萩生寺蓮華通信 1
いま萩生寺は直径1メートルほどの大きな甕のなかで、大輪の蓮の花が、あでやかに、、いや違います、清らかに、、、咲いています。50個ほどの大甕のなかで、40種類の蓮
が生育していますが、いまざっと窓から数えてみますと、20数輪の蓮の花が見えます。蓮の花は、心を静寂にいざない、和ませてくれますね。
仏教のシンボルとして使われてきたことの意味がよくわかります。
蓮の花を眺めながら私はパソコンに向かってこれを書いています。なんて豊かな、贅沢な時間だろうと、こういう時間を与えてくださった何ものか、大きなものに自然と頭が下がる気持ちにさせられます。あなたはいまどんな環境でパソコンに向かっていられますか。
窓から、蓮の花は見えなくても、心に蓮の花を思い浮かべながら、読んでくださるとありがたいです。萩生寺のホームページから、蓮の美しい花を印刷されて、眺めてくださると、もっといいかと思います。
パソコンを使う人は、ここ数年で飛躍的に増えましたが、パソコンを購入して使えるように
なるまで、かなり時間がかかります。あっという間に上達するのは、こどもや若い人ですが
中年から高年にさしかかると、どうしてももたつきますね。
でも中高年のユーザーがメールのやりとりがやっとできるようになったときの嬉しさは、は
かり知れないものがあります。
パソコンを使って、メールを送ってみましょう。さてだれに送る?ということもあります。
互いに離れてくらしている親子でやりとり、友人とやりとり、いろいろ考えられますが、相手
がなかなか見つからないというひとも、かなりあることも確かです。
パソコンは買って練習したものの、することがなくて、やがてただの箱になってしまうことも
多いのは確かです。
パソコンの使い方がわかる、というのには二通り以上の意味があります。
マウスやキーの操作ができ、ソフトを使うことができる、これが第一段階の一つ。
もうひとつの意味は、それが出来た上で、パソコンを人生の有用な伴侶、道具と使いこなす
ということです。家計簿をつける、日記をつける、友人とメールのやり取りをする。 語学の学習をする。小説を書く。詩を書く。絵を描く。俳句を書く。ゲームをする。写真を焼く。やることは無数にありますが、さて、あなたはどのレベルで、パソコンを楽しめるでしょうか。
メールについて
あなたはだれかと毎日のように手紙や葉書をやりとりするでしょうか?
一年にだれか特定のひとに100通を超える手紙を書く、なんてことはまずないですね。
だれかから手紙をもらったり、贈物をいただいてもなかなか葉書いちまい書けないものですね。
不義理してしまいます。筆不精だというのは、たいていのひとが口にすることばですね。でもメールなら違います。パソコンを使えるようになると、返事をすぐ出すようになるから不思議
です。返事を出す、ということは責任を果たすということを意味します。
英語では、責任のことをレスポンシビりティといいますが、これは「レスポンス=応答する」
「アビリティ=能力がある」という言葉が一つになって、責任という意味なんです。
責任とはきちんと応答できる能力のことなんですね。パソコンはあなたに責任をとる能力を与
えてくれる、不思議な箱だといえます。
だれでもメールをやりとりできるようになると、パソコンの良さがわかってきます。
さあ、あなたもキーボードに向かって、能力をさらに発揮できるようになりましょう。
今日はここまで。またあいましょうね。