CRAZY GIRL

I wish I wrote wonderful novels.
So I love to write storys.

彼の背中

2.

 谷町九丁目にあるその劇場、実を言うと私達二年も使うのは初めてである。
 私達の初舞台の場は、私達に晴れ舞台を用意した後、去年いっぱいで取り壊されたのである。
 本番直前に高熱を出した私にとってあの劇場は、たった一年しか経っていないのにも拘わらず、まるで夢現のよう霞掛かってはいるが、大切な記憶である。
  きっと大人になって芝居というものに関わらなくなったとしても、あの高揚感と共にセピア色をしたその記憶は残り続けるのだろう。
 その劇場の場所は至極分かりやすいものであった。
 道中、奈菜の落ち込み様は激しかった。
  しかし私は声すら掛けてあげられない情けない先輩だ。
 彼女が科白をすっ飛ばした為に、瑞希の長科白は登場する事なく稽古は終了した。
  稽古なんて失敗してなんぼだ、なんて私は思っている。
 私はそれを無かったかのようにすまし顔でいたのだが、加奈美はきっちり先輩らしさを見せていた。
「次はあのシーンを完璧にできるやろ」
 加奈美の言葉に奈菜は元気を取り戻し、そして今、彼女は劇場ではしゃいでいる。
 雛壇も置かれていない劇場は、もの寂しい。
 寸法は既にうさ先輩たちが測っているお陰で、今日はただただ見学をするだけで良い。
 私達以外にも見学に来ている高校もちらほら見受けられる
「楽しみになったやろ?」
「はい! ここでお芝居をするんですね」
 瑞希と奈菜は楽しげだ。
 楽屋で私達は、ここにこれを置こう、ここに座りたい、そんな下らない話に花を咲かせ、テンションが上がっていく。
「どっかでお茶でもしてく?」
 搬入口、楽屋、ホール、受付などを一通り確認すると、加奈美の提案を受けて私達は劇場を後にした。
 来た時よりも外はかすかに暗さを増し、夕方という風情である。
 この時間帯に劇部の面々と歩くのは、青春を謳歌しているような気分になれて好きだ。夏は特にそう思わせる。
 暫く歩き、ファーストフード店に入ろうと話がまとまる。
 親にメールをしておこうと思いたち鞄に手を突っ込んでみたが、見当たらない。
 地面に鞄を置き、本格的に携帯電話を探し始めるが、やはりない。
「どうしたん?」
 私の行動はさぞ可笑しかろう。加奈美が心配そうに私をのぞき込んだ。
「携帯がない」
「楽屋で写真撮って、それからどうしたん?」
 楽屋で写真を撮り、その後、私は楽屋の机に携帯を置き、一度お手洗いに行っている。
 その後、私は携帯を――触っていない。
「うわ、忘れた」
「あほやなあ、しっかりしいや」
 ケラケラ笑う瑞希に、私は恥ずかしさを隠すようにして、鞄を乱暴に瑞希に手渡し、大きく腕を振って来た道を走り出した。
「先入ってるで」
 瑞希の声に私は返事をしない。
 劇場は十八時まで今日は開いている。
 なりふり構わず走ったお陰で、時間に関して問題は全くない。
 ホールには目もくれず私は楽屋へと一直線に向かった。
 お目当てのそれは直ぐに見つかった。
 携帯電話を手に取り、加奈美と母親に連絡すると、どっと疲れが押し寄せた。
 全力疾走してきたのだ、当然である。
 誰も居ない劇場。
 静まり返っている――筈なのだが、
「……けれど、信じよう」
 ホールから人の声がする。
 何かを考えての行動ではない。私の足は自然とそちらに向けられた。
 幕すら吊られていない今、舞台までは筒抜けで見通しがいい。
 男の子が一人、舞台の中央に立っている。
 あの制服は確か、全国大会常連校の北高だ。
 科白を歌うように紡ぎ出し、けれど所々挟まれる間は絶妙で、袖から見ているだけなのにも拘わらず、私は瞬きも呼吸も忘れて、彼の横顔を見つめ続けた。
 嗚呼、この人は天才だ。
 彼の一挙一動から目が離せずにいると、ふいに彼がこちらを向いた。
 まん丸にした彼の目と視線がぶつかる。
「なに見てんだよ」
 それだけを言い残すと彼はそのまま出て行ってしまった。
 科白を紡ぐ美しい声と、あの乱暴な声の主が同じだという事実が、どうも非現実的に思えて仕方が無い。
 私の頭は暫く回転する事ができなかった。
 しかし、一人沈黙の中に取り残されていると、徐々に今し方の現実を理解し始めた。
 そして同時に、なんとも言えぬ感情に襲われた。
 むかつくんだか恥ずかしいんだか、なにも言い返せなかったからなのか、様々な感情が混沌としている。
「なんやねん!」
  感情に一貫性など求めてはいけないのは分かっている。
  ただただ、言葉が見つからず私は大声で叫んだ。

 二回階の窓際に小さなテーブルを寄せ集めて、さながら小宴会場が完成していた。
 私はどかりと座るなり、先刻の失礼極まりない男の話を身振り手振りを加え、そして多少の演出も交えてドラマティックに語ってみせた。
 加奈美と奈菜はこちらをしっかり見て聞いてくれたのだが、瑞希の視線は自身の携帯電話に注がれ、左手はトレーにいっぱい広げられたフライドポテトと彼女の口とを往復するばかりだ。
 全くもって私のむしゃくしゃなどには興味が無いらしい。
 私が一通り話し終えると、加奈美は声を上げて笑った。
「うちが脚本家なら、ラブコメにするな! その子、佐伯斎君ちゃう? 去年の夏フェスで一年生初の主演賞取ったって話題になってた子」
 去年の事を思い出そうとしたが、その事実を私が知るよしもない事にすぐに気付いた。
 高熱のまま本番を終えた私は、直後に倒れてしまい、講評会に参加できなかった為、誰が賞を取ったかしらないのである。
「あ、佐伯斎知ってる」
 携帯を机に起き、瑞希が話題に食いついた。
「去年の夏さ、どっかで他校と稽古したやん? あの時同じチームやってん」
「夏ってイベントだらけなんですね」
 夏フェスが終わると、次は全国大会へ向けての講習会があり、夏休みが終われば文化祭と地区大会の稽古が始まり出す。
「北高の公演はうちらの二日後やな。観に行けるで」
「え、行くん?」
 間髪入れない私の声に加奈美はまたもや笑う。
 あの北高の芝居だ、観に行けるのであれば観た方がいいに決まっている。
 しかし、さっきの出来事が素直にそう思わせてくれないのだ。
「そら行くやろ。付き合いは大事やで。それに、りぃちゃんもその子の芝居はええって思ったんやろ。役者は演技で判断せな」
「今井も人間だけ見たらあかん子やん」
 瑞希の失礼な発言には慣れている。
 慣れてはいるが、どうもむしゃくしゃして瑞希を一睨みする。
 しかし彼女は舌をぺろりと出して私の無言の攻撃をひらりと交わして、再びポテトを食べ始めてしまった。 
 悔しいが、それ以上に私は何も出来ず終いである。