73系の入線試験(1960年頃)
東京近郊の電化支線はおろか山手線等でも17m級が重用されていた時代です。京浜線を受け持つ東神奈川電車区を塒にしている神中線では1960年、20m級73型電車が試験的に投入されています。
当時の沿線は、横浜近郊の一部区間を除いて旧来の農村地帯で、米軍関係の輸送は多かったもののその殆どは貨物輸送で旅客流動は微々たるものでしたが、1959年に完工した横浜~二俣川間複線化によって一部の京浜線電車が二俣川まで乗り入れを開始したのを機に、将来的に全線において機材の統一を企図していたのでしょう。
ここに見る編成は何れも東神奈川の車両で、2両の17m車が73型に挟まれています。このような繋ぎ方は横浜線でも時折見られたそうで、この折の編成を入線試験に宛てたのかも知れません。
17m級の天下であった神中線に試験的に投入された20m級大型電車。本格的に73系が投入されるのはこの後5年を経なければなりません。
その頃相模線では、真っ新なキハ10系が新塗装も誇らしげに登場。41000や42000に混ざって運用に就いていました。丁度気動車の旧塗装と新塗装の端境期に当たり、新旧塗装車が手を繋いで走る事は珍しくありませんでした。
気動車天国となった相模線のもう一つの顔、茅ケ崎方の通勤輸送は独特でした。茅ケ崎~西寒川の区間列車で、無数の工員を一挙に輸送する為客車を使用していました。西寒川に機回し線がない為2両のC11が客車をサンドイッチして客扱い後すぐに折り返して行きます。始業時間に急かされている工員たちは駅に着かない前に客車のデッキから構わず飛び降りて自分の職場へ走って行ったそうです。のんびりした時代です。
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