日曜日をまたいだ2日後、いつもどおりの朝礼ということで、教師も生徒もみんなが体育館に集められた。週に1回の、退屈度がいやに高い時間。体育館に入るなり、さっさと教室帰りてーなーと思いながら、俺は列に並んだ。生徒指導の教師が壇上に立つ。いつも通りの朝礼開始の挨拶なんだろーなーと思いながら、俺はぼんやりと眺めていた。
が、その日、その教師の口から切り出された言葉を聞いて、途端に体育館内の雰囲気が変わった――この学校の生徒が通り魔に襲われたと言う話から始まり、戸惑いの色を漂わせながら、生徒全員が一気に騒がしくなった。あちこちで静かにしろだの落ち着けだの、他の教師の怒号のような声が聞こえてくる。
そういうのが静まるころ、壇上には校長が上がり、通り魔事件についての詳しい話を始めた。その話の最中、またざわめきが起こる――ウチと、もう1個のクラスの列を中心に。
1年2組、咲良漂。そして1年5組、宮月草那。その2人がおとといの土曜日に、通り魔に襲われて重傷を負い、しばらく入院生活を送る羽目になったそうだ。2組っつったら俺のいるクラスでもあるだけに、それだけで騒がしくもなったが、俺自身としてはそれ以前の問題だった。
咲良、宮月。どっちもおとといの放課後に屋上で会ったばっかだった。その後にそういう事件が起きたということになる。もし俺が一緒にいたら、2人と一緒になってその通り魔を捕まえられたか、最悪でも目撃くらいはできたかもしれなかった。
そう思うと、今更だとわかっていても悔やまずにはいられない。一緒にいてやることができたのに、なぜそうしなかったのか――その時は単に気分の問題でしかなかった。屋上で疎外感を感じて、たまらず逃げるように去った。ただそれだけだった。
そういえば、ウチのクラスで今日、姿を見せないのは2人いる。1人はさっき言われた咲良。もう1人は、細川。理由は知らないが細川も今日、来ていない。
とは言っても、想像はつくが――実際理由の想像なんて苦手なもんだが、今回は結構あっさりと。それでもって確信だって持てた。
咲良と宮月が襲われた現場に、細川も一緒にいて――目の前で見て、でかいショックを受けたんだろう。もともとショックには弱そうな細川だから、それで塞ぎ込んじまって、とてもじゃないが学校に行けるような状態じゃないんだろう。
いろいろ考えてるうちに、校長の話は終わり、そのまま解散になった。もう終わりか、と軽く拍子抜けしそうになりながらも、とりあえず従いつつ、集団に紛れて俺も自分の教室に戻った。
そして自分の席に着いてからも、担任のほうからまた注意を呼びかけられた。通り魔はそのまま逃げたから、また同じことが起きるかもしれない、だから下校時はできるだけ集団でいろ、というようなことだった。言われなくてもわかるような、でも言わないままではおけないような内容の注意だった。
話が一通り終わってからも、教室の中は余韻が残ってるみたいに騒がしかった。担任が静かにさせようと声を張り上げるけど、聞かされた話の内容からして、結構無理があるんじゃねえかと思う。他のクラスでもそんな感じかもしんねえのに、ボコられた当人が所属するウチじゃなおさらだ。
さて、俺はどうするか――正直、話を聞いたところで、ああだこうだと騒ぎはするものの、多分それでおしまいだ。せいぜい、言われたとおりに通り魔に警戒する以上のことは、しないんだろう。
実際、通り魔について情報がない。捕まえようにも、そいつが何者でどこに住んでるのか、それが今の段階じゃちっとも特定できない。普通に考えても、こっちからは動けないって感じがする。
どうすりゃいいんだか――俺は今日、休み時間も授業中も昼休みも、ずっとそんなことを考えていた。
しまいには意識してたわけでもねえのに、屋上へと足を運んでた。とりあえずおとといもここに来て、咲良、宮月、細川の3人を眺めていた。それからまる2日分の時間が経って、また俺はここにいる。今、放課後。
誰もいなくて、屋上は静かだった。来そうな人間が今日は誰もいないから、当たり前ではあるんだが。そもそもなんで俺はここに来たんだか、その理由もはっきりしない。
縁にもたれて、そこからとりあえずグランドを眺めてみる。見下ろした光景の中では、陸上部に野球部にサッカー部といった連中が、それぞれの活動に励んでいる。多分、それは事件の知らせが入る前でも、入った後――今になっても、変わらないもんなんだろう。
ふと、考えた。咲良と宮月がもし今グランドで活動してる部に所属して熱血してたとして、それをいきなりどこの誰だか知らん通り魔に襲われて重傷で長期の入院生活なんて羽目になったりしたら。それは、凄まじく悔しい話なんじゃないだろうか。退院までどれくらいかかるか知らないが、長期間リタイアで、その長期間をもし部活に費やせたらと思うと――実際には咲良も宮月も、ついでに俺も帰宅部だけど、それにしても随分理不尽な話だと思えてくる。
そんな風に考え事をしている最中に、後ろでドアが開く音がして、俺は現実に戻って、そのドアのほうに振り返った。
「……誰もいねェと思ってたけど、なァ」
相手は目を丸くしながら、そんなことを言った。少し遠めだが、前髪だけ逆立てた髪型がいやに印象的で――と見ていたら、相手のほうからこっちに近づいてきた。遠くからだと真っ黒だと思っていた髪は、実はところどころに茶色のメッシュが入っている。着ているのは俺と同じ制服なのに、軽薄そうな印象が強い男だった。
「誰、あんた。なんか用か?」
男の顔がこっちを見ていたので、とりあえず訊ねた。すると男は目を細めて、じろじろと俺を見た。訊ねたのになかなか返事を返さないのが、あからさまにわざとだと思わせるような仕草。見られてる俺のほうはなんだか知らないがむずむずするような、男の仕草はそんな感じに映った。
それをすっぱり無視するように、男はひとしきり俺を見た後、やれやれとばかりに溜息をついてみせた。
「これといった特徴がないって、お前みてェな奴のこと言うんだなァ」
「はあ?」
いきなり何言ってやがるコノヤロウ。
「いや、つうか。誰なんだよあんた。俺に何か用かよ。答えろよ」
「ん〜?」
もう一回訊いたが、男は顔をにやけさせただけでまた答えない。何考えてんだコイツ。なんかイライラしてきた――と思うや否や、そいつは含み笑いを響かせた。
「何が可笑しんだよ」
「別に。こっちの話だし」
「わかんねーよ。つかいい加減にしろよ、なんなんだよあんた?」
しびれを切らした、ってこういう状態のことを言うんだろうか。思わず食ってかかる感じで俺は声を荒げた。男は未だに笑いつつも、両手を挙げて降参のポーズを取った。
「悪かったよ。いや、今日の朝礼で話あったろ。それが気になってな」
「……なんであんたが。てか、なにもんだよあんた」
「2年1組、明原聖人。咲良とも宮月とも、ちょっと知り合いでね」
「……年上だったんスか。知り合いっつー割には見覚えないッスよ?」
「ああ、その話は置いとこうや。お前は?」
「1年2組の旗村宗次。一応、咲良と同じクラスなんスけどね」
案外、名前の交換はすんなりと行った。そして、ようやくという感じで、この男と俺の目的ってやつはわりと共通のものらしいことを知った。
「同じクラス、か……お前、あいつと仲はいいのか?」
「どっちかってえと悪くはない、くらいは。おととい、ここで会ったとこですし」
「そーか。気になってんだな?」
質問というよりは確認のようなその言葉に、俺は頷く。その傍ら相手の顔色を窺ってみたが、そこにはもうさっきまでのようなからかい節は見られなかった。
「……そういうあんたはどーなんスか」
「気になってっからとりあえずここにいんだけどな。咲良が暴漢に襲われて入院なんざ、正直考えたことなかったし」
口調は淡々としていたが、咲良の入院っていうのが、この人にとっては相当意外なことだというのが感じられた。
「で、お前はこの後どうするつもりなんだ?」
不意にそんな質問をされて、少し答えに詰まった。どうするつもりだったなんて、今のところはあんまり決めてなくて。
「……とりあえず、行けるなら見舞いでも行こうかな、と思いますけど」
そういえばどこの病院に入院したんだか、教師陣の口からは出てなかったなと気づく。
「場所、知ってんの?」
「知らないス。誰かに聞かないと……ウチの担任なら知ってると思うんスけど」
男はふうんと鼻を鳴らした。それきり質問はしてこなかったが、今度は俺のほうに気になることがあった。
「そういうあんたはこれからどうするんスか?」
「俺? どうしようかなァ……咲良の代わりに暴漢とっ捕まえようかな?」
返ってきたのは不真面目な口調と言葉だった。やる気あんのかあんた、と叫びだしかけたのをどうにかこらえ、俺は少しだけ息を整えた。
「……それ、警察の仕事スよ」
「つったって、この事件で警察なんか当てになんのか? 確かに暴行事件は起きたけど、犯人の尻尾はさっぱり掴めてねェんだろ」
また急に口調に真面目さが宿る。そして告げられた言葉の内容も相まって、俺は返事に窮した。すると、男はこっちに向かって苦笑した。
「悪ィ。……ただ、黙って見てるわけにいかないんだよ、俺としては、な」
その言葉が、この人の何よりの本音なんだな、となぜか俺は強く実感させられた。
「……それだったら、気持ちはわかるんスけどねェ」
言いながら、苦笑じみたものを俺も浮かべていた。この人の詳しい事情は知らないが、結局、思っているのは同じことのようだ。俺も、黙って事態を眺めているだけなんてのは我慢ならない。
もう後悔したくない。だからもう、一歩も引かない。やれることを確実にやっていこう。
そして俺はこの1コ上の人と手を組んだ。
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