八尾テレマーク研究会

活動記録(第5シーズン)

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H15.5.17 第43回研究会「ブラシの季節〜サマーシーズン〜」
 八尾テレの凄いところはシーズンオフが無いところなんですよ!
 しかし、シーズンの始まりに暗雲が立ちこめるような事件が発生しました。大屋に向かう途中、コンビニに入ろうと減速してハンドルを切った瞬間、急にハンドルが重くなって・・・なんと!車検が終わったばかりのエヴィン3号車のエンジンが停止してしまったのです。「は〜ん、前進中にエンストするなんて・・・、どんな整備をしてくれはりましたん?」マニュアルミッションのエヴィン3号車は、ニュートラルでアクセルを離すと回転数が一気に下がってエンストしてしまうようになっていたのです(;;)
 整備してくれたガソ・スタに向かう途中にエンジンが暖まったのか段々調子よくなり、それ以降は問題なくなったので、クレームは出さなかったのですが、安易なユーザー車検の代行を頼むのは考え物ですね。みなさんも値段の安さに惑わされないように注意しましょう(^^;

早くも03/04シーズン・イン!
 こんなトラブルのため昼過ぎに大屋に到着すると、ブラシマスターのタックさんは桜吹雪の悪夢を乗り越え、スイスイ滑っておられました。(タックさん遅れてスミマセン)
 「負けてはおれん!」と板を取り出しいつもの調子で「とうっ!」とばかりエントリー。。。ズリズリズリ・・・・ザザッー・・・・忘れてました、大屋プラスノーの厳しさを・・・雪のように誤魔化しききません、エッジもすぐ抜けます。プラスノーもテレマークと同じく奥が深いですね〜。いつになったらウエーブ・バーンが滑れるようになるのでしょうか?今回も風呂に入るときに左腕の20cmに渡る擦り傷に気付くことになりました。
 やはり腕にもプロテクターが必要なのか・・・?

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H15.8.10〜11 第44回研究会「夏合宿in乗鞍大雪渓」
 毎年計画しながらポシャッていた真夏の乗鞍合宿を、奇跡的にとり行うことが出来ました
 (^^)/

 予定していた9日は台風が日本列島を直撃し、「やっぱり今年もダメですかね。。。。」って早々に諦めたエヴィンを教祖Jが一喝!一日遅れで乗鞍へ乗り込む事になったのです。到着は昼前、今年からマイカー規制がかかりバスでしか山頂へは行けないため、下の駐車場に車を置いてバスに乗り込みます。スキー板を持っているのは我々2人のみ。「いくら涼しいといっても、こんな真夏にわざわざバスに乗りかえてまでスキーに行くバカもいないのかな〜」なんて話しながら大雪渓に到着すると、いるんですね〜(^^)まあ、例年より圧倒的に人は少ないようで、広々とした雪渓は相当に気合いの入った人だけの楽園でした。「えぇ〜えぇ〜楽園でしたとも。。。」息が苦しくて30分に1本くらいしか滑れなくても、この時期に雪の上を滑れるんですから。。。。

八尾テレの乗鞍スタイル
 実はテレマークのグループの方もいらしたんです。でも、見るからに急斜面を奇声を上げて滑っておられるのに・・・こっちは革靴+ニッカボッカ+一本杖(エヴィン)なので、端っこの緩斜面で練習することにしました。しかし、あの集団が関東では泣く子も黙るバッテレ隊だったとわっ!
 帰りのバスでご一緒して、少しだけお話をさせていただきましたが、想像以上の方でした。我々とはスケールが違います。ごめんなさいm(_ _)mって感じです。道具も極悪!シャモジを長くしたような板は、ポケ・ロケが普通の板に見えるほど。。。僕らの倍くらいはあるような幅広の板です。あんな板で滑るには半端じゃないパワーが必要ですねぇ。
バッテレ隊にバッテリ遭遇!スンマセン
 2日目は、雨が降ったり、濃霧になったりでさっぱりでした。まあ、初日のピーカンとセットで、いろんな乗鞍を楽しめたと言うことで良しとしましょう。雨が激しく降ってきた時は「何でこんなきついことしに来てんだろう」とおきまりの自問自答モードになりましたが、来年もまた夏になったら滑りに来たくなるんでしょうね。。。
 早々に終了してバス停に降りて来た瞬間に天気が回復したのも"お約束"どおり!

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H15.9.13 第45回研究会「マット・スキーin遊ランド」
 4時半に目覚ましが鳴り目を覚ますと、窓の外は雷で輝き、時折激しく降る雨が現在日本海を北進中の台風14号の勢力の強さを物語っているかのようだった。「今日は中止だな。」そう思って目を閉じた瞬間に携帯電話がピピッと鳴った。「早く出てきてくださいよ。もう家の前で待ってるんですから」
 教祖Jの声だった。。。
 「岐阜県に日本最北限の人工芝スキー場あり」という情報を入手した教祖Jに拉致された私は、気が付けば人工芝の上を滑っていました。決して自分の意志ではありません(;;)。(エヴィン談)
 こうして始まった第45回研究会は奇跡的に天気も回復し、八尾テレ研は第4の人工芝スキー場を開拓することに成功しました。

夏こそ人工芝スキー
 おおっ、このスキー場では人工芝スキーの事を「マット・スキー」と呼ぶようです。今は亡き比叡山ではアストロ・スキー、大屋はブラシ(プラスノー)・スキー、アップかんなべはプラスノー・スキーと呼び方はバラバラですが、人工芝を滑ることには変わりありません。「八尾テレの原点はオフシーズンにあり!」という事を再認識した1日でした。1本1本真剣勝負!転けたら地獄が待っている。ズリーーーー。。。
 「マット・スキー」=「マッド・スキー」かも・・・

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H15.10.11 第46回研究会「桜吹雪再び」
 いつものように6時頃から流れるラジヲの音に耳を傾けながら、気怠げな土曜日の朝。。。
 。「えっ、6時過ぎ!?」今日は5時にスキーに出発するはずだったのでは(汗;;;;ということで、第46回目の研究会は午前券でのスキーは中止して、午後券による練習となりました。だって、伊勢から坂内村までは4時間もかかるんですよ。ジョニー、タックさんスミマセン。。。

強力メンバー「タック」さんを迎えて
 到着すると既にタックさんはひと滑り終えていました(遅れてスミマセン)。しかし、相変わらず遊ランドの斜面は凶悪です。ここでまともにエッジを立てて滑るのはアルペンでも難しいでしょう。メチャメチャ上手いカービングターンをしている人もいましたが、そう言う人は人種が違うと言うことで・・・(^^;
 で、今度は目撃したんです。タックさんの桜吹雪刻印現場を。。。傷だらけのBDの板からビンディングが抜け落ち・・・これ以上は言えません。まあ32回研究会の時ほどほどでは無かったようですが、改めて軍神「タック」の懐の深さを実感した研究会でした。
 私の体にも桜吹雪が刻まれていたのに気が付いたのは、帰りの温泉でやけにお湯が沁みた時でした。

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H15.11.16 第47回研究会「最速シーズン・イン」
 知っての通り八尾テレはオールシーズン・テレマークが売りなのですが、やはり雪の上を滑るのは特別なものを感じてしまいます。今年からスキーには不便な三重県の伊勢市に本拠地を移してしまいましたが、そのおかげで岐阜のスキー場にて、雪上での最速シーズン・インを迎えることができました。
 鷲ヶ岳スキー場には「日本最大級アイスクラッシャーシステム導入!」の甘い言葉に誘われて、たくさんのボーダーさん達が集結していました。なんと奥美濃エリア・スキー場のボーダー占有率は90%を越えるそうです。関西でも最近はカービングとスノブレでこれほどボーダーは多くないのに・・・ちょっとカルチャーショックでしたが、だからこそ布教のし甲斐もあると言うものです。クラシカルな細板と革靴が吼えるというものです。
 ところで今回の研究会には新たなテレマーカーさん3人と合流することが出来ました(^^)/

RIGHTメンバー完成!
18號「石さん」: なんと革靴とウロコ付き細板で登場!初滑りに細板ウロコ付きで来る勇気は1&2號にもありません。男魅せてもらいました!
19號「けんいっちゃん」: 洗練されたテレマーク・スタイル。今は関東に行ってしまった師範代「しんちゃん」を彷彿させる滑りでした。しかし華麗な転倒はしんちゃんを越えたか!?(見ました:目撃者エヴィン談)
20號「hottaさん」: やはりアルペンから昇華した華麗なテレマーク・スタイル。軸がぶれない上半身にワイルドさが加わって格好いい!
 ということでRIGHTメンバー20名達成!これをもって、八尾テレはメンバー制から脱却して、スキー場等で知り合いになった方をLEFTメンバーとして登録する形式に脱皮します。意味がよく分からないと思いますが、要するにテレ研は聖地「八尾」を離れ実体のないクラブになってしまったので、これから1&2號と遊んでくれた方をHPで紹介する形に路線変更するということです。(ますます分かりませんか?)実体についてはいずれ・・・
初滑りということで・・・
 1號と2號は今回の研究会に細板&革靴の正装で挑みましたが、今シーズンの八尾テレのキーワードは「先祖返り!」ということで、ますますパワーアップするクラシカル・スタイルにご期待ください。革靴による転倒法(スライディング、板クロス、ボトム・ダウン、前転、顔面制動、ストック・パンチ)を全て実践し、次の日から全身筋肉痛になったのは言うまでもありません。

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H15.12.27 第48回研究会「猛吹雪の洗礼」
 シーズンインは早かったのですが弐號の予定が合わず、今シーズンの2回目で2003年最後の研究会は、2004年も押し迫った12月27日となってしまいました。
 今回の目玉はなんと言っても「御在所スキー場」で行うことでしょう。三重県唯一のスキー場でもあるこのスキー場で布教活動をすれば、三重県を制覇したことにもなるからです!(相変わらず勘違い)
 しかし、朝一番で到着した御在所スキー場は猛吹雪で、現れたスキーヤー(このスキー場はボード禁止)は一人だけ・・・・それも自分の滑りに一生懸命で布教効果は全くありませんでした。
 新雪それもかなりパウダーに近い雪が積もっているのに総員4人という現実から、スキー場が出した結論は「中上級コースの閉鎖」だったようで、メチャメチャおいしそうなパウダー斜面に指をくわえながらスーパー緩斜面のみ滑走となり、弐號エヴィンは寒さに震えながら修行モードへ移行、教祖Jは今回の研究会の真の目的である24號のテレマーク洗礼の儀を厳かに行うことになりました。

結果は見なくても分かる
 「じゃぁ、ちょっと歩いてみよう」「いいね〜、じゃぁリフトに乗ってみよう」「よし、自由に滑ってよし」<なにーそれだけか〜い!(弐號)
 テレマーク初心者をリフトてっぺんに残して、さっさと自分のNEWテレマーク板のテストに移行した教祖Jに大自然の恐ろしさを感じたのでした。(なんのこっちゃ^^;)
 「革靴&細板+初テレ=転倒の嵐」にもめげず、24號はテレマーク続けるそうです。めでたし、めでたし

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H16.1.11 第49回研究会「それは突然、はじまった」
 タラ、タラ、タラ〜ン♪なんて怪しげな音を発した携帯telを確認すると「明日の朝4時に、私の所へ迎えに来なさい」とだけ書かれたメールが届いていた。発信元は教祖J、どうやら研究会をやるつもりらしいのだが、どこでやるのかもさっぱり・・・・それに「朝の4時なんて、何時に起きればいいんだ〜!もう夜の11時なんだよー(;;)」
 ちょっとフィクションが入ってますが、そんなこんなで、突然のごとく第49回目の研究会は始まってしまいました。行く先は伊吹山!ところが、北斜面は真っ白な伊吹山もスキー場側の南斜面は・・・無い・・・で、目標を奥伊吹に変更としたのですが、スキー場のはるか手前で車を降りる教祖J「駐車場代がもったいないので、ここからアップを兼ねて歩いていく」とのこと。なんてこったい・・・

いにしえのスキーヤーの聖地
 1年ぶりの奥伊吹スキー場。「あぁ、ここはスキーの聖地だったのだ。」スノーボードよりもスキーの方が優勢なスキー場は、関西でも稀でしょう。それに、2m超のスキー板がこんなに並んでいるスキー場はもはやここだけかもしれない・・・?
 こうして2人は肝心の布教はすっかり忘れて、朝から夕までたっぷり遊んでしまいました。これで、来週の「テレマークな宿」襲撃作戦は成功したも同然でしょう。(自己満足)

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H16.1.17 第50回研究会「全国テレマーカーの集い」
 いつのことであったかもう忘れてしまいましたが、テレマークをはじめた初期の頃、教祖Jが興奮しながら1冊の本を見せてくれたことがあります。「全国テレマーカーの集い」と書かれた大団幕の下で、踵をあげた異様な集団が写っている写真、それはユースホステルのガイド本だったと思いますが、その頃から毎年この集いに参加しようと計画しながら果たせずにいました。しかしなぜか伊勢に拠点を移した5シーズン目にその夢は実現されました。
 飛騨古川にある「テレマークな宿」というユースを拠点として全国からテレマーカーが集まってくる!そんな壮大なイベントが一体どこにあるでしょうか?ここでテレ神の啓示を受けた教祖Jから「今回の研究会は裏コード名を『テレマークな宿襲撃作戦』とし、ニッカの正装で細板と革靴で乗り込むべし」とまたまた、とんでもない方針までもが打ち出されました。「この寒い時期にニッカの正装なんて、死にに行くようなもんですよ(;;)それに、革靴をアピールするためにゲーターも取り付け禁止なんて・・・・」と涙目の2號の訴えは早々に却下され、不安を抱えたまま記念すべき第50回メモリアル研究会はスタートしたのでした。

これが全国テレマークの集いの実態だ!
 全国から集うテレマーカーの数はちょっと少なく、とってもアットホームな集いであったため、勘違いの格好で参加した2人組も好意的に受け入れて頂き、楽しく雪まみれになることができました。ここに集うテレマーカーさん達はゴチゴチに固まった現代風のテレマーカーとは違い、なんだか懐かしい感じの人達でした。「それになによりも、かわいスキー場は素晴らしいところでした」人が増えすぎると困るので、あまり宣伝はしたくないのですが、1度行けばその素晴らしさに誰もが納得するでしょう。
勘違いの二人組
 夜はテレマークな宿において勝手に八尾テレ2003ビデオ上映会?までしてしまい、ご迷惑をかけてしまいましたが、いろんな人たちと知り合いになれてテレマーク・スキーをやってて良かったと久しぶりに感じることができた研究会でした(^^;いつも酷いんです。
 あまりにも良かったので、次の日も「かわいスキー場」でしたが、調子に乗って腰を強打したエヴィンは午前中で終了。教祖Jは前日の夜に見たアメリカの細革ビデオの影響か「ステップ!バ〜ック」なんて呟きながら黙々と変則ターンの練習に明け暮れていました。
 昼過ぎに帰路についたものの、岐阜名物のスキー渋滞でクタクタになって伊勢にたどり着いたら次の日になっていました。

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H16.2.8 第51回研究会「年に1度の伊吹山参り」
 伊勢からだったらもっとも近場の本格的スキー場である「伊吹山スキー場」は、積雪さえあれば山頂からの滑走も自己責任において黙認されている?素晴らしいスキー場です。
 伊吹山スキー場1合目まで滑走可能!という情報を入手した八尾テレ研究班は、急遽41回研究会を実施することを決定しましたが、1,2,9,24號に加え、0號ソノさんとWRXさんにも思いがけずお会いすることができ、山スキー主流の伊吹山BCスキー・シーンにおいて十分テレマークをアピールする事ができたと思います。 

グッド・コンディション?伊吹山
 0號の「そのさん」は見たこともないような太いK2の板で登場しましたが、積雪が思ったより無かったので早々に普通のファットスキーに履き替えられたようです。しかしあの板、はったりなしでジョニー&エヴィンの細板の倍の太さがありました。アルペンボードを両足に付けているような感じ、滑るには相当の体力がいることでしょう。やはり「地獄から蘇った不死身の鉄人」と呼ばれるだけのことはあります。
 久しぶりにお会いした9號の「まこっちゃん」は滑りも洗練されてました。10號さんとのお子さんが成長された暁には親子テレマーカーとして世に名を馳せることでしょう。またしてもデジカメを忘れたエヴィン(従軍カメラマン失格)のために今回の写真を提供頂きました。有り難うございます。
 24號「ののさん」は職場の先輩「アルペン」と一緒に乗り込まれましたが、前回の研究会以来2回目ということで、細板&革靴では結果は言わなくても・・・(^^;3カ年計画で上達と言うことですが、がんばって先輩を見返してください。
  そしてWRXさん。「八尾テレ・ファン」ということで「ファンファン」さんと仲間内でお呼びしていたところ、かなり初期に掲示板にカキコされていたWRXさんと判明!そういえば伊吹山の麓にお住まいだったのですね、また伊吹で研究会やるときはお会いしましょう。いつものように勝手に27號登録完了しました。
 天気も良くなり11時から山頂へアタックしましたが、時すでに遅く、昨晩降り積もった雪も、滑走開始には重たい雪に変わって転倒シーン撮影会に変わってしまいました。細板&革靴で華麗にBCスキーを楽しめるようになるのは、いつになるのでしょうか?
 登山&滑走レポートは「えびちゃんの山行記録」にまとめたいと思います。

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H16.3.7 第52回研究会「雲中滑走訓練」
 3月に入って寒波が復活したため、近年雪不足に悩む伊吹山スキー場でのラストステージを敢行することになりました。約1ヶ月ぶりの伊吹山は吹雪でその姿を拝むことはほとんどありませんでしたが、もうバックカントリー・スキーの出来る状態でないことはスキー場の雪からしても明らかであり、これからは雪を求めて遠征しないと研究会は開催できないでしょう。
 風はたいしたことはなかったのですが、伊吹山が吹雪山と言われる所以の濃い霧の中、「山では雲中を滑ることもあるだろうし、視界0の中を安全に滑る技術も必要である」と言うことを頭の中で自分に言い聞かせながら、黙々とゲレンデを上下するだけの研究会となってしまいました。が、ゲレンデの端っこの方には10cmくらいの新雪が残っており、誰も滑ろうとしなかったので僅かながらのパウダーを一人占めできたのは、せめてもの救いでした。
 ところで今回の研究会は、ついに教祖Jが禁断の果実を口にしてしまった記念すべき日でもありました。近年の進化する道具に痺れをきらしたのか・・・ついに革靴最後の砦も陥落し、ここに踵解放軍は新たなる段階に突入してしまったようです。帰りの車中において「ぷら、う〜んプラ、プラはいい、プラでの滑りは、ぷらは・・・、プラとは・・・」ってな具合にマラリア熱に浮かされたように呟く教祖J。今となっては、どこかの似非(えせ)教祖に落ちぶれてしまわないことを願うのみです。 

バッド・コンディション?伊吹山
 いよいよシーズンオフが見えてきたような今日この頃、かろうじて雪が残っている伊吹山。来年こそは豪雪を期待したいものです。

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H16.3.21 第53回研究会「ゲレンデ・ラスト」
 いつかはやってくるゲレンデシーズンの終了。しかし、今シーズンは早かったような気がします。例年に比べると半分以下の滑走日数は引っ越しのせいなのか・・・、ガツガツ滑る時期が終わってしまったのか・・・、暖冬で雪が少なかったからなのか?とにもかくにも、やはりゲレンデのラストはビバレで決まり。今シーズンの最初で最後のビバレ研究会は、例年より早めの時期に行ったため、ちょっと多めの雪で、きたる春(GW)ツアー研究会のための最終調整ができました。

ラスト・ビバレ
 今年は4月まで営業できるのか微妙な琵琶湖バレーですが、ゴンドラも新しく塗り替えられ、来シーズンも期待度は「大」です。

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H16.5.6〜8 第54回研究会「敬三先生の足跡をたどって」
 皆さんは日本が誇るプロスキーヤーの三浦敬三先生を知っておられるだろうか?八尾テレの教祖Jがいたく感銘を受けているスキーヤーはステンマルクが有名(そんなん誰も興味ないって^^:)ですが、日本人であれば間違いなく敬三先生でしょう。確か今年で100歳になられたと思いますが、モンブランを親子三代で滑ったとか、息子の雄一郎氏が世界最高齢のエベレスト登頂者になられたこととかでも有名です。敬三先生のスーパー一家に関しては話をするとキリがないのでこれ以上述べませんが、敬三先生がシーズン終わりに立山の御山谷を滑っていたことを知っておられる人は多いでしょう。(ただし今シーズンはどうなのか不明)
 ということで八尾テレの5シーズン目の締めくくりとなる合宿研究会は、ちょっとメジャーすぎて足踏みをしていたこの立山山域にチャレンジする事になりました。なぜなら、うまい具合にGWを少し外した平日に休みを取ることが出来たからです。また、これまでは日程調整の関係で富士山研究会以外は1&2號のみの限定研究会になっていたのですが、教祖Jの古い友人であるkimuchi氏にも参加いただき、立山雷鳥沢にて28號襲名の儀が粛々と行われたことも報告しておきます。

超絶空間「立山」
 これまでの遠征は宿に泊まってきましたが、初めての2泊3日で予算がオーバーとなったため雷鳥沢でのテント泊を敢行。このためかなりの荷物になりましたが、室堂から雷鳥沢までは下り基調で問題なく、雷鳥沢をベース・キャンプとして2日目に敬三先生が愛した御山谷を堪能することができました。
 2日目の最後に2號エヴィンのカルフ(10thマウンテン)が永眠するアクシデントはありましたが、3日間ともこれ以上ない晴天に恵まれ、最高の滑り納めを楽しむことができました。
 *この研究会の詳細な記録は残っていませんが、八尾テレ2004ビデオを見れば当時の状況が分かると思います。ただ、個別の記録を作らなかったことを後悔しています。
 というわけで17年経った令和3年4月末に記録を「えびちゃんの山行記録ss」にて作成!

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1.テレ研とは 2.メンバー紹介 4.道具について 5.今後の予定

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