プロフィール
東白鬚第一マンション自治会は今年で22年目を迎えています。竣工されたのが昭和57年同年に入居しました。当時この白鬚地区はまだまだ未開発地域で、現在はとても美しく整備されているマンション裏の公園も、ただの荒地でした。地域にある小学校に通うのも板を敷いた仮設の道路を通って行かなければなりませんでした。とにかく、この地域は新しく作られた防災拠点用の街だったのです。当時この大規模なプロジェクトに最初から、設計監理に参加された大沼氏が当マンションにお住まいです。その大沼氏から聞いた話を元にこの街の生まれたルーツを探ってみたいと思います。
江東防災拠点の発想
東白鬚第一マンションは一体誰が、何のために建てた建物なのか?
昭和42年に誕生した美濃部都知事のもとで事業化の方向へ乗せたのは、大型工場が規模拡大を求めて地区外移転の動きがあり、その跡地が住宅公団や、都営住宅に転換されようとしていた。こうした跡地をなんとか集約し、計画的な再開発に誘導できないかという発想として生まれたのが拠点構想である。それは、この白鬚地区だけの問題ではなかったが、この拠点発想は大地震発生時にその域内住民を90分以内で完全に収容できる避難広場の設置計画であった。
計画と設計の経過
白鬚東地区防災拠点の概要
住所 | 東京都墨田区堤通2−3−1 | 03−3619−6160 |
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概観 | 地上13階地下1階 | エレベーター2基 |
世帯数 | 102世帯管理室含む | 駐車場設備あり |
本当このマンションに住んでいれば地震が起きても大丈夫なのか?
このような大地震の備えるためにできたマンションに住んでいると、大地震が来ても絶対大丈夫と思いがちですが、実際にはそうはいきそうにはありません。建物がいくら頑丈でも部屋の中の家具や電化製品等が倒れてしまえば、大事故につながります。神戸の大震災や新潟地震がそれを証明しています。家具等の転倒防止対策は絶対必要です。
また大事な事はふだんの住民同士のコミュニケーションです。災害を最小限に抑える方法はご近所との助け合いです。そのためにも是非自治会活動や管理組合活動に参加されて、住民同士のコミュニケーションをはかって下さい。