空白にこそ意味があるとお思いの方はぜひとも被告の本文を参照して欲しい。
------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------
<被告>
  しかし、どうも全然議論がかみ合いませんね。困ったな…。急がば回れで、まず中間管理職さんのメールのところを再検討
 しましょうか。
  私はこう書きました。
   > 統計的検定の判定の誤りは2つあります。
   >   1. タイプ1エラー…本当は差がないのに差があると判定する誤り
   >   2. タイプ2エラー…本当は差があるのに差がないと判定する誤り
  これはどういうことかというと、タイプ2エラーの説明については、前の返事に書いたとおりです。
 理解しやすいように再掲しておきます。
  仮にここで、ホームランの上位の真の分布は、O型、B型がそれぞれ50%ずつであるとしてみます。
   #本当にそうであるということではなく、あくまでも仮定ですので念のため。
  この場合、「本塁打ベスト8」の血液型分布は、O型4人、B型4人とするのが一番もっともらしいと言えるでしょう
 (時間の関係で2項分布の細かい説明は省略)。
 このデータに対して、O:A:B:ABについてχ2検定を行ってみるとχ2=7.69が得られ、危険率を計算すると5%超
 になるので帰無仮説は棄却できません。しかし、(O+B):(A+AB)ならχ2=7.24となって危険率は1%以下ですか
ら、
 帰無仮説は棄却されて「差がある」と言えます。
  つまり、サンプル数が8人しかないなら、「もし本当にO型、B型が多い」としても正しい結果が得られない(=タイプ2エラ
ー)
 ことがあるのです!
  実際のサンプル数は、8人よりちょっとだけ多い10人ですから、同じようなことが起こっていると推測できます。
 ただ、実際に「本塁打ベスト10」のタイプ2エラーを計算するとなると、こんなに単純なものではなさそうです。
 いや、実は少し考えたのですが相当面倒くさそうなので、実際の計算は省略させていただきます。(^^;;
  つまり、ホームランの上位の分布は本当にO型とB型が多い、と仮定しているのです。
 具体的には、O型、B型がそれぞれ50%ずつであるとしています。
  ところが、実際にサンプル数を8人として計算してみると、本当にO型とB型が多い(=差がある)はずであるにもかからわず、
 帰無仮説を棄却できない(「本当は差がない」と判定される?)という、不思議な結果になってしまいました。
 くどいようですが、これがタイブ2エラーです。
  従って、MMさんの言う、
   > もし本当にO型、B型が多いのであれば、(O+B):(A+AB)だけでなく、O:A:B:ABの計算で有意差が出るは
ずです。
  という命題は、必ずしも成り立たないことはわかっていただけるでしょうか?
   #つまり、サンプル数が少ない訳です。それは、「検定力」や「χ2検定の特性」を考えればわかるはずですよね。
  しかし、深田さんやMMさんもよくご存じのように、必ずしもこの逆は言えません。つまり、帰無仮説を棄却できなかったから本当

 (=100%の確率で)差がないとも、帰無仮説を棄却できたから本当に(=100%の確率で)差があるとも…。
 この判定を間違う確率がタイプ1&2エラーな訳です。これまたくどいのですが、危険率はタイプ1エラーのことです。
  よって、めでたく帰無仮説を棄却できたにしても、残念ながら本当に差があるとは言えません。
 ただ、普通は危険率を考慮しつつも「本当に差がある」と判定はされるでしょう。普通の人なら、そう判断するはずです。
   「当社が実施した世論調査によると、小泉内閣の支持率は80%超である」という新聞報道があったにしても、
 信頼区間を計算しろとは普通の人(でいいですよね?…笑)は言いませんよね。
  少なくとも、私は言いません。その理由は、普通の人は「小泉内閣の支持率は本当に80%超である」と判定しているからでしょ
う。
 違いますか?
  いや、100%の確率で「小泉内閣の支持率は80%超である」とは言えないから、そんな世論調査の結果は認めない、というな

 それでも結構です。それなら、私も「本当に」云々という前言を本当に撤回します(笑)。
  その意味で、MMさんのメール(その6)で、「有意差が出たデータこそタイプ1エラーだったのかもしれない」と断言されてし
まうと、
 統計的検定の意味がなくなってしまうので、私には理解できなかったのです。
  ただ、再度読み直してみると、「本当に差がある」と判定するよりは、「本当に差がある」と推定する、とした方が適切だったの
かも
 しれません。確かに誤解されやすい表現だったかもしれないので、ちょっと反省…。(^^;;
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<裁判長>
 では、検察側、今回の意見を踏まえ、最終的な論述をお願いします。
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<検察>
 では、まず、中間管理職さんのメールページにおける被告の証言についての変遷を要約しましょう

   【元の文章】タイプ1エラーの値が極めて小さい状態が「本当に差がある」と判定される
   【第一回供述】タイプ2エラーの分布を仮定して計算し、その分布に対して「本当」は云々と言える。
   【第二回供述】「帰無仮説が棄却される」ことを、「普通の人」なら「『本当に差がある』と判定される」というのでは?
   【第三回供述】「普通は」危険率を考慮しつつも「本当に差がある」と判定はされるでしょう

 まず、これをざっと見ていただければ被告の「言ってもいい」という「本当」の定義が一貫してないというのが
 分かっていただけると思います。
 最も異質なのは【第一回供述】の内容ですが、残念な事に現在まで被告はこの点に言及しておりません。

 まぁ、それ以外は「帰無仮説が棄却される」と「本当に」と言えるということで一貫した内容になっているようですが
 【第二回供述】【第三回供述】ともに、何ら統計的根拠も無いまま、結局「普通は」というあいまいな根拠で正当性を主張
 するようになってしまっています。

 「普通」の根拠、及びその効力範囲に関する説明が無いと言っても良いため
 今回もまた「普通」という言葉自体に、何らかの客観的な基準があるわけではないようなので
 結局のところ、被告の発言のセンテンスを拝借して説明すれば

   「少なくとも私は」、帰無仮説が棄却されると「本当に」と言う、

 ということでしかなかった。ということになります。
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<裁判長>
 しかし、被告は「普通」の根拠について「小泉内閣の支持率は本当に80%超である」という命題で述べているが?
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<検察>
 まさか、その説明が、被告の
    「『普通は』危険率を考慮しつつも「本当に差がある」と判定はされるでしょう。」
 で使われている『普通』の根拠になるとでも言うのでしょうか?
 
 これは被告お得意の「論理のすり替え」です。

 ちょっと並べてみましょう
   1  「当社が実施した世論調査によると、小泉内閣の支持率は80%超である」という新聞報道があった
   2 普通の人⇒信頼区間を計算しろとは言わない。
   3 なぜなら「小泉内閣の支持率は『本当に』80%超である」と判定しているから。
 そしてそこに、被告の主張を付け加えてみましょうか
   4 だから「『普通は』危険率を考慮しつつも「本当に差がある」と判定はされるでしょう。」

 まず、1の命題を読み解いてみましょう
 「当社が実施した世論調査によると」と言っているから、
 「当社が実施した世論調査」という、限定されたサンプリングの枠内で物事を語っていることが分かります
  そして、それによると(それを集計すると)「支持率は80%」という意味であることが分かります。
 この80%とはもちろん『記述統計』の値でありますが
 このようなケースにおいて、この『記述統計』値に『信頼区間』なるものが関与する余地などあるのでしょうか?

 1の命題は、
 「特定の会社における世論調査結果」についての「全数調査」と解釈できます。
 ならば、(その限定された範囲内で言うのであれば)「記述統計値」である80%の提示だけで十分なのです
------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------
<裁判長>
 ちょっと待って下さい。
 「特定の会社における世論調査結果」についての「全数調査」とはどういうことでしょうか?
------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------
<検察>
 例えば、あるアパートの世帯全部の家族構成を調べたとします。

 もし、この調査が、そのアパートのある町全体、市全体、県全体、国全体の家族構成を調べるための
 『サンプリング』としておこなったのであれば、
  ...もちろん、そんなサンプリングがいいのかも問題にはなると思いますが
 その調査結果により、町全体、市全体、県全体、国全体の家族構成を『推測』する時は、
 それこそ『信頼区間』、言葉を変えれば「妥当性」ですかね、が問題になってきます。

 しかし、この調査が、「そのアパートの実態調査」だったとすればどうでしょう
 必要になるのは「そのアパートの事」のみであり、その世帯全部を調査したのであるから『全数調査』になります。
 『全数調査』であるから、母集団を推定する必要も無く、よって記述統計値がそのまま「事実」になるのです。

 先の命題に戻れば、例えば
    「(当社が実施した世論調査によると)『日本国民の』小泉内閣の支持率は80%超である。」
 という記事であれば、「世論調査」が「日本国民」の値を推測するためのサンプリングという位置付けになり、
 その結果から日本国民の支持率という母集団を推測したことになりますから『信頼区間』なるものは関係してきます

 しかし、あくまでも
    「当社が実施した世論調査によると」
 という範疇で申しておるのですから、そこから「当社が実施した世論調査」の範疇を超えた推測を立てない限り
 「当社が実施した世論調査」に対する「全数調査」ということになるのです。
------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------
<裁判長>
 うーん、そんな調査に意味はあるのでしょうか?
------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------
<検察>
 新聞、というか報道の基本スタンスとしては、事実をありのままに述べ、その判断は読者にゆだねるというものです。
   ...といっても、中には主観を交えて世論を煽動したりする輩もおりますが...
 
 ですから、同時期に数社が独自にサンプリングして発表したところA社が80%、B社が20%となったとしても
 「どっちが正しいのか」と言い争う事は無いのです
 正しいも正しくないも、A社が調査した結果が80%だったことも、B社が調査した結果が20%だったことも
 どちらも一応は「事実」なんですから。

 数社で食い違いがあったとしても、どのデータも「調査事実のみ」をあげたものであるならば問題はなく
 何をどう自分の判断基準にするかは、読者に委ねているのです。
 結局、その数値に意味があるかどうかは「読者の判断」ということになるのですね
 
 付け加えるならばその数値の「信頼度」なんかも意味が無い。
 もし、意味があるとすれば、その「信頼度」は推計統計的な「信頼度」ではなく
   「その会社は、ホントに調査したのか?」
   「その調査結果をちゃんと全て計算したのか?」
   「単純な足し算割り算が間違っていないのか」
 といういわば「嘘つきかバカかうっかりか」というレベルでの「信頼度」でしかないのです

 まぁ、以上の事から、少なくとも被告の例示における文章だけから判断すると

 「当社が実施した世論調査によると」と断っている以上は
 それは「当社が実施した世論調査」の全数調査という意味合いになるわけで、

 また、そこで示されているのは単なるその全数調査の「記述統計」であるのだから
 そもそも『信頼区間』という概念が発生する余地は無いということになります。
------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------
<裁判長>
 他には?
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<検察>
 「普通」の意味のすり替えの問題があります。
 
 2で述べているのは、新聞記事を見た『普通の人』、つまり、「統計に携わる人、そうでない人」が混在し、
 これは私見ですが、「統計に携わっていない人」のほうが圧倒的に多いと予測しています
 一方、4で述べている「普通」においては「統計上において」のことを述べています
 
 もしも、被告は自分自身が、自分を2のような
    「統計をあまり知らない人達も混じってあるだろう集団」
 に準拠する人間と考えてあるのであれば納得できますけどね。

 加えてもう1点
 被告の推測によれば、3で「普通の人は信頼区間などわからなくても『本当』と言っている」
 ということになりますが
 被告の主張を見ると、4は「普通は信頼区間を考慮すれば『本当』と言っていい」
 という内容になっています
 つまり、4で言ってることと3で言っている事は実質的に異なります。
------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------
<裁判長>
 では、検察側からの被告の提示した「普通」についてまとめてください
------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------
<検察>
 私は今までの論述の結果として

 「当社が実施した世論調査によると、小泉内閣の支持率は80%超である」という新聞報道は
 只単にアンケート対象者という限定された領域における「全数調査」であり、その「記述統計値」を示したものであると考える。
 
 よって、普通の人であろうが統計学者であろうが、「信頼区間を計算しろとは『言わない』」のでなく
 「そのような質問自体が意味が無いので『言えない』」ということも十分考えられる

 だから「信頼区間を計算しろ」と言わない理由を
     「小泉内閣の支持率は『本当に』80%超である」と判定しているから
 と限定してしまおうとする被告の根拠は全くなくなってしまいます。

 また、そこで指している「普通の人」と、
  『普通、危険率を考慮しつつも「本当に差がある」と判定はされるでしょう』では
 「普通」という基準を設ける対象が全く違います

 さらには「普通の人は信頼区間などわからなくても『本当』と言っている」ということが
 「普通は危険率を考慮しつつ『本当』と言っていい」 という事の根拠になってはいない。

 むしろ、「普通の人は信頼区間などわからなくても『本当』と言っている」を被告が根拠とするのならば
 被告の意見は「普通は危険率を考慮しなくとも『本当』と言っていい」というように修正しなくてはならない。
 しかし、そんなばがげたことはもはや「統計」ではありません....

 ということで、結局のところ、いくら「小泉内閣の支持率の例」などを挙げてみても
 その例はまったく利己的な推測にまみれているうえ、結果的に、被告の言う「普通は危険率を考慮しつつ...」の
 「普通は」と言っていいという意見とはなんら関係の無いものであったと言える
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<裁判長>
 というと、結局「普通」ではなく被告の私見でしかないということですか
------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------
<検察>
 はい、その通りです
 
 前回の裁判長の「普通」は使わないように、という意見を無視して被告はまた「普通」を使っていますが
 結局のところ「普通」という漠然としたた言葉以外に、自己の正当性を担保する論理が示せないということは

 事実上被告の敗北宣言と取っていいでしょう。

 被告は鼻息荒く、
   >その理由は、普通の人は「小泉内閣の支持率は本当に80%超である」と判定しているからでしょう。違いますか?
   >いや、100%の確率で「小泉内閣の支持率は80%超である」とは言えないから、そんな世論調査の結果は認めない
   >というならそれでも結構です。
 と、言っており、
 あたかも、
 『普通の人は「小泉内閣の支持率は本当に80%超である」と判定している』ことを認めないならば
 『100%の確率で「小泉内閣の支持率は80%超である」とは言えないから、そんな世論調査の結果は認めない』
 ということだ、とかいう論の進め方ですが、事実誤認もはなはだしいですな

 逆に聞きましょう。
 「普通の人」が信頼区間を聞かないという理由には

    1.その集計結果の表現から、信頼区間が必要ではない事を知っている
    2.とりあえず、「新聞ではそんなことを言ってたな」ぐらいの認識なので深く掘り下げて考える必要が無い
    3.そもそも、「小泉内閣の支持率」に興味が無い

 等、いろいろな可能性があると考えられるが、それぞれが全体に対してどのくらい存在するのかは不明である

 では、被告の言う

    4.「小泉内閣の支持率は本当に80%超である」と判定しているから

 と言うケースが「普通」と言っていいほどの割合で存在すると言っている根拠は果たして何なのでしょうか?

 もちろん、私は「4の人がいる可能性は『全く無い』」とは言いません、
 しかしそれが
   『「普通」と言える割合で存在する』か
 などとは、検察はおろか被告ですら現状では立証不可能なはずなのです

 よって、「小泉内閣の支持率は本当に80%超である」と判定していることを認めない事が
 「100%の確率で「小泉内閣の支持率は80%超である」とは言えないから、そんな世論調査の結果は認めない」
 ということなるという被告の意見はどうにも分からない。論理の飛躍、というか論理崩壊と言えるでしょう。

 もしかしたら、これは現在論争している他の人には通用する理屈なのかもしれないが
 それが検察側、というか裁判の論点においても通用するのかぐらい吟味してから発言して欲しい

 「根拠のようなもの」として『ホットな話題』を出すのは別にかまわないのですが
 どうせ根拠が無いのであれば、もうちょっとばれにくいものを出して欲しいものです。
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<裁判長>
 まぁ、被告は
 『「本当に差がある」と推定する』としたほうがいいかも、等と殊勝な事を言っていることだし...
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<検察>
 一応この「中間管理職さんのページ」の被告の「本当に」発言に対して、最後に私の私見として言わせてもらえれば
 以前も言ったような気がしますが
 
 そもそも、「有意差」という概念がきちっと定義されているんであるから
 統計の場においては共通の認識が持てる「有意差有り・無し」で語ればそれで十分だと思われます
 なにせ、タイプ1・2エラーというのは有意差の有無を指標として考えるのですから

 そこにわざわざ「本当に」という表現をくっつけようとするから、やれ「本当に=100%」か、いや「普通は」そうだとか
 やれ酢だのコンニャクだのと、色々と面倒な事態に陥ってしまうのです。

 従って、あのページを私が訂正するとすれば、 「本当に」を抜くだけで十分であると思われます。

 (統計的に)「差がある」と判定される、(統計的に)「差がある」と推定される、どちらであっても
 次のセンテンスである「だからT2エラーは発生しない」という説明には全く支障は生じないと思われます

 逆に言えば、なぜ混乱を生じる危険性があるにもかかわらず、
 あそこであえて「本当に」を使わなければならない理由こそ分からないですね

 ただし、しっかり確認していただきたいのは、私が求めている事は「中間管理職さんのページ」の修正ではなく
 被告自らの「本当」の使い方に矛盾なり間違いなり妥当ではない点なりがあったのを認めるならば、
 MMさんに対してあれだけ断定的に「意味不明」とするのも妥当ではなかったと認識して欲しいことなのです
------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------
<裁判長>
 わかりました。では次の論述を
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<検察>
 では、次に被害者の発言を意味不明としたことについて簡単に言及します
 被告の思考の変遷を検察側の指摘の要旨と共に時系列的に並べてみましょう

   1 被告論述:「本当に=100%」とし、「被害者の言は統計的検定解釈では成り立たないので『意味不明』になる」
            「(O+B):(A+AB)だけでなく、O:A:B:ABの計算で有意差が出る 」という解釈は
           自ら「冗談としか解釈しようがありません」と一笑に付し却下

   2 検事追及:自分でも「中間管理職さん」のところで、統計的検定で「本当に」を使っているじゃないか

   3 被告論述:「本当に=100%」としたのは「被害者の言が統計的検定という解釈はできない」からだ

   4 検事追及:最初にあなたは被害者の言動を統計的検定の解釈に乗せて「意味不明」としているではないか。矛盾だ

   5 被告論述:意味不明としたのは「(O+B):(A+AB)だけでなく、O:A:B:ABの計算で有意差が出る 」
          と言ってたからだ

 こう並べてみると、被告の弁明のその場しのぎ的なやり方と、論点がどんどんずれていく様が分かると思います

 そして、残念なことに、これらの論理の変遷理由については、被告は現在まで言及してくれていません。

 訂正も補強説明も無く、前の供述とは異なる供述をどんどん重ねられても、これ以上検討しようが無いですな。

 よって、この点については、現在までの被告の供述の変遷を提示し
 ころころ変わる供述であるから、
   「被告の意見には信憑性が欠ける」
 と結論付けたいと思います。
 
 私は、前回発生した自己の論述の弁明に対し指摘された矛盾点に対し
 黙秘するだけならまだしも、まったく違うことを言い出す被告に怒りすら感じます
 
 被告は今回
    「どうも全然議論がかみ合いませんね。困ったな…。」
 などと申しておりますが、私はこう言いたい

    「議論がかみ合う、かみ合わんを述べる前に、まず自分の供述をかみ合わせてくれ」と

------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------
<裁判長>
 確かに、検察が論破するたびに根拠の視点がころころ変わってしまっている印象は拭えませんね...
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<検察>
 さて、その他の事についておいおい述べていきましょう。

 面白い論述があります
  >その意味で、MMさんのメール(その6)で、「有意差が出たデータこそタイプ1エラーだったのかもしれない」
  >と断言されてしまうと、統計的検定の意味がなくなってしまうので、私には理解できなかったのです。
 あれれ、また、『意味不明』と言った理由を、元の論点から外そうとしてますね....

 しかし、すごいです。被告の発言
 
   「だったのかもしれない」と断言されてしまうと、....

 何度読んでも、日本語を母国語とする私はクラクラしてしまいます
 「かもしれない」を『断言』と考えるのですね...被告は

 んでは、被告が「中間管理職さんのメール」ページで言った
    「低受容群は差が小さいため、タイプ2エラーが発生しています。」
 なんてことは断言以上のどんなことになってしまうのでしょう。

 ....なんて揚げ足取りはともかく
 タイプ1エラーがあることをことさら言うと統計的意味が無いというのであれば
 同様の事をタイプ2エラーで言うのも統計をかける意味が無いことになるのではないでしょうか?
 
 「有意差がある」と言う結果になれば喜んで使用するくせに
 自分に不都合な「有意差があるとは言えない」という結果になったとたん
 「タイプ2エラーの可能性がある」と言い出すんなら
 最初から統計なんかかけないで、自分の都合のいいことだけを非科学的に主張すればよろしい。
 
 いや、ひょっとすると、被告はO:A:B:ABでタイプ2エラーが発生したといえる理由付けを
 (O+B):(A+AB)で有意差らしきものを出すことで証明した気になっているのかもしれませんが
 前回裁判長が述べた「自動車のナンバープレート」問題で明らかになったと思われる
 「事前仮説の検証」と「事後仮説の検証」の意味の違いという
 「タイプ2エラー」やら「検定力」やら以前の基本中の基本の事を分かっていないとしか思えません
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<裁判長>
 まぁ、今回はそれは主題ではないので、それについては日を改めて論議しましょう
 では最後に何か
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<検察>
 前回の私の論述でも似たような事を言いましたが、今回も被告のために一言申し述べたいと思います。

 このABOFANというHPには多くの情報があり、血液型について考えたい人の大きな助けを担っています
 確かに、被告以外の者による血液型をめぐる論争の中には、感情論有り、信念論有りで、
 必ずしも「科学」や「論理」が必要とされないものもあります

 しかし、このHPのウリは被告自身のオールラウンドな知識、科学性、論理性であり
 ここを訪れる人の多くも、それを求めてきているのだと思います

 だが、少なくとも「科学や論理」をテーマにしたページの一部にでも、
 曲解・誤解・詭弁が含まれていることが判明してしまったら、このHPの全体の信用が失墜してしまいます。

 例えその他ページには正しい事も書いてあるとしても、
 まさに「オオカミ少年」のように全体の正当性が失われてしまうのです。

 異論を唱える人を論破したり、差が出てないと言われていたデータを実は差が出ていると判断したりするのは
 血液型と性格の関係を信じる人にとっては小気味良いかもしれません

 しかし、そこで断言できない事を断言したり、否定できないことを否定したり、
 「わからない」という科学的結果を無視して、「あるかもしれない・ないかもしれない」と言ったり
 無理やりな統計手法と理念で擬似的に「有意差を作り出したり」していはいけないのです

 私も今回は検察と言う立場として被告に接しましたが、もしも、被告が
    断言できない事を断言せず、断言すべきところだけ断言し
    否定できないことを否定せず、否定すべきところだけ否定し
    「わからない」という結果を無視して、「あるかもしれない・ないかもしれない」とは言わず
    「わからない」という結果もあることを加味した上で
    論理的・統計的に許容されたレベルで「ある」と言えるものは「ある」、「無い」と言えるものは「無い」と言い
    統計手法を正しく使い
    その上で、「血液型と性格の関係」を述べていきたいというのであれば
 私も今度は被告の弁護士として活躍できる日もあるかもしれません

 検察側からは以上です。
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<裁判長>
 わかりました。
 それでは、最初に言ったようにこの裁判は今回をもって終了したいと思う。

 理由の一つには、早く次の話題に移りたいということと
 もう一つは、最近ちょっと力を入れすぎていたので疲れたから少し休みたいという私的な意見もあったりする。

 その前に、形だけでも整えておこうと思ったので、ひとまず終了とすることとした。
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 正確に言えば、
 
 「最後に被告の証言を求め、その際被告からの『再開廷の要望』が無ければ終了する事にする。」
 一方的に終わるというのは勝手がすぎるのでな

 まあ、この裁判は深田側の言い分から始まったのであり、ならば最後は被告の言い分で終わるのがフェアといえよう

 だから、求められない限り、レスはつけないつもりである。
 ....よっぽどひどい答弁だった時は別かもしれんが...
 まぁ、議題が「本当に」とかの言葉の解釈や論理性が中心であったから、ことさら長く議論を続ける必要も無いと思う
 そもそもこれは人のケンカに口を挟んだようなものであるからな
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<検察>
 これ以上いじめてもかわいそうですしな
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<裁判長>
 余計な事を言うのはやめたまえ
 
 ...であるから、最後は裁判長・検察官はもちろんのこと、陪審員も意識した発言をして
 自己の意見をしっかりと主張し、うまくまとめていただきたい。

 可能であれば、現段階までの裁判で検事が指摘した矛盾点についても明確に説明して欲しい
 もちろん黙秘権の行使は自由である。都合の悪い事、つじつまが合わないことは申し述べなくて結構である。

 まぁ、今回も読むべき文章は長いし、こちらも特に急ぐ必要も無いので、
 自分が満足できる論述ができるまでゆっくり考えてほしい
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<検察>
 きっと、また、別の論拠を持ち出すか、部分的な正しさだけを主張するかして
 本質的な「供述の矛盾問題」については口をつぐむか
 また、己だけの価値観の「普通」を持ち出して、はかない抵抗をはかるか
 あえて、「裁判とは関係の無い」MMさんやmt_whさんの矛盾点と思われるところをあげつらおうとするか
 どれかでしょうな。
 
 だいたい、明確に根拠が自分では言えないような事を、自己の正当性として示そうとする時は
 たいてい「〜なんじゃないですか?」とか「私はそう思うんですが、違うんですか?」というような「問いかけ」の形になるので
 ある意味、自信の無さ、根拠の無さがわかりすぎますな。

 あ、あと、「意味が良く分かりません」作戦も十分ありますなぁ。
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<裁判長>
 そうならないことは切に願うが、被告を信じましょう

 さて、ところで肝心の判決についてだが

 例え文章上では別れていても、裁判長と検察官が同一人物によって書かれていると言うのは自明であり
 その状況下で『判決』などというものを出すのは妥当ではない。

 よって、この事件に対する確たる「判決」は無い

 ですから、月並みではあるが、
 この論争を評価は「陪審員」たるこのページの読者の皆さんに委ねたいと思う
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 「判決」の無い「裁判ごっこ」に何の意味があったんだ、と考える向きの方もいらっしゃるでしょうが
 私は大いに意味があったと思います

 実は開廷にあたり、私「裁判官」はなるべく中立に位置し、被告の意見の好意的解釈をするように求めるようにし
 一方「検察官」は何一つ言うにも、根拠や論理の組み立てのしっかりしたものを述べるようにしてもらった。

 そして検察官は被告の言葉ひとつひとつに論理的な説明を求め、
 また検察自身も被告の意見の論理的な解釈をおこなってきたつもりだ。

 ....とはいえ、本当にそうであったかも含め、陪審員は評価して欲しい。
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 そのような過程の中で、

    被告の一見論理的に見える文章の化けの皮を剥がされて、どんどん非論理的であると判明した

 と感じる人もいれば

    検察官の論理こそ、屁理屈っぽくて信用ならん

 と感じる人もいるでしょう。もしくは

    検察官の言い分も確かに正しいかもしれんけど、俺が求めているのはそんなに厳密な科学ではなく
    「科学少年」性(「渡邊芳之さんからのメール」ページ参照)なんだ

 という方もいるでしょう。

 一口に科学・論理といっても様々なスタンスがある。
 被告はどのようなスタンスだったのか、検事はどのようなスタンスだったのか
 そして陪審員自身はどのスタンスに立って今まで読んでいたのか、これからどんなスタンスになればいいか、
 等を考えるきっかけにはなったと思うのである

 このHPにおいては「〜さんのメールのページ」というものが開設されるたびに
 主にこの「科学・論理」に求める厳密さもしくは認識の違いで終わりの見えない論争が起こっているように思える
 そして、それが明確になる前に、なんとなく終わってしまう印象が私にはある
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 科学的・論理的に厳密であればあるぼど、おそらく「血液型と性格」の関係は言い難くなってくると思う
 しかし、厳密であるがゆえに、そこからなおかつ「血液型と性格」の関係が見出されるのであれば
 その価値は計り知れないだろう

 しかし、科学的・論理的をあまり意識しないで言うのであれば
 『「血液型と性格」の関係はないとはいえないのではないのか?』といつまでも言いつづけることはできるが
 そのぶん「血液型と性格」の関係の価値は占い程度のものに留まらざるをえないといえる。
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 さて、今回の議論とはかかわり無い、「一般論」として申し上げる

 議論においては、ともすれば故意・過失に係わらず、当初のテーマからずれたり部分的な揚げ足取りに終始する事が多い。
 
 それというのも、やはり人間には虚栄心というものがあるわけで、「負けたくない」という気持ちが働くからだろう
 
 そのためには、「負けそうな議論」から話題をそらそうとしたり(論理のすり替え)、
 次々と別な概念を持ち出して泥仕合に持ち込もうとしたり(ダブルスタンダード)する事が多い
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 受け売りで申し訳ないが、フランスの科学的犯罪捜査法を教える学校では、このようなスローガンを掲げているそうだ
 
 「目は、それが探し求めている物以外は見る事ができない。探し求めているものは、もともと心の中にあったものでしかない」
 (「近代科学を超えて」村上陽一郎 著 講談社学術文庫 より抜粋)
 
 自分が「正しい」という前提で物を考えると、自分の正しいと思われる所しか見えなくなる
 そんな人間の思考においては「自分が正しい」と言えるものを探すことに終始し、
 本人も気付かないまま、テーマからずれた発言や、一貫性の無い発言を、「正統な理由」として提示しがちなのである

 また、「自分が正しい」という曖昧模糊としたことを前提としているわけであるから
 「自分が正しくない」理由を自分でうまく説明する事ができない。
 いや、むしろそんな人は「自分が正しくない」という意見の存在すら信じられなく、
 そんな意見ははなから「理解不能」としか取れないこともあるだろう

 しかし、自分の意見が本当に(=科学で通用する程度)正しいのかを追求するためには
 「自分の意見が正しくないのでは」という前提で試行錯誤を続けなくてはならないと私は思う。
 そうすることで、今まで見えなかった「自分の意見が正しくない」ことを示すデータが見えてくるのである

 その末に、「自分の意見が正しくないのでは」という心で見ても、「自分の意見が正しくない」というデータが無くなった時、
 初めて「自分の意見が正しい」という確信が得られるのだと思う

 そういう努力を重ねればこそ、他人の「あなたの意見は正しくない」という反論に対しても
 それはすでに自分自身の心の中で反論を終えているものであるため、
 質問意味も理解できるし、論理的説明もできるはずである

 「一般論」として申し上げたが、これは我々裁判長や検察官も、知らずに行っている可能性は十分ある
 やはり、自己評価は難しいので、実際どうだったかは陪審員の判断に委ねる
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 みなさんは、陪審員として今までの裁判記録を見、そして被告の最終弁論を聞くわけであるから
 以下の事に留意して、もう一度読んでみて欲しい

    ・ その意見は「誰が、誰のために」言ったものか?
    ・ その意見は、実際にその人がそう言ったのか、それとも別な人が解釈した結果なのか?
    ・ その漠然とした意見は厳密に言えば何を指しているものか?
    ・ その答えは、質問の答えになっているのか?
    ・ その答えと以前の答えは矛盾していないか?一貫性はあるのか?
    ・ その意見は客観的か、主観的か?科学的根拠か、個人的希望か?
    ・ その意見は、「正しい」と主張しているのか、「正しいのだろうか」と聞いているのだろうか
    ・ その主張は、主張している人自身がちゃんとその根拠を説明できるのか

 これらをしっかりとらえた上で、最後になるだろう被告の論述にしっかりと耳を傾け
 今度は陪審員の方々自身で、被告や検事に反論を立てたり、同調したりしてみてほしい。
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- - - -
 では最後に私自身の総括のようなものを言わせてもらう。

 まず最初に被告に対してだが
 私は検察官に「被告の揶揄は止めた方がいいんじゃないの」と言ったのだが
 検察官は「いや、やっぱり辛辣な発言が無いと法廷っぽくないから」ということだったので許可した

 しかし、必要以上に被告をおとしめるような発言も含まれていたであろうことから
 ここにおいて、その非礼をお詫びすると共に、それでも掲載し続けていただいた度量の広さを感謝する。


 さて、今回の問題の発端は、被害者と被告の「本当」の発言であった
 「本当」と一言でいっても様々な意味があるもんだと思った人もいるであろう

 陪審員のみなさんも名前ぐらいは知っているだろう「智恵子抄」の一節

   「とうきょうにはほんとうのそらがない」

 おそらく被告が言いたかったのは、そんな心の基準である「ほんとうの差」だったではないだろうか

 これは被告に対する揶揄でもなんでもない。被告のみならず、私自身やその他の人が、
 「科学の場」で思わず口を滑らせ「本当の」と言ってしまう理由だと思う。

 その「本当」は、「科学」にはそぐわなかったり、「科学」では説明しきれなかったりする
 何故なら、まず「現代の科学」では「100%本当の事」は完全には解明できないからであり
 また我々が求めているのは、実は「100%本当の事」ではなく、あくまで「ほんとうのこと」なのだから

 宮沢賢治「銀河鉄道の夜」の幻想世界にも「ほんとうの」という言葉が多々見られる、
 その中でも最も印象的だったのが、主人公ジョバンニが、キリスト教信者的な象徴の人物に、
 「現世をよくすることこそ大切で、天上に行くことを目的とさせる神さまはうその神さまだ」
 というようなことを言った後の会話が印象的です

   相 手「あなたの神さまってどんな神さまですか」
   主人公「ぼくほんとうはよく知りません、けれどもそんなんでなしにほんとうのたった一人の神さまです」
   相 手「ほんとうの神さまはもちろんたった一人です」
   主人公「ああそんなんでなしに たったひとりのほんとうのほんとうの神さまです」
 
 ジョバンニのもどかしさが伝わってくると思いませんか?

 被告が求める「血液型と性格のほんとうの関係」と
 科学という他者が導く「血液型と性格の本当の関係」の溝を埋めるには
 それこそもっと慎重に論議すべきなのかもしれません。

 裁判長からは以上です
 では、最後に被告の論述をお願いします。

いやぁ、今回もすごいボリュームですね。どうもありがとうございます。

 さて、今回で裁判も最後ということで、ちょっと感想を。

 私は、現実の裁判は体験したことがありません。しかし、検察官の本務は形容詞や修飾語を多く使うことではないでしょう(たぶん)。そうではなく、事実に基づいて論理を構成することだと思います。読者が「検察官の論理こそ、屁理屈っぽくて信用ならん」と感じるかどうかはともかく、随分と形容詞や修飾語が多いと感じる人は多いのではないでしょうか?

 気になった部分をアットランダムに書き出してみると、

 まあ、これは表現上の問題だから私も人のことをどうこう言えた義理ではありませんが…。

 それよりも本質的な問題は、検察官が統計を(あまり?)わかっていないということです。この裁判は「本当に」とか「普通は」とかの文章表現の問題を扱うのでしょうか? それなら、私も文章は得意な方とは思っていませんので、不本意ながら判決(?)に従うのもやぶさかではありません(苦笑)。

 しかし、科学的な問題なら本来は裁判の対象にはらない(?)でしょう。確かに、公害裁判などでは、因果関係を推定することが行われています。しかし、これらは権利義務に関わるものだからで、科学的な結論が正しいかどうかは別の問題でしょう。血液型により何らかの被害を受けたなら、統計でも裁判の対象になるのでしょうが、MMさんのケースはそうではないですよね。純粋に科学的な問題について裁判を起こすのは、進化論ぐらいではないですか? もっとも、これも教育的問題らしいなので権利義務の問題なのかもしれません…。

 なお、名誉毀損罪なら親告罪のはずですから、MMさんから訴えられていない以上、私は全くの無罪です。被告になりようがありません(笑)。

 次に、検察の統計的知識の問題に移りましょう。今回のメールでも、検察側は明確な過ちを犯しているようです…。

> 先の命題に戻れば、例えば
>     「(当社が実施した世論調査によると)『日本国民の』小泉内閣の支持率は80%超である。」
>  という記事であれば、「世論調査」が「日本国民」の値を推測するためのサンプリングという位置付けになり、
>  その結果から日本国民の支持率という母集団を推測したことになりますから『信頼区間』なるものは関係してきます

>  しかし、あくまでも
>     「当社が実施した世論調査によると」
>  という範疇で申しておるのですから、そこから「当社が実施した世論調査」の範疇を超えた推測を立てない限り
>  「当社が実施した世論調査」に対する「全数調査」ということになるのです。

 世論調査で「『「当社が実施した世論調査』の範疇を超えた推測を立てない」ということはないでしょう。それなら、小泉内閣の支持率に関するmt_whさんの「『統計的に有効』な調査方法で実施されたと言うことだが」という記述は無意味ですから、名誉毀損で訴えられても不思議ではありません(笑)。
 念のため、「世論調査」について調べてみたところ、小学館の「スーパーニッポニカ2001」では、「さまざまな社会問題、大きな関心がもたれている争点、政策などをめぐって、その社会の成員がどのような見解、態度、意見などをもっているかを明らかにするために行われる統計的社会調査の一種である」と説明しています。従って、普通の世論調査は「全数調査」とは言えません。いや、「全数調査」でも統計量は計算できるから「統計的社会調査」ということならまだわかりますが…。それとも、「世論調査」はそういう意味ではなかったのか…。はて?

 もう一つ。

>その意味で、MMさんのメール(その6)で、「有意差が出たデータこそタイプ1エラーだったのかもしれない」
>  >と断言されてしまうと、統計的検定の意味がなくなってしまうので、私には理解できなかったのです。
> あれれ、また、『意味不明』と言った理由を、元の論点から外そうとしてますね....

> しかし、すごいです。被告の発言
 
>   「だったのかもしれない」と断言されてしまうと、....

> 何度読んでも、日本語を母国語とする私はクラクラしてしまいます
> 「かもしれない」を『断言』と考えるのですね...被告は

 ここは引用が正確ではありません。正確には、

> 「有意差が出たデータこそタイプ1エラーだったのかもしれない」と断言されてしまうと、統計的検定の意味がなくなってしまう

です。

 「有意差が出たデータこそタイプ1エラーだったのかもしれない」ということなら、統計的に有意差が云々は無意味です。おわかりですよね? だからあえて「断言」と書いたのです。

 読者のためにもう少しわかりやすく説明しておきましょう。「有意差」はタイプ1エラーが存在することを前提としているのです。従って、「有意差」が出れば、タイプ1エラーが存在しようが「本当に差がある」と推定することなります。それ以外に言いようがありません。
 しかし、MMさんの「有意差が出たデータこそタイプ1エラーだったのかもしれない」は少し意味が違うようです。文脈からすると、「統計的な差があった場合でも、それは必ずしも本当の差と推定するわけではない」という意味としか解釈しようがありません。それなら、はじめから統計的検定なんか無意味なはずだと思いますが…。

 ついでにもう一つ。

> いや、ひょっとすると、被告はO:A:B:ABでタイプ2エラーが発生したといえる理由付けを
> (O+B):(A+AB)で有意差らしきものを出すことで証明した気になっているのかもしれませんが

 「本当に差がある」特定の条件の下では、(O+B):(A+AB)では有意差が出るが、O:A:B:ABでタイプ2エラーが発生することを証明したわけです。従って、上記の記述は明白な誤りとは言えないとしても不適切な表現だと思われます。

 四色問題の解法が気に入らないからといって裁判にかける人はいないでしょう。あるいは、1+1=2であることを否定する検察官なら笑うしかありません。

 いずれにせよ、本件は適格性に欠けるので裁判の対象にはならず、門前払いになるのではないかと思いますが、裁判長はいかが判断されますでしょうか?

 では、長文にわたり面白い内容をありがとうございました。>深田さん

Red_Ball12.gif (916 バイト)メール(その12) H13.8.30 15:59

<裁判長>
 一応意見を求められたようなので、回答する
 
 検察官の方もいろいろ言いたい事があるようだが、多分言い始めたらまた際限なくなるだけような気がするし
 検察官の意見は求めていないようなので、私だけ答えることにする

   >いずれにせよ、本件は適格性に欠けるので裁判の対象にはならず、門前払いになるのではないかと思いますが、
   >裁判長はいかが判断されますでしょうか?

 との事であるが、その理由として

   1.検察官の本務は形容詞や修飾語を多く使うことではないでしょう
   2.この裁判は「本当に」とか「普通は」とかの文章表現の問題を扱うのでしょうか?
   3.科学的な問題なら本来は裁判の対象にはらない
   4.名誉毀損罪なら親告罪
   5.検察官が統計を統計を(あまり?)わかっていない。
     世論調査で「『「当社が実施した世論調査』の範疇を超えた推測を立てない」ということはない

 などを挙げていると受け取っていいかね?

 タイプ1・2エラー問題については、裁判の議題とは別項であり
 本当に検察官が統計を分かっていないのかどうかは別項で、別キャラクターに答えさせよう

 さて、まず大前提であるが、以前も言ったがこれは擬似裁判劇だ
 そう言っているのに、君はなぜあくまでも「現実の裁判」にこだわるのかね?

 つまりは、これは深田の思考・論理過程を「裁判っぽく」表現しただけなのだ。

 ちなみに、私は実際の裁判を見たことも、裁判記録を見たこともあるが...おっと、裁判に参加した事はないですぞ
 多い少ないは別として、結構弁護士も検事も形容詞や修飾語を使うようであるな。

 それはともかく、どうしても、あなたが「裁判」という形式にこだわって、
 実際に述べられている論理的な問題に目が行かないというのであれば

 被告...いやABOFANさんは、今までの裁判記録を
 被告を「ABOFANさん」、被害者を「MMさん」、陪審員を「読者」、裁判長を「深田A」、検察官を「深田B」
 とでも読み返ればいいのではないかな?
 そうすれば、あまりかわり映えのしないつまらんシチュエーションになるとは思うが
 適格性欠如の理由1〜4は解消されると思いますよ

 ということで、これが「現実世界の刑事や民事裁判」であったら、確かに君の言うように「裁判の対象にはならない」が
 自己の論述を「(架空の)裁判っぽく述べる」という手法は、別に門前払いの対象にはならないと思います

 理由2については、確かに君が言うように、この擬似裁判劇の本題は「文章表現」の問題であっただろう。
 事の発端もあなたがMMさんの文章表現の解釈から「理解不能」としたことだった

 しかし、まぁ、文章表現のうまい下手は確かに個人差があるとは思うが、
 用語の使い方の「正しい・誤り」の問題はまた別な話であろう

 「科学」の土俵上での用語の使い方の「正しい・誤り」について論議するのであれば、
 それはもう、「文章表現」だけの問題ではなく、当人の「科学の理解」の問題になると思うのだが、どうだね?
 
 この擬似裁判劇においても、あなたは自分の「文章表現」の正しさを説明しようとした時に
 結局自分の思う「科学的・統計的・論理的」な根拠を挙げていたのではないかね

 あなたはこの擬似裁判劇が「文章表現」という「科学」とは関係の無い問題だったと感じておられるようだが
 今回の擬似裁判劇によって、あなたの「科学的・統計的・論理的」なレベルがある程度浮き彫りにされていったと思います
 それだけでも、この擬似裁判劇をやって良かったと思うがどうであろう?

 それとも自分の「科学的・統計的・論理的」なレベルが浮き彫りにされてしまっては困るというのであれば
 こちらとしては「それはすまなかった。」と言うしかないが....


 理由5についてはひとつご助言申し上げよう

 「世論調査」という言葉だけを「スーパーニッポニカ2001」を引き合いに出して論じるのはかまわないが
 「当社が実施した」とことわりを入れるようなその「世論調査」が、
 実際に「スーパーニッポニカ2001」に載っている表現どおりの役目を果たしているか
 ちゃんと自分で考えてみなくてはいけないのではないでしょうか?

 マスコミを盲信するような人間には信じられないかもしれないが
 マスコミはウソにならない程度に人を騙すテクニックを持っていますよ

 「世論調査」という言葉を使うことで、人にあたかも「日本国民の意見の割合」を言っているように印象付ける細工はするが
 読者に「あの数値は日本国民の意見の割合を示したものか?」と聞かれると
 「いや、あれは当社がアンケートと実施した結果をそのまま示しただけでありまして、それ以上の事は言っておりません。」
 と逃げるだけのしたたかさを持っているのです。

 よく新聞なりをお読みになってください。
 「これにより、日本国民の支持率が変化していることが判明した」なんて表現はまず見られません
 書いてあったとして
 「これにより、日本国民の支持率が変化していることが判明したと考えられる」
 「これにより、日本国民の支持率が変化していることが判明したのではないでしょうか」
 という、漠然とした表現を使ってませんか?新聞だけじゃなく、ニュースもそんな感じですよね

 これまた一読者としてその新聞社に「日本国民の支持率が変化していることが統計的に判明したんですか?」と聞けば
 「いや、あれはあくまで当社の独自の判断でして、実際がどうかは、読者様の判断にてお願いします」
 と答えられるしたたかさをちゃんと残しているのです。

 それを「新聞社の意見だから正しい」としてしまっては、それは「統計」という判断基準を放棄するに等しい。

 「統計」とは縁の無い人であればそれも許されるが、仮にも「統計」を使って論議している本人が
 考え無しに「新聞社も『スーパーニッポニカ2001』の意味どうりの『世論調査』をやっている」
 などと軽々しく信じてしまったりしてはいけないのではないでしょうか?

 予断ですが、マスコミの騙しテクニックについて身近な例を挙げましょう
 例えば、洗剤は新しい商品が出るたびに汚れの落ちが「従来の洗剤」よりも何10%もアップします
 でもおかしいと思いませんか?
 1年前まで驚くほど真っ白に洗い上げていた「新製品」だった洗剤も、新製品が出れば「従来の洗剤」になるはずですが
 最新のCMを見ると、そんな「従来の洗剤」が、今度は驚くほど汚れが落とせていません。
 
 タネを明かせば「従来の洗剤」とは「つい最近まで新製品として発売していた洗剤」ではなく
 「10年以上前に発売していた洗剤」のことなのです。

 ウソは言っていません、が、必ずしも正直とは言えません。
 それで人は「去年の洗剤よりも驚くほど汚れが落ちるんだ」と騙されるのです

 実際のところ
 「世論調査で『「当社が実施した世論調査』の範疇を超えた推測を立てないということはない」
 という先入観を持つ人は
 「『「当社が実施した世論調査』の範疇を超えた推測を立てない」ような記事を見ても
 ころっとマスコミの作意にひっかかり
 あたかも「それを超えた範疇の推測を(新聞社が)立てている(=日本国民の意見だ)」
 と自分で勝手に解釈してしまうのです
 ちゃんと読解すれば、どこまでが新聞は事実として提示しているのかわかるはずですよ

 文章をうまく書く能力は科学に殉ずる者にはあまり必要は無いかもしれませんが
 文脈をきちんと読解する能力は科学に殉ずる者にとってかなり必要なことだと思われます
 そうでないと、したたかなマスコミや作為的な統計をして見せる人間にころっと騙されてしまいます

 深田はいつもABOFANさんの薦める本を読もうとはしないので
 あえてABOFANさんには読むようには強く勧めませんが
 興味があったら、そして読者の方も、ぜひともこの本を読んでみてください。
 人が提示する統計を盲信する事がいかに危険か分かります

 「統計でウソをつく法 〜数式を使わない統計学入門〜」
  ダレル・ハフ著 高木秀玄訳 ブルーバックス

 ということで、あなたのの疑問に答えてみたがどうでしたか?
 またもし疑問なり質問なりがあれば再登場してお答えします。
 まぁその時は裁判長か検事のどっちに聞くかは明記するようにしてください。
 とりあえず以上です。

どうもお手数かけました。

 随分とヤボな質問をしてしまったようで申し訳ありません。

 「統計でウソをつく法」は、その昔読んだ記憶があります。なかなか面白い本でしたね。(^^)
 まぁ、ウソとまでは言わないにしても、統計で自分の都合のいいような結果を導くことは可能です。私は、そうならないよう自戒しているつもりですが…。

 ありがとうございました。

Red_Ball12.gif (916 バイト)メール(その 13) H13.9.3 23:08

「X2問題について 〜ABOFANさんとアパレルの間に何があったのか?〜」

ABOFANさんはどうしてもアパレル問題にしたいようですが
私にとっては「何をとんちんかんな質問を」と思ってしまっていたのが正直な感想です
しかし、よーくABOFANさんの言動を見ると、なるほどABOFANさんはここでつまづいてしまったのか!
と分かったような感じがしました。
ABOFANさんがうまく理解できなかった罪は私の説明不足にも一因があったと責を感じ、
もう一度、発端となったX2検定の話をどのような意図でしたのか、文字を惜しむことなく説明する必要がある
ようです。

では説明開始!!

 私出したX2検定の「服」のたとえは、『X2検定の妥当な使用例』としてではなく

 「実データ」と「モデル(期待値)」と「X2検定の検定」を
 「服」と「それを着る人間」と「合うか合わないか」という関係に『比喩した』のでした。

 そのような例えに沿うと、「X2検定とは」
 「それを着る人間」と「服」を比較して
 服にあるそれぞれの項目(袖のすそ、長さ、首周り、胴回りなど)を見て
 どれだけ「それを着る人間」に一致しているかを調べる『ようなもの』である
 
 ただし、X2検定という方略で出てくる結果について、先の例に例えるならば
 「袖のすそが狭い」とか「首回りが広い」とかいう『各個の項目毎の結果』ではなく
 「その服はぜんぜん合わない」もしくは「その服は合わなくもない」という
 『全体的な評価』しか導き出せない

 蛇足ながら付け加えさせていただければ、
 これはあくまでX2検定の『様式』を「便宜的に」擬人化、擬物化、擬様化したもので
 
 そんな勘違いをする人間がいるとは思えなかったが
 人が服の適合度を計ろうとする場合や、ましてやアパレルメーカーで
 『実際にX2検定を使っているかどうか』というの問題は
 「X2検定のしくみ」ではなく、「X2検定の使われるケース」の問題であり、
 当方では一切感知しない

...ここまで言葉を尽くして言わなきゃならんかったのか、すまん....
つうことで、これで私がX2検定の話のときに「服の話」をした意図が分かったと思います

おそらくABOFANさんは
私が「X2検定を使うケースにおいては」ということを言っていると思っていたようですが
上記の説明で改めて考えてもらうと分かるように(わかりましたよね?)
それはもともとの言った本人(深田)の意図とはあまりにもかけ離れたものだったため
私としてもそのような理解の上での質問に対しては「知らん」としか答えられなかったことをご了承ください。

  だって、いきなり「アパレルメーカー」なんて、
  自分では一言も言ってない単語で責められたら誰でも面食らいますぜ、ダンナ

確かに「例えば」という言葉には
「ある事実を例として挙げると(For example)」という意味と
「物事を、仮にあるものと仮定して言えば(Ifやsuppose)」という意味があります

前者は「事実性が求められます」が後者は「事実性は求められません」。
(「例えばあなたが私だったらどうする?」ってことに事実性は求められません)

  ※ ついでにひとつご注意。
    仮定の「例えば」は事実性は求められないのは当然ですが、
    同時にそのような「例え」が全面的な対応を保障するとは限らない事も当然理解しなくてはなりません
    「X2の挙動」を「服」に例えた場合、それは「X2の挙動」という部分的なものと「服」の性質の一部が
    『たまたま似ていると思った』から説明補助として使っただけであり、
    「服」の性質の全てが「X2検定」の性質全てに類似すると言っているわけではない。よって、
    「服は無理して着れば破れが、X2検定も無理すれば破れるのか?破れないだろ、だからその例えはおかしい」
    とかいうような、例えた対象の「別な側面」を、同様に例えの元となった対象に当てはめようとするという論法は
    成り立たちませんよね。
    いや、そんなことは当然分かっているとは思いますが念のため....
    
私は
  「例えばある人にある服がぴったり合うかどうかを計るとすれば」
と「例えば...だとすれば」言う形で「if」であることを提示しています(少なくともそのつもりでした)
もしこの例が「Forexample」の意味だったならば、
「例えば、ある人にある服がぴったり合うかどうかを計る場合においては」とか言いますよね普通......

まぁ、その文脈で「if」と取るか、「Forexample」と取るかは読む人の読解力にお任せするしかないですが....
 
どうやら、ABOFANさんにそこまでの読解を要求するのは難しい注文のようです

 ※注 読者の皆さんへ。
    だからといって、「ABOFANさんは基本的に『読解能力』に欠ける」と早とちりしないで下さいな
    だってよく考えてください、ABOFANさんは早いペースで更新する上、沢山のメールに
    返事をつけているじゃないですか。その手間を考えれば、時たまエラーが生じるのはやむをえないでしょう

余計な議論を避けるためにも、
私はなるべく「For example」なのか「if」なのかを識別できるように注釈をいれていくしかなさそうです。

だけど、読者にしてみれば、血液型の話を聞きにきて、
アパレルメーカーのことまで知ってしまったという、お得な(?)すれ違い立ったのでしょうか....

※ しかし、服の話からすぐさま「アパレルメーカー」が出てきたり、しかもそこで使われそうな統計を
  沢山挙げれたり....もし、アパレルメーカーに勤めた事がないのなら、きっと過去にアパレル
  メーカーに対し、とてもいい思い出、もしくは悪い思い出があるに違いない....なんてね♪
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「科学と論争」

まず誤解を解いておきたいのは、前回の質問において

>>私は、ABOFANさん自身の科学性・論理性を問題にしてこれからも論議してもいいのでしょうか?
> この質問の意味が不明ですが、文章どおり解釈すると、私は「意味がない」としか言えません。
> 私個人の「科学性・論理性」という属性と、私が展開する血液型と性格についての議論が正しいかどうかは、
> 直接の関係はないでしょう。正しいかどうかは、私の具体的主張に基づいて判断すればいいことであって、
> 個人の属性を持ち出しても意味はないはずですし、(普通は)そうすべきではありません。
(中略)
> それとも別な意味があるのでしょうか?

はい、そうです。ABOFANさんが受け取ったのとは別の意味です...

というか、そんなふうに取られるとは思ってもいませんでした
もしかしてABOFANさん、以前誰かにそういうことで批判されたりしたのですか?
いたとしたら、そいつは「権威バカ」ですね。私もそういう奴は嫌いです

だけど、返事していただいた部分に私が聞きたかった答えがあったのですごく嬉しかったです。
誤解されて話が混乱するときもあれば、はからずも用件が簡単に済んでしまうこともあるのですね♪
  
まあ、これは私の言葉の足りなさが誤解の原因ですね
私も「ABOFANさんの個人属性が科学者であるか否か」とかを聞いたつもりではなく
ましてや、「科学者で無いならば科学的でない」なんて馬鹿なことを言いたくて聞いたわけではありません
(だったら私だって、「科学」の科の字もいえなくなってしまいます....)
そんな質問、私も「意味がない」としか思えません。(私自身、今までそんなこと問題にしたことないはずです)

そうではなくて、私は、ABOFANさん自身の「主張に」科学性・論理性を問題にしてこれからも論議してい
いのか?
と聞きたかったのです。

ABOFANさんにしてみたらこんな質問は「何をいまさら!?」と思ってしまうので、
あえて別の意味を考えてしまったのでしょう。

だけど、それを確認したくなった私の事情も理解してください。

例えばABOFANさん自身のχ2−検定の解釈を聞いたときに
 > 統計以上のことは言っています(笑)。自分自身の体験に基づくものとかありますからね。
 > それは科学的でないから認めない、ということならしょうがありません。
と言われてしまたったり

性格について定義して欲しいと聞いたときに
 > 『血液型人間学』でも読んでもらえれば、わざわざ説明する必要はないと思います。
といって他人の論を引用するだけで自らの言葉にすることをあくまでも拒否したり

 > 元々の心理学者の主張・論理はバラバラですから、私の反論の一部を取り出せば、
 > 確かに論理的に矛盾する部分もあります。
 > それを矛盾と言われても、元々心理学者の主張が一貫していないのですからねぇ…。
などと、自己の矛盾を変に正当化しようとしたり

しまいには
 > 極論すれば、非科学的だろうが統計が無茶苦茶だろうが関係ないのです
と言ってみたり(ただし、本人でも「極論」と言っているので、実際にしているわけではないでしょうが...)

私はABOFANさんと
「信念の主張」といった泥仕合になるのが目に見える論争ではなく
あくまでも客観的な判断基準を持つ「科学的な論争」ができると思って毎回何らかの文章を書いているのですが
上記のような事を言われてしまえば誰だって

 「ABOFANさんと科学的な話をしようとする事は無駄なんじゃないだろうか」

と不安になるのはやむをえないじゃないですかぁ!!

だけど、先にあげた「元々の心理学者の主義主張は....」というくだりを逆に読めば
「深田自身が一貫し、科学的論理的な主張をすれば、ABOFANさんも一貫した科学的論理的な反証なりを返してく
れるはず」
ということが予測されますし

そして、今回のこの回答(↓)で決定的な確信を得ることができました。

 > 正しいかどうかは、私の具体的主張に基づいて判断すればいいことであって、

はい、これが私の欲しかった回答なのです!!ありがとうございます!!!
このことはは私も当初からそのようにしていたことであり、
私の論議の対象はいつも「ABOFANさんの主張」でした。
そしてこれからもそのようにする所存です。

つうことで、論議においては、あくまでも「ABOFANさんの主張」を対象とするものであり、
「他の研究者はどうしているか」は「ABOFANさんの主張」のもとでしか問題にしませんのでご了承ください。

加えるならば、ABOFANさんにおきましても、
ABOFANさんの論議の対象は「深田の主張」に基づいて判断すればいいのであって、
本人以外の者の主張(他の血液型研究者の意見や定義)をもってして
「あなたの意見はこの意見とは矛盾している」とか「それは誰々の定義とは違う」とか
「誰々がそういうやり方をしているからしょうがない」
なんてことをいいださないようにしてくださいな。
(いや、他の人に対してそういう論法を取るのは一向にかまいませんが)
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「呪縛 〜意味と罪〜」

とりあえず、前回のABOFANさんの返事におけるちょっとした疑問から

  >せいぜい言えるのは、私自身が私の主張する「能見さんの『定説』」の呪縛から逃れられ
  >ないということだけです。
  >いや、私が全面的に正しいということを信じないなら、それさえ怪しいものです…。
  >そして、深田さんは私が全面的に正しいとは思っていないですよね??

最後の1文がちょっと私には疑問です????

ちょっと整理してみましょう

Aさんはある『定説』の呪縛から逃れられない
 とするなら>評定者はAさんの主張を正しいと思わなくてはいけない

いったい何故?というのが疑問です
「Aさんが呪縛されている様を指摘する」だけではだめなんでしょうか?

もしかして、前回の私の記事の中で私自身が
 >「諸君、君たちは現在の定説とは反対の学説を立てなさい」 と言った先生にちゃんと共
 >感....その先生も「現在の定説は間違っている、だから盲信するな」って言ってたわ
 >けじゃなかった

とか書いていることを、どこをどう解釈したのだか
  「深田の論理にでは『呪縛されるな』という対象は『正しい』ものでなくてはならない」
といっているのだと受け取ったのでしょうか??

もしそうであるならば、そう結論付けたABOFANさんに対し
それはあんまりな、だれしもがわかるような曲解だと言わざるをえません
....が、ABOFANさんがこんな初歩的な間違いをするとは思えません...。

 ※ まぁ私的には「正しかろうがもちろん間違ってようが、盲信はいかん」と思うんだけどね

つうことで疑問です
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Q.「Aさんはある『定説』に固執していると言いたい場合、
   評定者はAさんの主張を(全面的)正しいと思わなくてはいけない」
  というのは、ABOFANさんはどのような理由にのっとって提言しているのでしょうか???
------------------------------------------------------------------------------------------
ぜひ教えてくださいね

疑問を提示したところで、『私の』「呪縛」の解釈を述べさせていただきましょう

『呪縛』といっても様々な解釈があります。
辞書的な意味だと、「まじないをかけて動かなくすること」という意味のようです
たた、「まじない」が非科学的とされた現代においても様々な文脈でこの言葉が使われています。

私は(私が使う場合の基準として)
『論議の場における「呪縛」』と言う言葉をこう定義づけたいと思います。

第一に
  「『あるもの』が正しいという信念にとらわれることで、
   その『あるもの』から一定以上離れることができない状態」
つまり言葉は似ていますが「束縛」された状態です

ただし、その『あるもの』が、例えば「他者との共通理解」が持てるようなものであれば、
ちょっと「呪縛」とは言えない気がします。  ※ それは「規範」とでも言いましょうか

では「束縛」された状態を「呪縛」と言うには、このもう一要素加えてみましょう。
  「『何故』自分がそれを正しいとしているかがうまく説明できないし、
   なおかつ、その束縛に対して、『他者との共通理解』が得られないもの」

まとめれば
 「(自分でもうまく説明できないし、他者の承認が得られない)『あるもの』が正しいという信念にとらわれることで、
  その『あるもの』から自分の考えが一定間隔以上離れることができない状態」

ということになります

うまく説明できないのに、なぜか「『あるもの』は正しいという信念を持ってしまう」というところに、
『呪縛』の本来の意味の「まじない」的なものが感じられるのではないでしょうか?

そういう意味では「孔子の行いは正しい」ということを前提とした「孟子」や
「キリストのおっしゃったことは正しい」ということを前提とした「キリスト教徒」は呪縛されていることになりますし、
その呪縛は、その呪縛の元になっている本を読まなくても呪縛されている者の言動を見れば分かる事になります

しかし、人生訓や宗教においては必ずしも呪縛が悪ではありません
なぜならそれは「信じる」事に価値があるからです

しかし、それが科学の場にあらわれるとこんな問題が生じます

1.科学の場で、科学として承認を得るには『あるもの』を他者に対してきちんと論理的に説明できなければならない
2.しかし、自分ではその説明はできないため、他者の納得できない部分が出てきても、説得できない
3.しまいには、自分の説明力不足を棚に上げ
  「あんたが納得しないのは理解が足りないからだ」
  「あんたが納得しないのは、納得したくないからだ」などと言い出す
4.最後には「信じることは勝手じゃないかぁ」と科学の場から飛び出してしまうような発言をし始める  

こんなの、ただのガキのわがままっすよ。
少なくとも科学的/論理的論争とは言い難いですね。
そんなことだったら最初から「反論者」は無視して、「賛同者」だけを集めて
「そうだよね。ただしいよね」と波風立たせずぬくぬくとすごせば良い。

「あるもの」が正しいと根拠薄く信じる事は、ある意味それも「とある権威に盲従」しているようなものです
「科学者で無いならば科学的でない」なんてことがばかげたことであるのと同様
「自分が科学的だと信じている物は、自分でちゃんと説明できなくとも科学的だ」というのも馬鹿げている

願わくはABOFANさんが、このような呪縛をよしとする方で無いことを願わずにはいられません。
そういう意味で挙げた「呪縛」でした。あしからず。

つうことで、一応私の今までの論述に対するABOFANさんの疑問を解消すべくずらっと書いてみました。
これで、まず第一目的である
「深田が何を言っていたのか」は一応説明できたと思います。
それを理解した上で「ABOFANさんの意見は深田と異なるかどうか」をお聞かせいただければ幸いです

まぁ、反論は別にかまいませんが、
ただ、私が今知りたいのは「あなたの考え方はおかしい」という『反論のみ』の主張ではなく、
大切なのは『ABOFANさんが「正しい」と思っている事の具体的主張』なのです。

「呪縛」という言葉に様々な解釈があるように、一口に「科学」といっても様々なレベルがあると言えます

 > これでやっと議論がかみ合ってきたというか、お互い前提がわかってきたということですね。
 > よかったよかった。(^^)ただ、先が見えてきたけれど、まだまだ先は長そうです。(^^;;

というようなセリフが、他の人のメールの所でもちらほら見えますが
ABOFANさん自身が、どういう思考法略を「科学」とするのか明示しない事にも実は一因があるのではない
でしょうか

とはいえ、人に科学を問うておいて、自分の科学を述べないのも方手落ち
まぁ今回は今までやりのこしておいた総決算ということでこのへんでお開きとして
次回以降、科学と血液型と性格について述べれたらと思います
その時までに、ABOFANさんも己の科学について見つめなおしていただければ幸いです

...が、意外と考え始めるとTAROさんが言っていることとちょい似てたりするんですけど、

 ※ そうそう、TAROさんといえば、「ファンですな」なんて言われて恐縮至極です。
   私はTAROさんの、要点を突きながら簡潔、かつユーモア溢れる書きまわしが憧れちゃいます

今回は抽象的な話ばっかりでつまんなかったですか?次回は頑張りますではでは

いやあ、ミスでアップしないで大変失礼しました。m(._.)m

 なるほど、哲学屋さんはそんな発想をするんですねぇ。私は恥ずかしながら理系のつもりですので、χ2検定を比喩で説明する(!)なんていうような発想は全くありません。ですから、アパレルの話が出れば、比喩じゃなくて実際に使うに決まっているとしか思えませんよ。まあ、これが発想のギャップなんでしょうねぇ。

> というか、そんなふうに取られるとは思ってもいませんでした
> もしかしてABOFANさん、以前誰かにそういうことで批判されたりしたのですか?
> いたとしたら、そいつは「権威バカ」ですね。私もそういう奴は嫌いです

 ぜひ別のページを読んでみてください。(^^;;

> Q.「Aさんはある『定説』に固執していると言いたい場合、
>   評定者はAさんの主張を(全面的)正しいと思わなくてはいけない」
> というのは、ABOFANさんはどのような理由にのっとって提言しているのでしょうか???

 どうも誤解しているようですね。以下に、関係部分の全文を引用します。

>>B.「定説」の本を何冊読みましたか?心理学者の文献にいくつ当たりましたか?

>(「定説」というものが能見先生の著書、ということであるならば)
>前者は不明。血液型と性格についての知識が全く無いわけではないから、本流か亜流かは不明だが、
>何らかのそれ関連の本は読んだ事があるはずですが、それが誰の何かまでは覚えていません。
>(「文献」というものが「論文」に限らず、心理学者が書いた文章すべて、という意味合いであれば)
>後者は少なくとも血液型に関して数パターンは読みました。

 やっぱりそうですか…。「定説」と言った場合はいろいろな意味がありますが、ここでは(ほとんどは)能見さんの本という意味になります。

 つまり、血液型について、少なくとも能見さんの本と心理の学者の文献はあまり読んでいないということですね。ということは、本当(?)の「定説」は読んでいないのだから、私が本当に能見さんの「定説」の呪縛から逃れられないかどうかはわからないじゃないですか(笑)。せいぜい言えるのは、私自身が私の主張する「能見さんの『定説』」の呪縛から逃れられないということだけです。いや、私が全面的に正しいということを信じないなら、それさえ怪しいものです…。そして、深田さんは私が全面的に正しいとは思っていないですよね??

 逆に、ABOFANは、能見さんの「定説」を自分の都合のいいように使っている、という言い方も十分に可能です。本当はどうなのかは、能見さんの本を読まない限り判断できないはずですから…。

 つまり、

  1. 深田さんがきちんと能見さんの「定説」を読まない限り、私が能見さんの「定説」に固執しているかどうかは判断しようがない。
  2. 私の記述が首尾一貫(一応は「正しい」という意味です)していない限り、「定説」であるはずがない。

 1.は自明でしょうから、2.について説明します。ここは、深田さんに習って比喩で説明しましょう(笑)。例えば、「定説」が1+1=2だったとしましょう。しかし、私の定説の理解が間違っているとすれば、ある部分では1+1=2と書いてあるが、別な部分では1+1=3と書いてあるかもしれません(笑)。これでは「定説」ではありえないという意味です。

 次に「科学」の定義に移ります。

 私自身の「科学」の理解については、あえて明確には書いていません。というのは、科学的に正しいかどうかより、相手に納得させることを第一の目的としているからです。統計をまともに理解していないような否定派に対して、きちんと科学的・論理的に議論しても、相手を納得させるためなら意味はありません(実証済み…苦笑)。だから、あえてそうしている訳です。

 いや、もっと詳しく知りたいという人があれば、入門書は図書館や本屋にいくらでもありますし、サーチエンジンで科学についてのHPを探せばいいわけですよね。そこまでわざわざ解説する必要はあるとは私は思っていません。相手を納得させる部分だけでいいはずですから…。

Red_Ball12.gif (916 バイト)メール(その 14) H14.1.11 18:28

< 長い前置きその1 〜序章〜 >

 あけましておめでとうございます
 ABOFANさんの更新も私の投稿もしばらく間があきましたが、皆さんいかがお過ごしでしたか?

 さて、今回もまた統計の話です。
 (自分のページで提起した様々なテーマをすっ飛ばしててすいません。こっちのほうが書きやすいもので...)

 今回は統計論争にひとつの決着をつけたいと思います。
 ...といっても、今回はカイ2乗検定そのものにはほとんど触れません。
 カイ2乗検定、有意差、帰無仮説、タイプ1・2エラー、検定力...
 TAROさんの言を待たずしても統計にあまり親しみの無い人にはちょっとついていけない話題でしょう
 かといって、それを人にうまく説明するのは、理解することより難しい

 そして、私の持っている統計の知識と言うのは、
 その大部分がせいぜい「統計の根本となっている基本的な部分」です
 ABOFANさんのように、次から次へと様々な統計方法を繰り出す事などとうていできない。
 しかし、種がないと草は生えないように、
 どんな高度な計算方法をしようと、基本が間違っていればそれは「統計」になり得ない。  

 また、基本なるからこそ、統計には親しみの無い方でも、意外とすんなり理解できるのではと思う

 つうことで、私は、統計の基礎の基礎部分を読者の分かりやすいように述べながら
 ABOFANさんの統計に反論したいと思います。

 まず結論から申し上げましょう。
 ABOFANさんの統計において、
 計算方法や用語の説明といった部分は「間違い」は多分無いと思います
 (実際は、その辺を正確にジャッジできるほど詳しくない)。
 しかし、用語の『理解』や統計の『考え方』にはおかしいところが散見します。

 「どういうこっちゃ?」という方、まぁ、まぁ、もうちょっと読んでくださいな

 統計というと、カイ自乗検定やら分散分析やら相関係数やらと、
 その「計算方法」ばかりがクローズアップされがちですが、
 計算方法なんていうものは、足し算引き算掛け算割り算さえきちんとやれば、
 (例えそれが統計という行為であることを知らなくても)「計算結果」は間違えようがないわけで
 「統計方法をたくさん知っている」ということが「統計を正しく知っている」という事にはなり得ません。
 
 実際に統計に必要な知識というのは、それらの多くの統計手法について
 「どのような時にどのような手法を当てはめるべき(当てはめてはいけない)か」とか、
 さらには「当てはめていけないのは何故か」というのをきちんととらえる事だといえます。

 ですから、「統計学」そのものに目を向ければ、「統計の計算方法」そのものよりも、
 「その統計はどのような背景理論があるのか」「どのように使うべきか」「どのような留意事項があるか」
 に多くのページを割いていることに気付く事でしょう。

 もちろん、統計の本を読んでも、
 一番大切(かつ一番退屈な)最初の「正規分布」だの「大数の法則」だのをすっ飛ばして、
 「実際の計算方法」と「巻末の表」しか見ないような人はおそらくそれには気付かないでしょう。
 そういう人をあえて例えるのであれば、
 「英単語を知っていて、英文法を知らない人」
 と言えます。

 もしそんな人がいたとして、その人が英会話をした場合、
 偶然文法が一致して通じてしまうこともそりゃたまにありますが、
 そのほとんどは英会話として成立しないものになってしまうでしょう。
 
 しかし、文法があることを教えられて、改めて正しい英会話をするよう努力するのであればいいのであるが
 始末におえないのは、指摘されても間違いを認めない、というか間違っている事が信じられない人です

 例えば「This pen a is」と言って、
 他の人に『そりゃ間違っているよ、本当は「This is a pen」だ』と言われたのに、
 『俺はちゃんと「This」も「is」も「a」も「pen」も使ったじゃないか!間違ってるはずは無い!』
 しまいにゃ「俺の英会話が通じないのは外人の方が間違っているのだ!」
 とまで言われてしまうと、肩をすくめて天を見上げるしかない。

 ...おっと、前置きばかりが長くなってしまっているようです。
 長くなったついでに、基本的な事を述べておきましょう。
 これを理解すればこれからの話もよりスムーズに理解できるはずです。

<長い前置きその2 〜統計の基礎〜 >

 まず簡単に統計と検定についてわかりやすく説明しておきましょう。
 統計に親しみの無い人にも理解しやすいように水質検査に「例えて」説明しましょう。
 ※ 蛇足ですが、あくまで「たとえ」なので、実際に水質検査では云々という問題では無い事を御了承ください。

 さて、統計は、「記述統計」と「推測統計」の2つに分けることができます
 簡単に言えば以下のようになります。
  
  「記述統計」=データ群の性質を端的に示すための基本的な方法
  「推測統計」=サンプルという部分的なデータから母集団の形を推測する手法

 おなじみ「カイ2乗検定」等の「検定」とは、推測検定の手法を応用する事で
 
  「検  定」=サンプルがある母集団から選ばれたものかどうか調べる手法。

 ※ この辺は初歩レベルの統計の概念をさらに乱暴に説明しているものと思ってください
   もっと高度な統計では「推測統計」や「検定」で他の事ができるかもしれません。

 これを水質検査に例えるならば
 
  「記述統計」=ある池からバケツ一杯分の水を取り出し、バケツの中の水の成分量を示すようなもの
  「推測統計」=バケツの中の水の成分から、その池全体の成分量を予測するようなもの
  「検  定」=バケツの中の水が、いったいどの池から取られたものかを考えるようなもの

 となります

 ついでに水質検査の例えで「無作為抽出法(ランダムサンプリング)」を説明してみましょう。

  一口に池の成分といっても、水辺と池の中心では成分に格差があるかもしれません。
  一番確実な方法は池の水全部をさらって成分分析すればいいのですが、それでは手間も時間もかかります。
  ではどうすればいいでしょうか?
   「池の水を均質化するよう、よくかきまぜてから抽出する」
  と言う方法も考えられますが、「無作為抽出法」という考え方で言うとこうなります。

   1 もう1人の人間を池のそばに立たせ、目隠しをした状態で石を投げてもらう。
   2 その石が落ちた所からコップ1杯分だけ水を採取し、バケツにあける。
   3 1・2の作業をバケツが一杯になるまで続ける。

  こうして池の各所から採取された水が混じりあったバケツの水の成分は、
  コップでの採取回数が多ければ多いほど池全体の成分の平均値に近似することになります。
  
  なぜ近似すると言えるのかは、「大数の法則」と呼ばれる原理に基づいています。
  コインの裏表の出現頻度は、無作為に投げることで、
  回数が多ければ多いほど出現確率1/2に近づいていくのと同じです。

 そして、統計においては、このようにサンプルの抽出をランダムにおこなう事を
 「無作為抽出(ランダムサンプリング)」と呼びます。

 一方、その逆に、抽出する者がその知識経験等により最も代表的と考える標本を抽出する方法を「有意抽出」
と呼びます。
 この方法は戦前にはよくおこなわれていたようですが、その知識経験が必ずしも当たるとは言えない上、
 上手く代表的なものが抽出されたのかどうかを客観的に保証する手段が無いため、現在ではほとんど使われて
いません。

  先の水質検査の例でいうと
  「おそらく、池の中心から水を取れば池全体の水の成分の平均値に近似するはずだ」
  と採取者が『予測」し、その位置からバケツ一杯分の水を汲むようなものです。
 
 この場合、本当にそれで良かったのかは「採取者のカン」を信じる以外になく、客観性が保証されませんよね。

 推測統計とはつまるところ「大数の法則」を「無作為抽出」によって機能させ
 全体の代表値を推測する手法なわけで
 「有意抽出」は抽出者が勝手に全体を推測した上でその代表値として抽出を行っているのであるから、
  
  「有意抽出」したものに推測統計を使う必要性はありませんし、
  「有意抽出」したものを推測統計のしくみを利用した「検定」に使っても正しい結果が得られるとは限らない
  (正しいかどうか客観的に判断できない)事は理論的に明らかです。

< 長い前置きその3 〜えっ!有意抽出でカイ2乗検定!?〜 >

 さて、この時点ですでにABOFANさんの基本的な誤りがあらわになってしまいました。
 そう、「なんたらのベスト10」という抽出方法は「無作為抽出」とは言えず、
 「有意抽出」であることは明白です。

 「有意抽出」である以上、「大数の法則」の正常な機能を期待できないため、
 「大数の法則」で成り立っている「カイ2乗検定」をやったところで、
 その検定に意味を見出す事はできないのである。

 よって、ベスト10なりをカイ2乗検定した結果から
  >打撃に関してはO型とB型が有利なのです。
 と言うことはできないはずです。

 この辺は実はすでに(しかも、より詳細にしつこく性格に)渡邊先生がおっしゃっています。
 ABOFANさんは
  >いずれにせよ、何が何でもランダムサンプリングというのは、私の趣味ではありません。(^^
 とおっしゃっていますが、
 渡邊先生の言うところの
  >統計的検定をするならランダムサンプリングしなければ絶対にダメです.
  >何らかの理由でランダムサンプリングではダメというならそのデータについては統計的検定はできません.
 は、『分析にランダムサンプリング以外のものをを使うな』
 ということではなく
   『検証にランダムサンプリングではない抽出方法のデータを使う場合、
    ランダムサンプリングを必要とする検定にかけて意味を見出した気になってはいけない』
 ということなのですから、「趣味の問題」云々にされてしまっては、渡邊先生も浮かばれません。南無〜

< 長い前置きその4 〜仮説の立場〜 >

 ここでもう一つ主張したいのは(といっても、大要はこれまた渡邊先生が述べてしまっているが)
 『統計的検定においては「仮説」まずありきでデータ分析をおこなわないといけない』
 という前提を忘れてはいけないことである。
 
 正確に言えば以下のようになるだろう

  検定で、「仮説」が正しいか否かを有意差という指標で検証するのであれば、
  「仮説」は検定の前(データを見る前)に立てていなくてはならない
 
 逆に例えば  
  1 既にあるデータに様々なパターンで統計をかける。
  2 それでX1型とX2型に有意差が出た場合、
    「(有意差が出たから)X1型とX2型には差があると言える」とする
 
 というやり方では、データの形を説明したにすぎず、それが偶然の結果か否かは判断できないのです。

 「科学的検証」についてきちんと教養を受けた方であれば『仮説演繹法』を御存知のはずですが
 統計的検定も『仮説演繹法』のステップを必要とします。

 簡単に言えば、
  「検定」とは⇒仮説が正しいかどうかを調べるために取ったデータについて
         偶然の範囲を超えて、仮説どうりの結果が再現されているかを検証する作業
 となるわけですから、最初に仮説が無い事には検証しようが無いのは当然です。
 ※ もちろん実際は手法的に「帰無仮説」を立てて、「帰無仮説」が再現されない事を調べたりします。

 ちなみに、科学的検証における最初のステップの「仮説」は、研究者が無根拠に勝手に立ててもいいのですが、
 検定をするまでもなく「非現実的」とすぐに棄却されるような無駄な「仮説」を作ってもしょうがないので
 まずは現実のデータを観察し、そこからある傾向が認められることにより、
  「□□な傾向が現れる原因はXにあるのではないか?」
  「○○な条件下では、△な効果があらわれるのではないか?」
 といったふうに予測をするのが『仮説』です。
 ただし、次の検証のステップを考えれば、条件や効果・発現現象はなるべく明確にする必要があります。

 デそして、科学においてはこの『仮説』とは単に絵に描いたモチでしかありません。
 何故なら、その段階においては『仮説』は『観察したータ』を説明できただけのものであり
 同じ状況でまたデータを取った時に同じ結果が得られるか(再現性)は保証されない状態だからです。
 検証されて初めて、絵空事である「仮説」が、「正しいといえる」のか「そうでないのか」判断が下されま
す。

 ※ 逆にいうと、絵空事(仮説)を持ってして反論することは
   『主観的な論議』であれば有効であるが、『科学的な反論』とは言えない。
   
< 長い前置きその5 〜再びナンバープレート課題〜 >

 『なんで仮説が先にないといけないのか』しっくり来ない人のために比喩で説明を試みましょう。
 以前私がやってた、裁判ごっこで裁判長に言わせた「ナンバープレート問題」を思い出だしてください。
 (これの前フリだったわけですね)

 「45−12」というナンバープレートを見たという事実に対する発生確率は
 簡単に計算すれば1/10000になります。
 これはかなり低い確率ですが、  
  『だから「45−12」というナンバーを見たのは偶然ではない』
 と言う人はいませんね。
 
 ところで、「私は見るナンバープレートを前もって知ることができる」と自称する人が
 A・Bの2人いたとしましょう。
 その能力が本当か否かを検証する場合はどうしたらいいでしょうか?

 彼の言う事が本当であれば、『今日』これから見るナンバープレートを当てることができるはずです。
 そして、『今日』当てることができれば『今後も』当てられるであろうことが十分期待できますよね。

 そこで、その能力を検証したいと思いますが、その場合には、あらかじめ予言をさせる必要があります。
 
   すると Aは『今日はじめて見るナンバーは「45−12」だ』と予言をし
       Bは『今日はじめて見るナンバーの末尾一桁は「2」だ』と予言をしました

 さて、実際に検証したところ、結果見たナンバーが「45−12」だったとします。
 ということは2人とも当たったわけです。

 そこで、「しかし待てよ、偶然当たったのかもしれんぞ」という疑念が持たれます。
 そこで予言が偶然当たる確率を計算します。
 
 するとAの予言が偶然当たる確率は1/10000、Bの予言が偶然当たる確率は1/10ということになります。

 統計の世界ではお約束的に1/20以下を「偶然を越えた確率」として扱うので、結論として

   Aの予言が当たったのは偶然とは言えない⇒Aは予知能力があるという推定は妥当だ
   Bの予言が当たったのは偶然の範囲である⇒Bは予知能力があるという推定は妥当ではない

 と言う結果が導き出されるのです。

 そう、『検定』においては問題になるのは、発生する確率自体を問題にしているのではなく
 『仮説』が期待どうりに働いたか、その働きは偶然以上のものかを調べているのです

 ついでに言えば、『仮説』と『結果』が逆転しては『検証』にはならない
  『結果』が分かったあとで、
  『私は、今日はじめて見るナンバーは「45−12」だと知ってたよ』
  と言われた場合、例えその結果の発生確率が何万分の1だろうと、何億分の1だろうとであろうとも、
  その人に予知能力があることの『検証』にはなり得ないのは当然である

< 長い前置きその6 〜なのにABOFANさんは...〜 >

 さて、科学的検証の正しい手順が分かっていただけたところで、
 またABOFANさんの根本的統計の問題を挙げておきましょう。

 「打撃トップ10」で、ABOFANさんは「A:O:B:AB」では有意差が認められないことは認めた
 その上で、「打撃トップ10のデータ」を「再分析」することにより
 「B+O:A+AB」では有意差が見られるという「事実」を発見します。
 ※ ここではランダムサンプリングではないという問題はとりあえず置いておきましょう。

 科学的推論法でいけばこの『事実』から導かれることは
  「打撃というパラメータに関して、BとOに何か有利な点が『あるのかもしれない』」
  という『仮説』であり、それは未だ検証されていない絵空事です。
  よってこのことからも
 
  >打撃に関してはO型とB型が有利なのです。
 
 と結論付けることは言えないのです。

< 長い前置きその7 >

 前置きがかなり長くなりました。
  ※ というか、ここまでが只の前置きということが信じられるでしょうか...

 まぁ本来であれば問題を2つも指摘したのであるから残りは次回...と言いたいところですが
 正直、この2つはABOFANでは手垢のついた話題になってしまっているため面白みが無い。
 ですから、それはそれとして押さえておいた上で
 もうちょっと細かい部分に関する「統計の使い方」についての誤りや矛盾点について
 私なりに指摘していきましょう。

 というか、読者の皆さんも、ここまでは概念説明と論理的反論ばっかりで、あまり面白くなかったでしょ?
 そこで、皆さんにも、問題点をパズルのように解いていく楽しさを味わって欲しいと思います。
 
 ...ので、「長いっ!」という意見を無視して「本編」にはいってしまいます。
 眠い方は明日の楽しみにでもとっておくのもいいかもしれません。

 これから、統計的な命題を5個+1個出します。
 御自分で考えて、回答と合わせて理解しながら読んでいってください。
 理解するために必要な知識は、高校の確率統計レベルの知識があれば十分だと思います。

 ちなみに、この場ではABOFANさんの統計を最終的な批判の対象にしておりますが
 実は、同様の誤りが、否定論者の分析の中にも同様に見受けられるかもしれませんし、
 一方、マスコミ等においてはワザと騙しのテクニックとして使ったりする場合もあります。
 
 ですから、血液型論争をフェアに観戦するためにも、
 そして悪質なマスコミの嘘を見破るためにもがんばって読んで、ちょっとでも統計を理解してください。

  ※ ちなみに、推定の基準は特に規定が無ければ危険率5%水準というにします。
    また、厳密には計算方法がちょっと異なるものもあるかもしれませんが、
    まず雰囲気をつかむことが第一目的ということで勘弁してくださいな。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
  命題1============================================================================
   あなたが参加するとしたらどっちのゲームですか?(どっちのゲームがあなたに有利ですか?)
   ※ 裏が出る確率も表が出る確率も1/2とします

   @ コインを1回投げて裏が出たらあなたの勝ち
   A コインを5回投げて、1回でも裏が出たらあなたの勝ち
  ==================================================================================
  <解説>
  どちらか選べと言われたら答えは簡単ですね。Aの方が有利です。
  ではどのくらい有利か計算してみましょう。
  @であなたが勝つ確率はもちろん1/2です。
  ではAの場合はどうか?この場合、まず負けてしまう確率を計算するのが手っ取り早いです。

   負けるのは5回とも表が出た場合ですから、その確率は1/2の5乗、
   つまり負ける確率は1/32になります。
   この勝負の場合引き分けはありませんから、(全体の確率1)から(負ける確率1/32)を引いた
   31/32が勝つ確率になります。

  命題2=============================================================================
   コインを12回投げたら表・表・表・裏・表・裏・裏・裏・裏・裏・表・表と出た。

   @全体の頻度で見ると、裏が出る確率も裏が出る確率も1/2である。
   Aしかし、途中5回裏が連続して出ている。
   B5回連続して裏が出る確率は1/32であり、極めて低い確率だ

   結論:よって、このコインは裏が出やすいコインであると言える。

   この結論は正しいだろうか?
  ===================================================================================
  <解説>
  もちろん正しくありません。
  しかし、全体の分布を見せられずに、Aの推論から説明されたらうっかり騙されてしまうかもしれませんね。
  ちょっと視点を変えましょう。
  
   1回目〜5回目の「表・表・表・裏・表」というパターンはどのくらいの確率で出るでしょうか?
   そうです、同じく1/32です。

   でも、『このコインは「表・表・表・裏・表」と出やすい』、と言われても皆さんは容易には信じませんよね。
   同じ確率なのに「5回裏が連続して出ている」場合は説得力があるように見えるのはどうしてでしょう?

   おそらく、そのパターンに「裏と表」に関する因果関係が見出せないからでしょう。
   問題は、データを見るときに生じる、
   『コインには裏と表という要因があり、その要因の違いに何らかの影響があるかもしれない』
   という「先入観」がどこかにあるからです。
   これが、客観的な観察を妨げてしまうのです。

  ついでに12回コインを投げた時、『12回のうちのどこかで』裏が連続して5回出る確率を求めてみましょう。
   
   12回のうち連続した5回のパターンを抽出できるのは1〜5から8〜12までですので8つですね。
   これは「8回のチャンスのうちに1/32で生じる事象が1回以上確認できる確率」と変換する事ができます。
   そこで命題1を参考にして式を立てると1−(31/32)^8=0.15となります。
    ※ 実際にはもうちょっと計算が複雑になるやもしれません。ま、雰囲気雰囲気

  つまり、5回裏が連続して出る確率は『局所的な観点』では確かに出現確率は1/32ですが、
  12試行という『全体の条件下』であれば、1/32よりも多く、約3/20ぐらいになってしまうのです。
  
  このような局所的な確率と全体的な確率をすりかえてしまうという誤りは
  『先入観』つまり、『何かを強く信じてそれを統計的に立証しよう』とやっきになっている人が
  無意識的に陥りがちなミスですが、
  『騙しのテクニック』として意図的に悪用されることも多いので気をつけましょう。

  この概念は後々出てくるので
  「推論全体の確率を無視」して自分の主張に都合のいい切り口だけの確率を取り出すことを、

    『局所的な確率と全体的な確率のすりかえ』

  と呼ぶことにしましょう。

  ※ 「局所的な確率と全体的な確率のすりかえ」は今回の重要なテーマとなります。
    十分理解してから次に進んでください。

  命題3=============================================================================
   クラスには「あきら」という名前の生徒が6名います(クラスは全部で40名)
   そのなかで、山田章君と佐藤晶ちゃんと鈴木輝君は中間テスト成績のトップ3に入りました。
   ちなみに、40人の中から無作為に3人抽出し、
   6人の「あきら」のうちの3人が選ばれる確率を計算すると
   1/494=約0.2%の確率となります。
   さて、このデータだけを見た場合、どのような結果が言えるでしょうか

   @ 山田章君と佐藤晶ちゃんと鈴木輝君は頭がいい。
   A このクラスの「あきら」は(他の名前の人より)頭がいい。
   B 「あきら」という名前をつけると頭が良くなる。
  ===================================================================================
  <解説>
  簡単ですね。答えは@です。
  Aではその他の『あきら』の成績が不明ですので言えません。
  さらに言えば、0.2%のという確率は、『あきら』が上位にいるということが分かってから得られたものであり
  それは単なる事象の発生確率でしかなく、『あきら』の優位性を保障するものではありません
  (『長い前置きその4』参照)
  Bは論外。説明の必要すらありません。

  ただし、結論づける事はできませんが
  『「あきら」という名前の子供は成績が良いのかもしれない』
  という仮説を持つことはできます。(『長い前置きその6』参照) 

  命題4=============================================================================
   『「あきら」という名前の子供は成績が良いのかもしれない』
   という仮説が正しいか(一般にも適用できるか)を調べようとしました。
   そのために、他のデータにも同じ傾向が出る事を調べなくてはいけません。
   さて、「仮説が正しいか」を検証するために以下のようなデータを得ることは妥当でしょうか?

   ○そのクラスの「期末テストの順位」と「業者テストの順位」について調べ
    そこでも「あきら」がランクインしているか調べる。
  ===================================================================================
  <解説>
  おかしいのはお分かりですね。
  期末テストだろうと業者テストだろうと、
  ほぼ同じ「学力」という指標で同じクラスから再抽出するわけですから、
  山田章君と佐藤晶ちゃんと鈴木輝君がトップ集団にいる確率は高いでしょう。

  その場合「中間テスト成績のトップ3」と同じ傾向が見られることになりますが、
  それは「あきら」という名前の効果を調べたとは言えず、「当然」得られる結果が出たにすぎないわけで、
  このデータで『「あきら」という名前の子供は成績が良い』ということを検証できるはずもありませんね。

  きちんと「仮説が正しいか」を調べるにはそんな使えないデータではなく、
  例えば他の「あきら」という名前の子がいるクラス
  (学年・学校・地域等をランダムに選定し抽出する事が望ましい)
  について同様の調査をすることが必要になりますです。

  この命題でもうちょっと話を進めましょう。

  命題5=============================================================================
   なんだかんだで、ランダムサンプリングで他のクラスのデータを100件集めたところ、
   『「あきら」という名前の子供は成績が良い』
   という仮説を支持する結果(危険率5%以下)が5件見つかりました。
   この事から次の事が言えるでしょうか?

   ○仮説と同じ事象が他にも5件認められるのであるから、再現性があるといえる。
    よって、仮説は支持される。
  ===================================================================================
  <解説>
  答えは×です。
  こう考えてみましょう。
  危険率5%ということは、(実際は仮説が正しくなくとも)偶然に仮説を支持する結果が得られてしまう確率が
  5%ぐらいあるということなのです。

  それを考えれば、100件中支持する結果が5件というのは、その危険性の範囲内であり、
  「仮説が正しいからその5件のデータが得られた」とは言えないことになります。
  ですから、統計的には仮説は棄却されることになります。

  「10人の臨床実験して、9人には効かなかったけど現実に1人は治っている。」
  という薬は科学的な観点から言えば「効く薬」とは言えませんよね
  (その薬で治ったのか偶然治ったのかわからない)

  応用命題============================================================================
   さっきの続きですが、ランダムサンプリングした100件のデータによる検証では
   残念ながら『「あきら」という名前の子供は成績が良い』という仮説は棄却されてしまいました。
   しかし!データを見返すと「あきら」ではなく、
   むしろ、頭に「な」の付く名前の子供が多い気がしました。
   あらためて同じデータに対し
   『頭に「な」の付く子供』と『そうでない子供』に分類し統計をしなおすと、
   『「な」の付く名前の子供』が『他の子供』成績が高く、
   その差の検定をしたら、有意差が有りとの結果が得られました。
   この事から次の事が言えるでしょうか?

   ○ランダムサンプリングされたデータを分析して有意差が得られたのだから、
    『「な」の付く名前の子供は他の子供より成績がいい』と言ってよい。
  ===================================================================================
  <解説>
  出題パターンから言うと、これも×との予測はつくと思いますが
  この辺になってくると騙されてしまう人も多いかもしれません。
  しかし、答えはやっぱり×です。

  『長い前置きその6』の仮説の検証方法の問題でも説明はついてしまいますが、ここでは視点を変えてみましょう。 

  『局所的な確率と全体的な確率のすりかえ』を思い出してください。
  確かにデータはランダムサンプリングでも、『データを見てから』切り口を設定していますね。

  彼が主張する切り口は
  
    『「な」の付く子供』
  
  ですが、実はこの言い分の裏には、
  
    『もし「な」がそう多くなかったら、
     「あ」や「い」や「う」と言うように全てのものについて(差が見つかるまで)調べる』
  
  という、複数の切り口が隠されていることが分かります。

  つまり、隠された切り口は「あ〜わ(さらには濁音等も)」と50個ぐらいあるので、
  偶然であってもどこかの切り口で、
  1つ以上『有意差』が認められるような分類があってもおかしくないことになります。

  ※ 「50個の切り口」というのはかなり甘い評価であり、
    「どうしても差を見出したい人」であれば余裕で何千通りの「組み合わせ」を考えるでしょうね

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 ...さて、命題とその説明で統計で陥りがちなミスの説明をさせていただきました。
 あえて血液型関連の命題は出さなかったので、血液型ビリーバーの方でも抵抗無く理解できたと思います。
 理解した所で、もう一度、ABOFANさんの「本塁打数ランキングに対する検定」等を見返してみましょ
う。
 どのような過ちを犯しているのか、分かりましたか?

<命題1について>
 命題1では単なる「確率」の問題として扱ってますが、
 実は「統計」の概念の中にも『検定の多重性』という言葉でほぼ同じ事が規定されています。

 ちなみに「検定の多重性」とはこのように定義されています

  「危険率αでn回の検定を繰り返し行なうと、推論全体の危険率がαより増加し、
                     実際の危険率が1−(1−α)^nに増加してしまう」

 これは、主に分散分析等の多重比較における概念として扱われる事が多いですが、
 もちろん、どんな検定でも検定の数が増えるほど全体としての有意水準は甘くなる事が示唆されています。

 ちなみに、分散分析等の統計では、
  「はじめに特定の分類による仮説が無い場合、
   基本的な分類による統計で有意差が認められなければ、そのあとに多重比較をやってはいけない」
 という決まりがありますよね。(ア・ポステオリ(事後) 比較)
 それは、この「検定の多重性」によって偶然の有意差が出やすい事を防ぐためなのです。

  命題の「コインを5回投げて、1回でも裏が出たらあなたの勝ち」を
  「性格特性を5問計測し、1つでも5%以下の危険率の有意差が出れば血液型との関係あり」に
  読み替えてみてください。
  危険率5%ですから、1−(1−0.05)^5=0.23、
  つまり推論全体の危険率は5%から23%になってしまうのです。

  応用問題=================================================================
   5問の性格テストを実施し、血液型で分類して統計をした場合、
   
    @5問中どれか1個以上が、偶然に5%水準の有意差が求まる確率を述べよ。
    A5問中どれか1個だけが、偶然に5%水準の有意差が求まる確率を述べよ。
    B1問目が、偶然に5%水準の有意差が求まる確率を述べよ。
    C1問目だけが、偶然に5%水準の有意差が求まる確率を述べよ。

  =========================================================================
  <解説>
  @は「検定の多重性」そのままでいいですね              1−0.95^5=0.23
  Aは1個「だけ」ですから、他は有意差無しの必要があるので 0.05*0.95^4*5=0.20
  Bは1問目だけが問題となっているので、水準そのまま                 =0.05
  Cは2〜5問目は有意差が出てはいけないので          0.05*0.95^4=0.04

  さて、4問すべて解けたでしょうか?
  これは、

   @5問中どれかに有意差が見られるだろう。
   A5問中1個だけに有意差が見られるだろう。
   B1問目は有意差が出るだろう。
   C1問目だけが有意差が出るだろう。

  といったそれぞれの仮説に対し、
  「5問中1問目だけが5%水準の有意差が出た」という結果についての「実際の危険率」ということになります
  
  仮説が違うだけで、このように数値の開きが出てしまうのですから
  検定の評価には「仮説」がまずあることが不可欠ということがわかるでしょう。

<命題2について>
 ABOFANさんは、A:B:O:ABでは統計的有意差が出ないことは認めつつも、
 A+AB:B+Oという組み合わせにすると有意差が出ることから、
 「BとOが打撃に有利」と言い切っています。

 しかし、A+AB:B+Oと分けた根拠は「BとOが多いから」と言うものですので、
 応用命題の『「な」が付く子供がデータに多く見られたから』というのと同じ、
 つまり「局所的な確率と全体的な確率のすりかえ」問題が発生しているのです。

 A+AB:B+Oの切り口の他の切り口を探してみましょう。

  A+B:O+AB、A+O:B+AB
  A:B+O+AB、B:A+O+AB、O:B+O+AB、AB:B+O+AB
  これにA:B:O:ABとA+AB:B+Oを加えて組み合わせは計8個になります。

 これを先ほどの「検定の多重性」の観点から見てみましょう。

  1−(1−0.02)^8=0.15

 A+AB:B+Oに見られた危険率は局所的には確かに2%でしたが、
 血液型をそれぞれ色々な組み合わせ(計8回)を試すという『推論全体』では、
 このように2%水準の有意差が、偶然どれかに認められる確率は15%もある、ということになります。

 言い換えれば、
 血液型に全く関係のない属性のデータ(例えば対象者の電話番号の下ヒト桁)を対象者の血液型毎に分類し、
 8種類のそれぞれの組み合わせで検証することで、
 どれかに「危険率2%の有意差」が出る確率が15%もあるということになのです。

 ちなみに、危険率5%で考えると、組み合わせのどれかに有意差が認められる確率は34%、
 なんと、3回に一回はいずれかの組み合わせに危険率5%の有意差が認められてしまうわけです

<命題3について>
 ランキングでものを言おうとする問題を指摘しています。

 もちろんABOFANさんのおっしゃるとおり、ランキングを使用する統計もあります。
 ただし、それは順位自体をパラメータとして扱うものであり、
 「ランキング10位以内」という「抽出の指標」として使う統計はおそらくないはずです。

 そもそもランキングを使用する統計は、それ専用の統計としてちゃんと別に用意されていするのですから、
 「ランキング10位以内」とかいう区分けでカイ2乗検定をおこなう理由になるとはいえません。

 さて、ランキングというのは、ある個人属性を元に、個人に対しておこなわれるものです。
 一方、検定においては、ある属性に基づいてあるサンプルを抽出した場合、そのある属性以外は問題になりません。

  例えば「あきら」の平均的な成績を調べようと、全国の「あきら」からランダムサンプリングした場合、
  それで「山田章」の変わりに「佐藤晶」を抽出しようが「勅使河原明良」を抽出しようが
  関係無く同列に扱うことになります。

 しかし、『ランキング』の場合はそうもいきません。
  
  ランキング1位は100点満点を取った「山田章」だが、同じ「あきら」だし50点の「石田アキラ」に変えよう
  ということができるというと、もちろんできない。
  何故ならランキング1位というのは100点という属性を持つ「山田章」個人に与えられたものであり、
  「あきら」という2次的な属性に与えられたわけではないからです。

 本塁打トップ10にしてもそうです。
 1位の王貞治(O)を、別の選手(O)に変えることはできません。
  
 変えることができないのならば、それが
  ・ O型という属性に由来するものなのか、
  ・ 王貞治の別な属性に由来するものなのか
 弁別できないことになります。

 ひとつ面白い思考実験をしてみましょう
  ----------------------------------------------------------------------------------------------
  打撃能力と血液型に関係があるとして「打撃能力=血液型能力+個人差」というモデルを作ります
  (仮定の話です)
 
  まず、簡単に
   ・ 「ランキング内のO型」と「ランキング外のO型」
  では何が違うか考えてみましょう。

  この場合、お互い『血液型能力』は同じなので、
  『ランキング内に入れるか否か』というのは「個人差」に依存することになります。

  では「ランキング内のO型」と「ランキング外のA型」とは何が違うのでしょう?

  これを「血液型能力の差」と決め付けるのは早計すぎます。
  同じ血液型における「ランキング外」と「ランキング内」の違いは「個人差」なのですから、
  「ランキング内」と「ランキング外」の差があるOとAだって「個人差」と言えるんじゃないでしょうか?

  むろん「血液型能力の差」が無いとは言えないが、この状況下では「ある」と主張できるわけでもありません。
  正しい答えは、「血液型能力があるのかどうだかわからない」です。
  つまり、結局は「ランキング上位○位」という分類は、少なくとも個人差を含むパラメータを指標にした分析では
  ほとんど用を成さない分類のやりかただということになります。
  ----------------------------------------------------------------------------------------------
 
 ランキングの問題は他にもあります
 ランキングはその人の成績そのものに与えられるものではなく、成績の相対化により与えられるということです。

 凡人程度の能力であっても、他の人が凡人以下であればランキングに入るし、
 成績が良くても1本の差でランキング外されるケースだってある。

 だからランキングに入ったから客観的にも優秀というわけでも、
 ランキングに入らなかったから客観的にも優秀でないというわけでもないのです。
 
 よく考えれば分かる事ですが、『ランキング』というパラメータは
 『ランキング』に参加するもの全て、つまり『母集団が全て分かっている状態』で無いと決定できないものであり、
 母集団が変われば例え同じ成績を取っても同じランキングに入るとは限らないわけです。
 つまり、標準化ができないわけですね。

 さらにトップ10等という「区切り」についても述べましょう
 
   「なぜ上位10名なのか、基準は何か?」

 と聞かれた場合、答えられるでしょうか?
 10位迄を80位ぐらいまでにした場合、何か本質的にそのサンプリング方法の性質が変わるのか?
 変わるとすれば何故か?
 「キリがいいから」等という理由であるなら、別に100位迄でも1000位迄でもかまわないのか?

 例えばランダムサンプリングにおいて、収得すべきデータ数というのは大体の基準があります。
 サンプルは多ければ多いほどいいが、ある一定の数以上になると推定精度にそう大きな違いが無くなる
 ということが数学的に分かっているのです。
 また、少ないなら少ないなりにどれぐらいの誤差の発生が予測できるか、これまた数学的に分かっています

 では、何故ランキング10位までという分類なのか?
 (「それが自分に都合のいい結果が得られるから」という闇の声が聞こえそうですが...)
 ランキングの特性を踏まえた上で、その意味を明確に答えられないならば
 (少なくとも科学的な主張においては)最初から使用すべきではありません。

 それに、一見1位〜10位という切り口には「最上位」という意味があり、説得力があるように見えます
 しかし、次のように考えるとどうでしょう?

 先に、8つの血液型の組み合わせによる多重比較を使えば、
 統計で危険率2%の有意差が認められる確率は15%となる事は述べましたが、
 「局所的な確率と全体的な確率のすりかえ」を合わせ考えれば、こんなまやかしだってできます。

  仮に歴代野球選手が全部で1000人(もっと多いか?)いたとすれば
  ランキングも1位〜1000位まであることになる。
  では、ランキング1位〜10位から始まって、次を2〜11位...
  と1位刻みでずらしていって統計をやっていってみよう。

  区間は1位〜10位から991〜1000位までの991個あるわけだから、
  991の15%ということで約150区間で危険率2%の有意差が偶然認められることになる。

  さて、その一つが453位から462位の区間であり、A:O+B+ABの組み合わせで差が認められたとき、
  ABOFANさんはこう言わなくてはならない。
   
   「統計で有意差が出たのだから、453位から462位に入る能力はA型有利であるといえます」

 こんな事を言っても、血液型と順位に関連性が無いのは明白である。
 そして、別なサンプリングで再現性が認められるとはとても思えない。  
 1位〜10位という分類に惑わされてしまうが、やっていることの実際は結局こんなものなのです。

 ランキングとは、その母集団を構成する一人一人の能力に相対化されるわけであるから、
 過去50年間とこれからの50年間は母集団を構成する一人一人の能力も当然変わるわけで、
 ランキングの再現性を求める方が無理というものなのである。

 ちょっと具体的な話をしましょう

  「王貞治はなぜホームラン王なのか?」という問いに、
  「O型だったから」と答えるのは間違いであることはABOFANさんも御承知の事だと思われます。
  だからといって「O型だったことも一因だ」という答えも十分失礼です。

  例えば868本のうちの2割が万が一血液型の力で打てたものだとしても、
  王貞治はO型でなくともやっぱりホームラン王になっていたし、

  4割が血液型の影響で打てたものだとしても、
  王貞治はO型でなくとも10位までにはランクインしていたことになります。

  ...そうなると、結局の所、王貞治は血液型が何型だろうがランクインしていたことになります。
  つまりは、王貞治がトップ集団にいるという事実は「王貞治特有の力」によるもので、
  「血液型」などという一般化した誰でも持っている属性で説明できるものではないと思うがどうでしょう?

  ※ モチロン、血液型の影響が5割以上あるというのであればその限りではありません。
    でも、そんなに血液型による能力差が大きいのであればもっと明白な形で差が出てくるんじゃないのかな?

<命題4について>
 ここでは「再現性」を問題にしてみました。
 ABOFANさんは「本塁打ベスト10」の他に
 『通算安打ベスト10』、『通算打点記録』、『ホームラン王獲得回数』の傾向も調べ
 「再現性」を主張しています。
 しかし、命題4を理解した人であれば、その「再現性」の認識の間違いがわかると思います。 
 深い説明は必要ないと思うので、ポイントだけあげておきましょう

  ・ 母集団はどれも過去50年間の野球選手で同じ。
  ・ 「本塁打」、「ホームラン王」はどちらもホームランを多く打てる人が当然ランクインする
  ・ ホームランは安打で打点も入るので、多く打った人は「通算安打」「通算打点」においても有利。
  ・ 実際にランキング者の重複が多い。

 これらの事を考えると、「他のランキング」においても同じ傾向が見られるのは、
 血液型の効果が現れたと考えるよりも、単純に「同じ人が多いから当然同じ傾向になる」と考えるのが妥当で、
 「血液型効果」の「再現性」により差が見られたとは言えないことになります。

  ※ 補足:実際にデータを見比べてみてください。
      「本塁打ベスト10」にエントリーされた選手が、他のランキングにも出ている状況を見ると
      (ホームラン王獲得回数については有意差が出ると主張される3回以上を対象とした)
      1項目も重複しないのは田淵(A)1人、1項目に重複があるのは4人、2項目に重複があるのは1人、
      そして王(O)、野村(B)、門田(B)、落合(O)においては全てのランキングに登場している。
      また、「本塁打ベスト10」との重複をランキング別に見ると、
      「安打記録」は10人中7人重複、「通算打点」では8人中7人重複、
      ホームラン王は若干少ないが、それでも12人中5人重複している。
      そのため、少なくとも、「安打記録」と「通算打点」については、別に血液型分類でなくとも、
      エントリー選手の別な属性、例えば星座でも動物占いでも、似たような傾向が認められるのは明白だ。
      ...だって、同じ人ばっかりなんだもん。

<命題5について>
 これはおまけです。
 よく「Aのデータでは差が出てないが、Bのデータでははっきり差が出ている」なんて状況がありますよね。
 
 しかし、統計的な見方をした場合、「Bのデータでははっきり差が出ている」事実を見つけただけでは
 意味は無いことになります。

 「求める結果」というのを「探せば」出てくるのは偶然満ち溢れる世界ではある意味当然なのです。
 例えば職業だって100できかないオーダーであるし、人の性格を測る(とされている)指標だって何種類も有る。
 人を分類する方法や数値化する方法なんて、『幾多もある』ことを我々は理解していなくてはならない。
 そんな中から偶然5%の有意差が出てしまっている結果を『探す』事は比較的簡単なのです。

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 ABOFANさんは血液型の統計について次のように主張しています

  >私の分析によると、統計的な差が出るには次の条件が必要です。
  >1.回答者が均質でないといけない
  >2.回答者総数が数百人以上でないといけない
  >3.能見さんの本の血液型別の特徴を質問項目にすること(一般の性格テストではダメ)
  >4.能見さんの本の血液型別特徴と回答結果は必ずしも一致しない(とにかく差が出ればよい)

 まぁ、1にちょっとひっかかりを感じますが、3からがかなりすごいので見逃しましょう。

 何故一般の性格テストではダメで能見さんの本の血液型別の特徴を質問項目にするといいのか?
 それは、「一般の性格テスト」では自分の欲しい結果が出なくて、
     「能見さんの」であれば自分の欲しい結果が出せそうだからに他ならない。

 「一般の性格テスト」とは、別に「血液型性格判断の否定」や「肯定」を狙って作成したものではない。
 つまり、かなりフェアな状態の判断基準となるわけだ。
 また、追試によってある程度の再現性、言い換えれば妥当性を得ている。

 一方、「能見さんの」はどうであろう?
  そもそも「血液型性格判断」を説明するために作ったものであり、
  システムの中に既に「血液型によって分けてしまう」という前提が出来上がってしまっている。
  また、一般の性格テストほどは追試もされておらず、再現性や妥当性は不明である。

 科学的に客観性の有るテストをしたい場合は、普通どっちがいいと思うだろうか?
 ....どう考えても「一般の性格テスト」である。

 4は今までの文章を読んだ方なら問題はすぐ分かるだろう。
  「とにかく差がでればいい」という観点で様々な統計をやるということは
  「検定の多重性」により偶然の差が出やすいということをすっかり見落としている。

  余談>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>
   人が統計で「差を出したがる」傾向は、何も特殊な事ではない。
   大学生が学士卒論を書く時にもありがちな現象である。
   現に、私の先輩には「差というものは出すものだ」と豪語している人がいた。
   しかし、統計を操作する事により、無理やり「自分の望む差」を出して
   辻褄を合わせるのにどういう意味があるだろうか?
   たしかに、「仮説は支持されなかった」という結果の卒論を書くのはかっこ悪く見えるかもしれない
   せっかく一生に一度ぐらいしか書かない卒論なのだから、見栄えを良くしたい気持ちは分かる

   だけど、支持されない仮説を立ててしまっていたことと
   誤った結論を得意げに言うのとではどっちが本当にかっこ悪いのか、それはいわずもがなである。

   「仮説が棄却された」というのも科学においては立派なひとつの『結論』である。
   これがあるからこそ、より真相に近い仮説を立て直す事ができると思うのである。
  
   そうでなければ今でも太陽は地球のまわりを周りつづけていたかもしれませんよね。
  <<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<
 
 性格テストの話をついでにしましょう。
 ABOFANさんは

  >実は、YG性格検査に限らず、心理学の性格テストには別の欠点もあります。
  >質問紙法のほとんどは1つの尺度を計算するのに複数の質問を使っているからです。

 と、すごい発言をしてしまっています。
 心理テストには欠点が無いとは言いませんが、その欠点を補うための仕組みの一つが
 「1つの尺度を計算するのに複数の質問を使う」ことなのですから...。

  例えば、工業製品のパイプがどれぐらいの太さで作られているか精度を測る時どうしますか?
   ・製品を1個だけ抜き出してその太さを測ったものを代表値とする
   ・製品を10個ぐらい抜き出して出した平均を代表値にする
  どちらが実際に製造され続けている製品の状態を性格に推定できるでしょう?
  測定の基本中の基本ですね。
  
 パイプみたいなきっちりしたものならまだいいが、人間の性格なんてものはただでさえ正確に測るのが難しい。
 抜き出し数が少ないと誤差の効果のほうが大きくなる危険性が高くなりますよね。

  >同じ尺度の質問でも、血液型によって反対の回答をしている可能性があります。

 なんていう場合、普通の質問紙法の分析であれば
  
  「バラツキが多いということは、どちらに決めるか微妙だということだ。
   つまりそれは、彼の性格尺度がバラツキの中間部分にあるからではなかろうか」

 という推測ができることになります。
 「バラツくから信頼性が無い」というわけでは決してない。
 むしろ、「ばらつきが発生しがちな要素でも信頼性が高い結果を得るテクニック」といえましょう。

  >というのは、性格テストでは10%以上の差が出ている尺度がほとんどないからです。
  >普通は、うまく質問を選んでやれば10〜20%の差なんて簡単に出ますからね。

 果たして、
 「血液型による差を出したい」という個人的な欲求のために作成された意図的な質問紙を使うのと、
 性格という指標をなるべく正確に出そうと検証を重ねてきた比較的フェアな質問紙をつかうのと
 どっちが「普通」の行為と言えるのでしょうか?

 言葉の影響というのがバカにできないからこそ、手を変え品を変え複数項目で検査をし、
 「言葉」の影響をなるべく排除しようというのが心理学で使用する質問紙法なのですが、

 ABOFANさんの主張する方法はまさにその逆で、
 性格というよりも「言葉による印象」を測ってしまうことになりやせんかねぇ?
 「言葉による印象」が顕著にでるような質問紙で期待されるような効果は、
 それこそABOFANさん自身が否定しているステレオタイプ効果やFBI効果そのものなのですが...。

  >能見さんの言っているとおり、
  >性格テストは血液型による性格の差を分析するのには向いていないのです。なるほど…。

 私もそう思います....でもそれは、従来の性格テストの出来が悪いせいでは無いと思いま〜す

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 そういうわけで、長々とABOFANにおいて統計と称されるものの問題点をあげていってみた。
 
 むろん、そもそも私は統計のプロではありません、
 ただ「(初歩的な)統計の理論書」を読むのが好きなだけの人です。
 ...等というと、すごい堅い趣味の人のように思われるかもしれないが
 「統計でなぜ推測ができるのか」という論理的ステップは 
 推理小説を読むような楽しみを与えてくれるのです。

 ...まぁ、そんな私であるから、
 「私の言っていることが絶対的に全面的に正しい」なんて言えるわけが無い
 とはいえ、初歩的な確率のレベル、初歩的な推論方法のレベルにおいて
 ABOFANさんの統計には、いかんともしがたい破綻が生じている事は明白だと思われます

 しかし、この罪はおそらくABOFANさんにあるのではない。
 ....あ、ちなみにあれほど読まんと言っていましたが、「新・血液型〜」読みましたよ。
 いない人の悪口を言うのはなんだが、能見氏の著書を見ると
 彼の著書での論述には、必要とされる科学的態度、統計的態度に欠けている事が理解できました。

 むろん、あの本は単なる読み物であるから、一般向けに分かりやすい事さえ書いておけばそれで十分である。
 だから能見氏が本質的に科学を理解していないのか、
 それともある意図をもってわざとそのように書いたのかはわからないし、
 ある意味、あのような本で評価するのも妥当ではないだろう。

 それはそれで、渡邊先生の言うように『商売人』としての行為であるのだから問題ないが
 それを読んで、「能見氏にならって」血液型分析をする人が、
 それがスタンダードな検定方法、思考方法だと思い込むことは問題だ。

 一方心理学者達は、能見氏の思いつきをなんとか科学的に判断できる形に変換し今まで検討してきたのです。
 もしもABOFANさんが大学等で、自分の研究課題として何らかの実験をやっているのであれば
 (夏休みの自由研究レベルはだめよ)
   「実験は実験計画が命」
 というのを御存知の事でしょう。

 心理学者の研究にはこの実験計画がキラリと光っているものが多い(光ってないのもモチロンありますが)。
 一方、ビリーバーはその実験計画には目もくれず、
 パラメータの意図する所やデータを取るテクニックも生半可な理解のまま
 やれ、「ここには差がある」だの「なんで能見氏の質問紙を使わないんだ」だのといった
 絵空事の「仮説」を振り回して騒いでいるような印象は拭えない。

 反論(?)された先生にしてみれば、絵空事には反論の必要は無いし、
 自分の論文も満足に読解できないような人に論文の読み方からレクチャーする義理も無い
 おのずと、よほど奇特な人が無い限り「黙る(無視しておく)」選択肢を選ぶのはやむをえないだろう

 実験計画の大切さも満足に理解できない人がいざ自分で実験することになったら
  「とりあえずデータを集めてからいろいろやってみて、差が出たらいいや」
 なんてしょぼい実験計画を立てたりすることでしょうけど、そんなの、科学的検証じゃないよですよね。

 むろん、こんなこというとABOFANさんは
  「いや、自分はデータをいじるのが好きだから実験計画には興味ない」
 って言うかもしれないけど、そりゃ、本末転倒。
 データの意味も分からずにデータをいじって、そこから何の意味が引き出せるというのか?
 
  猿にタイプライターを渡して出鱈目にたたかせて、
  シェイクスピアの戯曲が打ち出されるのを期待するようなもんだ

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 さてさて、長らくお付き合いいただきました。

 このHP、特にmt_whさんのページにおけるカイ2乗検定の論調を見る限り
 どうも私には、ABOFANさんは自分の『仮説』を『検証が統計的に済んだもの・実証されたもの』
 と扱っているようにしか思えません
 しかし、実際はデータ分析の「やり直し」で得られるのはそんなものではなく
 単なる『未検証段階』の「仮説」でしか無いことを早く理解してください。

  「それでうまく説明がつく」というのはあくまで「その場しのぎの後付けの理屈」であって
  「それでうまく説明がつく」から「血液型と性格に関係がある」ことが立証できるわけでないのです。

 あ、言っておきますが、ここで問題にしていることはABOFANさんのやった統計方法自体であり、
 ABOFANさんの統計に問題があるから「血液型と性格の関係」も否定される、
 というわけではありませんのでご安心を。

 ABOFANさんが立てた仮説(現段階では絵空事)が、今後ABOFANさん、もしくは他の誰かにより
 本当の科学的な検証法できちんと再現性が確認されれば、
 科学的に「血液型と性格の関係」も認められることでしょう。
 そういった意味で「現在あるデータを説明できる」仮説を立てているABOFANさんの行為は有意義なのです。
 
  ※ そのためには、ABOFANさんの『仮説』も、
     ・どんなときに
     ・どんな性格項目が(どんな取り方をした性格項目が)
     ・どのような血液型に関し、どのような差が認められるのか
     ・そして、そのような差があった場合、なぜ「血液型」そのものに由来すると言えるのか
    といった、科学的に検証ができる程度に厳密性を持った作り直しをする必要があります。
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さて、ようやく最後になりましたが、私自身の気持ちを書きましょう

 まず、ABOFANさん、
 瑣末な語彙の解釈をつついて論議をかき混ぜ、核心の問題点に触れないようにして結論をうやむやにすることや、
 「そこではそうかもしれないが、ここではこうしている」
 といった微視的な正統化を測るのも、....別にやめろとは言いませんが、
 ※ あと、「お前だって間違っていたじゃないか」というご意見も享受します。
 大切な所は理解し、これからに反映していただければ幸いです。

 むろん、今までどおりの統計をやるのも個人の自由かもしれませんが
 これらの問題になんら解決策を提示しないまま、あえて同じ事を繰り返すのならば
 それはもう「わざと騙そうとしている」、と思われてもしょうがない行為であろうことは肝に命じましょう。
 
 ところで読者の皆さんは、「なんで一銭にもらなんのにこんな長い文章を飽きずに書くの?」
 とお思いの向きもありません。
 それは 
 
  明らかに統計的手順を外れている(ように私には見える)ABOFANさんの統計や統計結果の解釈を見て
  統計的にまっとうな批判をする(ように私には見える)人達に対して、
  「そっちのほうこそ統計をわかってないんじゃないの」扱いして
  「そんな統計を分かっていない人とは議論してもしょうがないですね」
  と勝手な自己完結をし、なんらまっとうな反論をしない(できない?)ABOFANさんの態度に
  怒りを覚えるからというのが正直なところです。

 でも、それは動機の全てではありません。

  なぜなら、相手は見ず知らずの人であるのだから、むきになって説得を試みてもメリットは皆無に等しい
  だったらば、「だまってしまう」のが一番楽だし、このHPから私が離れて「負け犬扱い」されても
  このHPにさえ来なければその声を私が聞くことは無いから気にならないはずです。

 じゃぁ残りの動機は何か?

  それは、やはりABOFANさんの努力と能力に尊敬の念と存在価値を見出しているからに他ならない
  はっきりいって、このHPの血液型研究に関する情報量は、巷の書店で売っているような血液型の本とは
  比較にならない。論文や本の概要を打ち込む情熱には頭が下がる思いである。
  もちろん、ABOFANさんよりももっと詳しく詳細に書ける専門家もいるかもしれない。
  しかし、そんな専門家は、ギャラが発生しないとそれをやってくれないのである。
 
  能見氏の著作は確かに多くの人間に影響を与えた。
  その中のひとりがABOFANさんなのだろう。
  しかし、私が見るにその情熱は今や能見氏を上回っている。

  そして、これからはこのHPこそが、血液型に関心のある人間を生み出す
  新たな「血液型入門」になるのではないかと思っている。

  だからこそ、である。
  能見氏を尊敬しているであろうABOFANさんにこのような事を言うのは心苦しいが
  今や能見氏にはパイオニア(正確にはそうではないが)の価値しかない
  科学を視野に入れたら、能見氏の論法のままでは通用しないのです。
  だから、もしもABOFANさんが血液型を科学的に扱おうという試みをするのであれば、
  おそらく能見氏の著作こそが最大の障壁になるであろうことを私は思わずにはいられません。

  せっかくのABOFANさんの探究心と発想力とデータ分析力と統計の知識が、
  ただ能見氏の論法に従属する形でのみ存在するのであれば、
  それは才能の無駄使いになってしまうと思うのです。

 そして、TAROさんの言を待たずしても、「血液型について考えるのは楽しい」のです。
 私は、ABOFANさんと、そんな「楽しい」論議をしたいがため
 早く、能見氏の呪縛から逃れたABOFANさんのオリジナルな論理展開が見たいと思う一人なのです。

 まぁ、ABOFANさんをほめた状態で終わるのも偽善くさいので、
 私が最も不思議に思う事をこう述べましょう。
 
  ABOFANさんは、統計の知識量が半端ではない。
  しかし、通常のセオリーからいけば、基本の積み重ねがあるからこそ、豊富な知識を得るのですが
  その基本の統計の使い方がおかしい部分が多々あるのが不思議なのです
  種をまいていないのに、次の日には木が生い茂っているような違和感といったらいいのでしょうか?

  これに対して私は仮説を2つ持っています
  ひとつは

   ABOFANさんの「科学」や「統計」の基本は、授業等の体系的な教育に基づいて作られたものではなく
   能見氏の言うところの「科学」や「統計」から出発してしまっている。
   だからこそ、能見氏の言うところの「科学」や「統計」を疑わず、その根拠まで考えることができなくなっている。
 
  そしてもうひとつは

   ABOFANさんは実はバリバリの論理的で理性的な科学者である。
   さらに、実は血液型と性格が関係あるとは思っておらず、血液型ビリーバーを苦々しく感じている

   ゆえに、わざと彼ら特有の論法を誇張して使用することで
   血液型否定論者達に、肯定論者達の反論のパターンを学習させるとともに、
   反面教師としての姿をさらす事で、否定論者のビリーバーへの宗旨換えを未然に防いでいる。
  
 後者だとすれば、私ABOFANさんの熱狂的ファンになっちゃいますね。

 ではでは

いやあ、お久しぶりです。しかし、すごい長さですね。(@_@) お疲れさまです。

 ぼちぼち読み始めたのですが、少し読んで吹き出してしまいました(失礼!)。

 あわてて書き間違ったのかどうか知りませんが、以下の部分は明らかに間違い(あるいは説明不足)です。

> 「有意抽出」は抽出者が勝手に全体を推測した上でその代表値として抽出を行っているのであるから、
>   
>   「有意抽出」したものに推測統計を使う必要性はありませんし、
>   「有意抽出」したものを推測統計のしくみを利用した「検定」に使っても正しい結果が得られるとは限らない
>   (正しいかどうか客観的に判断できない)事は理論的に明らかです。

 ぜひ訂正してください! 内容の話はその次にしませんか?

 意図的にこう書いたということなら、私が指摘するまでもなく自分で訂正しておいてくださいね。(^^)

#というか、本当にこの程度の理解力しかないなら、私はこれ以上説明する気力はありません。(*_*)

 ということで、これ以降の統計部分の回答は省略します。

 * * * * *

 最後の部分は答える義務があると思ったので、簡単ですが私の意見を書いておきます。

> 統計的にまっとうな批判をする(ように私には見える)人達に対して、
>  「そっちのほうこそ統計をわかってないんじゃないの」扱いして
>  「そんな統計を分かっていない人とは議論してもしょうがないですね」
> と勝手な自己完結をし、なんらまっとうな反論をしない(できない?)ABOFANさんの態度に
> 怒りを覚えるからというのが正直なところです。

#まさに、今回の私の回答の冒頭がそうなのでしょうか(まさか!)。

 そんなことは読者自身がそれぞれ判断すればいいのではありませんか?

 私は原則として原文をそのまま掲載することにしています。
 「怒りを覚える」というようなメールが来たなら、なるべくそのまま掲載するのが私の方針です。

#どこかのHPのように、都合が悪いメッセージは無視するか即刻削除する(?)なんてことはなるべく避けるようにしています。

 また、本当に「怒りを覚える」なら、私宛にメールを送ったりなんてせずに、自分のHPを開設した方が効果的なのではありませんか?
 それとも、別な意図があるのですか?

#少なくとも、そういう自由はあるはずですし、現に私はそうしているわけです(笑)。

 やはりわかりません。(?_?)

> せっかくのABOFANさんの探究心と発想力とデータ分析力と統計の知識が、
> ただ能見氏の論法に従属する形でのみ存在するのであれば、
> それは才能の無駄使いになってしまうと思うのです。

 それこそ大きなお世話というものです(笑)。
 何をしようが、(違法でない限り)個人の自由ではないのですか?

 私のやり方が、ほかの人にどう思われているかどうかはわかりません。
 私の意見に賛成の人も反対の人もいることでしょう。
 実に結構なことだと思います。

#私が自由に意見を発表すること自体が悪いのですか? そうではないでしょう?

 「能見氏の論法に従属する」かどうかは、読者自身がそれぞれ判断すればいいことではありませんか?
 私は自分の好きなようにやっているだけであって、結果として深田さんに「能見氏の論法に従属する」と見えようが別に構いません。

 私自身は「能見氏の論法に従属する」とは決して思っていませんが、他の人がどう判断するのかはもちろん自由ですから(笑)。

 * * * * *

 深田さんは、どんなに長文だろうが、自分に反対する意見だろうが、HPを開設しているならメールを全文掲載する義務があり、質問には全部答える義務があるとは思っていないでしょう?

 今回のメールを読んで、残念ながら深田さんはあまり統計が得意とは思えませんでした。少なくとも、現実の調査方法についてよく知ってはいないようです。あるいは、意図的にそういう文章にしたのかもしれません。私にはどれなのか判断できませんが…。

#いずれにせよ、まともに答えてもしょうがありません。(^^;;

 このHPは個人のHPであり、違法でない限り何をしても自由なはずです。

 ということで、今回はあえてこういう回答にさせてもらいました。

 よろしくお願いします。

 いやぁ、そのとおり! 引っかけだよ。やっぱりわかっちゃったね。というようなメールを次回に期待しています(笑)。

 ではまた。(^^)

Red_Ball12.gif (916 バイト)メール(その 15) H14.1.12 2:09

さてさて、諸事情により速攻レスです。

 > あわてて書き間違ったのかどうか知りませんが、以下の部分は明らかに間違い(あるいは説明不足)で
す。

おっと失礼。これは確かに説明不足、というよりも明らかな間違いが含まれると言っていいでしょう
これが、ABOFANさんが指摘しようとしていた事かは分かりませんが(だって教えてくれないんだもん)
とりあえず自分で気付いた間違いを言います

有意抽出の留意事項として
 「調査対象の選出に当たって、一定のルールで選択しているならば無作為抽出と考えられる」
というのがありましたね。
であれば、こう訂正する必要があります。ついでに足りない語句も補っておきましょう(<>内は訂正部)

  「有意抽出」したもの <で無作為抽出として扱えないものであれば、それ> に
   <大数の法則を利用し、母集団を推測する> 推測統計を使う必要性はありませんし、
  「有意抽出」したもの <で無作為抽出として扱えないものであれば、それ> を
   <大数の法則を利用し、母集団を推測する> 推測統計のしくみを利用した
  「検定」に使っても正しい結果が得られるとは限らない(正しいかどうか客観的に判断できない)事は
  理論的に明らかです。

これでよろしいでしょうか!先生!!

お詫びの意味を込めて、おそらく皆様の持つであろう疑問にも答えておきましょう
その疑問とはおそらくこんなところです
 『じゃぁ、とりあえず「一定のルール」さえあれば、「有意抽出」でも「無作為抽出」として扱えるの?』

答えはNo。
有意抽出法のルールにも色々種類があるのですが、その中で「無作為抽出」として扱えるものは限られています
そうですよねABOFANさん。

 ※ 以下は、統計学丸写し状態なので、理解しづらいかもしれません。読者の皆さん申し訳ありません。

では、母集団全体の推定には利用できない方法(ルール)の一部をざっと挙げておきましょう。
「典型法」=母集団をいくつかの似ているグループに分け、
      それぞれのグループからはそのグループの代表と自分が思う対象を選び調査する。
      代表と自分が思う客観的根拠が無ければ標本が母集団を代表している保証はない。
「応募法」=研究対象に調査への協力の呼びかけに応じた人を標本とする。
      こうして集められた人で調査を行う場合、データ収集がやりやすい反面
      概して特殊な層であることが多いので,この結果を即母集団の代表としてよいかという問題が生ず
る。
「機縁法」⇒調査を行う人との間に、何らかの縁をもつ人を標本にする。
      例えば、調査者の家族・親戚・友人・近所の人・また偶然出逢う通行人など。
      当然、この方法によって得られた標本が母集団を代表している保証はない。

もちろん、何のルールも持たない「無計画抽出」では標本が母集団の代表であるか否か考慮されていないことに
なる。

一方、「割当法」なんかは(別名「分割法」米国では類似のクォータ・サンプリングという手法が有る)、
母集団の構成比と一致するようにサンプルを抽出する方法です。
構成比と一致するようにという部分に有意性が含まれていますが、その他の抽出をランダムにすれば
(カイ2乗は当然無理としても)分散分析には使えそうです※。

  ※ 現段階では私の予想です。
    正直ほとんどの統計の本では「有意抽出で得られた標本が母集団を代表している保証はない」
    という記載になってます。「一定のルールで選択しているならば」と書いてあったものも
    どういうルールならいいのかまでは言及していませんでした。
    どんな抽出法だと「有意抽出」でも「無作為抽出」として扱えるのか詳しく知りたい人は
    ABOFANさんに質問しよう!(私が聞いても多分教えてくれないから...)

『「一定のルール」があれば、「無作為抽出」と考えられる』といっても
その適用範囲は厳密であり、ルールさえあればなんでもいいのではなく、
 『標本の代表性が客観的に保証されない』という『有意抽出法』の最大の欠点を打ち消す
 
  『標本の代表性保証の客観的証拠』

 があるようなルールが必要になるのですね。

有意抽出法とは、結局のところ
身近な人、調査しやすい人、手に入りやすいデータなどを対象にするという、
調査者がやりやすいように適当に対象者を選ぶ方法です。

ですから、有意抽出法の(統計学的な)通常の利用法としては
一般的な結論を得るために用いられるのではなく、例えば本調査を行う前の予備調査・プリテストなど、
本調査実施前に、事前に検討をするための情報を得る時などに用いられます。

まぁ、「有意抽出」が絶対に推測統計に使えないというわけではないので
それに関して私の誤りがあったことをここに訂正します。

ただ、現状においてはABOFANさんの「有意抽出法」では『標本の代表性保証の客観的証拠』が示されておらず、
それであればABOFANさんの行う「有意抽出法」は「無作為抽出」として扱うことはできないため
ABOFANさんに対する『「有意抽出法」で「検定」を行うことの批判』は変更の必要は無いと思われます。

ご指摘ありがとうございました。
もし他にもあったら、今回の努力に免じて、具体的に指摘してくださいね

さて、これで他の統計的な問題にスムーズに進めることと信じています。


さて、それ以外のABOFANさんの返事です。
これにはちょっと感じる事があります。

>> 統計的にまっとうな批判をする(ように私には見える)人達に対して、
>>  「そっちのほうこそ統計をわかってないんじゃないの」扱いして
>>  「そんな統計を分かっていない人とは議論してもしょうがないですね」
>> と勝手な自己完結をし、なんらまっとうな反論をしない(できない?)ABOFANさんの態度に
>> 怒りを覚えるからというのが正直なところです。

>#まさに、今回の私の回答の冒頭がそうなのでしょうか(まさか!)。

いや、まさにその「まさか」です...
わたしの「ABOFANさん分析能力」も中々の精度を持ってきたようです。

> そんなことは読者自身がそれぞれ判断すればいいのではありませんか?

ABOFANさん自身は私の間違いの根拠という判断材料を読者に示さないで判断させようと言うのは
(個人的には)いかがとはおもうけど
...まぁ、それがABOFANさんのやりかたならしょうがないのですが...

まぁ、憎まれ口はこの辺にして
それ以下の件に関しては多大な反省もありますがちょっとだけ言い訳させてください

> また、本当に「怒りを覚える」なら、私宛にメールを送ったりなんてせずに(中略)
> それとも、別な意図があるのですか?

えっと、「怒りを覚える」という文章は、その下の
「ABOFANさんの努力と能力に尊敬の念と存在価値を見出しているからに他ならない」
の前フリだったつもりでした...
「いつも批判ばかりしている私ですが、実はABOFANはすごいと思っている」
という結論を強調する意図で書いたのですが....
(ホントに褒める意図があったんですが...それも大きなお世話ですね...)

〜 真面目なコーナー 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
 ということで、ちょっと言い訳したが、何にせよ反省しています。
 このページはABOFANさんと論議すべき場所であるし、また他の血液型診断を評価する場所です。
 その中では、ABOFANさんに対する批判もあるし、能見氏に対する批判もある程度許容されるでしょう

 しかし、だからといって、能見氏とABOFANさんの対比を評価すべきではなかった。
 偉そうに評価するのは一見発言者はその両者よりも高みにいるように錯覚させる。
 しかし、その実、発言者はゴシップ記事を喜ぶ人間のようにより低い位置にいるのである。

 ABOFANさんに対する批判はABOFANさんに対する批判だけに限定すべきだし
 能見氏に対する批判も能見氏に対する批判だけに限定すべきだった。
 (本来であれば、いない人の批判も倫理的にすべきではないのですが...)
 「大きなお世話」というABOFANさんに、誠にすまない気持ちになる

 ということで、真剣に反省するとともに、ABOFANさんを不快にさせた事をお詫び申し上げたいと思います。
 あれであれば、前回の投稿の終わり部分
 『ところで読者の皆さんは、「なんで一銭にもらなんのにこんな長い文章を飽きずに書くの?」』
  から
 『後者だとすれば、私ABOFANさんの熱狂的ファンになっちゃいますね。』
 の部分をHP上から抹消してもかまいません。
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申し訳ないと思いつつも、トーンが低調すぎると場が暗くなるのでいつもの私に戻りましょう

確かに批判のしかたに反省点は残った。

でも私は、ABOFANさんがあくまで

 『このHPの内容は、読むとおわかりかと思いますが、「血液型と性格は関係ある」という統計的・科学的証明
  (というよりは実証でしょうか…)が主となっています。』<TAROさんのページより抜粋>

と言う限り、
科学的証明や統計手法についてはこれからも遠慮なく批判させていただきたいとおもいます
よろしければでいいんで、お付き合いください。

> 今回のメールを読んで、残念ながら深田さんはあまり統計が得意とは思えませんでした。
> 少なくとも、現実の調査方法についてよく知ってはいないようです。

ある意味同感です。

私もABOFANさんのHPを見る限り、統計の基礎理論の理解が得意とは思えませんでした。
そして少なくとも、実際の科学の論文等に必要とされる科学的実証法についてはよく知っていないようです。

それは今も変わっていませんし、それを前回長い文章で表現したつもりです

お互い同じような印象を持っているようですから、残念ながらどちらが正しいかは
「俺が正しい」、「いや自分が正しい」と言うだけで、根拠を示さないでいてはいつまでたっても判断できない

やはり、どちらが正しいかについては論理的な議論により判断せねばならないでしょう。
それに応じられるかどうかはABOFANさん自身の能力によります。
私はやる気まんまんなのですから。

それでもABOFANさんが、本気で私の事を「統計を全く知らないアホ」と思っているのであれば、
「黙ってしまって」もかまわない、というかしょうがない。

まぁ例えそうなってしまったとしても、はからずもABOFANさん自身が、
『心理学の先生がABOFANさんに対し「何故黙ってしまったか」の理由』
として考えられる事の1つを提示する事になるでしょうから、不本意ながらその礎になるのもまた面白し、である。

>このHPは個人のHPであり、違法でない限り何をしても自由なはずです。

はい。まさにそのとうりです。それは納得しています。
というか、掲載されるだけでもある意味すごく有意義な事です。

その特性を生かして、前回の文章の大半はABOFANに投げかけるというよりも
読者に分かりやすく説明し、材料を多く与え、読者の判断が容易になるようにと意図して書きました。

...なんて作戦ばらしちゃうと、こんどは掲載まで拒否されちゃうかな...

ではでは
言い遅れましたが「あけましておめでとうございます」(←言い遅れすぎ)

新年おめでとうございます。回答ありがとうございました。

 前回の回答は、少々露骨に書きすぎましたかね? 大変失礼しました。

 私は別に感情を害しているわけではないので、気にしないでください。(^^;;

 ただ、今回は方針を変えることにします。というのは、私は深田さんが統計を知っているものとして回答しきたからです。
 私の推測では、深田さんは統計の本はかなり読んでいるものの、実際に統計データをあまり扱った経験がないのでしょう。
 血液型のデータについて、現実を説明できなければしょうがありませんから、理論や手法を知っているだけではあまり意味がありません。
 しつこいようですが、きちんと現実のデータが説明できなければ、その理論なり手法は『ABOFAN』HP上では無意味です。
 それらは、実際にデータによって厳密にチェックされるべきもので、決して逆ではありません!
 私はそう思っています。

 そんなのはここで議論するなら暗黙の前提と思っていて、そういうつもりで返事を書いていたのですが、深田さんはどうもわかっているとは思えない。
 もしわかっているなら、今までのメールは大部分は「引っかけ」以外に考えられないのですが、どうやらそうでもないようです。

 他に考えられる理由は、深田さんが理系的(とうよりは工学的?)思考を理解していないだろうということです。
 たった一つの異常値(?)からスタートするのは、私にとってはあまりにも当然なことです。現に、そうしてノーベル賞をもらった人もいます。もし、統計的検定手法を使っていたら、彼は賞をもらい損なったかもしれません(現場を知らないのであくまで推測です…笑)。だから、確かに詳しい説明はしていません…。

 ということで、くどいようですが、老婆心から説明させていただきました。
 いやぁ、そんなの当たり前だよ、という返事を期待しています。(^^)

 では、本題に入りましょう。

 まず、抽出法についですが、メールその14の部分は大部分が無意味…なはずです。

 なぜなら、血液型と性格については、厳密な意味でのランダムサンプリングはコスト的・時間的に不可能だからです。

 コインの例なら、今まで作られたすべてのコインについてのチェックはできません。寛永通宝なら銭形平次がやったかもしれませんが(笑)、和同開珎はお手上げです。中国のプロ野球(4チームでしたっけ?)なんか、まだ発足していないんだからどうしようもありません。性格検査についても、古代人のテストは不可能です…。

 従って、血液型と性格について語る場合には、完全なランダムサンプリングは不可能という前提で、現実とどう妥協するかという問題は避けられません。

#実際のアンケートでは回収率が数十パーセントで、有効回答数が数百以上ならOKとされている例が多いようです。

 テレビの視聴率のサンプル数は400世帯ぐらい(記憶があいまいですが…)だったはずです。NHKの世論調査は、場合によりますがだいたいサンプル数は1,000〜2,000人になっています。

 血液型と性格について言うと、心理学者のデータは、自分の講義に出席した学生というケースが大部分です。しかし、能見さんの愛読者のデータはダメというのだから、少々驚きます。心理学者のデータをチェックしてみると、血液型と性格の関係を肯定する率が有意に低く(だいたい10パーセント程度以上低い)、明らかにバイアスがかかっている場合が大部分だからです。→詳しくはこちら

 いや、私も能見さんも心理学者も世論調査も、こんなサンプルではどうしようもない、というならそれで構いません。その論理的帰結として、血液型だけではなく、あらゆる調査や性格検査は正しくない(?)ことになります。本当にそれでいいのですか?

 もしそうなら、統計では何も言えないというより、不可知論に近くなりますので、私は『ABOFAN』上で議論するのにふさわしい話題とは思いません。

 メールその14の全部に対して答えることは時間的に不可能なので、代表的なものについて疑問を提出しておきます。

> 「打撃トップ10」で、ABOFANさんは「A:O:B:AB」では有意差が認められないことは認めた
>  その上で、「打撃トップ10のデータ」を「再分析」することにより
>  「B+O:A+AB」では有意差が見られるという「事実」を発見します。

 ここで、検定力のことはどう考えますか?

>  ※ ここではランダムサンプリングではないという問題はとりあえず置いておきましょう。

 前述のように「ランダムサンプリング」は現実的に不可能です。現実とどう妥協しますか?

 参考までに、抽出法について、『世界大百科事典』から抜粋しておきます。

抽出法
ちゅうしゅつほう sampling

サンプリングともいう。統計調査の対象となる集団からその構成要素の一部分(標本)をとりだして調査に付すいわゆる標本調査において,標本のとり方を抽出法(あるいは標本抽出法)という。抽出法にはいろいろな技法があるが,各構成要素を標本にするか否かを一定の確率法則に従う手段で決める方法を無作為抽出法(あるいは任意抽出法),確率的には決めない方法を有意抽出法(あるいは有意選択法)という。有意抽出法の代表的なものとしては,アンケート法,典型(調査)法,割当法などがあり,これらはそれぞれ目的や抽出法を異にする。アンケート法とは,当該の問題の専門家や関係者を適当な方法で選び一定の質問事項に対する意見を調査する方法である。典型(調査)法は,調査者が特定した理論的基準に照らして対象集団を代表すると考えられる要素(単位)を少数選出し,詳細に観察する方法である。この調査法は,主として,対象集団の諸特性・要因間の内的連関や時間的変化を探究するために行われることが多く,平均などの集団の量的特性値の正確な推定が第一義的な目的であるとは限らない。これに対して,割当法(クォータ法ともいう)は特性値の推定を第一義的な目的にするが,これは対象となる集団全体を着目したいくつかの標識に関して分類し,それらの構成比率が標本の中での構成比率に一致するように標本をとり出す方法である。この方法においては各グループの中での標本のとり方は規定されていない。割当法は形式的には無作為抽出法の中の一技法である層化抽出法と似ているが,グループ内での標本の抽出法の点で明確に異なる方法である。このため,着目した標識に関しては標本は構成比率のうえで対象集団の縮図になっているが,それ以外の標識に関しては縮図になっているという保証はない。1948年のアメリカ大統領選挙予想の失敗は割当法のこのような欠陥を暴露した例として有名である。この失敗は着目されなかった学歴や収入などに関して上層へ偏っていたことに起因すると指摘されているからである。
 有意抽出法にあってはいずれの方法の場合にも標本分布が導けないから,元の集団の特性値(母平均,母分散など)の標本に基づく推定誤差の定量的評価はできない。これを可能にするのが無作為抽出法であり,無作為抽出法の抽出技法としてはもっとも原型的な単純無作為抽出法のほか,層化抽出法,多段抽出法,系統抽出法など多くの技法が考案されている。⇒標本調査‖無作為抽出                      坂元 慶行

(c) 1998 Hitachi Digital Heibonsha, All rights reserved.

 他に気がついた点をアットランダムに書いておきます。

> 何故一般の性格テストではダメで能見さんの本の血液型別の特徴を質問項目にするといいのか?
>  それは、「一般の性格テスト」では自分の欲しい結果が出なくて、
>      「能見さんの」であれば自分の欲しい結果が出せそうだからに他ならない。

 確かに、ここは訂正する必要があるかもしれません。なぜなら、チェックしてみると、能見さんの項目以上に差が出ているケースがあるからです。(^^;;
  →具体例はこちら

> 「一般の性格テスト」とは、別に「血液型性格判断の否定」や「肯定」を狙って作成したものではない。
>   つまり、かなりフェアな状態の判断基準となるわけだ。
>   また、追試によってある程度の再現性、言い換えれば妥当性を得ている。

 ここを読んで爆笑してしまいました。まさか、一般の性格テスト(たとえば、ポピュラーな矢田部ギルフォード性格検査)の作成方法は知ってますよね?
  →元々はこちら

 ■じぶん更新日記(長谷川さん)
  • 補遺長谷川の1985年の教育心理学会発表と1988年の長崎大学医療技術短期大学部紀要に発表した論文の考察部分の再掲

 その後、YG性格検査と因子分析について調べてみました。長谷川さんの記述は次のようなものです。正確を期して、少々長めに引用させていただきます。

 能見俊賢はまた,神経質,几帳面,明るい,暗いといった言葉は,安易な性格表現であるなどと述べているが(大西《5》,pp165),これも,質問の表面的な意味・印象と,その項目が真に測ろうとしている性格因子との関係を理解していないために生じた誤解あるいは曲解であると思う.たしかに,心理学の諸概念は,しばしば日常生活用語と重複している.しかしYG検査で測定される「気分の変化」,「劣等感」,「協調性」などの因子は,いずれも因子分析的手続の中で抽出されたものであり,日常生活用語とは独立した概念である点に留意する必要がある.もともと,能見正比古は,「なるだけ価値評価の入らない日常生活での好みや行動の傾向を(アンケートで)答えていただいた・・・・」という方法で,血液型別の基本気質を探っていったという(大西《5》,pp110).その過程で,質問の表面的妥当性と因子的妥当性をどう区別したのか,あるいは性格因子や気質因子をどのような客観的基準に基づいて抽出していったのであろうか.じじつ,血液型人間「学」者が用いる性格用語の大半は,それらがどういう基準や手法で選ばれたものであるかが全く明らかにされていない.

 また、別冊宝島335『性格がわかる・変えられる!』という本からです(81ページ)。下線は私が付け加えたものです(この項目については以下も同じ)。

9 矢田部ギルフォード性格検査(YG)

あなたは協調型か支配型か?
抑鬱性から神経質、情緒安定型まで、12の尺度であなたの性格を的確に判断する。
身近な人と2人でやってみると、より信用性の高い結果を得られるだろう。

 「YG性格検査」は、聞いたことのある人が多いかもしれない。日本の代表的な質問紙形式の性格検査法で、いわば古典である。教育、産業と幅広い分野で高い使用頻度を誇っている。
 1940年代にアメリカの心理学者ギルフォードらによって開発された3種のテスト(ギルフォードSTDCR因子性格テスト、ギルフォード・マーチンGAMIN因子性格テスト、ギルフォード・ジンメルマン気質調査)のなかから選び出した240項目を、1954年に 矢田部達郎らが日本人用に翻訳改訂し、更に辻岡美延が1957年に標準化したものである。

 読めばわかるとおり、「YG検査で測定される『気分の変化』、『劣等感』、『協調性』などの因子は,いずれも因子分析的手続の中で抽出されたもの」とはいっても、それは1940年代のアメリカ 人での話です。ランダムサンプリングはどうなるのでしょう?

 1940年代のアメリカ人の基準を日本人に当てはめるのはいいが、血液型はダメなのですか?

 ついでに言っておくと、実際の日本人のデータを見てみると、いわゆる再現性はありません!

  性格検査は、被験者の平均点を調整しています(取り得る最大得点と最小得点の平均…例えば0〜10点なら5点)。実際に、アメリカ人の血液型のデータを見るとそうなっていますが、日本人のデータはだいぶバラついています。ぜひ調べてみてください!

 言うまでもなく、アメリカ人の性格の基準を日本人に当てはめたらそうなるのが当然で、ならない方がおかしいのです!

 また、どの統計学の教科書(当然のことながら心理学を除きます!)に、1940年代のアメリカ人の性格を表す言葉を因子分析的手法を用いて12の尺度にまとめ、それぞれ10の質問項目により数値化すると、日本人にとって「かなりフェアな状態の判断基準」になると書いてあるのでしょう?

#相関関係があるのは確かでしょうが、どう考えても「かなりフェアな状態の判断基準」にはなりえないと思うのですが…。

 では、話を元に戻しましょう。

 一般的に、統計的手法には、深田さんに指摘されるような問題があるのは当然です(あまりにも当然なので、確かに明確には書いてありません…苦笑)。しかし、統計的に私に反論するなら、きちんと自分でデータを取るなり分析するなりして反論するしかないはずです。私が言っている意味はわかりますよね?

 わかりきったことを書くのは気が引けるのですが、統計的手法に深田さんが指摘するような問題があることと、統計的手法を初めから否定することは全く違うはずですから…。

 ではまた。


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最終更新日:平成14年1月13日