国旗及び国歌に関する法律

更新日21.10.1

国旗及び国歌に関する法律が制定されています。

(国旗)
第一条
1  国旗は、日章旗とする。
2  日章旗の制式は、別記第一のとおりとする。
(国歌)
第二条
1  国歌は、君が代とする。
2  君が代の歌詞及び楽曲は、別記第二のとおりとする。

 別記第一には日章旗のデザイン、寸法、日章の位置、彩色について書かれています。
 別記第二には歌詞と楽曲が書かれています。


国歌  君が代

君が代は 千代に八千代に さざれ石の 巌となりて 苔の むすまで


この法律を取り上げたのは、国旗と国歌を定めるこの法律が、いかにも軍国主義への返り咲きを煽るかのような意見しか述べない反対派(特に一部教職員)があまりにも稚拙であるからです。

先ずは私の結論から申し上げます。

「君が代」の「君」は「あなた」です。

ところが国旗と国歌を反対する人たちは「君」は「天皇」である。とかたくなに言っています。
この「君が代」の解釈を、一部教職員等の反対派は以下のようにしています。

「我が天皇のお治めになる此の御代は千年も万年も、小石が大きな巌となって苔の生えるまで、いつまでも続いてお栄えになるように。」

反対派はとにかく有無を言わさず「君が代」を反対するための解釈をしますから、このようになります。
「君が代」は、天皇を称える歌であり、軍国主義につながるものである、というのです。
「君=天皇」とし、更には「神武天皇はいない」と言い切る反対派の意見が正しいと思いますか?。

彼らは太平洋戦争で「君が代」「日の丸」が軍事目的に使われたことだけをやり玉にあげて反対しているのです。

確かに天皇制国家で、特に戦争中はこのように解釈したでしょう。
国歌や国旗というものは世界中どの国でも戦争だけでなくオリンピックや国家間の交渉、古くは貿易にも使われていたはずです。

日章旗と君が代は戦争でも使われました。世界のどの国でも戦争では国旗と国歌を用います。

君が代の詩は古来から日本に伝わるものです。戦争の為に作られたものではありません。

今の日本国憲法をよく読んでください。

第1条 天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。

天皇主権だった頃の解釈が「君=天皇」としていたのなら、国民主権の今は「君=我々(国民)」となりませんか?。
繰り返しますが「君」は「あなた」です。

「君」の解釈は自由です。

反対派の教職員は、子供たちに「君が代」は天皇崇拝の歌で軍国主義でまた戦争をするきっかけになる、と教え、一方的に反対派の意見だけを子供たちに強制しています。
国旗国歌を反対する子供たちの意見は、反対派の意見の押し付けによって生み出されたものです。

その行為こそおかしいのです。

「君」の誤った解釈を、教職員という立場を利用し、子供たちに押し付けるのはやめましょう!

みっともないです。

現在の日本において、私は以下のように訳すのが自然だと考えます。

「我々(日本国民)と我々の暮らすこの日本の郷土とこの時代が、永遠に(千年も八千年も)、小さな石が堆積して大きな岩となり、そこに苔が生えるくらい永久に、栄えますように」

君が代は、古今和歌集の時代からある、美しい和歌です。
※君が代の曲は明治以降です。

世界の国家の詩の中で、君が代は最古のものです。
そして悠久の平和を願う数少ない国歌の一つです。

戦争を連想させる言葉の入っている国家の国も多く、特に中国は未だに抗日の内容です。

君が代の詩のは十世紀頃の古今和歌集の和歌です。

「わが君は 千代に八千代に さざれ石の巌となりて 苔のむすまで」

詠み人知らずですが、形容詞のみで詠われているので女性であるという説もあります。
つまり恋の詩ですね。
ここでの「君」は、「私の慕う貴方」という意味だとすればどうでしょうか。

最後に。私の包丁の理論です。

包丁を殺人に使うと凶器になります。間違った使い方です。
包丁を母親が愛情を込めて料理を作るために使えば愛情のアイテムになります。正しい使い方です。

包丁を国旗国歌に当てはめて考えてみてください。
反対派は凶器としてしか扱っていません。
賛成派は凶器になる危険性を分かった上で、料理に使っています。

以上が私の国旗国歌に関する意見です。

 ※私自身は天皇崇拝者ではありません。軍国化には勿論反対です。
  しかし一般的に国を愛する心を持ち合わせています。



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