年数

親鸞聖人の直弟である了海上人の弟真海上人が兄了海の命で西国下向し、備後より石見の国佐波荘(現美郷町高山)に入り領主佐波氏の請により一宇を建て、西原山浄土閣と名づけたのが今の浄土寺のはじまりです。

はじめは坊地(上坊地は安濃郡、下坊地は邑智郡)に発祥し、佐波氏の請により西原に坊舎を建立。後代乱世になり再び坊地に移住しましたが兵火と洪水を受け坊地を捨てて再度西原に復帰。天文二十一年(一五五二年)十世明正代に八間四面の本堂を再建したのがその概略です。

災禍により明暦元年(一六五五年)九間四面の本堂を再建。明治二十七年再び罹災し、明治三十三年に現在の本堂が再建されました。

前述のように開基に携わったのは真海上人ですが兄の了海上人にその功を譲り、自らは第二世を名のりました。よって了海上人が往生された徳治元年(一三〇六年)を開創として、以来山陰地方に於ける浄土真宗発祥の寺院であり、真宗教線の拠点となった石見国の根本道場でもあります。

現在の住職である真公は第二十五世。

浄土寺山門

◆勇壮豪快な「浄土寺四脚門」寛文9年(1669)再建。明治の大火を免れ現在に至る。

納骨堂

◆本堂北側にある納骨堂は、もと庫裏裏にあった内仏殿持仏堂を移築したもの。