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02.gif (288 バイト)sannmariさんからのメール

Red_Ball12.gif (916 バイト)No.858 B型男性のsannmariさんから H16.5.30 2:52

1.面白いですか?

全然(--;)

2.お気に入りのページ

入門&新常識?!

3.血液型と性格の関係は?

わからない

4.メッセージ:

そこまで血液型が性格に関係すると思われるなら
ご自身でデータをとってみてはいかがでしょうか?
いままででてきたデータを用いて解釈するということは
ある意味に自分はなにもせずに、さも自分が何かを証明したかの
ように聞こえてきます。他人のデータを使わずにご自身のデータで
分析をおこなってください。また引用するにあたってもその論文が
科学的な論文(すなわち審査の行われた論文なのかどうか?)について
考える必要もあるのではないでしょうか?本というものは誰でも出せます。
(出版社と仲がよければ。)そうではなくきちんとした科学的な雑誌という
ものは審査をおこなっています。それが科学の世界の一般的な常識です。
それがここでは都合のいいようにあっちこっちから引用されていて、
ちぐはぐな印象を受けます。(普通に読めばならかなり説得されうると思います。私は説得されませんが)今ホームページで書かれていることを例えば日本心理学会
で発表されてはいかがでしょうか?あるいはネイチャーでもかまいません。そういう場で認められない限り、私にとってはあるいは多くの科学的なアプローチをとる人々は納得しないのではないでしょうか?

メールありがとうございます。

> ご自身でデータをとってみてはいかがでしょうか?

自分でデータを取っていない論文は、心理学に限らずでいくらでもありますが、それらもダメということなのでしょうか??

> また引用するにあたってもその論文が
> 科学的な論文(すなわち審査の行われた論文なのかどうか?)について
> 考える必要もあるのではないでしょうか?

原則として、私が引用する心理学の論文は割とメジャーな論文な…はずです。もし、sannmariさんが、それらが「科学的な論文」でないというなら、私の責任ではなく心理学の責任になる…はずです。具体な論文名があれば回答させていただこうと思います。

> 今ホームページで書かれていることを例えば日本心理学会
> で発表されてはいかがでしょうか?あるいはネイチャーでもかまいません。

一時は真剣に日本心理学会で発表することも考えたのですが、インターネットの方がずっと効率が良いようなので、今のところ予定はありません。(^^;;

例えば、否定論者の心理学者(血液型ではメジャーな方です・笑)である渡辺芳之さんは、『血液型と性格』(現代のエスプリ No.324)に次のように書いています(188ページ 性格心理学は血液型性格関連説を否定できるか〜性格心理学から見た血液型と性格の関係への疑義)。

これまで何人かの心理学者が、 血液型と性格との関連を実証的方法で反証し、血液型性格関連説を否定しようとしてきた。…
しかし、論文を一読すればわかるように、彼らの多くは「血液型性格関連説は間違っている」というアプリオリな立場を持っており、それを実証するために研究を行なっていることもまた確かである。

「血液型性格関連説は間違っている」という雰囲気の学会で発表しても、私には意味があるとは思えません。たぶん、怒られるか無視されるだけでしょう。(^^;;

逆にインターネットなら、否定論者や放送大学などから多くのアクセスがあり、私の指摘した部分については、かなり内容が訂正されているようです(もっとも、私のホームページを読んだから訂正したとは必ずしも言えませんが…)。また、私のせいかどうかわかりませんが、場合によっては、否定的な記述が全文削除されてしまったケースもあります。

なお、残念ながら私にはネイチャーに発表するような力はありません。(^^;;

しかし、日本の心理学者が血液型を否定する論文を「ネイチャー」に発表した、というのは聞いたことありませんので、sannmariさんによれば、日本心理学会で発表されるような論文は、少なくとも国際レベルで通用するような「科学的な論文」ではない(?)、ということになります。

これは、単なる私の印象ではありません。松井豊さんは、同じ『血液型と性格』(119〜120ページ 分析手法から見た「血液型性格学」)で、このように書いています。

心理学者の反省

しかし、方法論上の問題を抱えているのは、「血液型性格学」支持者だけではない。「血液型性格学」を否定する立場の多くの心理学者にも、先の批判を甘受しなければならないものが多い。詫摩・松井だけでなく、多くの研究は、学生を対象にしたアンケート調査に基づいて、「血液型性格学」を支持しないデータを提出している。それらの多くは、厳密な心理検査を利用しており、先の批判の第1(項目の不備)を改善している。しかし、これらの研究においても、回答者は講義や授業を受けている1つか2つの学校の生徒や学生に偏っており、ランダムサンプリングによるものはみられない。血液型は自己報告によっており、第二の批判(血液型の測定)にも対処されていない。
 残念ながら、血液型ステレオタイプに戦いを挑んでいる良心的な研究者たちも、方法論という面からみると、「血液型性格学」支持者と同様に批判を受けざるを得ないのである

また、坂元章さんも同じ『血液型と性格』(184〜185ページ 血液型ステレオタイプと認知の歪み)で、次のように書いています。

筆者は、「血液型性格学」に関するアカデミックな研究は、認知の歪みの分野だけでなく、全体として、いまだに未成熟な部分があるとしばしば感じている。これには、二つの理由があるのではないか。
第一に、「血液型性格学」の研究者はこれまで、審査の厳しい学会誌に論文をあまり投稿してこなかった。それにはさまざまな理由があったかもしれない。だがいずれにしても、厳しい審査を経ていないために、多くの論文がやや問題を残したままになっている。
第二に、「血液型性格学」のアカデミックな研究者は、それぞれの研究を十分に吟味し、批判し合う姿勢をあまり持ってこなかった。例えば、本稿では、認知の歪みの研究の問題を指摘してきたが、これまでに、これらの研究の展望を含む論文はしばしばあったにもかかわらず、これらの研究を列挙するにとどまり、本稿のように、その問題を指摘したものはなかったであろう。

なお、一般的な認識としては、脳力探険!ホムクル!! のように「最近の医学によって『血液型が性格に関わりがある』ことは、もはや否定しようのない事実」となりつつあるようです。つまり、最近は心理学と関係が薄くなりつつある(?)ようなので、この点からも日本心理学会で発表しても、それほど意味があるとは私には思えません…。

ぜひ、次回のメールでコメントいただければ幸いです。

メール(その2) H16.6.1 3:50 

>メールありがとうございます。
こちらこそ丁寧にお答えいただきありがとうございます。

>> ご自身でデータをとってみてはいかがでしょうか?


>自分でデータを取っていない論文は、心理学に限らずでいくらでもありますが、そ
>れらもダメということなのでしょうか??
いえいえ決してそんなことはありません。ただ同じデータの再解釈にそこまで
の意味があるかどうかということです。同じデータを使うとしたらさまざまな
データを集めてきて、メタ分析とかかけたほうが説得力が増すとは思われませんか?

>> また引用するにあたってもその論文が
>> 科学的な論文(すなわち審査の行われた論文なのかどうか?)について
>> 考える必要もあるのではないでしょうか?


>原則として、私が引用する心理学の論文は割とメジャーな論文な…はずです。も
>し、sannmariさんが、それらが「科学的な論文」でないというなら、私の責任で
>はなく心理学の責任になる…はずです。具体な論文名があれば回答させていただこ
>うと思います。
例えば心理学の引用文献で社会心理学会の論文集を挙げておられますね?
その手の文献は学術的に見れば無価値です。学会の会員になれば
だれでも発表できるわけですから。

> 今ホームページで書かれていることを例えば日本心理学会
> で発表されてはいかがでしょうか?あるいはネイチャーでもかまいません。


>一時は真剣に日本心理学会で発表することも考えたのですが、インターネットの方
>がずっと効率が良いようなので、今のところ予定はありません。(^^;;
効率というのがわかりませんが・・・


例えば、否定論者の心理学者(血液型ではメジャーな方です・笑)である渡辺芳之さんは、『血液型と性格』(現代のエスプリ No.324)に次のように書いています(188ページ 性格心理学は血液型性格関連説を否定できるか〜性格心理学から見た血液型と性格の関係への疑義)。



これまで何人かの心理学者が、 血液型と性格との関連を実証的方法で反証し、血液型性格関連説を否定しようとしてきた。…
しかし、論文を一読すればわかるように、彼らの多くは「血液型性格関連説は間違っている」というアプリオリな立場を持っており、それを実証するために研究を行なっていることもまた確かである。



>「血液型性格関連説は間違っている」という雰囲気の学会で発表しても、私には意
>味があるとは思えません。たぶん、怒られるか無視されるだけでしょう。(^^;;
そうでしょうか?その研究の中で、きちんとした科学的な方法に基づき、
証明が行われれば認められるはずです。というかそれが科学の世界だと
私は思うのですが・・・


逆にインターネットなら、否定論者や放送大学などから多くのアクセスがあり、私の指摘した部分については、かなり内容が訂正されているようです(もっとも、私のホームページを読んだから訂正したとは必ずしも言えませんが…)。また、私のせいかどうかわかりませんが、場合によっては、否定的な記述が全文削除されてしまったケースもあります。


なお、残念ながら私にはネイチャーに発表するような力はありません。(^^;;


>しかし、日本の心理学者が血液型を否定する論文を「ネイチャー」に発表した、と
>いうのは聞いたことありませんので、sannmariさんによれば、日本心理学会で発
>表されるような論文は、少なくとも国際レベルで通用するような「科学的な論文」
>ではない(?)、ということになります。
そうですね。上記で説明したこととも関連していますが、
科学の世界ではその雑誌のインパクト・ファクターによって
その雑誌のレベルが決まります。これはその雑誌から平均して
いくつぐらいの論文が引用されているのかを表す指標です。
ネイチャーに比べれば、日本心理学会の論文はレベルが低い
といわざるを得ないでしょう。日本語ですしね。
またネイチャーに血液型の論文が出ない理由としては、
研究の価値がない(予算などがでない)あるいは、純粋に
研究者が関心をもっていないということなのではないでしょうか?


>これは、単なる私の印象ではありません。松井豊さんは、同じ『血液型と性
>格』(119〜120ページ 分析手法から見た「血液型性格学」)で、このよう
>に書いています。



>心理学者の反省

>しかし、方法論上の問題を抱えているのは、「血液型性格学」支持者だけではな
>い。「血液型性格学」を否定する立場の多くの心理学者にも、先の批判を甘受しな
>ければならないものが多い。詫摩・松井だけでなく、多くの研究は、学生を対象に
>したアンケート調査に基づいて、「血液型性格学」を支持しないデータを提出して
>いる。それらの多くは、厳密な心理検査を利用しており、先の批判の第1(項目の
>不備)を改善している。しかし、これらの研究においても、回答者は講義や授業を
>受けている1つか2つの学校の生徒や学生に偏っており、ランダムサンプリングに
>よるものはみられない。血液型は自己報告によっており、第二の批判(血液型の測
>定)にも対処されていない。
>残念ながら、血液型ステレオタイプに戦いを挑んでいる良心的な研究者たちも、方
>法論という面からみると、「血液型性格学」支持者と同様に批判を受けざるを得な
>いのである



>また、坂元章さんも同じ『血液型と性格』(184〜185ページ 血液型ステレ
>オタイプと認知の歪み)で、次のように書いています。



>筆者は、「血液型性格学」に関するアカデミックな研究は、認知の歪みの分野だけ
>でなく、全体として、いまだに未成熟な部分があるとしばしば感じている。これに
>は、二つの理由があるのではないか。
>第一に、「血液型性格学」の研究者はこれまで、審査の厳しい学会誌に論文をあま
>り投稿してこなかった。それにはさまざまな理由があったかもしれない。だがいず
>れにしても、厳しい審査を経ていないために、多くの論文がやや問題を残したまま
>になっている。
>第二に、「血液型性格学」のアカデミックな研究者は、それぞれの研究を十分に吟
>味し、批判し合う姿勢をあまり持ってこなかった。例えば、本稿では、認知の歪み
>の研究の問題を指摘してきたが、これまでに、これらの研究の展望を含む論文はし
>ばしばあったにもかかわらず、これらの研究を列挙するにとどまり、本稿のよう
>に、その問題を指摘したものはなかったであろう。



>なお、一般的な認識としては、脳力探険!ホムクル!! のように「最近の医学によっ
>て『血液型が性格に関わりがある』ことは、もはや否定しようのない事実」となり
>つつあるようです。つまり、最近は心理学と関係が薄くなりつつある(?)ような
>ので、この点からも日本心理学会で発表しても、それほど意味があるとは私には思
>えません…。
例えば血液型から行動が予測できたらどうでしょうか?
もしパーソナリティに影響を与えているとすれば行動にも
影響を与えているのではないでしょうか?
血液型の違いによって行動パターンが違うことが
証明されたら結構すごいことだと思うのですが・・・
むしろ行動に変化がないのであれば、血液型の差異というものは
ごく微細だといわずにはいれません。

長文のご返事ありがとうございます。

>>自分でデータを取っていない論文は、心理学に限らずでいくらでもありますが、そ
>>れらもダメということなのでしょうか??
>いえいえ決してそんなことはありません。ただ同じデータの再解釈にそこまで
>の意味があるかどうかということです。同じデータを使うとしたらさまざまな
>データを集めてきて、メタ分析とかかけたほうが説得力が増すとは思われませんか?

それは考え方の違いだと思います。
sannmariさんはたぶん文系の方なのでしょう(違ったらごめなさい)。
私は、これでも一応は理系のつもり(?)ですから、メタ分析よりはデータやデータの解釈の方に興味があります。

>例えば心理学の引用文献で社会心理学会の論文集を挙げておられますね?
>その手の文献は学術的に見れば無価値です。学会の会員になれば
>だれでも発表できるわけですから。

まぁ、どの学会とは言えませんが、確かに「学会の会員になればだれでも発表できる」場合もありますね(苦笑)。
それでも、分析手法や結論にはあまり価値があるとは思えませんが、データには価値があると私は思います。

>>> 今ホームページで書かれていることを例えば日本心理学会
>>> で発表されてはいかがでしょうか?あるいはネイチャーでもかまいません。
>>一時は真剣に日本心理学会で発表することも考えたのですが、インターネットの方
>>がずっと効率が良いようなので、今のところ予定はありません。(^^;;
>効率というのがわかりませんが・・・

必要になる時間や手間と、心理学者(≒否定論者)に与える影響を比較すると、インターネットの方が学会の何倍も効率的です。
放送大学の例を出すだけで十分でしょう。

>>「血液型性格関連説は間違っている」という雰囲気の学会で発表しても、私には意
>>味があるとは思えません。たぶん、怒られるか無視されるだけでしょう。(^^;;
>そうでしょうか?その研究の中で、きちんとした科学的な方法に基づき、
>証明が行われれば認められるはずです。というかそれが科学の世界だと
>私は思うのですが・・・

最初は私もsannmariさんと同じ考えでした。
しかし、期待は見事に裏切られました。
詳しくはこちらをどうぞ。

別な例も出しておきます。

Red_Ball12.gif (916 バイト)上瀬由美子さん ステレオタイプの社会心理学 H14.2 サイエンス社 1,300円+税

 上瀬由美子さんの『ステレオタイプの社会心理学』を調べてみたところ、43ページから50ページに血液型ステレオタイプの説明がありました。そこでは、ここで松井豊さんの論文を紹介し、このように書かれています(43ページ 太字は私)。

性格を尋ねた24の質問項目(たとえば「先頭に立つのがすき」)の肯定率と血液型との関連を検討した結果、いずれの項目についても血液型による一貫した差は見られませんでした。この点から松井は、ABO式血液型と性格の関連性を否定しています。この他にも血液型と性格の妥当性を検討するいくつかの研究が心理学者によって行われていますが、多くは血液型と性格の関連を見出せないものとなっています。

上瀬由美子 2002 ステレオタイプの社会心理学──偏見の解消に向けて<セレクション社会心理学21> サイエンス社

 この『ステレオタイプの社会心理学』には、「それぞれの特性と血液型との統計的有意な関係は見出されなかった」という主張を否定する坂元さんの論文が引用文献のリストに存在します(この研究は松井さんのものよりサンプルが多いので、明確に差が出ているのですから、松井さんの論理が変わらないとすれば、ABO式血液型と性格の関連性を肯定することになります)。

 そして、170ページには、

 著作の機会を与えて下さいました編集委員の安藤清志先生、松井豊先生に心から感謝を申し上げたいと思います。とくに松井豊先生には、私が院生時代に行った血液型ステレオタイプの研究からご指導賜り、本書についても貴重なご示唆と励ましをいただきました。

 とありますから、前述の43ページの記述は松井さんの「示唆」があることはほぼ確実です。編集委員なら必ず執筆者の原稿を査読し、必要であれば修正の指示を出すのは当然です。ましてや、「貴重なご示唆」とまで書いてあるなら、170ページの記述は松井さんの意見そのものと考える方が自然でしょう。 -- H16.2.23

Red_Ball12.gif (916 バイト)松井豊さん他著 性格心理学への招待[改訂版] H15.10 サイエンス社 2,100円+税

 もっとも、『ステレオタイプの社会心理学』は松井さん自身の文章ではないのではないか、という反論もあるかと思います。そこで、つい最近出版された(平成15年10月)松井さんの本『性格心理学への招待』[改訂版]をチェックしてみました。

 この本には、松井さん自身による松井豊さんの論文の紹介があり、上瀬さんの『ステレオタイプの社会心理学』と同様「回答者をきちんと選んだ調査結果によれば、血液型と性格には一貫した関連は見られないのである」とあります(63〜64ページ)。

松井(1991)は、全国13歳から59歳の男女を無作為抽出した調査データベース(JNNデータバンク)の調査結果を再解析し、血液型と性格の関連を分析した。分析対象となったのは、1980年、’82年、’86年、’88年の各3,000人前後の回答で、24種の性格項目への肯定率を比較した。その結果、4年度を通じて(統計的に有意な)差がみられたのは、1項目のみであった。その1項目も年度によってB型の肯定率が高かったり、O型の肯定率が高かったりして、結果が一貫していなかった。回答者をきちんと選んだ調査結果によれば、血液型と性格には一貫した関連は見られないのである。

 この本は最近出版されたのですから、松井さんが坂元章さんの論文のことを知らないとは非常に考えにくいのです。実は、松井さんが知っていることは明らかです(根拠を示すことは簡単ですが、プライバシーの侵害にもなりかねないので、ここでは非公開とします)。つまり、反論が一言も書いていないということは、無視しているのではないか、と推測することもできます。

 もちろん、上瀬さんも同じです。上瀬さんで不思議なのは、前述のように坂元さんの論文が引用文献のリストに存在することです。しかし、「血液型と性格には一貫した関連は見られた」という結論を引用するどころか、『ステレオタイプの社会心理学』のどこにも引用したような形跡はありません。それなら、初めから引用文献に含める必要はないはずなのですが…。はて?

どう思われますか?

あえて語弊を恐れずにいえば、まるで「発掘捏造」のようです(失礼!)。
プロの研究者にもわからなかった「発掘捏造」を証明したのは、「素人」である毎日新聞の記者でした。

>>しかし、日本の心理学者が血液型を否定する論文を「ネイチャー」に発表した、と
>>いうのは聞いたことありませんので、sannmariさんによれば、日本心理学会で発
>>表されるような論文は、少なくとも国際レベルで通用するような「科学的な論文」
>>ではない(?)、ということになります。
>そうですね。上記で説明したこととも関連していますが、
>科学の世界ではその雑誌のインパクト・ファクターによって
>その雑誌のレベルが決まります。これはその雑誌から平均して
>いくつぐらいの論文が引用されているのかを表す指標です。
>ネイチャーに比べれば、日本心理学会の論文はレベルが低い
>といわざるを得ないでしょう。日本語ですしね。
>またネイチャーに血液型の論文が出ない理由としては、
>研究の価値がない(予算などがでない)あるいは、純粋に
>研究者が関心をもっていないということなのではないでしょうか?

失礼ながら、sannmariさんは「ネイチャー」をお読みになっていないのでしょうか?
20年前の「ネイチャー」誌上で、血液型と性格に関する活発な論争が展開されましたが、確定的な結論は出ていないようです。
従って、(現在はともかく?)研究者が関心を持っていないとは言えません。
また、sannmariさんによると、「ネイチャーに比べれば、日本心理学会の論文(≒否定論者)はレベルが低い」とのことですから、血液型と性格に関する日本の心理学者の論文は信用できないので、いずれにせよ確定的な結論は出ていないことになります。
これでよろしいですか?

実は、メール(その1)の文章はsannmariさん自身も既にご承知のように科学的ではありません。
なぜなら、「ネイチャー」で認められない限り信じないということなら、こういうことになるからです。
「○○って科学的じゃないね」「なぜ?」「ネイチャーに掲載されていないからさ」
確かに、こんな会話は冗談としては面白いです(笑)。

>例えば血液型から行動が予測できたらどうでしょうか?
>もしパーソナリティに影響を与えているとすれば行動にも
>影響を与えているのではないでしょうか?
>血液型の違いによって行動パターンが違うことが
>証明されたら結構すごいことだと思うのですが・・・

質問紙法では既に証明されている…はずですが、それではダメということですか?
質問紙法以外では(予算のせいかどうか知りませんが)ほとんど論文は存在しません。
もっとも、一部のテレビ番組では例がありますが、厳密なデータとは言えないでしょう。

>むしろ行動に変化がないのであれば、血液型の差異というものは
>ごく微細だといわずにはいれません。

論文やデータが存在しないのですから、sannmariさんの論理に従うなら、何も言えないことになります。
これでよろしいですか?

なお、前回の以下の文章についてのコメントがなかったので、私の意見に同意していただいたと判断させていただきます。
ありがとうございました。

なお、一般的な認識としては、脳力探険!ホムクル!! のように「最近の医学によって『血液型が性格に関わりがある』ことは、もはや否定しようのない事実」となりつつあるようです。つまり、最近は心理学と関係が薄くなりつつある(?)ようなので、この点からも日本心理学会で発表しても、それほど意味があるとは私には思えません…。

最後に、一つだけ質問をさせてください。

否定論者の自己矛盾を読んでどう思われますか?

1..統計(≒心理学の性格テスト)を使うことは「無意味」だ。
2..統計的に「差はある」。しかし、それは「信念」によるもので本当は性格との関係はない。
3..統計的に「差はない」。だから、血液型と性格の関係はない。

1〜3の番号でお答えいただければ幸いです。

当然のことながら、2を選べば日本の心理学者の論文は(ほとんど)全てが間違っていることになりますし、その批判が(ほとんど)ないのは事実ですから、「きちんとした科学的な方法に基づき、証明が行われ」たとしても無視されたことに、sannmariさん自身が同意したことになります。

また、1であれば心理テスト(=性格心理学)は無意味になります。3であれば心理学者の手法が不備だというしかありません。

それとも、血液型と性格についてまだ確定的な結論が出ていないのでしょうか? あるいは、いずれでもないのでしょうか?

もし、今回の返事がいただけないなら、今までの多くの否定論者のように「無視」(少なくとも実質的には…)ということですから、まさに私の指摘(「血液型性格関連説は間違っている」という雰囲気の学会で発表しても、私には意味があるとは思えません。たぶん、怒られるか無視されるだけでしょう。(^^;;)が正しいことをsannmariさん自ら証明してしまったことになります。(^^;;

ということで、ご返事をお待ちしています!

メール(その3) H16.6.3 5:52

sannmariです。
恐らくこれが最後の返信になると思われます。
ただしメールアドレスだけは勘弁してください。m(_ _)m


>必要になる時間や手間と、心理学者(≒否定論者)に与える影響を比較すると、イン
>ターネットの方が学会の何倍も効率的です。
> #放送大学の例を出すだけで十分でしょう。
例え放送大学の講義内容がかわったとしても、血液型における学術的な世界(主に心理学になるとおもわれますが)では相変わらず変わらないでしょう。つまり相変わらず心理学部では「血液型はパーソナリティと関係がない」と教えられるし、何かcriticalな研究が発表されるということも(心理学の世界では)ないでしょう。そもそもこのホームページは心理学者たちにインパクトをあたえているのでしょうか?血液型を研究する心理学者は増えたのでしょうか?


>最初は私もsannmariさんと同じ考えでした。
>しかし、期待は見事に裏切られました。
>詳しくはこちらをどうぞ。

>別な例も出しておきます。

>上瀬由美子さん ステレオタイプの社会心理学 H14.2 サイエンス社 >1,300円+税

>上瀬由美子さんの『ステレオタイプの社会心理学』を調べてみたところ、43ページ
>から50ページに血液型ステレオタイプの説明がありました。そこでは、ここで松井豊
>さんの論文を紹介し、このように書かれています(43ページ 太字は私)。

>性格を尋ねた24の質問項目(たとえば「先頭に立つのがすき」)の肯定率と血液型と
>の関連を検討した結果、いずれの項目についても血液型による一貫した差は見られませ
>んでした。この点から松井は、ABO式血液型と性格の関連性を否定しています。この
>他にも血液型と性格の妥当性を検討するいくつかの研究が心理学者によって行われてい
>ますが、多くは血液型と性格の関連を見出せないものとなっています。

上瀬由美子 2002 ステレオタイプの社会心理学──偏見の解消に向けて<セレクション社会心理学21> サイエンス社

>この『ステレオタイプの社会心理学』には、「それぞれの特性と血液型との統計的有
>意な関係は見出されなかった」という主張を否定する坂元さんの論文が引用文献のリス
>トに存在します(この研究は松井さんのものよりサンプルが多いので、明確に差が出て
>いるのですから、松井さんの論理が変わらないとすれば、ABO式血液型と性格の関連
>性を肯定することになります)。

>そして、170ページには、

>著作の機会を与えて下さいました編集委員の安藤清志先生、松井豊先生に心から感謝
>を申し上げたいと思います。とくに松井豊先生には、私が院生時代に行った血液型ステ
>レオタイプの研究からご指導賜り、本書についても貴重なご示唆と励ましをいただきま
>した。

>とありますから、前述の43ページの記述は松井さんの「示唆」があることはほぼ確
>実です。編集委員なら必ず執筆者の原稿を査読し、必要であれば修正の指示を出すのは
>当然です。ましてや、「貴重なご示唆」とまで書いてあるなら、170ページの記述は
>松井さんの意見そのものと考える方が自然でしょう。 -- H16.2.23

>松井豊さん他著 性格心理学への招待[改訂版] H15.10 サイエンス社 
>2,100円+税

>もっとも、『ステレオタイプの社会心理学』は松井さん自身の文章ではないのではな
>いか、という反論もあるかと思います。そこで、つい最近出版された(平成15年10
>月)松井さんの本『性格心理学への招待』[改訂版]をチェックしてみました。

>この本には、松井さん自身による松井豊さんの論文の紹介があり、上瀬さんの『ステ
>レオタイプの社会心理学』と同様「回答者をきちんと選んだ調査結果によれば、血液型
>と性格には一貫した関連は見られないのである」とあります(63〜64ページ)。

松井(1991)は、全国13歳から59歳の男女を無作為抽出した調査データベース(JNNデータバンク)の調査結果を再解析し、血液型と性格の関連を分析した。分析対象となったのは、1980年、’82年、’86年、’88年の各3,000人前後の回答で、24種の性格項目への肯定率を比較した。その結果、4年度を通じて(統計的に有意な)差がみられたのは、1項目のみであった。その1項目も年度によってB型の肯定率が高かったり、O型の肯定率が高かったりして、結果が一貫していなかった。回答者をきちんと選んだ調査結果によれば、血液型と性格には一貫した関連は見られないのである。

>この本は最近出版されたのですから、松井さんが坂元章さんの論文のことを知らない
>とは非常に考えにくいのです。実は、松井さんが知っていることは明らかです(根拠を
>示すことは簡単ですが、プライバシーの侵害にもなりかねないので、ここでは非公開と
>します)。つまり、反論が一言も書いていないということは、無視しているのではない
>か、と推測することもできます。

>もちろん、上瀬さんも同じです。上瀬さんで不思議なのは、前述のように坂元さんの
>論文が引用文献のリストに存在することです。しかし、「血液型と性格には一貫した関
>連は見られた」という結論を引用するどころか、『ステレオタイプの社会心理学』のど
>こにも引用したような形跡はありません。それなら、初めから引用文献に含める必要は
>ないはずなのですが…。はて?

>どう思われますか?

>あえて語弊を恐れずにいえば、まるで「発掘捏造」のようです(失礼!)。
>プロの研究者にもわからなかった「発掘捏造」を証明したのは、「素人」である毎日新
>聞の記者でした。
えーと細かいことはよくわからないのですが、坂本さんの研究では有意差がみられたものの、坂本さん自身は血液型とパーソナリティに関連を見ていないんですよね?上瀬さんの文章は確かに「統計的有意差」については間違えた記述をおこなっていますが、文章としては坂本さんの考察に従ったものではないのでしょうか?もちろんその間違えは重大な間違いだとは思いますが、それは上瀬さんに訂正を求めればいいだけの話ではないでしょうか?誰だって間違いはあります。それを訂正すればなにも問題はないような気がします。それとも上瀬さんは訂正を断ったのでしょうか?


>失礼ながら、sannmariさんは「ネイチャー」をお読みになっていないのでしょうか?
>20年前の「ネイチャー」誌上で、血液型と性格に関する活発な論争が展開されました
>が、確定的な結論は出ていないようです。
>従って、(現在はともかく?)研究者が関心を持っていないとは言えません。
 >また、sannmariさんによると、「ネイチャーに比べれば、日本心理学会の論文(≒否定
>論者)はレベルが低い」とのことですから、血液型と性格に関する日本の心理学者の論
>文は信用できないので、いずれにせよ確定的な結論は出ていないことになります。
>これでよろしいですか?
残念ながら私はNatureを読んでいません。ただこのホームページにのっている引用文献を見る限り「活発」と言っていいかどうかは疑問に思います。というか論争が行われているのですか?要約を見る限りとても有意義な論争なんてできるような実験方法には見えないのですが・・・相関を観ただけですよね?心理学にも似たような不毛な論争がありましたね。「一貫性論争」でしたっけ?社会的状況かパーソナリティか?結局は両方っていうことになってたような・・・

>実は、メール(その1)の文章はsannmariさん自身も既にご承知のように科学的ではあ
>りません。
>なぜなら、「ネイチャー」で認められない限り信じないということなら、こういうこと
>になるからです。
>「○○って科学的じゃないね」「なぜ?」「ネイチャーに掲載されていないからさ」
>確かに、こんな会話は冗談としては面白いです(笑)。
それは程度の問題だと思います。つまり「Natureに論文が載る」で一つのレベルに達していて、「そこでさかんに研究が行われる」で最先端の研究ということになるのではないでしょうか?世界中で追試がおこなわれそれが膨大なデータとして蓄積され、それらのデータから新しい発見があるのではないでしょうか?もちろんNatureのレベルに達しない研究もたくさんあります。それらの研究は(少なくても学術雑誌に発表されているなら)科学的な価値があります。だから私がNatureに載らないと信じないというわけではなく、血液型の研究がなぜ最新のNatureあるいはScienceに載らないのかっていうことに疑問を感じただけです。



>質問紙法では既に証明されている…はずですが、それではダメということですか?
>質問紙法以外では(予算のせいかどうか知りませんが)ほとんど論文は存在しません。
>もっとも、一部のテレビ番組では例がありますが、厳密なデータとは言えないでしょ
>う。
SHOZOさんはどうお考えでしょうか?質問紙で証明されるだけでいいのでしょうか?恐らく現在の研究から言えることはある特定の質問紙の特定の項目において、血液型の違いが現れているということなのではないでしょうか?もちろんそれだけでも貴重なデータだとは思いますが、SHOZOさんが知りたいことはそんな限定されたことなのでしょうか?

>論文やデータが存在しないのですから、sannmariさんの論理に従うなら、何も言えない
>ことになります。
>これでよろしいですか?
まったくもってその通りだと思います。そのため血液型研究においてやられるべきことはたくさんあると思います。私は一番はじめのメールで「血液型と性格の関係」について”わからない”と答えていると思います。それが私のとっている立場です。SHOZOさんは「関係がある」とおっしゃっていますよね。本当にそういえるのですか?私はそんなことは断言できないと思います。それは論文やデータが存在しないからといって差し支えないと思います。むろん仮説として「血液型と性格は関係がある」と設定することはできるでしょう。しかしSHOZOさんの主張が現段階で科学的な事実といえるかどうかは疑問に思うところであります。

>なお、前回の以下の文章についてのコメントがなかったので、私の意見に同意していた
>だいたと判断させていただきます。
>ありがとうございました。
なぜコメントがないとSHOZOさんの意見に賛成したことになるのでしょうか?その論理はまったく理解できません。コメントしなかったのは私の見落としです。すみませんでした。一応コメントさせていただきます。

>なお、一般的な認識としては、脳力探険!ホムクル!!  のように「最近の医学によって
>『血液型が性格に関わりがある』ことは、もはや否定しようのない事実」となりつつあ
>るようです。つまり、最近は心理学と関係が薄くなりつつある(?)ようなので、この
>点からも日本心理学会で発表しても、それほど意味があるとは私には思えません…。
脳力探険!ホムクル!! はTV番組なのでしょうか?最新の医学の論文が是非読んでみたいです。医学の「パーソナリティ」の定義は心理学の「パーソナリティ」の定義と同じなのでしょうか?それとも違うのでしょうか?


>最後に、一つだけ質問をさせてください。

>否定論者の自己矛盾を読んでどう思われますか?

>1..統計(≒心理学の性格テスト)を使うことは「無意味」だ。
>2..統計的に「差はある」。しかし、それは「信念」によるもので本当は性格との関係
>はない。
>3..統計的に「差はない」。だから、血液型と性格の関係はない。

>1〜3の番号でお答えいただければ幸いです。

>当然のことながら、2を選べば日本の心理学者の論文は(ほとんど)全てが間違ってい
>ることになりますし、その批判が(ほとんど)ないのは事実ですから、「きちんとした
>科学的な方法に基づき、証明が行われ」たとしても無視されたことに、sannmariさん自
>身が同意したことになります。

>また、1であれば心理テスト(=性格心理学)は無意味になります。3であれば心理学
>者の手法が不備だというしかありません。

>それとも、血液型と性格についてまだ確定的な結論が出ていないのでしょうか? ある
>いは、いずれでもないのでしょうか?
私にはわかりません。というのも上記の3択が妥当かどうなのかもわかりません。そこまで研究が進んでいるのでしょうか。どうもこの一連の血液型の研究は、なにかをいうには非常に不十分のように見受けられます。まだデータが少ないし、追試はされていないしで何かをいえるような状況ではないと思われませんか?だからこそこれからやっていかなくてはいけない問題なのかもしれません。しかし科学的なアプローチをとっていなければ、血液型の研究はコンビニ心理学のままなような気がします。ここでいう科学的というのは何もNatureに載るとか、統計的な処理を行うとかいうことではなく、良質なデータを積み重ねていくということだと思います。そのためにSHOZOさんができることはたくさんあるのではないでしょうか?

 >もし、今回の返事がいただけないなら、今までの多くの否定論者のように「無視」(少
>なくとも実質的には…)ということですから、まさに私の指摘(「血液型性格関連説は
>間違っている」という雰囲気の学会で発表しても、私には意味があるとは思えません。
>たぶん、怒られるか無視されるだけでしょう。(^^;;)が正しいことをsannmariさん自ら
>証明してしまったことになります。(^^;;

>ということで、ご返事をお待ちしています!
ここで挙げられている論理もよくわかりません。というか過去2回の返信にも同じことが書かれていましたよね。なぜ私が答えなければ、学会で発表することに意味がないのでしょうか?SHOZOさんのこうした意見を読むたびに理解に苦しみます。学会で発表する意味があるかどうかを決めるのは私ではなく、その学会の方々なのではないでしょうか?あるいはSHOZOさん自身なのではないでしょうか?こうした論理(私がコメントしなければ私はSHOZOさんの意見に賛成したことになるetc)を読むたびに私が感じるのは大いなる疲弊です。

というかはっきりと申し上げましょう。不快です。そもそもこの対話の目的はなんだったのでしょう?今考えればそれをはっきりとさせておくべきでした。私が感じたのは血液型研究においてその実験方法等において不十分な点があるということです。私がSHOZOさんに伺いたかったのは、その不十分な点をカバーできる新しい視点なり、研究方法などについてです。つまり血液型研究の将来についてお伺いしたかったのです。しかしどうもSHOZOさんが話したかったことは違うらしい。あなたは私の文章の論理的な矛盾を突き、私に半ば強制的に反論させようとしている。「反論しなければあなたは私の意見を認めたということになります」と脅迫まがいのことをおっしゃっていますね。この論理はどうなのでしょうか?否定論者よりも酷いと思うんですが・・・ここでおこなわれていることについて一つの視点から見てみましょう。

私はSHOZOさんのホームページに出向いて今のように感想を書いているわけです。ここで明らかなのは私は間違いなくvisitorであり、SHOZOさんにとってはhomeであるわけです。私は自分が発言をするかどうかについて自由をもっているはずです。なぜそれに対してあのような脅迫的な態度をとられないといけないのでしょうか?私はABO Fanのファンのかたからみれば、うっとおしい存在でしょう。そうした状況の中で対等に議論ができるとお考えですか?そもそもこの議論によって得るものはなんでしょう?結局は私をこてんぱんにのして、SHOZOさんの正しさを証明すること以外になにかあるのでしょうか?私はそれに気づき非常に徒労感を覚えます。この議論は血液型研究の将来にとってはまったく利益とならないでしょう。止揚のない弁証法を延々と続けるのですか?答えはもうわかっているじゃないですか。結局、統計やら文献やらを持ってきても、SHOZOさんは自分が正しいということがいいたいだけじゃないですか。それが研究者のあるべき態度ですか?まったくもってフェアじゃない。”否定論者”がSHOZOさんと話して感じる疲労感を私は理解できるような気がします。むしろ彼らのほうが、科学者としての良識をもっていると私は感じます。きちんとしたデータと客観的な論理を持っていけば彼らは喜んで聞いてくるでしょう。私はどちらかと言えばそちらと議論を交わしてみたいですね。どれだけSHOZOさんの論理が正しいとしても(私は上記の返信からSHOZOさんの論理力に疑問を持ちますが・・・)SHOZOさんの論文が学術雑誌に出ていないかぎり、科学の世界ではこのホームページの価値はゼロでしょう。むろんエンターテインメントとしての価値は多分にあるでしょうけど・・・


もう一度私の立場をはっきりと申し上げておきます。私は血液型が性格に関係あるかどうかはわかりません。そして数々の研究から言えることはある非常に限定された状況とある特定の尺度の特定の項目で血液型による差異が見られるということです。それだけでいいのでしょうか?私が思うのはもっと厳密な実験や追試を通してこの現象を扱ってほしいということです。そうすればいつかはもっとクリアにこの問題がわかる日が来るのではないかということです。非常に大変なことだと思います。それを進んでやっていく人はいないのでしょうか?

最後にひとことです。この文章を是非公開してください。
公開しなければSHOZOさんは私と意見が同じだと認めたことになります。(嘘)

またまた長文のご返事ありがとうございます。

> ただしメールアドレスだけは勘弁してください。m(_ _)m

もちろんそれで結構です(笑)。

> 例え放送大学の講義内容がかわったとしても、血液型における学術的な世界
> (主に心理学になるとおもわれますが)では相変わらず変わらないでしょう。

??? 講義内容が変わったら、学術的な世界では変わらないのですか?
普通は、講義内容が変わったら、学術的な世界は変わるのではないでしょうか?

> つまり相変わらず心理学部では「血液型はパーソナリティと関係がない」と教え
> られるし、

??? 無視されるようになっている事は確かです。

> 何かcriticalな研究が発表されるということも(心理学の世界では)ないでしょう。

日本語ならともかく、(Natureなど)英語ではcriticalな研究が発表されているようですが…。

> そもそもこのホームページは心理学者たちにインパクトをあたえているのでしょうか?
> 血液型を研究する心理学者は増えたのでしょうか?

??? 講義内容が変わっても、心理学者はインパクトを与えないということですか?
無視されるようになったら、血液型を研究する心理学者は減るのではないでしょうか?

大変申し訳ありませんが、これらの文章は私には理解不能です。(*_*)

> えーと細かいことはよくわからないのですが、坂本[注:正しくは坂元]さんの研究では
> 有意差がみられたものの、坂本さん自身は血液型とパーソナリティに関連を見ていな
> いんですよね?

そのとおりです。

> 上瀬さんの文章は確かに「統計的有意差」については間違えた記述をおこなっています

私の意見を認めていただき、大変ありがとうごさいます。

> 文章としては坂本さんの考察に従ったものではないのでしょうか?もちろんその間違
> えは重大な間違いだとは思いますが、
> それとも上瀬さんは訂正を断ったのでしょうか?

ここで、前回の文章を繰り返します。

1..統計(≒心理学の性格テスト)を使うことは「無意味」だ。
2..統計的に「差はある」。しかし、それは「信念」によるもので本当は性格との関係はない。
3..統計的に「差はない」。だから、血液型と性格の関係はない。

坂元さんの論理は2、松井さんは3です。
しかし、どう考えても2と3が同時に成り立つはずがありません。
つまり、上瀬さんは3が正しいと考えていることになります。

従って、sannmariさんは2と考えていると判断させていただきます。

> 残念ながら私はNatureを読んでいません。ただこのホームページにのっている引用文献
> を見る限り「活発」と言っていいかどうかは疑問に思います。というか論争が行われている
> のですか?要約を見る限りとても有意義な論争なんてできるような実験方法には見えない
> のですが・・・相関を観ただけですよね?

あはは(失礼!)。真面目な話、sannmariさんは超能力者なのでしょうか?
原典であるNatureを読まずに結論が出せるなら、sannmariさんは超能力者と考えるしかありません。(^^;;

> 心理学にも似たような不毛な論争がありましたね。「一貫性論争」でしたっけ?社会的状況
> かパーソナリティか?結局は両方っていうことになってたような・・・

私は「うやむや」になった、と判断しています。

>>実は、メール(その1)の文章はsannmariさん自身も既にご承知のように科学的ではあ
>>りません。
>>なぜなら、「ネイチャー」で認められない限り信じないということなら、こういうこと
>>になるからです。
>>「○○って科学的じゃないね」「なぜ?」「ネイチャーに掲載されていないからさ」
>>確かに、こんな会話は冗談としては面白いです(笑)。
> それは程度の問題だと思います。つまり「Natureに論文が載る」で一つのレベルに達していて、
> 「そこでさかんに研究が行われる」で最先端の研究ということになるのではないでしょうか?世
> 界中で追試がおこなわれそれが膨大なデータとして蓄積され、それらのデータから新しい発見
> があるのではないでしょうか?もちろんNatureのレベルに達しない研究もたくさんあります。それ
> らの研究は(少なくても学術雑誌に発表されているなら)科学的な価値があります。だから私が
> Natureに載らないと信じないというわけではなく、血液型の研究がなぜ最新のNatureあるいは
> Scienceに載らないのかっていうことに疑問を感じただけです。

これって、「○○って科学的じゃないね」「なぜ?」「ネイチャーに掲載されていないからさ」と、どう違うのでしょう?
NatureやScienceがどうだろうが、最終的には自分の考えで判断するのではないのですか?
学問の自由はどうなるのでしょう? 科学って、NatureやScienceの独占なのですか? まさか!
もし、真面目にそう思っているなら、sannmariさんはよほど権威主義であると言うしかありません。

>>質問紙法では既に証明されている…はずですが、それではダメということですか?
>>質問紙法以外では(予算のせいかどうか知りませんが)ほとんど論文は存在しません。
>>もっとも、一部のテレビ番組では例がありますが、厳密なデータとは言えないでしょ
>>う。
> SHOZOさんはどうお考えでしょうか?質問紙で証明されるだけでいいのでしょうか?
> 恐らく現在の研究から言えることはある特定の質問紙の特定の項目において、血液
> 型の違いが現れているということなのではないでしょうか?もちろんそれだけでも貴重
> なデータだとは思いますが、SHOZOさんが知りたいことはそんな限定されたことなので
> しょうか?

失礼ですが、sannmariさんは性格検査の理論をご存じないのですか?
性格検査では、基本的に質問紙法の回答は正しいと仮定しています。従って、質問紙法で証明されれば、行動(性格)が証明されることになります。
実際に、性格検査の妥当性を検証するため、質問紙法の回答と行動の相関が調べられています。それで特に問題がないから、質問紙法による性格検査は正しいとされている訳です。

それとも、心理学(性格検査)は全くのインチキということなのでしょうか?

>>論文やデータが存在しないのですから、sannmariさんの論理に従うなら、何も言えない
>>ことになります。
>>これでよろしいですか?
> まったくもってその通りだと思います。

??? つまり、心理学は全くのインチキだということになりますが、それでもいいのでしょうか?

> 私は一番はじめのメールで「血液型と性格の関係」について”わからない”と答えていると
> 思います。それが私のとっている立場です。SHOZOさんは「関係がある」とおっしゃってい
> ますよね。本当にそういえるのですか?私はそんなことは断言できないと思います。それ
> は論文やデータが存在しないからといって差し支えないと思います。むろん仮説として「血
> 液型と性格は関係がある」と設定することはできるでしょう。しかしSHOZOさんの主張が現
> 段階で科学的な事実といえるかどうかは疑問に思うところであります。

私は、心理学の論理どおり(○○という条件が満たされれば「関係がある」と言える)です。
その条件を満たしているのは明らかだと思います。
つまり、sannmariさんは「心理学はインチキ」という意見だと判断させていただきますがよろしいでしょうか?

>>なお、一般的な認識としては、脳力探険!ホムクル!!  のように「最近の医学によって
>>『血液型が性格に関わりがある』ことは、もはや否定しようのない事実」となりつつあ
>>るようです。つまり、最近は心理学と関係が薄くなりつつある(?)ようなので、この
>>点からも日本心理学会で発表しても、それほど意味があるとは私には思えません…。
> 脳力探険!ホムクル!! はTV番組なのでしょうか?

そのとおりです。

> 最新の医学の論文が是非読んでみたいです。

同感です。

> 医学の「パーソナリティ」の定義は心理学の「パーソナリティ」の定義と同じなのでしょうか?
> それとも違うのでしょうか?

たぶん同じだと思いますが、原典を読んでいないのでなんとも言えません。

ところで、「一応コメントさせていただきます」とのことですが、私がお願いしたのは、

>>なお、一般的な認識としては、脳力探険!ホムクル!!  のように「最近の医学によって
>>『血液型が性格に関わりがある』ことは、もはや否定しようのない事実」となりつつあ
>>るようです。つまり、最近は心理学と関係が薄くなりつつある(?)ようなので、この
>>点からも日本心理学会で発表しても、それほど意味があるとは私には思えません…。

という意見に賛成なのか反対なのかということです。素直に読めばそういう質問だと解釈できないでしょうか?
この点についてはコメントがないので、私の意見に同意していただいたと判断させていただきます。
大変ありがとうございました。

>>最後に、一つだけ質問をさせてください。

>>否定論者の自己矛盾を読んでどう思われますか?

>>1..統計(≒心理学の性格テスト)を使うことは「無意味」だ。
>>2..統計的に「差はある」。しかし、それは「信念」によるもので本当は性格との関係
>>はない。
>>3..統計的に「差はない」。だから、血液型と性格の関係はない。

>>1〜3の番号でお答えいただければ幸いです。

>>当然のことながら、2を選べば日本の心理学者の論文は(ほとんど)全てが間違ってい
>>ることになりますし、その批判が(ほとんど)ないのは事実ですから、「きちんとした
>>科学的な方法に基づき、証明が行われ」たとしても無視されたことに、sannmariさん自
>>身が同意したことになります。

>>また、1であれば心理テスト(=性格心理学)は無意味になります。3であれば心理学
>>者の手法が不備だというしかありません。

>>それとも、血液型と性格についてまだ確定的な結論が出ていないのでしょうか? ある
>>いは、いずれでもないのでしょうか?
> 私にはわかりません。というのも上記の3択が妥当かどうなのかもわかりません。

前述の上瀬さんのケースでは、2という見解なのですね。ありがとうございました。

>>もし、今回の返事がいただけないなら、今までの多くの否定論者のように「無視」(少
>>なくとも実質的には…)ということですから、まさに私の指摘(「血液型性格関連説は
>>間違っている」という雰囲気の学会で発表しても、私には意味があるとは思えません。
>>たぶん、怒られるか無視されるだけでしょう。(^^;;)が正しいことをsannmariさん自ら
>>証明してしまったことになります。(^^;;

>>ということで、ご返事をお待ちしています!
> ここで挙げられている論理もよくわかりません。というか過去2回の返信にも同じことが
> 書かれていましたよね。なぜ私が答えなければ、学会で発表することに意味がないので
> しょうか?SHOZOさんのこうした意見を読むたびに理解に苦しみます。学会で発表する
> 意味があるかどうかを決めるのは私ではなく、その学会の方々なのではないでしょうか?
> あるいはSHOZOさん自身なのではないでしょうか?

ご承知のように、私は学会で発表しても意味がない(効率が悪い)と考えています。

> というかはっきりと申し上げましょう。不快です。そもそもこの対話の目的はなんだったの
> でしょう?今考えればそれをはっきりとさせておくべきでした。私が感じたのは血液型研究
> においてその実験方法等において不十分な点があるということです。私がSHOZOさんに伺
> いたかったのは、その不十分な点をカバーできる新しい視点なり、研究方法などについて
> です。つまり血液型研究の将来についてお伺いしたかったのです。しかしどうもSHOZOさん
> が話したかったことは違うらしい。あなたは私の文章の論理的な矛盾を突き、私に半ば強
> 制的に反論させようとしている。

私は、心理学の論理どおり(○○という条件が満たされれば「関係がある」と言える)です。
その条件を満たしているのは明らかだと思います。
もっとも、sannmariさんは心理学はインチキ(?)ということですから、私の論理ではご不満なのだと推察します。

また、sannmariさん自身の言葉によると「論理的な矛盾を突き」「反論させようとしている」ので「不快」だということです。つまり、sannmariさん自身がご自分の矛盾を認めていらっしゃることになります。これでよろしいですか?
しかし、ここまで読んでいても、sannmariさんはご自分の矛盾している点を示しているように思えません。やはり、sannmariさんの論理は矛盾してはいないのでしょうか?
私にはよく判りません。

#矛盾していないなら、「半ば強制的に反論」することは必要ないですよね?

> 「反論しなければあなたは私の意見を認めたということになります」と脅迫まがいのことを
> おっしゃっていますね。この論理はどうなのでしょうか?否定論者よりも酷いと思うんですが・・・

よく意味がわからないので、刑法を調べてみました。

(脅迫) 
第二百二十二条 生命、身体、自由、名誉又は財産に対し害を加える旨を告知して人を脅迫した者は、二年以下の懲役又は三十万円以下の罰金に処する。
2 親族の生命、身体、自由、名誉又は財産に対し害を加える旨を告知して人を脅迫した者も、前項と同様とする。

つまり、メールアドレスを公開しない匿名の批判者に対して、「反論しなければあなたは私の意見を認めたということになります」と主張することは、刑法第222条に準ずる罪になるということでしょうか? これって、本当に「生命、身体、自由、名誉又は財産に対し害を加える旨を告知」する(あるいは準ずる)ことになるのですか?

この「私の意見」とは、具体的にはこういうことです。

  1. 私の指摘(「血液型性格関連説は間違っている」という雰囲気の学会で発表しても、私には意味があるとは思えません。たぶん、怒られるか無視されるだけでしょう。(^^;;)が正しいことをsannmariさん自ら証明してしまったことになります。(^^;;
  2. 一般的な認識としては、脳力探険!ホムクル!! のように「最近の医学によって『血液型が性格に関わりがある』ことは、もはや否定しようのない事実」となりつつあるようです。つまり、最近は心理学と関係が薄くなりつつある(?)ようなので、この点からも日本心理学会で発表しても、それほど意味があるとは私には思えません…。

要するに、「私の意見は(正しいかどうかに関わらず)無視される」か「最近の医学によって『血液型が性格に関わりがある』ことは、もはや否定しようのない事実」であることをsannmariさん自らが認めることは、私がsannmariさんに「生命、身体、自由、名誉又は財産に対し害を加える旨を告知」することになるということです。冗談としては面白いです(笑)。

> 私はSHOZOさんのホームページに出向いて今のように感想を書いているわけです。
> ここで明らかなのは私は間違いなくvisitorであり、SHOZOさんにとってはhomeである
> わけです。

そのとおりだと思います。

> 私は自分が発言をするかどうかについて自由をもっているはずです。

全くおっしゃるとおりです。

> なぜそれに対してあのような脅迫的な態度をとられないといけないのでしょうか?

前述のとおり、脅迫ではないと思いますが…。

> 私はABO Fanのファンのかたからみれば、うっとおしい存在でしょう。

いや、そんなことはありません! みんな大歓迎なはずです(笑)。

> そうした状況の中で対等に議論ができるとお考えですか?

何をもって「対等」とおっしゃりたいのかわかりません。法の下に「対等」であるのは間違いないはずですが…。
そうでないなら、あらゆる意味で厳密に「対等」ということはありえないはずです。

> そもそもこの議論によって得るものはなんでしょう?結局は私をこてんぱんにのして、
> SHOZOさんの正しさを証明すること以外になにかあるのでしょうか?私はそれに気づ
> き非常に徒労感を覚えます。

「私をこてんぱんにのして」とのことですが、するとsannmariさん自らが負けたことを認めたのですか?

> この議論は血液型研究の将来にとってはまったく利益とならないでしょう。

それは、sannmariさんや私が決めることではないと思いますが…。

> 止揚のない弁証法を延々と続けるのですか?答えはもうわかっているじゃないですか。結局、
> 統計やら文献やらを持ってきても、SHOZOさんは自分が正しいということがいいたいだけじゃ
> ないですか。それが研究者のあるべき態度ですか?まったくもってフェアじゃない。”否定論者”
> がSHOZOさんと話して感じる疲労感を私は理解できるような気がします。

普通の研究者なら、「自分が正しいということがいいたい」のは当然だと思いますが…。
sannmariさんは、研究者は自分が間違っていることを証明したいのが普通だと思っているのですか?

> むしろ彼らのほうが、科学者としての良識をもっていると私は感じます。きちんとしたデータと客
> 観的な論理を持っていけば彼らは喜んで聞いてくるでしょう。私はどちらかと言えばそちらと議
> 論を交わしてみたいですね。

それならご紹介しますのでどうぞ(リンク集にあります)。

> どれだけSHOZOさんの論理が正しいとしても(私は上記の返信からSHOZOさんの論理力に疑問
> を持ちますが・・・)SHOZOさんの論文が学術雑誌に出ていないかぎり、科学の世界ではこのホー
> ムページの価値はゼロでしょう。

これって、「○○って科学的じゃないね」「なぜ?」「ネイチャーに掲載されていないからさ」と、どう違うのでしょう?
まさに、私が指摘したとおりだと思うんですが…。

> むろんエンターテインメントとしての価値は多分にあるでしょうけど・・・

ありがとうございます。

> もう一度私の立場をはっきりと申し上げておきます。私は血液型が性格に関係あるかどうかはわ
> かりません。

承知しました。

> そして数々の研究から言えることはある非常に限定された状況とある特定の尺度の特定の項目で
> 血液型による差異が見られるということです。それだけでいいのでしょうか?

大変ありがとうございます。sannmariさん自身が、日本の心理学者のほとんどは間違っている、と認めていただいた訳ですから…。

> 私が思うのはもっと厳密な実験や追試を通してこの現象を扱ってほしいということです。そうすればい
> つかはもっとクリアにこの問題がわかる日が来るのではないかということです。非常に大変なことだと
> 思います。それを進んでやっていく人はいないのでしょうか?

なるべく努力します。

> 最後にひとことです。この文章を是非公開してください。
> 公開しなければSHOZOさんは私と意見が同じだと認めたことになります。(嘘)

ご要望ですし、メールでも「匿名公開可」となっていましたので、ここに公開させていただきました。
大変ありがとうございました、そしてお疲れ様でした。


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最終更新日:平成17年6月11日