CRAZY GIRL

I wish I wrote wonderful novels.
So I love to write storys.

彼の背中

1.

 燦々と照るつける太陽にじりりと肌が焼かれる。
 世間は夏休みという自由に浮かれている真っ最中だ。
 蝉がけたたましく何かを主張している。それはまるでこの夏だけの命を精一杯謳歌しているのだという主張に思えて、ただ五月蝿いと切り捨てることもできない。
 暑さに頭がやられてしまったのだろうか、本来課せられている事を失念し――否、今現在自分自身の行動と頭の中が不協和音を奏でている。
 私に与えられた使命とはテニスコートを十週走る事である。
 しかし、現在が何週目であるのかを、私は把握できていない。
 これは、よろしくない現状である。
 数メートル先におそらく一週遅れであろう同輩の宮村加奈美の姿を認めると、疲れ切っている足を奮い立たせて、速度を上げた。
「今って何週目?」
 なんと間抜けな質問だろう。
 しかし、彼女は嫌な顔一つしない良き人である。
「次九週目! りぃちゃんはもう終わりやで」
 更なる情報をも彼女は与えてくれた。
 加奈美の隣を陣取り、私達は私にとってのゴールラインを同時に超えた。
 しかし、私は足を止めない。
「なんでまだ走ってるん?」
 当然の質問である。
「もう一週走りたくなってん」
 言葉だけ聞けばランナーズハイのようだが、そうではない。
 終わったところで休憩するほかない。その時間は実に暇で持て余してしまうだろう。
 それに、加奈美ともうしばらく走りたくなったのだ。
 私は運動が得意である。その代償に音楽や美術といった芸術センスが著しく貧しい。
 人様に見せられるような成績を取った例しが人生で一度もない。
 自分の事ながら情けない事極まりない。
「うちら、体育会系名乗ってええと思うわ」
 汗がほとばしる。
 私はあまり汗をかかない性質である。
 まるで私がサボタージュしているように思われて、もどかしい気持ちになる。
 彼女は私と正反対だ。運動は苦手だが、芸術センスの天賦の才が彼女の魅力を存分に引き立てている。
 正直なところ、出会った当初はこのあふれんばかりの彼女の才能に嫉妬していた。
 私達は中高一貫でかれこれ4年以上同じ学校に通っている訳なのだが、クラス構成により同じクラスになることはない。
 しかしそれでも私は『宮村加奈美』という天才の名を中学一年生の頃から知っていたのである。 
 私達はテニス部でもなければ陸上部でもない、演劇部なのである。
 運動が少しばかりできるよりも、芸術の才に恵まれている方がいいに決まっている。
 加奈美の飛び抜けた才能を目の当たりにした時、私には芝居などというものをする資格なんてないんじゃないかと不安になったものだ。
 しかし、嫉妬と同時に強烈な興味も沸いた。
 嫉妬と憧れは同じところを拠点としていて、どう活かすかは考え方次第なのだ 。
 この感情を負のものには決してしてはならないと、無意識に感じたのだろう。
 同輩には彼女を含め、個性豊かな面々が実に豊富に揃っている。
 その一人が前方で地べたに伸びている谷川瑞希である。
 ショートカットがよく似合い、声など男性教師に「俺よりも男前な声」とまで言わせた低音の美声、身長も高く、我が二年の間では永遠の男役と謳われている。
 この桜女子高等学校内だけではなく、他校にファンクラブがあるとかないといか、そんな噂まで広がる彼女なのだが、たまに抜けているところもあり、そんなところが可愛い。
 中学から同じクラスを辿り、そして誕生日まで同じという彼女には、親友というより家族に近い感覚を持っている。
 瑞希がど派手に大の字で倒れる横で中腰になって息を切らしているのは、山中奈菜だ。
 一年生唯一の役者である。
 やはり文化系の集まりにとってこの準備運動は酷すぎるようである。
「生きてる?」
「あかん!」
 私が発した質問の声よりも威勢のいい声で返せるあたり、まだ走る体力は残ってるんじゃないかと訝しんでしまうところだが、あっという間に二人を追い越してしまって、そんな疑いを検証することはできなかった。
「もうちょっとやでー」
 声の方に目線を向けると、ゴール地点にうさ先輩が立っており、両手に二リットルのペットボトルを持ち、声援を送ってくれている。
 その声に反応して、少し体が軽くなったように感じた。
 きっと加奈美もそうなのだろう。
 私達の速度は上がっている。
 うさ先輩を通りこすと、疲れがどっと体にのしかかった。
 先輩からペットボトルを受け取ると、加奈美はふらふらと稽古場に使っている小ホールへと消えていった。
「お疲れ。あの二人回収しといて。けいちゃん今来て、本コピーしてるから、せやなあ、十五分後から稽古始めるわ」
 うさ先輩は音響であり、部長である。
 そして、けいちゃん先輩は今回の脚本を担当しており、キャストでもある。
 ペットボトルを受け取り、水分補給をしながら、二人の許へと歩いて行く。
 その姿を確認したのか、瑞希がゆっくりと立ち上がる。その顔に疲れは全く見られず、やはりサボったのだと私は瞬時に理解した。
「今井―、水ちょーだい」
 へらへら笑いながらこちらに向かってくる瑞希の横をするりと通り越して、大粒の汗を浮かべる奈菜にペットボトルを差し出した。
「なんでやねん、ちょうだいよ」
 しらばっくれて不平を平然と言ってくる瑞希など無視でよい。
「奈菜、頑張ったな。十五分後から稽古やって」
 ペットボトルを受け取ったものの、瑞希の恨めしい顔に邪魔されて飲むに飲めずに奈菜は困り果てている。
「とりあえず、のみ」
「いーまーいー」
「うるっさいなあ。あんたサボったやろ」
「ええ?」
 にへらと笑って誤魔化そうとする瑞希に思わず笑いがこみ上げる。
「先輩、お水」
 すでに半分ほどになったペットボトルを奈菜が瑞希に手渡すと、瑞希はそれをあっという間に空っぽにしてしまった。
「今日、通しするんですよね? 新しい科白ちゃんと覚えられるか心配です」
 通し稽古とは、本番のように最初から最後までを止めずに稽古することである。本番一週間前にして初の通し稽古とは、なんと暢気なことだろうか。
 私は通し稽古が好きだ。
 部分稽古より全体を把握できる上に、気持ちが上手く流れてくれるからだ。
「新しいとこはプロンプに任せたらいいよ。気楽にいこうや」
 軽い調子で瑞希は言う。
 しかし、こんな事を言っておきながら、私も瑞希も一年前の初通し稽古はがちがちに緊張してしまい失敗だらけであった。
 先輩たちの放つあのぴりぴりとした空気には、殺傷能力のある何かが含有しているに違いない。
「それにしても暑いな。ホール戻ろ」
 空っぽになったペットボトルを私に放り投げ、瑞希はすたすたと歩いて行く。
 ひとつため息を吐くと、私と奈菜もその後を追った。

 私達がホールに戻ると既にけいちゃん先輩が到着しており、加奈美は印刷されたてほやほやの本を読んでいた。
 私達三人がホールに入ったのを素早く見つけたうさ先輩がぽんと手を叩く。
「今日は一年と二年が劇場見に行くので十六時まで。十四時から通し。時間ないから、お昼は三十分な!」
「はい!」
 先輩の言葉には必ず「はい」と返す事が部の決まりである。
「瑞希、あんただけ科白めっちゃ変わってるで」
 叫ぶ加奈美の方に私達は小走りでいく。
 三人分の台本が綺麗に並べられている。流石は加奈美である。
「え、えー! なに、なに、何なんこれ! 超ゼリ増えすぎやろ!」
 飄々としていた瑞希は少し目を通したところで悲鳴を上げるや否や、そのままホールの隅っこに走って行き、本を食べてしまいそうな勢いで読み始めた。
「逆に打うちらは出番減ったな」
「出番、っていうより科白やな。これハケてへんで」
「え、まじ?」
「うん、ほら――」
 私と加奈美の役は双子で、常に一緒である。
 私達のテンポでこの芝居のテンポは決まると言っても過言ではないと私は思っている。
「山中!」
「はい!」
 瑞希に呼ばれて奈菜は急いで彼女の許に駆けていく。読み合わせと動きで、通しができるところまで無理矢理にでも持って行くつもりなのだろう。
「じゃあ、うちらもやろか」
「オープニングしたい」
 私と加奈美の声が重なる。
 目が合うと、なんだか、にやにやしてしまった。
 本番が近づく。
 この高揚感が、私は大好きだ。