ミナトのハチロクと準急(1960年頃)





神中線の貨物列車は主に横浜機関区の8620や新鶴見機関区のC50、C11が担当していました。後に、これに久里浜のDD12やDD13が加わります。
埠頭での入換の為にベルを搭載した洒落男、横浜の8630が出張って、厚木駅構内で砂利の貨車を入換しています。
1950年代を通じて厚木周辺の駅から発送される川砂利は、神中、相模両線にとって大きな収入源でした。これにセメント輸送、米軍燃料輸送、後に日産の自動車輸送が加わって、広い厚木駅構内はとりどりの貨車で埋め尽くされていました。


隣りの相模線ホームから発車しているのは、線内唯一の優等列車「準急常念(相模)」。季節列車ながら複雑な分割併合とカッコ付きの列車名で有名になった列車です。
前夜、茅ヶ崎機関区で滞泊した6両の気動車は、4両が先発して大船始発横浜線周り「準急常念(横浜)」となり、残った2両が相模線周りの「準急常念(相模)」として後発するものでした。橋本で横浜編成と併結し、その先の大月で千葉始発の「準急常念(京葉)」を合せ、10両編成になって一路松本を目指す列車でした。
1960~61年の夏季シーズンのみ運行され、後に横浜のスジのみ165系化されて「急行はまアルプス」、更に「特急はまかいじ」へと続く中央対横浜優等列車の嚆矢となったのが、この可愛らしい気動車準急だったのです。



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