simaさんからのメール
その23〜
このメール(その23)の扱いについては、どうしようかなり迷ったのですが、暫定的に次のような方針にさせていただきましたので、どうかご了承ください。
なお、この方針は今後変更される可能性があります。 -- H11.3.21
疑惑の臨床心理士のsimaです。
このサイトを眺めるようになって初めて心底笑わせていただきました。さすがは管理人様、ギャグのセンスも想像力もイケテますね。
疑惑の臨床心理士simaの正体を推理するに関していくつかコメントいたしましょう。残念ながら私は本当に臨床心理士です。臨床心理士になるには一般的には大学院の修士課程を修了してから1年以上の臨床経験を積んでいないと受験資格ができません。ですから大学関係者かどうかということですが、大学院に在籍していたものまで大学関係者というのならそういうことになりますね。友人には大学の先生になった人もいるので、学部卒の人よりは大学関係の情報は入手しやすいと思います。ただどこの大学にどんな学科があるかなんてことは近所の書店で大学案内の本を立ち読みすれば簡単にゲットできますけどね。私が社会心理学者ではないかという推理ですが、社会心理学者だったらもう少し統計に強いのではないでしょうか。普段扱うのはケースだけですので、統計に強い理系の方にあこがれてしまいます。私が複数の人間ではないかというご指摘ですが、自己診断ですが今のところ乖離性同一性障害(いわゆる多重人格ですが)の兆候は認められておりません。年度末は人の移動も多く職場や仲間内での送別会、さらに友人の結婚式などが続いており、帰宅してもそのまま寝てしまう日々が続いておりました。まだまだ1か月以上このような状態が続きそうです。私が何人もいたら便利でしょうね。本当にそう思いますよ。
さて、○○月××日の△曜日ですが、□□ホールでxx:xxより日本臨床心理士資格認定協会主催の「○○○」というイベントが開かれます。テーマは「△△△△」です。臨床心理士は5年ごとの資格更新を義務づけられているのですが、そのためには研修を受けたり学会発表をしたりしてポイントを稼がないと更新されません。そのポイント稼ぎのために私も参加します。確か一般の方も参加できるはずですので興味のある方は疑惑の臨床心理士simaさんを捜しに来ませんか?
ところで管理人様は私のことを見当がついたそうですが、是非その明晰な推理の結果を教えて下さい。やっぱり知りたいですよね。
それではまた。
ps.管理人様は○○大学のご出身だそうですね。一流大学のご出身の方はやはり頭脳明晰でいらっしゃいますね。
お忙しい中、メールをありがとうございました。
いや、見事に外したようですね(苦笑)。一番心配だったのが、simaさんに失礼や不愉快な点がないかということだったのですが、メールを読む限りでは特に問題なさそうなので、正直ホッとしているところです。修正が必要な部分がありましたら、お手数でも再度ご連絡ください。
さて、この項目の最初に書いたように、一部の内容は非公開とさせていただきました。全体的に、「血液型と性格」にはあまり関係ないようですので、簡単にコメントさせていただきます。
>ところで管理人様は私のことを見当がついたそうですが、是非その明晰な推理の結果を教えて下さい。
完全に外したようです(苦笑)。恥ずかしいので非公開とさせていただきます。ご容赦ください。m(._.)m
>ps.管理人様は○○大学のご出身だそうですね。一流大学のご出身の方はやはり頭脳明晰でいらっしゃいますね。
お褒めいただき、どうもありがとうございます。私の出身大学(?)については、現時点では特に公開していませんので、非公開とさせていただきます。ご容赦ください。また、原文には大学名が書いてあったのですが、○○大学出身者に影響がある(とも思えませんが…)かもしれないと判断し、同様に(一応)非公開とさせていただきました。従って、大学卒かどうかも含めて、コメントは差し控えさせていただきます。どうかご容赦ください。m(._.)m
#ところで、血液型の方も外したのでしょうか? (^^;;
疑惑の臨床心理士simaです。
さて、私の正体を推理するに対する私のメール一つでせっかくの推理を取り下げるようで残念です。もうすこし推理を続けてみませんか?前回の私のメールをよく読んで下さい。よく読めば臨床心理士ではなくても手に入る情報だけだと思いませんか?せっかく隙をつくって置いたのに残念です。あるいはsimaは何人かのユニットで、その中に臨床心理士がいるのかもしれませんよ。どうですか?ともかくも、これからも楽しいギャグで笑わせて下さい。よろしくお願いします。
さて、私の正体を推理するですが、「血液型と性格とは関係がない」といいながらもずいぶん熱心に書いておいででしたね。私が臨床心理士であることを管理人様がお疑いになる理由の一つは、「臨床心理士的な主張がない」からだと思います。あまり臨床屋的なことを言うとえげつなくなるので自主規制していたのですが、私の正体を推理するを読んで私の躊躇は杞憂であることが明らかになりました。個人の行動の動機にまで踏み込んで議論してもこのサイトでは良いということを管理人様自ら示されたのですからね。聡明な管理人様のことですから、私の躊躇をお察しの上で、開発刺激を与えたということかもしれません。
管理人様が私を上質なギャグで笑わせて下さった御礼に、私も管理人様を笑わせて差し上げましょう。題して「なぜ管理人様は臨床心理士simaの存在を否定したか」です。なにぶんギャグのセンスに自信がありませんので喜んでいただけるかどうか不安ですが、私のつたないギャグのセンスも含めてお笑いいただけるものと確信いたしております。
1,寂しかったから。
私が臨床心理士であろうと無かろうと、私の正体をいくら管理人様が金田一少年のように推理しても、正解を持っているのは私(あるいは我々)であって管理人様ではないということを、管理人様ほど聡明な方がわからないはずはありません。それにも関わらず「臨床心理士simaの正体を推理する」ということを書いたのは、私への挑発であり、私からのメールが欲しかったからとしか思えません。挑発の中には「おまえの正体なんかだいたい分かっているよ」という恫喝も入っているのかもしれません。だから私の正体を誰と推理なさったのか教えて下さればあたりかどうかは答えてあげようと思っていたのですが残念です(ただ少なくとも「おまえの正体はだいたい分かってるんだ」とおっしゃった以上それが誰か教えて下さることが私への礼儀であると信じます)。さて、なぜ私からのメールが欲しかったのかというと、寂しかったからでしょう。なぜなら今世界で管理人様を最も無視していないのは私と最大素数様だからです。さらにこのサイトは心理学者への反論により肥大化したサイトであり、心理学者の論文や研究がなければただの血液型性格診断情報サイトに過ぎないということです。管理人様が引用する書物の一般性や、論理から私が推測するところ大学院には行っていらっしゃらないようですね。さらにプライドは人一倍高く、自分の頭がよいことがプライドの根拠になっている方のように思います。しかし今はあまりその聡明さを周りの人たちから評価されていない、少なくとも管理人様の自己評価ほどには評価されていないのでしょう。だから心理学者面をしている輩の発言のあら探しや揚げ足取りにより自尊心と自己評価を維持しているのでしょう。そして、「自分が得意な統計に弱いsima」は最適なカモということになるのでしょう。そのカモからのメールが来ないと自らの優越性を自己確認する機会が無くなるわけですから寂しくなるわけです。
まだ続きます。
疑惑の臨床心理士simaです。続きです。
2,simaのいうようなケースが存在してはいけないから。
管理人様がこのサイトを通して広めたいイメージが2つあり、一つは「心理学者なる輩は血液型性格診断の信奉者を、血液型で人の性格を決めつける差別主義者だ、と決めつける真の差別主義者である」ということですね。もう一つはそれに関連して「血液型差別などというものは存在しないばかりか、血液型性格診断は(心理学科の学生も含めて)多くの人の娯楽として機能している」ということです。まず後者のためには、「simaが主張するような血液型性格診断が原因で鬱状態になったクライアントのケースなど存在してはいけないわけです。そのためにはsimaが臨床心理士であってはいけないのです。自分が認めたくない事柄に関連した情報を全て否定することは、臨床心理的には最もわかりやすい行動です。さらにそこで伊沢氏の文章を持ってくることで「心理学者は初めに血液型性格説否定論者であり、血液型性格説の研究をすることさえタブーとする奴らだ」という主張をしたいようですね。ただ一般国民への教育という点を考えればこの文章はいささか的はずれのように思います。なぜなら軍の中枢が敵国の研究をしていたかということと、一般国民に対して差別的教育をしていたかということは別問題だからです。管理人様が伊沢氏[注:正しくは「井沢」さん]の文章を引用したのは「日本の学者→教育者→決めつけとタブー」という単純な図式に基づいたのでしょうが、同時にアメリカがいかに一般国民に対して差別的教育を行ったか(例えばドイツ軍は犯罪者、日本軍は猿というイメージのプロパガンダを行っていたことをご存じですか?)に対する無知と鈍感さを示すものだと解釈することもできます。管理人様と議論していてどうしても見解が食い違う点は、私は目の前のクライアントを見ているが、管理人様は統計的に有意でなければクライアントの存在を認めないということですよね。これも私の正体と同じで、正解を持っているのは私であって、管理人様ではないということですよね。
さて、臨床心理士的な私の意見はいかがですか?お気に召しましたか?理系の議論とは違うと思いますが、状況証拠だけで議論を進めるやり方は管理人様と同じだと確信しております。さらに臨床心理学の議論がえげつないところは、本人にもわからないところを分析することです。つまり、私の分析に対して、管理人様は正解を持っていないのです。ですから管理人様は臨床心理士である私に対して反論もできないのです。自分の本心(無意識)にあなたは気づいていないのですから。どうです、えげつないでしょう。
ははは、面白いメールをどうぞありがとうございました。(^^)
う〜ん、なるほど、臨床心理士的にはそんな考え方をするのですか…。なるほど、勉強になりました。simaさんの正体については、また外しそうなので、ここで書くのは止めておきます(苦笑)。
最初から脱線しますが、アニメ版の『金田一少年の事件簿』では、最近になって「電脳山荘殺人事件」が放映されました。事件は、パソコン通信のオフラインミーティング(番組では「オフ会」と言ってましたが…)で、実際に会うのは初めてであるメンバーが集まるところから始まります。ロッジで次々と殺人事件が起きるのですが、性別も年齢もわからないのが重要な伏線になっています。simaさんからのメールを読んで、つい思い出してしまいました…。 |
■その24について
では、以下に順を追ってコメントしていきたいと思います。
>私が臨床心理士であることを管理人様がお疑いになる理由の一つは、「臨床心理士的な主張がない」からだと思います。
これは、全くそのとおりですね(失礼!)。
>simaさんの正解を持っているのは私(あるいは我々)であって管理人様ではない
これは当然ですね。
>それにも関わらず「臨床心理士simaの正体を推理する」ということを書いたのは、私への挑発で
>あり、私からのメールが欲しかったからとしか思えません。
メールが欲しかったのは事実です。他には、統計だけでは読者に飽きられるので、統計と関係ない話を持ち出したという理由もあります。実際に、面白いというメールも1通来ましたから。
>挑発の中には「おまえの正体なんかだいたい分かっているよ」という恫喝も入っているのかもしれません。…
主要な目的(=メールが欲しい)ではありませんが、では全くないかと言うと、それはウソになります。(^^;;
#実際は外しているのだから、これ以上は何も言いません。(^^;;
>今世界で管理人様を最も無視していないのは私と最大素数様だからです。
これはそうですね。
>このサイトは心理学者への反論により肥大化したサイトであり、
そのとおりです。ただし、以前に述べたように私からの反論には、ほとんどの心理学者は沈黙していることは事実です。もっとも、これだけでは私の反論が正しいという証明にはなりません。
>心理学者の論文や研究がなければただの血液型性格診断情報サイトに過ぎないということです。
う〜ん、一般的には「血液型性格診断」イコール「血液型占い」ということですから、最初に申し上げたとおり私自身はそう思ってはいません。ただ、普通の人に『ABO FAN』は「占い」のサイトだと判断されているかもしれませんし、それを否定するつもりはありません。また、心理学だけではなく、一部は医学的な生化学的な内容もあります。
>管理人様が引用する書物の一般性や、論理から私が推測するところ大学院には行ってい
>らっしゃらないようですね。
既に申し上げたとおり、コメントはいたしません(苦笑)。
>さらにプライドは人一倍高く、自分の頭がよいことがプライドの根拠になっている方のように思います。
私自身はそうは思っていませんが、臨床心理的にはそういうところもあるのでしょうか?
>しかし今はあまりその聡明さを周りの人たちから評価されていない、少なくとも管理人様の自己評価ほ
>どには評価されていないのでしょう。だから心理学者面をしている輩の発言のあら探しや揚げ足取りに
>より自尊心と自己評価を維持しているのでしょう。そして、「自分が得意な統計に弱いsima」は最適なカモ
>ということになるのでしょう。そのカモからのメールが来ないと自らの優越性を自己確認する機会が無くな
>るわけですから寂しくなるわけです。
ははは、ここは単純にギャグなのでしょうね(笑)。
■その25について
>心理学者なる輩は血液型性格診断の信奉者を、血液型で人の性格を決めつける差別主義者だ、と決めつける真の差別主義者である
う〜ん、確かにそう受け取られてもしかたがない文章もありますね(苦笑)。でも、私は苦笑するしかありません。前述のように、いわゆる「血液型性格診断」は(私は)信用していないからです。
>血液型差別などというものは存在しないばかりか、血液型性格診断は(心理学科の学生も含めて)多くの人の娯楽として機能している
これも以前に説明したかと思うのですが、差別が「絶対に存在しない」ことは証明できません。ですから、(論理的には)「絶対に存在しない」とは言えません。ただ、私はそういうケースは否定論者にいくら聞いても1件もなかったという事実を書いているだけです。「血液型性格診断は(心理学科の学生も含めて)多くの人の娯楽として機能している」のは、前述のように上瀬由美子さんの論文からのものです。
>simaが主張するような血液型性格診断が原因で鬱状態になったクライアントのケースなど存在してはいけないわけです
「存在してはいけない」のではなくて、本当かどうか(失礼!)いろいろな立場からチェックが必要なわけです。それは、このような公開の場では無理なのではないでしょうか?
>simaが臨床心理士であってはいけないのです
前述のように、「臨床心理士的な主張がない」のが大きな理由です。
>「心理学者は初めに血液型性格説否定論者であり、血液型性格説の研究をすることさえタブーとする奴らだ」という主張をしたいようですね。
一部には、隠れ肯定論者もいるわけです(笑)。そして、「血液型性格説の研究をすることさえタブー」というのはほぼ証明できたように感じています。
>一般国民への教育という点を考えればこの文章はいささか的はずれのように思います…。
どうも誤解されているようですね。一般国民への教育が差別的であったかどうかを議論したいのではありません。一部の心理学者が「血液型と性格」を否定するやり方が旧日本軍と似ている(失礼!)かもしれない、と指摘しているだけです。
井沢さんの同じ本『穢れと茶碗』(242〜243ページ)からの引用です。
戦争を研究する機関が一つもないという現実 実は、日本の平和教育、あるいはアンチ戦争教育と言ったほうが正確ですが、そのアンチ戦争教育の弊害というものは、初等、中等教育だけではないのです。高等教育、大学教育にもそれが及んでいます。 |
同様に、能見正比古さんの質問の追試は、心理学者では私の知る限り1つもありません。
>管理人様と議論していてどうしても見解が食い違う点は、私は目の前のクライアントを見ているが、
前述のように、目の前に見ているだけではなく、本当かどうか(失礼!)いろいろな立場からチェックが必要なわけですから…。
以上で、simaさんの質問にはほぼお答えできたのではないかと思います。満足できる答えかどうかはわかりませんが…。
さて、次からが本題です(笑)。今回のsimaさんからのメールの最初に、
>「私の正体を推理するですが、「血液型と性格とは関係がない」といいながらもずいぶん熱心に書いておいででしたね。
とのことですが、これは正しい指摘です(笑)。私が返事が欲しいのは、だいたい次の3つです。
既にsimaさんがご指摘のように、実は2と3については返事が正しいかどうか(私には)チェックしようがありません。そして、今回返事をいただいたのは、3だけです。1はともかくとして、なぜ私は2や3のような質問(たとえ返事は期待していかなっかたにせよ…)をしたのでしょうか? これには3つの理由があります。1番目の理由は、今回のように返事をいただくことです。2番目は、「あること」を証明したかったからです。3番目の理由は、あまりにも失礼なので、ここでは公開しません。(^^;; まあ、どれもsimaさんには自明のことだと思いますが…。
といいつつ、時間がなくなってしまいました。続きは次回に…。
臨床心理士のsimaです。
さて、このサイトを眺めていて以前から感じていたのですがいくつかの議論のレベルの混同がありますね。@遺伝が性格に影響する。A体質、体液、内分泌物質などの違いが性格に影響する。B血液型が性格に影響する。CABO式血液型が性格に影響する。DABO式血液型により能見説のような性格の違いが生じる。このようなレベルの混同が例えば最大素数様の「クレッチマー説の否定により心理学は体質と気質との関係を議論しないことになったのだろう」というお言葉になるのでしょう。私がクレッチマ−説を否定したのは「クレッチマーが主張する内容の体系と性格の関連説」であって、@Aのレベルの可能性を否定したわけではありません。以前のメールに書いたように、私が心理学会の全てを代表しているわけでもありません。全ての議論はあくまで臨床心理士である私個人の意見ですのでお間違えのないように。
さて、最大素数様は「神経質」などの心理学関係由来の言葉の差別性について指摘なさっていましたが、たとえ心理学が存在しなくてもそのような言葉は発生していたでしょう。問題は「***は神経質」というステレオタイプを広げるものにあると考えるべきでしょう。クレッチマー説では「やせ形は神経質」ということになりますが、これも十分に差別的ですよね。例えばやせ形で神経質ではない人のケースを無視して「芥川龍之介は神経質なやせ形の典型」というように、有名人の典型例を示して自説の証明とするのは非科学的主張の典型ですよね。ただ、クレッチマー説はまだ判断される側の逃げ道があります。つまり体型の判断基準が曖昧であること、及びダイエットやトレーニングによる体型の変化が可能であることです。それに対して血液型は少数の例外を除いて生涯不変であり、「A型は神経質」といわれるとA型の人に逃げ場は無くなるわけです。血液型性格診断にはこのように判断される側には逃げ場はないが、主張する側にはいくらでも逃げ場が用意されています。私と管理人様の議論でも上記のCDを否定するとクレッチマー説を持ち出し、それを否定すると@Aの可能性まで否定するのかというレベルですり替えが起こります。証明に至っては「能見説と異なる結果であっても血液型による何らかの差異が得られれば能見説の証明になる」というのでは反論もできないですね。管理人様が「私と議論した心理学者は途中で反論できなくなった」とおっしゃっていますが、これはただ単に非科学的な論理構成のために相手にされなくなっただけでしょう。
まだ続きます。
臨床心理士のsimaです。続きです。
管理人様は心理学者は「血液型信者は人の性格を血液型で決めつける」と決めつけるとおっしゃいますよね。例えば、「A型は几帳面だからという理由でクラブ、コンパ、町内会などの会計や幹事を押しつけられた」という体験を複数のA型の方から聞きました。またA型に限らず「初対面の人に血液型を聞かれて答えると、私は**型とは合わないと最初から拒否された」という複数の証言も得ています。このように血液型で他人の性格を決めつけて自分の行動を正当化する人たちが多数存在するのも事実です。最大素数様にいわせれば「血の池地獄にたたき込むべき輩」でしょうね。管理人様はこのような輩は正しい血液型性格診断の知識を持たない者としていますが、例えば「A型には神経質な人が多い、神経質な傾向が強い」という情報を発信すれば「A型は神経質」と決めつける人たちを作り出すのは当然のことです。なぜならステレオタイプの機能の一つとして思考・情報処理の節約・簡略化があるからです。つきあいが長くよく知っている人の場合でも事前に血液型情報を与えられると、血液型性格説に準拠した方向で情報処理が行われる可能性がありますが、よく知らない人ならなおさら血液型信者は血液型性格説で他者の性格を決めつけることでしょう。いくら言葉尻を「**の人が多い、**の傾向が強い」としても結果的に血液型で他人の性格を決めつける人を作り出しているのは情報を発信する能見氏であり管理人様なのです。先のメールでクレッチマー説は判断される側に逃げ場があると書きましたが、それは同時に判断する側にも慎重さを要求するということです。判断される側に逃げ場がない血液型性格診断は判断する側にも慎重さを求めないのです。
臨床心理士のsimaです。
管理人様がこだわっているメール14に関してですが、「私が心理学専攻ではない、だけではないと指摘したケース以外は心理学専攻と判断して良いのか」ということですが、心理学専攻と明記していないケースは「心理学科も含めて様々な学科の学生」と解釈すべきでしょう。心理学科には実験実習がありそれほど多くの学生を取ることはできません。一学年国公立で20人、私大で60から120人というところでしょう。授業中に取ったデータで100人以上の場合は心理学科の学生だけではないと判断すべきでしょう。
この学生の判断でも管理人様は「明確に否定できないケース以外は心理学専攻」と判断なさっていますが、「明確に心理学専攻と認められる者が心理学専攻」なのです。同様に「血液型性格説の可能性を全て否定できないから血液型性格説が正しい」のではなく、「血液型性格説以外では説明できないケースを積み重ねて血液型性格説は正しい」と主張すべきです。
さて管理人様が議論した心理学者から相手にされなくなった理由をもう一つ教えて差し上げましょう。それは管理人様には血液型性格説の妥当性を積極的に証明しようという意思がないからです。能見説の正しさを証明したいのならば、「追いつめられた状況なり原価稲荷を何らかの方法で統制して」データを取ればよいのです。心理学者のデータは元々そのような変数をモデルに組み込んで計画した実験や調査によるものではないために、いくら再分析してもそのような説の証明にはなりません。そのような変数の介在を仮説としてモデルに組み込んだ実験や調査が必要です。しかし管理人様の目的は血液型性格説否定心理学者の否定ですから能見説の証明にはきわめて消極的になるわけですね。なぜ前々回のメールを書いたかというと、言葉尻をとらえた状況証拠の解釈では何でも主張できる代わりに何一つ証明できないことを示したかったからです。管理人様が私の正体を私の言葉の断片からいくらでも推理することはできますが、それをこのサイトに発表したところで私の正体の証明にはならないのです。ある説を否定しきれない可能性が残っていることとその説の証明は全く違うことです。もっとも聡明な管理人様のことですからこんなこと承知の上でのゲームなのでしょうが、あなたのゲームのルールが不当だからとゲームを降りた人がいてもそれはあなたの正しさの証明にはならないことを忘れてはいませんか?そしてあなたのゲームにいつまでもつきあう義務など誰にもないことを忘れていませんか?
さて、私の血液型がA型かどうかですが、管理人様が推測した私の正体を教えて下されば、答えるかもしれませんよ。
最大素数さんからのメールです。
このメールは、時間的にはsimaさんのメール(その26)より後に届いたのですが、私のアップロード時間の関係上、話の展開はその26〜28の前のものもあります。ご了承ください>ALL
その23について、ま、今更という気もしましたし、「血液型と性格」とは関係無いのでほっとくつもりで居たのですが、その24、25と話しは繋がるようなので、やっぱり一言申し上げておくことにしました。(^^;
simaさん複数説はある意味"好意"的解釈の筈です。
>自己診断ですが今のところ乖離性同一性障害(いわゆる多重人格ですが)の兆候は認められておりません。
「兆候」は「自己診断」ではなかなか「認め」にくいようです。
simaさんの主張は「鬱病患者」氏の症例を引いて始まりました。(その後、わたしが話題にしているにも拘わらず全く無視、どうなったのでしょう。話しの都合上のデッチあげとしても、モデルとなった「鬱病患者」氏が実在するならなおさら、一言あってしかるべきじゃあないかしらん。いろんな意味で「礼儀」でもあるだろう、と思うけどなあ・・・)。
わたしの言及(H11.2.10付けメール)を踏まえてと思われる説明が「simaさんのメール:その5およびその8」にあります。
>たしかに身体的魅力は対人魅力の規定因ですが、それが特に効果を発揮するのは交際のごく初期の段階であるはずです。このことを知っていれば別に鬱になる必要もないのではないでしょうか?(その5;
H11.2.12 3:20)
>いくつか理解していただきたいことがあります。「頭では理解できても感情的に納得できない」という経験はありませんか?自分でもおかしいと思いながらもそのおかしい考えに捕らわれてしまうからこそ、クライアントは臨床心理士のところに来るのです。(その8;
H11.2.12 5:17)
「知って(理解して)いれば」「鬱になる必要もない」(って、まあ、どんな意味でも"必要"があるとは思えませんが)のか、「理解できて(知っていて)も」「おかしい考えに捕らわれて」鬱に至ることがあり得るのか、いったいどちらなのでしょう。メール番号こそ"5"と"8"ととんでいますが、時間的には2時間足らず、これを同一人の主張という前提で言及したらば「人格攻撃」になりかねません。ご自愛のほどお願い申しあげます、と言いたいところですが、わたしはちゃんと「sima」=「臨床心理士」+「社会心理学者」(時々+「学生」)と理解していますよ(^^。ついでにいえば「sima」という名前は「さ(sa)〜」さんと「み(mi)〜」さんのアナグラムであること(だからshiではなくsi。って、これはowadaさんの推理をヒントにしました(^^)、「女性」臨床心理士としたのは、論戦が不利になったときの同情票をあてにしてのこと、と想定しています(実際に「女性」だとしたら、同情を得やすい「女性」をメインのキャラにしたのでしょう)。
それはそれとして、
>一流大学のご出身の方はやはり頭脳明晰でいらっしゃいますね。
ってのは、まさか「simaさん、学歴差別意識も旺盛なようですね」などと、わたしに「言わせる」つもりのフレーズではないでしょうねえ(大笑)。ご自分は「大学院に在籍」していたとさり気なくふっておいて「ps」での最後っ屁、構成は良いと思いますが、そんなはっきり言っちゃったらミエミエですよ。あえて「言わ」されてしまおうかとも思いましたが、本論としての発展性が見えないので、ま、この件も無視するつもりでいました。それなのに、その24で、またまた「大学院」云々。どうしても言わせたいのかっ、この「学歴差別主義者」めっ(ド爆笑)。
メールその24、「ギャグのお返し」という体裁になっていますが、(これまた)まさか、わたしが以前書いた「イヤミやおちょくりはあまり上手ではありませんね」を気になさってのことではないでしょうね(れれっ"自意識過剰"かしらん)。「ギャグ」って言っちゃっての上なら、『管理人=最大素数』、同一人物説くらいぶちあげなきゃあ(笑)。「登場のタイミングがsimaの直後なのは、simaのメールを見て、"二人がかり"での対応を見越してのことでしょう」とか「同一人物なら一方が他方に踊らされるのも当たり前」などいくらでも言えるじゃあないですか。「ギャグ」の筈が、owadaさんの論理展開(simaさん主張の"都合のいいデータに仮定を重ねて"、ってヤツね)に倣うカタチで論じることで「simaさん複数説」がいかに"滑稽"かのアナロジーとして機能させてしまう、程度の芸を見せてほしかったなあ。
って、"芸人"じゃーないわっ、て?あはははは、失礼致しました。
最後に、おおきなお世話ではありますが
>社会心理学者だったらもう少し統計に強いのではないでしょうか。
ということならば「もう少し」「強い」分野で否定論を組み立ててはいかがでしょうか。
前回ちょっと書き間違ったので訂正しておきます(信じていただけるかどうかは別として、故意ではありません、念のため)。simaさんには回答を強要したようで大変申し訳ありませんでした。m(._.)m それは、下の部分です。
私が返事が欲しいのは、だいたい次の3つです。
- 回答(その14についてなど)の返事がないのでは?
- simaさんはA型?…【閑話休題】
- 「simaさん」の謎を推理する
これは、「私が返事が欲しい」と思っていたことをそのまま書いてしまったのです。(^^;; 本来は、1しか書かないはずだったのです。2と3については、内心欲しいとは思っていましたが、本来はそういう表現にするつもりはありませんでした(以前の文章をお読みいただければおわかりかと思います)。どうかご容赦ください。m(._.)m いずれにせよ、ご回答いただいたようで、この場をお借りしてお礼申し上げます。
都合により、前回は時間の関係で書けなかった本題だけ書いておきます。では、前回の文章を…
既にsimaさんがご指摘のように、実は2と3については返事が正しいかどうか(私には)チェックしようがありません。そして、今回返事をいただいたのは、3だけです。1はともかくとして、なぜ私は2や3のような質問(たとえ返事は期待していかなかったにせよ…)をしたのでしょうか? これには3つの理由があります。1番目の理由は、今回のように返事をいただくことです。2番目は、「あること」を証明したかったからです。3番目の理由は、あまりにも失礼なので、ここでは公開しません。(^^;; まあ、どれもsimaさんには自明のことだと思いますが…。
上に3つの回答がほしい、と言うことで書きましたが、私が回答を欲しいのもこの順です。では、なぜ2と3を書いたのか。それは、既に述べたようにsimaさんも書いているように回答が欲しかったからです。1については、それとなく何回か回答要求をしましたが、どうもはかばかしい回答がないわけです(今回はいただきましたので、どうもありがとうございます)。
それでは第2弾というので、simaさんの血液型を当てみたわけです。血液型なんて、私がsimaさんのところに行って採血することなんてできないので、仮に「A型じゃない」とウソ(?)を言っても何の問題もありません(失礼!)。だから、当然乗ってくると思ったのですが、全く乗ってこないわけです。まさか当たったとも思えないし(苦笑)、仮に当たったとしても「外れた」と言いはることは十分に可能なわけですだから、どうも忙しいのかなぁ…と。
言うまでもなく、血液型が外れる可能性があると私が予防線を張ったにしても、外れればそれなりのダメージはあるわけです(苦笑)。毎回、「A型ではない臨床心理士のsimaです」と書くとか…。
#もっとも、何らか別の理由で書かない方が有利と判断されているのかもしれません…。
そこで、次に、「simaさん」の謎を推理するを書きました。本当はこんなに長くなる予定はなかったのですが、書いているうちに自分でどんどん面白くなってきて、あんな長さになってしまいました。(^^;;
本当に予想外の展開だったのですが…。しかし、自分で面白かったせいか、読者にも面白かったのでしょう、感想のメールも来たので、ついうれしくなってしまいました。(^^)
こちらは、もともと本当に余興のつもりでした(simaさんからの返事は予定していません)。
いずれにせよ、当初からsimaさんの正体を公開するつもりはありませんでした。だいたい、私自身が匿名なのですから、simaさんの正体を推理するなんていうのは非常識なわけです(礼儀にももとりますし、第一そんなことを書いたらアクセスも減ります(^^;;)。だから抽象的な記述で止めておいたわけです(信じてほしいとまでは言いませんが…)。今後ともsimaさんの正体を公開するつもりはありません。
#もっとも、完全に外しておいてこんなことを書いてもしょうがないのですが(苦笑)。
で、これを書いてこのコーナーもおしまいにするか、と思っていたのです。ところが、まもなくsimaさんからのメールが来たのでした。
#しかし、今考えてみると、メールが来たのは別の理由もありそうです。
#また外れても困るので、書くのは止めておきます(苦笑)。
以降は、ご覧のとおりの展開になりました。
おっと、何を証明したかったのかが書いていませんね。これは、simaさんからの返事をいただけないのは、「長期出張」(その16−2月27日付け)や「年度末は人の移動も多く職場や仲間内での送別会、さらに友人の結婚式などが続いており、帰宅してもそのまま寝てしまう日々が続いておりました。まだまだ1か月以上このような状態が続きそうです。」(その23−3月19日付け)が本当かどうかということです(失礼!)。いずれにせよ、最近はご返事のメールを頻繁にいただいているようです。お忙しい中、本当にありがとうございます。m(._.)m
実は、証明したいのはもう1つあります(3番目の「失礼なので非公開」という理由とは別です)。繰り返しになりますが、返事が欲しいのは次の3つです。
前述のように、2と3とは「血液型と性格」にはあまり関係がありません。ですから、こんな話題で議論しても『ABO FAN』にはほとんど影響はないわけです。それを長々と議論しようとするとするなら、何か別の理由がある(?)ことになります。
#こんなことはすぐ書かずに、もう少し議論してからの方がトクなのですが、読者サービスもありますから(笑)。
毎回のことですが、乱筆・乱文失礼します。
どうもありがとうございました。
追伸
今回のメールのご返事は、後日といたします。よろしくお願いします。
ものごとを議論するとき、議論と(意見を言う人の)人格とを分けて考える、ということは、日本人、特にA型の人には難しいように感じています(A型でそれができる人はすごい、という意味です)。
血液型と気質や性格に影響を与えるかどうか、という議論と血液型占いなどが社会や人に与える影響とを分けて考えることも多くの人にとって難しいようですね。
物事を論理的に考えるべきときに、感情で結論が決まっていたのでは話になりません。分けて考えるべきことを分けることもできず、結論もそれに影響されるのでは、科学ではないですね。
わたしが思うに、許されるのは、
1.ある、ということに探求意欲を持ち、その証拠を探す。
得られた証拠を客観的に評価することに努め、また、公開して批判を仰ぐ。
そういう活動を続けていく人。
2.あるかどうかに興味がない、あるいは否定的なので、そういう研究活動はしない。
無い、ということは科学的に言えないことなので、 自分の気持はともかく、科学的判断としては、何も言わない。
そういう人。
3.血液型占いや心無い言葉が人を傷付けることを思い、 そのようなことが無いよう、社会活動をする人。
ただし、関係があるとか無いとかには、(科学的な態度を装って)言及したりしない。
2と3が合体して、科学と社会活動がごっちゃになって、論理と感情も分離できなていない(ことに気が付いていない)人って、けっこう多そうですね。
少々間隔が開いてしまいましたが、前回のメールのご返事を差し上げます。
その26〜28について、楽しいギャグをどうもありがとうございます。(^^) 本当のギャグなら、「これはギャグだ」なんて書きませんから、こちらが本当のギャグなのだと私は勝手に思っているのですが…(違うのだったら申し訳ありません)。
■その26について
この文章には、最大多数さんあてと思われる文章もありますので、とりあえず私あての質問と思われるもののみ回答させていただきます。
>クレッチマー説はまだ判断される側の逃げ道があります。つまり体型の判断基準が曖昧であること、
>及びダイエットやトレーニングによる体型の変化が可能であることです。
だから70年以上も結論が出ないのですか?(失礼!)
>「A型は神経質」といわれる
能見さんの本のどこにそう書いてあるのでしょうか?
>私と管理人様の議論でも上記のCDを否定するとクレッチマー説を持ち出し、
私は「CDを否定する」データをsimaさんからいただいていないような気がするのですが…
>「能見説と異なる結果であっても血液型による何らかの差異が得られれば能見説の証明になる」というのでは反論もできないですね。
これについては、以前に書きましたが、心理学者は能見正比古さんと同じ質問は(私の知る限り)していません。代わりに、彼の本から、血液型別の性格の特徴である「○○型は××の傾向がある」という記述を「そのまま」質問項目に使っています。これが能見さんの記述と矛盾するように見える場合もありますが、チェックするとほとんどは問題がないようです。
#詳しくは、私からのその17〜18についての回答をご覧ください。
>「私と議論した心理学者は途中で反論できなくなった」とおっしゃっていますが、
>これはただ単に非科学的な論理構成のために相手にされなくなっただけでしょう。
私は、「反論できなくなった」とは言ってません。なぜなら、一部を除いて証明ができないからです(もっとも、そういう「推測」をしていることは事実です)。それに、本当に「反論できなくなった」としても、(私なら)「反論できなくなった」とは普通は言いません(苦笑)。心理学者はどうなのか知りませんが…。(^^;;
#事実は、「関係ある」というデータを示したとたんに、一部を除いて返事が返ってこなくなったということです。
#ただ、それらのメールを公開するわけにはいかないので、本当かどうか証明はできません。(^^;;
ご了承ください。
■その27について
>管理人様は心理学者は「血液型信者は人の性格を血液型で決めつける」と決めつけるとおっしゃいますよね。
そうでない心理学者がいたら、ぜひご紹介いただければ幸いです。
>「A型は几帳面だからという理由でクラブ、コンパ、町内会などの会計や幹事を押しつけられた」
>「初対面の人に血液型を聞かれて答えると、私は**型とは合わないと最初から拒否された」
私にはわからないので教えていただきたいのですが、これは客観的なデータなのですか?
>「A型には神経質な人が多い、神経質な傾向が強い」という情報を発信すれば「A型は神経質」
>と決めつける人たちを作り出すのは当然のことです。
繰り返しになりますが、能見さんの本のどこに「A型には神経質な人が多い」と書いてあるのですか?
■その28について
>管理人様がこだわっているメール14に関してですが…
再度書いておくことにします。
■その14について まず、「特定の血液型に悪いイメージが付与されそのイメージが一般に広がっている」とのことですが、本当にそう判断されますか? というのは、このデータはランダムサンプリングによるものではないからです。次に、「…でしょうね」という表現が多いのですが、これはデータに基づいたものなのでしょうか? さて、本命の「心理学専攻」の学生数についてですが、私はsimaさんからのご返事を、思わず何回もじっくりと読み直してしまいました。これは冗談に違いありません! なぜなら、私に一方的に有利な内容だからです。まさか「トリック」ではないとは信じていますが…。 では、これからその理由を説明しましょう。まず、Eのデータですが、simaさんもおっしゃるように、これは明らかに佐藤達哉さん(当時は東京都立大学人文学部)のデータです(下線は私)。
常識的に考えて、これだけ数字が一致することは考えられませんから…。ところで、このデータは「興味ある」と回答した割合は47%です。全体の平均が60%ですから、それに比べると13%も低いわけです。私は、このケースは心理学専攻、あるいは心理学と何らかの関係がある学生だと推測したのですが、simaさんはそうでないとおっしゃるわけです。となると、常識的には「心理学専攻」の学生より率が高くないとおかしいのです。ところが、実際にはFよりもかなり低い。Fがサンプル数が極端に少ないから除外するとしても、全体の平均よりもかなり低率であることには違いありません。 更に詳しいデータを199ページから引用しておきます。
また、simaさんご指摘のデータ以外は、すべて「ほとんどの場合、サンプルは心理学専攻の学生だけ」、あるいは「『情報を与える前で特定の大学や一部の専攻に偏らずある程度以上の人数のデータ』はない」という結論になりますが、それでいいのでしょうか? それとも、こういうやり方がディベートなのですか? |
確かに、この中で私は「このケースは心理学専攻、あるいは心理学と何らかの関係がある学生だと推測」しました。推測なので、もちろん間違っている可能性もあるわけです。simaさんの指摘では、このサンプルは(私が間違っているので)心理学専攻ではないことになります。しかし、そう仮定すると、読めばおわかりでしょうが、結果として更に私に有利になる(?)わけです。これについては、まだご返事をいただいていないような気がするのですが…。
>能見説の正しさを証明したいのならば…
何やらどこかのサイトで実験中のような気もするのですが…
#そういえば、以前にその17〜18でいただいたご返事とは内容が違うような気がするのですが、単なる思い過ごしでしょうか?
いずれにせよ、よくできたギャグであると思っています。面白いご返事をどうもありがとうございました。(^^)
今回いただいたメールはすべてジョークと判断しておりますので、こんな書き方でも失礼はないものと信じております。
次は、最大素数さんからのメールです。
まあ、確かにわたしは「不真面目B」で「すぐに調子込むB」「からかい大好きB」であります。が、だからといって、ちゃらんぽらんに行き当たりばったりで書き飛ばしているわけではないのですよ。折角の「心理学の専門家」とお話しの機会、素人の拙いアプローチでは心許ないものの、多少なりとも今後の「糧」となるような知見が得られればと、それなりに考えて一つひとつメールを書いてまいりました。
しかし、最近の、simaさんからのメール;その26〜28で、もう、何て言うか、がっかりしてしまいました。
owadaさんの「正体」推理、そんなに応えましたぁ?
知らん顔して「臨床心理士sima」さん、やってくんなきゃあ。あんなのsimaさんじゃないやいっ。
「sima」さんの存立基盤が怪しく思えたのは、前便でも指摘した、メールその5〜8でした。同じひとが、考えが変わって違う主張をすることは、そんなに珍しいことではありませんが、このような本来一つの文の中で逆の説明をしてしまう、というのは考えにくいことであります。が、他にも、単純ミスで片づけるにはちと無理がありそうな瑕疵があるのです。メール5では「クライエント」と呼んでいた(2度も)のがメール8では「クライアント」になっています。もともとどちらであろうと気にしないのならば、メール8の5回のうち、一回くらいは「クライエント」になってしまってもいいと思いますがねぇ。ちなみにキーの「E」と「A」、(可能性は殆ど無いが)或いは「え」と「あ」は、隣り合わせではありません。更に、その5とその6は、段落を変えたときは必ず「さて」で繋ぐという非常に特徴的な文章(=思考のクセ)なのにその7と8では「さて」は一度も使われていません。
いやはや、びっくりしましたゼ。この人はいったいどういう人で、なんでこんな手のこんだことしているんだろう・・・。そのくせ、ガードは甘い、そこを突かせて、なにかのシカケに誘っているのだろうか・・・。ま、正直に言えば、ちと薄気味悪かったです(^^;;。で、しばらく様子見、まずは搦め手から、という意味も兼ねて書いたのが、2.19付わたしのメールその6『クレッチマーの想い出』でした。この中で、冒頭の決めのセリフ「臨床心理士のsimaです」は、そう宣言することでイメージを固定し、複合人格をカモフラージュするためじゃあないの、という意味の牽制のつもりで「カッコいいっす」と、イメージ固定効果にちょっと突っ込んでみたんですけどねえ。しかし、これはどうも、空振り。本論のクレッチマー関係にも興味は示さず、あーあ、しゃあねえなあ、と思っていたら、メール16でふってくれました!
で、早速冒頭に「考えて書かないとほころびができるよぉ」とメッセージを込め、つづけて、「simaさんも、メールの動機として」のなかで「クライアント」と「クライエント」と2種類simaさん自身に言わせてみたのですが、simaさん、違和感かんじませんでしたぁ?(わたしのメール11,3.2付)更に「差別」に関してのメール(3.10付)でも、最後に「主張の根拠」を話題にしてみたのですがねえ・・・。その後の反応見ていても、なんか全然感じない風、結局大したことではないってことのようだなあ、と思っていました。実際、複数でも特に困るわけではなかったし、傍目には2対1でも、当事者としては2対2,3ということで気持的にはかえってラクではありましたネ。
ですから、最近の「正体」云々に対するジタバタには本当に吃驚してしまいました。そんな、大騒ぎするようなことならば、ちゃんとガードせんかいっ!ミエミエで書き飛ばすんじゃあないっ!!owadaさんだってお遊び、余興のつもりが、そんなマジで反応されて吃驚してるじゃあないかっ。
長〜い前置きになってしまいました。しかし、本文は更に長いのであります。申し訳ない、といいつつ、「その訳」はsimaさんのメールが「訳」分からんからなのです。って、ヒトのせいにしてはいかんのだが、・・・とほほ。
メールその26ついて。
Part1:体質と気質
このサイトの議論のレベルについての言及には、故意の巧妙の故か単なる杜撰か、明らかにひとつ抜けております。AとBの間にはA’体質と血液型には関係がある。(血液型は体組織の型物質なのだから血液型は即ち体質そのものである、という見解もありますが、ま、ここではそこまで言い張りません)がなければならないと思います。どだい、血液型と体質について何も言及しないなら、否定そのものの立脚点さえ危うくなってしまうでしょうに。
と、レベルの修正を施しても、これはあくまで「血液型性格関連説」の構造であって「クレッチマー説」の構造ではありません。
このサイトの「血液型性格関連説」の構造を"不完全"なレベル分けをして、「(私=simaさんの)クレッチマー否定は(このサイトの議論レベルの)@Aの否定を含まない」って・・・ナンだ、それ?simaさんてばっ、まさか、「血液型性格関連説」と「クレッチマー説」が全く同じ論理立てだと思っているのではないでしょうね!?
うぅん、これはまいった。もし、そういう論旨ならば、owadaさんから「ちょっとまったあっ」の声があがりそうです(^^。「全く同じ両説が同等の扱いを受けないのは何故か=タブー存在説」について説明しなくちゃあね。あ、勿論わたしは「心理学未熟説」の立場ですから、そんなツッコミはしませんよ(^^。とは言え、simaさんの主張は実際はA’抜きなんですねえ、一体何をもって「血液型性格関連説」と「クレッチマー説」が全く同じ論理立てだと思っているのでしょうか。
simaさんが「クレッチマー説」に関しては心理学辞典の解説とか大学教養課程用教科書並の知識しか無く、一般向け通俗教養本の内容ほどにはご存知無いことは良く分かりました。ごめんなさい。心理学者の全てが性格心理学にも通暁しているようなことを前提に論じてしまったでしょうか。そういうかたちで追い込むことは本意ではありませんでした、申し訳ありません。
と、一応おつきあいしましたが、わたし、最初のメール(2.8付No.139)で言明しているように「血液型と性格の関係については『どちらとも言えない』派」なんですねえ。ま、simaさんがわたしのメールなんぞ全部よんでいる筈も義務もありませんから、知らなくて良いんです、参考までに、と言うことでネ。
Part2:「神経質」
なにはともあれハッキリしているのは、simaさん、このような議論をふっかけられたのは初めてだということですね。ふぅむぅ、そんなあわてて穴だらけの議論を展開しなくても良いのですよ(^^;。
>たとえ心理学が存在しなくてもそのような言葉は発生していたでしょう。
なにか根拠を、お持ちなのですか?日常使用する語彙のよりどころとしての国語辞典を見てご覧なさい、「神経質」の同義語とか類語ってないですよ。精神医学用語「ノイローゼ」か、「ナーバス」の訳語として作られた言葉ではないのですか?少くとも、それまでは「気にし過ぎる性質(たち)」とか「気に病む性質」などの表現で十分間に合っており、「そのような言葉は発生」する余地はなかったのではありますまいか。ま、所詮状況証拠(さえも無いsimaさん見解ではありますがネ)、simaさんが「いいえ、発生していたと思いますっ」と言い張ればそれまでではあります。
次は更にワケ分かりません。
>問題は「***は神経質」というステレオタイプを広げるものにあると考えるべきでしょう。
ふんふん、で、その「広げるもの」とはなんだろう、となるわけね。
>クレッチマー説では「やせ形は神経質」ということになりますが、これも十分に差別的ですよね。
これ、どういうふうに繋がっているのでしょう?直接つながるわけではなく、並列的な問題提起とでもいったことか?と読み直しても、「広げるもの」と「差別的事例」の関係がやっぱりよくわからないんです。(ひょっとしてひょっとすると「問題」なのは「***は神経質というステレオタイプ」と言いたい?でも、そういう文章構造ではないですよねえ)それで、続けて書いてあるけれど内容が続いているわけではない、と強引に判断して考えることとします(違っていたら教えてほしい・・・)。
と、いうことであらためて「クレッチマー説の差別性」についての話題なのね、と、思い直して(勿論「広げるもの」の視点も視野から外さずにネ)次の文に進むと、
>例えばやせ形で神経質ではない人のケースを無視して「芥川龍之介は神経質なやせ形の典型」というように、有名人の典型例を示して自説の証明とするのは非科学的主張の典型ですよね。
「例えば」って始まるから「やせ形は神経質」の例えってなんだろう?と思って読むと意味が通じない・・・。(「広げるもの」の例えでもない)あのー、この「例え」って、最後にでてくる「非科学的主張」の「例え」じゃあないのォ?これも続けて書いてあるけれど内容は続いていない文なんですかァ?
華麗なる論理の三段跳び!うーむ、こういう文にも、「答え」ないと「最大素数様にはお答えを頂けないのでしょうか」などと言われてしまったりするのでしょうか(^^;;。
「***は神経質」というステレオタイプは、クレッチマー説「やせ形は神経質」の流布によって広まったということでよろしいでしょうか。しかし、「ステレオタイプ(固定観念・通説)」は必ずしも「差別的」ではないと思います。「ステレオタイプ」表現に使われるから差別表現、ってことでもありません。(ステレオタイプそのものの良し悪しはまた別問題ですが)わたしがあげた使用例「あいつ、結構シンケイシツだよね」はそういう意味のステレオタイプとは違うと思うんですけど。つまり、「人の性格」は「神経質」という「ささいなことも気にし過ぎる」というマイナス・イメージで括り得るのだ、という概念こそが差別に繋がるステレオタイプ(固定観念・通説)である、ということなのです。そして、それが一般的になってしまったことに心理学は責任を感じないのか、と言いたかったのです。しかし、ま、本段落冒頭の確認通り、「***は神経質という・・・によって広まった」のならば、責任は感じてもらえたようで、ちょっと嬉しいですね。
では更に踏み込んで述べます。人の心的成長は「自我」の形成であり「自己の存立基盤」の確立でしょう?その、精神的基盤に関連するコトには誰だって「他人以上に気にかかる(=神経質になる)」わけで、逆に言えば、そうした「神経質」な部分を持つことが「心的成長」の証しなのではないですか?つまり、誰もがナニかに神経質なのだ、ト。だから、全人格の表現としては不適当である、ト。神経質な部分を欠点扱いしてはいけない、ト。そういう発想が必要だったのではないか、ということです。
「三段跳び」の最後はなにを根拠の作文なのでしょう。「クレッチマー説」の「証明」にそのような言い方が使われたのですか?正比古氏は、例えば「長島茂雄氏は不用心B型の典型」として、ここでいう「不用心」とはどういう内容かを「説明」したりしています。勿論それがなにかを「証明」しているなどとは全然言っていません。
しかし、それ以前に、この文章の前半は意味が良く分かりません。「神経質なやせ形の典型」という表現は、「神経質ではないやせ形もいますが、そういう人はおいといて」という配慮が窺える実に正しい表現だと思いますが・・・。ひょっとして、ここは「やせ形の典型である神経質な芥川龍之介」としなければいけなかったのではないでしょうか?あ、勿論、自分の解釈に都合のよいように相手の発言を改変するのは反則です(^^;。
さて、ここまで、「三段跳び」の「答え」なり「反論」なりになっているのか、実は自信がありません。それとも、もしかするとこれはなにかのワナなのでしょうか。
Part3:「差別」からの逃げ場
ここは、なにを主張しているのか「意味」は分かるのですが、その「意義」が理解できません。
まず、一体これはわたしの言及に対する「反論」なのでしょうか。
>「A型は神経質」といわれるとA型の人に逃げ場は無くなるわけです
「A型は神経質」と誰が言っているのですか?そう言っている輩に文句言いましょう。正比古氏は「神経質な血液型というのは無い」と繰返しています。でも、ま、誤読・誤解によってそういう通説が広まったということで、話しを進めましょう。(勿論そうした誤解の元はPart2で言及したように心理学の怠慢によるものでしょう)
繰返しになりますが、わたしは「血液型性格関連説」を差別として機能させることは可能です、という立場です。simaさんのように、誤解に基づいてさえも「差別」的に使用できるわけですね。ですから、わたしは、「差別」として機能させない、「差別」に転化させない社会の実現をこそ目指すべき、と主張しているのですが、simaさんは、「差別」から「逃げられる」区別だけを認めるべきだ、と主張している、ということでよろしいのでしょうか?反論、という意味では、「逃げることができる差別」は容認する、(すべき?)ということでよろしいですか?また、その主張は「事実の探究よりも人間の思惑が優先されるべき」に至るものと解釈してもよろしいでしょうか。いえいえ、勿論simaさんの「趣味」についてまでアレコレ言いたくはないのですが、あまりに大胆な御説でありますから、それなりに「注目」させて頂きたく思います。
がっ、その大胆極まる主張はかなり分かりやすい瑕疵を内包しています。即ち「逃げ(られ)ないヤツは差別されても仕方が無い」ことになってしまうのです。体型の判断が曖昧なところに居る人はいいけど、変われる人はいいけど、そうでない人は差別されてもしょうがない、ってことですよね?明らかにヤセ型、太れない人っているんですよォ。近年、アメリカでは肥満の中には「病気」と解釈すべき人達がいるようだという研究もあります(詳細失念・不明)。そして更に、肥満質にも筋肉質にも悪いイメージがついたらどうなるのですか?「えー、どの型にもマイナス・イメージがついてしまったので、今後、このような区別は禁止します」とでもやらかしますか?
たった一通分に対してこの有様、メール27については、(とりあえず)近日中に、とだけ言っておきます。
このページでは、私は基本的にはコメントしないことにしているのですが、ちょっとだけ。 最近の研究によると、人間には「肥満遺伝子」というようなものが存在して、特定の遺伝子を持っていると肥満になりやすいことがはっきりしてきました。例えば、日本人は約1/3の人が「肥満遺伝子」を持っているのだそうです(人種によってその割合が違うとのこと)。このような遺伝子を持っている人は、同じカロリーの食事でも普通の人より肥満になりやすいのです。「肥満遺伝子」を持っている人は、カロリーが少ない和風の食生活の環境の中では生存に有利なようですが、最近のカロリー過多の洋風の食生活にはあまり生存に有利とは言えないようですね。 もっとも、「肥満遺伝子」の役割がはっきり確認できたのは、動物実験による研究だけのようです。人体実験は不可能ですから、確定的な結論はまだ得られていなかったはずだと記憶しています。 この本のミソは、特定の遺伝子が個体の生存に有利に働くかどうかは、あくまでも環境との相互作用によって決定されるものだということです。つまり、「絶対的に生存に有利な遺伝子はない」のです。1999年2月号の「日経サイエンス」の「進化論で解く 人はなぜ病気になるのか」という記事(46〜55ページ)にも、やはり同様の結論が書かれていたはずです。 参考文献:ブルーバックス「肥満遺伝子」(著者名は記憶が曖昧です…f(^^;;) #この本には、体型と性格については何も書いてなかったはずですが…。 その後、『日経ビジネス』3月22日号の178ページに、「太る体質?」という記事を見つけました。
ただし、太る体質の遺伝子を持っていたにしても、食事や運動に注意すれば、太らないことは可能とのコメントが付いています。なんか、どこかで聞いたような話ですね(笑)。 |
次は、みなさんからのメールからです。
とっても(^O^)
2.お気に入りのページ
O型、A型、B型、AB型、臨床心理士の方からの反論
3.血液型と性格の関係は?
どちらともいえない
4.メッセージ:
A・B・O・ABの各種類揃い踏みの4人組みで男女関係がグシャグシャになっている最中でございます。
HPを拝見すればするほど、混乱の原因が解明していく気がして笑っちゃいます。血液型・・・あなどれん・・・(笑)
意味深長なメールをありがとうございます。私は恋愛は苦手なものですから、都合によりコメントは省略させていただきます(笑)。
次は、最大素数さんからのメールです。
>最近の研究によると、・・・
>参考文献:ブルーバックス「肥満遺伝子」(著者名は記憶が曖昧です…f(^^;;)
ややや、そういうことだったのですね。大変適切なフォロー、まことにありがとうございました。
さて、simaさんからのメール27は、本来「管理人様」宛ですので、横レスということになってしまうのですが、「管理人様」にはたったの3行でかたずけられてしまいましたね。けんもホロロ、鎧袖一触、実は大笑いしてしまいました。owadaさんてばっ、いけませんねぇ、なにはともあれこのサイトの"お客様"なのですから、もう少し遊んであげてくださいませ。に、しても、うぷぷぷぷ。
いえいえ、
>最大素数様にいわせれば・・・
結構まともに引用していただけていることでもありますので、なんとか議論にしてみたいと思います(^^。と、言ってはみたものの、なんだかなあ、ではあります。このメールは、「意味」明瞭なれども「意義」不明文のオンパレードであります。
>心理学者は「血液型信者は人の性格を血液型で決めつける」と決めつける
「人の性格を血液型で決めつける」人を「血液型信者」と呼んでいるんだと思うんですが。ですから、おそらく全ての心理学者はそう言っている筈ですし、多分owadaさんも(ついでにわたしも)そう言うことに異論はない筈です。以下、例えばと称して怪しげな例を揚げていますが、これでなにを主張しようとしているのですか?
そして、更に、
>例えば「A型には神経質な人が多い、神経質な傾向が強い」という情報を発信すれば
とのことですが、この「例えば」はどういう「例えば」なのでしょう。決めつける人達を作り出す情報にはいろいろあるが、simaさんの想定によれば「例えば」、ってことですか?それとも・・・いろいろあるが、その中から「実例」を揚げれば、ということですか?もし、「実例」ならば、「例えば」などという分かり難い言い方ではなく、はっきり「引用」として下さいませんか。特に、後段での
>いくら言葉尻を「**の人が多い、**の傾向が強い」としても結果的に血液型で他人の性格を決めつける人を作り出しているのは情報を発信する能見氏であり管理人様なのです。
という(どうやらこれが主張の核心?)結論への前フリなら、正比古氏なりこのサイトからの「引用」とすべきでありましょう。
「決めつける人」の例をいくつも揚げて、それをsimaさんの想定例で解釈しても、彼等を「能見氏であり管理人様」が「作り出している」ことの証明にも説明にもならないと思うんですけど・・・。車の渋滞を見て、「トヨタが造りすぎる!」という人はいませんし、simaさんのご近所で子供達が大勢騒いでいたとしたも、simaさんに「アンタ何人生んだら気が済むんだ」と言う人はいない(筈?)でしょう(おお、我ながらなんと的確な例だ!「例え」はこうありたいものです、はははは)。
再定義による意図不明の文章に始まり、想像を書き連ねて、それとどう繋がるのか良く分からない結論に至る・・・。論理のバンジー・ジャンプとでも申しましょうか、あはははは、面白いんですけどねぇ、きちんと対応できる自信はありません。
バンジー・ジャンプの落ち着くさきは「ステレオタイプ」、多分・・・。とすると、前便でまとめた「***は神経質というステレオタイプは、クレッチマー説やせ形は神経質の流布によって広まったということでよろしいでしょうか」をそのまま繰返して「よろしいでしょうか」?
人間の精神活動を特徴の類型化として"気質(きしつ)"とか"性格"という概念で解釈できる、という考えは心理学の知見であり、ある意味「成果」でもあると思います。では、その「成果」はどんなかたちで我々一般人にお馴染みになったのでしょうか。『心理学史』的にどう解釈されているのかは分かりません(これは多分わたしの不勉強?)が、体験史的には、「知能検査」によって頭の出来具合が「わかる」、であり、「クレペリン検査(っていいましたっけ)」で作業適性(っていいましたっけ)が「わかる」であり、「YG性格検査」によって性格が「わかる」ということでありました。即ち、なんらかの検査・試験によって人間の精神活動が(一部にせよ)「知りうる」「一義的に決定できる」のだ、という概念(「思想」と言ってもよいかもしれない)が一般化したように思います。つまり、人間の精神活動の特徴の類型化はステレオタイプ化せざるを得ない下地が心理学によって造られてしまった、というのがわたしの見解です。これは、おそらく正比古氏も同様で、彼の著書での「神経質」という言葉の使い方には大いに共感したものです(簡単にいうと、「神経質な血液型」というのはない、とし、各血液型の特徴の説明文に意識してそれぞれに「神経質」という言葉を用いているのです)。
人相・手相、占星術、など、「占い」と称するものはもともと、人の運勢や事柄の予測を扱ったもので、それが「人」そのものを見るようになったのは、そうした「(心理学の知見としての)性格」という概念の浸透による、という説もあります(TV番組での話しなので発信元の確認は不可ですが、わたしは案外正しいのではないかと思っています)。
なにはともあれ、血液型によろうが心理学の性格検査によろうが、一義的に決まるものではないのだ、ということを心理学者は(原因を作った責任上)もっと大きな声で言ってほしいと思います。
それはそれとして、このメール27で披露されている「例」は、「決めつけ」で不利益を被った人の証言、という体裁になっていますが、ひょっとすると、simaさん、「血液型差別」の話題にふりたいのかなー、なんてね、ちょっと思ったりしました。「差別」などという言い方はどこにもありませんから、単にわたしの印象による想像です。しかし、勿論これらの「例」は「血液型差別」の例としては不適当です。先の「鬱病患者」氏のケースで懲りて、気軽に「血液型差別」などと言わないように気をつけたのだとしたら、なかなか学習能力はお高いようで、simaさん、もしかすると「超」一流大学のご出身でしょうか。
少々気になった(神経質?)ので、能見さんの本を調べてみました(『新・血液型人間学』101〜102ページ
傍点は下線に変更)。
次に、関連項目を百科事典で調べてみました。 ●マイクロソフト/小学館 Bookshelf−国語辞典
●マイクロソフト エンカルタ99 平成10年発行
●平凡社 世界大百科事典(CD−ROM版)第2版 ベーシック版 平成10年発行 ●小学館 スーパー・ニッポニカ 日本大百科全書+国語大辞典(CD−ROM版) 平成10年発行
確かに、調べた限りでは占いと性格は関係ないようです…。 #その他に、私からの回答(その5)の【2/21追記】にも、心理学の性格類型についての説明があります。 |
このメール(その29)の扱いについては、どうしようか迷ったのですが、公開不可でもないようですので掲載させていただきました。なお、その28以後は、このメール以外には私のところには届いていませんので、お手数でも、再送信していただくようお願いします。
臨床心理士のsimaです。
私からのメールですが、たぶん29か30くらいまでそちらへ届いていると思います。更新中となっている割には中身が変わっていないのでメールしました。このメールは別に公開してもしなくても結構ですので管理人様のご判断に任せます。ただこれ以前のメールは公開していただきたいですし、管理人様や最大素数様、このサイトの読者の皆様からのご意見は拝聴したいと思っていますのでよろしくお願いいたします。
次は、最大素数さんからのメールです。
いつもいつも、適切なフォロー、ありがとうございます。
「神経質」に関する正比古氏の指摘にはただただ納得。初版『血液型人間学』で読んだときは本当に感動したものです。
さて、ところで、メールその28について。これに対しては全くの横レス、失礼いたします。
このメールはある意味「感慨深い」ものがあります。後半「さて管理人様が」以降は、殆ど「悲鳴」ですよねえ。「追いつめられた状況なり限界なりを」の部分での「原価稲荷」との変換ミスなどという表層的現象をあげつらおうというわけではありません(^^。(゛も、これ見て、その日の昼に稲荷寿司をつまんでしまった大バカヤローはわたしだけでしょうか)。「クレッチマー説」はどんな検証に耐えて教科書に乗り、どんな検証に耐えきれず表舞台から降りようとしているのか、心理学の「科学性」「学問性」が、「先」に問われているのではありませんか。
>心理学者のデータは元々そのような変数をモデルに組み込んで計画した実験や調査によるものではないために、いくら再分析してもそのような説の証明にはなりません
このような文章、いくらこのサイトの方針とは言え、まんま公開は「残酷」な仕打ちではありますまいか・・・。「再分析してもそのような説の証明にはな」らなくても「分析」によって「そのような説の」"否定"の「証明には」なるというのでしょうか。わたしにはさっぱりわかりません。
>なぜ前々回のメールを書いたかというと、言葉尻をとらえた状況証拠の解釈では何でも主張できる代わりに何一つ証明できないことを示したかったからです。管理人様が私の正体を私の言葉の断片からいくらでも推理することはできますが、それをこのサイトに発表したところで私の正体の証明にはならないのです。
なんだかずいぶんチカラが入っていることだけは良くわかりますが、どうしたっ???って感じです。「正体の証明」?それはできない、って当ったり前でしょう!
あのねぇ、owadaさんが回答11で既に述べていますが、
>実は2(simaさんはA型?)と3(「simaさん」の謎を推理する)については返事が正しいかどうか(私には)チェックしようがありません
のですよ。つまり、simaさんの実体やメール1〜28をsimaさんが書いたのかどうかなど、ご本人(である筈)のsimaさんでさえ、「証明」はできないのです。しっかりして下さい。owadaさんもわたしも、別になにかを「証明」するために「sima」さんが誰かを論じたのではありません。
というわけで、最後の
>さて、私の血液型がA型かどうかですが、管理人様が推測した私の正体を教えて下されば、答えるかもしれませんよ。
は、「悲鳴」そのものにしか聞こえません(うっうっうっ、おいたわしや・・・)。「正体知ってるのっ!知ってるんでしょっ!!教えてっ!!!お願いだから言ってえぇぇ!!!!」
なんにせよ、このメール28に対するowadaさんの回答12での独り言
>#そういえば、以前にその17〜18でいただいたご返事とは内容が違うような気がするのですが、単なる思い過ごしでしょうか?
は強烈ですねえ!さりげなさが感動的と言いますか、この「イヤミ」っぽさはさすがABならではでありますねえ。なんで横レスか、実はこれが言いたかったのね。
>これ以前のメールは公開していただきたいですし、管理人様や最大素数様、このサイトの読者の皆様からのご意見は拝聴したいと思っていますのでよろしくお願いいたします。
わたし、「三段跳び」や「バンジー・ジャンプ」に、今後も同様におつきあいするかどうかはお約束できません。
ところで「ご意見は拝聴したい」というのは字面通りに解釈すると「議論はしません」とよめますね。これまで(少なくともわたしに対しては)真っ当な反論を頂けず、議論に至ったことがなかったのはそういうことだったのでしょうか?
この「解釈」がただの揚げ足取りであり、わたしが謝罪しなければならないときが来ることを期待しております。
・精神科医、香山リカさんのHP<http://www.so-net.ne.jp/stress/menu.html>心理学関係のサイトのサーフィンで見つけました。中に「ご相談辞典」<http://www.so-net.ne.jp/stress/rika/soudan/index.html>というページがあって、血液型関連では一つだけ「AB型の妻とA型の私。血液型占いで相性の合わない私たちは不幸な夫婦でしょうか?!(恐怖症)」というのがあるんです。勿論本物の相談かどうかは疑問ですが、香山さんが必ずしも「否定派」ではなく、「無責任な私はB型なんです」なんて言ってたりして(おお、お仲間Bだ)面白いです。しかも、結論も、いかにも「曖昧さを厭わないB」的で、多分相談者A型氏(実在ならば)、かえってストレスを溜め込んだんじゃないかと思われ、かなり可笑しいです。(もしかすると、ご存知でしょうか)
相談は
>買った雑誌の血液型特集には”A型はAB型に迷惑をかけ、それに気づかない”とありました。
>私の妻はAB型、同じ部署にも分かっているだけで3人います。
>今まで妻や同僚に迷惑かけていたのかと、ひどく気になって、(中略)毎日なんだか苦しい。
で、「どうすればいいでしょう」ってわけで、simaさん大喜びしそうな内容なんですが、回答は全然違うんですね。
>血液型と性格や病気の関係も、もっと医学的に研究されてもいいのにね。医者だってナンパのときは”君、何型?”というんだから。
てなことを言ってみたりして、結論(?)は
>問題はA型vsAB型にあるというより、血液型のことを考えるだけで胸苦しくて落ち着かない、
>という”血液型へのとらわれ”にあるようですね。血液型恐怖といってもよいでしょう。
これじゃあ、解決にはなりません(笑)。
しかしまあ、なんで「相性」なんてものを決定論的に深刻にとらえるのか不思議でなりません。(simaさんの例の「鬱病患者」氏にも感じるのですが)基本的なところで「人間関係」の理解を間違えているとしか思えず、その矯正が先ではないか、などと考えてしまいます。そういう意味でも、「血液型差別」などと騒ぐよりは、「とらわれ」からの解放というセンの方が正しいと思われます。
とは言え、香山センセの「見立て」は少々的外れではあります。正比古氏によれば「A夫とAB妻」は「夫が妻を"リード"」し「妻が夫を"おもり"」するという、(伝統的な夫婦観では)ムリの無い組合せの一つで、上手くいったときは典型的な「おしどり夫婦」になりうるんじゃあなかったでしたっけ?「買った雑誌」の記述は分かりませんが、記事の書き手か、相談者A型氏かが「リード・おもり」を誤解した結果と思われますので、まずはその説明からしてあげれば、それだけで症状はずいぶん改善されるでしょう。但し、そこで終わりにしては、このA型氏、星占いだか姓名判断だかで同じような騒ぎを起こすにきまっていますから、後は、徐々にでも、相性の良し悪しなんて決まっているものではないのだ、ということを分からせることですね(これも正比古氏の著作に書いてありますがね)。
それはそれとしても、このA型氏、いかノもA型風であって、妙な"実在感"を覚えてしまいます(笑)。公平に言って、Bって結構Aに迷惑かけているような気がしますが(大笑)、それで悩むBって考えにくいです(爆)から、相談者がB型だったら全然リアリティが無かったと思います。
それと、「心理学」という言葉が全く出て来ないのですね。どうも、香山さん、血液型と性格の問題は、心理学ではなく医学の問題と思っているようです。あと、ちらっと触れられている『生まれ月と精神疾患の頻度』ってのにものすごく興味をそそられます(香山さん、クレッチマー説が念頭にあって、体質と精神疾患の関係あたりに、血液型と性格の関連の説明を求めているのでは、と思いました)。ついでに『生まれ月と疾病の頻度』てな研究があれば(聞いたような気がしないでもない)それについても興味がありますが、この手の資料の入手は相当たいへんで、特に門外漢には殆ど不可能だったりしますね。そういう文献が、Web上で簡単に参照できるようになるといいんですけどねぇ。
早速見てみました。面白いですね。 #このサイトの内容は、彼女の『リカちゃんのサイコのお部屋』や『ココロのクスリ』とほぼ同じ内容のようです。 香山リカさん(B型)は能見さんの血液型の本に出ていたぐらいだから、たぶん肯定的なのでしょう(笑)。ABO−chat MLからの情報によると、香山リカさんは「SFマガジン」にも連載コラム(1ページ)を持っているそうで、これもなかなか面白いとのことです。なお、血液型の話は今のところないそうです…。 彼女はB型らしいし、相談者もいかにもA型らしいくて、失礼とは思いつつ笑いがら読んでしまいました。(^^) 以下は、能見俊賢さんの『血液型教科書』(85ページ)からです。この本には、香山リカさんが写真入りで紹介されています。
関係部分を引用しておきます(同書から)。
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・否定派心理学者
「在野」に対する反発と嫉妬は確かに相当なものがあるのでしょうね。一部の心理学者(特にO村さん、ってこれで仮名か!?笑)はそういう気持ち丸出しで、こちらが恥ずかしいくらいです。
最近のメールNo.172 「トーラス」さんのお話しでは
>血液型による分類が従来の性格類型の侮れない商売敵だということを心理学者自身
(うすうす、もしくははっきりと)気づいているから・・・ということらしいですし、そう言えば、前川輝光さんの『血液型人間学〜運命との対話』にも>既存の性格心理学関係の本はずいぶん売れなくなったのではなかろうかとのくだりがあり、実情は縄張り争いのノリで、心理学界は「オメーラ、他人(ひと)のシマで勝手してんじゃねーよ」ってあたりなんでしょうか(笑)。あ、だから「sima」さん!?(爆)。
情けない、って言や情け無いですが、ある意味ほっとした部分はあります。つまり、それなりに「評価」はされている、度合いはともあれ内容が理解され、一定の価値を認められている、ということですよねえ。そーかぁ、「無能」や「怠け者」だけじゃないんだ、よかったなあ、という感慨はちと楽天的に過ぎるでしょうか。
・「キメツケ派」に関して
TV番組『ウンナンのホントのところ』4/14放送は「血液型のホントのところ」とかいうタイトルだったようですが、ご覧になりましたか?わたしは見ていません。「首相にはO型が多いということはO型が一番優秀ということ」というような内容だったらしいです。「結論としてO型は権力志向」などといったことでは無く、首相=優秀というノリから推し量るに、お笑い番組の作りだったようですが、「血液型で遊ぶ」という意味ではちと高度で、マジに反応しちゃう人も出ちゃうと思われます。
O型自身はこういう"誉められ方"ってどう感じるのでしょうね。何はともあれ誉められればうれしい「軽薄B」ですが、「単細胞O」おぉやっぱり、って喜ぶような気がします(笑)。"首相=優秀というノリ"に目が行かず、そんなことで優秀であるなどとキメツケてはいけない、などととりあえず結論づけてしまいそうな「石頭A」というあたりか(爆)。ウンナンって確かどちらか(両方?)がABだと思いましたが、だとすると、ABは、このイヤミには思わず"共感"しちゃったりしますでしょうか?(^^;;
ところで、「理解力に欠ける」タイプのAB型は「解りの悪いAB」でしたっけ?
・否定派心理学者について
現在の心理学は「相当いきづまっている」のだそうです。別に、私が心理学にケチをつけようとして言ってるのではありません。次は、『オール・ザット・血液型』(佐藤さん・渡邊さんの共著)からの引用です(165ページ)。
実は、ぼくらの心理学はいろんな意味で相当いきづまっていて、なんか、もっと自由な、もっと面白いテーマはないか、ってみんなで探していた。そこで、血液型やオカルトっていう、それまでタブーっぽかったテーマがぼくらをひきつけたというわけ。まあ心理学のいきづまりに気づかない人は今でもたくさんいて、昔どおりにやってるけどね。
佐藤さんは、心理学の権威である詫摩さんの教え子ですから、普通の人が言うのとは重みが違います。(^^;;
実際のデータを見ても、心理学専攻の学生の(少なくとも)半数程度は、血液型性格関連説は正しいと思っているようです。これでは無視できないのは当然でしょう。血液型を否定する授業をすると、肯定する割合は多少は低くなりますが、ゼロになるなんてことはありません!
この「嫉妬」の感情は、最近の「心理テスト」のブームに対する反応にも表れています。普通の心理学者の主張は、心理学の「性格テスト」だけが科学的で、いわゆる「心理テスト」はインチキで非科学的だ、というものです。しかし、私から言わせれば、それは程度の差であって、心理学だけが100%科学的だとは(統計的に)考えられません。もちろん、いわゆる「心理テスト」が正しいというのではありません、念のため。
・「キメツケ派」に関して
幸い、この番組は見ることができました。ビデオにも録ってあります。確かに、最初に「首相にはO型が多いということはO型が一番優秀ということ」といった解説がありました。が、まさか本当にそう「信じる」人がいるとは私には信じられません(笑)。群馬県では戦後に3人の首相(福田、中曽根、小渕各首相)が出たから優秀だ、とは当の群馬県人でも信じていないでしょう(笑)。
しかし、お笑い番組とは言っても、内容はなかなか真面目です。ちゃんとデータを取って勝負していますから。最近ではいちばん「まとも」ではないでしょうか? となると、データフリークでAB型のスタッフでもいるのでしょうか(笑)。以下は、私がMLに書いたものです。
21:15〜21:35ぐらいまでやってました。 いやぁ、面白かったです。最初に総理大臣の血液型のデータ、次に長者番付の血液型のデータを出して説明していました。単なるバラエティと思っていたのですが、正統的な分析なので喜んでしまいました。 毎日新聞といいTBSといい、血液型が好きな人が多いようです(笑)。 ゲストに異常にAB型が多いのには大笑いです。で、AB型だけのグループができたのですが、なんとも迫力がないグループで、やっぱりAB型でした(爆)。 なお、ウンナンはどちらもAB型です。(^^) #もっとも、説明はいくつか間違いがありましたけどね。:-p |
この番組のスタッフが『ABO FAN』を見ているとも思えませんが、最近はデータに基づいた正統的な番組が増えてきてうれしい限りです。v(^^)
・「会合の仕切り」
>AB型については、私自身が「やらないAB型」ですので、コメントは省略させていただきます(笑)
あ、ずるいなあ(笑)。イヤミはお得意でも、「逃げ方」はあまり上手ではないようですね、と(とりあえず)言っておきましょう(笑)。
・否定派心理学者/つづき
>実は、ぼくらの心理学はいろんな意味で相当いきづまっていて(『オール・ザット・血液型』)
彼等(心理学者)には彼等なりに自覚はあるものの、"分かっ"てはいないようですね(^^。
"行き詰まって"いるのは心理学ではなく、心理学「者」でしょう。いえいえ、正確に言えば"行き詰ま"るには少なくとも"行き"出すことが必要なわけですが、そもそも心理学「者」は"行"き始めているのでしょうか・・・。
「血液型性格関連説」の否定の仕方、差別に対する姿勢、そして最近(simaさんメール)の、クレッチマー説の取扱い・・・。信じがたいことばかりです。
"クレッチマー説の取扱い"に関して、念のため申し添えておきますが、わたしがあきれているのは「心理学がそれを否定した」ことについてではありません。「否定の理由」について、です。
実は、どうにも納得できず、simaさんのメールを読み返したりしていたのですが、それによっておぼろげながら見えて来たような気がします(^^;。正確な表現として素直に読みますと、
>医師国家試験出題基準の「特に留意すべき述語」から除外されました
ということであって、これは「心理学」界・会とは関係ないことなのですね! そして、simaさんがこのことを知ったのは「精神医学の教科書」(の脚注)であってやはり「心理学」界・会とは無関係です。しかし、結論では、
>心理学や精神医学の領域ではクレッチマー説は否定され淘汰される考え方になっています
と、いきなり心理学が出てきます。・・・どうも、心理学は精神医学におんぶにだっこ、(少なくともクレッチマー説については)その知見を無批判に受け入れている、と言うことに他なりません。これ揚げ足取りではなく、simaさん、その辺は正確に表現してくれたのだと思います(^^。
"医学"の分野ならば「統計的緻密さに欠ける」という批判はあり得ることです。実際に「医学」会・界が「統計的な検証」をしたかどうかはともかく、「クレッチマー説」に関して「心理学」が「統計」上の見地からのアプローチが可能とは思えません。「クレッチマー説」の構造において心理学が扱えるのは「"特定の精神病における共通の気質傾向"を特定できるか?」である筈です。が、そういう検討・検証がおこなわれた形跡はありませんねえ。
差別についても、simaさんと議論が進めばおいおい言及するつもりでいたのですが(機会を得られませんでした)、その理解は全くおそまつとしか言いようがありません。
>特定の血液型に悪いイメージが付与されそのイメージが一般に広がっているから「差別的」というのです。(simaさんその14)
本当にこんな単細胞的理解しかしていないのでしょうか・・・。
ま、また機会があれば詳しく述べますが、差別の構造はそんな単純なものではないのです。
simaさんのメールや、否定派心理学者のサイトの主張からうかがえるのは、はっきり言って「人間心理」に対する感受性の(著しい)欠如です。
「心理学」が行き詰まっているのではありません、心理学「者」が"踏み出"せていないのです。
さて、
>普通の心理学者の主張は、心理学の「性格テスト」だけが科学的で、いわゆる「心理テスト」はインチキで非科学的だ、というものです。
というのは本当なのですか?TV番組等で見る"いわゆる「心理テスト」"では、監修とか解説と称して心理学者(よく見かけるのはT田さん(^^;;)がウロチョロしていますが、彼等、学会内では顰蹙モンだったりしているのでしょうか(笑)。それにしても、「インチキで非科学的」というのなら、もっときちんと批判してほしいですねぇ。所詮"占い"扱いの「血液型性格診断」なんかよりはるかに罪深いような気がします(笑)。
・ウンナンのホントのところ
> まさか本当にそう「信じる」人がいるとは私には信じられません(笑)
「O型ではないので優秀ではない、と悩んで鬱病が悪化」したりする方が出ないことを祈るばかりです(爆)。
・否定派心理学者/つづき について -- H11.4.28
なるほど、心理学ではなく精神医学によって否定されているのですね。私は気が付きませんでしたが、確かにsimaさんのメールにではそうなっていますね。
心理テストについては、血液型に否定的な心理学者(複数)は「インチキで非科学的」という趣旨の意見を主張しています。そのHPを見た限りでは、反対する心理学者もいなかったようなので、私には少数派とは思えませんでしたが…。もっとも、サンプルが少ないので、これだけで断定するのは無理かもしれません。
その後、性格心理学者が書いた入門書を入手しました。まず、クレッチマー説についてはどうか?(清水弘司=著 ライブラリ
心の世界を学ぶ・3
はじめてふれる性格心理学 サイエンス社 H10.12 114ページ)
わざわざ解説するまでもなく、全面的に肯定していることがわかります。つまり、simaさんによると、全く「非科学的」なことを教えていることになるようです。 次に、血液型と性格についてです(同書 7〜9ページ)。少々長いのですが、正確を期すために、関係部分を全文引用させていただきます。
残念ながら、特に新しい情報はないようです…。 -- H11.6.6 |
simaさんからのメールが絶えてもう2ヶ月以上になりました。お忙しいと1ヶ月ぐらいは「帰宅してもそのまま寝てしまう日々が続(メールその23)」くらしいのでものすごくお忙しいのでしょう。
最近読み返してみたのですが、結局のところ、simaさんはなにを言いたかったのだろう、とか、「sima」という"匿名"なのに「臨床心理士」という"実名性"に拘ったことの意味、など、いろいろ考えてしまいました。
コンセプトとしては「血液型性格関連説の否定」だったようですが、論を(自称)実例を揚げてまで「差別」問題から起こした理由がよく解りません。現役の臨床心理士として直接のクライア(エ?・笑)ントを引き合いに出したのはどんな思惑があったのでしょうか。
何人かから疑義が提示され、結局のところ
>クライエントのプライバシーのためにできるだけリアリティーを伝えないように
という私の意図は成功だったと思う反面、このような情報を流して少し軽率だったかとも思い反省しています。(メールその5)では、一体なんのつもりだったのと思ってしまいます。
後の、「一流大学云々」の議論(メールその23)から垣間見える「権威主義」の匂いから勘ぐれば、「専門家」が「実例」をもって説き起こせば、皆「ヘヘーッ」となってしまうだろう、とでも思ったのかしらん。って、ま、それは冗談(としておこうね)ですが、少なくとも、専門的な話題には躊躇するであろう程度の期待はあったのかもしれません。
しかし、結果的には、「臨床心理士」を名乗ったことでずいぶん窮屈な思いをしてしまったように思います。特に「クレッチマー説」関連の話題では、専門家を称した以上知らぬでは済まされぬとでも思ったのか、ずいぶん"無理"してしまったようでした。
とうことで、臨床心理士(実名"性")sima(匿名)さんに絡めて「匿名」と「実名」について考えたことを述べてみます。
匿名の悪口罵詈雑言メール等については論議以前の問題として、ここでは考えません。BBSや公開メール、場合によってはTV番組・出版物等、「不特定多数に"も"公開・発信された"発言"」について考えます。
・「匿名」の"無責任性"〜責任をとる、とは?
匿名が否定的に捉えられがちなのは、その"無責任性"によるようです。都合が悪くなれば別名に乗り換えて全く違う人格・立場を装うことができる、即ち自分の発言に「責任」を持たなくて良い、ということです。が、そういう場合の「責任」って何なんでしょうか。"都合が悪くなったこと"の"決着(オトシマエ)"ということかしらん。「私が間違っておりました。ご迷惑をお掛けしてしまいました。与えてしまった損害につきましては、各々の方法で償います」とでもいった後始末のことでしょうか。そういう意味では、匿名氏は責任をとれません(実名を明らかにして謝罪する等、とろうとすれば方法はありますが、厳密には「匿名」の特定ができないわけです)。しかししかし、一方、実際問題としては、「実名」氏は、まず、責任を「とりません」。正確に言えば、都合が悪くなったこと(誤謬・論戦での敗北等々)を「認めない」のです(^^。もし、匿名ならば、さっさと尻尾をまいて(論戦を一方的に整理・終結して)とっとと消えることができただろうにト、ならばどちらもこんなに傷つくことはなかったのではなかろうかト、そういう議論って結構あります。
(匿名の無責任性に乗っかってムチャクチャ言う方も時ワ見かけますが、そういう輩は"誰からも相手にされない"という「敗北の宣告」を受けることになります。匿名の"罵詈"に匿名の"雑言”で応じる奴が出てくると掲示板なり会議室が"荒れ"るわけですが、勿論その手も論外とします)
・「匿名」のきつさ
ただし、「匿名」が"無責任性"と切り離せないということは、一回毎の発言(投稿)の中で主張の明確性と論理的整合性がなければ取り合ってもらえない、ということでもあるのです。つまり匿名氏は常に"無責任性"に対する"反証"を示して居なければならないのです。「実名」氏がときとして"肩書き"や"所属"を「利用」したり、はたまた「"この"私が言うんだからマチガイ無いっ」的に振り回してウヤムヤにしたり(おー、いる居るそういう奴)する場合がないわけではなく、「テキトーに誤魔化せる」"逃げ道"がある、とも言えるわけです。
また、実名が常に明らかならば、論議の足りないところは違う時期場所に発表した分を援用できるわけです(尤も、以前の発言を逆手に取られて立ち往生してしまうおマヌケ氏もいるかも知れませんが、勿論そんな手合は論外であります)。
とは言え、主張の内容とか論理的整合、文章の"クセ"の相違、などなど、「実名」ならば"人格"を疑われて相手にされなくなってしまいますが、「匿名」ならば"複数"?というエクスキューズ込みで相手にしてもらえることもあるわけですが(笑)。
・「実名」の無責任性〜臨床心理士の限界
simaさん、あくまで臨床心理士を主張したことで、話しの発端である「鬱病患者」氏には(自分自身が)言及できなくなってしまいました。同じ理由で"各論"・"現場論"にも踏み込めなくなってしまったのかもしれません。折角の"専門家"の筈が、守秘義務によって「効果的な実例」を用いることができず、不自由な議論を強いられることになってしまったのではないでしょうか。しかししかし、これは実はある局面では好都合なことでもあるのです。論戦が不利になったら、「その主張に対する決定的な反証を持っているが立場上言えないので、ここは一旦引いておくことにしよう」という言い訳に使えるのです!特に、"各論"・"現場論"が不得手な人には有力な"武器"足り得るのです。が、勿論、もっと気楽に「(実名で書いているので)差し障りがある方がおられるとまずいので」と思わせぶりにヨタを飛ばしたり、煙にまいたりすることもできるわけです。
・「匿名」による議論
ここ『ABO FAN』のコンセプト、「データの統計学上の評価」という"科学的検証"や、わたしがつい力を入れてしまう「差別意識」に関する"本質論"は論者の"実在性"と無関係になし得るものと考えています。なにが正しくてなにが間違っていたのか明らかになればよいことですし、本質に少しでも迫れる知見が得られればそれで充分ではないか、というのがわたしのスタンスです。科学的検証や本質論に於いては、ヘンな先入観に囚われない分、むしろ匿名での議論の方が"良い"のではないかとさえ思っています。
更に、最近は、"現場論"でも匿名のほうが良い場合があるように感じています。
否定派心理学者はすぐに「血液型差別」の「例」とやらをあげてこんなことが許されていいのか風に息巻くのですが、その「例」が「例外」なく中途半端なんですねぇ。最近も某HPの「メール」紹介のページに、「B型と知られると差別されるのでA型と偽っている」人のメールが載せられましたが、その差別の"実体"が全然明らかではないのですね。差別があった勤務先・上司、学校・教師の「実名」まで公表してこそ「実名」サイトの"責任性"が全うできるのではないかなどと思ったりしてしまいます。逆にその辺が「実名」サイトの"限界"ならば、「匿名」(というより「覆面」?)サイトで書き飛ばしてしまうほうが現実的と言えるかも知れません。
・「実名」は「正々堂々」か
実名と正々堂々はセットで使われることも屡々です。曰く「正々堂々と実名を公表してナンタラカンタラ」。何の注釈もなく言い切ってしまう方がいるとすると、常に"強者"サイドに身をおいていたに違いありません(笑)。「XXの◯◯と言う者です」のXXが"その筋"だったり"某警察署"だったりしたら(少なくともわたしは)ビビルし(笑)、それなりの覚悟(笑)をして臨むことになるでしょうからねぇ。ま、そんな極端ではなくても、たとえば"大学教官"だって、「ウチの若いモン(学生)の中には無鉄砲な(犯罪紛いのハッキングが得意な)バカ(実行してしまうヤツ)も混じってましてねぇ」的"威嚇"に使うことは可能ですからね。
あくまでも「議論」のつもりなら正々堂々と無名の一個人「匿名」で挑んでほしいものです。
「実名」の理由
あれこれ述べてまいりましたが「実名」に拘りたい理由を"想定"出来ないわけではないのです。
議論の勝ち負けに拘り、しかも"勝てる(少ネくとも負けない)"自信がある人にとっては、負かした相手が何者なのか判らないのでは「勝った」喜びも半減(以下?)してしまい、我慢ならないに違いありません。その手の人達にとっては、「実名を明かすこと」=「強者側としての威嚇効果」は、むしろ"正々堂々"の御旗で隠蔽された好都合な情況であるわけです。
「実名」と「正体」
さて、ここまで、割と慎重に(おおっ、非B的側面!^^)「正体」という言葉を避けてまいりました。「実名の公表」=「正体を明かす」ではないという基本的な認識の故です。
わたしにとって、例えば「sima」さんの「正体」は、臨床心理士であるか否か、とか本名は、といったことではありません。
わたしのsimaさん宛の最初のメールで書いたように、この方の「差別意識の有り様」を顕在化させることでした。実際に臨床心理士であるならば、医師が患者に対して、また教師が生徒に対して持ちがちな、「優越感・優位感」と同質の差別意識をクライアントに対して持っているように感じたこと、臨床心理士ではないならば、臨床心理士を装うことで「鬱病患者」氏をそうした差別意識のもとに扱える筈、という(差別意識丸出しの)発想に基づいたのではないか、という疑義を明らかにしたかったのです。ま、学歴差別意識も旺盛で、しかも、ご自分の劣等感の断片までご披露頂いてしまい、わたしとしましては望外の「正体披瀝」でありました。
学歴差別についての補足。実は、管理人の学歴に関して単に大学院云々とか一流大学と言ったことだけを採り上げているのではありません(あまりに開けっぴろげなんで初めの内は"ワナ"かと思い込んでいました)。「一流」大学であって「超一流」大学と言わなかったところにsimaさんの強烈な差別意識が輝いているのです。文脈上としてはここは揶揄・皮肉の意味なんですから、実際にどこの大学であろうと「超一流大学」と言うべきなんです、「超」の有無を区別する場面ではないのです。simaさん、「超一流」大学なんでしょうねぇ。多分幼少のみぎりより神童の誉れ高く、期待を一身に担っての「超一流」大学合格!母校だけが「超」に値するのら!!凄まじい"プライド"ですよねぇ。正直に言えば、不覚にもちと"感動"してしまいました、あのとき。で、まあ、そのあとのメールで「超」一流大学のご出身?とちゃちゃを入れてみましたが、ははは、「本物」の迫力に貫禄負け、といったところでありました。
・「実名」の「責任」
ところで、「実名」氏は本当に「責任」をとれるものなのか、"疑問"を表明しておきましょう。
今年5月18日TV放送『たけしの万物創世記』〜性格は変えられるの"監修者"埼玉大学教授清水弘司さんは番組の内容について「責任」をとれる(とらねばならぬ?)立場にあるものなのでしょうか。
この番組、見返すほどに"ふざけた"作りなのですが、内容の訂正云々ということ以前に、疑義に答える程度の「責任」はある筈だと思うのですがどうなんでしょう。
不特定多数を対象に発信されたものですから、疑義の提唱者は1/(不特定多数)で差し支え無いはずです。
とりあえず、わたしの疑義は『血液型性格関連説の否定理由の一つが「今まで、心理学会で血液型によって差があるという報告はない」ということのようですが、生まれ順と性格の関連については「今まで、心理学会で生まれ順によって差があるという報告がある」のでしょうか』ということです。(正直に言えば、何らかのデータがあるんじゃないかという気はしてますので、ぜひ公開してほしいものです)
・「sima」さんへ
否定の根拠を"苦手"な統計談義や差別に求めず、是非ご自分の得意分野に立脚して論じていただきたく思います。その節は、「臨床心理士」などという、どの道無責任でしかあり得ない肩書きなどにこだわらず、「血液型と性格は関連ないとしか思えないhima」さんとでも名乗られればよろしいかと存じます。
ははは、フォローのメールをどうもありがとうございます。
ご存じのように、某サイトでは最近また「匿名」について問題にしています。よほどこだわらないといけない理由があるのでしょう(笑)。この理由についてはほぼ予想できますが、あえてここには公開しないでおきます…。
この人がsimaさんのメールを見たらなんと言うのでしょうね? しかも知り合いだったりしたら…。
ところで、「匿名」の議論で面白いのは、井沢さんが指摘しているとおりになっていることです。日本人が相手を否定する場合は、内容はともかく、まず相手の立場を問題とするようです(以下は、井沢元彦さん(B型)の『言霊(ことだま)』からの引用)。
「不愉快な」予測に対する日本人的反応
いま手元に「バイウォーター太平洋戦争と其(その)批判」(大正15年、文明協会刊)という訳本がある。これは、小説仕立てになっているバイウォーターの原著を全訳したうえで、「そんなことは有り得ない」と長文の批判を訳者(海軍少佐・石丸藤太)が付け加え、一冊の本にして刊行したものである。この訳者序を読むと、なかなか面白い。こういう「不愉快な」予測をぶつけられた場合の日本人の、典型的な反応がよく出ているからだ。要約して紹介しよう。
まず内容に対する反論に入る前に、石丸はバイウォーターの国籍を問題にしている。すなわち著者はイギリス人であるがゆえに、「排日的言動を弄し、米国の民衆に向いて排日熱を扇動し、日米の離間を策しつつ、英国をして漁夫の利を占めんとせしむる」(原文は旧かな)と決めつけている。
まさにそのとおりなので、思わず吹き出してしまいました。 この人は、このページや井沢さんの本を読んだのかどうか、ちょっと気になります(笑)。→詳しくはこちら
話は変わりますが、ふと思いついて心理学専攻のカリキュラムを調べてみたところ、数学の授業が少なすぎることが分かりました。だから、確率・統計・多変量解析は基礎を少しやってすぐ応用になり、驚くべきこと論理学についてはゼロです。「血液型」と性格について議論するのに、これではかなり問題でしょう。
もう少し詳しく調べたところ、社会心理学はそれでもまだマシですが、その他(性格心理学、認知心理学、カウンセリング…)では到底まともな授業が行われているとは言えません。で、心理学者の議論を振り返ってみるとお分かりのように、論理自体が破綻しているケースが非常に多いのです(苦笑)。データ解析についても、基礎が全くなっていないので、妙な結論になっているケースが非常に多い…。少々あきれたので、ここらへんについては、別のページで書くつもりです。[→詳しくはこちら
H11.7.16]
学部生ならまだわかるのですが、大学院生、講師、助教授・教授クラスでもおかしな場合が少なくありません。となると、今までは意図的に曲解していると信じていたのですが、どうやら本当に分かっていないようです。なるほど、とカリキュラムを調べてみて納得しました。実に困ったものです。:-p
#ところで、simaさんはどうなのでしょうか?
余談になりますが、心理学の性格テストは、ちょっとでも多変量解析を知っていれば、あまり信用できなくなります(苦笑)。信用しているということは、あまり多変量解析を知っていないためなのでしょうか…。
【追記】無意識について
simaさんからのメール(24〜25)には、心理学者も次のような批判があるようです(菊池聡さん『不思議現象なぜ信じるのか』 北大路書房 127ページ)。どちらが正しいのかわかりませんが、参考のために引用しておきます。
「無意識の」「深層の」「隠された本当の」といった言葉は非常に魅力的ですし、確かに夢をはじめ、心には無意識の領域があると考えられる証拠はたくさんあります。しかし、無意識や深層心理という言葉で人の心を簡単に言い切ってしまおうという態度は特に戒めなければなりません。さもないと無意識は反論を初めから拒絶した傍若無人の怪物になってしまいます。
なぜなら、「無意識」は、決めつけられたら最後、本人には否定も肯定もできないからです。「違う」と否定すれば、それこそ「無意識なのだ」とされて相手の思うツボですし、「そうだ」と認めれば、この場合は定義上「無意識」ではないのですが、「本当の自分を洞察した」と解釈され、正しかったことの証拠にされてしまいます。これほど個人の人格を無視した無礼なことがあるでしょうか。
近年、"無意識"の批判が少しづつ高まっているらしいですね。「フロイト説」そのものが壮大な「疑似科学」だという主張もあるらしいです。ただし、わたしは実情は知りません(^^;;。
ところで、Sさん(F大)ってまだお若い(○○代?)方ではなかったかと思い、HPを覗いてみたら19XX年生まれとのこと。あれれ、もうすぐ誕生日(満XX歳)。owadaさんの新刊評、思いがけない爆弾プレゼントになってしまったようで笑ってしまいました。
ともあれ、それにしては、随分"硬直"した発想ですよねえ。未知の世界を切り拓く(若々しい)気概というか(若さ故の)向こう見ずというか、知識に対する感受性に欠ける印象です。
>3 性格概念は構成概念であり、好意的に見ても生理学的指標との関連は仮説的なものにすぎない。
これ、「好意的に見ても」を「従って」に置き換えると、全くわたしの基本的認識です。
性格概念が構成概念に留まっているので「仮説的なもの」以上になれないのです。
だからこそ「性格」を考えるうえで、「構成概念」の"根拠"とか"立脚点"を確かなものにし、「概念」ではなく「構成要素」として"科学"的検証の対象足りうるものにしたいわけです。実際には、「クレッチマー説」の検証はその恰好の"踏み台"になった筈なのです。「クレッチマー説」にきちんと対応することで得られた"知見"は小さくなかった筈なのです。
「性格」の一片でも(と表現出来うるモノかどうかわかりませんが)、なにか「構成要素」が捉えられれば、そうしたアプローチから、「仮説"的"」なものから「"科学的"仮説」そのものにすることが可能な筈なのです。そうすることで、「統計学」による検証の再検証や、場合によってはその結果と止揚する独自の道が拓けるかもしれないわけです。
owadaさんのサイトでの見聞や経験から、「クレッチマー説」を正しく「理解」している心理学者はいないのではないか、と、薄々感じていたのでそのことについてはわざと言及してきませんでしたが、最近は殆ど"確信"に至っております。「理解」とは、勿論単に「クレッチマー説」の内容をどれだけ"知"っているかではなく、その構造と問題点、更にその「思想」も含めた知識体系の理解です。
更に、実はこれまでの「(性格)心理学」は"良くできた"「疑似科学」、「トンデモ系学問」ではないかとさえ考えています。
それはそれとして、SさんのHPで他に面白いページがありましたのでちょっと報告を。あ、ご存知ですかね。
「心狸学擁護辞典」というページがあって、勿論冗談、の筈なのですが、これを冗談のつもりってのは大マジでギョッとしちゃう項目が結構あって、だんだん笑いが氷ついていくようで、ひょっとすると、そういうシカケのジョークなのか、と、さすがは心理学者だわい、と、妙に"混乱"させられて、結構楽しめます(って、なんのこっちゃ・笑)。例1) 因子分析
心理学者の発明したものの中ではIQの次くらいに優れている.たいていの統計ソフトでは,FACTORと命令さえすれば,ある限られた数の因子が出てくるので,それをそのまま書き移せば学会発表くらいはすぐできる.
例2) n.s.
「ノー・シグニフィカント」と読む。この印を見ると心理学者は意気消沈する.ことに自分の研究の結果を“おまかせソフト”で計算させている場合,結果の一覧表にn.s.しか存在しないともうダメ。
例3) 心理学
学ぶ前のものには親しみと希望を与え,学んだ者には困惑と失望を与える学問であるという(科学朝日より).
例4) 心理学者
近年の心理学は専門化が進んでおり,心理学者は自分が抱えている問題を好んで研究すると言われている.いわく,記憶の研究者には記憶力がなく,恥を研究している人は恥知らずである.また,社会性の研究者には社会性がなく,愛情の研究者には他者への愛情がない.言うまでもないことだが,心理学者は人の心がわからない.
こういうのだけ集めると全く"笑"えませんね(笑)。
血液型関係では例5) Cattell, R.B.
因子分析を用いて,知能や性格の研究をした人。
それぞれに,優れた業績がある.ただし,一時,16PFによって測られた性格と血液型とには関係があると発表したことがある.例6) Eysenck,H.J.
イギリスの生んだ最も有名な心理学者のひとり.
Cattell,R.B.と同じく,知能と性格の両分野にわたって優れた業績を残した.血液型と性格の関連を主張したところもそっくりである.基本的には遺伝論者であり,彼のFreud嫌いは有名.1997年9月死去.くらいかな。
あと、「S・Wの法則」というのもあるのですが、今一「笑い」としてこなれていない感じがします。
総じて「真面目なカオをしてヨタを飛ばす」類のジョークは不得手と見ました(笑)。
フロイトやユングには、心理学会でも強い批判があるようです。菊池聡さんの本でもかなり批判されていました。以下は、『不思議現象なぜ信じるのか』(北大路書房)の271ページからの引用です。
臨床心理学とは、さまざまな悩みをもつ人々が立ち直るための援助を心理療法やカウンセリングを通して行うのが目的です。ですから現場の切迫した要請に応えるため、科学的な方法論によらない独自の方法論が生まれました(実際には、科学的な方法論を重視する行動療法のような学派もあります。コラム20参照)。
ユング派の臨床家河合はこう説明しています。
「実際に悩みを抱え困っている人に対し、カウンセラーが「研究の対象」とする態度で接していたら、おそらく二度と相談に来ることはないだろうし、相談者の苦しみを共に感じつつ新しい可能性を見いだしてゆこうとする態度で接するからこそ、力ウンセリングガ良い結果をもたらすのである」★10
このような臨床心理学独特の考え方は「臨床の知」という言葉で表現されます。「臨床の知」とは「ただ、客観的にものを眺め、分析するのではなくて、自分が現場にコミットして相手との関係の中で考える、そういう知のあり方」★11です。この考え方では、研究対象と研究者は明確に区分できず、科学が重んじる分析性、客観性、普遍性はそれほど重視されません。悩みを抱えた患者を立ち直らせることこそ価値があることで、そのためには非科学的手法から、文学や哲学などの知識まで動員します。ユングの心理学がオカルト的要素をふんだんに含むのは、その観点から解釈しなければなりません。逆に一部の臨床家の中に臨床の理論を普遍的な知識として一般化しようとする態度が見られるのも妥当な考え方ではありません。★10 河合隼雄 1994 臨床心理学の現在 臨床心理学入門<こころの科学増刊> 日本評論社 Pp. 22-26.
★11 河合隼雄・中村雄二郎 1993 トポスの知 TBSブリタニカ
他の部分についてはノーコメントとさせていただきます…。
次は、みなさんからのメールからです。
ふつう
2.お気に入りのページ
心理の人と議論してるとこ
3.血液型と性格の関係は?
ない
4.メッセージ:
simaさんの立場はよくわかるなあ。
そもそも臨床心理においては性格類型がナンセンスなんだよね。社会心理とか性格心理とかだと好きみたいだけど。
人を分類するのはこれはみんな普段いろんな形で当然行ってて、性別とか服装とか学歴とか顔の感じとかで「こんな人かなあ」って思うのは当然だし、その中に血液型があってもいい。でもこれって認知における節約のため。節約はもちろん必要だし、なかったら情報が多すぎて整理できなくて混乱してパンクしちゃうよ。
ただ臨床心理の人間がクライエントと面した時は節約して決めつけることをしない。そこではその人はその人でありというありのままそのままだからね(当たり前なんだけど…)臨床心理においても病気の診断なんかの参考にする心理テストでは捉えやすくするために結果をタイプ別にするけど、その先の解釈は柔軟なものでクライエントのオリジナリティーをすごく大事にする。やっぱりありのままという基本姿勢がある。
で結局何がいいたかったかというと学問的なことではなくsimaさんは非情に臨床心理のベースの発想から発言してるなあと思うので、私は読んでて臨床心理士らしいなあと思った。疑ってる人もいるようだけどたぶん臨床心理士なんだろう。ちなみに私はまだ臨床心理士じゃない修士の2年。ただ臨床心理士でもいろんな考え方があるから「臨床心理士です!」とお題目に上げるのはどうも抵抗感があるなあ〜専門性振りかざすみたいで…
うつ病の患者さんは良くなると良いですね。ちょっとことでもうつ病の人にとっては自分を卑下する原因になっちゃうから。でも私でも朝の占いで悪いこといわれるとその日ちょっと気になるから、質の違いと言うより量の違いだよね。私はそういうのは全然異常じゃないと思うし、情報を気にできるだけの能力があるんだなあと思う。なるべくならいい方向に向かってる時にはそう言う情報にはさらしたくないねえ。でもまあそう言う世界で生きていくには最終的には自分のほしい情報だけ気にして嫌な情報は気にしなくなれる強さが目標だろうけど。
私の意見としては血液型は性格と関係ないと思うけど「あなたはこういう性格です」と子供の頃から(血液型占いって子供の頃からよく目にするでしょ)言われていると「そうなんだ」って認知してそうなっていく可能性はあるかなあと思います。私はB型なのでマイペースとか言われて、勝手でマイペースであっても「B型だから」で許されて誰も怒らなかったから、そうなっちゃったみたい…でもそうじゃない時もあるしいろいろ。性格なんてよくわからないよ。その時々や相手で変わるし。身勝手な彼氏もつと少し大人になってマイペース譲るのにも抵抗感なくなったりしてねえ。性格ってそもそもなんだろうねえ。
私は職探しで大変だよ。でも性別・容姿・血液型で断られたらそんなとここっちからお断りだよ。今はこんな気持ち〜
simaさんの「正体」については、ほぼ特定しているつもりですが、証明しようがないので意味がありません。ただ、ほぼ確実なのは、
これにより、執筆者全員が女性であるというのも考えにくいことになります。(^^;;
ところで、「私の意見としては血液型は性格と関係ないと思う」とのことですが、この根拠は何でしょうか?
それから、「子供の頃から(血液型占いって子供の頃からよく目にするでしょ)言われていると『そうなんだ』って認知してそうなっていく可能性はあるかなあと思います。」とのことですが、この考えはデータにより否定されている…はずです。
なお、クレッチマーの類型説については、simaさんは明確な否定はしていません。ご確認ください。
では、就職活動に頑張ってくださいね。(^^)