フォントが小さすぎる問題などに対応しました。
Androidではそこそこ大丈夫なのですが、iPhoneのSafariではテキストが小さすぎるようですね。なんで? -- H28.10.2
【R1.6.29追記】 日本語のページをモバイル対応にしました(VIEWPORTを指定)。
テキサスの女子高生チーム?からメールが来ました。
なんでも、血液型と性格が統計的に関連があるのかどうか研究するのだそうです。
アドバイザー(mentor)になってほしいとのことなので承諾しました。
もっとも、まだ研究の内容がよくわからないので、どういう方向に進むかはわかりません。
School of Science & Technology
というチャータースクールだそうです。
アジア系の生徒なのかと思ったら、どうもそうでもないようですね。
ひょっとしてヒスパニックにも血液型がブームなんでしょうか?(笑) -- H27.3.1
ブログの議論が発展して、瓢箪から駒でした。
「思い込み」でないことが、意外にアッサリと立証できるなんて…。ちょっと感動しました。
やはり、議論の効果はあるんですね。
問題は、この知見をどう広めるかだけですが、誰かやってくれないかなぁ。
本当は専門家がやるべきなんでしょうが、勝間和代さんの『専門家はウソをつく』を読んだので、この際シロウトでも誰でもいいんですがね。 -- H25.11.4
最近聞いた話(残念ながら又聞き…)なのですが、大手マスコミでは「血液型と性格」の話はタブーらしいです。
特に、科学的に「関係がある」とは、個人的に思っていたとしても書けないらしいのです。
確か、数年前はそんなことはなかったはずなのですが…。
今度、そういう人と会う機会があったら、直接質問してみようかと考えています。 -- H22.2.20
最近、結構いろいろな人に会って、お話をしています。
いやぁ、情報はあるところにはあるものですね。
まだまだ、ネットの情報だけでいい、ということにはなっていないようです。 -- H21.12.20
私はず〜っと、χ2検定のようなノンパラメトリック検定を使ってきたのですが、最近のデータはパラメトリック検定を使うものも増えてきました。
というのは、なぜか差が大きく出るし、必要サンプルも少なくていいからです。
以前の常識が通用しないので、ビックリしたり慌てていたりするのですが、それって私だけ? (^^;;
ところで、パラメトリック検定には↓に書いたRが超便利です。
使ったない方は、だまされたと思って、ぜひお試しを。なにしろタダですから、使わないとソンです。 -- H21.12.20
最近、R[注:「究極超人」ではありません!・笑]を使っています。
血液型のデータを分析するのに便利です。
フリーソフトで結構な分析ができちゃうんですから、便利になったものです。
解説書としては、豊田秀樹さんの『検定力分析入門』がいいようですね。 -- H21.12.20
話題のGoogle日本語入力を使ってみました。
評判どおり使いやすいようです。
ひょっとして、ATOKよりいいかな?
「のみま」で「能見正比古」になったのはびっくり。
「けつえきがた」では「血液型占い」が2番目に来ました。(^^;; -- H21.12.20
分散分析をしてみた結果、血液型が性格に影響するのは、数パーセント〜10パーセント程度以上(新奇性追求傾向と関係がある遺伝子D4DRと同程度以上)のようです。
ところが、これに対して、全く何の反論もありません。
全くの拍子抜けです。
わざわざトップページに具体的な数字まで出しているのですから、これほど反論しやすい主張はないはずなのですが…。
なぜなんでしょうね?
まさか、分散分析の初歩がわからないということはないでしょうし…。 -- H20.9.27
最近、とあるきっかけで、真剣に心理学統計の教科書を読む機会がありました。
別の場所にもちょっと書いたのですが、最近議論をした、とある心理学者が推薦する「虎の巻」の教科書を読んでみたところ、あまりにも初歩的な間違いが多いのに、正直、絶句しました。更に、読者の多くはその間違いに気付いてさえいないということもわかりました。
表面的にわかっている、というのが一番よくありません。
計算もできる、数式も正しいのですが、基礎基本ができていないので、血液型の分析になると、彼らのやり方は間違いだらけです。
受験秀才の弊害なんでしょう。
血液型は、統計学の教科書を丸暗記すれば分かる、というようなものではありませんから。
確かに、指導する方がアレでは、指導される方がもっとわからなくても、何の不思議もありません。
彼らは、教科書に書いてあることをそのまま適用するだけで、自分の頭で考えるということはしない(たぶん?)ということが、議論を通じてよくわかりました。そういう意味では、かなり頭が悪いと言ってもいいかもしれません。いやぁ、驚きました。
以前の心理学者との論争では、全くそんなことはなかったのでしたが、最近は状況が変わったのかな?
また、別の人との議論では、相手が統計の入門書しか読んでいないケースがありました。確かに、これでは全然議論が進まないのも道理です。。しまった、こんな相手を選んで失敗したと思ったのですが、既に後の祭りです。
とは言ったものの、実はちょっと反省していたりします。f(^^;;
自分の主張を、わかりやすくまとめたページを作っておくべきでした。
で、その反省の下に、血液型と性格の
新・常識!?&入門をリニューアルしました。
特に予備知識がなくても誰もがわかるよう、また、心理学統計の教科書的には掲載されていない部分をフォローするつもりで、基本編と応用編の2部構成を採用してみました。
気が向いたら読んでみてください。>読者の方 -- H20.8.31
大坂冬の陣、夏の陣は知っているけど、秋の陣は知らない人がほとんどでしょうね。
なにしろ、私が作った言葉ですから(笑)。
内容は、わかる人にはわかるし、わからない人にはわかないと思います。
それでいいのです。v(^^) -- H19.11.16
皆さんもご存じのように、大坂冬の陣では、城の外堀を埋められてしまいました。
敗色も濃くなった夏の陣になると、大坂方に味方する有力武将は激減し、戦力として残っている者の多くは浪人だった、という話です。
まぁ、天下の名城である大阪城ですから、それだけ持ちこたえたのでしょうが…。 -- H19.12.22
大阪城の城主はすっかり元気がないのか、最近めっきり姿を見せませんね。
それとも、単に休養しているだけなのでしょうか? -- H20.8.31
最近、気のせいか(?)荒らしのメールが減ってきているようです。
血液型の関心が薄れているのでしょうかねぇ…。
確かに、ABOFANのアクセスも、テレビで血液型番組が毎週のように放送された2004年はすごかったのですが、最近はずっと減っていて平均すると1日500アクセスぐらいです。
しかし、別の理由もあるのかもしれません。というのは、荒らしのメールの送信者(複数)が忙しいからなのかも…。
以前の送信者は、心理学の関係者が多かったようなのですが(傍証もあります)、最近は某プログの関係者も増えているようです。某ブログの関係者は、皆さんもご承知のように血液型どころではありませんから。(^^;;
ただ、不思議なのは、科学的な反論が少なく、“荒らし”(“誹謗中傷”や“罵倒”)の内容が多いことです。なんだかなぁ。血液型は非科学的というなら、もうすこし筋の通った科学的な反論を期待しているのですが…。 -- H19.9.4
abo-chat
MLをリニューアルしました。最近はなんでもGoogleでできちゃうので驚きです。機能的にも、有料のサービスとほとんど変わりません、というよりは下手なサービスより上回っています。
すごいですね。 -- H19.5.6
存在は知っていたのですが、やっと感想(というよりは反論か・苦笑)を仕上げることができました。
最近の傾向として、心理学者からの反論は(たまにあったにしても)BPOによる「“血液型を扱う番組”に対する要望」の紹介・引用や「科学的に根拠がない」(この場合、具体的な根拠・出典が示されていないので、科学的の定義が一切不明?)の一点張りで、相変わらず実質的な反論はないに等しい状態です。
その代わりと言ってはなんですが、物理学者の批判が目立っているように思えます。その代表がkikulog(大阪大学 菊池誠さん)なので、感想のページをオープンしてみました。
物理学会での発表を聞いていないので、kikulogだけから受ける印象では、たぶん心理学者との連携はないと思われます(なぜ?)。また、失礼ながら、それほど心理学の論文を読んでいるとも思えません。
一番疑問なのは、「関係のあるなし」の判断基準が不明なことです。もちろん、物理学会での発表を聞いていないからはっきりしたことは言えないのですが…。
ひょっとして、この「ニセ科学入門」(心理学の問題としては解決済みで、「血液型と性格が関連するという積極的な証拠はない」ということでよいだろう)が判断基準なんでしょうか?
ただ、それなら、私の否定論者の自己矛盾を読んでいないのか(あるいは読んでいても無視している?)少々不思議です。彼の知的レベルなら、私の単純なリクツがわからないはずがないですから…。
はて? -- H19.5.5
最近、少しアクセスが増えてきたので、英語のページを8年ぶり(!)に更新しました。もちろん、日本語の何倍も時間がかかるのですが、内容はかなり建設的です。なぜなら、否定論者に対する配慮がほとんど不要だからで 、正論をきちんと書けばいいからです。(苦笑)
基本的に、英語版の読者は白紙の状態ですから、妙に回りくどい表現はありません。 また、英語の文章だと、日本語とは違ってストレートに書いた方がカッコイイですしね。はたして、いいのか悪いのか…。
#日本語のページも、こんな感じの方がいいのかなぁ?
なにしろ、BBCに取材されて以来8年ぶりの更新ですから、量がたまりにたまってしまい、かなり大変でした。まだまだ更新したい部分はあるのですが、全然時間が足りないよ〜。(*_*)
念のため、内容を少しチェックしてみたのですが、画像の貼り付けミスで、ちゃんと表示されてなかったページはあるわ、単語のスペルミスで意味不明の文章が頻発するわで、実に恥ずかしい限りです。f(^^;; JustNetからSo-netに移行したときに、最低限の見直ししかしなかったのが原因でしょうか…。
今考えると、某国のテレビ局から問い合わせがあった時に、きちんと更新しておけばよかったなぁ、とちょっと反省しています。
まぁ、とりあえず格好は付いたので、もう少し直せば一応は完成です。 -- H19.3.19
最近忙しくて更新をサボっていたのですが、やっと3か月ぶりに更新しました。Windows Vistaのインストールとか、血液型の資料探しとか、部屋の片付けとかをやっていたら、あっという間に時間がたってしまいました。(^^;;
■その1 血液型番組が復活?
さて、最近の話題ですが、プラスの面としてしては、テレビで血液型番組が復活しそうな兆しが見えてきました。『徹子の部屋』ではたまに血液型を取り上げたりしていましたが、他の番組でもポツポツと例が出てきました。例えば、次の『ザ!世界仰天ニュース』です。
この番組では、いとうまい子さん(B型)、いしのようこさん(AB型)、さとう珠緒さん(A型)、梨花さん(O型)と全ての血液型が出演し、視聴者の参加者も血液型別に座っていました(表情を見ていると、特徴が出ていて面白いです…笑)。ゲストのトークと肝心の番組の内容は、寒がる少女の謎/恐怖 少女の足が焼ける!/A型血液の謎、ということで血液型と性格には直接の関係はなかったので、(私の全くの推測ですが)トークは視聴率対策と思われます。
これで視聴率が上がれば、自局に限らず他局でも続々取り上げることになるでしょう。
#2004年もそうでした…。
ところで、BPOのメンバーですが、青少年委員会では当時3人いた心理学者のメンバーが1人(大日向雅美さん)になってしまいました(理由は不明です…)。ですから、2004年のようにBPOからクレームが付くというのも考えにくい状態です。普通の人なら、たかが血液型でそこまで目くじら立てませんから…(苦笑)。
従って、今後は視聴者の反応次第ということになりそうです。
逆に、テレビのマイナスの面では、平成19年1月7日に放送された『あるある大事典』の捏造が明らかになりました。現時点では血液型番組が捏造されたという証拠は発表されていませんが、テレビの全般的な信頼性が低下したことは否定できません。失われた信頼を取り戻すよう、調査委員会で徹底的に真相を究明し、詳細に調査結果を発表して制作方法を改善してほしいものです。
ところで、『あるある』で取り上げていた東海大の実験は、別の人から内容を聞く機会があったのですが、至ってまじめな研究だそうで(少なくとも東海大では)再現性が確認されているそうです。他の研究機関で追試がされれば、メカニズムはともかく、少なくとも科学的な証明はされることになるでしょう。
とは言っても、個人で取材を申し込んでも受けてくれるとは思えないので(もし受けてくれるならぜひ取材させてほしいですが…笑)、今後の研究の進展を待つしかないと思います。
個人での研究では、時間、費用、人的な面で制約が大きいため、ぜひテレビ局やマスメディアには頑張ってほしいものです。
もちろん、本来は日本の心理学者が頑張るのがスジなのですが、血液型のような学会のタブー(?)には残念ながら『発掘捏造』のようにマスメディアや私のような素人が頑張るしかないようです。学問の健全な発展にとっては明らかにマイナスですから、非常に残念というしかありません…。
参考までに、同じような趣旨のvidelさんからのメールと私のコメントを掲載しておきます。
No.1368 O型男性のvidelさんから H18.12.2 23:261.面白いですか?
2.お気に入りのページ
3.血液型と性格の関係は?
4.メッセージ:
励ましのメールをありがとうございます。 > とくに、非定論者の自己矛盾への指摘は論理的なため、 ありがとうございます。ここが私の一番主張したい点で、従来の性格検査では差が出ないということは、血液型による差がないのではなく、性格検査に問題があるらしい(?)ことが明らか になってきました。 日本だけではなく、台湾でも同じ結果が得られたことは嬉しい限りです。 > 非定論者がどうしても血液型言論を封殺したい心理には、 というよりは、単に商売上(失礼!)の都合なのではないかと思います。心理学に限らず、どの業界(失礼!)にもローカルルールがあります。 少なからぬ業界では、外部に自ら(特に問題点)を積極的にはPRしたりはしませんし、部外者に対しては無関心ですが、その業界の利益に反することなら攻撃的になります。血液型は、その説が正しいかどうかよりは、心理学業界の利益 (?)にならないから感情的とも思えるヒステリックな反論(?)が多いのではないでしょうか? #もっとも、理系(産業系)の学会だと、数字や金額で結果が出てしまいますので、そんなことは言っていられません。 さて、血液型が正しいとなっても、心理学者個人の人生観や行動の根拠が根底から崩れてしまうというということはありません(笑)。なぜなら、心理学会は女性が多いということもあり、 少なくない人が血液型に興味を持っているからです。私の経験では、血液型に否定的な研究者ほど、日常的には血液型を信じてたり血液型グッズや本を持ってたりするようです。 ちょっと信じられないのですが、これは事実です! これで思い出すのが、ガリレオ裁判です。 実は、ガリレオが地動説を唱えても、それが当時の学会や教会の中に留まっているなら、特に問題はありませんでした。単に、興味ある仮説とされていただけです。しかし、その仮説を一般に公表するとなるなら話は別です。なぜなら、聖書は正しいことになっていますから、地動説を認めるとカトリック教会の組織の原則が崩れてしまうからです。プロテスタントならともかく、カトリックでは、教義の解釈権は教会にある、というのが組織の大原則ですからね。 つまり、こういうことなのではないでしょうか? 血液型は正しいと思っている心理学者は少なくない。しかも、否定的な研究をしている研究者ほど、個人的には信じている傾向が強い(そうでなければ熱心に研究なんてしません!)。ところが、現実に心理学の手法を適用しても、彼(女)達が納得できる結果は得られません (?)でした。 そういう場合は、心理学と関係ない部外者なら、従来の心理学の手法を見直して、新しい手法を編み出すのが一般的(少なくとも理系では…)と思うのですが、(なぜか?)そうはしなかったようです。やはり、“心理的な抵抗”が多いのでしょうか?(苦笑) となると、現実的な選択としては、部外者に対しては血液型を否定するしかありません。 「血液型と性格」は心理学の“縄張り”で“解釈権”があると思っているのですから、部外者がその解釈権を侵害するなら、学問的に正しいかどうか を議論する以前に、そういう批判──つまり心理学者の解釈権を“不当”に侵害するべきでないという批判──があって当然でしょう(苦笑)。 ですから、私のような部外者の“素人”に対しては、「専門家の問題に素人は口を出すな」というような“決めつけ”が一番効果があることになります。なぜなら、素直に議論をしては、否定論者の自己矛盾を認める、つまり心理学の間違いを認めることに もなりかねないからです。現に、心理学者の以外の多くの否定論者は(血液型は否定しても)、否定論者の自己矛盾を認めていますから…。 #例えば、No.1396なんかか典型です。 また、「血液型は差別だ」というのも効果があります。なぜなら、タブー化すれば現実のデータに触れなくてすむからです。 以上のことから、一番ソンなのは、まともにデータに反論することです。そのせいかどうかしりませんが、simaさん以降は心理学者からの反論は かなり少なくなってしまいました。 おっと、長くなりました。(^^;; もちろん、以上は私の勝手な推測に過ぎませんので念のため…。f(^^;; なお、私はそんなにポーカーフェイスではないと思います(笑)。 |
■その2 Yahoo!とGoogle
皆さんもよくご承知のように、最近はサーチエンジンといったらGoogleです。日本ではまだYahoo!の方が使われているようですが、世界的には圧倒的にGoogleが使われていますし、私も最近はYahoo!よりGoogleを使っています。ところが、「血液型」や「血液型と性格」で検索しても、なぜかABOFANはかなり下位にランクされてしまいます…悲しい(*_*)。
更に、Googleだけでなく、Windows Liveでも同じ傾向なのです。本当の理由はわかりませんが、ランクが高いサイトを眺めてみたところ、ABOFANはトップページがゴチャゴチャしているのが評価が低くなる原因のようです。ということは、もう少し「単純明快」で普通の人に「わかりやすい」ようにリニューアルすれば、ランクが高くなる可能性があります。
とはいっても、全面的にリニューアルすると大変なので、トップページだけ一部化粧直しをするかどうか、少々悩んでいます。いずれにせよ、あまり手間もかけられないので、必要最小限にするしかないのですが…。
■その3 誹謗・中傷メール(?)への対応
最近の傾向として、誹謗・中傷メール(?)の割合が明らかに増えています。それは、皆さんからのメールを読めば明らかです。インターネットがあまりにも身近になって、参加者が大幅に増えたせいなのでしょうか?
もちろん、誹謗・中傷を含む内容でも、きちんとスジが通っていると思えるなら、それなりに対応しているつもりです。しかし、最近の特徴としては──たぶん特定の何人かだと思いますが──明らかに誹謗・中傷やいやがらせのみを意図しているとしか思えないメールが、しつこく何回も送信されてきています。例えば、アスキーアートのみのメールや、掲示板をそのまま転載したとしか思えないメールなどは、血液型と性格の論争に関係があるとは思えません。
実は今までは容認してきたのですが、一部の読者から、誹謗・中傷メール(?)が多いと読む気にならない、またそれらのメールが多いと有益な情報が埋もれてしまうデメリットが指摘されていました。
また、更新になかなか時間が取れないこともあり、残念ですが今までの原則全メール掲載の方針を変えることにしました。
まず、メールの掲載・回答についての簡単なルールを作ることにします。非掲載・非回答の原則は次のようなものです。
なお、個人のHPなので、それらの判断は私が独断でするものとします。(^^;;
当分の間は、全てのメールを掲載するページと、非掲載分をカットしたページの2通りを作ろうと考えています。
また、最近のメールの特徴として、自分の立場や判断基準を明確にせずに質問してくるものが目立つような気がします。科学的な論争なら、○○の条件なら血液型と性格は関係ある(ない)、と明確に判断できなければいけないはずです。もし、自分の立場や判断の基準が恣意的──例えば基準が第三者がわかるような明確な基準ではなく一々そのメールの送信者が決めないとはっきりしない──ということなら、それは科学な論争ではないはずです。
ですから、必須ではありませんが、議論が目的のメールには次のような条件を付けることにします。
やはり、インターネットがあまりにも身近になって、参加者が大幅に増えたせいなのでしょうか?
非常に残念と言うしかありません…。 -- H19.2.3
大村政男さんの最新刊である『図解雑学心理学』(ナツメ社 H18.4)を読んでみました。
この本は、第10章として、(なんと!)血液型性格学が登場しますが、どう考えても大村さんの“転向宣言”としか思え ません。
これを“転向”と言わずして何というのでしょうか? さらに驚くべきことに、一部とはいえ、能見さんをほめる記述さえあります(私は初めて読みました!)。
読者のために、血液型十戒を引用しておきましょう。
- 血液型で、人の性格を、決め付けてはいけない。
- 血液型が、性格のすべてであると思ってはいけない。
- 血液型で善悪を分けたり、人を非難してはならない。
- 血液型で頭の良し悪しをいってはいけない。
- 血液型で、性格は、もう変わらないと早合点してはいけない。
- 血液型は適性適職に対して重要だが、それですべてを決めてはならない。
- 成功や業績は人間の努力の結果、それを血液型で割り引いてはならない。
- 血液型と性格の関係分野を、医者の領分とカン違いしてはいけない。
- 血液型を、占いの一種と思ってはいけない。
- 血液型による違いより、人間どうし共通性がはるかに大きいと思うべきである。
読めばわかるとおり、これは「血液型と性格は関係ある」ということが大前提です。そうでなければ、「非常に優れたアドバイス」と言うはずがありません。大村さんは 、私生活では血液型を信じているというウワサ(本当かどうかは定かではありませんが、他の心理学者も血液型は大好きらしいです)ですが、私は失礼ながらジキル博士とハイド氏を連想してしまいました。(^^;;
真面目に大村さんの本を信じて、血液型を否定していた人は一体どうなるのでしょうか? やっぱりムキになって(意地になって?)反対するのかなぁ?
#全く余計な心配ですが。f(^^;; -- H18.6.18
ここしばらく忙しかったのですが、随分と誹謗中傷メールらしきもの(?)が送られてきました。
書いている本人は、私を誹謗中傷する(?)メールを送れば何らかの効果があると思っているのでしょうが(もちろん、本当はどうなのか知りません…)、何十通も送れば自ずと誰が送ったかはわかってしまいますから逆効果です。なにしろ、本人は毎回変えているつもりでも文体や内容は自然と雰囲気が似てきますし、妙に特定の人を擁護する内容だったりするのです。いままで、ほぼ2人は特定しました。2人とも学者や研究者のようです。なぜか、心理学者じゃない人もいるようですね。公式のメールとも随分違う内容なので驚いています。いやぁ、本当はあんな性格だったとは…。ちょっと意外でした。
中には、明らかに性別を偽っているメールもあるようです。これは、誰が送ったかわからないようにする涙ぐましい努力(?)なのか、わかると思ってあえて嫌がらせとしてやっているのか(とも思えませんが…f(^^;;)わかりませんが、いずれにせよ性別を偽るのは普通の感覚ではありません。:-p
興味深いのは、私のHPの個別具体的な内容を批判するものは少ないことです(もちろん、ゼロではありません)。つまり、そんなことをしても意味がない(正式のハンドルでの議論では、読者に自分が勝ったと印象づけられない?)と判断していると思われます。
まさにこれは私が目的としていることですから、本当にそうだとすると、非常に結構なことですから大歓迎ですね。やった!
さすがに、本人からのメールの返事にそう書くのは気が引けるので、ここにこっそり書いております。(笑) -- H18.6.18
とある否定論者のHPを見ていたら、事実上の敗北宣言とも解釈できる記述を発見しました。
まず、従来はよく取り上げていた、血液型と性格の相関を否定する根拠に関する記述が、事実上消滅してしまったことです。ウソのような本当の話です。 では、中間派になったかというと、相変わらず否定的(懐疑的)見解を強調しています。例えは悪いのですが、敗色が濃くなった戦争末期の日本軍のようです。大本営がいくら「嚇々たる大戦果」と言っても、関係者はほとんどだれも信用してない状態ですね。
例えば、大村さんのFBI効果の説明自体は残っているものの、ラベルのスリ替えの説明は どこにも見あたりません。肯定論者に反論できないから止めたのかどうかはわかりませんが、とにかく否定する根拠はほとんど消滅してしまいました。:-p
ここで、ちょっと気になったのが「差別」の問題です。仮に「相関がある」とすれば、いくら差別してもいいのでしょうか?
いや、絶対にそんなことはありません! ということは、「相関の有無」と「差別」は全く別な問題のはずです。なぜ一緒に論じる必要があるのでしょうか?
少々うがった見方をすれば、「相関の有無」を持ち出すとマズいので、「差別」を持ち出すしかないのかもしれません。もしそうだとすると、否定論者自身が否定論に根拠がないことを認めてしまったことになります(本当かな?)。
もう一つ気になったのが、マスメディア(特にテレビ番組)に関する記述がかなり多いことです。研究者なら、血液型がマスメディアに取り上げられるかどうかより、否定する根拠をきちんと明確にする、あるいは専門分野で業績を上げるのがスジかと思います。BPOがどう取り上げようが、血液型と性格に相関があるかどうかとは直接関係ないはずなのですが…。
あるいは、マスメディアで肯定論が認められてしまうと、直接商売に影響する(?)ということなのかもしれませんが、本当はどうなのかはわかりません。
ちなみに、心理学者からと思われるメールは、その多くが誹謗中傷に近いといった内容になってしまっています。やはり、否定する根拠 に関する記述を書くとヤバイという判断なのかもしれません。
これでは、ますます肯定論者に有利な結果になってしまうと思うのは私だけでしょうか?
ということで、現実は否定論者も実質的に、いや、少なくとも内心は敗北を認めざるを得ないところまできてしまったようです。
皆さんはどう思いますか? -- H17.8.8
最近ネットサーフィンをしていたところ、ABOFANだけの悪口を言うための掲示板やHPを発見しました。もちろん、今までも肯定論者全体の悪口(誹謗中傷?)はあったのですが、今回発見したのはABOFANだけをターゲットにしているケースです!
随分と有名になったものだと、思わずうれしくなってしまいました。一瞬、本人から感謝の書き込みを、とも思ったのですが、なくなっても困るのでそのままにしておくことにします。(^^;; ←マジです。
ABOFANも有名になって、否定論者にもかなりの影響を持っているという明確な証拠ですね。v(^^)
ここではアドレスは公開しませんが、私も陰ながら応援していますので、管理者の方はどうか頑張ってくださるようお願いします(笑)。 -- H17.3.19
平成16年10月7日に放送された超スパスパ人間学!を見て、腰を抜かすほど驚きました。(@_@)
この番組では、心理学者で否定論者の第一人者である大村政男さんが「血液型と性格は関係ある!」と断言していたのです! しかもにこやかに…。
最初は信じられませんでした。多くの読者も同感でしょう!
普通なら、これでメデタシメデタシとなるはずです。しかし、この問題は思ったよりはず〜っと奥が深いようです。
だんだん考えがまとまってきたので、そのうち新しいコーナーでもう少し詳しく検証しようと思います。
興味深いのは、この番組や平成16年10月3日の発掘!あるある大事典IIを話題として取り上げたとたん、否定論者からのメールがどっと増えたことです。(^^) これは、多くの否定論者がこれらの番組や私のホームページに強い関心を持っているという事実を示しています。それだけではなく、投稿者たち(いや、否定論シンパにも)にとって、明らかに「都合が悪い」ということを、彼・彼女たち自らが証明してしまったことになります。
なぜなら、そんなに都合が悪くないんだったら、わざわざ私に反論のメールを書くなんて面倒なことをするはずがないからです!
#私が否定論者だったら、そんな相手に塩を送るようなことはしないで、単純に無視すると思います。
読めばわかりますが、1通や2通なんてものじゃありません。どうも否定論者の行動はよくわかりません…。
特に気になっているのが「勝利宣言」のようです。(^^;; 多くのメールにそう書いてありますが、これははっきり言って逆効果だと思います。なぜなら、「勝利宣言」は否定論者に(他のページも含めて)読んでもらうために書いているのですから…。まさに私の意図どおりのことが実現している、と証明するのが投稿者の目的だ…なんてことは、いくらなんでもないでしょうから。:-p
え、誰ですか?そんなイヤミを言うのはAB型しかいない、なんて言ってるのは(笑)。 -- H16.10.11
【H17.3.19追記】
その後、次の番組でも同じ内容を放送していました。もちろん、大村さんが出演して…です。
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2月21日に放送されたTBSの探検!ホムンクルスを皮切りに、4月4日に放送されたフジテレビの発掘!あるある大事典II、6月13日に放送されたテレビ朝日の決定!血液型ランキングと、今年は民放を中心として一気に血液型ブームが再燃しました。そのおかげかどうか、私も6月26日の朝日新聞beのこだわり会館に紹介されることになってしまいました(ありがとうございます)。ちなみに、テレビ局からの問い合わせも何件か受けました(役に立ったのかなぁ、と少し心配です)。
私が知る限り、マスメディア上での反論は極めて少ないようです。少なくとも、否定論者(≒心理学者)がテレビや雑誌で反論しているケースは、私の知る限りありません!
インターネット上をチェックしてみても、メジャーな否定論者のサイトはそのほとんどは沈黙を守っています。どうも、沈黙している一部が匿名掲示板に乗り込んでいる模様です。これで、否定論者の社会的影響力が大幅に低下したことが証明されてしまったことになります(要するに、実名で反論するとヤバい?ということなのでしょう・笑)。いやぁ、時代もすっかり変わったものです。
参考までに、否定論者のホームページには「議論拒否」「リンク拒否」という意味なのかどうかわかりませんが、このような表示がある場合もあるようです。当然、こちらからリンクはしてもらえません(拒否された?)。時間がないのはしょうがないとして、せめてリンクぐらいしてもらってもいいと思うんですが…。
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これらの番組により、多くの人の認識は、血液型と性格には何らかの(科学的)根拠があるらしい、と逆転したと推測できます。やはり、マスメディアの力は大きいようですね。ふぅ。
ただ、テレビでの「戦果」が大きかったせいか、なんでこれが血液型と関係あるの?といったバラエティ番組も散見されるようで、ホツポツと批判の声が上がっていますね。ちょっと気になります。
こんな状況を打開するには、だれかが(日本語で)真面目な本を書くか、英語で発表して日本に逆輸入するかです。本当に誰かやってくれる人がいないかなぁ。私も陰ながら応援しますので…(もちろん、陰ながらでなく表でも一向に構いませんが・笑)。
テレビと言えば、今年の放送大学テレビでは、血液型批判の部分が完全に消滅してしまいました! テキストには半ページぐらいのスペースで引用文献として紹介されているのですが、本番で全部カットというのも信じられないですよね。まあ、これもテレビでの「戦果」のせいなのでしょう、たぶん。
結局残るのは、あまりメジャーでない否定論者ばかり(失礼!)、そういう人はほとんど影響力がないので、特に問題はないでしょう(笑)。とにかく、めでたいことです。(^^) -- H16.7.19
最近、否定論者の陣営では、マスメディアで明確に否定的な見解を示す人は極めて少なくなったようです。私が記憶する最後のテレビ番組は、平成13年4月5日に放映された『回復!スパスパ人間学』です。ワイドショーや娯楽番組(婚約者に血液型を偽った場合に離婚や慰謝料が請求可能だろうか、とか…笑)は別として、まじめな肯定的な番組が放映されたという記憶もありません。
そんなのどうやって調べるんだ?と疑問に思う人がいるかもしれません。実は、アニメやドラマを見るための秘密兵器(?)として、○ニー製のハードディスクレコーダを購入したのです(単にオタクなだけ?)。画質はVHSよりずっといいし、見たい番組の頭出しも一瞬でできるのでゴキゲンです。さらに、私が買った機種には「おまかせ・まる録」という機能が付いています。これは何かというと、地上波(機種によってはBSやSkyperfecTV!もOK)の番組表を検索し、登録したキーワードが含まれる番組を自動的に録画してくれるというスグレものです。つまり、キーワードに「血液型」と登録しておけば、地上波とBSの全番組を検索し、番組名や解説に「血液型」と入っているものだけ録画してくれるので、簡単に血液型のTV番組のライブラリを作ることがができます。
#細かいことを言うと、O型、A型、B型、AB型というキーワードも登録する必要があります。
#しかし、残念ながら現行機種では登録可能なキーワードは3つまでです。○ニーさん、がんばって!
ものは試しと、早速やってみたのですが、今年は3つの番組しか録画できませんでした。1つは、4月13日(日)21:00からの「行列のできる法律相談所」(NTV)で、婚約者に血液型を偽った場合に離婚や慰謝料が請求可能だろうかという内容、残りの2つはミステリー番組で血液型が云々という番組です。つまり、血液型をまじめに取り上げている番組は、今年になってからはほとんどない、ということになります。
また、一般向けの心理学の解説書からは、徐々に血液型に否定的な記述が消えつつあります。例として、アエラムックの「心理学がわかる」を取り上げましょう。このシリーズの最新版は2003(平成15)年版で、1994(平成6)年版、2000(平成12)年版に続く3冊目になります。
血液型に否定的な記述は、1994年版では3ページもあったのですが、2000年版ではたったの300字に縮小され、そして今回の2003年版では全くなくなってしまったようです! おかしい、と思って何回も読み直したのですが、やはり全く見つけることができませんでした。
執筆陣が大幅に変わったわけでもないようなので、執筆者グループ、あるいは編集者が血液型を書く必要がない(あるいは書いてはマズい?)と判断したとしか考えようがありません。
→ → 1994年版
血液型の記述は3ページ
(67〜69ページ)2000年版
血液型の記述は300字
(139ページ)2003年版
血液型の記述はなし
もっとも、静かになった(?)のは、かつて血液型に否定的な論文を書いていたような「有名人」が多く、有名でない人が書いたあまり売れそうもない入門書や解説書(失礼!)には、相変わらず「脳には血液型物質がない」とか「性格検査では否定的な結果が得られた」といったような不適切な記述も見受けられます。
#ここまでチェックがいい加減とは困ったものです。(*_*)
これらについては、今後とも著者や出版社に訂正を申し入れることで、徐々に不適切な記述が消えていくものと予想されます。(^^)
#著者や出版社にメールを出すことは、かなり効果があるようです。
#また、HPでの指摘もかなりの効果があることがわかりました。
なお、ホームページについてはここに書くまでもありません。メジャーな否定論者のサイトはそのほとんどが沈黙してしまいました。
余談ですが、否定論者に反論するためには、日本語のホームページより英語のホームページの方がはるかに効果があるようです。時間がないので、詳しくは次の機会に…。 -- H15.8.16
事実上の勝利宣言!? 否定側のある有名HPがクローズ(?)したようです。その理由は、寄せられたメールのせいなのだそうですが、仮に一部にしても私のメールのせいであるとすれば(到底そうとは思えませんが…)、非常に名誉なことになりますね。v(^~) 【追記】-- H11.8.15 最近チェックしたら、そのHPはクローズせずに移転していたようです。 事実上の勝利宣言!?−PART2最近気が付いたのですが、(私と議論した)ある否定論者のHPから『ABO FAN』へのリンクが全部削除されてしまいました! それだけでなく、内容もかなり削除されてしまったのです。 本文中の説明によると、血液型関連のページは「リンク先が存在しない可能性がある」からということです。しかし、このとおり『ABO FAN』はまだまだ存在していますし、読者の便宜を考えると、リンクを外す積極的な理由は何も見つかりません。更に不思議なことに、この人は『ABO FAN』が存在することを知らないはずがないのです。 となると、一番可能性が高いのは、『ABO FAN』へのリンクがあることで何らかの不都合を生じる、ということです。だから外したと…。様々な状況証拠からすると、この人は私との議論で非常に懲りたと考えられます。確かに、私と「血液型と性格」論争をしても、この人にとってメリットは何もありません。勝って当然だし、ちょっとでも負けたら−いや引き分けでも−丸損ですから…。 となると、結構な手間がかかるにもかかわらず、本文中の全部のリンク(何十とあったはずです)を外すのは当然なのかもしれません。 #以上は単なる私の推測です。念のため。 なお、削除についてはほとんど説明がありません。これではちょっと…。 いずれにせよ、否定論者は肯定論者のことを無視するということが、またもや事実によって証明されてしまったようです…。(*_*) -- H12.2.1 事実上の勝利宣言!?−PART3これまた最近気が付いたのですが、(私と議論した)ある否定論者のHPを見たら、ここ2〜3年の間は血液型の卒論や執筆記事がめっきり減っているようです。本当の理由は不明ですが、この人は血液型と性格では非常に有名な人なので、実に不思議というしかありません。(?_?) 血液型についての記述が減ったのは、一応は私と議論した時期とは重なります。減った本当の理由は、私の議論によるものなのか、たまたま減っているのか、あるいは別な原因によるものかはなんとも言えません。私の議論ということなら、非常に光栄なことなのですが…。 -- H12.3.29 事実上の勝利宣言!?−PART4ちょっとしつこいですかね(笑)。またまた最近気が付いたのですが、最近の心理学の本では、血液型と性格は「統計的に関係ない」と書いてあるものはほとんど消滅してしまいました。もっと不思議なことに、誰がどの文献でどんな根拠によって否定しているのか、ということもほとんど書いてありません。意地悪い見方をするなら、根拠をはっきりさせてしまうと簡単に反論されてしまう(?)からとも解釈できます。なにしろ、根拠が曖昧では反論しようがありませんからね…。 もちろん、これは私の勝手な推測で、本当の理由は不明のままですが…。-- H12.6.6 |
彼は、非常に偉大な人でしたが、残念ながら昭和56年に亡くなりました。彼は、血液型戦前に古川竹二氏によって発見された血液型と性格の関係を再発見し、日本発ともいえるオリジナルの心理学を築き上げました。現在発表されている血液型と性格については、ほとんど彼の説が下敷きになっているか、そのままの引用と言えます。
しかし、日本的伝統で、どういう訳かこういうオリジナルな説に対しては日本では不当に評価が低く、外国で有名になってから日本でやっと認められるというパターンを繰り返しています(あまりにも例が多すぎていやになるほどです)。彼も海外で認められればよかったと思うのですが、実に残念です。
彼が偉大すぎたせいか、その後は一時研究が進みませんでしたが、着実に日本には浸透しているようです。今後は、海外に進出して認められるのが、ジワジワと日本で認められることになるのでしょうが、実に喜ばしいことです。
なお、現在は息子の俊賢さんが血液型人間学研究所を引き継いで研究を続けています。
このささやかな私のホームページは、なんとかその手助けをできないかということで作りました。目的を果たしているとは全然言えませんが。(*_*)
血液型と性格の関係をわかりやすく説明できて、誰もが知っていて、しかも楽しめるというのはマンガということで、このホームページのコンセプトが決まりました。それから、作者が基本的に1人なので、作者の性格が作品に反映されやすいと言うのもメリットです。うまいことに、態度や表情の動きもビジュアルに表現されています。
実は、私はマンガはあまり詳しくありません。とは言っても、一般の人が知っている有名な作家だけ読んでいれば当分は間に合うので問題はないのです。(^^;; 本当は、故・能見正比古さんのように膨大なデータを駆使できれば最高なのですが、私には到底そんな力はありません。それにしても、能見さんは実に偉大ですね。
一部の心理学関係からの反論を読んでいて不思議なことがありました。内容そのものはともかく、どうも一般的な反論とはちょっと感じが違うのではないか?という疑問です。ヘンだヘンだとは思っていたのですが、やっと原因がわかりました。(^^) それは、例えば次のような反論です。
まず、1については、日本の心理学(欧米は別です)って遺伝子のような生化学とは無縁のところにある学問だったと思うので、なぜ突然こんなことを言うのか理解できませんでした。それに、遺伝子と性格の関係はまだ解明できていない(そもそも、性格が先天的か後天的なものかでさえ論議があります)はずなので、こういう理屈を言っても科学的には意味がないはずなのでは?と思うのですが…どうなのでしょう?
2や3については論外です。理由はFAQ番外編を見てください。4については、差別の定義にもよるのですが、一般的に差別だというのにはちょっと無理があると思います。もちろん、一部に差別だと受け取る人がいても不思議ではありませんが、私の知る限りそう主張しているのは一部の心理学者のようです。
血液型と性格についての関係は、心理学関係以外からの反論もありますが、1や4のような反論は私の知る限りありません。特に4についてはちょっと変?だと思います。というのは、先天的なもので差別されるという理屈なら、身長や容姿(バブル時に流行った三高とか…)の方がずっとひどいはずで、それも隠しようがないから差別は血液型の比ではありません。身長や容姿による差別もあるが同じく血液型も差別だと言うのならまだ分かるのですが…。血液型だけ差別というのは常識的に考えてちょっとヘン?だと思いますが、どうなのでしょう?
アンケート方法や心理学的データの解釈については、ほとんどの心理学者は(上のような指摘をする人も含めて)非常に的確だと思います。正直、私のような素人が反論するのはなかなか難しいです。(*_*) 専門家なのだから私よりずっと詳しくて当然でしょう。さすがに専門家だなと改めて感心しました。しかし、上のような反論については心理学者も専門外のはずで、なぜこういう反論をするのか不思議でした。心理学からの反論というなら、心理学的見地からだけで十分なはずだからです。これがヘン?だと感じるもう1つの理由です。
では、なぜこのような主張を一部の心理学者がするのでしょうか? 非常に不思議だったのですが、先日ある本の内容を思い出して疑問が氷解しました! それば、宗教論争の本です。
宗教論争や宗教戦争は、有史以来何千年の歴史があります。世界史は宗教戦争の歴史といってもいいほどです。もちろん日本のような例外はありますが…。で、その中に「異端は異教よりも悪い」という意味の言葉があります。
血液型と性格が関係あるというのは心理学にとっては「異端」です。これが、心理学とは直接関係ないなら「異教」ですが、性格と関係があると主張しているのだから確かに「異端」です。一部の心理学者から感じが違う質問?をされても不思議はないような気がしてきました。こういう点も心理学で説明できるのではないかと思いますが…。どうなのでしょう?
なお、質問のメールを送った何人かの心理学関係の方からは、血液型と正確の関係についても、私のような素人の質問に親切に答えていただいてとても感謝していることを付記しておきます。 -- H9.9.20
不思議なことのPART2です。実は、気付くのがちょっと遅くかったと後悔しているのですが…。
それは、心理学関係の反論のほとんどが反論になっていないということです。こう書くと、あれだけの反論の論文や本も出ているし、データもしっかりしているし、反論になっていないなんておかしいじゃないか?と言う人もいるでしょう。実は、私もちょっとうっかりしていて気付くのが遅れました。
方法論やデータがおかしいというのではありません。心理学関係の方が(血液型と性格に関係あるという研究者よりも)方法もデータの取り方もしっかりしていますので、私のような統計や心理学の素人が文句を言える筋合いのものではありません。しかし、もう一度反論をよく読んでみると、おかしなことに気が付くはずです。
というのは、一般に「科学的」な反論という場合は、まず仮説についてのプロセスを再現・追試し再現性をチェックするというのが基本になるはずだからです。具体的には、統計データで×型が多いということに反論する場合には、自分なりにアンケートをし直して有意差の再現性を見てみるのが常道でしょう。同様に、○○という質問で、△△型に××が有意に多かったということであれば、同じ質問を自分でもやってみるということになります。
対象は違いますが、少々怪しげな?「常温核融合」についての検証でも、ちゃんとこのプロセスを踏んでいます(結局、「常温核融合」は確認されなかったようです)。それに、心理学者以外からの反論には、統計データを再確認して有意差が出なかったというような、上に述べたような常識的?な反論のプロセスを踏んでいるものもあります。でも、どういう訳か、私の知る限り心理学関係ではこういう反論はありません。非常に奇妙なことですが、これは事実?です。私が知る限り、心理学者の質問項目と能見さんの質問項目で同じものは、驚くべきことに1つもありません! 全く追試になっていないのです。私の見落としもあるかもしれませんが、とにかくほとんど共通の質問項目がないことはたしかです。
もちろん、データそのものはしっかりしているので、心理学的な見地からは「血液型と性格は関係ない」という論理は成り立つと思います(私にはちょっと異論もありますが…)。ただ、既に述べたとおり、私が常識的?に考えると「科学的」な反論になっていないことは確かです。非常に不思議で奇妙なことです。(?_?) 第三者が見たらヘン?だと思わないのでしょうか? う〜む。
私は、あまりにも俗っぽい質問(食事の傾向とか、ユーレイをどう思うかとか…)なので心理学にはそぐわないということだと推測しているのですが…。どうなのでしょう? -- H9.9.27
不思議なことのPART3です。これも気付くのがちょっと遅くかったと後悔しているのですが…。
それは、心理学者がちゃんと血液型と性格の本を読んでいないのではないかということです。これは単なる印象ですが、そう考えないとどうしてもつじつまが合わないことが多すぎます。逆に、そうだとすると、すべてのことがうまく説明できるのです。
さすがに、最初はちょっと信じられませんでした。しかし、心理学者のどの本やホームページを見ても、ちゃんと読んでいるとは思えないのです。非常に不思議ですが…(実は理由も考えてはいますが、自信がないので公開はしません) たとえば、「△型はこういう性格」とされている説明は、ほとんどが的外れなのです。では、実例を出して説明してみましょう。
A型は「周囲の人に細かく気を使う」「感情や欲求はおさえる方である」とされているようです。しかし、これは違うのです。確かに一般的にはそういえるでしょう。しかし、ありとあらゆる場合にA型が「周囲の人に細かく気を使う」「感情や欲求はおさえる方である」かというと、そんなことはありません。A型は「身内」や「イエ」の人だったら確かに「周囲の人に細かく気を使う」「感情や欲求はおさえる方である」なのですが、逆に「外部」や「ソト」の人だったらまずこんなことはしません(読んで気を悪くしたらゴメンナサイ!←A型の人)。社会や世間を意識するのがA型ですから、「ウチ」か「ソト」かで態度が違うのです。ですから、質問の設定や状況によって性格は何とでも変わる可能性があります。もちろん、他の血液型でも同じような調子です。
こんな議論では、私は苦笑いするだけですが…(失礼!) --
H9.10.17
不思議なことのPART4です。ちょっとしつこいですが…。まあ、よかったら読んでください。(笑)
大部分の心理学者によると、血液型によって性格が違って見えるのは「ステレオタイプ」だからだそうです。
「ステレオタイプ」というのは、要するに血液型で性格が違って見えるのは、単なる「見かけ」で本当は性格は同じということでしょうね。これは理屈としては筋が通っています。じゃあ、本当は同じというのはどうやって証明するのかというと、その元データは質問紙法(アンケート調査によるデータ)というのです。
能見さんが「AB型は表情の動きが少ない」というなら、心理学的に精密な測定方法があるのだそうですから、実際に測ってみればいいじゃないですか。「ある血液型は表情の動きが少ない」なんてことを知っている人が多いとは思えません。また、それなら質問紙法でそんなことを知っているかどうか質問すればいいはずです。でも、そんな反論は私の知る限りありません。
実は、血液型と性格の関係が一般の人にどの程度知られているかというのは、心理学者がちゃんとデータを出しています。正確には知られていないというデータがちゃんと出ているんですね。だから、「ステレオタイプ」じゃ説明できないんです。どうしてこんなヘンな説明をするのでしょうか? -- H9.10.17
私は竹内久美子さん(A型)のファンです。その発想のユニークさ、読みやすい文体…、1ページ1ページが新しい発見で、読む人を飽きさせません。専門の動物行動学の視点から、動物の行動だけでなく、国家、文化についてズバズバと切り込みます。彼女の本は何冊か持っているのですが、血液型と性格についての本があるとは意外でした。
実は、私のホームページを見た弓達公雄さんからのメールで、竹内久美子さんの『小さな悪魔の背中の窪み』〜血液型・病気・恋愛の真実〜(新潮社)という本はいいので是非読んでみてくださいという紹介がありました。さすがに有名な人ですね、地元の図書館にもあったので、早速読んでみました。
この本は、今までの心理学関係からの反論にほとんど答えているといっても過言ではありません。歴史、理論、日本国外での研究成果、ABO式以外の血液型と性格、日本の心理学者への反論など、血液型と性格に関係があるという人は是非読むべきです! こんな本があったのだったら、もう少し早く読んでいればなぁ、と思いました。とにかくオススメです!
そして、彼女の紹介によると、R.B.キャッテルの研究により、心理学的にも性格と血液型は関係あるという研究もあるようです。竹内久美子さんバンザ〜イ!!-- H9.9.27
「科学的」という言葉のうまい説明があったので、次に書いておきます。
物質から何らかの心理的・宗教的影響をうける、言いかえれば物質の背後に何かが臨在していると感じ、知らず知らずのうちにその何かの影響を受けるという状態、この状態への指摘とそれへの抵抗は、『福翁自伝』にもでてくる。しかし彼は、否彼のみならず明治の啓蒙家たちは、「石ころは物質に過ぎない。この物質を拝むことは迷信であり、野蛮である。文明開化の科学的態度とはそれを否定棄却すること、そのため啓蒙的科学的教育をすべきだ、そしてそれで十分だ」と考えても、「日本人が、なぜ、物質の背後に何かが臨存すると考えるのか、またなぜ何か臨在すると感じて身体的影響を受けるのか。まずそれを解明すべきだ」とは考えなかった。まして、彼の目から見れば、開化もせず科学的でもなかったであろう"野蛮"な民族−たとえばセム族−の中に、臨在感を徹底的に拒否し罪悪視する民族がなぜ存在するのか、といった点は、はじめから見逃していた。無理もない。彼にとっては、西欧化的啓蒙がすべてであり、彼のみでなく明治のすべてに、先進国的学習はあっても、「探求」の余裕はなかったのである。従って、この態度は、啓蒙的といえるが科学的とは言いがたい。従って、その後の人びとは、何らかの臨在を感じても、感じたといえば「頭が古い」ことになるから感じても感じていないことにし、感じないふりをすることを科学的と考えて現在に至っている。このことは、超能力ブームのときに、非常に面白い形で出てきた。
私が、ある雑誌に「いわゆる超能力は存在しない」と記したところ、「お前がそんな科学盲従の男とは思わなかった」といった投書がきた。超能力なるものを感じても感じていないことにすること、いわば「福沢的啓蒙主義」をこの人は科学と考え、それに反発しているのである。従って、多くの人のいう科学とは、実は、明治的啓蒙主義のことなのである。しかし啓蒙主義とは、一定の水準に"民度"を高めるという受験勉強型速成主義で、「かく考えるべし」の強制ではあっても、探求解明による超克ではない。従って、否定されたものは逆に強く潜在してしまう。そのため、現在もなお、潜在する無言の臨在感に最終的決定権を奪われながら、どうもできないのである。
山本七平『「空気」の研究』より
ここで、「物質の背後に何かが臨在していると感じる」を「血液型と性格は関係ある」、「福沢諭吉」を「心理学者」と言いかえれば、今でもほぼ同じ状態であることに気付くでしょう。ただ、ちょっと違うのは、血液型と性格は関係あるというデータがちゃんとあるということです。それから、私はそれでも福沢諭吉は偉大な人だと思っていることを付記しておきます。(^^;;
なお、「物質の背後に何かが臨在していると感じる」ということについては、作家の井沢元彦さんによる詳しい説明があります。興味がある方は彼の本、『言霊』を読んでみてください。-- H9.10.3
このコーナーは、久しぶりの更新です。
5月2日に某公立図書館に行って否定論者の論文を大量に仕入れてきました。これで当分ネタに困ることはなさそうです。(^^) 内容については、ボチボチにアップする予定です。驚いたことに、直接的にデータを分析している論文中で、信頼できるもの数えるほどしかありません。心理学者ってアンケートや統計に弱いんですね。ちょっと意外でした。:-p
-- H10.5.3
松井豊さんの論文のデータを再分析しました。バッチリ差が出ています! いまのところ、松井さん以上のデータはないので(能見さんを除く)、当分は安心して暮らせそうです(笑)。しかし、なぜ「関係ない」という結論になったのか理解に苦しみます。本当になんでなのかなぁ? ということで、松井豊さんの論文のページにも書いたのですが、ここにも書いておきましょう。
最後まで書き終わって、はてな?と大きな疑問が残りました。松井さんは本当にこんな単純なことを知らなかったのか?という疑問です。彼の論文を読むとわかるのですが、彼の分析のシャープさはすばらしいものがあります(私なんか問題になりませんから…)。私にも簡単にわかるようなことが、彼にわからないはずがありません(これは皮肉ではありません)。となると、こんなことはとっくに気が付いていたのかもしれないのです。ただ、現状でそんな分析結果を公開すると日本の心理学界は大混乱になることは目に見えています。だから、しばらくは隠しておこうと(考えすぎかな?)。
しかし、彼が発表するちょっと前に私が見つけてしまいました。いや、仲間内ではすでに「定説」になっていたのかも(本当かな?)。
おっと、これは『金田一少年の事件簿』や『名探偵コナン』の見過ぎでしょう(笑)、たぶん。
ご意見等いただければ幸いです>ALL -- H10.5.3
松井豊さんの論文のページを最後まで読んだ人にはわかると思いますが、いままでポピュラーに行われていた統計手法(χ2検定)は、実は血液型による性格の差を見るには非常に不向きな方法だったのです。血液型による性格の差はせいぜい10〜20%程度ですし、普通の質問項目では数%しかありませんから、元々の誤差が数%ある数百人程度のサンプルでは差が出ないのは当たり前です。そんなのはちょっと計算してみれば当然のことなのですが、今まで誰も指摘しなかったのは非常に不思議です。
また、松井さんの論文1&2、大村さん、能見さん、坂元さんのデータについても、かなりの再現性があることが確認されました。質問項目や対象者による影響についても、私の仮説がちゃんとあてはまることもわかりました。万々歳といったところです。
つまり、心理学の「常識」は血液型の「非常識」なのです。普通の統計では差が出るはずがないし、性格テストの質問項目を使っても血液型による差が出るはずがないのですから、まじめな人ほど「差が出ない」「データの再現性がない」というのは当然のことでした。これで、いままでのことがすべてうまく説明できました。ということで、当分の間は心理学者から「血液型と性格は関係ある」という主張は出てこないでしょうね、残念ながら。 -- H10.5.5
今までの多くの否定論者(≒日本の心理学者)は、血液型による性格の違いは存在しないと主張してきました。信頼できるアンケート(≒日本の心理学者)のデータでは安定した結果が得られないというのがその理由です。つまり、血液型による性格の違いは存在しないが、もしそのように見えるにしてもそれは「血液型ステレオタイプ」(特定の血液型はこういう性格だという信念)によるものというわけです。
しかし、実際の論文に当たってみると、そのほとんどはそんな断定はしていないのです。ですから、いまだに「血液型ステレオタイプ」があるかどうかは、決定的な結論は出ていないといっていいでしょう。ウソのようなホントの話です。(@_@)
私も、心理学者がそういうのだから、ず〜っとそう思っていたのですが、あるきっかけで「血液型ステレオタイプ」について調べることになりました。しかし、心理学者の代表的な論文を読んでみると、明らかにA型だけが「血液型ステレオタイプ」を持っているのです。不思議に思って、手持ちの全部の論文を調べてみましたが、すべてそうなのです。どの血液型がステレオタイプを持っているかということは、これらの論文を読めば誰だってすぐ気付くはずです。なぜ、今まで結論が出なかったのか非常に不思議で、狐につままれたような気持ちでいます。
もっと不思議なことに、最近の論文については、私の読んだものもリファレンスとしてちゃんとリストに載っています。全く同じ論文から得た結論なのに、なぜこんなに結果が違うのでしょうか? 私には理解できないのですが…。
その後、渡邊席子さんの論文を入手することができました。この論文は画期的で、「血液型ステレオタイプ」が存在しようがしまいが、回答には影響しないというものです。つまり、データを分析するのには「血液型ステレオタイプ」は無視していいのです。ということで、坂元章さんの論文で3万人のアンケートを分析して明確な差が出たのですから、血液型と性格は関係あることは明らかですね。(^^) -- H10.5.25
坂元章さんの論文を参考に、私オリジナル?の血液型得点を計算してみました。バッチリ差が出たことはもちろんです。(^^) ただ、否定論者の代表的な論文を再分析すると、(私個人の片手間の分析でさえ)あまりにも簡単にバッチリ差が出てしまう(しかも反論は全くありません!)のに驚いています。最初は何かウラがあるのではないかと疑っていたのですが、どうもそういうことではないようです。これはあくまでも推測ですが、どうやら血液型と性格は「関係ない」とアプリオリに断定してしまっているのが最大の理由だと思います。データそのものはしっかりしていますが、「関係ない」という結論が簡単に出るために、それ以上の分析を止めてしまっているのではないかと…。そう考えない限り、こんなに簡単に差が出る理由が見つかりません(私だったら、こんなに簡単に反論できるデータを公表したりはしません。:-p)。あまりにも簡単に全部うまく行きすぎて、うれしいのと同時に少々不安になっています。(^^;; -- H10.5.31
YG性格検査のデータを分析していたところ、もともとの回答の選択方法の3者択一を2者択一にすると、(どういうわけか?)A対Bに比べるとO対ABの差が小さくなることがわかりました。これは、A型がけじめをはっきりつけ、B型がそうでないからかもしれません。O型とAB型はその中間ですからね。残念ながら、詳細なデータの分析ができない(質問項目が公開されていない)ので単なる推測ですが…。
実は、YG性格検査に限らず、心理学の性格テストには別の欠点もあります。というのは、質問紙法のほとんどは1つの尺度を計算するのに複数の質問を使っているからです。しかし、同じ尺度の質問でも、血液型によって反対の回答をしている可能性があります。残念ながら、質問が公開されていないのでこれはあくまでも推測ですが、データを見ていると確実にそう言えます。というのは、性格テストでは10%以上の差が出ている尺度がほとんどないからです。普通は、うまく質問を選んでやれば10〜20%の差なんて簡単に出ますからね。ですから、能見さんの言っているとおり、性格テストは血液型による性格の差を分析するのには向いていないのです。なるほど…。 -- H10.5.31
初めて能見さんと同じデータでの反論を見ました! う〜ん、探すのに随分長くかかったものです。残念ながら、この手の反論にはお手上げです。こんな反論が増えてくると困るなぁ(苦笑)。このデータは非常に都合が悪いのですが、大村さんに敬意を表して敢えて掲載しました。 -- H10.5.31
c-chanさんからのメールで気になったので、ABO型物質(あるいは類似物質)が脳にどの程度あるのか調べてみました。そうしたら、人体中で最も多い胃の8%程度は存在するのです(胃のABO型物質は血液中より多いことに注目)。これでは、どう考えても「血液型を構成する物質は脳にはほとんどない」とは言えないでしょう。:-p
ところで、否定論者は「脳には血液型物質はない」のだから「血液型と性格は関係ない」という人が多いのです。となると、同じリクツで、「脳には血液型物質は(量は少なくとも)ある」のだから「血液型と性格は関係ある」ということになります。血液型の専門書をちょっと確認すればわかることを、なぜ否定論者の多くは確認しなかったのでしょうか? はて? 「血液型と性格」の謎は深まるばかり…。
-- H10.6.13
松井豊さんの論文のデータを再分析しました。そこで初めて松井豊さんの分析ミスを発見しました。データの誤差を計算してみると、「4年度で共通して差の見られた1項目も、最高の肯定率を示す回答者の血液型が年度によって異なるという、一貫性を欠いた結果になっていた」のは当然なのです(しかも、この論文は非常に多くの否定論者に引用されています!)。しかし、なぜ「当然でない」という結論になったのか理解に苦しみます。本当になんでなのかなぁ? ということで、松井豊さんの論文のページにも書いたのですが、ここにも書いておきましょう。 -- H10.8.16
初めて松井豊さんの分析ミスを発見しました。しかし、こんな凡ミス(失礼!)が10年以上も誰にも指摘されないというのは実に不思議です。いや、松井さんはとっくに気付いていたのかもしれないのです。ただ、誰にもわからないのでそのままにしよう思っていたのかもしれません。う〜ん、これではまるで私のようだ(苦笑)。いや、松井さんのことだから、なにか別な理由があったのかもしれません。例えば、わざとミスを書いておいて、どの心理学者が一番最初に発見するのか知りたかったとか…。
でも、心理学者でない私が一番最初に発見してしまいました。これでは、松井さんもさぞかし残念(?)でしょう。いや、仲間内ではすでに「発見」されていたのかも(本当かな?)。おっと、これまた『金田一少年の事件簿』や『名探偵コナン』の見過ぎでしょう(笑)、たぶん。
「心理学者の反応」を書き終えて、否定論者との議論はもう終わった、と感じています。一応、私の反論は完結しました(本当かな?)。実は、結論にはもう少し過激(?)な文章を予定していたのです。しかし、少し「やりすぎ」ではないかという意見もあったので(確かに…)、ちょっと考えた後に一部を変更しました。とにかく、これでしばらくはラクができるはずなので、正直ホッとしています。
結局、私は少しでも能見正比古・俊賢さんの役に立ったのでしょうか?(どうなのでしょう…)。もし、ほんの少しでもいいから、役に立ったのだったら本当にうれしいのですが…。(^^)
それと、議論をしてだんだんわかってきたのですが、一部の心理学者のインテグリティ(知的誠実さ)のなさにはガッカリしました。もちろん、親切な人も多いですけど…。「アカデミック」な心理学者でも、「空気」や「コトダマ」と「論理・データ」の違いがわからない人がいるのでしょうか?(私だって威張れる訳ではありませんが、少なくともデータは尊重しているつもりです…苦笑)
いずれにせよ、日本の心理学者が、真面目に「血液型と性格」に取り組むことになれば、『ABO
FAN』の役目は終了です。能見さんのすばらしい業績が正当に評価され、日本発の新・心理学として世界に広まるのなら、私にはまさしく望外の喜びです。『ABO
FAN』は、そのために作っているのですから…。ということで、役目が終了すれば、当然のことながら『ABO
FAN』は縮小することになります。私のような素人は引っ込み、性格のプロの心理学者にバトンタッチする訳です。遠からずその日が来るのを心待ちにしているのですが…。
前川さんの記事も新聞に載ったようですし、最近は肯定派に追い風が吹いているようです。本当にうれしい限りです。(^O^) -- H10.9.28
ここ最近、「長谷川さんのページへの感想」に力を入れすぎて、一般の人が楽しめるページの更新をサボっていました。おかげで、アクセスは増えましたが『ABO
FAN』は「議論ばっかり」とか「全然面白くない」と評判は地に落ちた(?)ようです(そうでないことを願っています)。まぁ、自業自得なのでしょうがないのですが(苦笑)。
いずれにせよ、これは大きな反省材料です。だいたい、直前の項目で「定論者との議論はもう終わった、と感じています」なんて書いているのですから、お話になりません。議論の内容や結果はともかく(それは読者自身が判断することですから、私は何も言うつもりはありません)、一般の人が楽しめくなってしまっては本末転倒でしょう(なお、今後も議論を続けるかどうかは、長谷川さん次第…のつもりで、こちらから終わりするつもりは…今のところはありません。もちろん、気分が変わったら止めます。なんせ、きまぐれなAB型ですから(笑))。確かに、井沢元彦さんの言うとおりだと納得しました。
ということで、議論の項目を目立たなくすることにしました。もっとも、(可能性はかなり低いのですが)議論が評判がいいということになれば、また目立たせるようにするつもりです。これからは、論文の再分析、そして議論が終わってからやる予定だった、血液型別のページを充実するつもりです。よろしくお願いしますm(._.)m>ALL
-- H10.11.9
最近、いやがらせ(?)とも思えるメールを何回ももらっています。正体は、どうやら心理学関係者のようで、職種、所属、年齢、性別等は、すべて架空のもののようです。なお、これ以上のことは、本人の名誉のために公開はしないでおきます。
#だったら、はじめから公開しないといいのかな?(苦笑)
ただの匿名なら何の問題もないのに(いや、大歓迎なのですが)、架空の人物(?)と架空のケース(?)を作り上げてしまい、更に正体が心理学関係者であるというのは、未だに信じられません。正体が特定できた後も、未だに半信半疑でいます。なぜこんな姑息なことをするのか、全く理解できません。
いずれにせよ、万が一こんなことがバレたら、心理学関係者にとっては一大スキャンダルです。なぜそこまでのリスクを犯す必要があるのでしょうか? となると、実名、あるいは完全に匿名ではまずいと強い理由があるということなのでしょう。私の推測は、
1.本人が心理学関係者ではないと思わせる
2.その架空の人物を実在の人物だと思わせる
3.心理学関係者が(私との)議論に勝てなかったらメンツがなくなる
といったところです。あるいは、「被害者」がいることを示したかったのかもしれません。
どうにもわからないのは、匿名にしようがなんだろうが、長くやっていれば自然に正体はバレるという「常識」がないということです。せいぜい2、3回で止めておけば、正体もバレずにすんだはずなのですが…。
なお、以上はあくまでも私の推測に過ぎないことをお断りしておきます。
-- H11.4.13
余計なこと(やはり…f(^^;;)ですが、一言書いておきましょう。まず、次の文章を読んでみてください(山内光哉 『心理・教育のための統計法<第2版>』 サイエンス社 H10.11 1ページ)。
およそ統計学(法)ほど誤解に満ちた学問(方法)はない。統計学(法)というと,単に数量を集積するにすぎない領域とみられたり,また,何か高等な数学を扱う,素人には近よりがたい学問と考えられたり,また,「統計でウソをつく法」というたぐいの本が現れているように,数値をあやつって,人をまどわす方便と考えられたり(または,まどわすことができると考えたり),また,統計的検定にかけた,といえば,それだけで結果を絶対視したりする。あるいはまた,心理・教育の論者の中には,人間の教育や心理のことは,どんなに数値化してもわかるものではなく,したがって処理方法として統計学などはまったく必要はないか,邪道であると考えるものすらある。
読めば分かるように、要するに心理学者は統計が不得意な人が多いわけです(失礼!)。分からないものだから、頭から信じ込んだり、恐怖心を抱いたり、反発したり、否定したり、無視したりするわけで、この理由は心理学的に説明できる…はずです。
#さすがにまずいので、それはやらないのでしょうけど…。
#対象は統計でなくとも、例えば、原子力、コンピュータ、ヘッジファンドでもなんでも同じです、たぶん。
推測するに、統計に弱いことは心理学界では当然のことなのでしょう(失礼!)。もっとも、私のような部外者が読む可能性があるなら、こんなことは絶対書かないはずです。つまり、心理学関係者しか読まないことも暗黙の前提にあるわけです。(^^;;
能見さんとの論争の経過を調べて分かりましたが、最初の批判的番組であるNHKの「ウルトラ・アイ」(昭和57年)には、NHKがいやがる心理学者を無理矢理引っ張り出したらしいです。たぶん、心理学者は最初はおっかなびっくりだったのではないでしょうか。しかし、その後に肯定側からの反論がなかったので、だんだん気が大きくなって来て、現在のような状態になってきたわけです。(^^;;
ですから、前川さんの反論は当然として、私のHP程度でもおよび腰のようです。
自信があるなら、正々堂々と対決するか、あるいははじめから無視すればいいわけですね。しかし、実際には、最初は当然勝つと思っているので、強気で対応してきますが、途中で負けそうだとなると態度が豹変するわけです。
#まあ、私もそうなので、あまり大きいことは言えませんが。(^^;;
この場合のパターンはほぽ決まっていて、
といったところです。はじめからそう要求するなら、まだ理解できるのですが…。
#中には非常に正直な人もいますが、残念ながら例外です。
ということで、心理学では絶対認めない、あるいは絶対にこう解釈するのだ、というパターンが多いのです(なぜ?)。もちろん、方法論は統計学のものなのですから、本来は心理学は関係ないのですね。統計的にはとっくに勝負が付いていますが、こうなるとその「論理」や信念を崩すのは困難です。一般にも、「専門家」であるはずの大学の先生が否定しているという効果は大きいですからね。まじめに「否定されている」と信じ込む人も多いようですし…。
実に困ったものです。(*_*) -- H11.6.26
竹内久美子さんの著書、『小さな悪魔の背中の窪み』の中で、なぜABO式血液型によって性格の違いが生じるのか?という感染症から見た非常に魅力的な仮説が提供されています。
しかし、竹内説には大きな欠点があります。まず、この仮説はほとんど実証不可能ということです。同様に、血液型による感染症の差は、本当にあるのかどうか疑問であるという意見も専門家からたくさんいただいています。
しかし、最大の欠点は、O型が最も生存に有利ということになると、計算してみるとわかるとおり、何十世代か後にはO型の人間だけが生き残ることになってしまうことです。(*_*) つまり、私はO型でないといけないことに…。しかし、実際にはこのとおりAB型です(笑)。あれ?
元々はabo-MLの主催者である鹿児島大学の板倉さんの指摘ですが、他の誰も言わないのは非常に不思議なことです。
#私も試算してみましたが、当然のことながら同じ結果になりました。(*_*)
そして、竹内久美子説ではO型が一番生存に有利とのことですが、超優性による淘汰のメカニズムが働く限り、ヘテロの方が生存に有利なわけですから、O型が生存に有利という彼女の説は明らか(?)に間違っているわけです。O遺伝子があるヘテロ(AO、BO、AB)の方が生存に有利でないといけないので、「社交的」であるはずでないといけなくなってしまうのですから…。これが超優性という人類遺伝学の常識(?)から導かれる結論です。
しかし、竹内久美子さんのファンである私にとっては、大変残念な結果となってしまいました。トホホ。(T_T) -- H11.8.8
最近、またまた性懲りも無く否定論者と議論をしました。f(^^;;
掲示板での議論は久しぶりだったので、ちょっとワクワクしていたのですが…。議論がかみ合うかなあ期待していたのですが、「私は統計学がわかっていない」から始まり(具体的な指摘はほとんどなし)、ついには私の人格非難となり、最後にはSYSOP削除で終わってしまいました。最後まで議論がかみ合わなかったのが非常に残念です。
#実は、最後の書き込みについては、削除してもらうことが大きな目的だったので、そういう意味では「大成功」です。(^^;;
#理由についてはここでは書きませんから、皆さんで考えてみてください。
ではなぜこんなことをやったかというと、私のデータ・論理が正しいかどうかの再確認です。相手は、具体的なデータや文献の引用は(ほとんど)ないですし、私へのデータによる反論はないですから、当分の間は安心できることが確認できました。また、年齢によってパターンが違うことも確認できました。
一般的に言うと、若い人ほど感情的になる傾向があります。心理学者は別ですが…。また、感情的になる人は心理学・統計学がわかっていないことも確認できました。そして、当初は予定していなかった、井沢元彦さん(B型)の『言霊(ことだま)U』〜なぜ日本人は真実を見たがらないのか〜(祥伝社 H9.12)の以下の記述が正しいことも確認できたといっていいでしょう(59〜64ページ)。
さらに、ジャーナリズムにおける言霊の弊害をもう1つ付け加えるならば、言霊の世界では、まともな論争が成立しないということである。…
問題はこの論争する論敵の側が、私や私と考えを同じくする人たちに対して、まず何をするかということである。
本来私の主張が間違っていると思うならば、その主張の内容を細かく分析し、論理的矛盾、あるいは事実と違う誇張といった欠点を探し出し、それを冷静に指摘すればよい。もしそういうものがあるとすれば、私の論拠は崩れるのである。
ところが、そういう時に、日本人が論敵を倒すために一般的に何をやるかというと、まずレッテル張りである。
たとえば私が張られたレッテルでいえば、「右翼」、あるいは「軍国主義者」、「保守反動」といったものである。つまり、彼らはこういうレッテル張りをすれば、それで議論に勝ったと思い込んでいる。…
「1プラス1イコール2」というのは初等数学の定理だけれども、これは誰にとっても真理であり、たとえば右翼が言ったから「1プラス1イコール2」ということは真理ではないというような議論の立て方は、言うまでもなく明白な間違いである。
ところが、日本では往々にして、自分に対して反対の意見を持っているいわゆる論敵に対して何をするかというと、相手の主張の中身の欠陥の指摘ではなく、人格攻撃になる。たとえば右翼、たとえば軍国主義者、あるいはその逆の立場からいえば、左翼、過激派といったような悪口である。
問題はその人間がどんな思想を持っているかということではなくて、とりあえずは、その主張している中身が正しいか正しくないかということが重要なのである。それなのに日本人は、なぜ議論の中身ではなく、相手にレッテル張りをすることによって、議論に勝ったような錯覚に陥(おちい)るのか。それも、実は、まさに言霊の作用なのである。
もう一つの収穫は、現在書いているこの項目のネタができたことです。
書きたいことはまだまだあるのですが、これ以上書くと議論の相手が特定されてしまいますので、ここでは自粛しておきます。(^^;; -- H11.9.15