八尾テレマーク研究会

活動記録(第6シーズン)

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H16.6.13 第55回研究会「マットの季節 〜マットの掟〜」
 いつかはやってくるシーズンオフ。しかし、シーズン終わりと同時に八尾テレの次のシーズンは始まります。恐怖と共に・・・。
 遂に突入した第6シーズンの研究会は台風一過の物凄く天気の良い日に決行されました。しかし、チケットを購入して遊らんど坂内村スキー場のリフトで登っていく時、なぜか胸の動機が治まりませんでした。そうです、体はマットスキーの恐ろしさを覚えていたのです。
 雪のシーズンが終わったばかりというのに、なぜか遊らんどのマットスキー場には、たくさんのスキーヤーが来ていました。どうやら講習会が開かれていたようです。大勢の視線を感じながらのテレ・マット・スキーは更に緊張度の高いものとなり、いつも以上に疲れました(あぁ〜自意識過剰!)

恐怖の季節が始まった・・・
 「間違いなく坂内村のマットは日本一難しいでしょう。」ほんとアップカンナベのフラットな斜面が懐かしいです。ウエーブバーンでなければ大屋の方が滑りやすいでしょう。しかし、三重県からはここが一番近いので仕方ありません。
 今回の教訓
=スキーのエッジは研ぎましょう。そして後ろ足に神経を分配しましょう。そうすればマットスキーはずらしながら転ばずに滑れます。ただしあのアルペンスキーヤーのようにカービングターンは一生できないと思います。カービングの板を持ってくるなら話は別ですが・・・。
 次回のマットスキーは10月に行う予定です。それまでに鍛えておきましょう・・・一体どこを?・・・根性を!

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H16.8.11〜12 第56回研究会「テレマーク・バカ3人」
 ことの発端は立山BCから帰る車中でのことでした。永年メンバーとなった28號「kimuchi」氏がMTB乗りであることが発覚し、「それじゃ!夏の乗鞍はテレ板担いでMTBで乗鞍をヒルクライムしよう!」なんて嘘とも本当ともつかぬことで盛り上がってしまったのです。いつの間にかそれは「プロジェクトX」として計画され、雪が少ないのならかえって好都合(教祖談)!と決行されることになりました。(まさに神への冒涜です)

 第1日目
 朝の5時に伊勢を出発し、長野県側の乗鞍登山口(観光センター)に到着したのは14時でした。「・・・ん、時間計算がおかしくない?」実は風邪気味のエヴィンの代わりに教祖Jが車のハンドルを握ったため、高速代をケチった上に下道で迷いまくって、、、、うたた寝していたのでよく分かりませんでしたが、どうやら教祖様はメビウスリンクをひた走っていたようです。

メビウスリンクの狭間にて
 現地集合の28號キムチ氏は10時頃には到着していたらしいのに申し訳ないことをしました。結局この日は空身で三本滝までヒルクライムし、MTBと体調を確認することにしたのですが、キムチ氏はすでに一本登っていたようで、更に申し訳ないことをしました。
 その夜、風邪気味にも関わらず温泉で長湯をしたため悪寒が走ったエヴィンは高熱を発してダウン。そのまま寝込んでしまいましたが、残る2人はキャンプ感覚で盛り上がっていたようです。実は宿泊場所が確保できなかったのでテント泊だったのです。幸か不幸かゴアと羽毛のシュラフは風邪には良かったらしく、朝までにエヴィンの熱は下がってしまいました。(でも具合は良くなかったです)

 第2日目
 普通だったら、朝方まで高熱で寝込んでいた人間が、スキー板を担いでMTBで乗鞍岳をヒルクライムするなんて異常ですが(おそらく普通の人なら制止するはず)、他の2人の頭も異常だったらしく、「バスで先に行っててください」と言うような、いたわりの言葉は一切ありませんでした(;;)。当然一緒にヒルクライムするんですよねという空気にエヴィンももしかして大丈夫かも?なんて勘違いしてしまい、気が付くとMTBで出発してしまいました。テレマーク・バカ3人のヒルクライムの苦しみはご想像にお任せします。

ヒルクライム
 板を担いでヒルクライムしている人は皆無で、さらに教祖Jのようにサンダル履いて折り畳み自伝車でヒルクライムしている人はもっと珍しいようで、他のヒルクライマーから暖かい声援(と、ちょっと頭のネジ緩んでるじゃないの?という笑い)を受けながら乗鞍大雪渓に到着したのは出発から4時間以上経ってからでした。おまけに教祖様はついでだからと言って一番上の駐車場まで登って行ってしまいました。あの無意味な体力は何処から出てくるのか・・・(ほんとついていけません)
立山はバスで登りましょう
 大雪渓は例年の1/3くらいで、急斜面の所しか残っていませんでした。おまけにヘトヘトで登る元気も滑る体力もなく、結局3人で5本だけ滑ってテレマーク・セッションは終了しました。おまけに写真を撮るのも忘れました(^^; まあ、今年は滑るよりも自転車がメインだったのでこれも良いでしょう。しばらく噂を聞かなかった乗鞍テレマーク・バムと呼ばれる方にも、思いがけずお会いすることができたので、収穫は多かった研究会でした。
 自宅に戻ると再び高熱を発したエヴィンは盆休みを全て棒に振りましたとさ♪(当然の報い) 

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H16.12.5 第57回研究会「突然の拉致スキー」
 暖冬で昼間は半袖でも問題ない伊勢。なぜか台風から変わった温帯低気圧の影響を受け、大荒れの天気の土曜日の夕方、八尾テレ広報エヴィンの元に1本のeメールが届いた。
 「明日、鷲が岳へ滑りに行きましょう」・・・・教祖様からの赤紙メールであった。オソロシヤ〜。。。
 友人と居酒屋で楽しいひとときを送っていたエヴィンの顔が青ざめ、慌てて天気予報を確認するともちろん「雨」だったので、その場にいた友人に相談すると、
 「明日スキーに行くなんて、アホとちゃうか?いい加減、頭のネジ締め直した方がええよ!」と散々バカにされたため、教祖に「天気悪いから・・・云々」とメールを返すと、
 「天気は回復します!・・・云々」
という、根拠も何もない滅茶苦茶なメールが返ってきた(絶句)。結局、日曜の朝5時の天気(予報)で決めることにして、その場を取り繕うことになったのであった。

 翌朝、朝5時。外は昨晩来から台風並の風が吹き荒れ、とうてい滑りに行くような天気では無かったので、「よしよし」と二度寝に入ったエヴィンの携帯電話が鳴った。
 「行きましょう!」 
教祖からであった。(ネジを締めないといけないのは絶対、彼だ!)
 インターネットで天気予報を確認すると、平野部は晴れるかもしれないが、山間部は間違いなく雨!
 「気は確かですか!?」
電波状態のせいにして電話を切った2分後に再び「行きましょうよ〜」と悪魔のささやきコールがかかり(許してくれ〜)、いつの間にか拉致されたエヴィンは暗雲立ちこめる鷲ヶ岳スキー場へ向かっていたのであった。(一部フィクションあり)

鷲ヶ岳スキー場
 奥美濃エリアのスキー場の特徴は、ボーダーさんが関西圏にも増して多いことでしょう。鷲ヶ岳スキー場の人工雪ゲレンデがいくら1.5kmの滑走距離があると言っても、その幅は20m位?なので、シーズン初滑りとしては、とても悪い状況です。最初の1〜2本は「こんな筈では無かったのに状態」になったのは言うまでもありません。
 ひとつ良い出来事。二人組のテレマーカーさんと意気投合し、一緒に滑ることができました。教祖の魔の手に掛かった可哀相な方と言うことで、29,30號として登録させて頂きました。教祖ウィルスに感染したのは間違いなく、これからのテレマーク人生でそのウィルスが発症しないことを心よりお祈り申し上げます。
 エヴィンの予想通り天気はいつまで経っても回復せず、2005シーズンの初滑りは終日雨の中になってしまいました。それでも結構な数の人が滑りに来ておられたのには驚きでした。

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H16.12.18 第58回研究会「秋空の御岳遠征」
 拉致スキー(57回研究会)にてメンバーに加わっていただいた30號の「ぎんちょりん」さんのお誘いにより、御岳マイアの上質な人工雪にて第58回目の研究会を実施しました。残念ながら教祖様はあまりに遠いために来ることはできませんでしたが、伊吹山の麓から9號の「まこちゃん」にもお出ましいただき、ほとんど秋空のような快晴のもと、3人で楽しくすべることができました。

御岳マイア
 さすがに御岳まで来ると、アイスクラッシャーなんて無粋な造雪機ではなく、噴霧器により人工降雪させているため、雪質は自然に近いうえ、奥美濃辺りと比べると圧倒的に人も少なくて、とても快適です。途中からスノボーをテレマークに履き替えた29號の「黒飴マン」さんとも合流し、お互いの板を替えっこしながら、それぞれの板のインプレッションを交換しあうという、未だかつて無い研究会らしいことまでしてしまいました(^^;個人的にはBDのミラが気に入りました。)
 充実した1日でしたが更に物凄い発見を、帰りの中津川インター付近にある「びっくりドンキー」(ハンバーグ屋さん)ですることになります。なんと、ここのお店の中には「スキー博物館」に展示してあるようなクラシカルな木製の板が、無造作に壁に打ち付けてあるのです。メイド・イン・ノルウェーの文字も見られ、こんな貴重な?板に穴を開けて壁に打ち付けたら、神様の怒りが落ちるのでは無いかと心配するくらいですが、店は繁盛していました。(なぜ?・・・はっ!)

 エヴィン:「み、みんな、この板を見るために、この店に来てるのかな〜?」(ちょっと興奮気味)
 ぎんちょりん:「そんなわきゃないでしょう!」(こいつマジか?^^#)

 是非、中央道中津川IC付近に行かれた方は「びっくりドンキー」へ行ってみてください。別にお店のまわし者ではありませんが・・・・

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H17.1.3〜7 第59回研究会「テレマーク・バム」
 スキーするだけに生きているような人のことをスキーバムって言うそうですが、その元祖はあのソンドレ・ノーハイムだとか・・・。平成17年の幕開け、日本スキー発祥の地「野沢温泉スキー場」周辺にて5日間連続滑走を達成し、まさにテレマーク・バムのような生活を送りました。果たして現実世界に復活することが出来たのでしょうか?

第一日目:鍋倉山
 以前から八尾テレにアクセスしていただいていた野沢温泉のノブさん(31號)の招待により、野沢温泉に近い鍋倉山ツアーに挑戦。体力不足とブッシュにより苦戦しつつもなんとか登頂に成功しました。まあ、この地方のスキーが上手くないというのは、近畿地区でのかなりと言うか相当に上手い人というイメージです。(スキーをやるというのは、レースをやるという意味で、ほとんどプロの世界)

メジャーになりつつある鍋倉山
 まだハイシーズンでないためブッシュが進路をふさぐ新雪の中を、革靴で高速滑走している姿を目の当たりにして、改めてテレマークスキーの奥深さを感じてしまいました。やはり玄人は革靴です。それが大人ってもんです。

第二日目:野沢温泉スキー場
 二日目はノブさんと分かれて野沢温泉スキー場へ。野沢温泉スキー場と言えばテレマークを始めて2シーズン目に遠征したことがある思い出深いスキー場ですが、シュナイダー・コースでは1ターンしただけで下まで転がり落ちてしまった苦い経験のあるスキー場でもあります。今回ショート・ターンで下まで滑り降りることができ、4年越しのリベンジを果たすことができました(^^)/

第三、四日目:さかえ倶楽部スキー場
 ここまで晴天が続いていた奥信州地区も二日目の夜から雪になり、三日目からは柔らかい新雪の上での滑走が待っていました。さかえ倶楽部スキー場は野沢温泉よりも更に奥地のスキー場ですが、日本屈指の豪雪地帯であるにも関わらずマイナーなスキー場であるがゆえに、ゲレンデ横の駐車場はタダで、リフト代激安、レストハウス空席多し、近くの温泉300円と合宿するには最高のスキー場でありました。
 おまけに新雪ゾーンにはほとんど人が入ってこない状態で(滑っている人はほとんどポール練習)、2〜3人のボーダーと新雪を滑りまくりましたが、予定を変更して二日間滑ったにも関わらず全てを滑り尽くすことは叶いませんでした。営業開始後1時間で新雪が無くなってしまうメジャースキー場とはえらい違いです。雪質も軽く、ここで初めて踏み切れない雪と言うのも味わいました。踏んでも踏んでも底に当たらない雪は、まさに空中を浮遊するような感覚で、最初は転げまくりましたが、緩めの斜面から段階的に練習するとリズムが分かってきてドンドン滑れるようになります。はっきり言って新雪滑りは経験(と体力)だけです。技術はほとんどいりません(多分)。二日目の少し締まりかけた新雪ではイルカのように雪の上を跳ね続けることさえ可能でした。
 そして、「スカルパのエクスプレッソ!」
最強の革靴でした。ひも締めのみの革靴で快適にパウダーが滑れるのは、こいつだけでしょう。馬の耳のように突き出た後ろのサポートにより、バランスを崩したときのリカバリーも可能です。ほんと、革靴バンザイ!
 今までの人生経験ではサイコーのスキーでした。

第五日目:黒姫高原スノーパーク
 はっきり言って二日間のパウダー遊びで滑る体力は残っていなかったのですが、下から眺めると黒姫高原の上部に新雪ゾーンが大量に残っているのが見えたので、初体験となる五日間連続滑走に突入してしまいました。ところがリフトで登ってみると、最上部のリフトが廃止されているために新雪が残っていることが判明(悲)。

黒姫に3匹目のドジョウはいなかった・・・
 板を担いで登る体力も残っていなかったので(登っても転げ落ちてくる可能性大)、圧雪バーンでのカービング練習をすることにしましたが、すぐに飽きてしまいます。
 「人生良いことばっかりは続かない、鍛えなければ体力も続かない。」

 ところで黒姫には常設のテレマーク・スクールがあるようで、ちらっとテレマーカーの姿も見ることが出来ました。しかし天気も悪化し霧とみぞれで快適な滑走も出来なくなったので、ついにプチ・テレマークバム生活も終焉を迎えることになります。おそらく次の日はまた新雪が降り積もったのでしょうが・・・・これ以上滑っていたら社会復帰出来なくなったでしょう。

 夢のような生活から奇跡的に無事に伊勢にたどり着く事が出来ましたが、やはりオフ・シーズンの体力錬成は重要だと感じた遠征でした。体を鍛えておけばもっともっと楽しめたでしょう。技術だ何だと言いますが結局素人は体力勝負です。その意味で夏場のモチベーション維持は重要ですね。やっぱり。

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H17.2.5〜6 第60回研究会「伊吹山トラップ」
 ゴンドラで伊吹山スキー場に登っている間は、視界が10m以下で、こんな状態で伊吹山に登ったら遭難するかもしれないし、それ以前にまともに滑ることもできので、今回の研究会はゲレンデで練習するしかないだろうと思っていました。
 ところが、ゴンドラ駅を降りると、突然霧が晴れだして、今まで見たこともないほど真っ白に雪を被った伊吹山が姿を現したのです。ここで、教祖Jが一言
 「もう、天気を悪くするような要因はない。これから天気は回復するであろう!」
 大嘘でした・・・。今回集まっていただいた9號のまこちゃんと30號のぎんちょりんさんと合流し、先行者のトレースをたどり始めた頃には再び伊吹山は濃霧の中にその身を隠してしまったのでした。

伊吹の生け贄
 いつも通り先行者のトレースをたどろうと甘い考えを持っていた教祖Jとエヴィンはシールを持参していなかったので、僅かな踏み跡を探しながらツボ足で山頂を目指しますが、先行者のグループが「天気も悪いしここらで昼食にして下山しますかぁ〜」なんて止まってからは腰までラッセルとなってしまいました。それでも革靴のエヴィンは初めての腰までラッセルに燃えていたのですが、プラ靴の教祖Jは相当苦労していたようです。(革靴を裏切るから天罰が下ったのです。間違いない!)
 気が付くと教祖の姿は無く、後ろからトレースを辿ってきているのは2人のボーダーでした。なぜ?自分でルートを開拓する喜びに身を浸しながら「私についてきなさい!」なんて思いながら、さらに登るとようやく雪が堅くなってきて勾配がきつくなり稜線が近づいているのが感じられました。ここで「エヴィンさ〜ん」と呼ぶ声に気が付くと、シール登坂から板を担ぐ準備をしていた9&30號さんでした。ここからは一緒に山頂を目指すことにしますが、はっきり言ってこの天候では山頂に登ったところで、歩いて降りるしかなかったでしょう。それでも上を目指したのは「そこに山があるから」としか言いようがありません。すっかり頭の中は雪山登山モードに切り替わっていたので、「なんかのビデオみたいやな〜」なんて吹雪を楽しむ余裕さえでてきました。
稜線にて
 稜線(9合目)に出ると、今まで経験したことの無いような凄い風が吹いていました。到底立ってはいられず、しゃがみ込むと見る見る服が凍り付いていくのが分かります。視界はほとんどなく、もしこのまま山頂に行ってしまうと、降り口を発見できるか怪しいのでどうしたものかと迷っていると、少し下で教祖Jと合流したらしい「ぎんちょりんさん」から撤退メールが届いたので、山頂を踏むことなく下山することにしました。しかし、こんな天気だと伊吹山で遭難が起こっても不思議ではないでしょう。改めて厳冬期の山登りの厳しさを実感することができました。
 途中でスキーを付けて滑りましたが、今までで最高の積雪量でブッシュも少なく、視界さえ良ければ最高の雪原が広がっていて気持ちよく滑れたかもしれません。残念ながら今回はフィッシャーの細板にエクスプレッソ(革靴)という慣れない道具であり、少し重めの湿雪と悪視界によってまともに滑ることは出来ませんでした。毎年登っている伊吹山ですが、毎回まともに滑れないからまた行きたくなるんでしょうね。来年もまたチャレンジしたいものです。

 次の日に奥伊吹スキー場へ向かう途中に眺めた伊吹山はスッキリ山頂まで見えて、絶好の登山日和だったのですが、前日消耗しきった体では断念せざるをえませんでした。
こんな日に登りたかった・・・

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H17.5.7〜8 第61回研究会「乗鞍・摩利支天岳」
 今にして思えば今シーズンの八尾テレは、なんの目標・テーマもなくズルズルと活動(と呼べるほどのこともしていませんが)してしまったため、結局、3、4月は何もしないまま終わってしまいました。この間HPも更新しなくて申し訳ありませんでした。全くネタが(暇も)なかったもので・・・
 特にシーズン後半は各地大量の雪にも恵まれたようですが、広報のエヴィンに至っては、2月初めの伊吹山以来、一度も滑りに行けず結局、ビバレ・ホームゲレンデの研究会も中止としてしまいました。しかし、さすがにGW恒例のBC合宿研究会だけは、シーズン終了の結節でもあるので、以前実施したことのある乗鞍岳で決行することにしました。第6シーズンの活動は今回で終了ですが、八尾テレの活動としてはかろうじて形になったと思い胸を撫でおろしています。
 伊勢に拠点を構える限り、来シーズンの活動も低迷することが予想されますが、テレマーク・スキーの更なる勢力拡大のため、しっかりとした目標を立てて、可能な限り踵解放戦線に身を投じる覚悟ですので、これからもよろしくお願い致します。それでは以下に研究会の詳細を報告します。

 <前日まで:調整不足>
 教祖:ジョニー「乗鞍研究会は6,7,8日でいいですよね?」
 広報:エヴィン「えぇ〜、週末って言ってたので6日の金曜日は仕事入れちゃいましたよ〜」
 教祖:ジョニー「はぁ〜、仕方ないですね。キムチ君も直前に連絡したため、予定が入ってるらしく、今回の研究会はまたまた二人だけになりそうです(さみしー)。」
 広報:エヴィン「じゃあ、せめて6日の夜に出発して、二日間思いっきり楽しみましょうよ」

 しかし結局、6日は全国的に大荒れの天気になり、出発は7日の早朝となったのだった。

 <一日目:冬山の掟>
 7日早朝04:30に伊勢を出発したが、乗鞍岳の三本滝駐車場に到着し昼食をとって山頂アタックを開始したのは12時を過ぎていた。午前中は雨が降っていたらしい乗鞍岳もすっかり快晴になって雪もいい具合に緩んでいる。山を完全になめまくっていた二人組は、「日没(18:45)までに降りてくればいいだろう」なんて軽く考え、「今回はGPSもあるので迷うことはなく3時間もあれば山頂だろう。休憩を考えると山頂到着は16:00頃かな?」と、自分たちの体力について「根拠の無い自信」だけは持っていたのだった。
 ところが3時間経ってもまだ計画の半分くらいまでしかたどり着いていなかった。。。
 「おかしいな〜」
 30分くらい先行していた二人組は途中で折り返して、滑り降りてしまったため、周りには人の姿はなく、柔らかかった雪も少しづつ堅くなっているような気がした。夏場に大雪渓が残るところで太陽は目線の高さまで落ち、すでに時は16:30。山頂はまだ遙か彼方に見え、体力的にも限界に来ていたので、明日もあることだし撤退することにした。が、時すでに遅し!雪はカチカチのアイスバーンに豹変していたのだった(ああ神様〜)。
 何とか滑れたのは樹林帯に入るまで・・・今回の装備は細板に革靴ではなくプラ・ブーツに幅広の板だったのでアイスバーンでも滑れると勘違いしていたが、よく考えたら圧雪してあるアイスバーンは滑れても、ガタガタ・ボコボコ・スプーンエッジのアイスバーンなんて滑れるはずもなかったのだ。

時間計算甘く見積もりすぎて、大雪渓にて日が沈む・・・・
 「冬山では午後になって新しい行動を起こすな」(新田次郎「冬山の掟」より)という言葉が思い出された。おそらく昼過ぎから、のこのこ登っていった我々2人組を下山中の人たちは「苦労するぞ〜」とほくそ笑んでいたに違いない(ものすごい被害妄想^^;)。ただし、カチカチ・ボコボコの斜面でも難なく滑っていったアルペン・スキーヤーの方もおられたので、やはり我々の技術が未熟であったのだろう。
 誰にも見られていないことを確認するとジョニーは禁断奥義「アルペン滑り」、エヴィンは必殺「木の葉落とし(かっちょわりー)」でかろうじて生きて下山することだけはできたのだった。
 夜は満天の星空の下で、レストハウスの軒下に寝袋にくるまってで就寝(貧乏人)。途中、駐車場が騒がしくなったようで、ジョニーはしっかり眠れなかったようだ。しかし、夜空の星があんなにたくさん輝いているのは、こんなところで夜を過ごさないと一生気がつかなかったに違いない。

 <二日目:心に偽りのピーク>
 春山の朝は早い。4時過ぎにはそろそろ明るくなりかけていたが、起き出したのは5時半過ぎ、朝食をとったりしているうちに結局、登り始めは7時すぎになってしまった(前日の教訓が生かされていない)。まあ今日は、登りに5時間かかっても昼には山頂である。今度こそ全く問題ないだろう。
 三本滝で準備していると、思いがけず29號の「みゃあ」さんが現れた。近況などを話している内に、8時くらいから三本滝から除雪が終わっている位ヶ原までバスが出ているという情報を得た。ただし期待をこめて教祖(ジョニー)に伺いをたてると、「歩きやしょう(お金がもったいないし・・・)」とのことだったので、計画通り歩いて山頂を目指すことになる・・・(がっかりしたような、ほっとしたような)
 やはり、二人の体力は低下しているようだった。30分以上「みゃあ」さんより先に出発したのに「あっ」という間に追いつかれて、追い抜かれて、気がつくと姿も見えなくなってしまったのだ(驚愕の体力)。体力も落ちていたが、今回初めてプラ・ブーツを履いたのが体の負担になったのかもしれない。やはり春山は革靴がいいと思う。(特にエヴィンは新品のプラブーツ使用で靴擦れになっていた。←普通やりませんよね、こんなこと。山なめまくり)

鞍部を目指す
 ようやく肩ノ小屋が見え始めた頃には、バスで上がってきた連中に先を越される始末で、すでに体力も限界ぎりぎり。遙か彼方の剣ヶ峰を眺めて絶望感に浸っている時に、教祖(ジョニー)様が「むー、摩利支天岳が我を呼んでいる。あっちの斜面を滑りやしょう」とこれまでの付き合いの中で初めてに近いくらいのナイス判断を下したので、目的を変更して摩利支天岳へ向かうことになった。奇しくもそのピークは初めて登った時に間違えて目指した山であるくらいなので、素人には本当に滑りやすい斜面が広がっていたのである。
剣が峰に比べるとなだらかで均一なバーンが広がる摩利支天岳
 結局、摩利支天岳の山頂も雪が無くて岩がごろごろしているため、その横のちょっとしたピークに立って登頂したことにした(^^;気がつくと時計はすでに12:00を指している。おそらく剣ヶ峰を目指していたら、あと1時間はかかったことだろう。
 ちょっといい話。摩利支天岳から眺める不消(きえず)ヶ池の眺めは美しかった。図らずも前回とは別のピークを目指したことにより、乗鞍岳の新しい顔を発見することができたのだった。今回は体力が持たないので断念したが、今度来るときは「お鉢滑りの要領で池まで滑り降りて、池の水を飲みましょう(病気になるかもしれないけど)」などと教祖様と約束して、三本滝への楽しい滑走へと移行した。
早くも決定!?来年の目標
 雪質によってこんなに変わるのか・・・ってくらい楽しい滑走だった。昨日あんなに苦労した斜面も雪が柔らかいと全然怖くない。テレマーク・スキーの大敵はやっぱりアイス・バーンであることを再認識して今シーズンの活動を終了することになった。
 「あっ、みゃあさん、剣ヶ峰行かなくて(裏切って)すみません。」

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1.テレ研とは 2.メンバー紹介 4.道具について 5.今後の予定

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