一時の珍客201系(1988年)





昭和63年の夏。まだ新車だった201系が7両編成で厚木の電留線に停まっていました。
全車冷房車。これは実に甘美な響きでした。都心ならばいざ知らず、地方線に過ぎない神中線の冷房化率は低く、殆どの電車は両端の1両だけクーラーを積み、後は自然暖房車でした。ああ、遂に神中線も201系一斉置き換えになるか、そう思って大層喜んだものでした。殊にその年の夏は猛暑であった事もあり、そのように勘違いをしたのでしょう。
新製後一時的に疎開留置されていたようで、数日して彼らは何処かへ転出し、神中線は再び半冷房103系の天下となった訳です。

その頃相模線では、お馴染みのキハ30系がアイボリーの地にコバルトの帯、所謂「相模線色」に衣更えしていた時期に相当します。妻面の形式標記が何故か斜めになっているなど色々話題の多かった塗装でした。



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