CRAZY GIRL

I wish I wrote wonderful novels.
So I love to write storys.

彼の背中

9.

 午前十一時前、私はシフトに入っていないのにも拘わらず、アルバイト先に来ていた。
 十二時から仕事の清美に、髪を巻いてもらっている真っ只中である。不器用な私は自身の髪を真っ直ぐにする事は出来ても綺麗に巻く事は出来ないのだ。
「まさか、理沙から髪のセット頼まれるとは思わんかったわ」
「仕事前にすみません」
「ええよ、店長ももうすぐ来るみたいやから、十二時までまったりしとくつもり」
 今日は朝からドタバタ劇を上演しているようである。
 服はどうしようかと迷いに迷って、ベッドの上は洋服たちで埋め尽くされ、化粧が上手くいかないと母に泣きついては叱られ、既に疲労が蓄積されている。
 てきぱきと清美は作業を進め、綺麗にハーフアップにして、彼女のものであろうコサージュまで付けてくれた。
「何個かアクセサリー持ってきたけど、使えそうなんこれくらいやわ。でも、似合ってる」
「ありがとう」
 ものの五分ほどで、私の野暮ったい髪型は美しく仕上げられた。
清美にお礼を言い、携帯を確認する。
——十二時に森ノ宮のモスで。
 昨晩、佐伯から来ていたラインをもう一度確認する。
 時間は充分ある。
 走って、折角のこの髪型を無駄にする訳にもいかないのだから、余裕を持って出発するのがよいだろう。
「じゃあ、行ってきます」
「うん、楽しんできてな」
 ひらひらと手を振ってくれる清美に満面の笑みを返しながら私は休憩室を出た。
 しかし、今日の私は少し浮かれすぎではないだろうか。
 普段履かないような少し高めのヒール、似合っているのか甚だ怪しい白のワンピースと黄色のカーディガン、しかも髪までセットしている。
 佐伯は、果たしてこの私の姿を見て呆れたりしないだろうか。
 駅まで歩いている間に、私の頭は既に許容量を超えた考えで満たされ、私は軽いパニック状態に陥っていた。
 電車に乗ってもそれは収まらず、窓に映る自分の姿が違和感に溢れており、不安でいっぱいになってしまった。
 一度、私は冷静にならなければならない。
 きっと、佐伯は私の格好などどうでもいいと思うに違いない。
 今日の目的は、野村英雄の舞台を観劇することなのだから、他の事など興味の範囲外に決まっている。
 だから、私がこんな事で考えを巡らせている事自体が、そもそも自意識過剰で恥ずべき事なのだ。
「——ノ宮、森ノ宮」
 はっと顔を上げると、電車の外の風景が目に映る。そこに貼られている文字は『森ノ宮』とはっきりと書かれていた。
 慌てて降りようと駆け出したが、私の鼻先で、扉は残酷にもがしゃんと閉まってしまった。
 心臓が早い。
 携帯を確認する。時間は、まだ大丈夫だ。
 大阪城公園で降り、私は全速力で階段を駆け下り、そして休む暇を自身に与える事無く、二段飛ばしで駆け上がった。
 少ししてから電車がやってきた。
 私が急いだ事は全く意味の無い事だったが、ホームで息を整えていると、先ほどまで悩んでいた事がなんだかどうでも良い事のように思えてきた。
 悩んだところで、今更どうにかできることでもないのだ。
 一駅間、私は髪を整え、僅かながらの瞑想に耽った。
 今度こそ、私は森ノ宮駅で降り、改札を出た。
 待ち合わせ場所は本当に駅から直ぐだった。
 お店の前で立ち止まり、携帯を見る。
 連絡は入っていないし、時間もまだ十五分前だ。
 携帯がぶるりと震え、新着のメッセージが届いた事を知らせた。——もしかして、着いた?
 佐伯からのメッセージだ。
 なんというタイミングだろうか。
——着いたよ。
 驚きの気持ちなど微塵も出さないように、素っ気ない返事をする。 佐伯は超能力者か何かのようだ。
 いつも彼からの連絡は絶妙なタイミングでくる。
 そろそろ寝ようと思った頃に、「おやすみ」というラインが届いた事もある。
 背後で扉が開く気配を感じ、私は邪魔にならないように端に寄ろうとしたのだが、肩をぽんと叩かれた。
 驚いて振り返ると、そこには佐伯がいた。
「やっぱり、今井さんや。服装が前と違うから、とりあえずラインいれてみてん」
 思いがけず、呼吸と瞬きが止まる。
「ごめん、驚かせた?」
「大丈夫。え、いつからおったん?」
「半くらいに着いてもうたからお茶してた」
 早く着いたと思っていたのに、彼はそれを更に上回っていたのだ。「開場十二時半の、開演が十三時やし、少し、ここでゆっくりしてく?」
「そうする」
 私が答えると彼は扉を開けてくれた。ぺこりと頭を下げて中に入ると、涼しい風に包まれて体が軽くなる感覚になる。
「そこのソファー席」
 椅子に彼は腰掛け、私は案内されるまま、ソファーに座った。
「何飲む?」
「注文くらい自分で出来るもん」
 荷物をソファーに置き、お財布だけ手に持って私はカウンターへと向かった。
 席を立つ時に見た佐伯の顔が、笑いを堪えているように見えて、少し恥ずかしい。
 アイスコーヒーを片手に席に戻り、佐伯を見ると、彼は可笑しそうに笑った。
「志田やったら、間違いなく俺の事ぱしりにしてる」
「こないだのヒロインの子?」
「そう。あいつ、人の事使うの上手いから」
 志田さんが佐伯に注文を頼み、「ありがとう」と微笑んでいる姿を想像してみる。
 嗚呼、なんて美しいのだろう。
 しかし、私が同じ行動を取ったとしても、美しくはないだろう。
「今井さん、そういう服も着るんやね。似合ってる」
 突然の褒め言葉に、私はまたしても瞬きと呼吸を止めてしまった。
 今回は開いた口まで開いたまま止まってしまい、間抜け面を正面から堂々と彼に見せてしまうという失態を犯してしまう。
 顔が熱くなる。
「あ、ありがとう」
 返事がぎこちないと私自身が感じるのだ、佐伯もそう感じたに違いない。
 コーヒーの中にシロップとフレッシュを勢いよく入れ、勢いよくストローで混ぜた。
 コーヒーを喉に通しながら、彼を覗き見すると、目が合った。
「楽しみやな」
 私の下らない照れ隠しなど、彼は我関せず、いつもの表情でそう言った。
 からかったりせずにいてくれる彼のお陰で、私は平常心を取り戻せた。そういう彼の空気が私はとても心地がいい。
「うん。今日はほんまにありがとう」
「舞台終わるの一六時くらいなんやけど、その後、夕食一緒にできたりする?」
「うん。連絡しとけば、大丈夫」
「じゃあ連絡よろしく」
「よろしく頼まれました」
 母にその事をメールで送信すると、直ぐに了解との返事がきた。
「おっけーです」
「今井さんおもろいなあ」
 数多く合っている訳でもないのに、長年の友人のようだ。
 こんなに一緒に居るのが楽しくて、自然で、心地がいい存在は今まで同性にしか感じた事がなかったというのに、佐伯斎という人物は不思議な存在だ。
「うちの文化祭九月なんやけど来る? 珍しく創作劇するねん」
「行きたい! それって地区大でやるやつ?」
「そう。今井さんとこは何月?」
「うち十月。地区大でやるやつするで」
「俺も行きたい」
 お互いの部活の話をすれば、話はいくらでも花が咲く。
 演劇の話をこんなに出来る人も私には今まで部活の同期くらいしかしなかったからか、時間を忘れて話し続けられる。
「そろそろ、行く?」
 時間は十二時四十分。
「せやね」
 既に私のコーヒーはすっからかんである。
 佐伯が私のトレーと彼のトレーを一つにまとめて、返却口へと持って行ってくれた為、私は彼の後を着いて行くだけだ。
「佐伯君って、意地悪な時もあるのに、紳士やんなあ」
「意地悪ってなんやねん」
 外は、暑い。
 暑いけど、それは嫌なものではない。
 こうして歩く夏も、もうじき終わってしまうのだから。