面会謝絶。
学校を出て、地図で見ただけでルートを理解できずにいる中、それでも人に聞いたり地図と目の前の道を確認したりなんて風に四苦八苦しつつ、30分ぐらいかかってようやくたどりついた病院で、返された言葉。
一瞬耳を疑って、もう一度受付のおばさんに聞いてみたものの、同じ意味の言葉が仕事口調で繰り返された。
「咲良漂さん、宮月草那さんは、今は絶対安静とのことで、面会は許可されておりません」
そう来られて、俺は食い下がる気になれなかった。そこまで無理言ってでも面会が必要だという理由がなかったから。
しょうがないので、怪我の具合とか、いつ退院できそうなのかとか、そのあたりを聞いてみたが、おばさんは「それは私にはわかりません」と答えてくれなかった。担当しているお医者さんなら知っているというが、その医者を呼び出してまで聞こうとも思わなかった。重症患者が運び込まれる病院の医者なんて、鬼のように忙しいんじゃねえかと勝手に思ったから。
ただ最低限の情報として――2人とも、命に別状はないということだけ、おばさんは教えてくれた。その時のおばさんの表情が、やけに印象に残った。見舞い人の訪問を喜ぶような、そして心配するような、微妙な感情が見え隠れするような、微笑みだったから。
それでも、最大の目的が果たせなかったので、無駄足をだったという感は否めなかった。まあそれはあの受付のおばさんが悪いわけじゃないが。
考えてみれば、事件からまだ2日しか経っちゃいないのだ。そのたった2日で、劇的にダメージが回復しているなんてことはないだろう。回復してたとしても、まだそれはわずかなものに過ぎない。
そういえば、ついさっきはすっかり忘れていた。そして今ちょっと思い出した。そういえば、俺もあんな怪我して入院して、絶対安静言い渡されたことがあったな、と。
誰にも会えない、動けない。見えるのは病室の白い天井だけ。そういうのは、あまりにも孤独で、あまりにも無力で。しかも、入院している間は、怪我は回復していくものの、体はどんどん弱っていくのを、また実感したりして。
少なくとも俺のように、かつて自分の実力に自信を持っていた人間にとって、入院ってのは残酷なものだと思う。退院しても、入院前には簡単に出来ていたことが、上手くいかなくなっていたりするから。それが歯がゆくて、どうしようもなく自分が無力だ、壊れたと思えてきてしまう。
もしかしたら、咲良も同じことを思いやしないだろうか。あいつは特に、自分の力を使って人を守ろう、救おうとすることに、強いこだわりを見せていたから。だけどあいつもおそらく今回、長期的な入院生活を余儀なくされるだろう。その時、その自分の力ってやつがゆっくりと磨り減っていっちまうことは、まず避けられない。それに対面した時、あいつは何を思うだろうか。思いつめたり、しないだろうか。
学校から病院までの道のりが30分。考える時間は今、腐るほどあるなと思った。そしてその中で、俺は今日、まだ家に戻る気にはなれずに、違う家を目指して歩いていた。
ピーンポーン、と。機械的なインターホンの音が、ドアの向こうとスピーカーから聞こえてくる。
『はい?』
「もしもし、急ですけどお邪魔していいですかね。咲良くんと同じ高校の、明原って言うんですけども」
とりあえず用件を言う。本当はもっと警戒させない言い方とか丁寧な言葉遣いとか出来そうな気はしたけど、思いつかなかったし考えなかった。
『漂の、お友達ですか? 少々お待ちください』
返ってきた声に、なぜか心が躍った。言葉は言わずもがなだが、声がもう丁寧で。ただでさえ整った感じのした女性の声だったから、なおのこと。――なんとなくだけど多分、綺麗な人なんじゃないだろうか。
そんなことを考えている少しの間に、ゆっくりとドアが開いた。邪魔にならないように一歩下がりながら、相手の姿を見て、余計にドキッとした――素直に、綺麗だと思った。
「あ、えっと……ホント、急ですいません」
どぎまぎしながらそう言って、俺は思わず頭を下げていた。
「……いらっしゃい。ここで立ち話も何でしょうから」
かすかに聞こえたかもしれない笑い声の後に、そんな言葉をかけられた。半分はやけにあっさり招かれたなと拍子抜けして、もう半分は相手の美人ぶりにしどろもどろになっていて。複雑な気持ちで、俺は咲良の家にそろりと上がった。
マンションの一室なので、細長い廊下がまずあって、左右にいくつか部屋への扉があって。廊下の終点、玄関の真正面に見えるドアを通ると、広く開けたリビングに迎えられた。
ローテーブルのそばのソファに、女の人が座っていた。隣は空いていたが、そこに座るのはためらわれたので、俺は女の人から見て右側のソファにゆっくり腰を下ろした。
「私は観沙って言うの。漂は弟だから」
「あ、はい、わざわざどうもです。俺、明原聖人と言います」
お互いに、簡潔な自己紹介をした。が、向こうは普通にしているだけなんだろうに、どうして俺はこうもかしこまっちまうんだろうか。何かいろいろと訊いてみたい気はするが、その話をしに来たんじゃない。
「……用件、は。やっぱり漂のことかしら?」
「あ、はい……今日、病院のほう見舞い行ったんですけど、面会謝絶って言われたんで」
雑談も何もなく、向こうから本題が切り出された。俺が病院であったことを全部話すと、観沙さんは苦笑のようなものを浮かべた――今はどうでもいいのに、そういう憂い交じりの笑顔まで妙に綺麗だなと思っちまった。
「私たちもよ……それだけの怪我をしたんだろうから、心配だわ」
「……えと、いつお見舞いに? それと、1人で行ったんじゃないんですか?」
「……話すと長くなるかもしれないわね……」
観沙さんはそこで少し息をついて間を取り、続けた。
「見舞いに行ったのは3時半ごろかしら……2人で行ったわ。もう1人の子が、小学校が終わる時間に合わせたから」
「……あれ。弟さん、ですか? 漂くんとは別の」
「いいえ。ちょっと説明が難しいんだけど……ああ、浩都くん、見てないでこっちにいらっしゃいな」
と、観沙さんが呼びかけたので、その方向を見てみると、ドアに半分姿を隠して、こっちをじーっと見ているガキがいた。俺に対して、何か警戒でもしているかのようだ。
「観沙ねーちゃん、その人だーれ」
「漂のお友達だそうよ。聖人君だって。悪い人じゃないわよ」
浩都と呼ばれた子供に対して呼びかける言葉に、しかし顔を引きつらせたのは俺だった。
「あの、いや、悪い人じゃないって、んな簡単に信用していーんスか。俺、髪染めてるし、隠れて煙草だって吸ってるし、漂くんと友達ですって実は嘘かもしれないスよ?」
思わず言葉が崩れた。しかも早口で自分の汚点まで白状していた。軽くではあるが俺は動揺していた。対して、観沙さんは微笑んで、一言。
「見ていればわかるわよ」
――呆然とした。まだ会って1時間も経ってないのに、なんでそんなにあっさりそんなことが言えるのか。ただのお人好しなのか、観察眼が鋭いのか。今はまだどっちとも取れないが、なぜか後者の可能性が高いような気がしていた。
子供のほうはというと、観沙さんの言葉を信用したのか、てくてくと子供っぽい足取りで近づいてきて、しかし俺からは離れて、観沙さんにくっつくようにして隣にちょこんと座った。
「……弟さん、じゃないんスよね、その子」
「ええ。同じこのマンションの、桜井さんっていうお宅の子供なんだけど……お父さんがなかなか家に帰ってこれないらしいから、預かってるの。もちろん、いろいろと事情があるんだけどね」
――普通そんなことしねえだろう、と思う。ウチはウチ、よそはよそという風に思わないんだろうかと考えて、しかしそこで咲良――漂の性格を思い出す。やつならやりかねない。というか、よその子供が今この家で生活してるらしいという事実は、もう目の前にある。
と、どんどん頭の中が本題から脱線していってることに気づいて、いかんと思って俺は呼吸を整えた。
「ええっと。わかりました……とりあえず、その子とあなたと、2人で漂くんのお見舞いに行ったってことッスね?」
「そう。結果はあなたと同じだったけどね」
「なるほど……にしても、俺、病院に着いたの4時半だったんスよ。入れ違いでしたかね」
「かもしれないわね」
お互いに苦笑を浮かべた。もう少し時間が合えば、俺がこの人とこういう話をしている場所は、病院だったかもしれないのだ。
「……どう思いました? ……あ、差し支えないなら聞きたいってだけですんで」
訊いてしまってから、慌てて補足を入れた。肉親が重傷で入院ってのは家族にとってもおおごとだってのを、訊いた後で思い出した。
けど観沙さんはまた苦笑を浮かべただけで、その後の話し方に乱れは無かった。
「びっくりしたし、悲しかったし、心配だったわ……でも、今日、命には別状ありませんって聞いたから、それだけでほっとしちゃった」
なるほど、と俺は頷く。とりあえず、この人は今となってはそれほど深刻には思っていないらしい。心配でげっそりされるよりははるかにマシだと思いつつ、訊いたこっちまでなんだかほっとした。
「……ねー」
不意に子供の声が割り込んだ。俺も観沙さんも揃って子供のほうを見た。
「草那おねえちゃんも、怪我、したんでしょ? ……先生、大丈夫かな」
「先生? って、誰だ」
「ああ……あなた、漂と同じ高校ってことは、草那ちゃんとも同じ高校なのよね? 草那ちゃんのお母さんが、この子の学校の保健室の先生なのよ」
「ああ、なるほど……慰めたいのか。えらいな、坊主」
言いながら、微笑ましい気持ちを感じつつ俺は子供を見ていた。しかし子供は不機嫌そうに頬を膨らませた。
「坊主言うなー! おれは桜井浩都って言うんだい!」
「あ、すまん。あー、俺は明原聖人っつうんだ。よろしくな」
にやっと笑いながら、握手しようと思って、俺は右手を差し出した。桜井浩都と名乗った子供は未だに不満そうな顔をしながらも、自分の右手でぎゅっと握り返してきた。
今日会ったばかりなのに、俺は随分と咲良という家に受け入れられている気がする。素直に嬉しいし、暖かいと思う。ある意味、弟には感謝したほうがいいかもしれないとまで思う。
そして――そんな暖かさに和む一方で、俺はよりいっそう事件の犯人を見過ごしているわけにはいかなくなった。今の時点でわかるのは、この家にあった平穏に、そいつがひびを入れたということだけだ。しかし、ただそれだけでも許しちゃいられない。犯人は社会的に悪いことをしたから許せないというのは当たり前の理屈だが、そんなもんはどうでもいい。ただ個人的な感情として、そいつが許せなかった。
そんなことを考えてから、ふと俺は苦笑した。結局、俺はクズではあっても、悪にはなりきれないのだと。俺も、お人好しなのはこの家の弟といい勝負かもしれないなと思ったから、苦笑せずにはいられなかった。
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