CRAZY GIRL

I wish I wrote wonderful novels.
So I love to write storys.

彼の背中

7.

 土曜日。
 今日は心斎橋で夏フェスの講評会が行われる。
 現地集合なのだが、私は方向音痴の為加奈美と駅で待ち合わせをしている。
 正直な気持ちを言えば、こんな講評会に出席する事に意味を全く感じない。
 強制参加なのだから参加はするが、怠い事極まりない。
「りぃちゃん、うちの学校賞取れると思う?」
「脚本いけると思う。瑞希も良かったし主演賞も欲しいな」
「主演賞は佐伯斎君やろ」
「たしかに」
 あれで主演賞じゃないなんてことは絶対に有り得ないだろう。
 クリスタ長堀をだらだらと歩き、地上に出ると、外は太陽が殺人的に降り注ぎ、立っているだけで体力が奪われてしまう。
 ホールに着く頃には加奈美は汗だくになっていた。
 中に入ると古川先生が既に場所を確保してくれていた。
 ホールに直に座って壇上の話を聞くスタイルのようである。
「今井、今日は早いな」
「うちが連れてきてますんで」
 二人そろって酷い発言だ。
「宮村、本は進んでるか」
「はい。早く稽古始められるように書いてます」
「期待してていいですよ。府大、絶対行くんで」
 自信満々の私の発言に加奈美は苦笑いだが、古川先生は満更でもなさそうだ。
 徐々にホールに人が集まり、ざわざわと騒がしくなってくる。
 殆どの学校が今日は制服ではなく私服できている。
 無意識のうちに私は北高を探してしまっていたが、皆目見当がつかない。
「これから講評会を始めます」
 壇上に人が立つ。
 ホールが静かになる。
 とはいえ、こそこそ話をする人が多い為に完全な静寂ではない。
 私のようにやる気の無い参加者は沢山居るのだろう。
 冷房のきいたここにいる間はいいけれど、これが終わったらまたあの茹だるように暑い外に出なくてはいけないのだ。
 それを考えると憂鬱だ。
 ぼうっと焦点の定まらない間抜け面で前を向いていると
「桜女子高等学校、今井理沙」
 突如として、名前を呼ばれた。
 話を全く聞いていなかった。何事なのかさっぱわり分からない。
「あほか、早よ前に行き」
 瑞希に頭を叩かれ、事態を飲み込めないまま、私は前へと出た。
「最優秀主演賞、佐伯斎」
 私が壇上に並ぶ列に続くと、佐伯斎の名前が読み上げられた。
 やっぱり主演賞は佐伯斎に決まったのか。
 私の隣に佐伯斎が来る。
 こうして隣に並んで初めて気付く。彼は身長が高い。
 響き渡る拍手がそうさせるのだろうか、私の心臓は強く鼓動している。
「今井さん、この後少し話せる?」
「え?」
 横を向いてみたが、佐伯斎は正面を向いたままで目が合わない。
 まるで何事もなかったかのような横顔だ。
「それでは、この後隣の部屋で懇親会をします。お菓子と飲み物も用意してます」
 壇上の人たちが元いた場所へと散り散りに戻っていく。
 後れを取らぬように一歩足を出した瞬間左腕を掴まれた。
「外、おるから」
 男性にしては高いその声はこの騒音の中にあっても私の耳にしっかりと届く。
 振り返って、漸く彼と目が合う。
「分かった」
 私の声はきちんと彼の許へと届いただろうか。
 肯定の意味だけは、私が頷いたという事もあり伝わったようで、腕から圧力が離れた。
 嗚呼、冷たい手だったなあ。
 立ち止まった私をするりと追い越して、彼は仲間の所へと帰って行った。
「今井、あほ面」
 どんと肩に衝撃を受ける。
 顔を上げると私の鞄を振り回す瑞希の姿があった。
 大きさはあるが中身は大して入ってないその鞄は軽い。
 軽いけれど、ぶつけられるのはご免なので私は早々に鞄を取り返す事にした。
「りぃちゃん、おめでとう!」
 瑞希と格闘し、鞄を奪還する事に成功すると、加奈美と奈菜がこちらに来てくれた。
「地区大も期待してまっせ」
 にやりと笑う瑞希も、なんだかんだと喜んでくれているのだと伝わる。
 実感はわかないけれど、私は何らかの賞を取ったのだ。
「次の懇親会って強制?」
「去年うち先に帰ったし、自由参加ちゃう?」
「なんか用事あるん」
 瑞希に問われたが、正直に事の次第は話したくない。
「今日はちょっと」
 笑って誤魔化す。
「バイトいれたんやろー。働くなあ」
 瑞希は勝手に勘違いをし、ひらひらと手を振って隣の部屋に行ってしまった。
「頑張ってな」
 加奈美も一言残すと瑞希の後を追って、隣の部屋へと消えていく。
 妙に引き下がるのが早い二人に違和感を感じたものの、都合の悪い状況にならなかった事をよしとして、私は人の群れと反対の方向の外へと向かった。

 一歩外に出ると、ねっとりとした暑さが体に纏わり付く。
 冷房のきいたあの空間が既に愛おしくなっている。
 両側に並ぶ植木鉢を越えると確かベンチがあった筈だ。そこに座っていよう。
 そう考えて歩き始めると、ベンチには既に先客がいた。
「佐伯斎」
 心の中だけの言葉の筈が、口から零れ出て佐伯斎本人の耳へと届いてしまった。
「なんでフルネームやねん」
 呆れたように彼はこちらに顔を向けて立ち上がった。
 彼の思いは至極当然のものだ。
「すみません」
「なんで敬語やねん」
 今度は、楽しそうに彼は笑った。
 こうしてちゃんと向き合って彼と話すのは初めてである。
「案外身長低いんやな」
「そっちは思ってたよりでかい」
「でかい言うなや」
 無機質でつかみ所が無くただ印象の悪い『佐伯斎』はまるで姿を消していた。
 今私の目の前に居るのは、本当にあの佐伯斎なのだろうか。
 世界の違う人間だと思っていた彼が、同じ土俵にいる。
 冷静に考えれば同い年の男の子なのだから、当然と言えば当然だ。
「この辺詳しい? 俺、全然分からん」
「私も分からん」
「そっか。じゃあ適当に入れそうなとこ探すか」
 歩き始めた彼の後ろをついて行く。
 なんだか落ち着かない。
「あそこの喫茶店でいい?」
「はい」
 主導権は完全に彼の手中にある。
 常日頃から加奈美や瑞希に任せっきりの私にとって、先頭を歩いて引っ張ってくれる人間というのは、居心地が良い。
 無言で彼はすたすたと歩いて行く。
 私もその後を無言でついていった。

 その喫茶店は昭和の香り漂う、私好みのお店だ。
 注文を取りに来たマスターは渋くて、それはまるで昭和の映画に登場しそうなほどだ。
「今井さん、野村英雄好き?」
「好きです」
 お店に入ってから、一言二言話しては沈黙、というのを繰り返している。
 そして再び沈黙が訪れた。
 この張り詰めた空気を打開しようと私は口を開いた。
「佐伯斎も好きなん?」
 勇気を出して口火を切った私の顔を、佐伯は困ったように見つめると、息を一つ吐き出した。
 困らせてしまっただろうか。
 私は不安でいっぱいになり、彼をじっと見る。
 彼も私の目をじっと見詰め、汗がじとりと額に浮かぶのを感じた。
 ごくりと生唾を飲み込んだ私を前に、佐伯斎は我慢できないとばかりに笑い出した。
「フルネームいい加減やめへん? 今井さんさっきから固すぎるで」
 固くなっている事は自分でも自覚がある。
 注文していたカフェラテとコーヒーが漸くテーブルにやってきた。
 マスターが丁寧にコースターに乗せてくれるのを黙って見つめる。
 やはり、映画のワンシーンのようだ。
 彼が優雅な足取りで離れた事を確認すると、私は口を開く。
「人見知りやねん。で? 佐伯君も好きなん?」
 彼の言葉のお陰なのか間が置かれたからなのかは分からないが、自然と話せた。
「めっちゃ好き。それで、これ――」
 鞄をごそごそと探り、彼はクリアファイルを取り出した。
 その中には何枚かの紙が入っているのだが、一番上の紙、フライヤーだろうかを丁寧に取り出し、私の方へと差し出した。
 それは、野村英雄の次回舞台のフライヤーだった。
「観に行くん?」
 声が高くなる。
 チケットの発売に気付くのが遅く、予約をしようとした時には既に完売していた作品だ。
「一緒に行く予定やった子が行けなくなってチケット一枚余ってるんやけど、今井さんよかったら行かへん?」
 思いもよらないお誘いだ。
「行く!」
 日付も何も聞いていない。
 だけれど、観に行きたいと思っていたこの舞台に行けるのなら、他の予定は何であれ変更してでも行くべきだ。
 興奮しているのが自分でも分かる。
「桜女子の谷川さんに、今井さんが野村英雄のファンやって聞いてたけど、ほんまに好きなんやな」
「瑞希と知り合い?」
「去年の夏の講習会で同じグループやってん」
 そういえば、この話は瑞希からも聞いている。
 去年の講習会は、いくつかの本があり、自分たちのグループで選んで発表するものだったのだが、その中に野村英雄の本もあった。
 私は勿論それを選んだのだが、瑞希のグループも同じものを発表していた。
「めっちゃ嬉しい。これ、観に行きたかってん。公演日いつ?」
「八月二十日のお昼」
 講習会が八月十日。お盆休みを挟んで、十七日から部活がスタートで二十日は部活がある筈だ。加奈美たちには申し訳ないが、休ませてくれるよう交渉しよう。
 手帳を取り出し、予定を書き込む。
「ライン教えて」
「うん」
 携帯電話を取りだしお互いの連絡先を交換する。
 男嫌いの筈の私が、彼とは潤滑に会話をできている。
「当日の事はまた連絡するとして。えっと……」
 携帯電話を鞄にしまうと、彼は姿勢を正した。
「こないだの舞台、ほんまによかったよ。誤解させるような言い方してごめん。初めて会った時も、変なとこ見られて恥ずかしくて、あんな言い方して、それもごめん」
 急にまじめに話し出す佐伯斎に私は目が点になる。
「今井さんのコンから目が離されへんかった」
  思いもよらない感想に、私はなんだかむずがゆい思いだ。
「俺、今井さんの事去年から知ってて、講習会の時も同じように今井さんの事目で追ってた。あの役をあんな風に演じる人見た事ないし、でもめっちゃ自然やった」
 顔が熱い。
 こんな風に真っ直ぐに褒められるなんて事、高校生になれば滅多にない。
 それも、私がすごいと思っているこの人に言われるのは嬉しくもあり、同時にとても恥ずかしく感じた。
「ありがとう、照れるわ。私、佐伯君の芝居ほんまにすごいなって思って。こないだの舞台もめっちゃ感動した。遠い人やなって思ってたのに、今日こうやって話せて、変な感じ」
 一口も口を付けていなかったカフェラテを喉に通す。
 喉が渇いていたのか、次々と胃に流されていき、半分ほど消えた。
 佐伯斎の印象は一気に塗り替えられてしまった。
 天才的な役者の彼は取っつきにくくて、ぶっきらぼうで、嫌味なむかつく奴だと思っていた。
 それなのにどうしても頭から離れず、もやもやとしていた。
 それが今では話し易いいい人になってしまっている。
「桜女子って、演出つけへんかったやん。今回から演出つけたやんな?」
「うんん。演出はおらんよ」
「演出なしなん? すごいなあ。桜女子は役者も裏方も実力はあるのに演出がないからバラバラで、それが原因で大会勝てない印象やったから。今年は強敵になるな」
「うん、全国はうちがもらうから」
「負けへんで」
 名門校のエースに喧嘩を売るような発言なのだが、彼は楽しそうに笑っている。
 彼を取り巻く空気は、とても居心地がいい。
 役者として素晴らしい上に、人としてもできているなんて、羨ましい人間だ。
「今日は話せてよかった。ありがとう」
「こちらこそ。ありがとう。そうや、佐伯君さ――」
 私は前よりもずっとこの人に興味を持ってしまった。
 もっと佐伯斎という人を知りたい。
 もっと話していたい。
 そんな思いが私を駆り立て、色んな話題を探し出して沢山話した。
 嫌な顔一つせず、私が次々と繰り出す話題をまるで心の底から楽しんでいるように彼は話してくれる。
 面倒くさいとしか思わなかった今日という日が、私にとって楽しく幸せな一日となった。