八尾テレマーク研究会
H19.7.7 第9シーズンに向けて 「八尾テレ・ワッペン」 HP更新停止の原因は、何をトチ狂ったか2輪教習を受けるために自動車学校に通い始めたのが大きいでしょう。実は第80回研究会(乗鞍死亡遊戯)の帰りの車内で、「スキーのバランスってMTBに近いよね」って話から、「ペダルを漕ぐ動作のない自動2輪なら、もっと体を倒せるので夏場でもスキーのバランス感覚を養うことが出来るだろう」という話に盛り上がり、そうこうしている内に「バイクって凄く面白いので免許をとりなさい」などと教祖様に誑かされてしまったのです。 仕事が終わってから、細々と教習に通い、梅雨の時期でもあったので、雨の教習等つらい日もありましたが、6月末に一応最短時間で卒業検定に合格したので、ようやく精神的圧迫から解放されました。 で、ワッペンの件です。これは完全に教祖様オリジナルですので、概要を説明するだけにしますが、このデザインは私には出来ないくらいマニアックな感じがします。さすがに教祖様、センスが一般人とは違うようです(良い意味で)。 先日、教祖様からサンプル写真が送られてきましたが、質感もよさそうで日の丸みたいなので、ワッペンとしてウエアー等につけるのは結構いい感じだと思いました。皆様は、どう感じられたでしょうか?
H19.11.22 第81回研究会 「勤労感謝テレの日」
どこでやるの?って聞いたところ教祖様から「鷲ヶ岳!」という返事が返ってきたため、何の迷いもなく鷲ヶ岳で研究会を開きましたが、ゲレンデDJ曰く「今シーズン最高の人出!(^^)」ということで、リフト待ちも最高で、細長いゲレンデを蟻さんのように蠢くボーダーさんの間を縫うように滑ることができて、本当に最高でした(嘘) 忘れていました・・・テレの人も数人お見かけすることができ、いよいよテレマーク・スキーもメジャーになってきているのを実感しました。一時期増加していたショートスキー系の人は少なくなっているようです。
H19.12.23 第82回研究会 「キャンパー・テレマーク」
粉雪の予報だったのに、この雨では明日のスキーは3本滑って終わりかも・・・と絶望的な気分から酒がすすみ、快適な夜だったにもかかわらず朝は二日酔い・・・なのに、夜明けまで降っていた雨はさっぱり止んで、スキー場は予想以上にグッドコンディションになっていました。「神様のいぢわる・・・」 ただし、キャンピングカーは本当に最高です。普通の車の車中泊とは次元が違います。もしこんな車を持ってしまったらいよいよテレマーク・バムになってしまうでしょう。
忘れていました。この日のホワイトピア高鷲は3連休の中日(なかび)にもかかわらず、人は少なめで前回の鷲ヶ岳に比べるとリフト待ちもなく快適に滑ることができました。ちらっと見かけたテレマーカーさんは皆さん上手で、一般の人に「テレマーカーには上手な人しかいない」と誤解を与える原因にもなっているようです。テレマークの醍醐味はあのヨチヨチ感なのですが、本当に見かけなくなりました。「これもプラブーツ効果なのでしょうか?」 今回もプラブーツを持ってきて、教祖様から激しいお叱りを受けた私は猛反省をして、次の研究会からは細革道に邁進することを誓ったのでありました。
H19.12.28〜30 第83回研究会 「ながおっち大明神光臨!」 「2泊3日で飛騨へ行く!」 と突然の教祖様のご発言により、年末のテレマーク・スキーはサバイバル合宿の様相を呈してきたのであります(なんのこっちゃ・・・^^)。新年からの業務多忙につき文才枯れ果て、息も絶え絶えの広報エヴィンは最後の力を振り絞って、この3日間の報告作成に挑みます! 1日目: 「移動と昼からかわいスキー場でスキー」 「やったー!雪だ〜」 でも、ユースの大田さんにお会いしたところ「来るのが遅いよ〜」と、とんでもないことを言われてしまいました。いえいえ、来るのが遅いわけではなく おまけに食事休憩をしたら、エヴィンの腰が悲鳴を上げてまともに立てないぐらい。腰を伸ばすこともできず「これじゃまともに滑れないよ〜」と教祖様に一生懸命SOSサインを送ったのですが・・・教祖様は 「久しぶりに蛍の光が聞きたい・・・ほげほげ」 と非道い事をおっしゃられ
、結局雨の中をリフト終了時間まで滑った(滑らされた)のでした。 2日目: 「大雨で寿司食いね〜のはずが、なぜか朴の木平」 「仕方ない、朴の木平(スキー場)へ行きましょう」 「はい!?・・・」教祖様の容赦ない発言により、居合わせたメンバーは顔を見合わせたのは言うまでもありません。結局くまおやじさんの車に乗って、朴の木平スキー場へ滑りに行くことになりましたが、エヴィンの腰は最悪だった(これで滑ったら間違いなく死ぬ)ので、ゲレンデに隣接する温泉に行くという条件で同行することに・・・念のためにスキー・セットはユースに置いていきました・・・そして、そう本日の教祖様のお守り(おもり)はくまおやじ氏に決定したのです。 標高の高い朴の木平スキー場は、思ったより斜面がクレイジーで楽しそうなスキー場でした。ただし、やっぱり豪雨。昼から小降りになるという予報を信じて、昼まで食事休憩をしてから、2人は雨のスキー場へ消えていきました(生きて帰ってこいよ〜)。 3日目: 「ながおっち大明神光臨!!」 3日目の古川の朝は大雨でした。ユースでは蛮人堂さんと合流していたので・・・気を取り直してスキー場に向かうと、今度こそ「トンネルを抜けると雪でした」状態で、十数センチの新雪が積もっていました。古川とかわいスキー場の標高はそれほど違わないのにこんなに天気が違うのはまさしく「ながおっち大明神様」のおかげでしょう。まったく、天から見放されたどっかの「インチキえせ教祖殿」とはえらい違いです。 細板&革靴に履き替えても、その人特有の滑りは変わることがない!というのが今回の収穫でしょう♪そう、くまおやじさんの「ダークサイド滑り」は細革でも同じでした。 帰りに飛騨の怪しいスポーツショップで300円のスノボー用ズボンを入手したのも収穫でしょうか? ということで、長くつらかった記録作成の日々もこれで終了(おおげさ)。あれ以来滑りに行くこともままなりませんが、いつかどこかのスキー場の研究会でお会いしましょう。20.2.16_^^)/~
H20.3.21 第84回研究会 「二度目のシーズンイン?」
教祖「ジョニー」は、前回の研究会においてエヴィンが奥飛騨の「八尾テレ公認の宿」において授付され、こっそり持ち込んだ神器「E99(フィッシャー製)」の極長細板を難なく乗りこなし、細革検定における「特級革滑術師」の称号が与えられたことを、ここで報告しておきます。 思い起こせば6年以上前、第24回研究会において伊吹山の猛吹雪のなかで一緒に滑った22號の「けん・たろう」氏と再会したのです。けん・たろう氏は琵琶湖バレイに行くはずが強風でゴンドラ停止のため奥伊吹に避難してこられたとのことで、これはまさに神のお導きだったのでしょう。 時間が無くて一緒にはほとんど滑れませんでしたが、またどこかでお会いしましょう〜
H20.3.22 第85回研究会 「ゴンドラ発進せよ!」 大津のユースホステルで数奇な夜(怖くて言えない)を過ごし、朝一番にロープウェイ乗り場へ進出したのですが・・・・
<すし詰めになったロープウェイ第2陣の中で>
「お待たせしました、発進しま〜す(^^;」
「どうでもいいんですけど、人乗せ過ぎとちゃいますか?」
話はそれてしまいましたが、前日の奥伊吹ですっかり自信喪失してしまったエヴィンは、神器「E99(漁師製)」の使用を諦めて、モロトの「深紅の競技板(マジコ)」でビバレの残雪ゲレンデに挑むことになりました。 ビバレの重鎮「H氏」の登場です。H氏とは思い起こせば平成15年4月6日、ビバレにおいてエヴィンが革靴にフィッシャーのマウンテンクラウンで細革練習しているときに声を掛けて下さり、なんと自宅にまで呼んで頂いて名機「GTSスーパー(漁師製)」を授けて下さった人なのです。(その昔、ログキャビンというショップのオーナーであられた方です)
奇跡的な出会いもあって、ようやくエヴィンの革靴滑りにも目途がつき、研究会を終了して板の手入れをしていたときに悲劇は起きました。 さようなら〜(;;)/~
H20.4.27〜28 第86回研究会 「白馬乗鞍で大団円」
どちらかというと「栂池スキー場は、ミーハーで軟弱なスキー場である。」というイメージがあり「(素朴で硬派な?)八尾テレの研究会」には相応しくないと思っていましたが、帰る頃には「栂池さいこ〜」とか、はしゃいでいる脳天気な2人がゴンドラ乗り場付近で目撃されていたようです。
白馬乗鞍岳の良いところは、なんと言っても御岳・乗鞍よりも標高が低いため、あまり息切れすることなく山頂まで登れるし、ゴンドラとロープウェイを乗り継げば、かなり時間が短縮できるので三重からの距離を考えても初日から山頂へアタックできそうなところです。 詳細な記録はもしかしたら、「えびちゃんの山行記録SS」において報告するかもしれません。それでは、また来シーズン、どこかのテレマークなステージでお会いしましょう(^^)/~
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