竹村東野の門人中著名な者 | |||
氏 名 | 享年 | 叙勲等 | 事 項 |
なかおか しんたろう みちまさ 中岡 慎太郎 (道正) 1838〜1867 |
30 | 維新烈士 贈正四位 |
元治元年、長州藩に従い京に入り、蛤門の戦いで負傷 慶応2年1月成立した薩長同盟に坂本竜馬と共に尽力 慶応3年7月陸援隊を組織、同年11月15日夜、坂本竜馬と共に京、近江屋で刺客に襲われる |
おおいし まどか やたろう 大石 圓 (彌太郎) 1829〜1916 |
88 | 維新志士 正五位 |
土佐勤王党同盟起草文を書く(同盟192名) 明治元年東征軍参謀 新政府軍務司権大属 明治10年長州奇兵隊長富永有隣を庇隠した嫌疑よって松山の獄に入るが証拠不十分で出所 |
ひじかた ひさもと くすざえもん 土方 久元(楠左衛門) 1833〜1918 |
86 | 維新明治功臣 伯爵 |
三条實美公等七卿西下に随従 明治元年太政官議政官 明治20年農商務大臣、宮内大臣 明治天皇に奉仕 |
いわむら みちとし さない 岩村 通俊 (左内) 1840〜1915 |
76 | 維新明治功臣 男爵 |
弟に林有造、岩村高俊あり 明治9年山口裁判所長、萩の乱を糺す 明治10年鹿児島県令、明治19年北海道長官 明治22年農商務大臣、貴族院議員 |
やすおか かくのすけ まさよし 安岡 覚之助 (正美) 1835〜1868 |
34 | 維新烈士 贈正五位 |
武市瑞山の股肱、元治元年瑞山の大獄拷問に屈せず、終身禁錮、維新大赦 明治元年東征に小軍監として従軍、同年8月25日会津若松城下で戦死 (安岡章太郎の「流離譚」参照) |
やすおか かすけ まささだ 安岡 嘉助 (正定) 1836〜1864 |
29 | 維新烈士 贈従四位 |
安岡覚之助の弟 藩参政吉田東洋を斬り脱藩 天誅組大和挙兵、元治元年2月16日京六角の獄にて 処刑される (安岡章太郎の「流離譚」参照) |
みやじ
ぎぞう まさひろ 宮地 宜蔵 (正寛) 1838〜1863 |
26 | 維新烈士 贈正五位 |
寺田屋騒動後禁錮放免 三条實美公の護衛 文久3年7月28日病没 |
もり しんたろう ためまさ 森 新太郎 (為政) 1829〜1909 |
81 | 維新志士 従五位 |
文久元年、武市瑞山の同盟に加盟 明治元年東征に従軍、二本松で負傷 香長学舎を起こし子弟を教育す |
いけじ たいぞう しげとし 池知 退蔵 (重利) 1831〜1890 |
60 | 維新志士 従五位 |
武市瑞山の同盟に加盟 明治元年東征に従軍、断金隊長 明治9年長岡郡区長、明治11年高知に百做社を建て 実業と教育を兼ねて行う |
もとやま ただいちろう しげとう 本山 只一郎 (茂任) 1826 〜1887 |
62 | 維新志士 | 嘉永6年容堂公側小姓、安政3年幡多奉行、同6年安芸郡奉行、慶応2年大目付 明治元年正月11日松山、高松追討の錦御旗を奉じて帰藩 新政府に仕え、晩年京都加茂神社宮司 |
きたむら かくどう せいざぶろう 北村 鶴堂 (誠三郎) 1841〜1897 |
57 | 郷儒 | 家塾を開き子弟を教授す 明治元年東征に従軍し功あり、後、大石圓、池知退蔵の興した嶺南社で子弟を教育す (鶴堂の父、久高が手写した頼山陽の日本書紀に竹村東野序文を書く) |
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