国鉄・JR神中線の車両



以前「架空鉄道版@したらば」の中で提示された「妄想の糸口」。
もしも相模線と同時に相鉄(当時神中鉄道)が買収され、国鉄神中線になっていたら。地元ネタであり、旧国ネタで楽しめると思い、車両だけ作画して見ました。尚元ネタの出所はこちらの109です。


ここでは各時代の車両についてご覧頂く前に、その前提をご説明しておきます。

昭和19年、戦時輸送体制の要請から、時の国鉄は神奈川県央を走る二つの私鉄線、相模鉄道と神中鉄道を買収しました。両線は沿線に多くの軍事施設や軍需工場を持ち、その輸送に齟齬を来さない為と、更にセメントの原料となる川砂利の輸送の為、重要線中の重要線と言えましょう。この買収にはもう一つの重要な理由がありました。それは横浜−茅ヶ崎−小田原間で不通となった時、そのバイパス線として利用する為です。
こうして両線はそれぞれ「国鉄相模線」「国鉄神中線」となります。


起点の横浜は神中鉄道時代の施設を改良して「神中1〜3番ホーム」と称し、在来の各線と区別しました。これは今でも変わりません。電車区は西横浜(東ニヨ)と臺東(後の相模大塚)(東サヲ)に配置。

終点の説明が最も厄介事です。神中鉄道開業時の終点は現在のJR東日本厚木支店のある所で、ここで両線は接続していました。後に小田急線が河原口駅(現厚木)を開業するや、先発の相模・神中鉄道は乗り換えの便を図る為、小田急線と交わる辺りに「中新田河原口」を開設しました。
国鉄の厚木と中新田河原口は距離にして200メートルも離れていないのですが、戦時特例で「中新田河原口駅ハ厚木駅構内ト見做シ仮乗降場トシテ此レヲ取扱フ」、中新田で乗車した旅客が200メートル先の厚木で降りる事は普通考えられないからこうした特例が認められたのでしょう。
この異常な「二重終着駅」構造は、20メートル級電車の6連化が開始された昭和40年まで存続しました。所が電車の側・正面サボの標記は終始一貫して「厚木」であった為、慣れない人かなりまごついたと聞いています。



社型・木造国電の時代(〜1940年代)

17メートル国電の繁栄(1950年代)

帰ってきたロクサン(1960〜70年代)

ミナトのハチロクと準急(1960年)

新性能化と混色編成(1970〜80年代)

一時の珍客、201系(1988年)

らしからぬ客・165系の競演(1992年)

205系による現代化(1990年代〜)

新系列化の更なる進行(2020年代〜)